今は夜でなければ、空が雲に覆れているのでもない。ここは年がら年中、ずっと空が黒いのだ。
それでも周りの風景をかろうじて目にする事ができるのは、山や地面の至る所から紫がかった煙が上がっているから。
そんな鬱屈とした、いるだけで息が詰まるようなこの世界に、ひときわ存在感を放つ建物がある。
黒や紫と言った暗い色、けれど光沢を放つほどに磨かれた石でできた、オリエント風の宮殿。城と言っても過言ではない規模で、高さはおよそ3階分ほど。屋根の上には四足獣の石像が据えられており、敷地に近づくものを見張っているような目力がある。決して廃虚ではなく、窓からは明かりが漏れていた。
そして、そんな宮殿の最深部は外の世界とは真逆で、昼のように明るく、広く、温かく、そして綺麗なバイオリンの音色が響いている。
「……ほぅ」
宮殿の主――クルヌギアスは、感服したように息を吐き、手をぱちぱちと叩いた。
「良い曲であった。褒めて遣わす」
「……ありがとうございます。クルヌギアス様」
満足げなクルヌギアスの称賛を、ドレミ界のリーダーであるクーリアは静かに受け止め、バイオリンを携え頭を下げる。
それを見て頷いたクルヌギアスが指を鳴らすと、腰かけていた椅子の前にテーブルが現れる。卓上には焼き菓子や果物、ティーセットが並べてあり、食器には綺麗な模様が入っていた。
「食べるがよい。貴様の妖精体も遠慮なくな」
「では、失礼して……」
許可が降り、クーリアはタクトを振って自分の妖精体を呼ぶ。そして、クルヌギアスの真向かいに置かれた椅子に座ってウサギ型に切られたりんごを手にする。妖精体はクッキーを食んでいた。
クルヌギアスの御前でバイオリンを演奏するようになったのは、かなり前だ。この冥府の「浄化」をしている最中に見つかり、見逃すのと引き換えにこうして定期的にクルヌギアスの前でバイオリンを演奏している。
そして、クルヌギアスは自らを冥府の神と豪語してやまない(実際神だ)が、無理を言っている自覚はあったらしい。なのでこうして、演奏の後はお茶や菓子類をご馳走してもらっていた。
減量……もとい体調管理を心がけている今のクーリアからすれば、間食などは極力控えたい。だが、神を相手にしている以上は、厚意を受け取らないのも失礼に当たってしまう。だから、果物系を食べざるを得ないのだ。
「しかして、貴様の演奏も最近は中々洗練されておるな。この間が嘘みたいじゃ」
「お褒めの言葉、恐縮でございます」
この間とは、クーリアが不調に陥った時の事だろう。あの時は、演奏途中にも関わらず「もうよい」と止められた。その時は、クーリアも演奏が本調子ではなかった自覚があったし、今日の演奏がその時とは違う自信もある。だから褒められて、悪い気はしない。
「それはアレか? 貴様の下にいるあのバトレアスが一因か?」
りんごを飲み込む。妖精体がクーリアの顔色を窺ってきた。
クルヌギアスは、何か愉しそうな笑顔でクーリアを見ている。どうやらこの神様は、恋バナ的なものをご所望らしい。
「……さて、どうでしょうか」
だがその誘いには乗らない。
確かにバトレアスは、ドレミ界でよく働いてくれているし、クルヌギアスの件以来クーリアの運動に付き合ってくれている。それに先日は、ドレミ界に迷い込んだ《竜角の狩猟者》という人物の件で、事態の解決にも貢献してくれた。
そういった面で言えば、今やバトレアスはドレミ界で重要な人物でもある。唯一の人間という貴重な立場だけでない、かけがえのない仲間だ。
だが、恋していると聞かれればそれは違う。信頼、感謝、そういう感情を持ってはいるが、恋慕は行きすぎだ。だから、クルヌギアスが期待するような事実もない。
「……そうか。ちなみに、話は変わるんだがの」
するとクルヌギアスは、自分で淹れた紅茶で口を湿らせると徐に話し始めた。クーリアも、淹れてもらった紅茶を飲む。屋敷でバトレアスが淹れたお茶に負けず劣らず美味しい。悔しいが。
「先日、バスター・ブレイダーとやらがドレミ界に来たそうだな?」
飲みかけていた紅茶を吹き出しそうになった。
バスター・ブレイダーと《竜角の狩猟者》の件は、外部の誰にも話していないはず。せいぜいが、狩猟者の回復に協力してもらった天老やマグノリアぐらいだが、何故冥府の神がそれを知っているのか。
