「バカな、私が……我が主が……!」
起き上がったメリアスは、困惑と怒りが混じったような声でベルガモットを睨みつける。
一方のベルガモットは、デュエルが終わったことでディスクを収納し、なおもメリアスに冷めた目を向けていた。
「デュエル前の取り決めは、覚えているな?」
「この……」
メリアスを見下ろすベルガモットの言葉は、落ち着いている。カナンガが言った通り、怒れば怒るほど冷静になっているらしい。
そして、そんなベルガモットの態度が気に入らないのかメリアスは起き上がり、長い髪を激しく揺らす。
「我が主を侮辱した上、これほどまでの仕打ちと屈辱を……!」
メリアスから奇妙なオーラが放たれ始めた。明らかに物理的な攻撃をするつもりらしい。デュエルの結果を受けてなおこの態度は、かつてのヴァーディクトの手下を彷彿とさせる。
しかし、その敵意は尋常ではない。察知したベルガモット、さらに他のアロマの仲間は異空間から杖を取り出し、戦闘態勢に入る。
「ラベンダーさん、下がって……!」
ジャスミンはラベンダーの手を引き、戦闘に巻き込まれないように下がろうとする。
一色即発の空気がひしひしと伝わる中、ラベンダーはせめてものという気持ちで、ベルガモットの名を呼ぼうとするが――
「そこまでです」
女の声がその場に響く。
瞬間、漂っていた闘志が凍り付き、緊迫した空気が掻き消えた。
『……!』
すぐさま、全員がその場に跪く。ラベンダーも自然とそうしてしまっていた。
そして、片膝をついたベルガモットとメリアスの間に割って入るように、光のゲートが開き、中から何者かが姿を現す。緑と赤のドレスを纏い、色づくモミジの葉のような大きな髪飾りを着け、灰と白の中間のような髪を揺らす女性だ。
《
「……」
ラベンダーは、その姿を視界の端で捉えるのが精いっぱいだ。
その声を聴き、その存在を間近に認識すると、何故かこうして姿勢を低くするよう身体が勝手に動いてしまう。それだけ、このチルビメが持つオーラや雰囲気が高貴で、その存在の重要度が、植物族の世界に生きる自分にが刻み込まれているのだ。
本当の「姫」に謁見する時のように、緊張感が上書きされた。今だけは、雨風、雷の音もほとんど耳に入ってこない。
「面を上げて結構です」
チルビメに促されて、ラベンダーもようやく顔を上げ、チルビメの全身像を改めて見ることができた。
鮮やかな色合いの装いのチルビメの立ち姿は、洗練されていると感じる。この庭の主・マグノリアとは淑やかさの方向性がまた違った。
そのチルビメは、アロマの面々を流れるように見回す。当然ラベンダーのことも視界に入れただろうが、特に声をかけたりはしない。
「チルビメ様、なぜこのような場所に……」
「あなたがこちらにいると伺いまして」
同じように顔を上げたメリアスが尋ねると、チルビメは重々しい口調で返す。どことなく、不機嫌そうな感じだ。
「なぜ、私のことを?」
「ドリュアトランティエ様に見解を伺ったのですよ。ここ数日の異常気象について、どう思われるか。そしたら、あなたからも同じことを聞かれた、とね」
メリアスは、まるで加勢を求めるような目でチルビメを見る。
「……でしたら、チルビメ様もお聞きになったことでしょう。原因は……大地の気の乱れは、このアロマの庭に原因があると」
「ええ、そのように」
淀みのないチルビメの返事に、ラベンダーの視線はまたレンガ敷きの地面に落ちる。
ドリュアトランティエが言っていたことは、全てメリアスのでっち上げであってほしかった。なのにチルビメは、メリアスのそれを否定どころか肯定した。つまり、もう言い逃れできないレベルで、この連日の大雨の原因はこの庭にあるということになってしまう。
そして、ここでそんな異常を起こすような原因として真っ先に思いつくのは、他でもないラベンダー自身。
