一話 おはようございます。
人を救う行為に貴賤はない、そう思う。
それがどんなに尊くて優しい想いから出てくるものであっても、どんなに卑しく穢れた想いから出てきたとしても。くだらない一つの過程に過ぎなくて。
重要な事は結果だろう。人を救った結果として誰かから何を言われたか、どう感じられたか。それによって蔑まれる悪事にも、尊ばれる偉業にも形を変える。
ひたすら短い人生で痛感した、数少ない内の一つ。
「…もう、朝?」
休日、そんなくだらない考えが頭から離れずに作業の手が止まり、ふと窓を見れば朝日が顔を覗かせていた。どうやらまた寝ずに夜を明かしたようだ。
いい加減に身を削る真似はやめた方がいいと言うのに、薄っぺらい自分の想いは「早くしろ、時間は限られているぞ」と忙しなく頭を叩いてくる。急いだって何かが変わるわけでもないのに、そうやってみにくい自分が変われるなら苦労はしない。
もう切り上げよう。席を外し昨日の夜から大して進んでいない少女の絵を見下げた。何枚も何枚も、ただ声のない曲ために描いたその内の一枚、暗がりを女の子が歩く絵。ここから一つも進まないと言うことは、僕の中で
…あの子は暗がりの中を歩いている、そういうことにしたいだなんて滑稽なことだ。仄暗い思考に傾いた頭をよそに部屋から出た、何だか疲労が一気に来た気がする。
何をしたらいいんだっけ?…朝だし、顔でも洗ってこよう。
視界も足元も覚束ずにいた自分の体を少しでも取り繕おうと、壁に手をついて洗面台に向かう。
そういえ母さんは居ないようだ、珍しく家に帰ってきたと言うのに。話せなかったことを少し後悔しながら顔を洗い、水に浸けた様にフワフワと浮く頭の感覚を元に戻す。
「マシに、なった?」
多少は覚醒した頭の状態を、鏡の中の自分に問いかける様に言った。顔を拭くタオルの感覚が少し心地良くって、また意識が沈みそうになる。この後、作業に入るから眠ってはいけないのに。
そんな眠気と競り合っていると、ふとチャイムの音が家に響いた。
朝から誰だと覗き窓を見ると、そこには絵のモデルにしている。僕、
「?早いね、まふゆ」
いつもは昼頃に来るはずの彼女は、何の気まぐれかこんな朝早くの時間から家に押しかけていた。何かあったんだろうか?…そう考えたところで、僕としては上手く聞き出せないのだけど。
取りあえず扉を開けてまふゆを出迎えよう。
「いつ来てもいいって言ったのは貴方でしょ」
「こんな朝早くにどうして?って思ったから…ごめんね」
「そう」
「立ったままじゃ何だから、中で休んでいって」
案の定うまく聞き出せず、ただ機嫌を損ねてしまった彼女に家に上がる様に促すと、静かに僕の横を通り抜けリビングで荷物を下ろした。
何故彼女が僕の家に転がり込む様になったのかと言うと、僕の頼みによるところが多い。
彼女の親、特に母親は基本的に過干渉気味であり、そんな母親に応える日々を送った彼女は知らない内に無理が祟ったのだろう。その結果彼女は疲れ切り、自分を出す事が出来なくなってしまったんだと思う。…元気だった頃の彼女を僕は見た事がないのだが。
いや、あるのにはある。だけど…
[ぇ…]
日が翳るように絶望した、幼いまふゆが脳裏に蘇る。
明るく眩しかった筈のあの子は、僕が壊してしまった。だから助けないと、救わないと。
「何か必要?」
「いらない」
「…わかった。お茶、置いておくから。ゆっくり休んでいって」
飾られている人形の様に動かず、何もしないまふゆがに対して何が欲しいか聴くが、即座にいらないと返ってきた。やっぱり拒否されるのは、少し堪えるな…。
気を取り直し、淹れたお茶を置き休んで欲しい旨を伝えた。
「……」
少しだけ彼女がこちらを見た気がするが、気のせいだろう。自分の部屋にカロリバーがあった筈だ。邪魔するのも悪いし、お腹にも何か入れたいし、早くはけよう。
「ねぇ」
「!…なに?」
そう思ってリビングから出ようとすると、今まで沈黙していたまふゆが、こちらを呼びかけてきた。
何か不都合でもあったのだろうか?
