小夜丸は、S-Force本部と連絡が取れず、また空間移動デバイスも使えなくなり、ドレミ界という世界で足止めを喰らっていた。
バトレアスをはじめとした、この世界に住む人(ドレミコードというらしい)たちは、小夜丸を解放する条件として、S-Forceも所持している「謎の力を持つカード」――ドレミコードたちが言うには「エグザム」――の詳細を話す事を提示してきた。
しかし小夜丸は、そのカードがどれほどの力を持っていて、どれほどの価値があるかを既に耳にしている。それ以前に、バトレアスは暫定的に危険人物。だからこそ、小夜丸はその情報をおいそれと話す事はできなかった。
その結果として、解放してもらえずにいるのだが。
「おかしくありません?」
小夜丸は思わず、誰かに対してではなく、その場にいる全員にそう問いかけた。
そして、誰もがそれに対して首を傾げている。その中で真っ先に口を開いたのは黄色い髪の少女――ファンシアだ。
「あ、目玉焼きはソースかケチャップ派だった? ごめんごめん、ナチュラルに塩コショウ振っちゃった」
「違います! そういう話をしてるんじゃありません!」
微塵も緊張感のない答えに、思わず小夜丸は立ち上がる。テーブルを叩きたい衝動にも駆られたが、食事の盛られた皿が並んでいるのでそれはできない。
「私、言ってしまえば捕虜ですよね!? なんで皆さんと同じ食事の席に着いていられるんですか!?」
そう、今は朝食の時間。そして小夜丸は、ドレミコード11人と一緒のテーブルで食事をするよう言われているのだ。
普通、捕虜というものは大体小さな部屋に隔離され、他人との接触を絶たれる。にもかかわらず、小夜丸に宛がわれた部屋は、普通に暮らす分には問題ない程度の家具が揃い、しかも鍵すらない。おまけにドレミコード全員からひとりずつ自己紹介をされ、終いには普通に食事までご馳走になっている。まるで年末年始に親戚の家で世話になるような感じだ。
「まあ、私たちがそう言う扱いの人を受け入れた事がないのもあるし……」
ミューゼシアは、コーヒーを一口飲んだところで小夜丸を見る。隣ではキューティアが緊張感皆無のままトーストを齧っていた。
「貴女がここにいるのも、お互いに本意ではないから」
「はぁ……?」
「あなたはここに来たくて来たわけではないし、私たちもあなたを捕まえたかったわけじゃない。そしてあなたは元居た世界に帰りたいけれど、帰るための道を開くと私たちの仲間も危険に晒される……だから結果として、あなたにはここにいてもらっているわけなのよ」
つまり、とミューゼシアは区切る。
「あなたにそう言った厳しい処遇を課すのも、心苦しいのよ」
「なっ……」
困ったように笑うミューゼシアだが、小夜丸からすれば信じがたいものだ。
「……私を拘束しない事で、今ここでバトレアスさんを始末するとは考えないんですか」
「そのつもりは最初からないんでしょう?」
間髪入れず小夜丸の心を読んだかのようにそう告げたのはグレーシアだ。彼女は一足先にデザートのヨーグルトを食べている。
「S-Forceがバトレアスを危険視している可能性は高い。けれどあなたは、本部とのつながりの一切を絶たれた今、具体的にどうすればいいのか自分で判断ができないのではありませんか?」
「……」
「仮にバトレアスを殺してしまえば、一連の騒動の詳細は分からずじまい。拘束しても、自力で本部に帰れないから意味がない。だからあなたはここにいる限り、バトレアスをどうこうする事はできない。違いますか?」
「っ……」
グレーシアに正論を叩きつけられて、何も言い返せない。その通りだからだ。
「それに小夜丸さん、ひとつ勘違いしてるよ」
「……何ですか」
やけにフレンドリーな感じで話しかけてきたエンジェリアは、牛乳を一口飲んでニッコリ笑顔で笑う。
「ちょっとやそっとじゃバトレアスさんに手出しなんてできないよ。だってクーリアさんが――」
