屋敷の玄関で、神妙な面持ちのミューゼシアの下へ俺は歩み寄る。
ドレミ界を統治する大天使は、改まって面と向かうと、威厳というものを強く感じた。見た目だけで言えば眉目秀麗な大人の女性だが、宿しているグランドレミコードの力がひしひしと伝わってくるのだ。
そんな彼女は、相ゆっくりと黒いケースを差し出してきた。俺はそれを静かに受け取り、視線で開けても大丈夫かを確認する。ミューゼシアが頷いたので、ケースのロックを慎重に外して蓋を開けた。
中に収められていたのは、箸よりも細く、そして長い一本の棒。手に取ってみるとプラスチックとは少し違う感触がして、わずかにしなる柔軟性があるそれはタクトだ。しかも、柄の部分には四つ葉のクローバーの装飾が施されている。
「それは私のグランドレミコードの力で作ったものよ。それを使えば、世界を結ぶゲートを開く事ができる」
「『浄化』で使うのと同じものでもあるわ」
ミューゼシア、そして傍に立つクーリアの説明を受けて、手に持つタクトに視線を戻す。
皆がドレミコードの力を扱うにあたって、普段から使用しているもの。それと同じものを手にするのは、俺がミューゼシアやクーリアからそれを持つに相応しいと思われているという事。そして、俺がそれを扱える力を宿していると信じているのだ。
「バトレアス。少しの間、頭を下げて目を瞑って」
「はい」
続いてクーリアに言われて、今度はそちらを向き頭を下げる。目を瞑ると、足音と漂う香りで、クーリアが俺との距離を詰めてきたのを感じ取った。さらに、頭に手をそっと置いてくると。
「――っ!」
一瞬で、熱が頭の中を満たした。だが、痛みや不快感はなく、弾けた熱もすぐに引いていく。
そして頭の中では、デュエルモンスターの世界共通の文字列が主張していた。
「今、あなたの頭に書き込んだ『それ』は、このドレミ界の『座標』よ」
顔を上げたところでクーリアに言われる。座標、とは決して地図上のそれではなく、次元的な意味もあるのは分かっている。
「書き込んだ、というのは……」
「決して忘れる事はない。それさえ覚えていれば、最悪どこかの世界に放り込まれたとしても、ここに戻ってくる事ができるから」
確かに、さっき頭の中で主張していた文字列……座標は、不思議な事にもう覚えてしまっている。前世では電話番号さえ覚えるのも時間がかかったのに、さっきの座標は既にそらで言えてしまうほどだ。書き込んだ、というクーリアの言葉は正しいかもしれない。
「後は、ゲートを開くだけだね」
そこで、壁際に待機していたファンシアが、何かのメモを差し出してくる。そこにはやはり、座標のような文字列が並んでいたが、さっき覚えたドレミ界のものとはまた違う。
「やり方は教えた通り。まずは座標を見て覚える。次にタクトを身体の一部のようにイメージして、握る指の先まで力を込め、覚えた座標を反芻しながらタクトを振るのよ」
クーリアに教わった手順はそこまで難しくはない。むしろ、行動自体は誰でもできるような簡単なものだ。
その簡単な事を特殊な技術足らしめるのは、普通の人間が持ちえない力。
そして俺は、その「普通の人間」ではなくなっている。
「……では」
一息つき、まずはファンシアから差し出された座標を覚えるところから始まる。先ほど覚えたドレミ界の座標とは違い、これは目と脳に命令をしてしっかり覚えなくてはならない。
そして次に、握ったタクトを意識しながら目を瞑る。ただ強く握りしめるのではなく、自分の身体の中を巡る血液や、心臓の鼓動を意識して、ゆっくりとその手に力を籠める。
さらに、タクトをひとつのアイテムとしてではなく、自分の手や指の延長線……骨と筋肉が通った身体の一部のように意識させる。余計な事は考えないように、冷静に、落ち着いて。
「ふっ――!」
座標を頭の中で反復させつつ、目を開けてタクトを縦に振る。
すると。
「……できたわね」
ミューゼシアが褒めるように、穏やかに告げる。
俺やクーリアたちの目の前には、光のゲートが出現していた。クーリアもミューゼシアもファンシアも、今は誰もタクトを持っていない。この場で持っているのは俺だけ。
つまりこのゲートは、俺が開いたという事。
