ドレミコードの従者は元人間   作:プロッター

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先に書き記しておきます
純愛です


第52話:2人だけの時間

「う……ん……?」

 

 声と共にクーリアが目を覚ましたのは、陽もすっかり落ちた夜。他のドレミコードたちや、バトレアスも眠りに就いた夜中だ。

 

「気が付いたのね」

 

 その様子を確認し、ミューゼシアは洩らす息、言葉と共に緊張を解く。

 起き上がったクーリアは、ミューゼシアの存在を認めると額を手で押さえた。最高の寝覚めに程遠いのは見て分かる。

 

「気分はどう?」

「……」

 

 尋ねてみるが、クーリアは答えない。どころか、どんどん表情が曇っていった。

 

「……その様子だと、何があったか全部覚えているみたいね」

「……はい」

 

 布団を握り締めるクーリアだが、すぐにがばりと顔を上げる。そこにあったのは焦りだ。

 

「バトレアスは……? 彼は……っ!」

「大丈夫。今は休んでいるけれど、元気よ」

 

 それを真っ先に心配するのも予想していた。

 そしてクーリアが危惧するような事にはなっていない。バトレアスはクーリアを看病するつもりでいたが、彼も顔色がよくなかったので休むように言いつけてある。けれど、命に別条がないのは確かだ。

 クーリアは、ミューゼシアの言葉で落ち着きを少し取り戻したらしいが。

 

「私は……何て事を……」

 

 罪悪感に苛まれるように俯く。

 そばにクーリアの妖精体が現れると、慈しむように優しくその髪を撫でた。けれど、クーリア本人は顔を上げない。

 

「……さっきの事についてだけれど」

 

 そこへミューゼシアは努めて優しく話しかける。責められると思っているのか、クーリアの肩が大きく震えた。

 

「そう身構えないで」

 

 少しでも安心させられるように言うが、効き目がほとんどないのは分かっている。だからミューゼシアは、クーリアの返事を待たずに話を続ける事にした。

 

「バトレアスから大体の事情は聞いたわ。あなたが妙なカードの力に汚染された事も、それで彼への気持ちが暴走した事も」

 

 話しながらミューゼシアは、クーリアの机に目をやる。そこにぽつんと置かれている薄い桐箱。その中には、バトレアスが言っていた「白紙のカード」が納めてある。

 デュエルの勝敗がついた後、クーリアは意識を失った。そんな彼女を、バトレアスは背負って部屋まで運んでベッドに寝かせた。それから食堂で、ミューゼシアを含めたドレミコードの全員に、どうしてクーリアがああなってしまったのか、その原因である「白紙のカード」が何なのかを、知っている限りで改めて説明してくれた。

 バトレアスから聞いたのは、使用者とその周囲に及ぼす影響。それだけでも、ミューゼシアは十分危険な代物である事を理解した。迷宮姫が過去のトラウマを増長されて暴走したり、冥府の神であるクルヌギアスをも退ける力を屍迷人に与えたりと、高名な2人を例に出されれば嫌でも分かる。

 そして。

 

「あなたは何も悪くないって、皆に訴えかけてたわ。バトレアスは」

 

 クーリアが、もう一度顔を上げた。

 今にも泣き出しそうな表情だ。

 

「あなたが普段とかけ離れた言動を取ったのは、あのカードが原因だった。そして、その大本にあった感情は、バトレアスが至らないせいで抱かせたもの。だからこそ、責められるべきは自分であり、あなたは何も悪くない、と」

「……」

「まぁ、あなたたちの普段の事もあって、最初からあなたや彼を責めるつもりの子はいなかったけどね」

 

 そうな、ではなく、クーリアは本当に泣き出した。

 その様子を静かに見守りつつ、ミューゼシアは少しだけ考える。

 

 当初はほとんど心配していなかったが、色恋でひと悶着起こる可能性をミューゼシアは考慮していなかったわけではない。

 これまでドレミコードは女しかおらず、そんな皆が暮らす世界に偶然にも転生したバトレアスは唯一の男。故に、関係性で何かしらの変化が生じるのではと考えてはいた。それが今まで、彼自身の性格か、それとも奇跡的な偶然か、大きなトラブルも無かったのだ。

 けれど、ヴァーディクトの襲来、そしてバトレアスがドレミコードに成り、クーリアがバトレアスに恋愛感情を抱いた事で、考慮していた可能性が現実のものとなった。このように捩じれ、拗れてしまうとまでは予想できなかったが。

 

 

「……私は、これからどうしたら、いいんでしょうか」

 

 ひとしきり泣き終えて、クーリアが涙に濡れた言葉を洩らす。問われても、ミューゼシアは首を横に振る。

 

「……それは、私も具体的なアドバイスはできないわ。何せ私にも経験がないもの」

 

 ミューゼシアもまた、ドレミコードの一員。普段はここよりさらに上位の世界で暮らしているが、そこでも男との交流は皆無。だから恋愛感情を抱いた事がない。

 バトレアスに対しては、よく働いてくれていると思っているし、ドレミ界を守った事への感謝もあって、悪感情は抱いていない。だが、恋愛感情までは抱いていない。

 他のドレミコードも同じだろう。バトレアスを好意的には見ていても、クーリアと同じような感情を持つに至る者はいないはずだ(いたらいたでまた別の問題が生じる)。

 だからこそ、ミューゼシアは勿論、他のドレミコードにだって、クーリアが直面している問題の有効な解決法が分からない。知識においては頭一つ抜けている勉強家のエリーティアなら、あるいは何か助言ができるかもしれない。しかし、彼女もやはり現実で同じような経験がないはずだ。申し訳ないが今は信頼性に乏しい。

 だからミューゼシアは、この問題について一切関与しない……ほど冷酷ではない。

 

