帝国はいつだって悪者である。
定義は様々だが一般的なイメージでは、覇権主義を掲げて侵略戦争に明け暮れる国を帝国と呼ぶ。
そりゃ侵略される側からすれば帝国は自国を脅かす悪い国だし、物語では大抵前者が主人公で後者が悪役に落ち着く。
この世界の帝国、ヨルドランも類に漏れず隣国に侵略を繰り返しているので、他国からすればやっぱり悪そのものであった。
「今のところあの茨の刺青の男が帝国の間者である証拠はありません。ですがそもそも他国に侵略するような国は帝国以外に無いのです」
「つまり消去法で帝国になるのか」
「国家規模でない組織の可能性も無くもないですが、闇森人の集落を襲った兵たちや刺青の男の武力を考慮すると過剰戦力ですし、いよいよここを襲う理由がありません」
人の恨みは何時何処で、どのくらい蓄積するかなんてわかったものではないが、まあ可能性としては確かに低いのだろう。
敵の素性はさておき、アナの説明にあった拠点への対応をどうするかの打ち合わせが始まる。
「ここからどのくらい離れているんだ?」
「歩いて二日くらい」
「結構遠いな」
ラムール大河の向こう側は若干の緩衝地帯を挟み、その先が帝国領だ。
レヴァニア王国とヨルドラン帝国はもう数十年もの間、それこそグラボが参戦した頃から戦争状態が続いている。
ちなみに国家間は戦争中だが、個人の移動は制限されていない。
戦争の有無に関わらず他国に軍隊を率いて侵入すれば大事になるし、当然相手の軍隊と衝突するだろう。
よって少数精鋭での隠密行動が絶対条件だ。
あとはその徒歩二日の距離をどう移動するかだが……。
「この子どもの《長距離転移》で直接乗り込んではいかがですか?〈神獣〉様」
「またそうやって丸投げしようとするし……。どう考えたって向こうで待ち伏せされてるだろう」
レンの発言につい文句が出るのも仕方がないというものだ。
先にアナの使える二種類の転移魔術について説明しておこう。
《短距離転移》は視界が届く範囲に転移が可能な魔術で、《長距離転移》は事前に登録した地点へ距離を問わずに転移できる。
どちらも転移先に十分な空間が無ければ転移は失敗する。
失敗といっても座標がずれるとかではなく、転移そのものが失敗するのだという。
前に混沌の女神の分神殿の司祭リリエルから、転移型の罠にかかった話を聞いたことがあった。
その罠は転移先の物質を押しのけて転移するタイプで、強引に石壁の中に転移させられリアル〈いしのなかにいる〉状態になったのだが、アナの扱う転移魔術はそこまで物騒じゃないようだ。
まあリリエルの方は罠だから物騒なのは当たり前か。
ちなみにサハギンや闇蜘蛛は召喚ではなく転送だ。
いずれにせよ結界を張った魔術師がこちらの異変には気が付いているはずだ。
《長距離転移》の転移先として登録されているのは、拠点となっている廃屋の中心部分である。
既にその周囲は包囲されていて、のこのこ転移なんてしたら到着と同時に攻撃される可能性が高い。
「包囲なんて喰い破れば良いのです。その気になれば守護竜である〈深紅〉様ひとりで帝国を潰せるのですから」
「そうかなあ……」
ゆるキャラの及び腰な態度にレンが呆れ気味だ。
いやでもね、シンクはともかくゆるキャラはさっき死にかけたんですよ。
誰も見てなかったみたいだけど。
「結界を張った魔術師が分かるのは、結界に侵入されたかどうかくらいで、誰かまでは分からないと思う」
アナ曰くゆるキャラが侵入した時も詳細は分からなかったので、随分と慌てた様子だったという。
「でも敵味方の判断はできてるだろう?」
侵入者は結界内の魔力の圧に抵抗できないと気絶する仕組みで、当然忍者男やアナがそうならないよう識別されているはずだ。
仮に忍者男とアナが侵入者を排除して《長距離転移》で戻ったと偽装するなら、結界内で敵の反応が無い状態で転移する必要がある。
忍者男もアナも結界の外から転移したことにしても良いが、安全ではない外からの転移だと怪しまれるのではないだろうか。
時間を掛ければ掛ける程、アナの母親が危険に晒され続けることになるのは分かっている。
だがゆるキャラはシンクとフィンの安全が最優先だ。
……いや正直に言うなら、先程死にかけたから臆病になっているのかもしれない。
いつまでももじもじしているゆるキャラに業を煮やしたのか、レンは説得の矛先を変えた。
「転移先の仮想帝国の拠点を潰すことができれば、この城塞都市ガスター、いえ〈樫の膂力〉亭も闇の眷属に襲われる心配は無くなるのですが」
「む、それならすぐにいく」
「そうね!ちゃっちゃと終わらせようよトージ」
やばい、こうかはばつぐんだ。
シンクとフィンがやる気を漲らせると、それぞれゆるキャラのマフラーと髭をぐいぐいと引っ張って急かしてくる。
ぐぬぬ、二人を焚きつけるとは卑怯な。
「わかった、わかったからもう少し作戦を練らせてくれ」
というわけで決めた作戦はこうだ。
忍者男とアナは侵入者を排除して拠点に帰還……と偽装するため、アナには結界の内側に立ち《長距離転移》を唱えてもらう。
一緒に拠点に乗り込むのは守護竜様御一行で、ゆるキャラたちは結界のギリギリ外側で待機して《長距離転移》に便乗する。
これで結界内部に味方の反応だけを残しつつ転移できるはずだ。
加えてラズウェル老に《幻影》の魔術で、ゆるキャラの上に忍者男の幻覚を被せてもらう。
《幻影》は動かすことは出来ないが、視覚だけなら本当にそこに忍者男が立っているかのように見せかけることができる魔術である。
転移した直後だけでも忍者男が戻ってきたと錯覚させられれば、攻撃のタイミングを遅らせることができるかもしれない。
「それでは皆様、ご武運を」
最後まで丸投げスタンスを崩さなかったレンの見送りの言葉を合図に、シンクとフィンが忍者男の《幻影》からはみ出さないようゆるキャラにしがみつく。
アナは返却された禍々しい杖を握って《長距離転移》の詠唱を始めた。
体の前半分だけ結界からはみ出しているので、外側からは顔と両手だけが浮かび上がっているように見える。
『狂い刳る外淵の星辰よ 縁に邂逅せし彼の地へ 身魂の変位を誘え』
詠唱が終わると同時に全身がまるで無重力、もしくは自由落下しているような浮遊感に襲われる。
次の瞬間、視界が縦に伸びたかと思うと、暗転して何も見えなくなった。