そして、俺がドレミコードの力を持ち、人間ではなくなっている事を明確に表すものだった。
「……うん、大丈夫。ちゃんと繋がってるよ」
一足先にゲートの先を覗いたファンシアが頷く。下手をしたら、どこか知らない世界とゲートをつないでしまいかねないから、そこはかなり不安なところだった。
「よーし! それじゃあ行こっか!」
そしてファンシアは、さっきまでの緊張感はどこへやら、再びこちらを見るとにぱっと笑う。俺は頷き、まずはタクトのケースをミューゼシアから受け取ろうとしたが。
「私があなたの部屋に置いておくわ。だから、行ってらっしゃい」
「実にすみません……では、行ってまいります」
「念の為、タクトは持っていて」
本来ならミューゼシアにそんな事をさせるわけにはいかない。なのに、こちらの時間を優先してくれた事に感謝の念を伝えて、俺はファンシアと共に自分で出現させたゲートをくぐる。
その先に広がる世界は、未知のものではない。度々来た事がある、近代的な都市の世界だ。具体的には、その世界にある路地のひとつで、俺が初めてこの世界へ来た時も同じ場所に出た。
「うんうん、ゲートも無事に開けたみたいだし、まずは一安心だね」
「……とはいえ、皆さんと比べたらかなりゲートを開くのに時間がかかってしまいましたが」
「まぁ、初めてだし、そこはね?」
「浄化」に向かうドレミコードの皆を見送る時や、依頼主の下へ一緒に行く際、皆はタクトを手にしてからゲートを開くまでがあっという間だ。対して俺は数分ほど時間を要したため、速効性で言えば改善の余地は十二分にある。頻繁にゲートを開く事もそうないだろうが、速さは何とかしたいところだ。
そもそも今回俺がゲートを開いたのは、休日となってファンシアと出かける事が決まってから、他の皆のようにゲートが開けるかを試すためだった。タクトは事前に、もしもの事を考えて用意していたという。
「さて、それじゃあ折角の休日を楽しんでいこうか。バトレアスさんも、前みたいな感じでいいからね」
「……助かる、ありがとう」
最初にこの世界へ来た時も、ファンシアと一緒だった。そしてその際、敬語は無しで大丈夫との事だったので、今回もその恩恵にあずかる事にする。
今日はファンシアが言った通り休日だ。1日気分転換に集中できるのはありがたい。
「それで、今日はどうする?」
「んー……カードショップにでも行きたいかな」
「おや、珍しい」
てっきり買い物やデュエルアリーナに行くつもりかと思ったら、ファンシアのチョイスは少し予想外だ。カードゲーマーとしては休日にカードショップに行く事自体、何ら不思議ではないが。
「まぁ、ボクもデュエルを始めるにあたって、色々カードを見ておきたいなぁって」
「なるほど」
ヴァーディクトが直接ドレミ界を攻めて以来、キューティアやクーリアだけでなく、他のドレミコードの皆もデュエルを始めている。それは、あの手の輩に襲われた時に最低限戦える力を身につけるべきと考えての事のようだ。
いざという時、ドレミコードの皆を守るのは俺の役目だと考えている。それでも、ヴァーディクトの時は結果として、俺が人間を辞めざるを得ないほどのダメージを負ってしまった。皆もそこに思うところはあったらしい。
ここで「そんな事をしなくても俺が皆を守ってやります!」と言えるぐらいの気概があればいいのだが、残念ながら俺はそう宣言できるほど腕に覚えがあるわけではない。いや、デュエルに限らず、そんな強固な自信がない。
だからできるのは、デュエルを始めようとする皆のために、経験者として知恵と力を貸す事だけだ。
「じゃあ俺も、色々カードとか久しぶりに見てみるかな。後はデッキを増やしたり」
「お、いいね~」
キューティアやクーリアは、デュエルの腕を磨くためによく俺とデュエルをする。しかし、俺のデッキはドレミ界では【ドレミコード】ひとつだけのため、パターンを読まれやすいし、相手にとっても鍛錬には物足りなくなってくるだろう。だから、この機にデッキを増やしてみてもいいかもしれない。
ただ、カードショップの場所は分からないため、この世界に詳しいファンシアの先導で向かう事になる。デュエルアリーナとは方向が違うらしく、前に歩いた道とはまた違う通りを歩いていく。
