【完結】もしもし、アクアくん?〜女優探偵の事件簿〜 作:ねこのまんま
15:35
事件の手がかりを探しに行く二人を必死に追いかけた。
無人島の奥、完全に人の管理が届かない道のりは、暑い……は途中で麻痺しちゃって、臭かった。
先を行く二人が踏みしめた草が、強烈な青臭さを漂わせる。
「待って、待って……二人とも……」
「ルビーちゃん、大丈夫? 休憩する?」
「いや、のんびりしてると日が暮れるし。ルビー、ここに一人置いて行かれるヤバさを想像して元気出して」
「ぬわー!!!」
道を切り開いている前二人の方が明らかに負担は大きいはずなのに、私は距離を開けられないように必死だった。
固い地面ではなく夏草が地面を覆っているので、滑るような、不快なクッション感が靴底から伝わってくる。
服に尖った枝が引っ掛かり、本当に遅々として進まない。でももし半そでだったら切り傷だらけになりそうだし、あかねちゃんの服装選択は正しかった。
それでもやっぱりこの格好は暑い。額から垂れた汗が上まつ毛に引っ掛かり、瞼を閉じると橋が架かったように下に流れて頬まで伝う。
それに……虫が好きか嫌いかと聞かれたら正直苦手な私にとって、ここは地獄だった。ブンブンと大量のアブのようなものが視界を遮るように飛んで、払った葉にはアメリカのキャンディーのようにカラフルで原宿コーデな芋虫がいる。
めまいと吐き気をこらえて、意味もなく息を止めて目を細めて進んでいった。
「んんんっ……」
「どしたの?」
「いや……大丈夫」
先頭のあかねちゃんが変な声を上げて、3人がいったん止まる。
顔をしかめながら地面をキョロキョロと何かを探して、これちょうどよさそう、と言いながら細い木の枝を拾い、お祓いみたいに枝をブンブン前に振りながらまた進み始めた。
「もう10回ぐらい顔で蜘蛛の巣を壊してて……顔の上歩かれていい加減うんざりしちゃって」
「うっげぇー…………さいあく…………鳥肌モノなんだけど…………私は絶対先頭無理…………」
「……黒川さん虫は大丈夫なタイプなの?」
「全然。二人とも、やっぱりついて来てくれて良かった。二人が後ろにいなくて私一人だったら逃げ帰ってたかも」
背を超える藪が現れる。一瞬だけ、あかねちゃんが顎を引いて目を細め、歯を食いしばるような表情をする。
その後は何のためらいもなく前だけを見据えて、両手でかき分けて進んでいく。フリルちゃんと、そして私が続いて飛び込む。
私だって前の二人に劣らないくらいに体力には自信がある。それに後ろの方が総じて楽なのは間違いないんだけど。
前の人が手で払いのけた藪がしなり、バネのように戻ってきて後続の私の顔めがけて鞭のようにビンタしてくるのが、私のガッツにボディーブローのようにダメージを効かせてくる。
歩くなんて贅沢な状況はとっくに終わってた。もう草の中で平泳ぎしているみたい。
足元に見えない枝が伸びてて、それに足をとられて前方に転びそうになるけど、憎くてたまらないはずの藪が嫌味なくらい優しくふんわり受け止めてくれる。そしてその葉っぱは変な色の芋虫の集合住宅だったりする。東京では見ないサイズで。
トンネルのようになっている低木をかがんでくぐる。
出来るだけ頭を低くして進むと、すぐ頭上には、どういう進化をすれば身体がそんな形になるのか聞きたくなるような訳の分からない虫がいて、嫌すぎて四つん這いで進もうと地面に手をつこうとしたら、私の手のひらより長いムカデが行進していた。
たすけておにいちゃん。
みなみのしまの虫、みんな東京のよりバカみたいにおっきいの……。
不快感とストレスのあまり、頭の現実逃避が止まらない。
気を失ったら楽になれるかな。
でもここで寝たらこの虫たちが私に……
「ちょっと開けたところに出たね、休憩しよっか」
無言の決死隊に、久しぶりに隊長からの待ち望んだ号令がかかった。
流石にあかねちゃんもフリルちゃんも肩で息をしている。
