聞けば、俺はあれから3日以上気を失っていたという。しかも、半死半生で死ぬ間際だったとまで言われた。
正直な話、実感が全くない。最後に覚えているのは、クーリアたちが白い十字架から解放され、起き上がったところだ。そして気を失ってから起きるまでがほんのわずかな時間に感じるし、記憶もないのだから。
それに、起きてから身体の調子は何の問題もない。どころか、むしろ
だけど。
「……よかった、本当に……よかったぁ……!」
起きてから、名前を呼んだ直後に抱き着き、普段の姿からは想像もできないほどの泣き声を上げるクーリアを見て、本当にそうだったのかと理解せざるを得なかった。そもそもクーリアは、ここまで感情を大にして表す事などほとんどなかった。だからこそ、それだけ事態は深刻だったのだと改めて認識する。
そして、俺の無事を喜んでくれたのは、クーリアだけではなかった。
「ホンットに心配したんだから! もう二度とこんな事起こさないでよね!」
俺に向けて人差し指を勢いよく向けるドリーミア。相変わらず言い方は厳しいが、目元が赤いし顔もわずかに赤らんでいる。多分、クーリアほどではないにしろ、ドリーミアも心配して泣いてくれたのだろう。俺は黙って、頭を下げた。
「ぐす……うぅ……」
「良かったわ……生きた心地がしなかったもの」
キューティアが泣きじゃくるのを、傍に立つビューティアが宥めている。だけどビューティアも、普段は閉じている瞼を開け、さらに涙を滲ませていた。
「いやぁ、ほんとによかったよ、ほんと……に……」
「ファンシアさん、ハンカチ……」
いつものように明るく振舞おうとしても、ファンシアは堪えきれず途中から泣き出してしまった。エリーティはそんなファンシアにハンカチを差し出すものの、それは本人が涙を拭いていたせいで既に湿っている。
「……一安心ですよ、これでようやく」
グレーシアは変わらず微笑んで告げるが、すぐに顔を逸らして涙を拭う仕草を取る。
そしてエンジェリアは。
「バトレアスさん、ごめんなさい」
俺の前に立つと、頭を下げてきた。
「私が、ヴァーディクトとかいうのに脅されてゲートを開いたせいで……皆を危険に晒したし、バトレアスさんもこんな事になって。本当に、ごめんなさい」
「……いいえ、謝らないでください」
状況的に仕方がなかった事だろう。全面的にヴァーディクトが悪いので、エンジェリアが気に病む事ではない。その元凶は倒したし、俺もこうして快復したのだ。もう気にしなくていいはずだ。
その時、誰かの腹の虫が部屋に響く。全員が視線を向けたその先にいたのは、お腹を押さえて顔を赤くしているキューティアだった。
「えと、ごめんなさい……昨日の夜、バトレアスさんに演奏を聴かせてあげたら、お腹が……」
「じゃあ、朝ごはんにしましょう」
ビューティアが手を合わせ提案する。他の皆も、俺の安否という緊張の種が取り除かれた事で安心したようで、表情が穏やかになっていた。
そして朝食の準備をするとあれば。
「お手伝いしますよ」
「いやいや、バトレアスさん昨日まで倒れてたんだよ? 無理しなくていいって」
「いえ、そうは言っても……」
ファンシアに抑えられ、他の皆も頷いている。しかし俺は、首を横に振ってベッドを下りる。
「何か、すごく身体の調子がいいんですよね。本当、死にかけていたって事が信じられないぐらい」
強がりではなく、本当に俺の身体は自分で動かしてみても何の問題もない。3日以上横になっていた事で身体が痛むとか、ヴァーディクトのデュエルで受けたダメージが残っているとか、そんな事もなくどこにも異常が見受けられないのだ。
「なので、あまり病人扱いされるのもちょっと、という感じで……」
本人の体調に問題がないのに、それっぽい扱いを受けるのは忍びない。加えて俺は、元々皆の従者の立場だ。
「……だったら、簡単なお手伝いをしてもらおうかしら」
「ええ、それぐらいでしたらお安い御用です」
こちらの意を汲んでくれたビューティアの提案に感謝して頭を下げる。ただしグレーシアから「無理はしないように」と念押しされ、「もちろんです」と俺は返事をする。
