「バトレアス……しっかりして……!」
最後の攻撃を見届けた後、バトレアスは前のめりに倒れてしまった。クーリアは、それを支えられるほどの体力が残っておらず、何とか身体を起こすので精いっぱいだ。
その時、クーリアの背後でゲートが開く。そしてすぐさま、ドレミコードの皆が戻ってきた。デュエルが終わり、ひとまずの脅威が収まったからだろう。
「大丈夫!?」
「ひどい怪我……」
ファンシアとエリーティアが駆け寄り、バトレアスの容態を確認する。
さっきの《
だが、あのカードは間違いなくエグザムだ。
バトレアスがまともにエグザムによるダイレクトアタックを受けたのは、クーリアも知る限り今回が4回目。しかし、このデュエルで使われた《神光の龍》は今まで見たものより遥かにエネルギーが強かった。それを受けたのはクーリアもだが、バトレアスは直に食らったのだから、肉体的なダメージは大きいに決まっている。焼け爛れ、不快感もある匂いが漂う背中がそれを物語っていた。
「……しっかり、して!」
「バトレアスさん!」
それでもクーリアは、ビューティアの補助を受けつつバトレアスに寄り添い、声を掛ける。
そしてすぐそばでは、プリモアがバトレアスの手を握り、縋るように名を叫ぶ。
だけど、バトレアスは微動だにしない。駆け寄ったキューティアが身体を揺すっても反応を示さなかった。
思い出すのは、ヴァーディクトの戦いの後の事。あの時も、バトレアスは意識を失ったままでいて、クーリアが力を与えなければ死んでしまっていた。
今は状況こそ違っても、その時に近い状態だ。たまらず胸を押さえる。
「お待ちを」
そこで声を掛けてきたのは、ドレミコードの誰とも違う女性の声。
全員がそちらを見ると、さっきまでデュエルをしていたミネルバがこちらへ歩いてくるところだった。けれど、さっきまで巻いていた目隠しを外し、青い瞳が露わになっている。しかも、デュエルの時みたいな感情が籠っていない感じではなかった。一方のミカエルは未だドレミ界の大地に倒れている。
「何をなさるおつもりですか?」
真っ先にバトレアスを庇うように立ったのはミューゼシアだ。さらに、他のドレミコードたちもバトレアスを守るように姿勢を変える。さっきのデュエルでは終始無感情で、あのミカエルの配下だ。何をしてくるか分かったものではない。
こちらの態度は当然、とばかりにミネルバは目を閉じて頷き、どこからともなく錫杖を取り出す。
「私であれば、すぐにその者を救えます。どうかお任せを」
「信用なりません。あなたはさっきまで――」
「もしも危害を加えると判断されたら、すぐに殺していただいて結構です。この状況、私ひとりでは太刀打ちできませんし」
ミューゼシアに厳しい言葉を浴びせられても、ミネルバは微笑んでいる。変に強気な態度を取られるより、嘘がないと思わせるような顔つきと言葉。
ミカエルは気を失い、周りにいるのはドレミコードと小夜丸。ミネルバの味方がいないからこそ、数的優位はこちらにあるのをお互いに理解している。その上での申し出は、ハッタリではないだろう。
「……」
ミューゼシアたちも、ミネルバが本気だと感じ取ったらしい。ひとり、またひとりと道を空け始める。ミネルバは、ひとりひとりに対して「ありがとう」と会釈をし、バトレアスとの距離を近づけていく。クーリアも一抹の不安を感じつつ、ミネルバに道を譲った。
プリモアは、最後まで倒れているバトレアスの手を離そうとしなかった。しかし、ジッとミネルバを見つめた後、恐る恐る手を離して後ろに下がる。にこり、とミネルバはプリモアに向けて微笑んだ。
「では……」
ミネルバは、倒れたバトレアスに向けて右手をかざす。
ゆっくりと、静かに、ミネルバの手に淡いオレンジ色の光が宿り始めた。その光は、穏やかな川のようにバトレアスの身体へと注がれ、全身を包み込んでいく。
クーリアがその様子を注視していると、みるみるうちにバトレアスの焼け爛れた背中が元の皮膚を取り戻していく。やがて、痕も残さずスーツまで元通りになった。
そして。
「……う、あ……れ?」
身体を重たそうにしながらも、バトレアスは起き上がった。何が起きたのかわからない、と困惑している顔で。
「バトレアスさん、よかった……!」
そして、すぐさま抱き着くプリモア。クーリアだってそうしたい気分だったが、安心感とデュエルの疲労で、膝から崩れ落ちそうになる。ビューティアが慌てて支えてくれたのが嬉しかった。
だけど、プリモアはクーリアの意思を一部宿している。プリモアが自分の分までバトレアスの無事を喜んでくれているのは、何となくだが分かった。
肝心のバトレアスだが、なぜ自分が無事なのかを理解していないようだが。
