あれから更に一ヵ月半が過ぎる。
「……」
執務室で書類の整理をしている俺はどこか上の空だった。
今朝から身体が重く、頭がボーとしていた。
(何だ? 疲れでも、溜まったかな……)
しかしうまく考えが纏まらず、意識が明後日の方向に向いていた。
「――――ということですので……」
報告書を読み上げていた品川は、上の空になっている俺に視線を向けるとムッとする。
「聞いていらっしゃるのですか、総司令」
「っ!」
俺は品川に言われてハッとする。
「す、すまない。途中聞きそびれた。で、何だって?」
「……はぁ。海軍の艦隊戦力の再編が終了しましたので、その報告です」
品川から手渡された報告書を手にして開く。
「天城と土佐、蒼龍の修復が終わり、蒼龍は現在乗員訓練を行っているか」
入渠していた3隻は修復を終え、その後天城と土佐は第三航空戦隊から赤城と加賀の代わりにと第一航空戦隊へと異動され、その穴埋めに第三航空戦隊には新たに雲龍と長鯨が配属となった。
「……何とか、準備は整いつつあるか」
「新型のジェット機の改良ももうじき終了するとの報告がありますので、決行までの時間はそう遠くないですね」
「そうか……」
いよいよ決行の時が迫ってきたな。
「そういえば、今日で扶桑が帝国に宣戦布告をして一年が経つな」
「えぇ。戦争自体は4年半経過しているようですが」
あの日からもう一年が過ぎたと思うと、時が過ぎるのって本当に早いものだな。そのあいだに色々とあったな。
「……」
「……?」
品川は何かに違和感を覚えたのか、首を傾げる。
「どうかされましたか?」
「いや、何でも無い」
俺はやけに重い身体に鞭打って執務机に手を付いて立ち上がる。
「この後、確か三笠の就役式があったな」
「え、えぇ」
「それじゃぁ、行くとす――――」
が、歩き出そうとした途端に俺は身体から力が抜けて前へと倒れ込む。
「総司令!?」
突然自分が倒れたのに品川は目を見開いて慌てて俺のもとに駆け寄る。
「どうなされたのですか!? しっかりしてください!!」
「……っ」
身体を揺さぶって俺が呻き声を漏らして意識があるのを確認するとすぐさま執務机の黒電話の受話器を手にして医者を呼び出す。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……」
医務室へ運ばれた弘樹はベッドに寝かされ、頭が禿げメガネを掛けている医者が聴診器や手を使って容態を診ていた。
「……」
そのあいだ品川はそわそわと落ち着かない様子だった。
「はぁ……全く。またかい」
呆れた様子で医者は聴診器を耳から外して頭を掻く。
「どうでしたか?」
「過労じゃな。ここ最近ちゃんと休んでないんじゃろ。あのときも同じじゃったからな」
「あのとき……」
品川はあのときの魔物の巣窟掃討戦のことを思い出す。
あのときも総司令は休む暇を潰してまで仕事に没頭して、過労で倒れていた。
「う、うぅ」
すると弘樹は呻き声を漏らしながら目を覚ます。
「っ! 総司令!」
品川はすぐに弘樹の近くに寄る。
「ここは……」
弘樹は鈍い頭痛に悩まされながらさっきと違う光景に首を左右に振る。
「医務室です。総司令が突然倒れたので」
「……そうか」
「全く。お前さんというやつは。あれほど休めるときは休めと言ったじゃろうが」
呆れた様子で医者はギシッっと音を立てて椅子に座る。
「ここ最近忙しかったから、あんまり休めなかったな」
「そうやって前も同じこと言っておったぞ」
「そ、そうですか?」
「あぁ」
「……」
(そういや、魔物の巣窟の攻略の時も同じだったような……)
「お前さんの気持ちは分かるが、これじゃ身体がいくつもあっても足りんぞ」
「……」
「しばらくは安静じゃ! 絶対に仕事をするんじゃないぞ!」
そう言って医者は立ち上がって医務室を出る。
「ハハハ……。さすがに医者の言う事は聞かないといけないよな」
弘樹は乾いた笑い声を漏らしながら「はぁ~」と深く息を吐く。
(そういや、このあいだまで元気だったリアスも体調を崩していたな。まぁ家政婦さんが見てくれているから大丈夫と思うんだが……)
今となっては軍随一の腕前まで成長して元気だったリアスはここ最近体調が優れず、二日前にトイレで嘔吐して昨日は一日中家に寝込んでしまっている。確か今の時間だと病院に向かって検査を受けているはず。
(しかし、いかんな……)
(夢中になると他の人の警告を聞き流す。俺の悪い癖だな)
「……」
品川は椅子に座り込み、心配な表情で弘樹を見る。