「簡単な事。デュエルでバトレアスが妾のカードを使ったからじゃ」
こちらの疑問を見通したような、ふふんと謎に得意げなクルヌギアスの言葉を聞き、持っていたカップをソーサーに戻す。
「その反応、貴様は知らなかったのか?」
「あくまで、デュエルをしたという話は聞きました。しかし、どんな内容だったかまでは」
バトレアスがバスター・ブレイダーとデュエルをしたのは報告で聞いている。だが、あくまでデュエルをし、そして勝利をしたという事しか聞いていなかった。内容までは詳しく聞いていない。
そして、バトレアスがこのクルヌギアスのカードを持っている事も、クーリアは知っている。それが関係しているのか。
「妾が贈ったカードには、妾の力が多少宿っておる。それを通して、あやつのデュエルは把握しておった」
「……そのデュエルで、バトレアスはクルヌギアス様を召喚したと」
「ああ。中々に爽快な勝利じゃったぞ?」
バトレアスのデッキは特殊なものだ。ドレミ界にいる間は【ドレミコード】だが、外に持ち出すと別のデッキに変わってしまう。ただ、同じ転生者がいるアロマの庭に行った際はそのままだったとのことで、まだ謎が多い。
「あいつは、バスター・ブレイダーの戦術にひどく苦しめられたと同時、随分と憤っていたそうじゃ」
「憤り……?」
「ああ。使われたカードが、敵の下僕を強制的にドラゴンに変える効果を持っていての。バトレアスも、己が仕える天使たちが醜い竜に変えられるのは我慢ならなかったそうじゃ」
気づけばクーリアは、自分が知らない情報を持っているクルヌギアスの話を、前のめりに聞いてしまっていた。
「それでのう。怒髪天を衝いたというか、バトレアスは妾を呼んだのじゃ。まぁ、他にやりようがなかったからかもしれんがね。それでじゃ、妾を呼び出す際にちゃんと口上をつけてくれたのよ」
「それは……よかったですね」
「ああ。特に、妾の事を『美神』と評してくれおった。いやあ、いくつになってもそう言われるのは心地よいものよな」
その言葉に、クーリアも頭の片隅で火花が散る。
バトレアスは、モンスターである《ドドレミコード・クーリア》の事を「流麗なる音階の天使」と呼んでくれる。それはとても嬉しいし、流麗とは褒め言葉だから悪い気はしない。本人が気にしてしまうから絶対面と向かっては言えないが。
だが、クルヌギアスを「美神」……つまりストレートに美しいと呼んだ事については、少しだけいい気持ちがしない。
バトレアスからは、自分の外見について評価された事はないし、評価されたいとも思っていなかったので、どう思われようとも気にはしない。
それでも、自分を差し置いてクルヌギアスの方がそう評価されたのが、面白くない。こんな事、神様相手に思ってはいけないはずなのに。個人的な理由で、そんな事を考えるなんてと自己嫌悪してしまう。
そして今、クーリアの中に生じた感覚は、バトレアスが迷宮姫の写真集を(半ば不可抗力で)隠し持っていたのを知った時と似たような感じだ――
「クーリアよ、中々いい男を従えておるな?」
そんなつもりはなかったが、カップをソーサーに戻す音がいやに強く響いた。妖精体がビクッと肩を震わせたのを視界の端で捉える。
「……クルヌギアス様は、何が仰りたいので?」
「特に深い意味はないが?」
しらばっくれるクルヌギアスだが、明らかにこちらの何かしらの感情を焚き付けるような話の運び方だ。事実、クーリアの中では妙なもやもやが増長している。悔しい事に、クルヌギアスの狙い通りになってしまっていた。
「まあ待て、そのような怖い顔をするな。綺麗な顔が台無しだぞ? のう?」
言いながらクルヌギアスは、同意を求めつつクーリアの妖精体の口元につくビスケットの汚れを優しく拭いとる。
言われてクーリアは、自分の頬に手をやった。意識していなかったが、そんな顔をしていたのか。
「ま、妾は所詮この冥府の神。ドレミ界のあれこれについてとやかく口出しはせぬ」
「……」
「が、ひとつだけ忠告だけはしてやろう」
クルヌギアスは、座りながらわずかに身体を屈め、クーリアに対して真剣な話をしようと言う姿勢をとる。自然とクーリアも、同じような体勢をとった。