けれどその時、クーリアが少しだけ悲しそうな笑顔を浮かべていたのは気になった。けれど、何かを聞く事はできなかった。
◆ ◇ ◇
朝食の支度は、調理はビューティアとファンシアがメイン、俺は配膳とお茶淹れを任された。
その朝食のメニューだが、卵のお粥。普段に比べてかなり軽めな気がするが、俺が事実上3日間絶食だった事を考慮してとの事だ。それに皆を合わせてしまうのは申し訳ないが、皆はそれに加えてサラダを食べて嵩増しをするらしい。それこそ、本当に申し訳ない気持ちだ。
それでも、食卓自体は和やかな雰囲気となった。同時に、皆が安心して食事をしている姿を見て、俺も穏やかな気分になると同時、何かから解放されたようにも感じる。
きっと、ヴァーディクトを倒した事で、まずもって大きな問題が解決したからだろう。そして何より、あの十字架に縛り付けられた皆が、元に戻ってこうして日常を取り戻せた事が嬉しい。
するとそこで、食堂の扉が開く。
「あら、ごめんなさい。お邪魔してしまったわね」
姿を見せたのはミューゼシアだった。その近くに座っていたエリーティアとエンジェリアが挨拶をすると、ミューゼシアは笑って応える。
そして、俺に視線を向けてきた。脊髄反射で立ち上がり、頭を下げる。
「ミューゼシア様、おはようございます」
「おはよう、バトレアス。元気になったみたいね」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」
謝ると、ミューゼシアはゆっくりと俺の下へ歩いてくる。そして俺の前に立つと、微笑んで右手を差し出してきた。
「……本当に、ありがとう。これでまた、貴方に助けられてしまったわね」
「……それが自分の役目です」
「でも、私たちは確かに救われた。そして、安心したわ」
手を握り返すが、言った通りで皆を守り助けるのが俺の役目の一つだ。今回は、遅れてしまったがために危険な目に遭わせてしまったが、今後そのような真似は許されないと自分で考えている。
やがて、手を離したミューゼシアは、俺の頭の上から足の先までをじっくり見る。
「体の具合はどうかしら?」
「ご心配には及びません。もう大丈夫です」
「……そう」
ミューゼシアも心配していたのだろう。元気になった事は誇張なしに伝える。
しかしながら、それを聞いたミューゼシアの笑みが固くなり、俺の隣の席にいたクーリアに視線を向ける。
「……?」
俺もつられてクーリアを見るが、気まずそうに視線を逸らされた。さっき部屋を出る時に見た、悲しそうな笑顔を思い出す。
「……あなたにひとつ、話しておかなければならない事があるの」
ミューゼシアが、いつもとはまた違う雰囲気、真面目そうに話しかけてくる。誰もが食事の手を止めた。
「あなたはヴァーディクトとのデュエルで、大きな傷を負った。身体だけでなく、心にも」
「そう、聞いています」
「けれど今、そうして体調が快復したのには、理由がある。それを知ってほしい」
デュエルの後で、俺の意識はブレーカーが落ちる時のように突然途切れた。それは、あのデュエルで負ったダメージのせいもあるだろう。あるいは、新しくカードを創造した事に対する代償とも考えられる。
そして、俺はこうして以前の調子を取り戻していた。だけどそれは、どうやら事情があるらしい。俺の知らない何かが。
「あなたの容体は、一度アロマのマグノリア様に診てもらった。その際に、貴方はもう助からないとの判断を下していたの」
「え、ちょ、ちょっと待ってください……」
ミューゼシアが切り出した話に、ファンシアが異を唱えた。
「でも、マグノリアさんはあの時、ボクらには大丈夫だって……」
「あれはきっと、あなたたちを不安にさせないための嘘だった……本当のところ、バトレアスは今朝にはとっくに死んでいたのよ」
ファンシアが呆然とし、他のドレミコードも動揺しているのが顔でわかる。
俺も、信じられなかった。そんな重篤な状態だったにもかかわらず、何故俺は朝を迎えて、こうして何事もなかったかのように元気でいられるのか。
