「Gyaooooo (ついた)」
雲海の上をシンクの背に乗って飛ぶこと数時間。
風景に変化はなかったが、シンクが不意に吠えた。
「え、よく分かるな。この下が帝都の王宮だって」
「トージ、あれあれ」
フィンが正面を指差しているのでそちらを見ると、黒い物体が浮かんでいる。
それは〈較正神〉だった。
胸の下で腕を組み、若干高い位置から相変わらず偉そうにこちらを見下ろしている。
いや、神だから実際に偉いのだが。
「間もなく到着すると神託してあります。このまま真っすぐ降りなさい」
「〈較正神〉様もついてくるんですか?」
「いいえ。過干渉になるので貴方たちだけで行きなさい。そこの二人も本来なら同行させたくありませんが、そのままぬいぐるみのふりを続けるなら許しましょう」
『なによ偉そうに』
『まあまあ、管理者の指示だから仕方ないよ』
ぶーぶー言うホロカちゃん(サシャ)を宥めつつ降下を開始する。
白い雲が次第に暗くなり、雲海を抜けると地上は曇天に支配されていた。
今にも雨が降りそうな天気だ。
上空から見る帝都の街並みは広大で、その中でも中央にひと際大きな建物がある。
あれが皇帝グルエムの住まう城か。
「竜のまま王宮に降りていいって言っていたけど、降りられそうな所は……あそこかな?」
中庭のような開けた場所にいくつもの篝火があり、隊列を組んだ沢山の人々の姿が小さく見えた。
降下を続けると段々と人々の姿が大きくなり、一斉にこちらを見上げているのがわかる。
よしよし〈較正神〉の神託はちゃんと届いているな……なんて思った矢先、僕の目の前を赤い槍のようなものが通過した。
見覚えのあるこれは、魔術の《炎槍》だ。
「歓迎の花火代わり、なわけないな。攻撃されてるな!?シンク、逃げるんだ!」
地上の隊列を組んだ人々、あれは魔術師の軍団だったようだ。
対空砲火のように《炎槍》や《火球》、《石弾》といった魔術が飛んできて、シンクの腹にいくつも直撃する。
「Gyawuuuuuuuuuuuuuuuun!(だいじょうぶ、こんなの当たってもなんともない)」
「大丈夫だからいいって話でもない! まさか〈較正神〉に謀られたのか?」
『さすがにそれはないと思うわよ。竜族だけでなく、トウジの主である〈混沌の女神〉への敵対行為にもなるから。もちろん私たちもあいつが裏切ったなら許さないわよ』
「てことは皇帝の意思で攻撃しているということか。交渉の余地すらないのかよ」
このまま空中に留まっていても仕方がないので、交渉を諦めて上空に戻ろうとシンクに言おうとしたのだが、
「Guruuuuuuuuuuuuuuuuuu!(あ、あそこ降りられそう)」
腹に魔術がバシバシ当たっていても余裕綽々のシンクが、ちょっと休憩とでも言うように正面に見えた居城のやや高い位置にあるテラスへと移動を始める。
そのテラスの柵には蔦や薔薇といった細かい彫刻が施され、居城への入口には色鮮やかなステンドグラスが嵌め込まれていた。
いかにもこのテラスに偉い人が立ち、下界に向かって演説でもしそうなロケーションである。
そんなところへ悠然と飛んでいくシンクであったが、少し大きさの目測を誤っていたようだ。
「ちょ、シンク待って―――」
竜の姿をしたシンクが収まるにはテラスは狭く、着地と同時にシンクの頭がステンドグラスに突っ込んだ。
けたたましい音と共にステンドグラスが砕け散る。
破片が場内へと降り注ぎ、遮るものがなくなると城内の様子が明らかになった。
そこはどうやら謁見の間のようで、右側に入口となる大扉、左側に玉座がある。
玉座には豪華な服を着た老人が座り、周囲を全身鎧の騎士たちが守るように集まっていた。
よく見ると彼らの周囲には薄い障壁のようなものが張られていて、飛び散ったステンドグラスの破片はすべて防がれ足元に落ちていた。
騎士たちの中にひとり、老人のすぐ横に神官服を着た女性が一人混じっていた。
青い髪を肩口で切りそろえ、涼しげな瞳をした美女だが見覚えがある。
「Gyaooooooooooooooooooo!(ごめんなさい、ちょっとせまかった)」
僕の耳にはシンクの申し訳なさそうな副音声が聞こえてくるが、彼らには怒りの咆哮に聞こえたのだろう。
騎士たちが次々と抜刀して臨戦態勢に入るが、玉座に座る老人が手を挙げて静止した。
「待て、其方らは動くな。そちらは〈較正神〉より神託で通達のあった使者殿であるな」
「……そうですけど」
「まずは謝罪する。外のあれは軍部の暴走で帝国の、我の意思ではない。我としては神託通り使者殿との会談を望む」
ということはこいつが皇帝グルエルか。
謝罪するという割に偉そうだな、というのが第一印象だ。
いや、皇帝だから人種の中では実際に偉いのだが。
グルエルはヨルドランがまだ王国だった頃の軍人で、クーデターを起こして自信が王となり、他国を侵略した後に皇帝となった。
既に八十歳を超えているはずだが背筋はぴんと伸び、口調もはきはきとしているので六十歳くらいにしか見えない。
同年代のモーリュ辺境伯リカルドは動きはともかく、見た目は八十歳相応のよぼよぼした感じだったのだが、それとはまた別の違和感があった。
「こちらとしてもこれ以上攻撃されないのであれば、話し合いはしたいですが」
「使者殿の寛大な返答に感謝する。其方らは剣を仕舞って下がるがよい。聖女よ、護りはもう不要だ」
「軍部の暴走というのは事実なのですか!? 陛下。この地の管理者である〈較正神〉に対して、決して非礼があってはならないと申したはずです!」
薄い障壁のようなものを解除した女性が、顔色を青くして皇帝に詰め寄っている。
発言からして〈較正神〉からの神託を受けた当人か?
そりゃあ神託受けて歓待の準備をしてもらったはずなのに、俺の答えはこれや! とばかりに攻撃されては彼女の立場がない。
神に敵対したと受け取られてもおかしくはないだろう。
「勿論だ聖女よ。これはあくまで外の部隊を編成している第二師団長ラズールの暴走である。まさか歓迎のために編成した人員で攻撃するとは思わなんだ。其方ら、謀反者ラズールを即刻捕らえよ」
皇帝の命を受けて数人の騎士が退出していく。
それを見届けた皇帝がシンクの背に乗ったままの僕らへ向き直り、改めて偉そうに謝罪の言葉を述べた。
「さて使者殿、此度は帝国の軍部の不手際で迷惑をかけた。これ以上危害は加えないと我が約束しよう。落ち着いて話せる場を用意してあるので、ご足労頂けないだろうか」
正直言って全く信用できないが、交渉は成功させたい。
うーん、この不手際とやらを交渉材料にできるかも?
「わかりました。次に何かあった時は〈較正神〉に敵対したとみなしますので、そのつもりでお願いします」
僕はオーディリエと無言で頷きあう。
彼女に抱きかかえられながら飛び降りたところで、シンクも人の姿に戻る。
《人化》する時の眩い光に驚いた騎士たちは、その中から現れた幼女を見ても警戒を解かなかった。
当のシンクはステンドグラスを割ってしまってしゅんとしている。
先に攻撃してきたのは向こうだから気にすることはないぞ。
僕はシンクの頭を撫でて励ました。