「お前は天使で、あやつは人間。同じ時間を永遠に過ごせるとは努々思うなよ」
口が引き締まる。そばにいる妖精体の表情が曇ったのも見えた。
忘れていたわけではないが、バトレアスは人間だ。天使族の自分たちドレミコードや、冥府の神であるクルヌギアスとは違い、100年に届くかも分からない寿命が存在する。だから、バトレアスは自分たちよりも早くに死んでしまうのは最早確定だ。
つまりクルヌギアスは、後悔がないようにバトレアスとの時間を過ごせと、忠告をしてくれている。
「……はい」
クーリアは頷く。
いずれは永遠の離別が訪れる、という事を考えると、クーリアの胸もざわついた。さっき抱いた不快感……つまりは嫉妬よりも、その時を思う事での喪失感が強い。
やはりそれほどまでに、自分は無意識にバトレアスの事が気になってしまっているのだろう。だからといって、バトレアスの事が好きだとはまだ決まった訳では無いが。
それから少しの間お茶を頂き、クーリアは妖精体を連れ冥府を去りドレミ界に戻る。
だが、ゲートを開いていつもの屋敷のホールに戻ると、ミューゼシアがそこで待っていた。緊急事態を除いて、ドレミ界に降りる事はあまりないのに、どうしたのだろう。
「……クーリア。少し、話があるわ」
◆ ◇
ドレミコードが「浄化」や誰かの依頼で出かけるのは毎日の事だが、俺以外の誰か1人は必ず屋敷に残る。万が一があった時に備えてとの事だ。例外なのは、迷宮姫のためにプライベートの演奏会を開いた時ぐらいだろうか。
とはいえ、その日誰が休みになるのかは、毎朝ミューゼシアから届くドレミコードへの楽譜を取りに行き、そこにある楽譜に名前がない人を確認するまでわからない。
だが、今日はいつもと違った。
「あれ?」
いつもなら、みんなが浄化に出向く際に使用するホールに、楽譜が数冊は用意されているはずだった。しかし、今日はその楽譜がひとつもない。どこかに置き場所を変えたのかとも思ったが、見渡す限りそれらしきものは見当たらなかった。
浄化に使う楽譜がないとなく、また迷宮姫の時みたいな依頼などもなければ、今日はドレミコードが全員休みという事になる。そんな日は俺がここへ来てから一度もなかったが、何かあったのだろうか。
とりあえず、いくら探しても楽譜がない以上、どうしようもない。そして、朝食の準備はまだ終わっていないので、仕方なく厨房に戻ろうとすると。
「?」
ふよふよと、廊下の向こうから何かが飛んでくる。それはクーリアの妖精体だ。こうしてひとりで出歩いて(?)いるのを見るのは珍しい。
「おはようございます」
相手は妖精体、頭身も低いからと言って、普段の口調で話しかけるのは気が引ける。なので敬語で話しかけたのだが。
「おわっ」
クーリアの妖精体は、お辞儀をするでもなく、いきなり頭の上にしがみついてきた。けれど、髪の毛を毟ったり無理に引っ張って首をもごうともせず、ただ掴まるだけだ。
「……どうかされましたか?」
かといって、突然の行動過ぎて困惑する。クーリアの妖精体にこんな事をされる理由も思いつかなかった。
なので、一応わけを聞いてみるものの返事はない。そもそも、妖精体が言葉を発するところは見た事がない。今まで接した妖精体と言えばグレーシア、ファンシア、エンジェリアの妖精体。その誰もが人語を話さず、ジェスチャーや表情で全てを伝えていた。加えてクーリアの妖精体は頭の上に乗っかっている状態なので、それすらも分からない。
そっと、頭の上にいるクーリアの妖精体に手を伸ばそうとしたところ。
「あたっ」
なぜか手をはたかれた。そして、ぎゅっとしがみついてくる。
俺にはどうする事もできなさそうなので、やむを得ずこのまま厨房に戻る事にした。
「どういう状況……?」
「こっちが知りたいです……」
そして厨房に戻ったら、肝心のクーリアがフライパンを片手に首を傾げた。その疑問はもっともで、しかもクーリアが差し向けたものではないらしい。クーリアは、近くでサラダを盛り付けつつ笑いを堪えていたファンシアに料理を一旦代わってもらい、こちらに近づく。
「この子がそんな事するなんて……ほら、離れなさい」
クーリアもまた、頭にしがみつく妖精体を引きはがそうとする。俺とクーリアの身長はあまり差がないが、妖精体を離そうと近寄ったがために、身体が接近するのが心臓に悪い。
