【完結】もしもし、アクアくん?〜女優探偵の事件簿〜 作:ねこのまんま
「海だー!」
「……ルビーは海に来た時いつもそれ言ってるの?」
船の上から進行方向を眺めると、波打つ見渡す限りの透き通った青い水面。船がそれをかき分けると、微かに冷たい粒が頬に当たる。
港ではむせ返るほど強かった磯の香りが、船の上だと爽やかさに流されて弱く感じるのは、私たちの長い髪を靡かせるほどに強い風のせいだ。
15年の嘘の公開から、幾年。それを皮切りに女優の仕事も少しずつ増えていって。身体を酷使する日々だけど、例えば暑いとか寒いとかに慣れていくように、身体は色々なストレスに順応するようにできているらしくて。
ギリギリまで身も心も追い詰められていた、初めての主演を務めたあの作品を撮影していた頃のような忙しさが今はデフォルトになってしまったけど、この忙しさにも慣れてきた。
そして、生後間もない時にもおにいちゃんに演技が上手いと褒められた私のポテンシャルは、どうやら出演を重ねてますます磨かれていくほどに高水準だったようだ。
今や『星野ルビーは歌って踊れてバラエティを回せるだけではない』と演技畑でも確たる地位を築けてきていると思う。多分。
自惚れかもしれないけど、私が認められつつある証拠に……業界人が多用するサングラスと帽子が良く似合う、私の左隣で手すりに凭れている友人と、今回も共演できている。
「いやだってさ、プライベートで海に行けるほどのオフなんてほとんどないもん。でも仕事楽しいから辛くはないけどね?」
「ルビーもタフになったね。さっきまで船酔いで顔色が真っ青だった時は大丈夫かなあって思ったけど」
「それは正直、まだ全回復じゃない……なんで飛行機じゃなくて船なの……」
「機材運ぶのに軽トラ要るからでしょ。ま、活躍してるのが見て取れて私も嬉しかったよ。でも私だったら隙あらば2か月でも何でもお休みとっちゃうけどね」
「うー……フリルちゃんみたく事務所にそのレベルの交渉権持てるほどじゃないけどさ」
高校入学時にはあまりにも遠い存在だったマルチタレント、不知火フリルは今なお不動の人気と存在感を誇っていた。
フリルちゃんも15年の嘘が一つの転機だったのは間違いない。怪演と言っても遜色ない出来栄えと度胸。
それからタレントとして一肌脱いだフリルちゃんは、演じる役の幅を一気に広げただけでなく、事務所からコメディエンヌキャラの部分的解禁を認められて、水を得た魚のように結構溌剌と仕事をしている。
フリルちゃんが出る作品は外れない。言い換えると、フリルちゃんが出たのに外れたという前例を絶対に作ってはならないというのが業界の認識。
彼女が演じる作品は助演も実力派で固められる中で、私が共演できることは素直に嬉しく、誇らしかった。
みなみちゃんは仕事の分野が違うけど、なけなしの自由時間を合わせて今も時々会っている。
私たちは、おしなべて順調だ。
「事務所に交渉と言ってもさ、ルビーの所、マネージャー兼社長はお母さんでしょ? すごくルビーを大切にしてくれてそうだけど……言いにくいの?」
「いやー、んー。実は言えばなんとかなるかも? 休ませようとしてくれるし。でも私が大きい仕事やりこなせたり、注目されたりした時すっごく嬉しそうにしてくれてさ……良い意味で、言いにくい……的な?」
「へえ。すっごくいい関係じゃん」
フフっと笑いつつそう言って両肘を手すりに置き、フリルちゃんが紙パックのカフェオレに刺さるストローの端を咥える。半透明のストローがすぐに茶色に染められる。
ポーカーフェイスが多いフリルちゃんだけど、私のことになるとすこし表情が綻ろんでいるように見える。高校を出てからも付き合いがそこそこ長く、お互い気の置けない友達になれているという私の思い上がりだろうか。
芸能人としての格と経験値を兼ね備えているフリルちゃんへの恐れ多さは、正直今もある。
だけど、いつの日か『共演できるのを楽しみにしてる』と言ってくれた時みたいに、左目の泣き黒子が緩く動くほど目を細めて微笑むこの表情を見れる人は、かなり限られていると思う。
たまに発展途上の私の演技を結構辛辣にイジッてくることもあるけど……でも、リスペクトや推しの気持ちはあっても気後れはもうない。
「斎藤社長がそんな感じならさ、今回の撮影で遠い所に行くの、結構心配されなかった?」
「遠い所なのは特段心配されなかったんだけど、でも……」
「まあね。人数制限のせいで、各人マネージャーが随行できない、か。ま、そういうことは私も何度かあったよ」
「こんなに少人数で現場回るのかな?15年の嘘とかスタッフ大勢いたよ?」