「…」
「な、なに?」
呼びかけてそのまま、まふゆは黙って僕の顔を見ている。本当に何があったのだろうか?思わず困惑の声が漏れる。
「また、徹夜したの?」
「え…うん。それしか出来る事がないから」
「っ…」
一瞬不快そうに顔を歪めるまふゆを疑問に思いつつ、それでも踏み込む気にはなれなかった。
踏み込めれば、何かできたのかな?
「……。歩の部屋、借りるね」
「わかった」
深呼吸を挟みそう言って、彼女は荷物を手に取りそのまま僕の部屋に行くために階段を登る。
その姿を見届け、すっかり冷めたお茶を片付けていると、また来客のチャイムが鳴る。今度は誰だろう、そう思ってまた覗き窓を見ると、先程も考えの中にいたまふゆの母親が立っていた。
「…」
彼女は確かにまふゆを大切に思っているのに肝心のまふゆはあの状態、不思議でならない。愛されているだけじゃ、救われないのかな。
僕はきっと、それだけでいいのに。
「…ちがう。そうじゃなくて、出迎えなきゃ」
一歩扉から引いて頬に両手を当てる。大丈夫、大丈夫。ずっと隠してきたんだ、今更バレない。
頬に当てた手を離して、ドアノブに手を掛ける。
「おはようございます!おばさん!えっと…どうか、しましたか?」
「おはよう、歩くん。まふゆ、来てないかしら?」
扉を開けおばさんと挨拶を交わした後、彼女は僕にまふゆの所在を聴いた。
…流石に家に上がってくることは無いだろうし…それに、今まで会話を交わし分かった事だけど、おばさんはまふゆのことになると少々暴走するきらいがあるし、素直に居ると言った方がいいだろう。
「まふゆですか?はい、居ますよ。上にあがっていったので、勉強中かと」
「あら、そうなのね?良かったわ」
僕の話を聴いて嬉しそうに相槌を打つおばさんの表情を見て、何となく見透かされている気分になる。まふゆの事何もわかって無い彼女が、わかる道理が無い筈なのに。
「はい。えっと…何か伝えたい事が?」
「そういうわけじゃ無いのよ?…でもそうね。勉強お疲れ様って、まふゆに伝えてくれるかしら?それとコレもどうぞ」
笑顔そのままでまふゆに伝えたい事を僕に伝えたおばさんは、そのまま両手で持っていた紙袋をこちらに差し出した。
差し出されたそれを手に取ると、微かな重みを感じた。
「ありがとうございます!…えっと、これは?」
「カステラよ、昨日のだけど…いいお店で買ったものだから、二人で分けて食べてね?」
「わぁ。嬉しい。休憩の時にまふゆと一緒にいただきますね」
「喜んでくれて嬉しいわ。歩くんもお勉強、頑張ってね?」
そう言って笑顔で自分の家に戻っていくおばさんの背の見送った後、僕も家に戻り、リビングの机に紙袋を置いた。
「……もらってもな。感想を聞かれても困るし」
首に手を当てどうしようかと考えた。……このお店のこと調べて、もしも聞かれたらそれらしい事を言っておこう。
…誰かと同じ気持ちを共有できないのはなんとなく、寂しいな。
…考えても仕方ない事を、考えて。何をやってるんだろう。
まふゆと既に、同じ気持ちは共有しているのに。言えない事、ただ普通の子を演じる事。その痛みは共有できたのに、それ以上を望むのは我儘だ。それを叶えてくれたまふゆを、救いたい。そんな願いが叶わなくなる。そうなるなら僕の願いは必要ない、絶対に。
「…」
ポケットに入れたスマホが小さく震えた気がした。
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