「これはこれはヘルカリード嬢。ご無沙汰しております。〈神獣〉様、お会いできて光栄です」
トレーズの案内で訪れた部屋にいたのは、腰の曲がった老人だった。
深めに窪んだ目元はトレーズそっくりでぎょろりとしている。
頭頂部は禿げ上がり、その周囲と顎に真っ白な毛が生えていた。
御年八十歳で人族としては圧倒的ご長寿なため、顔や手は皺だらけ。
腰が曲がっているので身長が縮んで見えているはずだが、それにしてもでかい。
直立だったら二メートル近くありそうなので、若い頃は偉丈夫だったのだろう。
常におじぎしているような姿勢なのに杖は突いていない。
中腰のままきびきびとした動きで僕の前までやってくると、骨張った手で握手を求められた。
この人がトレーズの父親、現モーリュ辺境伯家当主リカルドである。
当初はトレーズと仲違いして強制隠居でもさせられているのではと心配されていたが、まったくそんなことはなく、普通に宮殿で暮らしていた。
リカルドは強力な【闘神の加護】を持っていて、若い頃は沢山の武勇や逸話を生んだそうだ。
そして年を取り体は衰えても加護による身体強化は衰えないので、このように日常生活に支障は全くないのだとか。
見た目は(サイズはともかく)よぼよぼのお爺さんなのに、動きが俊敏なので違和感が凄い。
「聞いていると思いますが、辺境伯家は近々息子に継がせます。これでようやく政治を気にせず只の老兵として、戦場に骨を埋めることができる」
「えっ、独立戦争に参加するつもりですか?」
「勿論ですとも」
「やめてください父上。その曲がった腰に合う鎧なんてないのですから。いくら加護があるとはいえ、相棒の
飽きれ顔で諭すようにトレーズが言うが、リカルドはどこ吹く風であった。
「鎧なぞいらん。あれは辺境伯ここにありという目印のために、飾りとして身に着けていたに過ぎん。つまり今後はお前が着れば良い。鎧がなく身軽になった分、戦斧もより素早く震えるというものよ。かっかっか」
呵々と笑うリカルドの背後の壁に飾ってあるのがその戦斧なのだろうか。
リカルド(直立)よりも長さがあり、重量も二十キロくらいありそうだ。
鎧も着ない腰の曲がったお爺さんが、戦場で戦斧を振り回し無双する姿を想像する。
……ゲームバランスのおかしいインディーズゲームかな?
某関西芸人さんがツッコミを入れながらプレイ動画をアップしてそう。
「このように私が辺境伯を受け継いでしまうと、しがらみのなくなった父上が暴走するので、あえて継いでいないのです」
「いい加減に正式に継いで親孝行したらどうだ」
「そんな老体を戦場に送り出すほうが親不孝です。外聞だって悪い」
「他人の評価なぞ儂はもう知らん。アレンフリューズ様が現れた時にはどうなることかと思ったが、神々の介入により改めて戦争の差配は人種に委ねられたのだろう? ある意味この独立戦争は神々の承認の元に行われるとも言える。ならば儂にとっては戦場で死ぬのは誉れである」
そうかなあ? 戦争を止めなかったけどやれとも言っていないような。
なんていう思考が表情に出ていたのか、リカルドが僕の顔を見て問いかけてきた。
「〈神獣〉様は独立戦争に否定的なのですかな?」
「僕の個人的な意見ですが、戦争はしないに越したことはないかと思います」
「独立戦争を起こすように仕向けているのはヨルドラン帝国だ。仮に戦争を回避しても、別の手段でモーリュ辺境伯家は粛清される。そして後任として粛清候補の貴族がこの地にやってくるが、粛清されるような貴族なのだから間違いなく圧政を敷くだろう。未来の民を思えば独立を目指した方が良い。そう思いませんかね」
「リカルド様は長年帝国に尽くしてきたと聞きましたが、裏切って良いのですか? 甘んじて粛清されろという意味ではないですよ? たとえば亡命するとか……貴族としての誇りが許さないかもしれませんが」