その先に、異様に大きな建物があった。
「やっぱりデカいな、ブリッジヘッド……」
「だねー」
見上げるその建物は、ランドマークと言っても過言ではないほどの規模を誇る。何十階分もある高さ、ちょっとした劇場レベルの広さ。次元・時空を超える治安維持組織「
「今日は挨拶に行かなくていいの?」
「あっちもあっちで忙しいだろうしな。後、民間人が何度も出入りすると、いい印象を持たれないかもしれないし」
あのブリッジヘッドには、俺と同じ転生者のテータという青年がいる。分析官だという彼との接点は、ヴァーディクトの侵攻前後で話をした時ぐらいだ。あくまで顔見知りレベルだが、話していた際の印象は悪くなかった。
そんな彼も、今は「S-Force」で自分の職務を果たしているのだろう。
警察もそうだが、治安を維持する組織と言うのは仕事がない方が平和な事だと思う。けれどそうもいかないのが現実だ。だから、彼らが円滑に仕事ができるよう、特に用事もないのに時間を割かせるのは得策ではない。
「ヴァーディクトの事件も終わったし、何事もなければいいんだが」
「そうだねぇ。もうあんな事は二度と起きてほしくないよ」
精霊界全体を巻き込む騒動を起こしたヴァーディクトは、存在を消された。
できる事なら、あんな悲しみや怒り、憎しみを振り撒くような存在は二度と現れないでほしい。ファンシアもそれは同意見のようで、笑って頷いていた。
◆ ◇
ブリッジヘッドには、様々なタイプの会議室・取調室が数多くある。刑事ドラマなんかでよく見るオーソドックスなものから、多種多様なセンサー類が設置された部屋、果ては次元・時空を超えて通信できるものなど、まさに高い技術力をこれでもかと活用している。
そんな数ある会議室の一つに、テータはいた。
そこは、ブリッジヘッドの中で同じものがふたつとない特殊な場所。防音性がずば抜けて高く、部屋の外とはネットワークが一切繋がらない、完全なオフライン環境にある。だからスマートフォンの電波やWi-Fiは届かないし、内線の電話機も置かれていない。監視カメラや録音機、センサーの類もなく、この中で話される事は(告げ口でもない限りは)他の誰にも知られない。
そんな過剰に閉鎖的な会議室を使うのは、それだけ重要な秘匿情報について話す場を設けるため。使用するには司令官の許可と同席が必要で、実際今もその司令官はテータの視線の先にいる。
ここに来るのは初めてだが、テータは今回会議を開く側だ。そんな自分の視線の先には、「S-Force」の司令官だけでなく、上官や精鋭エージェントたちがいる。誰もがおちゃらけたりリラックスした風ではない、真剣な目でこちらを見ている。さっき水を飲んだばかりだが、既に口の中が乾燥し始めていた。
けれど、話をしなければ始まらない、事の重大さも伝わらない。だから、同じく壁際に立つプロフェッサー・ディガンマと視線を合わせ、頷き、備え付けのモニター――有線でデバイスにつなげる事でしか使えない――にリモコンを向けて操作と説明を始めた。
「……事の発端は、2週間前に確保した多次元強盗団『スナッチス』です」
人相の悪そうな男たちがモニターに映し出される。
それを見て鼻で笑ったのは、部屋の中でもコートを着て、帽子を被る西部劇のガンマンのような出で立ちの青年・オリフィス。この「スナッチス」を捕まえたのは彼をはじめとしたチームだ。態度からして、取るに足らない連中と言いたげだ。
「こいつらの練度に関しては二流、三流程度。押収品の大半は盗まれた美術品や金目の品、偽造カードといった具合で、これと言ってめぼしい品は
付け加えたのはディガンマ。分析官として、テータは押収品を一通りスキャンや精査にかけている。しかし、ディガンマは性格的にそういう作業も好むようで、率先して手伝ってくれている。だから今回、テータと共に報告をする立場に立ってくれた。
「『ほぼ』という事は、引っかかる点はあると?」
そんなディガンマの話し方に引っ掛かりを抱いたのは、オレンジの筋肉質な体の上にサイバーチックな鎧を纏った上官のラプスウェル。悪魔みたいな外見だが「S-Force」でも古参のベテランだ。