「ほーら、バトレアスを困らせないの」
だが、妖精体は頑として離れようとしない。クーリアもまた少し強めに力を入れて離そうとするが、妖精体が掴むこちらの髪の毛ごと毟られそうな痛みが走る。
「あの、クーリア様。自分はあまり気にしないので、ひとまずは妖精体さんの気が済むまでこのままにしても大丈夫ですよ?」
「え? でも……」
「それにあまり無理に剥そうとすると、こちらの毛根が……」
それを聞いてファンシアが吹き出した。こちらにとっては切実な問題なのだが。
とはいえ、髪についてはクーリアも気にしているようなので、無理に引き離すのを止めてくれた。よく見えないが、妖精体がまた体重を預けてきた感じがする。
「じゃあ……本当に無理そうだったら言ってね?」
「ええ、分かりました」
妖精体は髪にしがみついてはいるものの、全体重を預けているわけではない。帽子を被っている感覚に近いからつらくないし、このまま日常生活を送る分には問題はなさそうだ。
けれど、俺自身は問題ないとしても、人の目は確実に引く。
「おはようご――ざ?」
「……あら?」
「あっはははははっ!」
「どういう状況ですか?」
「??」
食堂へやってきたエリーティアとビューティアは頭にハテナが浮かび、エンジェリアはゲラゲラ笑っている。グレーシアはきょとんとし、キューティアに至っては背景に宇宙が見える。
「バトレアス、あんたそういう子が好きなの……?」
「誤解です」
そしてドリーミアに限っては半分軽蔑するような目を向けてきた。あまりにもひどい冤罪である。
「って、あたしたちの楽譜は?」
「それが、今日はひとつも楽譜がなくて」
ともかく今日は、楽譜がない。ドリーミアの質問に答えると、ドレミコードの皆は顔を見合わせる。皆は何か知っていると思ったが、それは違ったようだ。
「ああ、それなんだけどね……」
そこでクーリアが、朝食のプレートをワゴンで運んでくる。スクランブルエッグ、ほうれん草のソテー、ウインナー、ベーコンが載ったワンプレートだ。
「ちょっと今日は、ミューゼシア様からのお願いがあるの」
「お願い、ですか?」
「ええ」
率先してプレートをそれぞれの席に置いていくのを手伝いながら、クーリアから事情を聞く事にする。
「今日、私はミューゼシア様の下へ向かう事になっているの。そしてそこで、ミューゼシア様と私がデュエルをする」
「え、またどうして……?」
プレートを受け取ったキューティアが問うと、クーリアはそんな彼女を安心させるように微笑んだ。
「私に、グランドレミコードの素質があるかを、改めて確認するためよ」
グレーシアのカップにコーヒーを注ぎ終えたところで、俺もクーリアの顔を見た。
その話は前に聞いた事がある。クルヌギアスの件の直後は「近々」との事だったが、それが今日になったわけだ。
「それで、私たちも同席を?」
「ええ。その理由までは、詳しく聞いていないけれど……だから朝食の後、ひとまず待機してもらえるかしら?」
キューティアの言葉の意図は分かる。クーリアがグランドレミコードの力を受け継ぐのは喜ばしい。その最終試験的な感じのデュエルを受けるのも、あまり問題はない。だが、それをドレミコードの全員に見てもらうというのが少し意外だ。それにも何らかの目的があるのだろうか。
兎に角、今日は本当にドレミコードの皆は休みみたいなものとなった。
「さ、まずは頂きましょう」
そうしてクーリアが話題を一度区切った事で、それについて話すのは後となり、まずは朝食の時間が始まる。
そして俺がクーリアの隣に座ると、すぐさま他のみんなにバレないようにベーコンをこちらに移してきた。
◇ ◆
食事の後は、時間を置いてからミューゼシアの下へ向かうとの事だったので、俺はできる範囲で掃除をする事にした。
そして妖精体は、食事中も食器洗いでも頭を離れず、掃除中もまた同じだった。そこまでならまだ問題はないのだが、用を足す時も離れる気配がなかったので、流石にそこでは離れるように言った。結果、その時は離れてもらったが、トイレから出るとやはり頭にくっついて離れなくなる。一体どうした事なんだろう。
「……本当に、どうしたのかしらね」