歯を食いしばり、視界が歪みかけた。
「ですが、あなたと私ではどうやら認識に齟齬があるようですね」
チルビメは、さらに続ける。
「気の乱れの原因は、アロマの庭
思わず、顔を上げた。
その先にいるチルビメは、ラベンダーをちらと見ている。だけど視線が合ったのは一瞬で、彼女はまたメリアスに視線を向けた。当のメリアスは、紫水晶の目が丸くなっている。
「そして、あなたがここにいるというは、ここが
「……」
チルビメに問われたメリアスは、沈黙して視線が下に向く。
悟られないように、ラベンダーは他のアロマのみんなの様子を診てみるが、誰一人として口を開かない。そして表情が強張っている。それだけチルビメの存在は大きいらしい。
「メリアス」
もう一度、名前を呼んだチルビメ。
流石のラベンダーでも、チルビメがご機嫌斜めなのはわかった。
「あなたのことです。大方、この世界の純粋な存在ではない少女がいるこの庭が原因だと、早合点したのでしょう。とりわけあなたは、今ある環境を重んじ、異物が混じり穢されることを極端に嫌っていましたからね。特に、
「……」
「ですが私は、決して色眼鏡で物事を判断せず、過度に排他的になってはならないと忠告したはずです。ましてや、私情で傷つけるようなことは断じて許されないと」
ラベンダーも知らない、植物族内にはコミュニティが存在するらしい。ここの主人であるマグノリアや、サブリーダーのベルガモットはよく外へ出かけるが、2人ならそちらの事情についても詳しいのだろうか。
「そしてこの様子からして……貴方は手荒な真似をしたようですね」
辺りを見回すチルビメ。さっきのデュエルの影響は、ほんのわずかとはいえ庭にも出ていた。地面に敷かれたレンガに傷がついたり、土が抉れたぐらいだが、デュエルがあったことは汲み取れたらしい。
「直ちにこの場から去りなさい。そして、私が『いい』というまでこの庭には近寄らないよう」
「……分かりました」
チルビメが冷たく厳しく告げると、メリアスは頭を下げ、淡い光を放ちながら姿を消した。
そして、それを見届けたチルビメは、細く短く息を吐くと。
「……それでは、アロマの皆さま」
今度はこちら側に話しかけてきた。ラベンダーは糸で引かれるようにチルビメを見る。他のみんなも、同じようにしていた。
「少々話がございます。よろしいかしら?」
さっきまでとは違う、微かな笑みを浮かべるチルビメ。
それを断るアロマの仲間はいなかった。
◆ ◇ ◇
メリアスと違い、チルビメは植物族でも位の高い存在だ。なので、プリモアたちには悪いが、マグノリアにも応対を頼むことにした。調香はもう少しで終わるとのことだったが、それでもチルビメは軽んじたりできないので、ここはプリモアたちに我慢してもらうしかない。
チルビメとマグノリアが話をするのは応接間で、ベルガモットとラベンダーも同席する。席につくのはマグノリアとチルビメのみで、ラベンダーとベルガモットは壁際で待機した。
「まずは、常日頃から多くの方々を癒すために尽力していることに、最大級の感謝を」
「ありがとうございます。ですが、それが私たちの使命ですので」
「よい心掛けです」
ラベンダーが淹れたハーブティーを一口飲んだチルビメが、挨拶代わりに褒め称えてくれる。マグノリアは謙虚な姿勢でそれを受け止め、チルビメは満足そうに頷いた。
「お話したいこととは……他でもなく、この悪天候についてです」
窓の外に視線を移すチルビメ。ラベンダーたちも見るが、外は相変わらずの豪雨で止む気配がない。
「この5日間、アロマの庭周辺ではこれだけの大雨が降り続いているでしょう?」
「……はい」
「実はここだけでなく、『この世界』では異常なまでに天気が崩れているのです。時季でないにもかかわらず、このような荒天が続くのは、最早自然の範疇を越えていると言っていいでしょう」