「それが、このカードです」
ラプスウェルの疑問に頷き、テータは次のスライドを見せる。
そこに映し出されたのは、アクリルケースに収められた1枚のカード。それ自体は、テータも前世で見た事があるカードだ。
「一見、何の変哲もないカードですが、このカードだけ他の偽造品や高級品等と違い、1枚だけ厳重に別個で保護されていたものです」
「そして分析した結果、このカードは莫大なエネルギーを宿している事が分かった。この薄くて小さなカード1枚に、だ」
ディガンマもまたリモコンを操作して画面を変える。そこに映された表やグラフの数値を見ても、エージェントたちはその力が如何ほどか測りかねているようだった。
そこで、椅子に座って足を組んでいたプラ=ティナが小さく手を上げてテータを見る。
「このエネルギー、ざっとでいいけれど……どれぐらいのものなのかしら?」
「概算ですが……このブリッジヘッドが外部からのエネルギー供給無しで数十年は問題なく活動できるほど、と」
テータの答えに、プラ=ティナは目を見開く。他の面子もその凄さを理解したらしいのが空気で分かる。
そもそも、「S-Force」で重要なシステムともいえる時空間転送装置は、プラ=ティナが宿している「時空を自在に歪める力」をベースとして開発されたものだ。開発には彼女も当然関わっているし、その装置がどれだけのエネルギーを消費しているのかも把握しているはず。だからこそ、数十年分のエネルギーを賄えるという事がどれほどのものかも飲み込めたようだ。ブリッジヘッドでそうなら、一般家庭の消費電力など世界が滅ぶまで余裕だろう。
「ま、それはあくまで平和的な使い方をした場合の話」
そしてディガンマが話を戻した。
「このカードのエネルギーは、様々なものに形を変えて順応し、扱う事ができる。インフラ、IT、AI、軍事、一次・二次産業……」
「つまり、使い方次第で大量破壊兵器にもなる、と」
神妙なトーンで告げたのは、赤い甲冑で武装する侍のような人物。壁際に立つエッジ・レイザーの言葉に、ディガンマは頷いて続ける。
「あくまで予想だが、同じようなカードが、最低でももう1枚はある。これ1枚だけとは考えにくい」
テータも頷いた。この手のものが1つだけというのは、あまり考えられない。
ちなみに、尋問担当が強盗団にこのカードの詳細を問い詰めたが、このカードが何なのかは知らないで盗んだとの事だ。ただ厳重に保管されていたから金になると思っただけで、深く考えなかったらしい。
つまり強盗団からは情報が引き出せない。ここからは全てが推測となる。
「1枚だけでさっき言った通りのエネルギーを持つとなれば、2枚、3枚と増えればそれだけ力も強くなる。色々な意味での『力』だ」
「5枚もあれば、新しい国を作る事だって十分可能でしょうし、技術の発展も爆発的に早まる。未来技術を一気に現実のものにもできましょう」
「テータのように平和的な考えの奴ならともかく、ヴァーディクトみたいな頭のおかしい奴が手にしたら、絶対に碌な事にはならない。下手すりゃ戦争になるし、それ以前にこのカードが戦争の種になる」
「加えて、そんなエネルギーを持っているとなれば……このカードそのものに、シンプルですが計り知れない値が付きます」
テータとディガンマの意見に、会議室が一層静まり返る。お洒落なBGMなど流れていない、静かな部屋の沈黙が、痛いほどになった。
このモニターに映っているカードは、ただのカードではない。世界をひっくり返すほどのエネルギーを蓄えている、危険な代物だ。
「なるほど」
そこで沈黙を破ったのは、オレンジの丸いフォルムの鎧で武装した人物。「S-Force」を率いる司令官のジャスティファイだ。
「だから、こうしてオフライン環境で私たちに話をしたというわけか」
「その通りです」
テータはジャスティファイの言葉に頷く。
このような話が洩れ出たら、どんな事態が起きるかも分からない。「S-Force」の局員を信用していないわけではないが、リスクは少しでも潰すべきだった。
「今これはどこにある?」
「ブリッジヘッドの最下層、特級証拠品専用の保管庫です」
「……先日の使用申請書はこれか」