ポシェットから気温と同じ温度になった水を取り出して、流し込むように喉を鳴らす。
こんな場所で、こんな水だけどすっごく美味しかった。
「あっルビー! 背中におっきいゲジゲジが……!」
「……またそんなこと言って。もう騙されないからね」
「へぇ……ルビーがそれでいいならいいんだけど。まあ確かに、背中に張り付かれてても直接害はないし。私も別に、ルビーがいいならいいんだ」
「……」
「いやー……マジか……ルビーも心臓つよつよだねぇ」
「えっ……ねえ、ほんとにいるの!? ちょっと!?」
「ウソ」
「~~~~!!」
「ルビー、どうどう、ステイステイ。でも黒川さんのメンタルは本当にすごいね。なんであんなに進むのに躊躇いが無いの?」
「不知火さん、逆だよ。立ち止まった方が虫が寄って来そうで怖いし。後ろじゃなくて前に逃げたようなもので。私、元々結構引っ込み思案で臆病な方で……」
いや嘘でしょ。そういえば、アクキーを見て気が動転していた私と違って、せんせとは見ず知らずの他人だったあかねちゃんが白骨死体を見つけても全く動じてなかったあの時点で、普通の人じゃなかった。
いや……あの時、あかねちゃんは第一声で私に下がるよう言ってた。だから、あの時あかねちゃんが普通じゃなかったのは、多分隣に私がいたからかも。今のように。
「ところでさ、方向合ってるの? そもそも点呼とった場所で何を見つけてこの藪を進んでるの?」
「確かに、私たちよりも前に誰か通っている感じしないよね。黒川さんが道を作ってくれてるけど、誰か通ってたらもう草がかき分けられててもっと通りやすそうな気がする」
「……この崖沿いに進んでる。二人が追い付いて来てくれたところからこの崖が始まってたから」
「崖?」
「うん……見て」
あかねちゃんが上を指さす。
ここまで進んできた方向の右側には、灰色に近い色で、穴ぼこがある岩がむき出しになっている背丈より高い崖が続いていた。その崖の上に木が立っている。ものすごく大きくて、由緒正しい神社とかにありそうな木だった。
「崖の上の木と比べて、今私たちがいるところの木は明らかに細くて小さい。それにここまで散々味わったけど、下草が繁茂してて……つまり、崖の上と私たちの立ってるところじゃ、植生が違う。というより、植生の歴史が浅そうかな。森になって日が浅い」
汗を拭って、梅風味の塩飴の包を開けながらあかねちゃんが話し続ける。
口に入れた時、「すっぱ……」と小声で言いながらほんの一瞬だけ目と口を窄めていた。
「そして、この崖だけど。ちょっと固い火山岩。これ、玄武岩かな……ほとんど垂直に切り立ってる。自然にはこんなふうには切り崩せない」
「……人がこの岩を削ったってこと?」
「多分。今のこの見た目じゃ信じられないけど、多分ここは、この島に人がいた時は……昔、崖の岩を切り開いて作られた道だったと思う。誰も歩かなくなって森に還ろうとしている途中だけど」
「ええ!? 道!? これが!? いや、言われてみるとちょーっとだけ面影があるような……ないような」
「……道だとして、黒川さんはこれがどこに繋がっていると思うの?」
「人口がそんなに多くない島で、こんなに岩を削って道を作るのは相当負担のはず。だから個人の家が建ってたとかそういうのじゃない。多分、島のみんなにとって大切なものがあったんじゃないかな……今、それを探してる」
「え、じゃああかねちゃんはさ、崖と木と草だけ見てここに行こうって決めたの? 私、足が6本以上の生き物は地球から消滅してほしいとかそんなことばっか考えててさ。なんかごめんね」
「スマホのGPSのお陰で五反田監督が捕捉してくれてるけど、3人そろって遭難なんてマズいし。行先の拠り所は常に持ってたの」
このまま削られた崖沿いに進むよ。そう言って、首を上に向けて勢いよく水を飲んで、ふうっと息をつきながら口元を拭う。
いつもはふわふわと柔らかい雰囲気の人なのに、今は頭の中で何を考えていて、どれだけの情報を既に集めているのか、私から見ても分からない。