「あのデュエルで、貴方は本来人間が持ち得ない力を開花させた。その代償として、貴方の心も体も死の目前にまで朽ちてしまった」
心が死にかけた、というところには、もしやという覚えがある。
あのデュエル、最後のドローで《ファインドレミコード・バトリア》を引いてから、妙に気分が落ち着いた。というより、ヴァーディクトに対して何の感情も抱かなくなくなった。
ヴァーディクトは、ドレミコードの皆を縛り上げ、歪んだ思想を宣い、仲間を侮辱した。どうしようもなく腹が立って、憎たらしくて、許せないと思っていた。なのに、それがきっかけで、一切の感情が湧かなくなったのだ。それがサインだったのかもしれない。
「けれどマグノリア様は、そんな貴方を助けられる唯一の方法を教えてくれたのよ」
「方法……?」
何となく、聞くだけでそれがただの治療ではないのが分かる。
聞き返すと、ミューゼシアは息を吐いてから、どうやって俺を助けたのかを教えてくれた。
* * *
「彼の心と体が精霊の力を受け止められないのであれば、それができるようにすればいい」
マグノリアの言葉を、クーリアは一拍遅れで飲み込んだ。
言っている意味は理解できる。だが、つまりそれがどういう意味かをクーリアが理解しようとする間に、マグノリアは人差し指を立てる。
「今、彼の身体の中は精霊の力が宿っている状態。さっき言った通り、人間ではこれに耐え切れないわ」
「……」
「そして、既に心と体を侵しているその力を取り除いてしまうと、彼の身体はすぐさま朽ちてしまうわ」
精霊の力を取り除くのは、できるのならクーリアも手段のひとつとして考えていた。
しかしマグノリア曰く、バトレアスの身体の中はもう精霊の力が満遍なく浸透した状態。精霊の力を取り除けば、それに引きずられて、わずかに機能している生命力まで失ってしまうという。
「だから、今度は『正しく』精霊の力を注ぎ込み、今度は内側から彼の心と身体そのものを構築しなおす」
「……っ!」
「そうすれば、彼は精霊の力を宿せる存在になる。今身体の中にある力をも安定させ、制御し、残っている生命力を失う事もない」
バトレアスは、人間が精霊の力を宿すにあたってのプロセスを無視し、自分で精霊の力を宿した。デュエルの最中で、ドレミコードは全員が捕縛されていたからこそ、バトレアスはその手順を踏めなかったのだろう。だから今度は、その手順に従って、精霊の力を与える。
しかし聞き捨てならない事があった。クーリアは、不安を隠さずに聞き返す。
「心と身体を……『構築しなおす』?」
「ええ。それができるのは、精霊の力を持っているこちらの世界の存在。その中でも通常とは異なる力を宿すあなたか、ミューゼシア様だけよ」
助かる方法はそれしかないと、クーリアも既に理解していた。
そしてマグノリアの言葉が、バトレアスがどうなるかを指しているのも理解できていた。だからこそ、聞き返したのだ。
「……あなたの言いたい事も分かる。だけど、本当に助けたいのであれば、これしか道はない」
何も言えなくなったクーリアに対し、心の底から気の毒そうな顔を向けるマグノリア。
黙って話を聞いていたミューゼシアが、一歩踏み出しながら口を開く。
「それってつまり――」
* * *
「あなたは、もう人間ではなくなってしまった」
告げられても、言葉が出なかった。
さらにミューゼシアは続ける。
「もっと言えば、貴方は私たちドレミコードと同じになったという事なの」
自然に、自分の手に視線が落ちる。
そこにあるのはまぎれもなく、俺自身の手と腕。手の形が変わったり、指の数が増えていたりもしない。今までと同じだ。
けれど俺は、人間ではない。皆と同じドレミコードとなった。
自分が別の存在になるのは、こうも感情の流れを止めさせるものなのか。
「……え」
ミューゼシアを見る。嘘やドッキリなどではないのが、神妙な表情で分かる。
他のドレミコードたちに視線を移す。誰もが現実を受け入れられないのが、愕然とした顔で理解できる。