クーリアから困ったように言われたのは、談話スペースを掃除している最中の事だ。箒を掃く手を止めてクーリアを見ると、やはり眉を下げて笑っている。その左腕には、クーリアのドレスのようなチョコレート色のデュエルディスクが嵌めてあった。
「何かあったんでしょうか? その、例えば……昨日の『浄化』で嫌なものを見たとか、あるいは怖い夢を見たとか」
「そうね……」
凡人に考えられる限りの原因を挙げてみる。だが、クーリアにはピンとくるものがないようで、首を傾げるだけだった。
そしてクーリアは、談話スペースに置いてあるグランドピアノの椅子に腰掛けると。
「……ふー」
息を吐いた。
憂鬱そう、というより緊張しているよう、と印象の溜息だ。何に対してかは、わざわざ聞くまでもない。
「大丈夫ですか?」
「……ええ」
それでも心配せずにはいられないから尋ねてみるが、クーリアは俺を安心させるように笑うだけ。そして、気持ちを落ち着かせるためか、目を閉じて黙り込む。それを邪魔するような無粋な真似はせず、静かに掃除を続ける事にした。
クーリアが、グランドレミコードの力を得るにあたり、一時自信をなくしていたのは知っているし、そんな彼女をできるだけ励ましたのも俺だ。そして今も、いざその時がきた事で余計緊張しているのだろう。
力になりたいとは思うが、今回ばかりは俺の出る幕はない。クルヌギアスの時みたく、命を賭してデュエルを代わるなんて事もできない。できるのはただ、信じる事だけだ。
それから少しして、クーリアはゆっくりと立ち上がった。
「……そろそろ、行きましょう」
そして、掃除をしていた俺に告げる。時間は、朝食から2時間ほど経っていた。
覚悟を決めたようなクーリアの表情に、俺は頷き掃除道具を片付けて、クーリアの従い浄化へ向かう際にゲートを開くホールへ向かう。
クーリアの妖精体は、いざ全員でミューゼシアの下へ行くという段階でもまだ離れない。クーリアはゲートを開きつつも困惑した様子だった。クーリアをはじめドレミコードの皆から奇異の視線を向けられて、俺が萎縮するのに対し、妖精体は離れる気がないらしい。結局、そのまま皆と一緒にゲートをくぐる。
ゲートの先にあったのは、俺がドレミ界に転生して初めて訪れたのと同じ、開けた幻想的な世界。黄金のグランドピアノを背にミューゼシアが待っていたのも同じだ。
「みんな、よく来てくれたわね……って」
そのミューゼシアだが、案の定困惑した顔で俺を見る。妖精体を頭に乗せている意味がわからないのだろうが、俺としてはもう肩を竦めるしかなかった。
「……クーリアから話は聞いているかもしれないけれど」
そしてミューゼシアは、戸惑いながらも話を進める事にしたようだ。
「クーリアには、グランドレミコードの力を受け継いでもらう話を前々からしていたの。私と同じように様々な世界を見て、その世界の淀みを濯ぎ、世界をそれとなく良い方向へ導くきっかけを与える旋律を作り上げる……。その役目を、クーリアに与えたい」
『……』
「これについては、一方的な私からの命令というわけではないわ。クーリアにも話をし、選択の余地と猶予を与えているの」
重大な責任を当人の意思など関係なく背負わせるのは心苦しい。そう思っていたのは俺だけではなかったらしく、そんな不安を解消させるようにミューゼシアは話してくれた。その通りだとばかりに、クーリアも頷いている。
「そして、クーリアがグランドレミコードの力を持ったからといって、皆と離れ離れになる事ではないわ。これまで通り屋敷で暮らして大丈夫だし、『浄化』の任も続けてもらう。彼女にしかできない使命もあるし……クーリアの無理のないように采配はするわ」
そのクーリアだけの使命がなんなのか、それは身を持って知っていた。
そしてミューゼシアは、クーリアを見る。
「今日デュエルをするのは、あなたがグランドレミコードの力を得るに相応しい実力を持っているかを、改めて試すためでもある。そしてそのデュエルを皆に観てもらい、同じドレミコードの仲間から見てもどうなのかを、総合的に判断してもらいたい」