荷物を背負いなおして身支度をし始めたあかねちゃんに合わせて、私たち二人も首にタオルを巻きなおして準備をした。
あかねちゃんの探してるものが、本当にこの先にあるのかな。
あれだけ色々考えてるんだから、あってほしいとは思うけど、あったとして、この場所からどのくらい時間がかかるか分からない。
暑いし虫気持ち悪いし、暗くなったら帰れなくなっちゃいそうだし……早く見つけて早く帰りたい。出発の時とその気持ちは変わらない。だけど……。
まるで島の出来事を覆い隠すように生い茂る木と藪をかき分けたその先にあるものに、昨日の夜の海辺の道で抱いたような危なっかしい好奇心も、正直ちょーっとだけ、あったり。
でも同じくらい、自分の理解を超えたものに近づいているような怖さも、まとわりつく虫たちと同じようにしつこく胸の中で燻っていた。
それから、およそ10分程度。
道の状況は一切改善しなかったけど、やがて視界が広がって、木が高くなる代わりに藪が浅い広場のような場所に出た。
広場の真ん中に一つ、少し不気味で……絵本や映像の中でしか見たことが無い、自然豊かなこの場では少し浮いたものがあった。
遠くから少しだけ波の音が聞こえたような気がした。
実際、深い藪の中で風を浴びられなかった私たちの前髪が、この広場に立った時から揺られて動いているのを感じる。
久しぶりに受ける風のおかげで生き返るような涼しさを感じていると、隣に立つあかねちゃんが、その音に紛れるように小さく呟いた。
「見つけた……本当にあったよ、アクアくん」
パキッと枝を踏み折る音を一度立てながら、誘われるようにあかねちゃんは広場の真ん中に向かう。
アレを探してたの……? 一度だけフリルちゃんと顔を見合わせた後、あかねちゃんの後について行った。
『これまでも散々書いてきたが、雨が多いくせして水不足だった。上水道なんてものは作れなかった。雨が降ると各家屋の軒先に桶やタライを置いて、雨水を飲料水や生活用水にしていた。
…………
ただし、水不足にただ苦しむだけでなく、島の人も努力をしていた。少しでも水不足を解消しようとして──
井戸を掘っていた。
水の神の加護が得られる場所で、と考えたのか、神社の麓で掘ったと書いてある。
場所に関する情報はこれだけだった。公共施設の井戸なんだから、一応居住エリアからアクセス出来る道くらいはあったはずだとは思うけど、現地にそれらしいものはありそうか?
ただし、結局地質が問題だった。
水を通しやすい多孔岩である地質のせいで、地下水がほとんど抜け落ちてて、使えなくは無いけど生活用水の安定供給は望めなかったそうだ。
ただ島全体でそういう地質だったからか、山の上で降った雨は、地上の水は急斜面を駆け下りて洪水のようになるし、地面にしみ込んだ水はすぐに地下を浸透して島の低い所まで流れた。
その結果、雨の日だけは井戸近くの地下水が大幅に増えて、ごく一時的に井戸に潤沢に水があったらしい。その日のうちに抜け落ちて水位は下がるし、残念ながら泥で濁っていて飲み水には使えなかったそうだが』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ル~ビ~」
「んー?」
「一発芸 貞〇」
「ひゃあああぁぁぁぁぁ!!??」
「わっ!? ビビりすぎ……これやるの二回目なのに。大丈夫そ?」
「よりにもよって古井戸のそばでそれやらないでよ! シャレにならないって!」
「ルビー、どうどう、ステイステイ」
自分の長い黒髪を顔の前に垂らした後、後ろから私の肩を叩いて振り向かせる悪趣味で体を張ったコメディエンヌ。
昨日私が船でビビりまくったので味をしめたらしく、してやったり顔にムカついた。
「うーん……」
後ろ二人のふざけ合いを気に留めず、あかねちゃんが身を低くして井戸を覗き込んでいた。
井戸の穴の大きさは……どうだろ、人の身長くらい?