「私にできるのは、『場』を用意する事だけよ」

「……え?」

 

 目で問いかけるクーリアに対し、ミューゼシアは脇に置いていた楽譜を1冊手に取る。

 それはバトレアスの話を聞いた後、他のドレミコードにクーリアの看病を任せ、組み上げた旋律。そして、クーリアとバトレアスのためだけに用意した空間の座標が記されている。

 

「クーリア」

 

 だが、その楽譜を渡す前に、クーリアに問いかける。

 

「あなたは今も、彼を愛している?」

 

 その問いに、クーリアは一も二もなく頷いた。

 どれだけバトレアスに痛い思いをさせ、後悔していたとしても、その気持ちは変わらないらしい。これでもし、もう愛していないなどと言ったら、天使として説教のひとつは考えていた。

 

「その気持ちに嘘がないのなら」

「……」

「本当にバトレアスを愛していて、ちゃんと向き合いたいのなら」

 

 言いながら、ミューゼシアはクーリアに楽譜を差し出す。

 

「これを使いなさい」

 

 差し出された楽譜を見て、クーリアは涙を拭う。

 そして躊躇わず、その楽譜を受け取った。

 

◆ ◇ ◇ ◇ 

 

 閉じた瞼に、わずかな光が当たる感覚。

 それを知覚すると、ゆっくりと意識が覚醒し始めた。

 

「……朝?」

 

 カーテンをちらと捲り、外を見れば既に空が明るくなっている。

 そしてすぐ近くには、ドレミ界では自生しないはずの、緑の草木がほんの少しのスペースにだけ生えている。それは、昨日のデュエルが夢ではなかった事を示していた。全部夢であってほしかったとまでは思わないが、現実なのを痛感する。

 昨日はデュエルの後、クーリアを部屋に運んでから、ミューゼシアを含めたドレミコードの皆に事情を説明し、どうにか理解を得られた。それからクーリアの看病をしようとしたのだが、ミューゼシアを始め皆に休むよう言われてしまったので、ちょっと仮眠を取ろうとベッドで横になったらもう朝だ。

 

「……はぁ」

 

 細かい事を思い出すと、自己嫌悪に陥る。

 

――俺はそんなクーリアの事が、大好きです!!

 

 あの時は、あの場でこそ自分の気持ちを伝えるべきだと思い、告白をした。あの気持ちに嘘はないし、今もそれは同じ。

 だけど、俺はクーリアを不安にさせてしまった事に変わりはない。加えて、あの白紙のカードに毒されていたとはいえ、俺がクーリアを嫌っているのかもしれないという疑念まで与えてしまっている。

 あの状況で想いを告げて、受け入れられただろうか。あの場を凌ぐための出まかせと、思われていやしないだろうか。

 

(……クーリアは、大丈夫だろうか)

 

 だが、今はクーリアが何よりも気がかりだ。すぐにベッドから出て着替え、身だしなみを整えて部屋の外へ出る。今の時間は普段起きるのと変わらない。朝食の手伝いの前に、まずクーリアの様子を見に行かなければ。

 問題を棚上げしている自覚はありつつもドアを開けると。

 

「……あ」

 

 部屋の前に、クーリアがいた。

 胸の前で右手を握り、甲をこちらに向けているところからして、きっとノックしようとしていたのだろう。出待ちの可能性は低い。

 そして俺は、クーリアの姿を目にした事で、昨日の出来事がフラッシュバックする。あのデュエルで感じた痛み、クーリアが露わにした感情、そして俺が告げた本音。

 

「……おはようございます。クーリア様」

「え、ええ。おはよう」

 

 だけど動揺はおくびにも出さず、できる限り朗らかに挨拶をする。

 

「お身体の調子はいかがですか?」

「もう大丈夫。ありがとう」

「そうでしたか……よかった……」

 

 まず心配だった、クーリアの体調。こうして外を歩けるあたり、もう問題はないのだろう。同じく例の白紙のカードの影響を受けた迷宮姫も数時間で目が覚めたらしいし、あくまでデュエルモンスターのステータスだが、彼女と同じレベルのクーリアも問題はないようだ。

 そしてそれを確かめられたとなれば、また言いたい事がある。

 

「……その、クーリア様。昨日は――」

「ちょっと待って」

 

 けれど話を切り出そうとしたら、それを遮られた。

 見れば、クーリアもまたどこか恥ずかしそうに目元を赤くし、傍らに持っていた楽譜を見せる。

 

「ええと、昨日の事も含めて……あなたとはちゃんとした場を設けて、ゆっくり話がしたいの」

「……はい」

 

 何について話すかはわざわざ問うまでもない。それは、俺が話したい事にもつながる。だから俺も、黙って反論する事なく頷く。

 

「だから、バトレアス」

「はい」

「2日間、私と一緒に外へ出ましょう」

「え?」

 

 場を設けるのはいいとして、それがドレミ界の外、しかも2日間とは流石に予想できなかった。

 しかしクーリアも冗談ではないらしく、楽譜を手にしたまま話を続ける。

 

「朝食の後、出発するから……先に準備をして頂戴。朝食の手伝いはしなくて大丈夫。グレーシアとエリーティアには話をしてあるから」

「はぁ……」

「とりあえず、1泊分の着替えと持ち物を用意して」

 

 ポンポン話を進められ、生返事を返すほかないまま、クーリアとの外出が決まっていく。

 

「それと大切な事」

 

 最後にクーリアは指を立てて、こう告げた。

 

「デュエルディスクとデッキは、置いて行って」

 

◇ ◆ ◇ ◇

 