「黙っていて申し訳ございませんでした。しかし、この件は非常にデリケート故、極力情報が外に出ないように注意する必要があったのです」
このカードを収めている場所は、ブリッジヘッドの中でも特に極めて危険な品を保管する際に使用する金庫。この会議室同様ネットワークから隔離され、アクセスするにはジャスティファイの許可が必須。保管するにはもってこいだ。
そこで、椅子に座っていたグラビティーノがモニターを指さす。
「仮にこれが複数枚あるとして、どうやって探す? 他の次元に散らばったりしていたら厄介だ」
「さしあたり、各次元に展開しているエージェントや、連携している組織には既に協力を要請しています。あくまで、所有者に害を及ぼす恐れのある違法カードとして、ですが」
「その情報もいつまで隠せるかは分からんな……」
ラプスウェルが首を振りながら告げた言葉に、テータは苦笑するしかなかった。今の時代、この世界ではちょっと調べれば情報はポンと過剰なまでに出てくる。情報の流出を抑えて誤魔化しても、いつまでも隠しきれるとは思えない。情報操作は急ピッチでやる必要があるし、情報が漏れたら協力者も敵に回る可能性もある。
「無論、気にすべきは他の治安維持組織だけじゃないがな」
ディガンマが画面を操作すると、「要注意人物」というタイトルのスライドが新たに映される。それらはいずれも「S-Force」が、追っている、あるいは危険視している犯罪者だ。前世から「S-Force」、ひいてはデュエルモンスターズを知っているテータからすれば、非常に身近なモンスターたちも数多くいる。
「特に気にすべきは、マスカレーナだ」
ディガンマが指さすと、ジャスティファイも頷く。他の面々も同様だ。画面に大写しになったのは、人を小馬鹿にしたように舌を出して笑う、《I:P マスカレーナ》。テータもよく知っているリンクモンスターだ。
「これまでの経験上、運び屋は構築するパイプが非常に多い。しかもクライアントとの連絡も最低限しかとらないし、口が達者で情報を簡単に白状しない。もし万が一、彼女にカードを奪われてどこの誰とも知れない依頼主の手に渡ったら、探すのが非常に困難になる」
だから、とディガンマはドアの近くに立っていた小夜丸に顔を向ける。
「気をつけろよ、小夜丸」
「分かりました」
この部屋にいるエージェントの中では、テータの次に新入りの小夜丸。だが、こうして重要な会議に呼び出されるぐらいには腕が立つ。そして、マスカレーナは現在小夜丸が担当している相手だ。それも、「S-Force」関連のカードやそのイラストの設定と合っている。
「各々、今回の情報は慎重に扱うように。不審なカードなどを見かけたら疑ってかかるように」
ジャスティファイが告げると、全員が「了解」と答える。
「司令官」
そこで最後に、オリフィスがジャスティファイを呼び止めた。撤収するつもりでいたテータや、他のエージェントたちもそちらを向く。
「このカードが何枚もあるとして……集めたらどうしますか?」
スライドに映る、特殊な1枚のカードをちらと見る。
1枚でも十分なポテンシャルを秘めたカード。それが複数枚あれば、世界を意のままに操れるも同然だ。
そんなカードを集めた後で、「S-Force」はどうするか。
「我々が管理し、制御する。他の世界の有象無象の手に落ちるより、その方が安全だ」
全員が頷く。テータも同意見だ。
こんなカードは一個人が持つには荷が重すぎる。であれば、多次元の秩序を維持するという全うな目的を持つ自分たちが持っていればいい。ただし、それは秘密裏に行われなければならないが。
「……分かりました」
オリフィスが納得したように答えた事で、場の緊張が緩む。
そしてテータは、画面に映るカードを見て息を吐く。ヴァーディクトの問題が終わったと思ったら、今度は得体の知れないカードの出現だ。
一難去ってまた一難が頻発するというのは、実にデュエルモンスターズの世界だ。そんな感じで半ば諦めながら、テータはデバイスの電源を落とした。
◇ ◆
精霊界のカードショップも、前世のものと同じところが多い。廉価のカードが突っ込まれたストレージや、高価なカードが保管されたガラスケース、さらにブースターパックやストラクチャーデッキも豊富に取り揃えている。