「亡命も一つの手ではある。民からすれば平和をもたらすなら支配者は誰でも同じですからな。帝国が平和を保障する限り、隣国への侵略も必ずしも悪とは言い切れなかった。実際に愚王が統治する国を落とした時は、その国の民から歓迎された。また別の国では周辺国との戦争が長引き疲弊していたが、帝国の一部となった結果、帝国を恐れた周辺国は撤退し戦争は終結した」
ふむ、強国であるヨルドラン帝国の傘下に入る利点も、少なからずあるというわけか。
ラディソーマ竜王国がそうだったとは思えないが。
「だから若かりし頃の儂は他国の民を救うつもりで戦に明け暮れた。だが帝国も完璧ではなかった。民を虐げ私腹を肥やす腐敗した貴族は帝国内にもいたのだ。仮に後任の貴族がまともなら潔く粛清も受け入れたかもしれないが、前提条件が成立しない。腐敗した貴族を派遣するために、儂らを粛清して席を空けるのだからな」
「皇帝といえど全能ではないので、腐敗した貴族は少なからず現れるでしょうね。その都度、膿を出すように腐敗した貴族を切り捨てるしかないと」
「若かりし頃の儂は帝国には不義を働く貴族などいないと信じていた。だからその存在を知った時は絶望もした。それでも大義のため……大多数の民の平和のために、一部の民が犠牲なるのもやむなしと、一度は粛清を受け入れようと決めた。だが覚悟を決めてから二十年余りが過ぎた、過ぎてしまった。儂はこの地の民を見捨てることができなくなったのだ」
立場が変われば意見も変わる。
多数を守る立場だったリカルドだが、少数を守る立場になり考えが真逆になってしまったのだ。
なぜ粛清されず二十年もの間、平和が続いたのか。
それは皇帝の治世がうまくいき、次の粛清が必要なほどに腐敗した貴族いなかったからだ。
だがそれも二十年で限界を迎えたのであった。
二十年も治世を頑張れるなら、もっと頑張ってくれればよかったのに。
あきらめんなよ……Never Give Upだよ皇帝。
「少数の民のために帝国に歯向かう儂らは愚かだと、悪だと思いますかな? 〈神獣〉様は」
「一概に悪だとは言い切れないでしょう。帝国全体を見れば多数のために少数が犠牲になるのが効率的なのは事実です。でも犠牲になる少数側の立場からしたら冗談じゃないわけで」
「しかし儂は忠誠を誓ってきた皇帝と、大勢の帝国民に仇なそうとしている」
「リカルド様は皇帝じゃなくて辺境伯なのですから、自領の民を優先するのが当たり前です。彼らすればリカルド様の方が民を守る正義の味方ですよ」
善悪だって立場や時勢によって変わる。
敵国の兵士を数多く倒した英雄だって、その敵国側からすれば憎き大罪人だ。
「〈神獣〉様のお墨付きを頂きましたな。これで大義有りにて独立戦争を起こせる」
「いやいや、だから僕は戦争反対ですって。旗印にしないでください。多数はもちろん少数の民も犠牲にならず、戦争も起こさず、悪い貴族だけ処罰する方法を模索しましょうよ」
「それができれば苦労はしないですなあ。万人に幸福をもたらせるとしたら、神の御業以外にはないでしょう」
そうかなあ? あの神々に万人を幸せにする力があるかなあ?
あれ、もしかして地上に過度な干渉はご法度って言ってるけど、単に上手に人種を幸福に導けないから誤魔化しているだけだったりして……。
ホロカちゃんにレジータとサシャが憑依していることは部外者には秘密だ。
だからこの場にはいないが、もしいたなら疑いの眼差しを向けてしまっていたな。
なんだか禁断の心理にたどり着いた気がしないでもないが、きっとまだ見ぬ神々はしっかりしているのだろう。
〈地母神〉とか〈智慧の神〉とか。
〈試練の神〉と〈創造神〉はちょっと怪しい気がする。
……え? 〈混沌の女神〉? ハハッ。