座るマグノリアの膝の上で、拳がわずかに強く握られたのがラベンダーからも見えた。
「……つまり、この天候は何らかの要因があってのものと、チルビメ様は仰りたい?」
「それが考えられます」
チルビメが冷静に答えると、マグノリアはハーブティーを一口飲む。気持ちを落ち着かせるように。
「……ラベンダーがその原因だと、チルビメ様もお考えですか?」
「いいえ」
一番の懸念だったのだろうその質問に、チルビメはすぐに首を横に振った。少なくとも、植物族の上位存在であるチルビメから疑われていないというのは、ラベンダーも気が楽になる。
「先ほども申しましたように、気の乱れについては場所は兎に角、原因が特定できません。それなのに彼女のせいなどとは言えませんよ」
チルビメがラベンダーを見る。その目は澄みきっていた。ラベンダーは、今はただ信じてくれてありがとうという意味を込めて目礼を返す。
「では、ドリュアトランティエ様はここ以外だとどのような場所に『乱れ』があると……?」
「曰く、森羅の霊峰や
「霊峰まで……」
告げられた場所を聞き、マグノリアの声が驚きを隠せないものに変わる。ラベンダーは、前世で名前しか知らないそれらを聞いても、いまいち事の重大さが分からなかった。
「森羅の霊峰は、外界から隔離され、多くの動植物が本来あるべき姿を保ったまま息づいており、霊的な力も宿している。我々植物族からしてみれば、『聖域』とも言えましょう」
現実味が湧かないラベンダーに気付いたらしい、チルビメが補足してくれた。
さらに、ラベンダーの隣に立つベルガモットが視線をくれる。
「ドリュアトランティエが言う『気』……要はエネルギーのパイプは、霊峰を源としてこの世界の至る場所に木の根のように張り巡らされてて、それはこの庭も例外じゃない。ここの花壇の土、俺たちが作っているアロマにも、霊峰の力がパイプを通して伝わってるんだよ。まぁ、霊峰そのものが宿しているのに比べれば、かなり希釈されているがな」
「え、それじゃ……」
ベルガモットの講釈を聞いたところで、ラベンダーは気づいてしまった。
「霊峰そのものの気が乱れたら、ここのアロマは……」
「……少なくとも、今庭に咲いている分は『ダメ』になっていると思うわね」
先にそれに気づいたであろう、悔しげな顔でマグノリアが告げ、ラベンダーは絶句してしまう。
この庭で作るアロマには、ラベンダーが前世で知っているような科学的に説明できる成分だけではない、スピリチュアルな部分もある。
しかし、その力の源流である森羅の霊峰にも悪影響が出ているとなれば、当然そのエネルギーが流れ込むアロマの庭にだって影響は出る。この悪天候もあるが、今庭に咲いている花々はアロマとして利用できないということだ。
事態は本当に厳しくなっているのを、再認識する。
「先に述べた2か所に加えて、他の地域でも影響はわずかながらに出始めている。メリアスの行いを許すつもりはありませんが……あそこまで疑念に駆られるのも無理はないことなのですよ」
チルビメがハーブティーを飲み、もう一度マグノリアを見据える。
「先に断っておきますが、私はあなた方を疑っているわけではありません」
「……」
「ですが、この事態を究明するために確かめたいのです」
手を組み、チルビメは一拍置いて口を開く。
「あなた方は、何か心当たりがありませんか? この悪天候について」
問われる。今日聞いた中でも一番真剣なトーンで。
しかし、マグノリアは口を開かない。彼女には心当たりがなさそうだ。そしてラベンダーも同じで、理由は全く分からない。
「……関係あるかどうかは分かりませんが」
そう、静かに告げたのはベルガモットだった。
「5日前の夜中、妙な気配を感じました」
「気配……どういったものでしたか?」
「それは、なんというか……説明が難しいです。『何か』を感じた、としか」