井戸を囲う石積みの高さは私たちの腰の位置くらいで、子供が誤って落ちないようにするくらいのものでしかなく、少し低いように感じて近寄るのが怖かった。
「見るなら必ず重心を低くして見てね。落ちたら助けられない」
「りょ。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ……うーん、暗くて井戸の深淵をのぞけないね。ルビーも見てみたら?」
井戸の上には、昔は屋根があったのか、柱の基礎のような石が何か所か、そこにだけ草が生えていないから分かる程度の大きさでいくつか敷かれている。
今は石の上に何もない。
あかねちゃんとフリルちゃんが膝立ちで中を見ているので、それに倣って私も覗き込む。
むわっと、泥のこもったような匂いがする。
井戸の内側は苔がいたるところに生えていて、何か所かは内壁の岩の隙間から草がそのまま横方向に生えている。
だけど、元々太陽の光が届きにくい森の中だし、暗くて奥の方は確認出来なくて……中に水があるのかも分からない。
「自分のプライベートのやつを落としたらショックだもんね」
あかねちゃんがスマホを取り出して、ライトをつけて井戸の中を照らし始めた。
使わないだろうと昨日の夜思っていた業務用スマホの強力ライト、結局使うことになった。
「よくこんなところに井戸掘ったよね? よく分かんないけど……普通住んでる集落の近くに作らない? 私たちのコテージのそばとかさ」
「……ルビーちゃんの言うとおりだけど。海の側で井戸を掘っても地下水に塩水を引き込みかねない。だから、少し離れた山の中にあってもおかしくはないよ」
「ふうん?」
「明るさ足りてる? 私も照らすよ」
「あ、私も!」
「ありがと、二人とも。これで落としたら……ここで途切れるGPS情報のせいで、五反田監督に『何しにこんな所行ったんだ?』って怒られそうだね」
私とフリルちゃんも真似して井戸を照らす。3つ分のスマホの光が奥の方を照らすけど、思ったよりも深いせいでやっぱり奥まではうまく見ることが出来ない。
だけど、結構深い所に水面があるのは確認できた。夜空の星のように、真っ暗な穴の奥で、微かにスマホの光を反射していた。
「黒川さんはさ……ここが、水の出所だと思ってる? 水位低すぎて、いくら何でも……」
フリルちゃんが井戸の中を照らしたまま、右隣にいるあかねちゃんの横顔を覗き込む。
相変わらず暗闇を見下ろし続けていたあかねちゃんが、んー……と曖昧な返事をしながら、業務用スマホの光をあちこちにかざしている。
真っ暗な井戸の中で、舞台の役者を照らすスポットライトのように光が動き回っていた。
「分からない。今はこのくらいの水位だけど……台風とかの大雨の時はここの水位はかなり増えるらしいって、アクアくんが。
だから井戸の内側に水位の痕跡が無いか探したんだけど……見えるかな、あの横に生えてる草。葉っぱに乾いた砂がついて茶色になってる。でもこの台風で水位が上がって、泥水に浸かって付いた砂なのか確定できない」
「ん―言われてみれば……そうだとしたらだいぶ高いね。あの葉っぱ、井戸の口から2、3mくらいかな? でもなんで今朝の台風って確定できないの?」
「昨日の台風が今年初めての台風じゃないから……冬には枯れるだろうから、あの葉っぱについている以上少なくとも今年のものだろうけど……」
横であかねちゃんとフリルちゃんが話している内容についていこうと、耳を集中させながら話題に上がっている草を照らした。