「此度の戦い、あなた方には返せぬほどの無礼を働いてしまいました。申し訳ございません」
ミネルバが、バトレアスとクーリアに向けて頭を下げた。今度は、深く。
しかし、謝罪を受け入れる前に、クーリアは聞きたい事がある。
「……謝るぐらいなら、何故こんな事を」
「言い訳がましい事は重々承知ですが……ミカエル様の手で、私は意識に鍵をかけられていたのです」
「鍵……?」
ニュアンスが伝わりにくく、キューティアが問い返すとミネルバは小さく頷く。
「見たもの、聞いた事についての記憶はあります。けれど、それについて何かを『考える』事ができなかったのです。自分の意思の介在が許されず、勝手に身体が動いてしまった……先のデュエルでも、ミカエル様の手助けをするよう制御されていました」
そういえば、あのデュエルでミネルバはどこか機械的にデュエルを進めていた。あれも、ミネルバの感情とそこから生じる思考を封印されていたからか。
「そもそもなぜ、ミカエル様はそんな真似を? あの方は、そう言う事をする方ではなかったはずですが」
ビューティアが尋ねると、ミネルバは後ろを振り返る。ミカエルの様子を窺っているようだが、未だ倒れたままだ。流石に放っておけないと判断したファンシアとグレーシア、ミューゼシアがそちらへ向かい、容態を確認している。
「……ミカエル様の様子が変わったのは、2~3か月ほど前の事です」
こちらに視線を戻し、ミネルバは話し始める。
どこか、後悔しているような口調だ。
「皆様は御存じかとは思いますが、我々は助けを欲するか弱き者の求めに応じて次元を超え、敵対する悪しき勢力を殲滅する。そういう使命の下動いております」
「ええ、それは聞いているわ」
「ですがある日、ミカエル様は思い立ったように告げたのです」
ミカエルを振り向くミネルバの表情は、悲しそうだった。
「いつまでも受け身のままでは、助けられる命も助けられない。こちらから不穏な勢力を先んじて滅する方が良い、と」
「ライトロード」は正義感に満ちた集団だと、クーリアも理解はしている。決して、今回のように自分たちの独断と偏見で他者を攻撃したりしない。
けれどミカエルのその決断は、疑わしい人や集団を先に攻撃するという、彼らの理念とは食い違うものに思える。
「当然、私を含め他の者は反対しました。けれど、私たちの対応が遅れた結果、少なくない命が喪われているのも事実……。それをミカエル様はこれ以上避けたいと力説されたのです」
「……」
「我々ライトロードには、種族・性別を問わず多くの者がいる。そんな彼らを今日まで統率し、それ以前に『ライトロード』という組織を創設したミカエル様の言葉には、重みがありました」
「……だから、誰も最後まで反対できなかった、と」
ミネルバはエリーティアの言葉に頷き、さらに続ける。
「私はそれでも、ミカエル様の方針にはどうしても納得がいかず、何とか考えを改めるように進言しました。けれどミカエル様は聞き入れず……これを」
そう言ってミネルバが差し出したのは、紫色の目隠し。奇妙な紋様が描かれているそれは、さっきのデュエルでミネルバがつけていたものだ。これで、意識を奪われてしまったというわけか。
話を聞く限り、エグザムの真の持ち主はミカエルだ。しかし、デュエルでそれをフィールドに出したのはミネルバ。あちらが《神光の龍》を何枚持っているかは知らないが、エグザムを彼女に使わせたのは、自分への負担を抑えるためだったのかもしれない。
「その後、ミカエル様の主導で、我々の世界の内外問わず、不穏な因子を軒並み襲撃し……さらにはより広範囲をカバーできるように力をつけていった」
「……ここを探知できるほどに」
ドリーミアが零し、ミネルバは目を伏せる。
その時だった。
「……概ね、ミネルバの言う通りだ」
男の声がした。さっきのデュエルで嫌でも聞いたミカエルのもの。彼は起き上がると、介抱していたミューゼシアたちに頭を下げてからこちらへ向かってくる。
クーリアはバトレアスを庇うように前に立つ。ビューティアに支えられずとも、それぐらいはできるほどに回復している。
だが、やがて歩み寄ってきたミカエルは、片膝をついた。
「あの時の私は……こういう単純な言葉で片づけるのも何だが、どうかしていた。あれが正常で、こうする以外に道はないと追い込まれたようだった」
後悔するように、自嘲するようにミカエルは笑う。
「我々は正義を掲げていながら、助けられなかった命もある。それについて深く後悔していたし、それでも正義を捨てたくないと思っていた。だが……」
「……ミカエル様」
言い淀んだミカエルに対して、クーリアは問いかける。