チルビメに聞き返されたが、ベルガモットは頬を指で掻き、曖昧な答えを返す。何かを隠しているような素振りはない。
すると、マグノリアはベルガモットを見て目を見開いていた。
「……それ、私もよ」
「え?」
「あなたの言う通り、言葉にできない感覚が夜中突然あったの。それで確か、その翌日から天気は崩れた」
マグノリアまでそれを感知していたとは、驚きだ。ラベンダーは2人を交互に見るが、チルビメが何か考え事をしているのにも気付く。
「……チルビメ様?」
「……実は、私も同じなのですよ」
『え』
「夜半、何かを感じました」
しかも、とチルビメは続ける。
「タレイア、マリーナ、ティタニアルも同様、と」
部屋の空気が変わったのが分かった。
今チルビメが挙げた3人とも、チルビメと同じ植物姫シリーズのはずだ。特にティタニアルは、さっきのデュエルでメリアスが召喚している。
そんな名高い植物姫までもが、同じ感覚をほぼ同じタイミングで感じるなど、明らかに偶然ではないだろう。
「しかし、そうですね。あなた方と同様、説明が難しいものです」
「……それ以外は、本当に何も思い当たりません」
ベルガモットが最後に付け足すと、チルビメは頷く。
さらにチルビメは、ラベンダーにも身に覚えがないかを目で問うてきた。しかし、ラベンダーはベルガモットたちが言う「感覚」も含めて、本当に何も知らない。だから、同じく無言で首を横に振るしかなかった。
それを受けてチルビメは、ラベンダーに詰め寄ったりはせず、ハーブティーを飲み干す。
「ありがとうございます。今の話を聞けただけでも、十分な収穫でした」
そう言ってチルビメは立ち上がった。
どうやら、本当に要件はさっきみたいに話を聞くことだけだったらしい。
「この大変な中、突然訪問してすみませんでした」
「いえ、そんな……」
「この事態がいつまで続くかは、正直なところ私にも分かりません。ですが、それまでどうか心を強く保ってください」
最後にチルビメは「ハーブティーご馳走様でした」と一礼し、部屋の中でゲートを開きその中へ静かに身体を滑り込ませる。
そして、ゲートは音もなく閉じた。
◇ ◆ ◇
「植物界に、そんな影響が……」
マグノリアは、チルビメという植物界の上位存在から聞いた話を俺たちにも教えてくれた。そして、この悪天候が自然発生的なものでない超常現象の一種で、しかも影響はアロマの庭以外にも起きているなんて。
それより。
「マグノリア様たちも、感じていたんですね。その『感覚』を」
「『も』……って」
クーリアの言葉に、マグノリアは寝転がるプリモアから視線を移す。クーリアは俺に視線を投げ、俺も頷きを返してからマグノリアを見た。
「実は俺たちも、5日前の深夜に似たような感覚があったんです。何が原因かは、分かりませんが」
「え……?」
多分だが、マグノリアの驚いた顔と声は俺も初めて見た気がする。だけどそれぐらい、彼女にとっては予想もしていなかったことだろう。住む世界が違うのに、同じタイミングで同じような経験をするなどということは。
「……それからあなたたちは、『浄化』に支障が出始めた、と」
「それと、プリモアの体調にも変化が」
「偶然、なハズもないわね」
「恐らく」
マグノリアが慎重に告げ、クーリアは頷く。俺も同意見だ。ドレミコードと植物界の異常には、何らかの関係があると見ていい。
マグノリアは、プリモアの髪を少しだけ撫でて立ち上がる。そこでタイミングよく、机に置かれた瓶に何かをしていたロザリーナが、マグノリアの下へ飛んできた。
『マグノリア、できたわ』
「ありがとう」
報告を聞き、マグノリアはロザリーナの頭を軽く撫で、机に向かう。そして、机に置いていた小瓶を渡してきた。
「これで、多少は症状が改善すると思う。だけどさっき言ったように、この子の不調は外部からの影響。だからこれは、言ってしまえば一時しのぎにしかならないわ」