複数のスマホで照らされて明るくなった草をよくよく見ると、確かにトランプのスペードのような形の葉っぱの上に、薄汚れた茶色がまぶされたような色をしている。現場のコテージの床を思い出させるような。
「確かにね。直近で付いた砂とは言えないか。……ん? いや……? 言えるくない?」
「え? そう?」
スマホを持っていない方の手で作った握りこぶしを口の前に持ってきて、一瞬考えこんだフリルちゃんがあかねちゃんの考えに踏み込んだ。
断定しないでいろんな可能性を考えていたあかねちゃんが、珍しく素っ頓狂な声を出していた。
「うん、だってさ。昨日の台風であそこまで水位が届いていないと仮定したら……あの葉っぱの砂は過去の大雨で水位が上がった時の、古いものって言いたいんだよね? だとしたら、昨日の台風のものすごい雨で洗われて砂が落ちてると思うけど。この井戸屋根無いし」
「んー、そっか……大雨が降った後なのに、屋根が無い井戸の中の葉っぱに砂が残っているのは……一度水没して、雨が止んだ後に水位が下がって、濁った水の砂が残されたから……」
「っていうパターンしかなくない?」
「不知火さんの言うとおり、なのかな……雨水で葉っぱの汚れなんて落ちるかな……」
「黒川さん、良いこと教えてあげる。台風の時に敢えて雨戸閉めずに網戸を雨ざらしにしたらピカピカになるんだよ」
「どっかで聞いたことあるようなライフハックだね」
「でしょー? ルビーが言ってたこと思い出してさ。このスマホ画質いいし、拡大して撮ってみたらよく分かるかも」
「……分かった。不知火さんの言ったこと、合ってる気がする……ありがと。撮っておくね。照らしてくれる?」
「おっけー。でもこの井戸が事件に絡んでいたとしてもさ、アクセスが悪すぎるよね。さっきまでの藪の道しかないのかな? あの排水のホースを本当に使ったとして……ここが現場からホースが届く範囲の場所なのかなあ」
「確かに。場所、か……」
あかねちゃんが立ち上がって、スマホを鞄にしまった後にポケットに手を入れて何かを取り出した。
この島に来る前に渡された、島の簡単な地図。島の形もデフォルメチックでいい加減だし、コテージと学校しか書かれてないものだったから、昨夜海辺に地図にない神社を見つけた時は驚いたっけ。
両脇から覗き込もうとする私とフリルちゃんが見えやすいように、胸の高さで広げていたそれをお腹くらいの高さに下ろしてくれた。
「場所を特定できないか試してみよっか。ギリギリ見えるあれは学校の時計台だよね?」
「うん、そうだと思う」
「ほかに何か、ランドマークが見えたらいいんだけど……」
森の木々の間から、学校の時計台と思しきものが煙突のように見える。
他は……空ばかりで、森の木が邪魔しているせいで何も見えない。
学校より高い建物は島に無いし、山は大きすぎて山頂の方向は大まかにしか分からない。
「何も見えないならしょうがないか。だいたいの位置しかわからないけど、あと方角が分かればそれでいいかな」
「あぁ、ちょっと待って。アッ〇ルウォッチの設定変える。私いつも時計表示アナログじゃなくてデジタル派だから」
「? あかねちゃん、方位磁針アプリ無いの?」
「五反田監督の電波が弱過ぎてダウンロードできなかったの。そんなアプリ普段入れてないし」
「ああ……うん……そりゃそっか……」
あかねちゃんの言葉に反応して、フリルちゃんが腕時計の画面に触れて、画面設定を変えている。
だんだん阿吽の呼吸のような動きを見せ始めている二人の協働作業を横目に、低くなり始めている太陽の方向を見る。
夕方だから、あっちの方が南西か……西の方になる?
