『それではこの〈智慧の輪〉を渡しておきますので、《神降ろし》の際に巫女の腕に通しておいてください。わが主 〈智慧の神〉との繋ぎとなります』
シリエルは錫杖の先端から輪をひとつ抜き取って僕に渡した。
その輪に切れ目なんてないのだから、まるで手品だ。
「えー、すごい! どうやって取ったの?」
一緒に見ていたフィンにとっても不思議な光景だったようで、僕から〈智慧の輪〉をひったくる。
知恵さえ絞れば繋ぎ目が見つかりそうな名前をしているが、〈智慧の輪〉についてはフィンがいくら撫で回しても種も仕掛けも見つからないようだ。
結局後半は野球の話ばかりしてシリエルは帰っていった。
『なるほど、半身になって腰を捻るようにして振るうのですね。下半身が安定していることも重要と。棒術にはない動作で状況は限られますが、全身の力が伝わりますので威力は申し分ないですね』
野球のスイングの仕方を説明すると、シリエルは錫杖をバットに見立てて楽しそうに素振りをしていた。
ちょっと教えただけなのにフォームは様になっている。
近い将来アトルランに野球チームのエンゼルスが爆誕するかもしれない。
「私を娶る件、真剣に考えてください」
「いや、だから丁重に辞退をね……」
僕らが〈嘆きの塔〉の地下の転移装置から〈残響する凱歌の迷宮〉に帰る際に、リーシャが現地妻の件を再燃させた。
実際問題として現地妻なんていう不誠実な立場にはさせられないし、僕の今後の身の振り方、というか姿形すら定まらない状況で〈嘆きの塔〉に足しげく通うこともできない。
「分かっています。半分冗談です。自らの意思で神に仕えている以上は、生涯独身を覚悟していますから」
なんて言いつつも、転移の瞬間に寂しそうに微笑むのはずるいなあ。
色々あったが〈智慧の神〉にチクるという目的を果たした僕たちは、〈残響する凱歌の迷宮〉を脱出してクラン〈
「皆さんおかえりなさい。その様子だとギルドマスターとは会わなかったみたいですね」
出迎えてくれたライナードによると、僕たちと入れ違いでギルドマスターのリックがやってきたそうだ。
支部長が言っていた通り、ギルドマスターは僕の存在を嗅ぎ付けてラーナムまでやってきたのであった。
「トウジさんは迷宮に入ったと伝えたら、護衛というかお目付け役の冒険者たちを引き連れてすぐに迷宮に向かったみたいですよ」
迷宮は勿論一本道ではないので、幸運にも追いつかれたり鉢合わせたりしなかったようだ。
転移装置の存在は知らないだろうから、今頃白霧街より下の階層に行っているかもしれない。
ギルドマスターに振り回されている冒険者たちには悪いが、僕はこのまま旧ラシソーマまでとんずらするとしよう。
迷宮に付き合ってくれたシナンとマリウスに感謝を伝えた後に、ルリムの《長距離転移》で〈混沌の女神〉の本神殿に戻ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま……どうしたのその格好」
「私も〈混沌教〉に入信して巫女に立候補したのよ」
リリンが赤黒のゴスロリドレスを脱ぎ捨て、〈混沌協〉の法衣姿になっていた。
両手を組んで目を瞑り祈りのポーズをすると、癖のない銀髪が黒い法衣の上をさらりと流れる。
俯きがちで長い
その他はどうであれ、見た目だけは麗しいのでとても様になっていて、黙っていれば神秘的な聖女様といった感じだが……。
「巫女になれる条件は〈混沌教〉信者であり、神の器として耐えうる健康な大人であることと、そして穢れなき乙女じゃなかったっけか」
「あら、その条件のどこに私が当てはまらないと思っているのかしら?」
「……」
全部だ! とはさすがに言えず黙り込んでしまう。
「ああー、なんだかすごく名誉を傷つけられている気がするわー。特に最後のが一番許せないわー。貴方が〈コラン君〉に戻ったら真っ先に確認させてあげるわー」
何の確認だよ、何の。
「別に差別するつもりはないけど、〈
「〈混沌教〉は種族、年齢問わず広く門戸を開けています。とはいえ〈闇の眷属〉の入信は前例がないため聖典を確認したのですが、〈闇の眷属〉を拒む記述は見つかりませんでした。予想外というか盲点だったというか……そもそも〈闇の眷属〉という存在の記述自体がありませんでした」
〈混沌の女神〉の本神殿の管理者であるジュリアによると、〈混沌教〉の原典である聖典に〈外様の神〉や〈闇の眷属〉、〈邪人〉という単語は存在せず、代わりに〈立ちふさがる困難〉だとか〈汝の敵〉といった抽象的な言い回しになっているそうだ。
「〈外様の神〉の侵略は神話の時代からあったんだよね? 聖典はそれよりも前に書かれたものってことかな?」
「そのように解釈するのが妥当かと思います。ただ〈外様の神〉に連なる者たちはアトルランに生きる者すべての敵というのが事実でしたので、確認して明記されていないことに正直驚いております」
もし名指しで敵だと書かれていたら入信は許可できなかった。
だがリリンは〈闇の眷属〉でも友好的なので、〈立ちふさがる困難〉でも〈汝の敵〉でもないのでセーフ、という理論である。
僕の周りには友好的な存在が多いから勘違いしやすいけど、世間一般的には〈外様の神〉たちは絶対悪であった。
でも人種にだって罪を犯す悪い奴はいるのだから、種族だけで善悪を判断するのはただの差別だろう。
「お互いにOKなら別にいいけど……というか、言葉も分からないのによく話が進んだね」
「多少の単語は覚えてきたからね。あとはボディランゲージで頑張ったのよ」
最近のリリンは前と違ってこの世界の言葉を覚えることに積極的だった。
その理由は今もリリンの横でニコニコしているリンの存在にある。
初対面の時は〈闇の眷属〉が纏う異質な魔力に当てられて号泣した元孤児のリンであったが、仲直りしてからはリリンのことを姉のように慕っていた。
リンは兄のセリと共に〈混沌教〉への入信を決めていたのだが、そこにリリンも誘ったらしい。
可愛い妹に頼まれたからしょうがないわね、みたいなノリでリリンもあっさり入信してしまった。
お揃いの法衣姿になって終始嬉しそうなリンの頭をリリンが撫でる。
外見だけなら確かに姉妹くらいの年齢差に見えなくもない。
しかし片方は長命というか不老不死? の吸血鬼なので、実年齢の差は姉妹どころか親子、いや孫とおばあ……。
「おおっと、羽が滑ったわあ」
「うわっ、あぶなっ」
リリンの法衣の裾から蝙蝠の羽が飛び出し、僕の鼻先を掠めていった。
咄嗟に仰け反らなかったらアッパーカットを食らっていたところだ。
そういう時だけ正確に僕の心を読むのはやめて頂きたい。