「はい……」
「そして……霊峰の力が乱れている今、これまでのようにアロマを作るのはこの先難しくなってくる。今すぐに影響が出るとまでは言わないけど、長期化すると厳しいわね」
小瓶を渡してくるマグノリアの言葉を聞きながら、俺は頷く。
「私たちも、この原因が何かは調べてみる。だからあなたたちも、できれば何が原因か調べてほしい。勿論、何か進展があれば共有するわ」
「はい」
「分かりました」
マグノリアに頼まれて、俺とクーリアは頷く。そして俺はプリモアを抱え上げ、帰る準備を始めようとした。
「ここから直接ゲートを開いて大丈夫よ。むしろ、外でゲートを開くとまた誰かが嗅ぎつけてくるかもしれないし」
「……助かります」
外は豪雨なので、また庭の外まで行くのは大分手間がかかるし、雨風に晒されてしまうのは気が滅入る。この場でゲートを開いていいのなら、それは非常にありがたい。
「プリモアちゃん、早く元気になってね……」
「ありがとう、ございます……」
別れ際、ジャスミンがプリモアに声をかけた。声の感じからして、プリモアは少しだけ笑っているようだが、覇気というものが感じられない。やはり体が心配だ。
俺は両腕が塞がっているので、クーリアにゲートを開いてもらい、アロマのみんなに見送られながら俺たちはゲートをくぐる。
ドレミ界の屋敷に戻ると、丁度エンジェリアがティーポットを持って歩いてくるところだった。
「あ、2人ともおかえりなさい。プリモアはどうだって?」
「ちょっと、楽観視はできないかも。後で話すわ」
「そっか……」
詳しい話をこの場でするより、まずはプリモアを楽にさせてあげなければ。エンジェリアを含め、ドレミコードのみんなへの説明は後にし、俺はプリモアを背負って彼女の部屋に向かう。
部屋に入り、俺は注意深くベッドにプリモアを寝かせる。さらにクーリアが、マグノリアが作ったアロマオイルにアロマスティックを挿すと、芳ばしい香りが部屋を満たし始めた。それからほどなくして、プリモアは眠りに就いたのか、静かな寝息を立て始める。
「……まさか、ドレミ界だけじゃないなんて」
プリモアが寝付いたのを確認してから、クーリアが言葉を発した。まるで現実味を抱けないらしいが、それは俺も同じだ。
「何が起こっているんでしょう……」
「分からない。だけど、このままではいられないわ」
ドレミコードは現状、「浄化」に出ることは控えている。だが、いつまでもこのままでは、何も分からないままだ。外へ出て色々と確かめてみなければならないだろう。事態の究明をマグノリアたちアロマの面々だけに任せきりにするわけにはいかないし、俺たちも動くべきかもしれない。
「……」
眠りに就いたプリモアの手を、静かに握る。不調のせいだろう、普段よりもずっと熱く感じられる。
「……何か、不安そうね」
クーリアに声を掛けられる。さらに隣に来て、俺の顔を覗き込んできた。その目は、俺が正直に話すまでここを動かないと言っている。
観念し、息を吐く。
「……さっき、ラベンダーさんが転生者だから気の乱れに原因がある、と言いがかりをつけられていましたよね」
「そうね」
「なら――」
「『同じ転生者の俺が原因かもしれない』なんて話はナシよ」
肩に手を置かれ、にっこり笑って言われる。
俺としても、笑うしかない。完全にその通りだった。
「マグノリア様も言った通り、この異常事態の原因が転生者だって証拠はない。その可能性が完全にゼロと今は言い切れないけれど、分かってもいないのにひとりで落ち込むのは、あなたでもちょっとカッコ悪いわ」
クーリアもまた、眠っているプリモアの髪をそっと撫でる。愛おしさが手つきから見えた。
「あなたがここへ来てからもう大分経つ。だけどそれまで、こんな風に『ドレミコード』そのものに異常が出ることはなかった。あなたが人間である前も、その後も」
