「わしらのような結界に抵抗出来ない者が中に入れば、死にはしないが結界内に滞留する魔力の圧力に負けて、まともに身動きもとれんでしょう。どれ、論より証拠ですな」
ラズウェル老は部下に指示して、結界に頭を突っ込ませた。
前屈みになって頭を結界に差し入れた若い男の魔術師は、びくりと体を震わせたかと思うとその場に倒れこんで動かなくなった。
「〈神獣〉様にはどう見えていますかな?」
「その場に倒れてピクリとも動かないな。頭だけ結界の向こう側で消えてるから、首なし死体みたいで怖いぞ」
「そうですか。わしらには前かがみのまま硬直している姿が映っておりますが……」
『万象の根源たるマナよ 邁進する不撓を御旗に 惑乱を斥けよ』
ラズウェル老が何かの魔術を唱えると、納得したのか頷いた。
「ふうむ、まやかしであると認識したうえで《不信》を使えば、わしにも首なし死体が見えるようになりますな。どれ、よっこいしょ」
ラズウェル老が部下の足首を掴んて結界からずるずると引っ張り出すと、その男は魔力に当てられて気絶していた。
それを見てレンが困ったように筆頭魔術師に問いかける。
「我々では対処する術が無いというのか?」
「一週間も経てば結界の力も弱まり、わしらでも入れるようになる。それまで外から包囲すればいでしょう。現時点で抵抗できるとしたら、わしの先代と守護竜様たちぐらいか。〈神獣〉様、中の様子はどうなっていましたかな?」
「外側の景色と同じで林が続いていた。獣道みたいのがあったが曲がっていて先は見えなかったな」
「ふむ、ここの裏手は直接ラムール大河までは繋がっておらん。よってこの結界はサハギンをラムール大河から招き入れるためのものではなく、別の手段で出現させるための隠れ蓑といったところかのう」
つまりこの結界はサハギンの出現に直接は関係していないということか。
とはいえ中も特別な何があるわけではなさそうなので、出現方法は現時点で謎だな。
「他の場所にも結界がある可能性はあるか?」
「人が寄り付かない立地となると施設内は可能性が低いが、念のため探した方が良いでしょう。精霊の有無であればわしら魔導部隊でも調べられますからな。流石は妖精族の〈精霊仕い〉様ですな。精霊との親和性が高い」
「えへへ、それほどでもよ!ねえトージ褒められたから饅頭追加で」
「いやなんでだよ」
「むう、私もご褒美ほしい」
「〈真紅〉様もこう仰っていますので、是非引き続き調査を依頼したいのですが」
レンが言葉遣いこそ丁寧にして問いかけてきたが、ゆるキャラが断れないと分かっているからまるで決定事項のような物言いだ。
ぐぬぬ、原因を突き止めて解決しないとフィンもシンクも納得しないからな。
「調査といっても結界の中には何もない……」
いや、なんか居た。
ゆるキャラがにゅっと再度結界に頭を突っ込むと、先程まで誰もいなかった獣道に、擦り切れ汚れた布に覆われた小柄な人物が立っていた。
よく見るとボロボロな布はローブのようで、フードの下には薄紫の髪に浅黒い肌をした、目玉のギョロリとした子どもの顔がある。
歳はシンクより少し上で人間でいうと十歳くらいだろうか。
耳は伸びて尖っているので、見た目と年齢が同じかどうかは怪しい。
その外見からゆるキャラの知識で当てはめるなら、いわゆる
闇森人(仮)の子どもは手に禍々しい杖を持っていた。
先端に何の生物かわからない角の生えた頭蓋骨がくっ付いていて、生前は目が収まっていたであろう双眸の窪みには黒く輝く宝石がそれぞれ埋め込まれている。
それを痩せ細った両手で持ち石突きを地面に突き刺し、子どもの声が無表情に何かを詠唱していた。
『狂い刳る外淵の星辰よ
子どもと目が合った。
無表情が一変、焦りを浮かべて詠唱が早口になる。
相手が(見た目は)小さい子どもだったため、ゆるキャラは一瞬詠唱を妨害するかどうか迷ってしまった。
もし詠唱しているのがおっさんだったなら、問答無用で突進して張り倒すのだが。
かくして子どもの詠唱は完遂された。
『――
子どもの前方に大きな丸い影が生まれる。
見上げても何もいないということは、それは影だけの存在で……いや違う。
影のように見えた漆黒の穴から渦巻く風を、エゾモモンガの髭が感じ取る。
最初にその暗い穴から出てきたのは大きな脚だ。
漆黒の外殻に覆われた節のある脚で、先端は鋭く尖っている。
ゆるキャラの身長よりも長いそれが並んで四本、同時に獣道を踏みしめた。
……嫌な予感がするぞ。
次いで現れたのは、見るもおぞましい頭胸部と腹部。
丸みを帯びた頭胸部には鋼鉄をも噛み千切りそうな分厚い上顎と、赤い眼が八つずらりと並んでいた。
卵型の腹部は黒一色で一見地味だが、目を凝らせば僅かに収縮と膨張を繰り返しているのが分かる。
最後に穴から飛び出している脚とは反対側、つまり頭胸部と腹部を挟んだ向こう側に対となる四本の脚が現れた。
そう、巨大な蜘蛛である。
ゆるキャラの中の人的には蜘蛛は益虫なのでそこまで忌避感は無かったが、こいつはいかんせん大きすぎる。
普通に小さければ足の産毛だとか、腹部の胎動だとかが生々しいなどと気付かなかっただろうに。
蜘蛛はこちらの存在を捕捉したようだ。
八つの宝石のような赤い眼のすべてにゆるキャラの姿が反射して映る。
本体はともかく眼は綺麗だな、なんて呆けている場合ではない。
巨大だというのに鈍重さを感じさせない、素早い動きで蜘蛛が襲い掛かって来た。