 言われた通り、外泊の準備を整えてから食堂へ向かう。既にエリーティアとグレーシアが朝食の準備を終えていたので、非常に申し訳ない気持ちになった。何せ、朝食の準備はほぼ毎日手伝っていたのだ。事情があってもそれをしないのが非常にそわそわする。

 そして食堂に顔を出すと、ドレミコードたちが俺をみて安心したように笑ってくれた。昨日のデュエルもそうだし、白紙のカードについて説明していた時は身体がボロボロだったから、心配させていた自覚がある。だから改めて、全員が集まったところで心配をかけてしまった事を詫びる。

 同時にクーリアからも、俺を連れ立って2日この屋敷を空ける説明がなされた。

 

「……だから不在の間は、ミューゼシア様がこちらにいらしてくれる事になったの」

「分かりました。2人共ここ最近色々ありましたし、ごゆっくり羽を伸ばしてください」

「なんにせよ、クーリア様もバトレアスさんもご無事で安心しました……」

 

 説明を聞いて、ビューティアが微笑んで告げる。さらにキューティアも胸を撫で下ろし、それはドレミコードたちが全員思っている事らしく、他の面々も頷いていた。

 対外的に、俺とクーリアは休暇を取るという事になっており、それについて反対の声はない。とはいえ、俺とクーリアがどういう関係かは既に知られているだろうから、大した建前にもなっていないだろう。事実、エンジェリアとファンシアが生暖かい目で俺を見ている。

 そして心配だった、昨日の事で皆がクーリアを見る目が変わっていないかという事だが、これも杞憂らしい。ドレミコードの絆はちょっとやそっとで綻びたりはしないようだ。

 

 そして朝食を終え、流石に後片付けは手伝わせてもらった後、俺とクーリアはともに荷物を携えて玄関に向かう。クーリアの方は、やはり俺と同様1泊分の荷物を詰めたであろう鞄に加え、バイオリンのケースも持っていた。それは俺が持つと提案したが、やんわりと笑顔で拒まれてしまう。

 

「それじゃあ、行ってきます」

「2日間、お願いね」

『いってらっしゃーい』

 

 そこで改めて、屋敷に残る、あるいは「浄化」を行うドレミコードたちに出発の挨拶をするのだが、ほとんどの面子が微笑ましいものを見る目で見送ってくれた(ドリーミアだけは何か不満そうだったが)。

 そんな皆に見守られながら、クーリアがタクトを振ってゲートを開く。また以前のように手でもつないでしまうのか、と身構えたもののそれはなく、クーリアに開いたゲートを先に通るよう促される。

 それに従い、わずかに強い光に目を窄めながらも一歩前へ踏み出すと、新しい世界がそこにはあった。

 

「ここは……?」

 

 今まで見た事がない場所だ。

 どこまでも続く青い空と、ぽつぽつと浮かぶ白い雲。青々とした芝生が広がる大地、少し離れた場所には砂浜と海。その近くには赤い屋根の小屋がある。それ以外、周囲には建造物が見受けられず、生き物の姿もない。現実離れした景色ではないが、異界感、あるいは異国感のある場所だ。

 

「ついてきて」

 

 同じくゲートをくぐったクーリアの先導で、その赤い屋根の小屋へと向かう。遠目だと規模が分かりにくかったが、そこは近づいてみると、1~2人暮らしであれば十分な大きさの一階建ての家だ。

 その家の戸を、クーリアは少しだけ躊躇いつつも開ける。

 中は豪華でも質素でもない造りだった。キッチン、リビング兼ダイニングスペース、ベッドがふたつ。別のドアもいくつかあるが、多分トイレや風呂だろう。そしてドレミ界の屋敷同様、電子機器類はほとんど見当たらない。そんな家の中を見て浮かんだ第一印象は、「ちょっとお高めのホテル」だ。

 

「話をする前に……お茶もあった方がいいわね。コーヒーでいいかしら?」

「はい……って、それは自分が」

 

 荷物を置いたところで、クーリアが流れるようにお茶の準備を始めようとしたところで、俺もはっとする。いくら勝手を知っているのがクーリアだけとはいえ、全部任せ切りは悪い。だから手伝いを申し出たが。

 

「大丈夫。今日ぐらいは私にやらせて。バトレアスはくつろいでていいから、ね?」

「……分かりました」

 

 笑顔で押し留められ、昨日の事も含め俺にあまり無理をさせたくないのだろうと察する。

 仕方なく、ダイニングにある椅子に腰かける事にした。そこで、入り口からは死角になっていた場所に、アップライトピアノ――グランドピアノとは違って壁際に置く縦に長いピアノ――が据えられてあったのに気付く。

 

「~♪」

 

 一方のクーリアは、コーヒーの準備をしている間、鼻歌を歌いそれに合わせて身体を左右に小さく揺らしている。

 そんな姿を見ていると、自然と唇が緩んでしまう。楽しそうな姿を見ているのが楽しいから、と言うだけではない。クーリアを好きだと理解したからこそ、そう言う姿を見ていると胸が温かくなる。

 そんな普段とはまた違う一面が見られるのは嬉しいが、「ちゃんとした場を設けて話をする」と言われている以上、俺としては気が全く抜けないが。

 

「お待たせ」

 

 やがてクーリアが、コーヒーを注いだマグカップを2つテーブルに持ってきて、俺の正面に座る。断りを入れてから一口飲んでみるが、予想通り美味しい。

 

「……改めて、お話しさせてもらうけれど、いいかしら?」

「はい」

 

 クーリアも一口飲んだところで、切り出してきた。俺もコーヒーの後味から意識を背け、話を聞く事にする。

 

「……昨日は本当に、ごめんなさい。と言っても、あなたにはどれだけ詫びたらいいものかも分からないけれど……」

 

 頭を下げてくるクーリア。薄桃色の髪がテーブルに垂れる。

 