今はもう、ミカエルから毒気を感じない。クーリアの知る、正義感溢れるライトロードの創設者の顔に戻っていた。さっきのデュエルで見た、人を見下す傲慢な男ではない。
「ミネルバ様は、2~3か月ほどまでに貴方が変わったと仰っていました」
「……ああ、それぐらいだ」
「その時あなたは……妙なカードを拾いはしませんでしたか?」
「……!」
ミカエルは図星だとばかりに顔を上げ、目を見開く。
そして、プリモアとエンジェリアに支えられながら立ち上がったバトレアスは、スーツの胸ポケットに手を突っ込む。
やがて、1枚のカードが取り出された。
「……そう、そうだ。まさしく、そのカードだ」
バトレアスが手にしていたカードを見て、ミカエルは声をわずかに震わせながらも頷いている。
そのカードは、何も書かれていない白紙。けれど紫色の淡い光を放っている。これまでにドレミ界で入手した白紙のカード……エグザムと同じだ。
「そのカードを手にした時から……私の意識は、靄がかかったように曖昧になって……かつての自分では考えつかないようなものも、正常なものと思うようになってしまった」
「……」
「そして、『正義のために疑わしいものを排除する』という使命を掲げて、力を求めるようになった」
その話を聞き、クーリアはバトレアスを見る。彼もまた、クーリアを見返し頷いていた。
ミカエルも、迷宮姫やクーリア自身と同様、エグザムのカードに汚染されていた。《神光の龍》を前にした時に感じたプレッシャーは、それによるもの。
しかも今回は、最初にミカエルが姿を見せただけでその気配を感じ、《神光の龍》が及ぼした影響はこれまでの事例より遥かに強かった。それは、それだけミカエルがエグザムの影響を強く受け、使いこなしていたからだろう。
「ミカエル様。私たちも、これと同様のカードを2枚所持しております」
「何……?」
「このカードは、危険極まりないカードです。それこそ、ライトロードの皆様方が憂う、多くのか弱き命を理不尽に奪い、世界を危険に晒し、秩序を乱すもの……」
クーリアは、一度バトレアスからカードを受け取り、ミカエルに見せる。その上で危険性を説いた。
「ですのでミカエル様、このカードはこちらで預からせていただいてもよろしいでしょうか」
クーリアの申し出に、ミューゼシアの目つきが鋭くなったのを感じる。
だが、ミカエルたちに持たせていると、また同じ事が起こらないとも知れない。それに、こちらにはこのエグザムのカードについて少し詳しいバトレアスがいる。事情を話して返すより、その危険性を十分に思い知っているこちらで保管した方が安全だろう。
「……そのカードは、我々が持つには大きすぎるものだった。けれど君たちは……それを制御できると?」
「いいえ」
ミカエルに問われるが、きっぱりとクーリアは否定する。だってクーリア自身、このカードに飲まれてしまったのだから。
「恐らくですが、このカードを……まともな心を持ったまま扱えるものは、ひとりとしていないでしょう」
「……」
「なので私たちも、このカードの力を使う事はありません」
バトレアスは、先日都市の世界でウィズダムと名乗る男と遭遇し、彼はエグザムを5枚集めたらまた姿を見せると言っていた。なので目下、ドレミ界ではこのエグザムを5枚集め、改めてウィズダムと話をするのを目的としている。
それまでも、それからも、こんなカードを使うつもりはさらさらなかった。
「……元々、私たちは君たちの世界に無遠慮に立ち入り、あまつさえ傷つけた身。罰せられるのも当然な今、拒む資格もない」
ミカエルはそう告げて、バトレアスに目をやる。
「……本当に、済まなかった。そのカードに汚染されていたとはいえ、君を含めたドレミコードたちを侮辱し、身も心も傷つけた。ライトロードの創始者として、恥ずべき事だ」
「……いえ」
頭を下げられ、バトレアスは複雑そうな表情になる。
大火傷を負っても、ドレミコードを侮辱したミカエルに対する怒りの気持ちを原動力に、バトレアスはデュエルを続行して勝利した。その相手がエグザムに汚染されていて、誠実に謝罪されたのだから対応に困るのだろう。
「そして……」
ミカエルは頭を上げると、傷ついたドレミ界の屋敷を見上げる。
そこでミカエルは、どこからともなく剣を取り出して屋敷へ向けると、その切っ先が強い光を放つ。その輝きに目を窄めるも、光が収まった頃には、壁が崩れたり窓ガラスが砕け散っていた屋敷が元通りになっていた。
そして玄関先には、何かの箱がいくつも置かれている。
「こんなものは詫びにもならないだろうが、今できるせめてもの償いだ」
「詳しい話は、時を改めてさせていただきたく存じます。お互いに、疲弊してしまっておりますから」