「エンジェリア?」
妙な冷たさを覚える声が横から聞こえたと思ったら、エンジェリアの皿に隣に座るクーリアが笑顔を浮かべていた。よく見たら、目が薄っすら開いている。オーソドックスなホラー映像よりも恐怖を覚えた。
「私がどうかしたのかしら?」
「い、いやぁ、アレだよ! クーリアさんは強くて、バトレアスさんだけじゃなくて他の皆の事もちゃんと見てるから! だから何かあったらすぐ守るから、って言いたかったの! 決してクーリアさんがバトレアスさんの事大好きだから他の女の人が手出しできる余地なんてないって言うつもりはなかったからね!」
「あらエンジェリア、嬉しい事を言ってくれるわね。お礼にあなたの目玉焼きにタバスコをサービスしてあげる」
食卓に響くエンジェリアの悲鳴。果たして、今の状況がかなり微妙だと分かっているのだろうか。
「……」
そして、その騒動の隣で黙々と食事を続けているバトレアス。何となく表情が浮かないように見える。
口惜しい事に、グレーシアの言った通り、今はバトレアスをどうにもできない。となれば、彼は要観察対象。動向には十分気をつけなければ。
「で、小夜丸さんは目玉焼きは塩コショウでよかった?」
「……私は醤油派です」
「あー、醤油かあ。ごめんね、ウチにはないんだ」
ファンシアがこれまた気の抜けた話を投げかけてくるが、小夜丸は深く考えるのを諦めて朝食を摂る事にする。
悔しいが、美味しかった。
◆ ◇
S-Forceの職務ができない以上、ドレミ界の屋敷で小夜丸にできる事はなくなる。
なのでここは、屋敷の内部を調べるべきだ。バトレアス本人だけでなく、彼がいる場所についても十分有益な情報となりうる。
把握できる限り、小夜丸とバトレアスを除いて屋敷にいるのは10人。その誰もが、ただの人間ではないのが見て取れる。
ついでに言えば、バトレアスも以前ヴァーディクト関連の件で誤認逮捕した時と、雰囲気がわずかに違う気がした。その理由については、多分聞ける立場ではないだろう。
とにかくその全員が、小夜丸を含めたS-Forceのエージェントみたいに訓練されてはいないにせよ、民間人とは異なる力を持っているのは明らか。もしも、あちらが束になって小夜丸に襲い掛かってきたら、おそらくは敵わないだろう。
屋敷の規模は大きく、行動できる範囲だけで見れば2階建て。1階は食堂や談話スペース、浴場や炊事場といった共用の場がほとんどだ。2階はドレミコードたちの私室で、小夜丸に割り振られた部屋は2階、バトレアスの部屋は1階にある。
中でも気になるスペースは、吹き抜けになっているホールみたいな場所だ。朝にドレミコードたちが各々どこかへ赴く際に使っているここだけは、明かりがなく、厳かな雰囲気に満ちている。天井を見上げるが、見る限り高さは3~4階分に相当する。屋敷を外から見た事がないから何とも言えないが、この部分だけは屋根が高い位置にあるらしい。
「小夜丸さん」
「うひゃあ!?」
背後からいきなり声を掛けられて、軽く跳ぶ。振り返れば、申し訳なさそうな顔で笑っているバトレアスがいた。手にはほうきとちり取りを持っている。
「驚かせるつもりはなかったんですが……こちらに何か御用が?」
「いえ……ちょっと、ここが気になって」
まさか、内情を視察しているとは堂々と言えないので、嘘にならないレベルでの答えを返す。
するとバトレアスはこくりと頷き、納得する姿勢は見せたが。
「小夜丸さん。ここにいる間は自由にしていただいて構いませんが、こちらにはなるたけ留まらないようにお願いいたします」
「?」
「ここは、この屋敷でも神聖な場所ですので……」
どうやら屋敷の中でもここは特別視されているらしい。真相は後で探るとして、今は大人しくしておくことにしよう。
小夜丸はそう考えて頷き、その外へ出る。一方のバトレアスは、その神聖な場所を物言わず静かに、ていねいに掃除している。