「……」
「マグノリア様たちや、私たちが感じた感覚は突然で、前触れもなかった。そんな出来事とあなたを結びつけるなんて、私にはできない」
ぎゅ、と右手に力が伝わってくる。握ったままだったプリモアの手が、弱々しくも俺の手を握り返してくれていた。
「プリモアの不調、私たちの異変、植物界の異常……分からないことは山積みよ。だけど、あなたのせいじゃないってことは何としても突き止める」
「……」
「それでももし、現実があなたのせいだって決めてしまうのなら……」
そこでクーリアは、一気に距離を詰めて肩をとんと合わせてくる。
「その時は、私もあなたと共に在るわ」
この先俺がどうなっても、俺と一緒の道を歩んでくれる。
ドレミコードのリーダーとして、そんな軽はずみなことはできないだろう。けれどそれは、決して軽はずみな決意ではない。それだけは分かる。
そんな決意を否定することも、あれこれ反論することも、俺にはできなかった。
◇ ◇ ◆
天気とは日々移り変わるもので、願った通りにならないことが多々ある。予報が外れることもザラだ。それでも、生物や植物が存続するうえで、天気とは切っても切れない関係にあるだろう。それは精霊世界でも同じだ。
しかし、優れた技術を持つ世界なんかでは、天候をある程度制御することも可能になっている。
一方、魔法や伝承、神話などが根強く残る「ファンタジー要素が強い」世界では、「天気を操る天使がいて、人々の切なる願いに応じて力を振るう」と信じられている。
実際、「天気界」に属する天使たちは、多くの世界の天候を司っていた。彼ら彼女らは常日頃から世界を俯瞰し、より最適な天気をもたらし、人間だけでなく動物や作物、果ては世界そのものを豊かにしている。
「だー、もう! 何だってこんなことに!」
その天気界に属する天使のひとり、《雷天気ターメル》は、天界の一角にある拠点に戻るなり頭を乱暴に掻いて不満を主張する。エントランスホールでその声は反響し、先に戻っていた《雪天気シエル》は顔を上げると困った笑顔を浮かべた。
「おかえりなさい。ターメル君も大分疲れたみたいだね」
「疲れるなんてもんじゃねーよ! ここんとこ全然力を上手く使えないし、天気は荒れる一方だし! そんで僕らの苦労も知らない人間どもはブチブチ文句言って、やってらんねぇっての!」
シエルの労いが逆に着火剤になってしまい、ターメルは文句を連発する。
だが、ターメルの苦労はシエルにもよく分かった。ここ最近、確かにシエルも力が上手く発動せず、天候を操るのが非常に難しくなってしまったのだから。外界の人々は自分たちの存在を認識していないから好き勝手言えるのだろうが、今はそこにまで期待できない。
「ただいまぁ……」
今度はまさに疲労困憊という声と共に、光のゲートを開いて誰かが帰ってくる。姿を見せたのは《曇天気スレット》と《雨天気ラズラ》。疲れ切った声はスレットのもので、ラズラはそのスレットに肩を借りる形で歩いていた。
「おいおい……ひどい有様だな、ラズラ……」
「仕方ないよ。ここ最近天気が崩れに崩れて、どうにかしようと力を酷使してるんだから……」
駆け寄ったターメルに話すスレット自身も、ひどく疲れているのが顔と声でよく分かった。シエルはラズラを支える役目を代わり、その乱れた青い髪をササっと整える。
「大丈夫? ラズラちゃん……」
「……ちょっと、しんどいかも」
最早答えることさえつらい。そんな雰囲気が伝わってくるラズラに、今はこれ以上何も言うまいと決めたシエル。彼女を部屋に運んでベッドに寝かせた後、エントランスに戻ると。
「やれやれ……老体に重労働はきついぞい……」