激しいデュエル、さらに目まぐるしくフィールドが変わった事で忘れかけていたが、時間は既に夜遅い。それに、お互いに死力を尽くしたデュエルの結果、体力をかなり消耗していた。ミネルバの言う通り、まずは仕切り直し、ちゃんとした場で改めて話をする方がいいだろう。
「……そうですね」
クーリアとミューゼシアが頷くと、ミカエルとミネルバはゲートを開く。そして、もう一度深く頭を下げてから、元の世界へと戻っていった。
「あっ、これ食べ物ですよ!」
「ホントだ、すごーい! こんなにたくさん!」
ゲートが閉じると、楽しそうな声が聞こえてきた。一足先に箱の中身を覗いていたキューティアとファンシアだ。他の皆も、箱の中身を確認しているが、先ほどまでの緊張感はあまりない。
少しだけ日常が戻った様子を見て、クーリアは安心感を抱いた。
そして。
「……小夜丸さん、大丈夫ですか?」
バトレアスは、完全に蚊帳の外になってしまっていた小夜丸に話しかけた。
今回の騒動の原因にもなってしまった小夜丸だが、さっきのデュエルや話は全て見聞きしていただろう。そして、彼女が元いた世界とはまた勝手が違うからこそ、実際に見聞きしても受け入れきれていないのが見て分かる。
小夜丸は、バトレアスの問いに対してゆっくりと頷く以上の反応をしなかった。
◆ ◇
目が覚めたら、隣でクーリアが眠っていた。
なぜこんな事になっているのかは……覚えている。昨日の夜、ミカエルたちが置いていった食料をはじめとした物資を中に運んだ後、俺とクーリアは先に休ませてもらったのだ。それでクーリアが、『あなたと一緒に眠りたい』と言い出して、それに答えた次第。
一緒に眠る以上の事はしていない。そもそも、「そう言う事」をする気力も体力もなかった。文字通り命を削るレベルのデュエルを共にしていたからこそ、体力を回復させる以外の事をまともに考えられなかったのだ。それがなければしたのかという疑問については、考えないでおく。
サイドチェストに置かれた時計は、朝の7時を回ろうとしている。普段ならこの1時間以上前には起きていたのに。ドレミ界での寝坊記録を更新したかもしれない。そして、クーリアの部屋で二度寝などする度胸もなかった。
だからクーリアを起こさないように、まずはベッドから出る事にする。
「……黙って行くのはズルいんじゃないかしら?」
寝起きを感じさせる声と共に、俺の右手が握られた。誰に、など言うまでもない。
「……おはようございます、クーリア様」
「……」
挨拶をするが、クーリアは少しだけ不貞腐れたような顔をする。
何か不手際があっただろうか、と少し考えて、この状況的にこっちがいいだろうと思った。
「……おはよう、クーリア」
「ええ、おはよう」
さっきの不機嫌そうな顔などどこへやら、自然体で挨拶をするとクーリアは笑顔を見せた。
同じ布団で朝を迎えるのは、ミューゼシアが用意したあの空間以来である。その時も、俺は今みたいな感じでクーリアに朝の挨拶をした。似たような状況だからこそ、それを望んだのだろう。
「よく眠れた?」
「どうにか……あまりに深く寝すぎて、寝坊気味ですがね」
寝転がったままのクーリアに右手を差し出し、起き上がるのを手助けする。その手を取ってクーリアは身体を起こしたが、手を離さずに俺を見つめる。
「……何か、不安な事でもあるのかしら?」
流石と言うか、隠し事ができない。まさか握った手からそれを読み取れるとは。
観念して息を吐き、視線をクーリアから逸らす。
「……俺は、皆の為になる事ができているのでしょうか」
「……昨日のミカエル様の言葉?」
昨日のデュエルで、俺はクーリアの足を引っ張ってしまった。現実では、俺の意思に関係なく騒動を度々引き起こしてしまっている。その度に、クーリアに限らずドレミコードの皆には迷惑をかけているのでは、と自分を疑っていた。
昨日までのミカエルは、確かにエグザムに憑りつかれていた。傲慢な発言や容易に人を傷つけるのも、その影響と聞いている。
しかし、だ。迷宮姫が仲間意識を刺激され、クーリアが俺に対する愛情を歪められたように、ミカエルもまた「救えるはずの命を喪いたくない」という立派な精神を狂わされた。
エグザムに汚染された人は皆、自分の中にある感情が肥大化し、負の方向へ向いてしまう。
だからつまり、ミカエルが俺に告げた言葉も、全部が全部思ってもいなかったものとは言い切れない。ドレミコードの皆を侮辱する発言は誰のものでも許せないが、俺に向けた酷評だけは、そう言われても仕方ないと思ってしまっている。
「皆さんに迷惑をかける事が多くて……昨日もミューゼシア様に庇われ、あなたの事も守り切れず、逆に守られてしまった」