「……聞いてもいいですか?」
「答えられる事でよろしければ」
「バトレアスさんは、いつもこの屋敷の掃除を1人で?」
「ついこの間まではそうでした」
嘘が混じっていない、事実を口にしたような答え方だ。これほどの規模の屋敷を1人で掃除しているというのは、俄には信じられない。それも、あんなほうきとちり取りなんてアナログなやり方で。S-Forceの官舎の自室は掃除機で掃除し、ブリッジヘッドも掃除ロボットが自動で掃除してくれるからこそ、小夜丸は現実味が湧かなかった。
「けれど最近、プリモア様がいらしてくれたので負担は多少は減りました」
「……他のドレミコードの方々は、掃除をしないんですか?」
「自分が来る前は、お休みの日の皆さんがそうしていたみたいですが、今は違います」
ほうきを掃くのを一度止め、バトレアスは小夜丸に向いた。
「皆さんは、身命を賭して大切な使命を果たしている。そんな皆さんが、少しでも日々の疲れを癒すためのこの屋敷の掃除は、自分がしたいんですよ。皆さんの手を煩わせるわけにはいきません」
そう語るバトレアスの笑顔は、ドレミコードの仲間に対する尊敬と、自分が無力である事を理解している諦めみたいな感情が入り混じったものだ。
正直、見ているのがつらい。
「プリモア様は、自分からお手伝いがしたいと申し出て下さりました。彼女もまた俺と同じ、他のドレミコードの方とは少し違う存在。だからこそ、この屋敷でできる事をしたいとの事だったので、ありがたかったです。まぁ、それでも1日で屋敷全部を綺麗にするのは難しいんですが」
そう言って、バトレアスはほうきとちり取りを片手にその場を後にしようとする。
話をしながらも掃除をし、その場を去る背中からは妙な寂しさを感じる。
「……バトレアスさん」
「?」
「よろしければ……お掃除、手伝いましょうか」
バカげた申し出をしたと、小夜丸自身思う。だけど自然と、そう口にしていた。
「……すみません、同情を誘うつもりで話したわけではなかったんです」
「いえ、ただ……こちらにいる間は少し手持無沙汰で。何かさせてもらえればと思った次第で」
掃除をするという名目があれば、色々細部を見る事ができるかもしれない。やる事がなくて暇と言うのも事実。さらに掃除は、程度こそ低いが運動の一種だ。トレーニングジムの類はなさそうなので、ここに軟禁されている間に身体が鈍ったりしたら本職に影響が出かねない。積極的に身体は動かしていたい。
……という「言い訳」を、頭が生成した。
「……でしたら、食堂の掃除がまだだったので、そちらをお願いしてもよろしいでしょうか。掃除道具はお貸ししますので」
少し迷ったのち、バトレアスは小夜丸の提案を受け入れてくれた。小夜丸、もしくはS-Forceに申し訳なさを抱いているからかもしれないが、とりあえずバトレアスは自分に対して厳しく当たっては来なさそうだ。
そこに安心し、小夜丸はバトレアスの後に続いた。
昨日今日とここで過ごし、昼夜の存在や時間の進み方は、小夜丸が元居た世界と同じらしいのを理解できた。
壁にかかった時計でもうすぐ昼時なのを確認したところで、バトレアスが食堂に顔を出してくる。
「小夜丸さん。これからお昼の支度をするのですが、パスタでも大丈夫でしょうか?」
「え、あ、はい。それは大丈夫ですが……そんな気遣いなんてしなくていいんですけどね。私は捕虜ですし」
昼食を選ぶ権利など与えられなくても同然の立場のはずだ。バトレアスを始め、ドレミコードたちは捕虜の扱いというものを知らないらしい。だから、皮肉も込めて答えるが、バトレアスは笑った。
「そう仰らず。立場上はそうかもしれませんが、自分たちはそう言った方への扱いがよく分からない故、とりあえず客人として扱っているんです」
それに、とバトレアスは食堂を見渡す。