「昨日のデュエルであなたにぶつけてしまった言葉は……覚えているかしら」

「……ええ」

 

 覚えている。忘れるわけがない。

 あのデュエルは、クーリアに抱かせてしまった疑念も、俺がクーリアに伝えた言葉も含めて、この先忘れてはならないものだ。

 

「……私はあの時、例のカードに心を脅かされた。だけど経緯はどうであれ、私があなたを傷つけてしまった事に変わりはない」

「……」

「そして、私はあなたに、二度と戦ってほしくないと願い、デュエルを辞めるように言った」

 

 迷宮姫の時と同じく、クーリアも白いカードに汚染されていた時の記憶はちゃんとあるらしい。解放されたら綺麗さっぱり忘れてくれた方が、まだよかったかもしれないのに。覚えているせいで、クーリアは罪の意識に苛まれてしまっている。

 

「言い訳にしかならないけど、私はあなたを傷つけるつもりはなかった。普段だったら考えもしない事をしてしまった……本当に、ごめんなさい」

「謝らないでください」

 

 俺はその謝罪を、やんわりと受け入れつつも応える。

 

「あの時は、クーリア様もあのカードに操られていたのは分かっています。本意で俺にあんな事をしたとは考えていません」

「でも、あなたに言った事は……」

「心のどこかでは、思っているんですよね。それも、分かっています」

「……!」

 

 なんで、と言う風にクーリアの目が見開かれる。

 俺はコーヒーを一口飲んで、口の中を湿らせてから話す。

 

「迷宮姫様ですよ。あの方も、同じようなカードに操られて、暴走した。だけどその時の記憶を本人は覚えていて、しかも自身の過去の思い出や感情を刺激されていた」

「……」

「だからクーリア様も、俺に対して戦ってほしくないと思っていたのは、確かなんですよね?」

 

 決して俺は、クーリアを責めるつもりはない。ただ、聞き方が少し悪かったと思ったので、苦笑して見せると、クーリアは恐れるように首肯した。

 

「……あなたは責任感が強いから。どれだけ自分が怖くても、迷っても、私たちを守るために戦う事を選ぶ。それで、いつかあなたが命を落としたらと思うと、不安で仕方ない……。ヴァーディクトの時みたいな事が起きたらと思うと、もう……」

「それでも、それが俺の使命です」

 

 コーヒーのカップを両手で持ち、少しでも温かさを感じようとするクーリア。その手の上にさらに重ねるように、俺は両手でクーリアの手を包み込む。

 

「ドレミコードの皆さんが『浄化』を使命としているように……俺の使命は皆さんを守る事だと思っています。『浄化』と並べるのも烏滸がましいでしょうが……」

 

 今思えば、俺が転生したのは黒い鎧の侵略者――正体はヴァーディクトの分裂した意思――がドレミ界を襲ってくる直前の事。その時はキューティアもファンシアも戦えなかったから、結果として俺が戦い、ドレミ界を守った事になる。

 つまり、俺がこの世界に転生した意味、そして今の俺の使命は、あれが始まりと言ってもおかしくないかもしれない。

 

「そして……あなたが俺の事を好きでいてくれて、俺もあなたが好きだと知って」

「っ……」

「一層、あなたを悲しませないために、皆さんの下へ帰ってこようと思えるようになったんです」

 

 クーリアの手を、安心させるように、少し強く握る。

 

「ヴァーディクトの時はともかく、俺は皆さんの前で自分の命をどこか軽んじていた事は、確かにあったかもしれません」

「……」

「ですが、ドレミコードの皆さん……特にクーリア様の事を思うと、生きて戻ると自分を奮い立たせられる」

 

 視線を上げたクーリアを真っ直ぐに見据えて、告げる。

 

「あなたは、俺の戦う理由のひとつです。あなたを守り、あなたの下へ帰る……その想いがある限り、俺は戦えます」

 

 クーリアの瞳が潤んだが、すぐに眼を閉じて涙がこぼれるのを止めようとする。

 少ししてからクーリアは再び目を開けて、俺を見る。

 

「こんな私の事を……本当に好きでいてくれるの?」

「はい」

「あなたを傷つけて、勝手に不安になって、自分勝手でひどい事まで言ってしまって」

「そうさせたのは俺にも責任があります」

 

 俺が告白の返事を渋ったせいで、クーリアに余計な心配と疑念を抱かせた。その結果は全部俺ひとりで受け止めている。

 

「俺自身、気持ちがはっきりしないまま返事をしてあなたを傷つけさせたくないと、後回しにしてしまっていた。結果、あなたを不安にさせてしまった……俺の方こそ、本当にすみません」

「それは、あなたが謝ることじゃ……」

「そしてあのデュエルで、あなたの本音を知り、普段のあなたを思い返す事で、俺の気持ちもはっきりしました。あの時俺が伝えた言葉は、あの場を丸く収めるための方便なんかじゃありません」

 

 そしてもう一度、伝える。

 

「俺は、クーリア様……あなたの事が好きです」

「……」

「優しいのは勿論、笑顔が素敵なところも、俺を含めて皆に気を配ってくれる心の広さも……甘いものが好きってところも」

「ちょ、最後のは……」

 

 照れるように視線を逸らすクーリア。だけど、そういうちょっとした点も魅力なのは事実だ。

 

「あのデュエルで、俺は自分の気持ちに気づけました。だからこそ、クーリア様はもう気にしなくて大丈夫です」

 

 俺があのデュエルで傷ついたのは事実。だけど、クーリアへの想いも確かなものとなり、こうして想いは告げられた。そして俺自身、既に体調は問題がないし、クーリアも同じくこれまでと変わらない調子を取り戻せていた。