ミューゼシアの言葉を聞き、ドレミコードの皆の顔が引き締まる。やはり、グランドレミコードという存在はまた別格だから、その力を受け継ぐ事の重要性は誰もが理解しているらしい。デュエルモンスターズのカードでしかその違いを知らない俺でも、大変な事だというのは分かった。
「クーリア」
「はい」
ミューゼシアが言うと、クーリアは左腕につけていたデュエルディスクを展開する。ト音記号と五線譜でデザインされたそれは、俺のデュエルディスクに似ている気がした。
それを見てから、ミューゼシアが俺たちの方に視線を移すと、右腕をすいと横に動かす。すると、俺たち全員の後ろに、座り心地のよさそうな一人掛けの赤いソファがそれぞれ出現した。座って観てよいという事だろう。
「バトレアス、あなたも楽にして構わないわ」
「……では、失礼します」
従者である以上は立っているべきだと思ったが、それでもミューゼシアが席を用意してくれたし、促しもした。ここまで用意させると断るのもどうかと思い、ここは厚意に甘えて腰を下ろす事にする。
すると、頭に乗っていたクーリアの妖精体は、俺の膝の上にちょこんと座ってきた。頭の上に乗っていた時よりも、その重みを感じる。
「へぇ~?」
隣に座るエンジェリアが、にやにやと愉快そうな笑顔をこちらに向けてくるが、愛想笑いを浮かべるだけにしておく。
そしてミューゼシアとクーリアは、俺――というよりその膝の上に座るクーリアの妖精体を見て不思議そうにしながらも、デュエルを行えるレベルに距離を取り、ミューゼシアもデュエルディスクを展開する。
思えば、他人のデュエルをただ見るだけというのは、精霊界に来てからはファンシアと一緒にデュエルアリーナに行った時以来だ。それに、ミューゼシアがどんなデッキかは実際に戦って見た事があるが、クーリアのデッキは知らない。デュエルができるという話は聞いていたため、そんな場合ではないと思いつつも、クーリアがどんなデッキを使うのかは楽しみだ。
「「デュエル!」」
クーリア LP4000
VS
ミューゼシア LP4000
そして始まる、クーリアにとっては重要なデュエル。個人的に励ました身として、見届けなければ。
「私の先攻。私は《死天使ハーヴェスト》を召喚!」
先攻を取ったのはミューゼシア。そんな彼女が最初に呼び出したのは、黄土色の鎧を纏い、紫の羽根をいくつも生やした、どこか禍々しい雰囲気の天使だ。
死天使ハーヴェスト
ATK1800 レベル4
「このカードの召喚に成功した時、デッキから《昇天の角笛》を手札に加える事ができる。そしてカードを3枚伏せてターンエンド」
「あれは……」
ミューゼシアがサーチしたカードは聞き覚えがある。遊戯王の初期からある、モンスターの召喚を無効にするカウンター罠だ。クーリアがその効果を知っているかは分からないが、間違いなくミューゼシアが伏せた3枚の内1枚はそれだろう。とはいえ、それ以外に大きな動きはなかったため、まずは様子を見る感じか。
「私のターン、ドロー!」
そして始まるクーリアのターン。今までクーリアが俺のデュエルを観る事は度々あったが、逆は初めてだ。グランドレミコードの力を受け継げるのかどうか不安だが、俺としても見ていて緊張する。
「速攻魔法《サイクロン》を発動。私は、一番左側の伏せカードを破壊!」
クーリアは、最初にミューゼシアのリバースカードを減らしにかかった。さっきの《昇天の角笛》の効果を警戒しているらしい。
フィールドに竜巻が吹き荒れ、セットされているカードの1枚を吹き飛ばす。破壊されたカードは……《神の通告》。1500のライフと引き換えに、モンスターの特殊召喚もしくはモンスター効果の発動を無効にするカード。《昇天の角笛》を破壊できなかったのは痛いが、あちらも厄介なカードだ。破壊しておいて損はないだろう。
「《ドドレミコード・キューティア》を召喚!」
「……え?」
そして、クーリアが取った次の一手に、俺は声を出すのを押さえられなかった。
クーリアのフィールドに現れるのは、俺のデッキにもフルで投入しており、今もデュエルを観ているキューティアと同じモンスター。しかし、そのステータスが明かされる前に。
「カウンター罠《昇天の角笛》発動! ハーヴェストをリリースし、キューティアの召喚を無効にして破壊する!」