「こうして綺麗にしてくださっているんですから。希望ぐらいは聞きますよ」
バトレアスに言われた通り、小夜丸は愚直に食堂の掃除をしていた。監視がいないのは小夜丸も気が楽だったが、食堂だけでは情報が全くと言っていいほど手に入らない。午後は別の場所も掃除したいところだが、まさかバトレアスはそれを考えてここを割り振ったのか。
ただ、掃除を評価してもらえるのはありがたい。それでも特に希望などは出さず、昼食は予定通りカルボナーラのパスタとなった。
『いただきます』
昼食をここで摂るのはバトレアスの他、プリモア、一時的に戻ってきたミューゼシア、そして休養日のドリーミアだ。他のドレミコードは、大体出先で食事にするらしい。なお、食事の準備をしたのはバトレアスとミューゼシアとの事だ。
「美味しいです!」
「ん、悪くないわね」
「ソースを作ったのはミューゼシア様なんですがね。自分はパスタを茹でただけです」
「あっ……すごく美味しいです、ミューゼシア様!」
「露骨に態度変えたわね……」
朝食の時とは違い、人数は少ない。それでも、和やかな雰囲気というのは変わらなかった。
S-Forceではどうだっただろう、と小夜丸は少し思い出す。たまに同僚と食事を摂る事はあったし、雰囲気も悪くなかったと思う。けれどやはり「仲間」という意識が強くて、今のバトレアスたちのように「家族」みたいな雰囲気ではなかった。
「あら、小夜丸さん。お口に合わなかったかしら?」
そこで、黙っていた小夜丸を心配してか、ミューゼシアが話しかけてきた。
どうやら彼女は、ドレミコードの中でも上位存在に当たるらしい。昨日のやり取りや朝食の席、さっきのドリーミアの態度の変わりようでそれには気づけている。
何より、バトレアスを含め他のドレミコードとはオーラが違った。
「いえ、とても美味しいです」
「そう、良かったわ」
冗談ではなく、カルボナーラは美味しい。全体的なとろみは申し分なく、味もまろやかで、ちょっとしたコショウのピリリとくる辛みがいいアクセントになっている。パスタも中心の部分には芯が少し残った歯ごたえのある状態で、絶妙なゆで具合だと思う。
ミューゼシアは、そんな小夜丸の反応を見て嬉しそうに笑うと、食事と談笑に戻った。
「バトレアスさん、あーんしてください! あーん」
「はいはい」
その向かいで、プリモアがバトレアスにあーんを強請っている。バトレアスが全くまごついたりしないあたり、日常的にある事らしい。
身長差もあるが、雰囲気はイチャついているカップルと言うより親子だ。
「……ロリコ――」
「ドリーミア様、言葉は慎重に選んだ方がよろしいかと」
そんな2人に剛速球の言葉を放とうとしたドリーミアを、バトレアスが制する。2人の仲はあまり良くないのだろうか。
頭の隅で考えつつ、昼食を食べ進める。
昨夜交わしたやり取り、提示された取引を小夜丸は忘れてはいない。「エグザム」についての情報を渡せば、小夜丸は解放される。
けれど、その情報を伝えるリスクは非常に高い。彼らはそのカードを2枚も所持しており、そのカードに宿っている力をあまり理解はしていない。もしそれを知れば悪い事になりかねないし、それを手放そうともしなくなるに違いない。
しかも現時点で、バトレアスにかかった容疑は晴れていない。本部では何か進展があったかもしれないが、今の小夜丸にはそれを知る手段がなかった。
(……皆さんは、それをちゃんとわかっているのでしょうか)
今、小夜丸がこの場にいる事で、緊張状態になっていてもいいはずなのに。
ドレミコードの皆からは、そう言った危機感を感じない。
それが小夜丸に、不安や焦りを植え付けていた。
その日は1日、掃除をしたり、プリモアにせがまれてトランプに付き合ったりしたものの、収穫らしい収穫は今一つだった。これでは完全に居候である。
