誰がこのような結末を予想できただろうか。
多少の油断はあったが、そもそも観測者たる僕が物理的に接触……踏まれることなどありえないのだ。
その確率は量子力学上の壁抜け―――量子トンネル効果とニアリーイコールで、天文学的数値以上のゼロが並ぶ。
そんな彼を転生させたのはよかったが、これまで通り僕が手ずから導くのは憚られた。
僕を踏むという、とんでもないミラクルを起こしたラッキーボーイだし。
だから僕は彼を意図的に遠ざけた。
これは経験則になるが、僕が意識すればするほど凡庸な結果になる気がするのだ。
地球の俗語で例えるなら物欲センサーだろうか。
混沌を司る者としては甚だ遺憾だが、結果そうなっているのだから仕方がない。
陰ながら見守ることすら我慢して、本当の危機が迫らない限りは放置していた。
なので〈嘆きの塔〉で外様の神と殴り合っていた時は、本当にびっくりしたものだ。
竜族や僕の姉妹たちである神々と邂逅し、何度繰り返しても巡り合えないような冒険譚を繰り広げていた。
世界には大きな流れがある。
歴史の修正力と言い換えてもよい。
古今東西、未来も含め、あらゆる出来事は
今だってそうだ。
分体とはいえ、どうして外様の神と戦える戦力が揃っているのだろう。
これがわからない。
シンクは前回茨で傷つけられた教訓からか、
小さな頬を膨らませて、収束した
狭い地下空間なので、あえて竜の姿に戻らないでいた。
〈黒茨卿〉も唯一致命傷になりえる攻撃だと理解して、獣の体で飛び跳ねて躱している。
その動きを止めようとしているのがフィンだ。
〈ハスカップ羊羹〉や〈コラン君饅頭〉を継続的に摂取していたため、内包魔力の質も量もはとんでもないことになっている。
存在進化しても余裕でおつりが来るくらいだ。
フィンの放つ《風刃》は、無駄にある魔力を贅沢に使って、適当に撃っている彼の比ではない。
【風雷神の加護】のバフも相まって、竜の吐息に匹敵しそうなくらいの威力が出つつある。
なんでこの二人だけで〈黒茨卿〉が封殺されてるんだろう?
やっぱりわからない。
他の面子は魔法陣から湧く〈黒茨卿〉の眷属である茨狼を相手にしている。
大きさこそ普通だが、単体で魔獣の灰色狼を十匹濃縮したくらいの強さがあるので油断できない。
こちらの戦場をコントロールしているのはリリンとユキヨだ。
正面はリリンが触手のように伸ばした黒い翼で茨狼を打ち払い、背面はユキヨの氷魔術で封鎖していた。
そして二人に守られた森人族三名が、遠距離攻撃で茨狼を削る。
オーディリエは彼から譲り受けた魔術武器の弓を射っていた。
【狩猟神の加護】持ちなので弓との相性は抜群。
魔力で生み出された矢が次々と茨狼へ突き刺さる。
ルリムとアナの母娘は深淵魔術 《闇槍》を交互に放つ。
槍といってもちょっとした丸太くらいの太さがあるので、茨狼に直撃すると胴体が消し飛んでしまう。
彼女たちは事前に彼から魔力回復できる〈ハスカップ羊羹〉を支給されているので、魔力を惜しみなく使っていた。
さて、残る二名だが……。
「はぁはぁ、ま、まだですかー? トウジ様」
「……まだだ」
リリエルが迫りくる茨狼を蹴り飛ばしながら彼、藤治に問いかける。
藤治は〈月明剣〉を構えたまま、じっと瞑想していた。
最速で〈月明剣〉に魔力を籠めているのだ。
〈月明剣〉は癖の強い武器で魔力を籠めると威力が増すが、一気に籠めようとすると逆に反発してしまうため、ゆっくり慎重に籠める必要があった。
これまでに何度もトウジの窮地を救ってきた剣だ。
藤治の四次元頬袋には竜族からもらった財宝が入っていて、他にも武器は沢山ある。
だが〈月明剣〉以上に藤治と相性の良い武器はないだろう。
なんせ魔力を籠めれば籠めただけ威力が増すのだから。
〈黒茨卿〉に全力の一撃を当てるため、シンクとフィンの側にいる。
そのためリリエルが藤治に群がる茨狼の排除を一人で担当していた。
「ぜはぁ、ぜはぁ、もう無理。これ以上やらせるなら、トウジ様の正妻にしてくれないとなぁ、できないかなぁ」
「実はまだちょっと余裕ないか? 変なこと言わないでくれ集中が乱れる…………よし、いいぞ!」
ありったけの魔力を貯めた藤治が叫ぶ。
〈月明剣〉は過剰な魔力を蓄えていて、青白い光が膨張している。
まるで威嚇する時の猫の尻尾のようだ。
そこからは阿吽の呼吸だ。
シンクの吐息を飛び退いて躱した〈黒茨卿〉を、フィンの《風刃》が追いかけた。
先ほどから〈黒茨卿〉は致命傷となりえるシンクの吐息を最優先で回避している。
そのためフィンの《風刃》は何度かヒットしているのだが、有効打にはなっていない。
風の刃を受けて一瞬動きが止まる程度だが、それで十分。
「うおおおおおおおおおお!」
藤治が〈月明剣〉を真っすぐ振り下ろす。
―
――
―――眩しい。
月明りで地下空間が埋め尽くされる。
太陽光とは違う冷酷な輝きに誰もが顔をそむけた。
光が収まると同時に静寂が訪れる。
魔力を使い果たし、藤治は前のめりに倒れ込んでいた。
限界を超えた魔力を流された〈月明剣〉は、刀身が半分以上溶けてなくなっている。
そして藤治の正面には、真っ二つに裂けた〈黒茨卿〉が佇んでいた。
双頭は直撃を免れたが首の付け根から胴体、尻尾にかけて亀裂が入っている。
切断面から青白い炎が燃え広がる。
全身が焼失していく。
『……ま………来る』
〈黒茨卿〉の声は最期まで遠かった。
眷属たちも本体と共に消える
すまないね、異邦の同胞よ。
だがルールを破ったのはそちらが先だ。
言うなれば、草野球にプロ野球選手を連れてくるほうが悪いのだよ。
まぁこっちは草野球選手に擬態したプロ野球選手だったかもしれないが……。
暫くの間、床にべちゃりと倒れ込んだまま放心していた藤治だったが、魔法陣の輝きが急速に失われるのを見て慌てて起き上がる。
マフラーに潜り込んでいる僕を引っこ抜いて揺さぶった。
「まずい! 魔法陣が消える! 悠里を帰せなくなる」
「ちょ、そんなに揺すらないで、酔っちゃうから。まずはおめでとう。見事に神々の助けを得ずに〈黒茨卿〉を世界網の向こう側へ撃退したね」
「そんなことよりも!」
「うっぷ、わかってる、わかってるから。使わなかった神々の助けを得るならば、悠里を地球に送り返してあげようじゃないか」
「本当か!?」
「ただし一つだけ条件があるよ。それはね……」
僕の提案を藤治はすんなり受け入れる。
これまではあんなに嫌がってたのが嘘のようで、僕は少しだけむっとしてしまった。