アレフたちに謁見した翌日、僕らは〈混沌教〉の本神殿へ向けて出発した。
独立戦争を回避できなかったため、馬車の窓から外の景色を眺めるヘルカの表情は暗い。
アレフ陣営の戦力はモーリュ辺境伯領と、帝国を裏切りヘルカを拉致したルノンド子爵、その他周辺の地方貴族。
それと大規模な魔獣討伐を行なうため、と称して集めている冒険者や傭兵たちだ。
帝国陣営の詳細は不明だが、フレックがちらっと姫様の派兵とか言っていたな。
当初の予定通りであれば、最低限勝てる戦力は用意しているだとは思うが。
「実際問題、帝国はどうするつもりなんだろう。アレフの直接参戦がなくなったとはいえ、予定通り鎮圧しちゃったらアレフの面子を潰すことになりそうだけど」
「アレフ様は人種同士の戦争の結果には口出ししないと仰っていました。私はあえてそれを公言しないでくださいとお願いしました」
「ふむ。戦争で不利になった時、アレフが出張る可能性を残しておけば牽制になるか。フレックが帝国サイドにどう伝えるかにもよるけど」
ルーちゃんこと〈変容と不朽の神〉が物騒なことになると、夢枕で言っていたのも非常に気になる。
もし神々が出張ってきたら、それこそアレフに任せるつもりではあるが。
「ん? いつの間にアレフとそんな話を」
「その……昨晩、夕食の後に呼ばれまして、少しお話をさせて頂きました」
何故か申し訳なさそうに説明するヘルカ。
そういえばいつの間にか呼び方が敬称のアレフになっているな。
ヘルカとアレフの密会を止める権利は僕にないから好きにしていいのに、なんて口に出すと話が拗れそうなので黙っておく。
僕が〈混沌の女神〉の使徒であるが故に、〈混沌教〉の信者であるヘルカの僕への信仰心は厚い。
それはリリエルも同じだし、間もなく到着する本神殿にはやはり信仰心の厚い信者たちがいるのだろう。
使徒という肩書きだけで祭り上げられるというのは良い気分ではない。
もちろんリリエルとヘルカは肩書きだけを見ていないと思うが、肩書きがプラスに作用しているのは確かだ。
リリンは僕のことを贔屓の球団のスター選手と例えていたが、こちとら中身は只のフリーターのおっさんである。
特別扱いされることに一向に慣れないというか、自分にそんな価値はないのにという劣等感に苛まれる。
今更なことでうだうだ悩むこと二日。
ついに〈混沌教〉の本神殿に到着した。
割と早い段階でここが目的地にはなっていたのだが、様々なトラブルに見舞われたため、随分と時間がかかったものだ。
僕こと益子藤治は北海道の秋空の下、〈コラン君〉の着ぐるみバイト中にトラックに撥ねられ死亡した。
死んだ原因は僕の足元をうろちょろしていた猫こと〈混沌の女神〉を踏んでバランスを崩し、道路に飛び出してしまったから。
つまり猫のせいである。
という経緯もあり、補償としてアトルランと呼ばれるこの異世界に転生させてもらった(強制)のだが、何故か〈コラン君〉の姿(強制)だった。
僕は出来ることなら元の大人の人間の姿に戻りたい。
出会った当初に〈混沌の女神〉はまた話をしようと言っていた。
しかし未だに碌に話ができていないので、こちらから本神殿まで出向いて《神降ろし》を行い、腹を割って話そうという魂胆である。
どうにも元の人間には戻れなさそうな雰囲気をひしひしと感じてはいるが、猫から直接Noと聞くまでは諦めたくない。
何なら別の神を頼っても良いかもしれない。
また最低でも〈コラン君〉の姿に戻る必要がある。
〈コラン君〉の人格が暴走した影響で、四次元頬袋に閉じ込められてしまった神々―――サシャ、エリス、ブロンディアを助け出さなければ。
〈混沌教〉の本神殿は石造りの古い建物で、朽ちかけた石柱がいくつも並ぶ様はギリシャにあるパルテノン神殿を彷彿とさせた。
良い観光名所になりそうだ。
「ようこそいらっしゃいました神獣〈コランクン〉様」