「本当に、無茶をしないでください。あれほど休めるときには休んでくださいって言ったのに」
「すまない。けど、やっぱりみんなが動いているのに俺だけが休んだら、みんなに示しがつかないだろ」
「それとこれとでは話が違います。こうやって何かが起きてからでは遅いんですよ」
若干震える声で品川は訴え掛ける。
「……」
「もし、総司令の身に恐ろしいことがあったら――――」
「……すまない」
弘樹は品川の頭に手を置き、優しく撫でる。
「これからは、善処するよ。これから大事になるんだからな」
「……」
「おっと、すまない」
頬を赤くする品川を見て弘樹は手を引っ込める。
「……今のは?」
「いや、ただな……つい」
「……」
「……お前を見ていると思い出すんだ」
「総司令の、妹さんですか?」
「あぁ」
「……そういえば、私の容姿がその妹さんに似ていると言っていましたね」
「……」
こればかりは本当に今になっても分からないままだ。ただの空似と分かっていても、どうしても死んだ妹に見えるときがある。
「でも、私は―――」
「分かっている。お前とあいつは全く関係無い別人だってことは」
「……」
「……とは言っても、ここ最近家族のことが夢に出てくるんだ。だから余計に、な」
「……」
「すまない。忘れてくれ」
弘樹は寝相を変えて品川に背中を向ける。
「……」
「品川大将」
と、医務室に職員が入ってくる。
「どうした?」
「お電話が入っています」
「電話?」
「はい。グラミアムの駐屯基地に視察に向かった辻大将からです」
「そうか」
(おおよそ総司令のことだろうな。相変わらずの耳の良いことだ)
「……分かった。今から行く」
品川は立ち上がって医務室を出る前に弘樹を一瞥し、医務室を出る。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……」
俺は深くため息を吐く。
(やっぱり、悪いことしたな)
実際のところ十分に休める機会は多くあった。なのに俺はその機会を削って仕事に没頭していた。
「……」
するとベッドの隣にある台に置かれている黒電話が鳴り、俺は寝ながら受話器をとる。
「西条だ。どうした?」
『ハッ。総司令に小尾丸様がご面会を申し入れていますが』
「小尾丸が?」
そういやリアスの見舞いのために来るって言っていたな。ってか今日だったのか
「分かった。通してくれ」
『分かりました』
しばらくして職員に案内されて小尾丸が医務室にやってくる。
「お久しぶりです、西条総理」
小尾丸は俺を見るなり深々と頭を下げる。
「あぁ。こんな状態で言うのもなんだが、久しぶりだな」
俺は小尾丸に向けて手を振る。
「扶桑に来て総理が突然倒れたと聞いて驚きました」
「そうか。いやぁ休みは定期的に取らないといけないって痛感したよ」
俺は乾いた笑いを漏らし、小尾丸も苦笑いを浮かべる。
「ところで、お嬢様の容態は?」
「寝込んではいるが、酷くは無い。今病院で診てもらっているはずだ」
「そうですか。無事ならば、良かったです」
小尾丸は安堵の息を漏らす。
「しかし、西条総理は倒れるほど、いったい何を?」
「あぁ。近々行われる作戦の最終調整だ」
「作戦、ですか?」
「詳細は言えないが、扶桑国はとある日付を以ってして、バーラット帝国へ総攻撃を掛ける」
「帝国に、ですか? しかし、扶桑はグラミアムの防衛に専念するのではなかったのですか?」
同盟締結時に扶桑の行動はグラミアムに侵攻する帝国の勢力を押し返し、帝国領度への侵攻は行わないと決めていた。
「本当ならな」
「では、なぜ?」
「……俺たちはこれまで何度も帝国に講和を持ち込んでいった」
「講和、ですか?」
「あぁ。余計な犠牲を払わず、平和的な解決を模索していた」
「しかし、帝国の主義を考えると」
「あぁ。今まで返事は一回も返ってこなかった」
「それは、まぁ」
「そんなときに海と陸から大軍で攻めてきて、多くの犠牲者を出した。向こうから出るのを待っているとかそんな悠長なことを言っていられる状態じゃなくなった」
「……」
「このまま待っていても無駄な犠牲が増え続けるばかりだ。これじゃ冗談抜きで帝国が滅びるまで続くかもしれない」
「……」
「だから、向こうが降伏を選択せざるを得ない状況に持ち込むためにも、こちらから攻めることにした」
「……」
「まぁ、俺がこんなんじゃ、少し作戦開始は延長になるかもしれないけどな」
「そうかもしれませんね」
小尾丸は苦笑いを浮かべる。
――――!!