明らかに違うのは、販売品にデュエルディスクがある事。前世だったらデュエル用のマットやデッキケース、スリーブなんかが売られているスペースに、しれっとディスクも陳列されている。値段に関しては、家庭用ゲーム機と同じぐらいだ。そんな代物を俺は転生直後に装着していたので、ありがたみを一層強く感じる。
そして、ストラクチャーデッキやブースターパックのラインナップが前世とは全く違う。表紙を飾った事がないモンスターが表紙にいて、ストラクチャーデッキになった事がないテーマがデッキとして組まれているものもある。
何より、客層が幅広い。俺が知っているカードショップは、30代前半ぐらいまでの男性客ばかりだったが、今回訪れた場所は男女問わず、年齢も初老ぐらいの人まで来ていた。それだけ、デュエルモンスターズが身近なものという事か。
また、店内にはデッキ調整やデュエルをするための机がいくつもあるが、外にはデュエルディスクを使うデュエル――スタンディングデュエルというらしい――のためのコートが用意されてある。ディスクとデッキを一緒に買ってすぐ楽しむ、なんて事も可能になっていた。
「それじゃ、そろそろ行こうか」
「ああ」
そんな前世と精霊界のギャップをひしひしと感じつつも、買い物自体は問題なく終わり、ファンシアと一緒に店を後にする。
ファンシアはストレージを適当に漁り、「これとかどうなの?」と俺に度々尋ねてきた。それについてはいちデュエリストとしての意見を伝え、買うかどうかはファンシアの判断に任せておいた。結果として、ファンシアは汎用的なカードを数枚買うに留めたらしい。
そして俺は、ストラクチャーデッキを2つと、ファンシア同様ストレージで見つけた汎用カードを何枚か買った。
「同じデッキなのに2つも買うの?」
「1つでも戦えない事はないけど、2つ買っておけば使えるカードも増えるから」
ファンシアの言う通り、俺が買ったストラクチャーデッキは2つとも同じものだ。それも、前世ではストラクチャーデッキになっていなかったテーマで、かつ前世では紙で愛用していたデッキ。
同じものを2つも買うのはおかしく見えるらしいが、この買い方は珍しくないと思う。ストラクチャーデッキには、そのデッキ初出の強力なカードや、汎用的なカードを再録している事が多い。そういうカードを少しでも多く手にするために、この手のデッキは2~3個買っておくのがベストと言われている。
「いやー、それにしてもお腹空いたなあ。じっとカード見てたからちょっと疲れたかも」
店を出ると、ファンシアが背を伸ばしながら、絞り出すように声を漏らす。気づけばもうお昼時で、カードを眺めていると時間の流れは速く感じてしまうし、立ちっぱなしだと体力も消耗してしまう。ファンシアに言われて、俺も空腹感を覚えた。
「ファンシアは何食べたい?」
「今日はラーメンの気分かな。バトレアスさんはそれでいい?」
「ああ、大丈夫。むしろ俺も食べたい」
聞いてみると、ファンシアはまたジャンキーな料理を所望してきた。
ただ、ラーメンについては俺も前世ではそれなりの頻度で食べるぐらいには好物だ。そして転生して以来、食べた事がない。精霊界のラーメンがどういう感じかも気になるので、ファンシアの提案は願ったり叶ったりだ。
なので、ファンシアが以前行った事があるというラーメン屋に向かう。そこは、よくあるテナントビルの1階に店を構えていて、注文は席で行う至って普通のラーメン屋だ。外の看板とメニュー的に、提供されているのは豚骨の家系らしい。
「すみません、ただいま混み合っておりまして……相席でもよろしければすぐご案内できますが……」
だが、列に並んだところで店員――こちらも普通の人間だ――にそう言われた。俺とファンシアは顔を見合わせて。
「どうする? ボクは全然構わないけど」
ドレミ界の天使というイレギュラーな存在のため、他人との接触はできる限り避けた方がいいのではないか、という心配が俺にはあった。しかし、それを十分理解しているであろうファンシアが相席も構わないというのであれば、大丈夫なのかもしれない。
となると。