ただ、夕方あたりにドレミコードは全員帰ってきた。どこへ行ってきたのかは分からないが、特に疲れた様子はない。何をしていたのだろうか。聞いても答えてもらえないような予感がする。
そして夕食の後で、小夜丸は浴場で気疲れを癒しているのだが。
「はー……」
隣にファンシアがいる。彼女は腕と脚を伸ばし、本当にリラックスしているようだ。
一緒に入ろうと言い出したのはファンシアだが、小夜丸は当初監視のつもりだと思っていた。しかし、彼女の気の緩みようからして、それは違うと気付かされる。そもそも、本気で小夜丸を監視するつもりなら、自分まで一緒に風呂に入る必要はないだろう。
「あの、何故に私と一緒に風呂へ?」
「裸の付き合いってやつだよ」
今度は天井に向けて腕を伸ばし、コリをほぐすファンシア。答えになっていない気がしたが、こうしている事で小夜丸も分かった事がある。
風呂に入っているから当然でもあるが、ファンシアは現在何も身に着けていない。身体つきはスマートだが、気にしているのはそこではなく、見た目が人間と同じというところが収穫だ。
このドレミ界は、S-Forceとのコンタクトが取れないほど隔離された場所にあり、小夜丸がこれまで訪れたどの次元・世界とも勝手が違う。加えて、彼女たちから感じる力や雰囲気は普通の人間のそれではない。
だからもしかしたら、服の下には人間とは違う体構造でもあるのかと思った。しかし、翼が生えているとか、肌の色が違うとか、身体の一部が異形だとか、そういうものではない。至って普通の、女の子だ。
「……小夜丸さん。いくら女同士だからってあんまりじろじろ見られるのはちょっと」
「あ、すみません」
無意識にファンシアを凝視してしまっていたらしい。気分を害するのは本意でないため、視線をそらしておく。
「それにしても」
ファンシアは、今度は小夜丸の方を見てくる。お返しのつもりだろうか、彼女はまとめ上げた小夜丸の髪を見ている。
「S-Forceって、言ったら治安維持のエキスパートなんだよね?」
「まぁ、大掴みに言えばそうですが」
「それでもちゃんと身なりに気を配れるっていうのは安心だね」
「安心……?」
聞き返すと、ファンシアはゆっくりと浴槽を出て、洗面台へと向かう。
「治安維持って聞くと、堅いイメージが強くてさ。周りに注意を払いすぎて、己を殺しているような感じがしたから」
「……」
「でも、小夜丸さんの髪は綺麗でね。そういうところに気を使える余裕があるっていうのが安心だよ」
それだけ言ってファンシアは自分も髪を洗い出す。
小夜丸は、自分の髪を触る。別に、異性に意識されたいなどという理由で手入れしているわけではないが、確かにそう言われると今までそうするだけの余裕はあったなと思う。
S-Forceの中には、職務に命を懸ける職員も確かにいるが、全員がそうではない。管轄する世界・次元・領域の治安を守るという理念を念頭に置いた上で、自分の時間とプライベートは保証されていた。そういうのはないものとファンシアは思っていたらしい。それは流石にブラックが過ぎる。
「……あなたたちは、どうなんですか」
「へ?」
「私は、あなたたちがどういう存在なのかが分かりません。ですが、何も無為に毎日を過ごしているわけでもないでしょう」
これは、ファンシアたちが何者なのかを知るチャンスでもあった。それとなく聞いてみると、ファンシアは髪を洗う手を止めて少し悩む仕草を取る。
「……まぁ、つらい事もあるかな。色々と」
「色々、ですか」
「具体的に何をしているのかは、悪いけど言えない。だけど、こうしてお風呂に入ったり、ご飯を食べたり、休みの日に出掛けたり……それぐらいの生活はできているから、逃げ出したくなるほどじゃないよ」
それに、と言ってファンシアはシャワーの蛇口をひねる。
「生まれた時から、ずっとそうだったし」
「……生まれた時?」
「うん。ずっとこうだったから、今更何とも思わないや」
信じられない言葉だった。