「で、でも。でもですよ?」
そこで声を上げたのはキューティアだった。
「バトレアスさん、こうして元気になって、ちゃんと話もできてますよね? バトレアスさんも、記憶はあるんですよね?」
「それは、はい」
別の存在になっても、精霊界に転生してからの事はもちろん、前世の事もちゃんと覚えている。相変わらず、かつての自分の名前は思い出せないが。
「だったら、私は」
「?」
「今までどおりに、バトレアスさんと接します」
キューティアのその言葉は、決意表明というような感じだった。そして、俺を見て、キューティアは揺らぎない光の灯った目のまま続ける
「人間じゃなくなって、私たちと同じ存在になっても、あなたがあなたである事に変わりはありませんから」
「……」
「私たちを支え、そして守ってくれた。そんなバトレアスさんは、これまでも、これからも……かけがえのない人です」
キューティアの言葉に、他のドレミコードも同意するように頷く。俺を見て、笑って、首を縦に振ってくれた。
そしてミューゼシアは。
「……こうなってしまったのは、私があの時あなたをこちらに連れ戻したのが原因でもある」
「……それは」
「だから……ごめんなさい」
「いえ」
ミューゼシアも気にしているところはあるらしい。
だけど、それは重々承知の上で。
「あの時俺が来なければ、たぶん皆さんは無事で済まなかったでしょう。それに、いずれここだけでなく、ほかの世界もヴァーディクトは襲い、消すつもりでした」
ヴァーディクトが掲げた目標は、今思い出しても賛同できないし、何より常軌を逸している。
だからきっと、あの日俺を呼び戻していなければ、俺もまたいずれ消されていただろう。
「その最悪の結末は免れましたから……この世界と皆さんを守れて、よかったです」
そして、俺は皆を見る。
「別の存在になった実感はありませんが、自分としても、今までどおりに接してくれると嬉しいです。よそよそしくされたり丁重にされるのは、それはそれでつらいですから」
特別扱いされるのは、どうなろうとも嫌だ。今まで通りの関係が続くのなら、それでいい。
その意思を告げると、エンジェリアは目の端に涙を浮かべながらも笑い、グレーシアも目を閉じて頭を下げる。他のドレミコードたちも、頷いたりしてくれた。
「もし、何かあったらいつでも言って。遠慮なく力を貸すから」
ミューゼシアも、そう言ってくれる。言葉にしていないが、それが彼女なりの責任でもあるのだろう。
そんな中で、クーリアだけはばつが悪そうな笑顔だったが。
◇ ◆ ◇
食事の後片付けをした後、クーリアから部屋に来るよう言われたので、俺は大人しくそこへ向かう。
これまで、クーリアの部屋に出入りする事は何度もあった。しかし、今ほど緊張し、かつ空気が重苦しいのも初めてな気がする。
「……」
それも、クーリアが黙りこくったままだからだろう。
要件については、おおよそ見当がついている。話を切り出せない理由についても、理解できた。それでも、このまま沈黙を続けるのは気まずい。
するとそこで、クーリアの妖精体が、クーリアの膝の上に現れる。そして俺の姿を見るなり、いきなり腕に抱きついてきた。生き物と同じ、柔らかさと温かさを感じる。そして、この反応からして、この子も心配だったのだろう。
そんな妖精体の頭を撫で、少し緊張が解れた事で、話を切り出す決心がついた。
「……俺の事は、気にしないでください」
クーリアの肩が震えたのが見えた。けれど、続ける。
「まだ、俺が人間じゃなくなった事については実感が湧きませんし、それで何が変わるかも分かりません。けれど、こうして元気になってまた皆さんと一緒に暮らせるようになったのは、俺も嬉しいですから」
「それでも」
クーリアは顔を上げて俺を見る。
瞳が潤んでいた。
「あなたに、こちらの世界の力を注ぎ、別の存在にしてしまったのは……私よ」
告げられた事に対しての驚きは、あまりない。
先ほどから、クーリアがたまに見せる表情には引っかかりを覚えていた。