ミューゼシアは、容赦なくそれを使った。発動したカードから現れた角笛をハーヴェストが吹き、野太い音が響き渡る。それを聞いたキューティアは、耳を塞ぎながら姿を消してしまった。さらに、角笛を吹いたハーヴェストも消滅する。
ペンデュラムモンスターはフィールドから墓地へ送られる場合、エクストラデッキに加わる。しかし、召喚を無効にされたという事は、まだフィールドに存在する事が確定していないため、ここで妨害されるとそのまま墓地へ送られてしまう。しかも、キューティアの効果を使う事もできなかった。
「フィールドでリリースされたハーヴェストの効果を発動。このカードをペンデュラムゾーンに置く」
すると、さっき姿を消したはずのハーヴェストが、ミューゼシアのフィールドの右端に、光の柱と共に現れる。足元に現れた数字――ペンデュラムスケールは「8」だ。
「私はカードを2枚伏せてターンエンド」
クーリアは、それ以上何もできる事がないらしく、カードを伏せるだけに終わってしまった。出鼻を挫かれたようなのは分かる。
「……クーリア様も、【ドレミコード】を?」
「ああ、言ってなかったっけ。バトレアスさんと同じデッキなんだよ、クーリアさん。と言っても、デュエルをする機会は滅多にないから、どんな構築か詳しくは分からないんだけどね」
そしてクーリアが取ろうとした手を見て抱いた疑問。それに答えてくれたのはエンジェリアだ。
どうやら、ドレミコードの皆を束ねているからこそ、クーリアが使うデッキもそんな彼女たちと同じ【ドレミコード】らしい。同じデッキの持ち主がいるというのは、何となく嬉しくなった。
「だから驚いたんですよ。バトレアスさんが最初に『ドレミコード』のカードを使った時は」
そして、反対側に座っていたキューティアが言う。そういえば、最初にドレミ界で侵略者とデュエルをした際、俺が《ドドレミコード・キューティア》を出した時にキューティアは意外そうな反応を見せていた。あれは、クーリア以外にそのカードを使う人を見た事がないから、というわけか。
つまり、この精霊界で【ドレミコード】を使うのはクーリアと俺だけというわけだ。そう思うと、悪い気はしない。
「私のターン、ドロー!」
そしてミューゼシアのターンに回る。お互いのフィールドにモンスターはなく、クーリアの場には伏せカードは2枚。しかしながら、キューティアの召喚を無効にした時点で、デュエルの流れはややミューゼシアが掴みかけているというのが俺の印象だ。
「私はスケール3の《解放のアリアドネ》をペンデュラムゾーンにセッティング。これにより、レベル4から7のモンスターが同時に召喚可能!」
ミューゼシアが使ったのはペンデュラムモンスター。白い体に細い腕、膨らんだ下半身に白い翼と、人間的な見た目ではない天使だ。
「永久に輝く光の彼方より、清き天の使いたちが今光来する。ペンデュラム召喚!」
ミューゼシアの背後に、ひときわ輝く光の円が出現し、その中から2体のモンスターが姿を見せた。
「現れなさい、《豊穣のアルテミス》、《
光が収まり、2体のモンスターの姿が露わになる。青いマントを羽織り、丸みを帯びた白い翼を持つ、人間離れした風貌の天使。そして、翼を生やし光輪が頭に浮かぶ、白い服を着た短い赤毛の天使だ。
豊穣のアルテミス
ATK1600 レベル4
守護天使ジャンヌ
ATK2800 レベル7
「これは、いきなりちょっとヤバいね……」
ファンシアの声には、若干焦りが浮かんでいる。2体のモンスターの攻撃力の合計は4400。普通に攻撃すればすぐに勝負がついてしまう数値だ。
「バトルよ。アルテミスでクーリアへダイレクトアタック!」
だが手加減などは一切しないと、ミューゼシアは攻撃を仕掛ける。アルテミスが翼を広げ、強烈な光を放った。
俺は一瞬、クーリアが本当に手詰まりだったらと不安になったが、クーリアが動いたのを見てそれも無駄な心配だと気付く。
「カウンター罠《攻撃の無力化》発動! アルテミスの攻撃を無効にし、バトルフェイズを終了させる」
クーリアの正面に透明なバリアが出現し、アルテミスが放った光は収まる。それを見て、ミューゼシアは頷いた。
「アルテミスの効果により、カウンター罠が発動する度に私は1枚ドローする。そしてカードを1枚伏せてターンエンド」