戻ってきた《晴天気ベンガーラ》が、床に腰を下ろしている。天気界でも年配にあたる彼は、腰を自分の手でとんとんと叩いていた。ターメルがベンガーラを労ろうと肩を叩き始める。見た目的に祖父と孫にしか見えないが、言えば絶対ターメルは機嫌を悪くするだろう。ただでさえここ最近の「不調」でイラついているのだから、これ以上火に油を注ぐ真似をするわけにはいかない。
「お疲れ様です、ベンガーラさん」
「おお、ありがとうシエル……と言っても、今はワシの力もそう役に立たんが……」
シエルの朗らかな挨拶に、ベンガーラも苦笑して答える。やはり、ベンガーラも自分の力が上手く発揮できていないらしい。
「みんな、お疲れ」
そこへ《極天気ランブラ》が、穏やかな声と共にやってくる。シエルたちよりも頭身が高い彼女は、エントランスに集まる仲間たちに、慈悲深い瞳を向けた。
さらにその後ろから姿を見せたのは、クリーム色をベースに七色のメッシュが入った長い髪、純白の衣が特徴的な女性。「天気界」を統べる上位天使、《虹天気アルシエル》だ。
『……』
ターメル、スレット、ベンガーラ、さらにシエルは自然とその場に跪く。しかし、アルシエルは両手を胸の前に挙げて「まあまあ」とやんわり告げた。わたあめのように柔らかい声をしている。
「楽にして大丈夫よ。みんなもここ数日疲れているでしょう?」
「……では、失礼します」
アルシエルの言葉に、ターメルが最初に従った。そして、その緊張がわずかに解かれたのをシエルは感じ取る。
普段なら、アルシエルがそう言っても、ターメルやシエルたちはもう少し食い下がるものだ。けれどアルシエルの言う通り、連日自分たちは力を使いすぎて疲れが溜まっているため、ほんのわずかでも楽になれるのなら縋りたい。だからシエルも、力を抜く。
「そのまま聞いてほしい。みんなも気づいていると思うけれど……私たちの力が上手く扱えなくなっている」
「はい……」
「もっと言えば、色々な世界で異常気象・自然災害が起きている。それも、自然の範疇を越えて」
シエルたちもそれは気づいていた。
「天気」に属する天使たちは、願いに応えて天候を操り、人々の生活を豊かにする。けれどここ数日、自分たちが力を使う余地もないほどに天気は荒れ狂い、介入しても大して効果がないほどだ。しかも、その悪天候はアルシエルの言う通り、明らかに自然現象だけで説明がつかない。それが連日続くせいで、人々の生活にも影響が出始めていた。
「だから……ここでひとつ、試したいことがある」
アルシエルの言葉に、鋭さが滲んできた。
シエルは緩めかけていた意識を、今一度引き締めてアルシエルを見上げる。
「ひとつの世界に、全員で介入する」
他の全員も顔を上げて、アルシエルを見た。
アルシエルの言葉の意味は理解できる。介入とは、その世界を滅ぼしたりするわけではない。天気界に属する天使たちの力を少しずつ使い、アルシエルがそれらを統合し、ある世界に振り注いで、その世界にとって最も影響がない天気に強制的に揃えるだけだ。
ただし、それをしたことは全くと言っていいほどない。自分たちとは
「……そこまでするのですか?」
スレットの質問に、アルシエルはこくりと頷いた。
「これは、確かめるためでもある。我々が大規模な介入をして、実際にどうなるのか。何らかの改善の兆しが見えればそれでよし。でなければ、疑いの余地なく『異常』と判断できるわ」
「そういうことでしたら、力をお貸しします……」
アルシエルの説明に、力のない声が返ってくる。一同がそちらを見ると、さっきまで部屋にいたはずのラズラがのろのろと歩いてきた。まだ疲れが抜けきっていないのだろう、少しやつれた顔をしている。
「ラズラ、大丈夫か?」
「ええ、これぐらいならまだ……」
ベンガーラが尋ねるも、ラズラはなんとか笑顔を作って首を横に振る。