「まあ、カットも登場する人も限られてるからね。でも一人当たりの負担は大きそうだから、同行するスタッフさんには同情するなあ」
私たちは今、東京の港から出発して、太平洋をゆっくり南に向かっている。
大型客船にスタッフ一同相乗りしているけど、当然タレントが乗っていることは秘密。海の上にいる以上一般の人に見つかったら逃げようがないため、五反田監督からあまり船内をうろうろするなと言われている。
私の船酔いを見て、少し外の空気を吸わせた方がいいとそれっぽい理由をつけて、早速フリルちゃんが私を連れ出してちゃっかりデッキに脱出したけど。
向かう先は、無人島だって聞いてる。準備含め約3日に渡って撮影したりなんだりするというおおざっぱなスケジュールは知らされてるけど、寝る場所がないという理由で必要最小限の少数精鋭での渡航だ。
私含めた3人の女優と、カントクと、PやAD、その他スタッフ3人の合計9人。
私が三女で、フリルちゃんが次女役。
撮影はある程度進んでいて、今回は『姉妹で人がいなくなった故郷に一度戻り、そこで過ごした日々を追憶する場面』。そのロケ地としてプロデューサーが指定したのが、今向かっている無人島だった。
一応、植生や渡り鳥の生態系が珍しいとかで、研究者が寝泊まりできるよう簡易なコテージもどきはあるらしい。
あとは……昔は人が住んでいたらしく、遺構がそこかしこにあるとか。
小学校跡も。そういうのがあるからプロデューサーのお眼鏡にかなったのかなあ。プロデューサーには最初の顔合わせ以来会ってないから、考えてる事は分かんないけど。
「私はライブ以外でこういう機会が無いと遠出できないし、結構面白そうだから全然アリだけどねー。それに、遠出の時いっつも私の周りはガードされてて身動き取れないもん。ちょっとは羽延ばしたいよ」
「楽観的だね。私はルビーほど楽しみにしてるわけじゃ……んー、まあ仕事だし、嫌、とは言えないけど……。何でわざわざこんなところまで行かないといけないのかなあとは思う。他じゃダメだったのかな」
「うーん、確かに……マネージャー随行不可はちょっとウチでも揉めたよ?カントクじゃなかったらミヤコさんも認めなかったと思う」
「それはアイドルのマネージャーなら当然の危機管理かな。それ以上にさ、今回ヤバいのは──」
「ルビーちゃん、不知火さんも。やっと見つけた」
風が強くて、お互いの周りに誰もいないのを良いことに少し大きな声で話していたのは、ちょっと迂闊だったかもしれない。
カツ、カツ、とデッキを叩く靴音と共に後ろから私たちに近づいてくる人に、声をかけられるまで気付かなかった。
「あかねちゃん」
「船酔いはもう大丈夫なの?」
フリルちゃんと同時に振り返ると、私の体調を気遣ってくれる『長女役』が、サングラスを手に取り鼻の頭くらいまで少し下ろして、ふわりとした雰囲気で微笑んでいた。
「うん、だいぶ良くなった」
「良かった。日差し強いし、外もほどほどにしてね」
「黒川さんも部屋にこもってるの飽きて抜け出してきた感じ?」
「まあね。本読み終わった時二人ともいなくなってて。どこ行っちゃったのかなあって」
「ルビーもちょっと回復したし、外の空気浴びながらこの後のこと話してた」
「そっか」
私を三人の中央に据えるように、あかねちゃんが右隣に来て、右手で手すりを掴んで海を眺める。
視界の奥で、真横に立つあかねちゃんの腰を横切っていた水平線が、船の揺れに合わせてあかねちゃんの首の高さまで来て、そしてまた沈んでいく。
治りかけた船酔いをまた誘発しそうな揺れは、まるで宙を浮いているかのよう。
「珍しいところ行くよね、無人島なんて」
「あかねちゃんもあんまりないの?」
「そりゃ滅多にないよ。初めて。ライフラインは贅沢で望めない現場だろうね。お風呂なんて言わないけど、シャワーも高望みかなぁ……」
「え!? 休憩時間で無人島の完全プライベートビーチで優雅なグランピングバカンスとか想像してたんだけど!? ほら……なんか大きい葉っぱでADさんに仰がれながらビーチチェアに横になって、無駄に曲がりくねったストローで南国フルーツジュースを飲む感じを……そんなに過酷な生活なの!?」
「えっと……まあ、うん。でも大丈夫。ルビーちゃんもすぐ慣れるよ、一緒にがんばろ? あとADさんを私用で仕事させちゃダメだからね」
「そんなあ……」
「黒川さんってさあ、ちょっとルビーを甘やかしてるところあるよね。はっきり言ってあげなよ。ヘリでしか行けない絶域のロケ地で天然トイレ出来るワイルドさが無いと一流の女優にはなれないって」
「うげえ、マジで!?」
「不知火さん、ルビーちゃん信じちゃってるよ。今時そんな現場ないでしょ?」
「大御所さんが話す昔のロケの