今すぐという訳ではないけど、じき夜になる。あかねちゃんの探しているものがこの井戸だけなら良いんだけど。
「こっちが真南かな」
「わかった」
短針を太陽の方に向けられたアナログ時計の画面を見ながら、フリルちゃんが一方向を指さした。
それを見て、あかねちゃんが地図にブツブツ言いながら指で地図をなぞる。
なんだか、小学生の頃オリエンテーリングの催しで似たようなことをした記憶がある。
「学校がこっちで……真南はこっち。山頂はここから見えないけど、だいたいこっちの方向だから……今私たちがいる場所は……」
おおよその位置を掴んだのか、あかねちゃんが内ポケットから取り出した赤ペンのキャップを口に咥えて外す。
そのまま、地図に付けられた赤い○。
「え?ここって……」
目を見開いたフリルちゃんと、一度顔を見合わせる。
そして二人揃って、この井戸が事件に関わってるって一番疑ってるっぽい人の方へ振り返った。
あかねちゃんは既に地図から顔をあげて、木漏れ日の光を正面から受けながら、その光に負けないくらい鋭い視線を南西の方向に向けていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
井戸からプロデューサーのコテージまで、目の前と言っていいほど近いかもしれないことが分かり、そのまままっすぐ現場方向に向かって歩いた。
あかねちゃんから、何か痕跡が無いか注意深く探していこう、と言われていたので、よそ見して木の根っこに引っ掛かって転ばないようにしながら足元を見渡す。
雑草の背丈は崖沿いの道に比べて低く、十分歩きやすい。木の背が高く、あかねちゃん理論だと森としての年齢が長い(?)ということ? 気が大きいと木漏れ日が少なくて薄暗いから、草が育ちにくいのは何となく分かる。
そして、注意深く探す必要もないくらい、痕跡はわかりやすく見つかった。
「あかねちゃん、これは写真残しとく?」
雑草が完全に寝ている所を見つけた。一瞬人が踏んだ、という感じじゃなくて、何かが横たわっていたかのように、井戸から現場に向かう方向に帯状にぺったんこになっている。
「ありがとう、もちろん撮るよ」
「これ……何かここに、置かれていたのかな?」
「んー、この雑草が倒れている範囲の太さ、多分あれだよね。今朝学校の校庭周りの水をどかすのに使ったポンプのホースと同じくらい。予想してたとおりだけど、やっぱりあれを使ったんじゃないかな、これは」
写真を撮っているあかねちゃんにフリルちゃんが答える。胸の前に広げた手のひらを左右向かい合うように出して、『このくらいの太さだったかなぁ』とホースの太さを再現してくれた。
あのホースは……使う前から、既に濡れていた。台風の中備品を出しっぱなしにしていたからだと皆思っていたけど、奥の方まで濡れるはずがない、結露なんて起こるはずがないとあかねちゃんが言っていたとおりだとすると……。
「フリルちゃんの言うとおり、やっぱり、アレがここで朝使われていた、ということになるのかな?」
「そうだね、そこはもういい加減、確定だと思っていいかな……。まだ分からないことはいっぱいあるけど」
少しずつ分からないことを解いていこう、と言いながら、フリルちゃんと一緒にしゃがんでいたあかねちゃんが立ち上がり、お尻についた草を手ではたいて落とす。
分からないこと、か。少しずつピースが見つかってきている気がするけど……それでもやっぱり、ここから現場のコテージに水を入れていくのはあんまり想像出来ないままだった。
朝、プロデューサーのいびきを聞いてから亡くなっているまでの時間、わずか2時間程度。やっぱり何度考えても、いくら何でもこんなやり方じゃ時間が足りないんじゃ?
それと……写真撮影が終わった後も、私のコテージも完全に乾いたとは言えずしつこく湿気が残っていた。明け方に台風は過ぎ去ったのに。
朝8時以降に水を入れた犯行だとしたら、いくら何でも部屋の中のものが乾きすぎている気がする。暑い夏とはいえ、窓から日差しを浴びる前なのに、そんなに早く乾くもの?
やっぱり水浸しにさせるやり方じゃない? 何かを見落としてる? あるいは……何か根本的なところで、勘違いしてる?
それに、そもそも井戸までどうやって長いホースを持ち込んだんだろ?
時間が無いのに。まさかあんな藪道を通ってきた?いやでも、誰も通った痕跡が無いってフリルちゃんも言ってたし、違う?
じゃあ……他に、道があったりする?