「だけどあなたは、私を守ろうとした。それは勿論分かっているし、私もあなたを守りたかった」
手を握ったままのクーリアが、親指で俺の手を優しく撫でてくる。少しばかりくすぐったくもあり、安心も感じる仕草だ。
「本当に何もできない臆病者は、すぐに逃げ出してしまう。だけどあなたはその真逆の事をした。私を守ってくれた」
「……」
「そしてあなたは、ミカエル様の異変を察知して小夜丸さんを逃がした。あなたは間違いなく、自分以外の人を助けるために、守るために自分で動ける人よ」
そうしてクーリアは手を離すと、俺を背中から抱きしめてきた。さっきまで布団の中にいたからか、温もりが強く伝わってくる。
「それは決して、私だけが思っている事じゃない。皆があなたの事を大切に思い、そしてここにいる事を願っている。ヴァーディクトの時の事を、あなたも忘れたわけではないでしょう?」
昨日のデュエル中、クーリアはミカエルの言葉を真っ向から否定した。ミューゼシアたちは、俺を庇ってくれた。
そしてヴァーディクトとの戦いの後、俺が目覚めた時、皆は俺のために涙を流してくれていたのは覚えている。それはクーリアが言うように、俺に対してそれだけの思いを込めていたから、だろう。
それに気づかされて、さっきの自分の発言に後悔する。
「……すみません、少し弱気になってしまっていました」
「大丈夫。むしろ、ちゃんと不安を口にしてくれてよかった。ひとりで抱え込み過ぎて、ひっそりいなくなっちゃう方が嫌だから……」
少しだけ、クーリアが俺を抱きしめる力が強くなった。
「……いなくならないで。これ以上、私を不安にさせないで」
その言葉は、耳元で囁かれたわけではない。
だけど、悲しみに濡れているようなその言葉は、脳に響いた。
胸に回された手に、そっと自分の手を重ねる。
その時、部屋の戸がノックされた。名残惜しいが、クーリアの腕を解いて俺が先んじて応対する事にする。
「はい?」
『ええと、小夜丸です……朝食の準備ができましたので……』
なるべく慎重に戸を開けると、そこには確かに小夜丸がいた。ただし、エプロンを着けて。そしてなぜか、顔を赤らめて。
「その、何故にあなたがクーリアさんの部屋に……?」
「あー……すみません。自分が先に起きまして、クーリア様にお話ししたい事があったんです。それでちょっと、お邪魔していました」
「あ、なるほど……」
限りなく本当に近い嘘を吐くが、小夜丸は納得したように頷き、顔色も元に戻っていく。多分、朝早くに俺がクーリアの部屋にいる事について、良からぬ想像でもしていたのだろう。そこについて誤解を解こうとしても、かえって事態が悪化しかねないから嘘を吐かせてもらった。
小夜丸には先に食堂へ向かってもらい、俺は一度自分の部屋に戻り、着替えて身なりを整えてから食堂へ向かう。それからクーリアとも合流したが、何だか食堂へ近づく毎に、どこか懐かしさを感じるような匂いが漂ってきた。
「おはようございます」
「おはよう、皆」
その感覚の正体が分からないまま食堂の扉を開け、クーリアと一緒に挨拶をする。既に他のドレミコードは、ミューゼシアを含め全員座っており、俺たちが一番遅かった事になる。こんな事は初めてだが、昨夜のデュエルの影響という事でどうか許してほしい。
そして、食卓には既に料理が並んでいたのだが……。
「あら、これは……和食?」
クーリアが珍しいものを見るように、食卓に並べられた料理のラインナップを見て呟く。
白いご飯なら普段から口にしているが、味噌の香り漂う茶色のスープ……味噌汁は献立に出た事がない。どころか、俺は精霊界に転生してから一度も口にしていなかった。注がれているのが茶碗ではなくスープ用の皿なのが若干アンバランスだが、些末な問題だ。
主菜はサーモンの焼き物。添えられているのは大根おろし。副菜には卵焼き。これほどまでの和食は、精霊界で見た事がなかった。
「朝食、小夜丸さんがほとんど作ってくれたのよ」
ドリーミアが小さく笑いながら、小夜丸を見る。その視線を受けた小夜丸は、縮こまるように座っていた。
「昨日の件で、私はただ守ってもらうだけでしたので……せめて何か、返す事ができないかと思いまして」
「そんなわざわざ……ありがとうございます」
「それで偶然、昨日いただいた食材の中に味噌がありまして。私は洋食より和食の方が作るのに慣れてましたから。皆さんのお口に合うかはちょっと不安ですが……」
昨日ミカエルたちが置いていった、詫びの品としての食材。それが詰まった箱は俺も中に運んだが、中身の確認については他の人に任せてしまっていた。勿論俺は最初からそれをやるつもりでいたのだが、ミネルバに治してもらっても大怪我をしていたがために、他の皆からやんわりと断られている。なので、具体的にどんな食材が入っていたのかは知らなかった。まさか味噌が入っていたとは。