僕たちを出迎えてくれたのは数人の〈混沌教〉の信者たちだ。
リリエルと同じ黒い法衣を纏っている。
さすがに到着を待ち構えてはいなかったが、少年の姿の僕が〈混沌の女神〉の使徒であることは知っているようだ。
代表の若い女性を筆頭にして真っすぐ僕の元へやってくると信者全員が跪いた。
統率の取れた動きに思わず後ずさりそうになる。
「僕がよく〈コラン君〉だと分かりましたね」
「はい。〈コランクン〉様のお姿は神託で拝見しております。こうして直接お目に掛かれて光栄でございます」
見上げた代表の女性が満面の笑みを浮かべる。
鮮やかなブルネットの髪が印象的な美人だが、その目は曇りなき眼を通り越して狂気を孕んでいるような気がする。
相変わらず僕の様子は信者相手に勝手にライブ配信されているようだ。
人間に戻るのもそうだが、猫に会えたらこの盗撮配信もやめさせないと。
相変わらず敬称も重複している。
「ジャンヌ! ジャンヌではありませんか。元気そうで何より……いえ、もしかして貴女は」
「私はジャンヌの娘のジュリアと申します、ヘルカリード様。以後お見知りおきを」
ジャンヌという人物がヘルカの当時の知人なのだろう。
トレーズの時もそうだったが、ヘルカが〈地神教〉の神殿に籠っていた十数年という時間は、人種からすると世代交代するほど長いものであった。
「ジャンヌの若い頃にそっくりね。彼女は息災ですか?」
「昔から母は体が弱くて寝込みがちですが、それ以外は元気ですよ。皆様どうぞ中へお入りください。微力ながらご奉仕させて頂きますので、我が家と思ってお寛ぎください」
ジュリアの案内で本神殿の中に入ると、古びた石畳と石壁が続いている。
外の石柱よりは風化しておらずしっかりしていた。
僕がきょろきょろしているのを見て、ジュリアが申し訳なさそうに言う。
「この〈混沌教〉の本神殿はその昔、〈混沌の女神〉様から直接賜ったものと伝えられており、信者たちの魔力供給によって維持されています。しかし年々信者は減っており、神殿としての機能を維持するのが精一杯です。我が家のようにお寛ぎくださいと言っておきながら、不甲斐なくて申し訳なく思っております」
「ということは魔力供給さえしっかりされれば、この風化したような状態の建物も真新しくなるんですか?」
「理屈上はそうなのですが、そこまでの魔力供給は過去に一度もされたことがありません。その証拠が長い年月を補修されず脆くなった壁や柱となります」
魔力供給であれば協力できそうな気もする。
〈コラン君〉の頃から魔力は有り余っていたし、それは少年の姿になっても変わらない。
応接間に通されお茶を頂いていると、ジュリアに似た女性が入ってくる。
「ヘルカ様」
「ジャンヌ!」
前情報の通りジャンヌは病的に色白ではあるが、足取りはしっかりしていた。
ヘルカに呼ばれて嬉しそうに微笑んでいる。
「まさか生きているうちに会えるなんて」
「ちょっと縁起でもないことを言わないで」
二人は目尻に涙を浮かべながら、十数年振りの再会を喜び抱き合っている。
年頃の娘がいるとは思えないほどジャンヌの見た目は若々しかった。
人生五十年を地で行く世界なので、実際に若いのかもしれないな。
「年甲斐もなくはしゃいでしまい申し訳ありません。改めて自己紹介いたします。私は神殿長を務めますジャンヌです。〈コランクン〉様はどのようなご用件でこちらにいらしたのでしょうか?」
「それなんですが……」
僕が《神降ろし》したい旨を伝えると、ジャンヌとジュリアが困惑して顔を見合わせた。
「ではやはりあの《交信》の結果は間違いではないのかもしれませんね」
「《交信》ですか?」
「はい。実は昨日、このような《交信》が〈混沌の女神〉様からありまして」
そう言ってジャンヌが木札に書かれたメモを見せてくれた。
そこにはこうあった。
*さがさないでください*