「やっぱりここに出るんだ……ルビーちゃん、少し戻って。崖に近づきすぎないでね……どう? 二人とも降りられそう?」
「ちょっと、自信ない、かな~……率直に言って怖すぎ」
「私も同じかな。徒手空拳なんて考えられない。ルビーが無理なら無理だね」
3人でそのまま現場の小屋の方向に進むと、相変わらず草がぺったんこになっている跡が続いていて、最終的には……小屋の裏手にあった崖の上に出た。
崖の上から見下ろすと、あかねちゃんが私を肩車して調べた小屋の窓がこちらを向いている。
そして崖は、下から見たよりも上から見た方がものすごく高く感じた。足がすくんじゃうほどだ。
降りられそうか聞かれて、頭の中でここをアスレチックのアトラクションさながら逆ボルダリングして降りている自分を想像してみる。ところどころ崖の岩の隙間から木が真横に生えていて、手足を乗せるとっかかりが無くはないけど、岩が苔むしててすごく滑りそうだ。
「たとえ降りられても、登るのは昼に見た時も言ったけど絶対無理だよ」
「うーん……どうやって100m近い長さのホースをこの崖の上まで運んだのか……」
「ねえ、さっき私もそれ考えてたんだけど……単純にさ、この場所まで上がれる道が他にあるのかも知れないよ? 崖沿いに探してみない? 悩むようなことじゃないかも!」
「……うん。確かに、昼間に下にいた時は周りまで調べてないし……調べている時にパズルを組み立てるのは時間の無駄だね。ピースを探している時は探すことに集中しようか」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「こことか怪しくない? 木の枝が折れてる。しかも枝の折口がまだ緑色だし、多分今日だよね。折れたの」
「……台風の風で折れただけかもしれないけど、確かに人が通った跡かもね」
崖沿いに西の方に歩いて3分程度。しばらく崖がむき出しで、その崖も垂直に近い急斜面の状態が続いてとてもじゃないけど降りられそうにない状態が続いた。
その後、崖の淵に生垣のような背の低い木が生え始めて、上から崖の様子が見えなくなって……少し歩くと、フリルちゃんが何かを見つけてあかねちゃんに声をかけた。
枝が折れている、とフリルちゃんが言う所を見てみると、確かに体を捻れば通れそうな隙間を無理やり通ったかのように、その部分の木の枝が折れている。
「行ってみる」
ここに来るまでと同じ隊列、あかねちゃんを先頭に、木の間の隙間に体を入れて、ダーツを構える姿勢のように手で顔を庇いながら横歩きで進んでいった。
西から吹き付ける強い風が前髪を吹き上げて、丸出しになったおでこに風を強く感じる。
風で撓んだ木が振り子のように揺れて道を塞いで進みづらい。あかねちゃん、フリルちゃんと2人が通った後なのに、3人目の私もベキベキ音を立てながら枝を折って進んでいく。
「……ここ、降りられそう」
「いけそう?」
「崖自体がコテージの裏よりも少し緩くて、上り下りできるように道っぽいものがある……ような……」
「危なくないなら降りてみる? 黒川さんずっと先頭だけど、私が行こうか?」
「ううん、そんな。私が行きたいって言ったんだから、そんな危ない事二人にさせられないよ」
「……やっぱ無理してるよねぇ」
すぐに飛び出していったあかねちゃんの背中に投げかけるように言ったフリルちゃんのつぶやきは、海から来る風に乗って私にだけ聞こえた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ああー! ここに出れるんだ!」
あかねちゃんが下りていったのをついて行くと、崖にへばりつくようにジグザグに降りていける細い道があって、ゆっくり崖を降りることが出来た。むき出しの岩場に波しぶきがかかっているのが遠くに見える。
もともと高さは建物の3~4階くらい……10mに届かないくらいの崖だった。柵なんてものは当然無かったけど、木もところどころ生えていたし、歩いてみるとそこまで危ない印象も無く降りることが出来る。降りきったところにもあった藪と木をかき分けて少し南に歩くと、現場のコテージの前に出た。
「上り下りは出来るね。余裕で。昼は崖の上に井戸があるなんて思ってなかったから真剣に登り方を探してなかったし、さっきの道の入り口も草と木で隠されてたから分からなかった」
「うん……ルビーちゃんのお陰で余計なことを考えなくて済んだ。井戸の周りにホースを使った跡があって、井戸とコテージは行き来可能……」
「お? これ結構答えにたどり着けてない? どお?」
「いや、うーん……まだルビーちゃんの言っていた、『なんで水かけられて起きなかったのか』とかあるし……」
いつの間にか、二人は肩が触れそうなくらいの距離感で話し合っている。
あーあ、はじめっからこの道を知っていれば、あの地獄の虫だらけの藪道を通らずに済んだのに……。
それにしても風が本当に涼しい。生き返るような気分。大筋のやり方はこれで答えが出たと思っていいんじゃないかな?