 つまりあのデュエルのおかげで、俺たちは前に進む事ができたと思う。

 

「……ありがとう」

 

 マグカップを囲むように握っていた手を解き、今度はクーリアの方から俺の両手を握ってくる。少し、震えていた。

 

「……本当に、ありがとう」

 

 涙に震えるクーリアに、しばらく自分の手を委ねる。髪や背中を撫でてあげたいところだったが、生憎両手がふさがっているためどちらもできない。だからここは、クーリアの気が済むまでそうさせる事にした。

 

 

「……この世界はね」

 

 やがてクーリアは、視線を上げた。握っていた手を解き、目元についた涙を指で拭う。

 

「ミューゼシア様が用意してくれたの。私とあなたが、誰にも何にも邪魔をされず、話をするために、って」

「……ミューゼシア様が」

 

 流石、グランドレミコードの大天使。世界を1つ作るのも造作もないとは、改めてその力の強さに驚嘆する。

 

「そして、この世界を用意された時に、こうも言われたの」

「?」

「ドレミ界だと完全な2人きりになるのは難しいだろうから……ここでゆっくり過ごしなさいって」

 

 顔を赤らめながら告げられて、俺もミューゼシアの気遣いの真意を理解する。

 つまり、こんな例えをするのも実にアレだが、「夫婦水入らず」みたいな感じでここで過ごせという事か。

 

「……あー」

「だからね、バトレアス」

 

 そしてクーリアは、笑って伝える。

 

「今だけは、ここでは、従者だからとか何とかで、気を使ったりしなくても大丈夫」

「……はい」

「そして、何か私とやってみたい事があったら、何でも言って大丈夫よ。できる限り、応えてあげるから」

 

 そう告げるクーリアは、とても楽しそうだった。

 多分、心配事がなくなって、俺の気持ちを知って、今こうして誰にも縛られずに俺との時間を過ごせる事が、嬉しいのだろう。

 そしてその顔を見て、俺もそのクーリアと一緒に過ごせるという事に、今更ながら楽しさと嬉しさを実感し始めた。

 とはいえ、やりたい事といきなり言われても、すぐには考えつかない。答えが思いつかなくて、部屋の中につい視線を移すと、ピアノが目に入った。

 

「……でしたら、ピアノを教えてもらう、なんて事は大丈夫でしょうか?」

「え?」

 

 その頼み事は、少し想定外だったらしい。きょとんとクーリアの目が丸くなる。

 

「いいけど……どうして?」

「何と言うか、ドレミコードなのに楽器のひとつも弾けないのは何か思うところがあると言いますか……」

「別にそんな事は気にしなくても……」

「それで、ピアノは前に習っていた事がありますし、まとまった時間が取れる今なら……と思いまして」

 

 ドレミコードの皆は、妖精体だけでなく人間体も演奏ができる。俺もイレギュラーとは言えドレミコードに成れたのだから、何か楽器のひとつでも挑戦してみたいところだった。電子機器類がデュエルディスク以外ないため、暇を持て余した際に時間が潰せないという欠点もある。

 そこで、ドレミ界の屋敷にもあるピアノを、この機にちょっとずつ勉強してみたいと思ったのだ。

 

「それに、前に聞いたクーリア様のピアノが、聞いていてすごく心地よかったのもありますし」

「……嬉しい事言ってくれるじゃない」

 

 さらに本音を付け加えると、クーリアはにっこりと笑った。

 そして、マグカップのコーヒーを飲みきると、クーリアは立ち上がる。

 

「それじゃあ、やってみましょうか」

 

◇ ◇ ◆ ◇

 

 1日ピアノの練習、までは流石に俺も考えていない。教えてくれるクーリアには悪いし、ミューゼシアもそのためだけにこの空間を用意してくれたわけではないのは理解している。

 だから、お昼近くになったところで練習は終了とし、それからはお互いにあまり肩肘を張らないで過ごす、と言う形になった。

 

「やっぱり、美味しいです」

「ありがとう。あなたにそう言ってもらえると、作った甲斐があるわ」

 

 練習の後で向かったのは浜辺。そこで海を眺めながら、並んでサンドイッチを食べる。用意してくれたのは勿論クーリアで、いつ作ったのかは分からないが、多分今朝の朝食の準備と並行して行っていたのだろう。

 いつか食べたのと同じクーリア謹製のサンドイッチは、やっぱり美味しかった。しかも外で食べるから美味しさが2~3割増しだし、海と言う広大な景色を眺めながら食べるのもまたいい。

 

「改めて、ミューゼシア様ってすごい力を持ってるんですね。こんな空間を作り出せるなんて……」

「そうね……。あの方には何かお礼をしないと」

「クーリア様も、グランドレミコードの力を宿しているから、こういう事もできたり?」

「やってみないと分からないけど……多分、まだ私にはできないと思うわ」

 

 そう告げるクーリアは、少し困ったように笑う。そこで俺も、クーリアがまだ自分の実力に自信が持てていない事に気づき、失言だったと後悔する。

 何か言葉でもかけてあげられたら、と思ったが、結局いい言葉が浮かばなかったので、傍にあったクーリアの手を握る。関係が変わり、周りに誰もいない今なら、こうしても問題はないはずだ。

 

「……ありがとう」

 

 そしてクーリアは、それを拒まず、積極的に指を絡ませてくる。

 

「あなたが戦う事を止めないで、私たちの……ううん、私の下へ帰ってくるって決意を胸に戦うのなら」

「……」

「私も、あなたが安心できるように強くなる。あなたが帰るべき私たちの居場所を守れるように……そして、あなたも守れるように強くなる」

「……はい」

 