「そのエンドフェイズに、私は罠カード《ペンデュラム・リボーン》を発動! 墓地のキューティアを守備表示で特殊召喚!」
エンドフェイズに合わせ、クーリアがもう1枚の伏せカードを発動する。フィールドに魔法陣が出現し、その中からキューティアが姿を見せた。
ドドレミコード・キューティア
DEF400 レベル1
「そしてキューティアの効果を発動。デッキから《ラドレミコード・エンジェリア》を手札に加える」
一連の効果をクーリアが処理し終えると、ミューゼシアはそれ以上する事もないらしくターンを渡した。
「私のターン、ドロー!」
クーリアはドローしたカードを見るが、すぐに使えるわけではないのか手札に加え、別のカードを手にする。
「魔法カード《ドレミコード・エレガンス》を発動。その2つ目の効果で、手札のエンジェリアをエクストラデッキに加え、デッキよりスケール2の《シドレミコード・ビューティア》と、スケール7の《レドレミコード・ドリーミア》をペンデュラムゾーンにセッティング!」
クーリアが使うカード、セッティングするスケールは俺も見覚えがある。同じデッキを使う者同士、考える事は同じなのかもしれない。それを思うと、親近感が増す。
ミューゼシアも思うところがあったのか、クーリアのフィールドに出現した2つの光の柱に浮かぶ、2人のドレミコードを見て眉が上がった。
「さらにペンデュラムゾーンに偶数のスケールが存在する事で、キューティアの効果により、その攻撃力は自らのペンデュラムスケール1つにつき100ポイントアップする」
クーリアの声に合わせて、キューティアの頭上に自らのペンデュラムスケールである「8」の数字が浮かんだ。
ドドレミコード・キューティア
ATK100→900
「ペンデュラム召喚! エクストラデッキより《ラドレミコード・エンジェリア》!」
天空に現れた光の穴から降り立つエンジェリア。召喚口上がなかったのは、元から用意していないのか、それとも1体だけだから言わなかったのかは分からない。
そして、エンジェリアの頭の上にも自身のスケールを表す「3」の数字が浮かび上がり、キューティアの効果の影響を受ける。
ラドレミコード・エンジェリア
ATK2300→2600 レベル6
「バトル! エンジェリアでアルテミスを攻撃!」
クーリアの残りの手札は2枚。だが、その2枚は今使えるカードではないらしい。とはいえ、エンジェリアの効果があればミューゼシアの伏せカードは攻撃する時だけ封じられる。さほど気にしなくてもよいだろう。
フィールドのエンジェリアがタクトを振り、オレンジの光球を放つ。それはアルテミスの身体に直撃し、爆発を起こした。ミューゼシアがその爆風を腕で防ぐ。
「んっ……!」
ミューゼシア LP4000→3000
初動は潰されたが、先制ダメージを与えたのはクーリアの方だ。となれば勝負の行方はまだ分からない。
「バトルフェイズは終了。メインフェイズ2に、私は――」
「カウンター罠《
「!?」
だが、ミューゼシアが使ったのはメインフェイズ2をスキップする効果。最初のターンから伏せられていたこれには、クーリアも意表を突かれた表情になる。
「……私はこれで、ターンエンド」
そして、未練を隠せない様子でターンを終えた。同じ【ドレミコード】使いとしての想像だが、クーリアはエンジェリアの効果でキューティアをリリースし、エリーティアを呼ぶつもりだったのだろう。さらに、メインフェイズ2で発動ないしセットができるカードが手札にあったのかもしれない。そのタイミングを逸してしまったわけだ。
以前俺がミューゼシアとデュエルをした時の事を考えると、ミューゼシアは相手にペースを握らせない戦い方をする。多少劣勢に立たさても即座に挽回し、ライフやフィールドが劣っていようとも、相手に余裕を抱かせない。中々強いと思えるデュエルスタイルだ。
しかもクーリアには悪い事に、俺がミューゼシアとのデュエルで【ドレミコード】を使ってしまったがために、効果も予想させやすくしてしまっている。だから、このデュエルはミューゼシアの方が多少有利なのだ。
それでもどうか、クーリアには勝ってほしいと願うほかなかった。
次回、オリジナルカードが登場いたします。
予めご了承ください。