「……お相手がよろしいのであれば」
「かしこまりました、少々お待ちください」
あまり長時間立って待つのも少し疲れる。ファンシアがいいというならそれでいいし、別に「仲良くしろ」と言われているわけではないため、相席自体は問題なかった。
なので全ては、その相席をする相手次第。店員は一度店の中に戻り、ほどなくして「2名様どうぞ~」と中へ迎え入れてくれた。
中はあまり広くなく、ラーメンの熱気で少し蒸し暑い。客はほとんど男性で、スープの香りと、麺を啜る音がそこかしこから伝わってくる。久しぶりに感じる感覚だ。
そして肝心の相席の相手だが……至って普通の女性だった。黒い髪を長く伸ばして丸眼鏡をかけている。外見年齢だけで言えばファンシアよりも少し上ぐらいだろうか。何というか、こういうラーメン屋にあまり合わないイメージがある。どっちかと言えば、喫茶店で文庫本を片手にコーヒーを飲んでいる方が絵になりそうだ。
しかし、そういう失礼な印象は死んでも口に出さない。これで強面のおっちゃんと相席になったら、緊張で食事どころではなかった。この巡り合わせにまずは感謝する。
「……」
席に着くにあたって、俺やファンシアと視線が合った少女だが、黙って会釈をするだけで言葉を発さない。こちらも会釈を返して席に座り、店員に注文をするが、いかんせん赤の他人が目の前にいるのもあって、身内で会話するのも憚られる。
すると。
「お待たせいたしましたー、トッピング全載せ野菜多め麺硬め油多めでーす」
店員がごとりとテーブルに置いたのは、どんぶりの上に野菜がてんこ盛りのラーメンだった。家系のはずだが、トッピング次第ではこうも化けるものなのか。
そしてそれを頼んだのは俺でなければファンシアでもない。必然的に、相席した女性が頼んだものである。
「……えと、あの」
「どうぞどうぞ」
「こちらにはお構いなく」
その人は、これほどの量のラーメンを食べるのが恥ずかしいのか、照れくさそうにしていた。けれど、気を使わないように俺やファンシアが言うと、女性はまた会釈をしてラーメンをもくもくと食べ始めた。文学少女みたいな見た目のわりにえげつない量のラーメンを食している。人は見た目では判断できないという事だ。
それから少しして、俺とファンシアのラーメンも届き、ようやく昼食にありつけた。
味に関しては、特段変哲もない家系のラーメンだ。「À Table」の時みたいに、食べた人に何らかの作用を及ぼす感じはなく、普通に美味しい。ファンシアも来た事があるがゆえに、一心不乱に食べ進めている。相席の女性は……眼鏡がスープの湯気で曇りながらも食べ進めている。
そして、食べ終わったのは女性の方が少し早かった。「ごちそうさま」と女性は手を合わせて会計に向かうが。
「あ、あれ……財布……?」
女性がわたわたとポケットを探り始めた。聞こえてきた言葉的に、多分財布を失くしたか、忘れてしまったらしい。店員たちの目が鋭くなったのは、果たして気のせいだろうか。
「あ、あの……キャッシュレスって……」
「うち現金だけなんですよ……」
スマートフォンを取り出した女性に突き付けられた厳しい現実。その手の問題はこの世界にも存在するらしい。
そんな事より、彼女はこのままでは代金を払えなくなってしまう。俺はそうなった経験がないため、こういう場合にどうなるのかは分からない。けれど、おどおどしているその女性を見ていると、見て見ぬ振りをするのも何だが気の毒だった。
「あの、俺が払いますよ」
「えっ?」
呆気にとられる女性の前で、俺とファンシアの分も合わせて会計を済ませる。ファンシアは苦笑していたが、店側はお金を払ってもらえれば問題ないらしく、そこで食い下がりはしなかった。なので結果的に、俺が払ったのは実に3人分の食事代となる。
「あのっ、本当にごめんなさい!」
そして店を出るなり、女性は腰を90度折って頭を下げてきた。
「お気になさらず。今後は気を付けてくださいね」
「ええ、それはもう……!」
「もしどこかに落としたのなら、探すの手伝おうか?」
「い、いえいえ! それは流石に……!」
ファンシアが財布探しを提案するが、女性は丁重に断ってきた。そこまで手間をかけさせるのも本意ではないのだろう。
