無事にすすきの通り(勝手に命名)の娼館から脱出を果たしたゆるキャラは、〈樫の膂力〉亭まで戻ってきた。
軒下で毛皮に付着した木屑や埃を手で払うと、四次元頬袋から再び聖杯を取り出し、聖水を何度か生み出して頭から被る。
よし、これで全身の汚れと酒の匂いは消えただろう。
《浄化》で生み出された聖水は《洗浄》で生み出した水と同様に魔素でできている。
なので数分もしないうちに魔素に戻って分解されるので濡れたままにならない。
聖杯まじ便利。
〈樫の膂力〉亭は一階が酒場で二階が宿になっている。
宿泊費に食事代が含まれているので、利用客は一階に下りてきて食事をとる仕組みだ。
直接二階の宿に出入りできる外階段も付いているが、酒場兼宿の受け付けである一階が閉まると同時に、外階段を上った先にある扉も施錠される。
だが今晩は特別に鍵がかかっていない。
これは〈樫の膂力〉亭の店主のおっちゃんの粋な計らいである。
宿泊前にゆるキャラが夜間外出に探りを入れた所、色々察してくれて施錠する時間を遅らせてくれていた。
「朝帰りしたら入れてやらんからな」と背中をばしばし叩かれて見送られたわけだが、たったの小一時間で早々の帰還となってしまった。
〈樫の膂力〉亭はすすきの通りとはほぼ反対側にあるため、騒動はここまで届いていない。
エゾモモンガの耳で微かに警鐘の音が聞こえるか、聞こえないかくらいだ。
忍び足で階段を上り鍵の開いている扉を通過して、部屋の扉もそっと開ける。
するとツインベッドの片側で、出かける前と変わらず爆睡する妖精族と竜族の姿があった。
ゆるキャラもさっさと寝るとしよう。
空いているベッドに丸い体を潜り込ませると、戦闘行為と人死にを見て興奮して眠れないということもなく、眠気はすぐにやってくる。
きっとそれ以上に疲れているのだろう……そう思っておこう。
目が醒めると隣で寝ていたフィンとシンクの姿は無かった。
どうやら寝坊したようだ。
やっぱり疲れていたんだなあ、と思いながら部屋を出て階段を降りる。
一階からは朝食の美味しそうな匂いと、フィンの話し声が聞こえてきた。
「へー、じゃあトージはその闇の眷属ってのを沢山倒したの?」
「ええそうです。洗練された美しい両手剣で一刀のもとに斬り伏せて行ったとか」
ん?フィンは誰と話しているんだ?
聞き覚えのある甲高い女性の声だ……嫌な予感がするぞ。
「あ、トージおはよう」
「ん、おはよう」
「おはようトウジ様」
「……おはよう、ございます」
丸いテーブルを囲んでいるのはフィンとシンクと、昨日のイケメン美女である。
フィンとシンクは宿代に含まれている朝食を食べていて、イケメン美女は優雅に紅茶を飲んでいた。
シンプルなシャツとパンツ姿で、波打つ金髪が控えめな胸元まで伸びている。
昨日は遠目にショートカットに見えたが、纏めて被っていた兜に中にしまっていたようだ。
背後には護衛の兵士が二人、直立不動で立っていて、周囲のテーブルだけ他の客が寄りついていない。
日中の〈樫の膂力〉亭は宿屋としての営業だけなので、周囲も宿泊客だけでまばらだった。
夜の酒場の営業時間だったらいい迷惑になっていたな……カウンターの向こうで迷惑そうにしている店主のおっちゃんは見なかったことにする。
「よくここがわかりましたね」
「そんな畏まった言葉使いはよしてください〈神獣〉様。国王陛下から国内の全貴族に対して、守護竜様御一行には最敬礼せよと王命があったのです。〈神獣〉様に畏まれては、私が王命を反故にしていると思われてしまいます。ああ自己紹介が遅れました。私はレン・ガスター。この城塞都市を預かる貴族の娘です。以後お見知りおきを」
そう言ってレンは一度立ち上がり恭しく一礼した。
口調こそ丁寧だが、その碧眼は挑戦的にゆるキャラを見つめいてた。
「よく俺たちの宿がわかったな」
「これでも都市内の守護を任されている身なのです。独自の情報網を使えばいともたやすく……というのは冗談で、貴方が剣を貸した門番からここを紹介したと聞いただけです。というわけで剣をお返ししましょう」
護衛の一人が手に持っていた、布に包まれている幅広の剣を渡してくる。
そういえば鞘は四次元収納に入ったままなので、抜き身で持ってきたのか。
聖水で洗ってから仕舞いたいので、今はそのまま受け取ってテーブルに立て掛ける。
「わざわざ持ってきてくれて助かる。それじゃあこれで……」
「昨日は獅子奮迅のご活躍だったそうで、都市を護る者として礼を言わせて頂きたい。まさか闇の眷属の大軍が直接都市の内部に現れるとは、私で三代目だが初めての事で驚いていますよ」
「……へえ、はじめてなのか」
「サハギンどもが現れた通りの裏手には川が流れていて、ラムール大河へと繋がっています。どうやら大河から遡ってきたようだが、大河を警備する部隊からは何の異常報告はあがってこなかった。一体これはどういうことなのでしょう」
何故か闇の眷属の出没状況をべらべらとゆるキャラに喋って聞かせるレン。
「王国内にあの数の闇の眷属が潜伏していたとは考えにくい。必ず王国の外側、すなわちラムール大河から、我々の警備を何かしらの手段で掻い潜って侵入してきたはずなのです」
「……それは大変だな」
「そこで是非、〈神獣〉様御一行の力をお借りしたいのです」
「借りると言っても何をすればいいんだ?というか軍隊で組織的に調査した方が効率的だろ……ってか貸さないけどな」
「もちろん軍でも調査を進めますが、闇の眷属が都市に侵入するという一大事。これ以上被害が出る前に、一刻も早く原因を突き止めて解決したいのです。その際に圧倒的な個の力が必要になることもあるかもしれません。無理強いは出来ませんので、あくまでお三方のご厚意に甘える形になりますが」
「すまないが急ぐ旅の途中なんだ。今日にでもこの都市を出るつもりだ」
「そうですか。無理を言った御無礼、お許しください」
もう少し粘ると思ったが、やけにあっさりと引き下がったな。
というゆるキャラの思考を読んだかのように、レンがニヤリとしながらこう言った。
「この都市は大小様々な川が流れていて、全てがラムール大河と繋がっています。この宿の裏手にも小川がありますので、そこから闇の眷属が現れなければよいのですが」