アルシエルは不安そうにラズラを見たが、ラズラの意を汲んだのか小さく頷く。ラズラは大人しそうに見えて、その実頑固なところがあるのは、仲間のみんなが知っていた。だから、アルシエルほどの天使がそうすると決めた以上、ラズラは自分の消耗も気にせず力を貸す。
アルシエルも仲間の質を理解していたから、無理に寝かしつけず、その背中から金色の翼を生やした。
「みんなの心遣いに、感謝する」
アルシエルが告げると、エントランスホールにあった球状の石が光を帯び始め、音もなく宙に浮く。はじめはただの石でしかなかったそれに、どこかの世界の陸地、島などの地形が刻まれ、青や緑、白といった色で彩られていく。そしてついに、石はひとつの惑星のようなものに変わった。
「お願い」
アルシエルの呼びかけに天使たちは頷き、それぞれが普段の「使命」で使あ道具を掲げる。シエルはスプレー銃、ターメルは大きなマーカーペン、スレットは万年筆、ベンガーラは筆、ラズラはフェルトペン、ランブラはペイントローラーだ。
彼らが持つその道具から、絵具のような色とりどりの帯が伸び始め、それはアルシエルが起動させた石の惑星を取り囲んでいく。
「……!」
そしてアルシエルは、両手を広げてその光の帯で惑星を包み込んだ。目を閉じ、集中して、その惑星の海と空、生きとし生けるもの、星を構成するもの全てをイメージし、両手に力を込めていく。
両手に熱が宿り、アルシエルは目を閉じていても、惑星を象った石が光に包まれるのを感じることができた。これで、この世界の天候を操ることができる。より具体的には、この世界にとって最も影響がない天候にする。
しかし。
「……ッ!?」
アルシエルは突如、得体の知れない、実体があるかも分からない何かに突き飛ばされ、硬い石の床に背中から倒れ込んだ。
「アルシエル様!?」
「大丈夫ですか……?」
「お怪我は……!」
すぐにランブラやターメルたちが駆け寄るが、大事に至ってないことをアルシエルは手で示す。
それでも、さっき感じた痛みと、頭に伝わってきたビジョンがアルシエルの中から消えなかった。
それは、虹色の光の帯が惑星を包み込む直前。
帯の隙間から、赤い光が漏れ出して、光に包まれた惑星が、まるで人の顔のような光と影を作り出し。
させない。
そう告げたのだ。
《サブキャラクター紹介》
・《メリアスの木霊》
「植物界」の住人のひとり。見た目は幼いが実年齢は数千年を超える老体。普段は植物を大切にする穏やかな性格だが、自然を破壊する植物界の外の存在を毛嫌いし、その手の異端者相手には躊躇のない苛烈な言動をとるようになる。「主」に対する信仰心は「狂信」に近い。
使用デッキは【サンアバロン】。特性を存分に活かして攻守とも優れたデュエルをする。
趣味は盆栽。蕾禍の里で毎年開かれる盆栽コンテストで殿堂入りを果たし、里の住人から「老師」と呼ばれている。
・《紅姫チルビメ》
「植物界」を統治する4人組「植物姫」のひとり。神性存在には劣るものの、威厳と存在感は人並み外れている。「植物界」の仲間を大切に思い、ラベンダーのような異端の存在についても柔軟に受け入れている。植物が「咲いて枯れる」摂理を重んじているが、自分がその理から外れていることにわずかな寂しさを抱いている。
秋になると「食欲の秋」にかこつけて飽食にふけり、普通に太って他の植物姫に呆れられる。《
・《
「植物界」の守護精霊。厳密には神性存在とは異なるものの、植物姫も敬う上位存在。大地そのものと密接に繋がっており、気の流れやそれが乱れた場所を正確に把握できる。質問にはちゃんと答える至ってまともな存在だが、傷つけられると《
その果実は筆舌に尽くしがたいほどに美味しいが、世間に出回ることが全くと言っていいほどにない伝説級の貴重品。とある情報筋によれば、ひとたび出回ればたちまち莫大な高値がつくらしい。
ドリュアトランティエの果実の設定を借りることを快諾してくださった某氏に感謝……