そこで女性は、スマートフォンを差し出してくる。
「本当に、すみません……財布が見つかったら必ずお礼をいたします。ですので、ご連絡先などを……」
「あー、そう言うの持ってないんですよね」
「えっ」
意外、という感じの反応を示された。確かに今の時代、スマートフォンや携帯さえ持たないのは随分珍しいだろう。とはいえ、ドレミ界で普段生活する以上はその手の電子機器類を持っていても意味がない。だから、ファンシアもその類は持ち合わせていなかった。
「でしたら……またお会いしたら、その際にお礼をいたします」
「……分かりました」
そう言って女性は、ぺこぺこと頭を下げながらその場を去っていった。
俺とファンシアはそれを見送ってから、別方向へ歩き出す。
「いやー、ホントお人よしだね」
「まぁ、明らかに困ってそうだったから手を貸さずにはいられなかったというか……」
あまり大っぴらに口にはできないが、デュエルアリーナでのデュエル2回でもらった賞金にはまだ余裕がある。何しろ食費・光熱費・生活費はドレミ界の屋敷にいる以上実質タダだし、お金を消費する機会も大体この世界で飲み食いしたり物を買ったりする時ぐらいしかない。
極論、金を使う機会がないのだ。だから、突発的とはいえ3人分の食事代を払うぐらいはどうという事はなかった。
「袖すり合うも他生の縁、て奴かな」
「縁、ねぇ」
「望む事と言えば、彼女が悪者じゃない事ぐらいだよ」
あの女性は、こちらの同情心を誘うような素振りもなく、本当に財布を失くした、あるいは忘れたようだった。これでもし、わざとあんな真似をしていたとなれば、流石に俺としても水には流せない。
そして、俺たちがドレミ界で暮らしていて、この世界で活動する頻度が少ない以上、彼女と出会う可能性は限りなくゼロ。であれば、もう俺としてはあの女性が善人であると信じる事ぐらいだ。本当にそうなら、いい思い出で済ませられる。
「それじゃ、気分を変えて次はクーベルさんのお店に行こ!」
「え、油系の直後に甘味……?」
そしてファンシアは、すぐに次の行き先を提案する。胃がもたれそうなチョイスで、「スイーツは別腹」にしたって段階を踏んでほしい。
とはいえ、最早馴染みとなってしまったあの店に行き、クーベルと話をするのは賛成だった。
「あー、こんなところに落としたのかぁ」
先ほどラーメン屋を出た丸眼鏡の女性は、裏路地で自分の財布を発見した。中身をざっと見てみるが、抜き取られた感じはない。
女性は拾った財布をバッグに戻し、引き返して表通りに戻ると辺りを見回す。
「あの2人、流石に遠くに行っちゃったよねぇ。探すのは難しいか」
首を横に振り、女性はバッグからスマートフォンを取り出して画面を点ける。
(……私の正体に気づいた感じはなさそうだった。けどあの2人、なーんか変な感じだったなあ。特に男の人の方)
カップルにしてはよそよそしかったが、気心知れた仲なのは見て取れた。
しかし気になるのは、あの2人の雰囲気ではなく、存在感。なんというか、普通の人間とは違う感じがした。だからこっそり自前のポータブルスキャナー使わせてもらったのだが、これと言った収穫はなかった。
「もしかして、私と同じだったりするのかな?」
女性はスマートフォンをバッグに仕舞い、息を吐く。
「借りを作りっぱなしって言うのも何だし、どうしたものかな」
女性はそんな事をぼやきながら、雑踏に紛れて次の目的地へと向かう。
その正体は、周りにいる誰も知らない。
《ラーメン
デュエルアリーナから少し離れた場所にある家系ラーメンのお店。
テナントビルの1階にあるそこは創業40年を超え、地元住民のみならず、デュエルアリーナの強豪デュエリストやS-Force、K9、キラーチューンと言った幅広い世代に愛される。
名物は豚骨醤油ラーメン。店主が朝4時から仕込み始める、創業当初から変わらない味が人気。脂はくどくなく、後味も口を支配しない程度に抑えられている。
長い事キャッシュレス決済非対応だったが、ある日ブラック・マジシャン・ガールが訪れた際、キャッシュレス非対応と知って入店しなかった事に店主が後悔し、最近キャッシュレス決済を導入した。