そこには、俺を直接「変えてしまった」事に対する後ろめたさがあったわけだ。
「本来、生き物を別の存在に変えてしまうのは、罪深い事なの。世界の流れをより良い方向に変えるきっかけを作る旋律を組む、グランドレミコードがやっていい事では無い」
つらそうな顔で、視線を斜め下に向けるクーリア。告げられた事実ではなく、声と顔が後悔や悲しみに濡れている事に、こちらも心が締め付けられる。
ただ、天使をもって罪深いと言ったからこそ、事の重大さがどれほどの事かは俺でも分かった。
「勿論私は、その罪を背負う覚悟であなたを助けた。だけど結果として、あなたを別の存在に変えてしまった。確かにあなたは本質的に人間と変わらないけれど、正確に言えばもう人間でなく、純粋な精霊界の存在でもない」
「……本質が人間と同じなら、俺はそれで充分です」
《竜角の狩猟者》――ディアナを思い出す。彼女は竜の返り血を浴び続けた結果、人間から竜へと変わりつつあった。
言うなら、俺は彼女と同じような状態になってしまったのだろう。俺の方は完全に変わってしまったわけだが。
仮に俺が獣や竜、あるいは形容しがたいナニかへとなり、こうして言葉を交わす事もできなくなったとしたら、それには少し怖さもある。
けれど俺は、内部が違っても、人間の形を保ったまま言葉を交わす事ができる。それだけで、俺は十分安心できた。
ただし、俺が変則的な新しい存在となった事による弊害はまだ分からないので、総合的な判断はまだできないが。
「……あなたが俺をこのような形で救った事に、負い目を感じているのは分かります。その判断を下すのにも覚悟が必要だったであろう事も、理解できます」
「……」
「けれど俺は、助けてくれた事にとても感謝しています。本当に、ありがとうございます」
頭を下げる。感謝しているのは確かだから、そこまで気に病んでほしくはない。
けれどクーリアはまだ思うところがあるのか、俯いて続ける。
「……あなたを助けたのは、勿論あなたが私たちにとって大切な人だから。皆が、あなたを喪う事を恐れていたから」
目覚めた直後、部屋にやってきたドレミコードの皆が嬉し涙を流してくれたのは覚えている。それだけ俺の事を大切に思ってくれたと考えれば、こみ上げてくるものがあった。
「だけど、それだけじゃない。私は、私の個人的な理由で、あなたを助けたわけでもある」
「個人的な理由……?」
問い返す。その言い方は、普通に片付ける事は難しかった。
するとクーリアはベッドから立ち上がり、俺の正面に立って視線を合わせると。
「……あなたの事が好きだから」
「……っ」
「あなたを愛していたからこそ、失うのが怖かった。だから……」
クーリアの唇が、涙を堪えるかのように歪むと、また俯いてしまう。
そして俺は、告白が衝撃的過ぎて、かける言葉を失った。腕に抱きつく妖精体の手に、少し力が加わったのを感じ取る。
「……私はリーダーとして皆を率いていた。けれどあなたは、従者であるという立場で、私の事を気遣い、命を守ってくれた。そして今度は、私たち全員とこのドレミ界、別の世界をも救ってくれた……」
「……」
「あなたには、従者というだけでないほどの大きな負担を掛けてしまった。だけど、あなたはそれでもなお、実直に自分の使命を全うしてくれている」
両肩に置かれた手で強く掴まれるが、痛みはない。伝わってくるのは、ないまぜになったクーリアの感情だけ。
「私はあなたの事が好き。だからこそ、あなたがいなくなってしまうのが嫌だった。あなたを助けたのには……そういう『自分勝手な』理由も混じっているの」
今日最初に目覚めた時、クーリアは大声を上げて泣いていた。それはただ、俺が快復したのが嬉しかっただけでなく、そう言う個人の理由も含めて俺を変えてしまった事に対する罪悪感もあったのだろう。
あの時聞いた泣き声は、今も頭の中に留まっている。だからこそ、その真意を今知って、余計に感情が引き絞られる。
「……本当、私はなんて――」
「それでも、俺の気持ちは変わりません。助けてくれた事に、とても感謝しています。そして、嬉しいです」