「小さい頃から」とか「昔から」ならまだ納得がいったが、「生まれた時から」というのは飲み込めない。
本当にこの少女たちは、何者なのか。
夜になり、小夜丸はひとりで部屋の外を歩く。この時間は皆も大体眠りに就いている頃だろうが、こういう時こそ見つかるものがあるかもしれなかった。
めぼしいものはないかと、まずは1階に降りる事にする。
だが、階段を下りる途中で、ピアノの音色が聞こえてきた。何の曲かは分かるが、その腕前は……ピアノも弾けず耳もそれほど肥えていない自分が言うのも何だが、いまいちだ。
生まれ故郷で培い、S-Forceで磨きをかけた忍び足でその音の出所まで向かう。そこは談話スペースで、そうなると音源はそこにあるグランドピアノだろう。
壁際から慎重に様子を窺うと、弾いているのはバトレアスだった。そのすぐそばには、クーリアが見守るように佇んでいる。こちらに気付いた様子はない。
「……うん、あの時より大分上達しているわ」
「ありがとうございます。けど……中々、クーリア様のようにはいきませんね」
なるほど、バトレアスはピアノの練習中、クーリアはその講師役のようだ。それにしても、階段を下りるまでピアノの音なんて聞こえてこなかった。この屋敷が広大なのと、防音性に優れているからこそだろう。S-Forceの官舎で夜にピアノなんて弾いたらまず間違いなく苦情が入る。
「音から伝わってきたけど……やっぱり、まだ不安?」
「……はい」
耳をそばだてて、会話に集中する。もしかしたら、何か重要なやり取りでもあるのかもしれない。
「まぁ、あなたの事だもの。一晩やそこらで立ち直れはしないわよね」
「……仰る通りで」
どうやら、バトレアスは何かに悩んでいるらしい。
とはいえ、一晩となればその悩みの種は小夜丸がここへ来た事。そして、街の中で破壊活動をし、S-Forceから逃げた事だろう。落ち込んでいるという事は、あれも本意ではなかったのか。
「やっぱり、もっといい方法があったんじゃないかって、何度も思っているんです。逃げ出すんじゃなくて、ちゃんと事情を説明すべきだったと」
バトレアスはマスカレーナと共に、現場から逃走した。小夜丸は直前の無線連絡でそう聞いている。その言い方からして、バトレアスはあの時突発的に逃げる事を選んでしまったようだ。マスカレーナの介入も、もしかしたらバトレアスにとっては不測の事態だったのかもしれない。
だが、そう言う事例は他にも色々ある。情状酌量の余地はあるが、無罪放免にはほど遠い。
「……後で考えついた策が最善だと後で気づいても、その時にはもう戻れません。だから、後悔するしかないんです」
肩を落とすバトレアス。
その姿は、昼に見た穏やかな様子からは少し想像がつかない感じだ。
「……ちょっといい?」
するとクーリアは、断りを入れて、バトレアスと入れ替わってピアノの前に座る。
今度はクーリアがピアノを弾き始めた。曲は小夜丸も聞いた事があるものだが、さっきバトレアスが弾いていた曲とは違うし、その腕前はバトレアスより遥かに上手い。滑らかで、明るさと優雅さを併せ持っている、聞いていてとても心地よい曲だ。
時間にして、およそ3分ほど。1曲弾き終えたクーリアは、バトレアスを見る。
「……どうかしら。あなたを少しでも元気づけられるかと思ったのだけれど」
クーリアは、落ち込んでいるバトレアスを見て、励ますためにピアノを弾いたようだ。確かに小夜丸も、曲を聞いた今はちょっとばかり心が和らいだのが自分で感じられる。
そしてバトレアスも、曖昧に笑っているのが横顔で分かったが、まだ気持ちは晴れていないらしい。
「……少し、こうしていましょう」
そしてクーリアは、その言葉と共にバトレアスを隣に座らせ、そっと肩を抱き寄せる。
そこまで見て、小夜丸は監視を止めた。どうやらあの2人は、ちょっとやそっとではない深い仲らしい。それ以上の事を見ているのは、いくら自分が内情を観察している身とは言え無粋に思う。