フリルちゃんのトンデモ発言も、それを聞いて狼狽えた私の叫びも、海風に流されて消えていく。
その強さに比例してますます大きくなる船の揺れ。身体が上下に直に揺れる感覚が不快になったのか、フリルちゃんは肘を手すりに置くのをやめていた。
あかねちゃんもバランスを崩さないように手すりを強く掴んでいる。
「……風、強くなってきたね。海も時化てきてる。ルビーちゃんがまた船酔いにならないといいけど」
「今の所、大丈夫……」
「さっき黒川さん来た時言いかけてたけどさ。今回のロケ、天気予報見た限りじゃ台風直撃じゃん。それが一番ヤバくない? この風もそれなのかな?」
飲み終わったカフェオレパックをぐしゃりと握り締めて、海を眺めていた視線を、私たち二人がいる右に向ける。
そのフリルちゃんの不満げな声に、あかねちゃんの声のトーンも少し低くなった。
天気予報は私も気になっていて、ミヤコさんやお兄ちゃんも一番気にしていたことだった。
「不知火さんの言うとおり……なんだか心配。元々台風来ていたのを分かってて……でもプロデューサーの都合がこの日しか空いてないからわざわざここに日程ずらしてきて……今夜、夜のうちに台風やり過ごせそうだし決行、らしいよ?」
「そうはならんやろ……って思っちゃうよね。未明の電話で『決行』って聞いたとき寝ぼけてたから『欠航』だと思っちゃってさ、準備しないで二度寝キメてたらマネージャーが家に車回してきて超焦った」
「今朝のフリルちゃんの埠頭遅刻にそんな裏話が……確か島にコテージあるんだっけ?」
「ルビー、誰が管理してるかよく分からない『コテージもどき』らしいよ?」
「大丈夫かなぁ、吹っ飛ばされないかなぁ……」
「ルビーちゃん、そんなに心配しなくても、もともと南の島で台風とかよくある場所らしいし。頑丈に作ってあるんじゃないかな……多分。おそらく。ややもすると」
「あかねちゃんこそめっちゃ予防線張るじゃん」
「まぁ、なーんも起きないのが一番だけだね……んぉ」
フリルちゃんの言葉が途切れた瞬間、三人のスマホに同時に通知が来た。
今回のドラマの撮影用に渡された、脆弱なフェリーWi-Fiに繋がった業務用の赤いスマホを3人そろって内容を確認する。大きいスマホでポケットに入らないから、ショルダーストラップで身に着けていた。
今回渡航するメンバー全員が参加しているグループチャットに、業務連絡が届いていた。
•Taishi Gotanda
『全員武田プロデューサーがいる五階のスイートルームに集合。はじめましてもいるわけだし、挨拶もかねて昼飯とるぞ』
「だってさ。ルビー、食欲は?」
「ある!」
「よかったね。じゃ、私がまとめて返事しとくね」
•Akane Kurokawa
『了解です。星野さんと不知火さんと一緒にいますので、揃って伺います』
あかねちゃんが送信した直後に、旅路を共にするスタッフたちも送信していく。
今朝港で一言挨拶して終わった、実質初めましての人ばかりだ。
•Masashi Naito
『OKです。酒あります?』
•Nobuo Baba
『了解しました、もうすぐ備品整理おわるのでその後に』
•Matsuri Kohsaka
『分かりました、すぐ行きます』
•Mio Yamagata
『はいはーい』
「皆さんすぐ来るみたいだね」
「私さぁ……フェリー乗り場で挨拶したけど、まだスタッフさんの顔と名前一致して無いんだよね」
「それはルビーだけじゃないよ。私も」
「フリルちゃんは遅刻して挨拶の場にいなかったからじゃん……」
「言われてみればそうかもしれない。じゃ、行こ?」
踵を返すフリルちゃんを追いかけて、揺れる甲板を横断して船内に向かう。風圧でなかなか開かない客室への扉を二人がかりで開けて、階段を上って特等スイートルームがある5階を目指していった。
この三人と、カントクと、他五人のスタッフたちで行われるロケが始まろうとしている。
そこで私は、色々なことを体験して、色々なことを知った。
終わった後振り返ると……人生でも指折りの、濃密な三日間だった。
これから向かう先の島が、どういう場所なのか。
それと……
「上陸したら何食べられるか分からないからなあ……今のうちに美味しいものいっぱい食べとかないと」
クールで面白くて、ずっとトップタレントでいたからか、何かと達観していてつかみどころのない不知火フリルの、友達思いな一面と。
「これから3日間、一緒に頑張ろうねっ。大丈夫だよルビーちゃん、なんとかなるよ」
数年前の時点で、既にお兄ちゃんはある程度知ってたかもしれない。
普段は真面目で物腰柔らかな、黒川あかねという人の……危うさを孕んだ、底知れなさを。
~ To be continued ~