言葉が途切れた。
信じられないものを見る目でクーリアが俺を見てくるが、俺の姿勢は変わらない。
「まず、俺なんかの事を好きになってくれたのが、とても嬉しいです。俺はただ、従者としてやるべき事、為すべき事をしていただけに過ぎませんから。そこを好感的に見てくれたのは喜ばしいです」
クーリアの涙ぐんだ目を見て、視線を落とす。妖精体と目が合うと、ほほ笑んでくれた。
「それに俺は、あのデュエルで最後にドローする時、『自分はどうなってもいいからみんなを助ける力が欲しい』って願ったんです」
「……」
「正直な話……助からなかったとしても、俺はそれを受け入れていました。結果としてヴァーディクトに勝利して、皆を助ける事ができたんですから」
どうなってもいい、と願ったのは確かだ。
だから死ぬ事は勿論、二度と外を出歩けなくなろうが、別の生き物になろうが、どうなっても全て想定の範疇。受け入れるつもりでいた。
けれど俺は、根っこの部分は全くの別物であったとしても、人の身体と心を持ち、こうして言葉を交わす事ができている。考えうる限り、十分な結末だ。
そうしてくれたのはほかならない、クーリアの覚悟と勇気、力、そして俺に対する気持ちのおかげ。
「クーリア様にとっては自分勝手だとしても、その気持ちがあったからこそ俺は救われた。また皆さんと一緒に過ごす事ができる。それが嬉しくないわけありません」
肩を掴むクーリアの手を優しく握って、視線を合わせる。
「俺は大丈夫です。だから、クーリア様も自分を追い詰めないでください」
俺は、できる限りの優しい笑顔を向けた。本当に俺は、気にしていないのだから。
するとまた、クーリアの表情は歪み、俺を抱きしめてくる。起き抜けの時とは違う、力加減はちゃんとされている優しい抱擁。自然と、温かい気持ちと安心感が芽生えてくる。
「……本当に、ごめんなさい」
「いいえ」
「そして……本当に、ありがとう。私たちを助けてくれて」
そう告げて、クーリアは俺を離してくれた。
ただ、言っておかなければならない事もある。
「その、さっきの告白の返事は、待ってもらえるとありがたいです。色々ありすぎて、整理したいですし、真剣に考えたいので」
「分かった。待ってるわ」
ヴァーディクトに言った通り、俺は決してドレミコードの皆に下心ばかりを抱いてはいない。けれど、そう思われるのは悪い気分ではないし、想われているからこそちゃんと考えて返事をしたい。
だが、言った通り今日目覚めてから今に至るまでに、予想外が連続で起きているため、頭の中がとっ散らかっていた。この状況では考えもまとめられない。
とはいえ、クーリアの事は好意的に見ているのは確かだ。しかし、それを女性として好き、と判断はまだできない。こちらは過去に「玉砕」した事があるため、その手の感情が自分でもまだ分析しきれていない今、返事をするのは早すぎる。
すると。
「……そういえば、まだ話していなかった事があるの」
「?」
「あなたをドレミコードにするにあたり、力をあなたに注いだけれど……その手段は、まだ言っていなかった」
確かに、俺は力を注がれたと聞いただけで、具体的な手段についてはまだ聞いていない。精霊界で起こりうる事の以上、どんな方法かは俺には想像もつかないが、気にならないと言えば嘘になる。
同時に、なぜかクーリアが恥ずかしそうにしているのも気になった。
「その……これも、貴方がどう思うかはわからないけれど」
「?」
「……キス、させてもらったの」
「……え」
悲しみとは違う、明らかに別の感情由来でクーリアの顔は赤くなっていた。そして、目をそらしながら告げられた手段に、思わずと声が出る。
俺にそんな記憶は全くない。意識がなく死にかけていたからそれも当然だろうが、当人から言われても実感が湧かない。
だが目の前のクーリアの恥じらう姿からして、恐らく本当にそうしたのだろう。でなければ、多分俺はいま生きていない。
「バトレアスは、嫌だった? やむを得ないとはいえ、そうされるのは」