一食だけ作ってくれるらしいあかねちゃんのご飯が待ち遠しい。
『ずっとインスタントだと皆さん辛いでしょうから』ってことらしい。すごいなあ。
夕方だし、もうこのまま自分たちのコテージに帰って汗を拭って、夕飯作り始めるまでゴロゴロしてもいいんじゃないかな。
「あと一つ、上に戻って調べてもいいかな」
あかねちゃんはそんなつもりじゃなかった……。
「え? でももうここまで来ちゃったし、もう帰るしかなくない? あかねちゃんまだ探したいところあるの?」
「……あの井戸、アクアくんが言うには、神社のふもとに作られたって。井戸のためにあの道が作られたわけじゃなくて、順序としては神社があるからあの道が作られたということになる」
「黒川さんはその神社が事件に関係あると考えてるの? 距離感分からないけど遠いんじゃ?」
「見てないし何も分からない。けど、犯人はこんなところにある井戸すら犯行に使った可能性が高い。なら、井戸に限らず島にあるものは何なのか、できるだけ情報を集めたい。それに……わざわざ道を切り開かないと行きにくい場所に神社を建てたのは何故なのか。その場所に何があるのか……見ておかないといけない気がする」
「……分かった。最後まで付いていくよ。黒川さんがそう言うならそうなんじゃないかな。神社への道は井戸を起点に探そ? さっきの崖の道、登ることもできると思うよ」
「昨日の夜見た神社とは違うのがあるってこと……? え〜っと……まだ夜まで少し時間あるよね、私も行くよ!」
「ありがとう、二人とも。引き返す時間は決めておく。絶対日が暮れるまでにはコテージに戻れるようにするから」
プロデューサーのコテージに背を向けて、また藪の奥の崖を登れる小道をあかねちゃんが登り始めた。
少しだけ急ぎ足に感じた。
直ぐについて行くと、どうしてもあかねちゃんが蹴落とす小石がパラパラ降って来るから、時間を空けてフリルちゃんがそれに続く。
一度、演技指導をしてくれる流れで、今ガチでママの演技をするためにどれだけの準備をしたのか、あかねちゃんから聞いたことがある。
図書館に行って、過去の動画も調べられるだけ全て調べる。そのうえで足りないところは考察と推理でカバーして演じた、って言ってた。
そうして私やお兄ちゃんでもたどり着けなかったママの人格を、限りなく正確に捉えて。
でも反対に、キャラクター描写の少ない鞘姫を演じる際は苦労したとも言っていた。
点と点を結んで線を描ける頭の良さがあるけど、あかねちゃんはその前の『点を集めていくこと』も丁寧な人だった。
正直、脚にズシッと疲労感がのし掛かってる。虫のせいでメンタルも削られたし、あっつい格好で汗気持ち悪いし、正直帰りたい。
でも……フリルちゃんの言うとおり、あかねちゃんが調べたいって言うならそうした方が良い気もするし。
やると決めたら一人でどこまでも行っちゃいそうなあかねちゃんを、一人にしたくないから。
(ま、ここから降りられることが分かったし。あの虫だらけの道は二度と通ることも無さそうだし……大丈夫だよね)