何より、バトレアスが落ち込んでいた姿を見ると、神経を尖らせ疑ってかかっている自分が嫌になってくる。
あくびをひとつ、少し無理やりに零してから、小夜丸は自分に割り当てられた部屋に戻る事にした。
◇ ◆
そうして小夜丸がドレミ界に来てから、6日が経過した。
その間、この世界で有益な情報といえば、バトレアスが普段生活している屋敷の構造と、その仲間のメンバー構成だけだ。ただ、彼女たちが何者なのか、何をしているのかというのは分からずじまいだった。
肝心のバトレアスも、屋敷では掃除や洗濯、炊事、何らかの書類整理に勤しんでいて、把握できる限り怪しいところはない。小夜丸という監視の目があるから目立つ行動をしないのかもしれないが。
そして情報収集をする傍ら、小夜丸はプリモアやファンシアに誘われてゲームに興じたり、掃除を手伝ったりしている。今や小夜丸は、仲間とは言わないにしろ、お手伝いか居候みたいな扱いに落ち着いてしまっていた。
しかもその状況に、妙な居心地の良さを感じてしまっているのも事実。
S-Forceの本部と連絡が取れず、小夜丸は知らない世界に1人放り出されたようなものだ。それでいて、ドレミ界の面々は小夜丸を拒絶するわけではなく、取引に応じなくとも捕虜としては破格の待遇をこうして与えてくれている。
監視対象であるバトレアス。この数日ほど観察し、彼の振舞や、時折見せる態度や本音で、件のB-14ブロックでの破壊活動は過失的なものと小夜丸は踏んでいる。今頃、S-Forceは彼への手配度を上げているのは間違いないだろうが、小夜丸は今やバトレアスをどう見ればいいのか分からなくなっていた。
そして、S-Forceの本職について意識を割くと、どうしても自分が孤立無援である事を強く考えてしまう。
忍びの里出身で、世の和と安寧を重んじる精神を磨くためと、里長の命によりS-Forceに入隊してから大分経つ。入隊当初もひとりぼっちだったとかではないが、ホームシックじみた精神状態になった事はあった。
今は、それに似たような感覚だ。外と一切連絡ができず、加えてドレミ界の皆が捕虜のはずの自分に優しすぎる。
「……はぁ」
布団の中で溜息をつく。
食事の後で食器洗いを手伝って、風呂に入って後はもう寝るだけ。実に実に健康的な生活を送らせてもらっている。いつもだったら書類整理、あるいはマスカレーナの調査などでまだまだ起きていたはずだが、自分が捕虜である事を忘れてしまいそうな好待遇だ。
だからこそ、今の状況が受け入れがたい。生来小夜丸は真面目だから(時折ミスをやらかす自覚はあるが)、今の状況に甘んじている事実を自分で受け入れられない。S-Forceにコンタクトを取れないからどうしようもないのだが、歯痒さは否めなかった。
S-Forceと連絡が取れない寂しさ、ドレミコードとの板挟みになっている状態、そして監視対象であるバトレアスから感じる哀愁。
それらが、小夜丸を悩ませていた。
「……」
不意に、左目が熱くなった。
ちょっと目を瞑ってみるが、涙がポロリと零れ落ちる。
今の自分が置かれている状況、そして整理がつかない気持ちに押されて。
「……誰か、助けてくれませんか」
そんな言葉が、口からついて出た。
自分のように、治安を維持するためにある組織の者が、軟弱な気持ちになってはいけないというのに。涙を流すなど、軽率にしてはいけないのに。
もう今日は寝てしまおう、そう考えて布団を被った。
その直後だ。
『―――――――――――――――ッ!!』
窓の外から、何かが聞こえた。
がばりと小夜丸は起き上がる。
窓ガラスに突風が吹きつけられているかのように震えていた。
「何!?」
こうなった時の小夜丸の動きは速い。
即座にカーテンを開ければ、ドレミ界特有の星空が見える。
その夜空を、純白の竜が翔んでいた。