その神殿は風化が激しく、建物と呼べるようなものは残っていなかった。
森の中に僅かに開けた空間があり、かつては床だったと思われる苔むした石畳が散乱している。
「どれが祝福だ?」
「んーあれかな」
俺の肩に乗っていた猫が器用に前脚で指し示した先には、正方形の井戸のようなものが見える。
近づいてみると穴の中は月明かりすら通さぬ暗闇で、真っ黒な蓋がされているみたいだった。
「それじゃあ出しますよ」
打ち合わせ通り俺は四次元頬袋から二柱の神を解き放つ。
片方は上半身が裸の人型、下半身が逆関節のロボットのような脚を持つ女神だ。
素肌は血の気を感じさせない程に白く、肘や首関節は黒い筋線維がむき出しになっていて、人形のような質感をしている。
漆黒の逆関節の脚は機械的で機能美を感じさせるが、動力パイプやシリンダーのようなものは見当たらなかった。
もう片方も上半身は人型だが下半身は四脚。
前者は見上げるほど大きいが、後者は子どもくらいの大きさだった。
外様の神ブロンディアとエリスだ。
現在は外様の神になってしまっているが、元々は創造神サイドの神である。
エリスは創造神に生み出された〈開拓の女神〉で、遥か昔の神話と呼ばれていた〈黄昏戦争〉時代に、アトルランを離れ宇宙へと旅立った。
その理由は千年以上続く外様の神との〈黄昏戦争〉に終止符を打つため。
外様の神との戦いはアトルランの外へと追い返す防衛線が主流で、相手の消耗を待つしかなかった。
いつ終わるかもわからない戦争に嫌気がさした神々は、〈開拓〉に特化したエリスと腹心のブロンディアを外様の神の陣営へと送り込んだ。
結果は普通に失敗。
色々と事情はあったそうなのだが、たった二柱でどうにかなるわけもない。
エリスたちは創造神を裏切り、外様の神の陣営へと鞍替えすることで辛うじて滅ぼされずに済んでいた。
神々の作戦としてはここで終了だったがエリスたちは機転を利かせる。
外様の神の情報をアトルランへと流したのだ。
このスパイ活動によって効率よく外様の神を迎撃できるようになり、見事 〈黄昏戦争〉が終結。
その後、結界である〈世界網〉がアトルランに張られたため、外様の神は二度と直接侵攻することができなくなった。
エリスとブロンディアは〈黄昏戦争〉におけるMVPと言っても過言ではないのに、アトルランの神々の対応は酷いものだった。
再びアトルランに招き入れるどころか、外様の神になった裏切者として扱い続けたのだ。
しかもどうやらエリスを宇宙に送り出す作戦の言い出しっぺは〈混沌の女神〉のようで、猫との再会にブロンディアは特に喜んでいた。
エリスたちに接触すると他の外様の神にバレるとか、今は〈世界網〉があるから通れないとか、スパイ活動を続けてほしいとか理由を並べていたが、〈黄昏戦争〉から数千年経っているのに報酬ゼロはありえないだろう。
四次元頬袋内でちょっとした猫虐が繰り広げられていたが……見て見ぬふりをするのもやむなしだ。
エリスとブロンディアは古色を帯びた金髪を風になびかせ、感慨深げに木々の隙間から見える夜空を見上げている。
どちらも人形のように表情は乏しいが、黒い眼球に浮かぶ黄金の虹彩は揺らめいて輝き、涙で潤んでいるかのよう。
数千年ぶりに帰郷を果たしたのだ。
いくら神といえど心のうちに巻き起こる感情を制御するのは難しいだろうし、制御する必要もない。
今話しかけるのは野暮なので、二人が満足するまで俺は待ち続けた。
「……本体ではなく分体ですが、こうして再びアトルランの地に降り立つことができました。トウジさん。ありがとうございます」
「私からも礼を言う。ありがとう」
「帰ってこれてよかったですね」
俺も嬉しい気持ちになって頷いていると、一匹空気を読まない奴がいた。
「これも僕がトウジに授けた〈コラン君〉の加護のおかげだね。四次元頬袋経由じゃなかったら外に出られなかっただろうし」
「「は?」」
「アッハイすみませんなんでもないです」
こいつは……。
俺とブロンディアの怒気を受けて、イカ耳になった猫が地面に伏せる。
「それでは結界を張りますね」
エリスが片手を上げて外様の神としての力を解き放つと、祝福を覆うようにして黒いドームが形成される。
これで祝福の封印を破壊しても、外様の神の力で覆われているため発覚しない。
少なくとも目視で確認されない限り大丈夫だそうだ。
「ほら出番だぞ。さっさとやれよ」
「ぐぬぬ……僕の扱いに納得いかない点もあるけど、まぁいいよ」
猫が井戸にしか見えない祝福に飛び乗った。
穴を塞いでいる暗闇は物理的に存在しているようで、その上でトイレの砂かけのように前脚で掘る。
すると暗闇がパリンと割れて消失し井戸から光が迸った。
エリスの結界がなければ夜空に光の柱が上ってさぞかし目立っていただろう。
「次は私の番ね」
俺は〈時と扉の神〉レジータを四次元頬袋から出すと、彼女の力によって迸る光が収束していく。
井戸風だが掘られているということはなく、中の高さは地面とほぼ一緒のようだ。
光が完全に消えると金属製の古めかしい扉が出現していた。
石造りの井戸の高さ五十センチほどで、一辺の長さは一メートルくらいあるからギリギリ扉は開けそうだ。
「これで〈嘆きの塔〉の地下と繋がったの?」
「うん、開けてみていいよ」
「どれどれ……」
恐る恐るドアノブを引くと、扉の向こう側から何かが二つ飛び出してきた。
腹と頭に衝撃を受けて「おぶっ」と変な声が出る。
「トージ!」
「トウジ」
現れたのは猫の次に付き合いの長い、フィンとシンクであった。