「冷めないうちにいただいちゃいましょう。それじゃ……」
『いただきます』
ミューゼシアに合わせて、全員で食前の挨拶を告げる。
俺は基本、他の皆が最初の一口を終えるまで、食事には手を付けない。だけど今日ばかりは、久方ぶりに嗅ぐこの味噌汁の匂いの誘惑に抗えず、少し早い段階で味噌汁を一口啜る。
自然と涙が零れ落ちた。
「……う」
「ちょっ、バトレアス!?」
「え、嘘!? 泣いてる!」
隣に座るクーリア、さらに斜向かいに座るエンジェリアの声が食堂に響く。他のドレミコードたちも、心配と驚きの声を上げたのが聞こえるが、俺はまともな反応ができなかった。
「え、あれ!? ご、ごめんなさい! 味付け変でしたか!?」
「……いえ、違うんです」
心底不安そうに、そして申し訳なさそうに小夜丸が聞いてきた。あまりの出来事に席を立ってしまったが、涙を堪えようと目を閉じていても分かった。
だが、俺は首を横に振り、涙を拭う。
「その……随分と久しぶりに和食をいただきまして」
「え?」
「あー……バトレアスさん、小夜丸さんとルーツが近いんだよ」
ファンシアが適当に誤魔化してくる。ありがたい補足だ。
小夜丸は忍者の里出身だと聞く。それに名前からして、日本の忍者をモチーフにしたモンスターだろう。
そして俺は、今でこそ「バトレアス」と名乗っているが、生前は紛う事なく日本人だった。なので小夜丸には、同郷という意味での親近感も少しだけある。
「それで、やっぱり懐かしくて、安心する味付けだったので……昨日の事も含めて、気が緩んでしまいました」
ドレミ界に転生してから今日まで、和食を食べる機会は全くと言っていいほどなかった。リクエストができる立場ではないし、何より皆が作る料理も美味しいから文句はなかったものの、心のどこかで和食を求めていたのも事実だ(ラーメンが和食か否かという論議はここではしない)。
だから、この味噌汁を啜った瞬間に思い出した、日本人のDNAに刻まれていると言っても過言ではない、懐かしさと安心感。それが自然と、心を解きほぐしてくれた。
その結果、昨日のデュエルや、それ以前から無意識に張りつめていた心が緩んだ。人前で泣くなんて、この間クーリアの胸の中で泣いて以来の事。そう考えると割と最近だが、転生してから泣く事自体があまりなかった。
「要するに、小夜丸さん」
「は、はいっ」
「このお味噌汁、本当に美味しいです」
「あ、ありがとうございます……」
何とか味噌汁を手で示し、小夜丸謹製の味噌汁を褒める。彼女は心配する事など何もないのだ。小夜丸はどこか安心したように胸を撫で下ろす。そしてクーリアは、俺の心情を察してか肩を優しく叩いてくれる。
そんな奇妙な雰囲気で朝食の席がスタートしたのだが、小夜丸の用意してくれた朝食はとても美味しかった。それは俺だけの感想ではないらしく、ドレミコードの皆も表情が綻び、小夜丸と朗らかに話している。
その様子を見つつ、俺はクーリアに少しだけ話しかける。
「クーリア様」
「?」
「小夜丸さんの事ですが……」
◇ ◆
朝食から少し時間が経った後、俺とクーリア、そしてミューゼシアは小夜丸のいる部屋を訪れた。
彼女は座禅を組んでいたところで、時間がある時はこうしているという。本棚に納められた本(大体エリーティアの部屋から溢れたもの)も読まれた形跡があるが、時間を無為に過ごさせてしまって申し訳なく思う。
「何か、御用でしょうか?」
「……話したい事がいくつかと、聞きたい事が少々」
クーリアが前もって告げると、小夜丸は正座して話を聞く姿勢に入る。
それを見てクーリアは、俺とミューゼシアに視線を配る。ミューゼシアと共に頷きを返すと、クーリアは屈んで小夜丸と視線を合わせる。
「小夜丸さん。これから貴女を解放するわ」
「……うぇ?」
そうクーリアが告げると、小夜丸は気の抜けた返事をした。待ち望んでいた事だろうが、唐突にあっさりと言われたのが意外過ぎるのだろう。
「昨日、ミカエル様がこちらにやってきたのを考えると、やはり部外者である貴女をこちらの荒事に巻き込むわけにはいかない」
「……」
「それに、長い事あなたをここに留めていると、私たちがどういう存在なのかを知られてしまうかもしれないから」
未だに小夜丸からは、エグザムについて知っている事を聞き出せていない。それを話してくれるまではここにいてもらう、という話だった。
けれど、エグザムに操られていたとはいえ、ミカエルのように他の次元や世界に攻め込もうとする勢力が現れるかもしれない。
