シャーレの先生 小町小吉 作:名無しのスレ主
そう、その日は、その船にとって至って平凡な変わりのない日々だった。
その船は、アウトに近いギリ遵法の、カジノ船。
キヴォトスにおいてもっとも有名なカジノ船となれば、オデュッセイア海洋高等学校のゴールデンフリース号。
生徒会からも独立し、その船内での待遇を賭けごとにしている。
だが、……そんなものはしょせん子供のお遊び。
このカジノ船で掛けられているのは当然現金。あるいは、それに換金できる金銀財宝だ。
この船の所有者曰く。解放されたカジノでは一日に数十億。あるいは、数百億の金銭が取引されているらしい。
「で、アルちゃん。こんな船に、何で来たの?」
「そりゃ、カジノだから、ギャンブルをしによ」
そんな場所へと、便利屋68のアルとムツキは脚を運んでいた。
彼女たちが身に着けているのは普段の仕事の時に纏っているゲヘナの制服とは違うスーツ。
彼女たちがアビドスに、善行のためにと渡されたお金の、一部。
それをつかって、彼女たちは身支度を整えていた。
「まぁ、風紀委員の眼鏡ちゃんも、善行のための準備金とかはいってたけど、ほんとによかったの?」
そして、その一億の、三分の一をアルは既に使っていた。
一つは、先ほどの通り、便利屋の今後の活動の支度金。
専用のバイク、服、その他の細々とした装備。
だが、それ以上に大きな金額となったのは。
「この賭場の招待チケット、二人一組二千万でしょ?」
「正しくは、二千四百と七十万ね」
膨大な額の入船チケットである。
中で行われているのは、当然、金持ちたちの道楽。
だが、それ故に、その程度の金を出し惜しむ人間に、参加の資格など、ありはしないのだ。
そして、二人は、ごく自然にチケットを見せ、船内へと侵入する。
中へと入る二人の姿をみた警備員は、彼女たちを屠殺場へと運ばれていく食肉用の動物を見るような目で見ていた。
あぁ、なにせここは大人の悪意が渦巻く賭け事の場。
子供が火遊び感覚で踏み込めば最後、有り金どころか、人生さえも投げ出すことになる。
「それでアルちゃん、……。どれに挑むの?ポーカーとか?」
普段であれば、緊張などとは無縁のムツキも、少しばかり場の空気に吞まれたのか。慎重な振舞をしていた。
少なくとも、普段のお遊びのような振る舞いは鳴りを潜めている。
「あー、そういうのは、大変なのよね。私たち素人だし、多分ボられる」
「……っていっても、そんなのどれも同じじゃない?」
そう、ゲームには必ずそれをコントロールするゲームマスターがいる。
素人である彼女たちがそんな彼らに対して抗うのはかなり難しい。
彼女たちの残弾は残り六千万。
油断すれば、たちまち失ってしまう程度しか残ってない。
「大丈夫よ。ちゃんと挑む相手は決めてるから」
そういって、アルは真っすぐに一点へと歩みを進める。
「……スロット?……っていうか、ちょっと……じゃなくって、大分長くない?これ」
それは、表現するならば壁。
一面の壁が巨大なスロットのために使われている。
「百面スロット。っていうらしいわ。左から順番に絵柄をそろえて、百個揃えば一万倍。十個揃えば元の金額が返ってくるそうよ」
「一万……それがほんとなら、すっごく人が集まってそうだけど、あんまり人はいないよね?アルちゃん。絵柄そろえるだけなんでしょ?」
そんなムツキの言葉に、くすくすと周囲から笑いが聞こえ始める。
「まぁ、みてればわかるわよ」
そういって、アルはスロット台に腰を掛け、電子でお金を投入する。
その金額は――――――――一千万。
「ほんと、……金銭感覚バグっちゃいそうだよね」
「とはいえ、一回限りでしょうけれどね。カジノへの出入りは今回だけよ」
そういいながら、アルは、ぽち、ぽち、ぽちと、ボタンを連打していく。
当然、そんな有様で、絵柄がそろうはずもなく、一千万はすぐに失われた。
その上で、ムツキはこのスロットの恐ろしさを理解した。
スロットの絵柄の回転が速い。それも均一な速度ではなく、後になるにつれて早くなる。
そしてもう一つは、絵柄の多さ。
自分たちがそろえようとしている『7』の絵柄に対して、そのほかの絵柄が一体どれほどあるのだろう?
五個でキャッシュバックも納得だ。こんなもの、普通の人間にどうこうできるものじゃあない。
ムツキがそう感じ始めた頃、失笑が周囲から漏れ出す。
ハルカを連れてこなくて正解だった、と、ムツキは思った。こんな状態、あの少女が許せるはずもない。
なんなら、今彼女自身も少なくない苛立ちを感じていた。
だが、アルはそれを気にすることなく、二度、三度と同じことを行う。
「ね、ねぇ?アルちゃん?大丈夫なの?」
「?あぁ、大丈夫よ。予定通り。でも、これで終わり」
そして、最後の回転が始まった。
周りの客の失笑は止まらない。
これで終わりとはどんな意味だ?これでお金がって意味?
そんな、嘲り笑う声がスロットの周りで響いた。
「んー、遅いわね」
アルが、十個目の七を中央に揃えるまでは。
彼女がスロットを選んだ理由はいくつかある。
一つは、ムツキに対して言った通り、素人でも確実にわかるルールがあるから。
スロットが機械である以上。その場でピタリと止まって後から絵柄が変わることはない。
そして、もう一つ。
イカサマをする相手がいないこと。
そう、眼の前のモンスターマシンは、確かに高速で回転する。
絵柄を見るのもムツキの考える通りかなり難しい。
だが、それでも、スロットの癖さえわかれば、狙った場所に止めるのは可能。再現もできる。
集中すれば、確実にそこに止めることもできなくはないからだ。
……。では、何故、人が集まっていなかったのか。
そんなの、出来るわけがないからだ。
絵柄を多くされた都合上。このスロットで七が出るまでには、おおよそ一分かかる。
それを、ペイバックするためには十回。
稼ごうとすれば、それ以上。
ミスなく押せたとしても、五分。
一度流せばまた一分の集中。
全てをそろえるなど不可能だ。
――――――――いや、できる。
何せ人間は、千分の八秒の変化すら認識できる目と、一時間を優に超える時間物事に当たることのできる集中力、そして、それ以外にも多くの能力を高い水準で持つ生物なのだから。
「はい……これでおしまい」
その、能力をすべて十全に扱いきれる存在にならば。
スロットは口を開き、勝者へと財を与える。
こうして、キヴォトスに産声を上げたニュートンの一人は、一夜にして、経済を揺るがし得る財を獲得した。