「……それは、ない、です」
カタコトになってしまいながらもそう答えたのは、本心だ。嫌いな人にされたら考えてしまうが、クーリアの事はそう思っていない。むしろさっきの告白が嬉しかったのも含めて、俺はクーリアを好意的に見ているのも確かだ。
「……なら、良かったわ」
安心したように瞳を閉じるクーリア。
そして、また俺を見ると。
「……あなたさえよければ、なんだけど」
「?」
クーリアは、再び俺と視線を合わせる。今度は、顔を赤らめていても、視線を逸らさないで。
「今、私はあなたへの思いで胸がいっぱいで……それで、初めてはあなたも意識がなかったから……」
「……」
「今ここで、改めて……してもいい?」
それを断る勇気までは、ない。
腕に抱きついていた妖精体は、気を利かせたのか、ウインクをしながら姿を消した。
◇ ◇ ◆
やらなければならない事がある。
俺からそれを伝えると、クーリアは頷き、同行してくれる事になった。
「あれ、バトレアスさん出かけるの?」
「ええ。ちょっと、行かないといけない場所が色々あるので」
準備を終え、クーリアと共に玄関へ向かう途中、ファンシアとビューティアに遭遇した。
クーリアから聞いた話だが、俺が死にかけていた3日間、「浄化」は行われなかったらしい。それを決めたのはミューゼシアで、皆が俺の事を心配していたがために、「浄化」にも集中できないだろうとの事だ。そして今日も、色々とカミングアウトが多くあったため、落ち着く時間を設けるためと「浄化」は行われない。
――資源には限りがあるし、争いは激しくて、差別も貧困も当たり前にある
ヴァーディクトのやった事、やろうとした事は今も認められない。奴の所業を思い出すと怖気が走る。
だけど、精霊界の中に問題を抱えている世界が存在するのも事実だ。それは放っておけない。それを少しでも軽減するためにドレミコードの「浄化」があるわけだ。俺を心配してくれるのは嬉しいが、それは続けてほしいところでもあるのが本音だった。
けれど今は、クーリアの力を借りなければならない。
「それってどこなのかしら?」
「まず『S-Force』にまた行かなきゃいけなくて」
「え、バトレアスさん何したの……免停?」
「いや、そう言う違反的なものではなく……」
運転免許は前世でも取っていたが、精霊界でも使えるとは思わない。というか、免停とか駐車違反とかは警察の仕事で、「S-Force」の役目ではないだろう。
「まあちょっと、話せば長くなるんですが、もう一度来るよう言われてるんです。犯罪とかではなく」
「ふーん……あとは?」
「クーベル様のケーキ店です。結局、約束していたのに行けませんでしたから」
あの日は、こちらがいきなり来たにもかかわらず、特別製のケーキを作ってくれた。なのに、取りに行く事はできずじまいだ。恐らくはまた作り直しになってしまうだろうから、今度はちゃんとお金を払って買おうと思う。あの時のお詫びも兼ねて。
「それと、俺を助ける方法を教えてくれたマグノリア様のところへお礼を」
「……いっぱいあるね」
ファンシアが笑って言う。
後言わなかったのは、クルヌギアスの件だ。彼女にはデュエルでとてもお世話になったし、約束もある。ただ、さっき告げた3か所だけで時間を食いそうだし、誰かのついでなんて言ったら機嫌を損ねてしまいかねない。だから、別日に改めて伺う事にした。
「クーリア様もご一緒に?」
「自分だけでは世界を飛べないもので」
クーリアが付き添いなのは,単純に俺が世界を超える術を持たないためだ。クーリア以外に頼んでも変わりはないだろうが、「さっきの事」もあるので一緒に行くべきだと思う。
すると、その時ビューティアが小さく手を上げた。
「バトレアスさんもその……私たちと同じになったのよね?」
「ええ、まあ……」
「だったら、バトレアスさんもゲートを開く事はできるんじゃないかしら?」
言われて、クーリアと顔を見合わせる。
俺はクーリアによって、ドレミコードと同じ存在になった。であれば、皆がやっているようにタクトを振って他の世界につながるゲートを開けるのではないだろうか。