さらに、俺たちドレミコードは、存在に加えてその役目を全くの部外者に知られるのが極めて危険だ。「浄化」の使命にも影響が出かねない。
リスクを冒してまで小夜丸をここに閉じ込めるのは、やはり危険だと判断しての事だ。
「かといって、私たちの大事な仲間とこの世界を、危険に晒す事はできない。だから、あなたたちS-Forceの本拠地であるブリッジヘッド……でいいのかしら? そこと同じ世界ではなく、ドレミ界よりも開けた世界にあなたを解放しましょう」
「……そうですか」
S-Forceが俺を追っている事は最早確定している。そのS-Forceの本拠地であるブリッジヘッドと同じ世界にゲートを開き、運悪く近くにS-Forceがいたら入り込まれる可能性がある。
加えて、S-Forceはエグザムのカードを1枚所持しているらしい。同じく1枚所持していたミカエルたちが、このドレミ界の場所を特定できたのだ。S-Forceもすぐとまではいかずとも、同じ事ができると考えた方がいい。
だから、例の都市の世界とは違うものの、ドレミ界より秘匿性が低く、かつ他の世界に渡る事ができ、都市の世界から離れた世界に小夜丸を放すのだ。
「……でもその前に、もう一度聞かせてほしい」
続いてミューゼシアが前に出て、小夜丸と視線を合わせる。
そして、桐の箱を3つ取り出し、蓋をひとつずつ開けていく。箱には1枚ずつ白紙のカードが収められていた。どれも淡い白、オレンジ、紫色に輝いている。それが露わになるや否や、小夜丸の腕の端末から電子音が鳴り響くも、即座にその音は止められた。
「あなたがこのカードについて知っている事を、教えてほしいの」
ミューゼシアが質問するが、小夜丸はそこで視線を逸らした。ただ、最初の時みたく「言えません」と突っぱねたりはせず、表情も迷っているように見える。態度は軟化したとはいえ、やはりすんなり話す気はないようだ。
そこでミューゼシアは俺を見ると、一歩引いて前へ出るよう促してきた。
これからするのは、俺が望んだ事だ。小夜丸の前に正座をし、自分の視線を前に向けさせる。
「小夜丸さん、少し聞いてください」
話しかけると、小夜丸は目だけをこちらに向けた。一応は話を聞く意思があるという前提で、口を開く。
「S-Forceは、俺とマスカレーナに何かのつながりがあると踏んで、多次元手配したと聞いています。具体的には、監視カメラの映像で見た、ラーメン屋の前で俺とマスカレーナがそれなりに親しく話していたところでしょうか」
「なぜそれを……と思いましたが、マスカレーナですね」
「はい。だけどあの時は、マスカレーナが変装していたのもあって、俺は正体に気付いていませんでした」
小夜丸が怪訝な表情を浮かべた。
けれど俺は続ける。
「あの時マスカレーナは、偶然財布を落としてラーメン屋の食事代を払えなかったところなんです。それを俺が、偶然相席していたので払ったんですよ」
「……あのマスカレーナが、財布を落とした?」
「はい。あのマスカレーナが、です」
エイプリルフールの下手な嘘を聞いたときのように、小夜丸が半笑いで問い返す。だけどこれは、真実だ。マスカレーナ本人の口から聞いている。
「俺とマスカレーナは、あの時が初対面。特に会話らしい会話も中ではせず、取引などしておりません」
「……けれどあなたは、あの日実際にマスカレーナのバイクで一緒に逃げました」
「それは否定しません。言い訳になりますが……あの時自分は焦っていました」
一度目を閉じ、思い出す。
マスカレーナが介入する直前に行われたデュエルの事を。
その結果生まれた惨状を。
「街の一角で、ウィズダムという男とエグザムのカードを交えたデュエルをしました。その結果、街の一角が崩壊し……エグザムの力を示すという理由で街を元通りにした。あまりの現実味のなさに、混乱していました」
「……」
「その上、多次元手配されていると言われて、余裕を失ったんです」
結果論だが、あの時マスカレーナと一緒に逃げなければ、まだ事態は複雑にならなかったのかもしれない。
しかし今、俺は間違いなくS-Forceに追われてしまっている。それが現実で、俺の選択の末路だ。
「……困惑し、焦り、正常な判断ができず、結果としてトラブルを招いてしまいました」
それで今できるのは、自分が犯した事について、嘘をつかずに話し、謝罪する事だけ。それを小夜丸相手にしても、意味があるかは分からないが。
「本当に、申し訳ございませんでした」
頭を下げて、非礼を詫びる。
この時だけは、クーリアもミューゼシアも何も言ってこなかったし、何もしてくれなかった。俺としても、今は2人の庇うような言葉や仕草を欲したりしない。