「ん?」
するとまた黒電話が鳴り、俺は受話器を取る。
「西条だ」
『あっ、ヒロキさん』
「リアスか?」
相手はリアスであった。
「電話をしたということは、病院にはもう行ったのか?」
『はい。今さっき検査が終わりました』
「そうか。それで、どうだった?」
『一点を除けば、問題はありませんでした』
「そうか。良かった……ん?」
俺はリアスの言葉に首を傾げる。一点?
「一点を除けばって、どうしたんだ?」
『それは……』
「まさか、どこか悪かったのか!?」
俺は思わず上半身を起こし、小尾丸は明らかに動揺した様子で俺を見る。
『い、いえ。悪いわけじゃないんです』
「な、なら、何だ?」
『……そ、その』
と、電話越しでもリアスの歯切れは悪い。
「……?」
『……検査は、色々な点から診てもらったんです。それで、えぇと』
「……」
『……』
電話越しでも分かるぐらいにリアスは深呼吸をして、こう告げる。
『……できた、んです』
「え? 何が?」
『……ヒロキさんとの…………子供が』
「……」
……………………ゑ?
「…………子供?」
『は、はい』
「……」
グランドスラム並みの爆弾発言に俺の思考はフリーズする。
『まだ、詳しくは分からないのですが、経過次第では詳細が判明するみたいです』
「……」
『あ、あの、ヒロキさん?』
「っ! わ、悪い。驚きすぎて、ボーとしてしまった」
『そ、そうですか。驚かそうと思って、つい』
「いや、君は悪くないんだ。そ、そうか。俺と君のか」
まぁ、あれだけやってできなかったら逆におかしいぐらいやったからなぁ……正直あんまり思い出したくないけど。
『では、後ほど』
「あ、あぁ。分かった」
俺はぎこちない動きで受話器を本体に置く。
「え、えぇと、何かあったのですか?」
自分でも分かるぐらい動揺している俺に小尾丸は聞きづらそうに問い掛ける。
「ま、まぁな。かなり、大きな報告を聞いてな」
「やっぱりお嬢様に何かが!?」
小尾丸は目を見開いて俺に掴み掛かるぐらいの勢いで近付く。
「い、いや、リアスに関してじゃない。と言い切れないな」
「……?」
「……できたみたいだ」
「な、何が?」
「……俺と、リアスの……子供が」
「……ゑ?」
その報告に小尾丸は言葉が壊れたような声を漏らす。
「……あ、あの、えぇと、その……」
小尾丸は顔を赤くして明らかに動揺していた。
「……」
「……おめでとうございます?」
何で疑問形?
「そう、ですか。お嬢様が、母親に」
感慨深そうに小尾丸は呟き、窓の方に歩いて外の景色を眺める。
(そうか。俺が父親になるのか……)
ある程度落ち着いて、俺は内心で呟く。
(これは、いよいよ負けられないな……なら、あれを使わなければならないのかもしれない)
俺は扶桑でとある開発過程によって偶然生まれた、決して開発してはいけないとある兵器のことを思い出す。
(いや、あれだけは使ってはいけないんだ。使っては……)
その兵器を使用したときの光景が想像され、俺は奥歯を噛み締める。
(出来れば、使わないことを、祈るばかりだな)
俺はただただ、そう願うのだった。