 海を前に見つめ合って、決意を固めるクーリア。その意志は勿論、俺としても応援したい。支えたい。だからこそ、そこでは俺は何も言い返さずに、その言葉を素直に受け入れた。

 

 食事の後は、2人で散歩をする事にした。

 波打ち際を歩きながら、時折寄せては返す波に指をつけてみたり、他愛もない話をしたりする。

 

「バトレアスは、前世で海に行く事とかあった?」

「見るだけなら、何度か。泳ぎに行くって事は全然なかったですよ」

「そうなのね……私たちは、海があまり身近でもないから、海が当たり前にある世界って言うのも少し興味深いかも」

 

 ドレミ界に海はない。だから必然、海を見るには今のように、どこか別の世界へ行く必要がある。ゲートを開く事自体は難なくできるドレミコードたちならそれも容易だろうが、俺の前世みたく海が当たり前にある世界と言うのは珍しいようだ。

 

 海を離れた後は、一旦小屋に戻り、クーリアはバイオリンと楽譜を手に広い草原へ出る。俺は椅子を持つように言われ、草原の真ん中に椅子を向かい合わせに置く。

 そしてクーリアは、青空の下、バイオリンを自ら演奏する。いつかのクルヌギアスの御殿の時みたく、1人のために奏でてくれた。

 屋外で演奏をすると、屋内と比べて聞こえ方が異なる。しかしバイオリンの音色は優しく神秘的で、その上演奏するクーリアも優しい笑顔なものだから、聴いている俺も自然と笑みが溢れるし、心がとても休まるのを感じる。

 

「……どうだったかしら?」

「……素晴らしい演奏です」

 

 奏で終えたクーリアに問われて、混じりっけのない感想を返しつつ、大きくなりすぎない程度に拍手を贈る。満足したクーリアは、椅子に座って俺に向き直った。

 

「私がただ1人のためにバイオリンを弾くのは、あなたで3人目ね」

「あぁ、クルヌギアス様と迷宮姫様ですか」

 

 俺が答えると、クーリアはビンゴという風に頷く。

 冥界で普段クルヌギアスのためにバイオリンを奏でているのも、迷宮姫の要望で演奏会を開催しているのも、俺は実際目にしていた。

 ドレミコードの人間体が演奏する機会は、そこまで多くないという。その貴重な体験を独り占めできるというのは、光栄の極みだ。

 

「……もしや、デッキとデュエルディスクを置いていくよう言ったのは」

 

 ふと、気付く。

 俺の読みは合っている、とばかりにクーリアは苦笑した。

 

「折角2人きりなのに、あの方に茶々を入れられたくないし、あなたとの話を聞かれるのも、ね」

 

 クルヌギアスの力が宿った《閉ザサレシ世界ノ冥神(サロス=エレス・クルヌギアス)》のカードを、俺は持っている。それを通して、現実のクルヌギアスはこちらの世界に姿を見せて話をしたり、周りの話を聞く事ができる。だからこそ、クーリアはそうならないために、俺にデッキを置いていくよう指示したのだ。

 

「クルヌギアス様も、流石に事情を知れば介入はしないと思いたいですがね……」

 

 あの冥界の神にはデュエルで何度も助けられており、直接・間接問わず話もした事がある。それ故、泰然自若としているのと同時、打ち解ければひょうきんな面も見せるようになってくれた。そんなクルヌギアスが、今の状況にいたとしても、無暗に介入はしてこないだろう。断言できないのは、あの性格からしてやりかねないという可能性を捨てきれないからだ。

 するとクーリアは、困ったように笑う。

 

「……いけないわね、私」

「え?」

 

 どういう意図でそう言ったのか分からずに問い返すと、クーリアは青空を見上げた。

 

「クルヌギアス様は、冥界の神だけど……女性でもあるでしょう?」

「それは、まあ」

「こういう場所で、あなたと一緒にいるから……今は、神様であっても、他の女性の事を話してほしくないって思っちゃうの」

 

 それでようやく理解した。

 それは独占欲というものだ。 

 クーリアほどの人がそれを感じるのは意外、と思ったが、昨日のデュエルで露わにした感情から、その一端は垣間見えていた気がする。

 

「……ごめんなさい。こんなにも嫉妬して、今はあなたを独り占めしたいって思うだなんて」

「いえ、謝る事では……俺も軽率でした」

 

 むしろ、クーリアとこうして恋人同士となり、2人だけの場所にいるのに別の女性の事を口にした俺にも落ち度はある。クルヌギアスには本当に申し訳ないが。

 頭を下げると、クーリアは小さく笑う。

 

「今更だけれど……不思議な感覚だわ」

 

 クーリアは、何の気なしのつもりか、辺りの景色を見渡す。

 

「転生はともかく、私たちの世界にあなたのような人が来るとは思わなかった。ましてや、あなたと恋人同士になって、クルヌギアス様や迷宮姫にさえ嫉妬するなんて、考えもしなかったもの」

「……同じく、です」

 

 今はもうすっかり受け入れてしまっているが、まさかデュエルモンスターの世界に転生するとは俺も思わなかった。その上、自らが愛用しているテーマのエースモンスターであるクーリアと付き合えるなど、夢にも思わなかったものだ。

 

「私は今まで恋をした事がなかったけど……その初めてがあなたでよかった」

「……」

「私の事を()()()考えて、大好きって言ってくれたあなたで」

 

 照れくささと、申し訳なさが浮かび上がる。

 昨日のデュエルで、俺は勢いに任せ(勿論言葉自体に嘘はないが)、皆の前でクーリアの事が大好きだと告げた。随分と大胆な告白をしたものだと、今でも思う。

 しかしながら、真剣に考えすぎた結果、クーリアを不安にさせてしまったのも消えない事実。そこが俺にとっては、一番の後悔だ。

 