「それって……すぐできる事なんですか?」
「ちょっと難しいかもしれないわ。手順も色々踏まないとだし」
手順、と聞いて俺は余計な事は止めようと思う。俺はその「手順」を無視した結果、このような事になったのだから。それに関しては、また別の機会に教わることにしよう。
そして、俺に何ができて何ができないのかも、まだ把握できてはいない。俺自身がドレミコードになったと知ったのは今日の事だし、それから何かが変わったという明確なものもない。それは、追々把握していくべき事だ。
「ではクーリア様、お願いします」
「ええ。任せて」
お願いすると、クーリアがタクトを振り、光のゲートを開く。
「それでは、行ってまいります」
「ええ、気を付けて」
「いってらっしゃーい」
出立の挨拶を伝えると、ビューティアは微笑み、ファンシアも笑って手を振る。
そしてゲートをくぐろうとしたところで。
「さあ、行きましょう」
しれっと、クーリアが手をつないできた。躓いたりするはずもないが、クーリア自身は至って当然の事をしているつもりなのか笑っている。いや、嬉しそうに、少しだけ照れ臭そうな笑顔だった。
多分、俺に対しての好意を明らかにしたからこそ、こういう行動にも躊躇いがなくなったのだろう。
「……」
ただ、あまり見たくはなかったが、後ろを振り向いてみる。
ビューティアとファンシアを改めて見る。ビューティアは微笑ましいものを見る目で口元を押さえ「あらあら」と言っているし、ファンシアはにやにや笑っている。察したようだ。
それだけじゃない。
いつの間にか、キューティア、ドリーミア、エリーティア、グレーシア、エンジェリアまでいた。そして全員が、俺とクーリアが何もないのに手をつないでいるのをまじまじと見ている。キューティアはなぜかキラキラした目を向け、エリーティアとグレーシアはやはり微笑ましそうで、エンジェリアは「帰ってきたら絶対からかう」のが丸わかりな笑顔、そしてドリーミアはジト目だ。
「……改めて、行ってきます」
『いってらっしゃい』
再度挨拶をすると、今度は声を揃えて、しかも同じタイミングで手を振って見送られた。
それに対してはもう反応もできず、クーリアと視線を合わせて頷く。
そして俺は、守りたい皆に見守られながら、クーリアと一緒に光のゲートをくぐった。
これにて「ドレミコードの従者は元人間」、ひとまずの区切りとさせていただければと思います。
以下、あとがきです。
筆者自身が「ドレミコード」というテーマを使用しており、先駆者の皆様の遊戯王SSを読んで、自分なりにこのテーマをメインに据えた話を書いてみたいと思った結果が当作品となります。実に9人+αのドレミコードの各々に性格を割り当てて書くのは少し大変ではありましたが、それでも楽しく書かせていただきました。
デュエルに関しては、書くのが初めてで、拙い点も散見されたかと思います(主にドローソースに頼りがちな点は痛感しております)。それでもなお、感想や評価をいただけた事、大変嬉しく思います。
さて、「ひとまずの区切り」としたのも、筆者はこの続編として書いてみたい話があります。
ただ、構成するのにまだ少々時間がかかるため、まずは最低限書きたかった話を書き上げて一度完結扱いとしました。準備ができ次第投稿を再開して行く予定です。
具体的には、3人目(4人目?)の転生者・テータにもう少しクローズアップしたり、これまでに登場した精霊界の住人、あるいはまだ登場していないキャラクターを書きたいなと考えております。
オリジナルカードにつきましては、ヴァーディクトのようにデッキの大半がオリジナルというデュエルは多分ないと思います。数もかなり絞られると思いますが、気長に待っていただければと思います。
最後になりますが、ここまで読んで下さり、本当にありがとうございました。
シリーズを再開した暁には、またご覧いただける事を心よりお待ちしております。
それではまた、お会いいたしましょう。