深々と、長い時間をかけて下げていた頭を、再び上げる。
小夜丸の顔つきが、少しだけ変わっていた。ほんの少しだけ、鋭さが薄れているような。
「そして俺は……俺たちは、このエグザムのカードを使う事はありません」
3枚の白紙のカードを目にし、告げる。
昨夜、ミカエルに対して同じ事を宣言している。そして、小夜丸を解放する前にクーリアとミューゼシアで改めて話して決めた事だ。
「このカードの力を使って、ウィズダムは街を破壊し、さらに元に戻した。さらに、超常的な事象を可能にするだけでなく、使った人を狂わせる」
「……そのようですね」
小夜丸も、昨夜のミカエルの件でそれは理解しただろう。
そしてミカエルだけでなく、迷宮姫も、クーリアさえもそうなった。
このカードは、人類を進化させるとウィズダムは言っていた。しかし、俺たちが直面したような事態を前にしてなお、その力を使いたいかと言われれば答えはノーだ。
「これ以上、他の誰もこのカードに狂わせたくはない。だから俺たちは、この5枚のカードを集めて、誰の手も届かないようにする」
「……」
「そうするためにも、できる限り、情報が欲しいんです」
このエグザムについて知っている事を話すよう、改めて語りかける。
小夜丸は、並べられた3枚のカードをちらと見た。その瞳は揺れていて、逡巡しているのは分かる。
そして。
「……前にも言いましたが、私はS-Forceのエージェントです。機密情報を簡単に明かすと思わないでください」
静かに、小夜丸はそう告げた。
どれだけ誠意を見せても、それはそれ。やはり、そう簡単には信用してもらえなさそう――
「そのカードがITに軍事、インフラやエネルギーなどあらゆる技術に転用可能で、カードそのものに高値がついている……なんて情報は、口が裂けても言えませんね」
思わず、小夜丸に視線を戻す。
彼女は少しだけ、笑っていた。
俺は冷静さを取り戻し、続ける。
「……そうですよね。それなら、S-Forceの誰がエグザムを持っているかなんて事も、言えるわけがありませんか」
「当り前です。特殊な保管庫で管理されていて普段は誰も触れないなど、そんな重大な情報は
くす、とミューゼシアが笑ったのが聞こえた。小夜丸の言葉の意味は俺でも理解できたから、ミューゼシアたちも汲めたはずだ。
そして、傍に立っていたクーリアが、タクトを取り出すと軽く振る。直後、小夜丸のすぐ傍に光のゲートが開いた。
「……小夜丸さん。ありがとう」
「はて。私は礼を言われるような事は何もしていませんよ」
クーリアに対し、小夜丸はしらばっくれるように言って立ち上がり、クーリアとミューゼシアに頭を下げる。
そして俺に対しては会釈をし。
「世話になりました」
そう告げて光のゲートをくぐっていった。
《ちょっと小耳に挟んだだけ》
食後の食器洗い中……
エリーティア「そういえばバトレアスさん。本で読んだんですけど、『毎朝私のために味噌汁を作ってほしい』ってプロポーズの言葉が、バトレアスさんがいた国にはあったんですよね?」
バトレアス「あー……ええ、まぁ」
ドリーミア「今のセリフがなんでプロポーズになるの……?」
バトレアス「自分がいた国は味噌汁が国民食だったんですよ。それを毎朝作るって事は、一緒に朝を迎える事……つまり朝も夜も一緒に暮らしてほしいって意味で、プロポーズになるそうで。現実でそう言った人は自分も知りませんけどね」
ドリーミア「回りくどいわねぇ」
エリーティア「でも、詩的な感じがしていいじゃないですか。私は好きですよ」
ドリーミア「じゃあバトレアスはクーリア様にプロポーズする時同じセリフ言うの?」
バトレアス「自分はそう言う迂遠な表現が苦手です。率直に『結婚してください』って言いますよ。その機会があるのなら」
エリーティア(クーリア様に言うのを否定しないんですね……)
* * *
おや、クーリアさん。どうされたんですか?
聞きたい事? ええと、ごめんなさい。S-Forceの情報に関してはやはり……
え、違う? では何を?
……味噌汁の作り方?
いや、それぐらいならまぁ構いませんけど、どうしてまた急に……。
はっ、分かりました!
いえいえ、分かりますとも。私、忍びですから。
ホームシックなバトレアスさんを安心させたいんですよね? 故郷の味を再現して、少しでも寂しさを紛らわせようとする。いやぁ、とても良い計らいじゃないですか!
え、あれ? 何でそんな生暖かい目で私を見るんです?
もしもし? あれぇ~?
小夜丸は和食作るのが上手だったらいいなぁという願望
次回から2話ほど、ドレミ界サイド不在の「一方その頃」的な話となります。
予めご了承ください。