「クーリア様、俺は――」

 

 そこでクーリアの指が俺の唇に触れて、閉ざしてくる。その表情は、「気にしなくて大丈夫」と、俺の事情を全て把握しているように微笑んでいる。

 その言葉に俺は甘えてしまい、目を伏せるしかなかった。

 

◇ ◇ ◇ ◆

 

 やがて夜になり、夕食は俺がメインで作る事になった。

 ドレミ界の屋敷では未だにサブのポジションでしかないが、この世界に来てから俺はクーリアに色々与えられっぱなしだ。2人きりなのにそれは流石にダメだと思い、「あまり出来栄えがよくないかもしれませんが」と前置いて、OKを貰った末に料理当番を担ったのである。

 作ったのはカレーだ。野菜と肉の類はあったし(どうやって鮮度を保ったまま保存できていたのかは謎だ)、ミューゼシアの意図は不明だが市販のルーがあったので、どうにか作る事ができた。

 料理を普段からする人の中には、スパイスからルーを作る人もいるらしい。けれど、そこまでは俺もできない。実家暮らしだった頃の経験で、何とか一般家庭のカレーを作る事には成功した。特別でもなんでもないそれを、クーリアが嘘偽りなく笑顔で美味しいと言ってくれたのが救いである。

 だが状況が明らかに変わったのは、食後だ。

 

「ねぇ……バトレアス」

「はい?」

 

 食休みを挟み、食器の後片付けを2人でしていた時の事。

 

「一緒にお風呂……入らない?」

 

 クーリアがそんな爆弾発言を放ってきた。洗っていた皿を落として割らなかったのは、我ながらファインプレーだろう。

 そしてその発言で、ヌーベルズの料理店『À Table』での出来事を一瞬で思い出す。さっきのカレールーに、それっぽい成分でも含まれているのではないか、と勘繰った。しかし改めてクーリアは何かにやられた様子がない。発言自体にかなりの勇気が必要だったのか、顔は多少赤いが、正気なのは見て取れる。

 何より、俺とクーリアは恋人同士となった。よって、そのような行動を求めるのも、さほどおかしくはないのかもしれない。

 

「……大変魅力的な提案ではありますが、まだそう言うのは早いかと……」

 

 だが、勝ったのは俺の理性だ。ここで居酒屋みたいに「よろこんで!」と答えるほど、俺も気楽な性格をしてはいない。本音を9割含ませて答えると、クーリアはしゅんとした風になる。罪悪感が生じたが、転生直前の俺は社会人数年目だった。感情任せに行動に出ればどうなるかは、もう想像がつく。

 そうしてクーリアに申し訳なさを感じつつも、一番風呂はクーリアに譲った。

 その間、俺は部屋で手持無沙汰に外の景色を眺めるしかないのだが、また別の問題が起きる。

 

「……んー、いかん」

 

 窓から見上げる夜空は、ドレミ界の神秘的なそれとも違う澄んだ星空。前世なら深い山などでしかお目にかかれないそれは確かに素晴らしいが、それ以上に俺の平静を破壊しようとしてくるのは、風呂場の方から聞こえてくる水音だ。

 ドレミ界の屋敷にも浴場……風呂はあるが、そちらはスーパー銭湯の内風呂と同じぐらいに広い。だから普段は、近くを通りがかっても誰かが風呂に入っている時の音は全く聞こえなかった。

 だが、ミューゼシアが用意したこの家は、そこまでの防音性がないらしい。おかげで風呂の音が、丸聞こえとまではいかずとも、静かな今はちょっと耳を傾けただけで簡単に聞こえてしまう。

 つまり、壁一枚隔てた向こうで、クーリアが一糸まとわぬ姿で風呂に入っている。それを意識させられるこの状況は、俺によろしくない。

 

(……デッキ調整――って、置いてくよう言われてるんだった……)

 

 何かに集中しようとするためにデッキに手を伸ばしてしまうのは、デュエリストの性。しかし今はそれさえもないのだから非常に気まずい。

 そんな精神状態で過ごす事およそ数十分ほどで、クーリアが風呂場から出てきた。

 

「お待たせ。入ってどうぞ」

「ありがとうございます……」

 

 これでクーリアがバスタオル1枚とかだったら抗議も辞さなかったが、流石にそれはなく、クーリアはちゃんとチョコレート色のネグリジェ――幸い露出が少ないタイプ――を着ていた。そこに一安心し、俺も風呂を頂く事にする。

 だが、またしても別の問題が生じる。

 さっきも言った通り、ドレミ界の屋敷の風呂は広い。それ故、常に一番最後に風呂に入る俺は、それより前にドレミコードの皆が入っていたとしても変な気分になる事はほとんどなかった。

 けれどここの風呂は、普通の一般家庭にあるようなバスタブ。そこにさっきまでクーリアが入っていたという事実が頭から離れないせいで、風呂に入って間もないのに身体の奥が妙に熱くなってきた。

 

「……何だこれ」

 

 食後のクーリアの発言から、俺の精神は冷静とは程遠くなってしまった。改めて、ひとつ屋根の下で寝食を共にするという事の重大さを痛感する。ドレミ界でもひとつ屋根の下は同じだが、ドレミコードの皆がいるし、屋敷そのものが広いから意識してこなかった。

 やむを得ず、心を無にして天井を見上げるしかない。身体や髪を洗う時も、風呂場の壁を眺めながら適当に鼻歌でも歌ってやり過ごす。それで、多少は気が紛れた。

 そして、風呂と言うリラックスできるはずの空間で妙に気疲れしつつ、自前のナイトウェアに着替えて風呂場から出ると。

 

「……え」

 

 天井の明かりが切ってあった。

 代わりに、ベッドの横に置かれた丸いランプだけが点いている。完全な暗闇ではなく、寝る前には丁度いい穏やかな明るさだ。

 そのすぐそばのベッドに、クーリアが目を閉じて静かに腰かけている。

 その姿を見て、普段のドレスや洗練された私服とも違う、ネグリジェに妙な色っぽさを感じた。女性に対する印象としては中々に無礼だろうが、そう感じたのは事実だ。

 

「……お風呂はどうだった?」

「……ええ、いい湯加減でした」

 

 そしてクーリアは、俺を見て微笑み、優しく話しかける。風呂場で変な事を考えてしまったせいか、クーリアの言動に艶めかしささえ覚えてしまう。あまりそういった事を深く考えるとドツボに嵌るから、早いうちに場を流さなければ。

 

「じゃあ、ええと……」

 

 明日もあるし、もう休みましょう。

 そう言おうかと思ったら。

 

「ねぇ、バトレアス」

 

 クーリアに手を引かれて、横に座らされた。言葉が胃の中に落っこちる。

 

「……正直に、答えてほしいの」

 

 言いながら、クーリアはこちらとの距離を詰められるだけ詰めてきた。

 そのせいで、ずっと意識しないようにしていたクーリアの女性の証たる双丘……標準サイズは超えているだろう「それ」の感触が伝わってきて、取り戻しかけた平常心が崩れ始める。

 そして、至近距離にあるクーリアの美しい瞳には、俺しか映っていなくて、揺れていた。

 

「……私って、そんなに魅力がないかしら」

「そんな事は」

 

 間近で問われて、甘い吐息とやけにしっとりとした声が理性を全力で破壊してくる。攻撃力が凄まじい。

 そして、その質問は俺にとっては愚問だ。性格はもとより、外見も非常に整ったクーリアは、紛う事無く魅力的な女性だ。セクハラだなんだという問題に気を取られ言葉を濁してしまうのは、積年の人生経験で生じた弊害でもある。

 

「貴女はとても……綺麗で、美しくて……」

「……」

「貴女に巡り会えて本当に良かったと、心から思えるほどです」

 

 だけど、恋人同士になれたのだから、これぐらい言っても罰は当たらないはずだ。

 勇気を振り絞って、錆びついた語彙力に油を差して、今言える精一杯の印象を伝える。

 それが聞こえなかったはずはない、クーリアは。

 

「……っ」

 

 そのままにキスをしてきた。それも優しく触れるのではなく、溢れ出る想いのままに、といった熱さえも感じる。その勢いに押されて、ベッドに倒された。

 更にクーリアは馬乗りになって、唇を離すと自分のネグリジェに手をかけようとした。

 

「クーリア様」

 

 そこで俺が、クーリアの手首を掴んで動きを止めてしまったのは、最後の最後で機能した理性だ。

 

「……あなたは、嫌?」

 

 質問の意図が分からないほど、俺もバカではないと思う。

 この状況。都合のいい解釈でもなく、クーリアは「そう」するつもりでいる。

 この空間には俺とクーリアしかいない。このような2人だけの状況は、恐らくドレミ界に戻った後で作る事はかなり難しい。しかもここは、2人だけで心行くまで過ごせるようにというミューゼシアの計らいで作られた。

 だからクーリアが、そのミューゼシアの意図に則り、「特別な時間」を求めるのも不思議ではない。

 そしてその行為についても、関係が発展したクーリア相手であれば俺は受け入れたい。

 だけど。

 

「……俺を傷つけた事への申し訳なさとか、謝罪とか……そう言う理由でしたら、遠慮しておきます」

「……どうして?」

「俺に対してマイナスな感情を抱いたまましてほしくないからです。そうした痞えを抱いてするのは、俺も嫌ですから」

 

 よく聞く、「身体でお詫びを」とかそういう目的でするのであれば嫌だった。

 昨日のデュエルで、クーリアは俺の事を傷つけていた。それについてクーリアが、完全に水に流してスッキリできているとは考えにくい。それに以前、俺をドレミコードにした事についても後悔の念に駆られていた。

 だからもし、それらについて申し訳ないと思っているから慰めたい、とかの理由ならそれは受け入れられない。事実、さっきから身体に籠りつつあった熱は引き始めていた。

 こういうところが昔フラれた原因のひとつなんだろうな、と心の片隅で思ってしまう。

 

「……あなたに対して、そう言う気持ちがあるのは確かよ」

 

 それでもクーリアは、笑みを浮かべて俺を見下ろしている。

 俺の胸に置かれた手が、小さくナイトウェアを掴んでいた。

 

「だけど今は、それ以上にあなたの事を求めているし、求められたい」

 

 顔を近づけてくるクーリア。天井は見えなくなった。

 

「あなたと今日1日一緒に過ごして、近くに感じて……もっとあなたを近くで、深く感じたいと願うようになった」

「……」

「これまであなたには多くの負担を掛けてきた。その申し訳なさはある。だけど今この時は、それを塗りつぶすほどに……あなたが愛おしい。あなたが欲しい」

 

 いったん瞳を閉じ、呼吸を整えたクーリアは、俺と視線を合わせる。

 

「だから私はそうしたいの……あなたはどうかしら?」

 

 不安そうな、寂しそうな、ガラス細工のように触れれば砕けてしまいそうな繊細な顔。そんな顔でそう言われ、求められれば。

 断るのも、多くを語るのも、無粋になる。

 その想いを無下にする事ができなくて、身体に熱が再び蓄えられ始めた。

 だから頷きを返し、手首から手を離すと。

 

「ありがとう……大好きよ」

 

 クーリアは、今度は触れるようにキスをして、体を起こす。

 そして今度こそ、ネグリジェを脱ぎ去った。

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