【完結】もしもし、アクアくん?〜女優探偵の事件簿〜 作:ねこのまんま
16:40
「あかねちゃん……これ……」
井戸に戻り、山頂を目指す方向にかすかな道の名残をあかねちゃんが見つけてから、十数分。
距離もそれなりにあったと思うし、なにより深い森の中を山に向かって急な坂を登っていくその道は、例によって荒れていた。
道すがら、杖代わりに長くて太い木の枝を拾って、凭れるようにしてゆっくりと登って行った。
島の奥地へ進む荒れた道を登り切った場所に現れた、大きく開けた場所。点呼をとってからかれこれ一時間以上は経っている。
陽の光は真横から照らしてきて、ほっぺたが左だけジリジリ暑い。時間的にも、犯人が残した痕跡を探す探索も、ここが締めくくりになるはず。
昨夜、真っ暗闇の中で島のはずれで感じた不安と悪寒を思い出して、思わず前に立つあかねちゃんの背中の後ろに身を隠すように下がった。
昨夜と違うのは、まだ日の光は残っているから境内の様子が見て取れるということと、開けた場所の入り口の鳥居が比較にならないほど大きかったこと。
「穴山神社、だってさ」
「……額束、落ちちゃってたんだ。穴山神社……。写真撮るからそのままでお願い」
丸太で組まれた鳥居はところどころ、縦にひびが入っている。
フリルちゃんが鳥居の下にしゃがみこんで、神社の名前が彫られた大きな板を見つけて、手に取って立てた。あかねちゃんがそれをスマホで撮影する。
この神社は森の中だからか、虫だらけの道みたいに風が弱くて他の音がよく聞こえる。
蝉の合唱が共振して、目を閉じて音に集中すると、意識が自分の頭の中心に引っ張られるような感覚になる。
耳の奥まで震えるような蝉の声に反して、雰囲気は不思議と静けさを感じる。
でも癒されるというよりは、ざわざわと気持ちが落ち着かなくなるような静けさだった。
昨夜行ったもう一つの海辺の神社に比べて、確実に境内が広い。変な例えだけど、アイドル駆け出しの頃のライブ会場くらいの広さだと思った。
最初のライブであるJIFはMEMちょの人脈のお陰で特別に出来た大規模なもので、その後宮崎に行くくらいまでは、少し狭いハコでも貪欲にライブをやっていたものだ。
ここには……300人くらいは集まれる気がする。
腰くらいまでの高さの猫じゃらしのような細い草がいたるところで伸びているけど、ここまでの道のりのように藪に埋もれるようなひどさではなかった。
たぶん、足元に敷き詰められた玉石のお陰で、植物が生えにくくなっているんだと思う。
(穴山神社、か……あれ? 『あなやま』って、この島に来てから、どっかで聞いたことあるような……?)
「行こ」
先頭で鳥居をくぐるあかねちゃんの声で我に帰って、二人でそれに続く。
真昼に比べたら流石に薄暗くなって来た黄昏時、蝉の声に混じって玉石を踏みしめる3人の音が混じる。
時折手の甲に猫じゃらしっぽい草がチクチク触れてくすぐったい。草を蹴るたびに、隠れていたバッタが飛び出した。
鳥居をくぐった先は、それこそ夢の中の世界に感じられるような、白昼夢に囚われたような浮ついた雰囲気を感じて。
「ここで何をしていたんだろう」
「え?」
「急な山の中にこんな平らな地形が自然に出来たようには思えなくて。広い場所があるから神社を立てたんじゃなくて、この場所に神社を立てて、人が集まれるように境内を広げたように感じる。……まあ神社だし、祭事か何かだと思うけど……この広さ、島のほとんどの人が集まれそう」
「ん~……ライブかな? ごめん、冗談」
「……ふふ、確かにお祭りで神様を奉るのと、ライブの喧騒の中でアイドルを推すのって、似てるかもね?」
昨夜海辺で、私と一緒にもう一つの神社を見ているあかねちゃんも、境内の広さに違和感を覚えているらしく、後ろに向けて少しだけ首をひねりながら話しかけてくる。
確かに、ここで何をしていたんだろう。あかねちゃんの言うとおり、ここに神社を立てて、大勢が集まれるように広場を広げていって……。だとしたらそもそも、何でここに神社を建てたんだろう?
「だいぶ荒れちゃってるねえ」
社の目の前まで来ると建物の全容が見えてきて、フリルちゃんが一言感想をこぼした。
屋根がひしゃげて傾いている。
どこかしこも苔むしていて、あちこちに蜘蛛が巣を張っている。それも、風を受けると力なく靡くヨレヨレの巣で、張られてから何年経っているか分からない。
だけど、社も境内の広さと同じで、ここの社は海の神社のよりも大きかった。
そしてもう一つ……社の向かって左隣に建てられていたものが、どうしても私の視界の端に映って、昨夜の悪寒を呼び覚ます。
「あの倉庫を見るのは、社を調べた後にしよ? その時ルビーちゃんは無理しなくていいからね」
私の落ち着かない様子に気付いたのか、宥めるように声をかけてくれる。
海の神社でも見かけた小さな倉庫が、この神社にもある。似たような姿で、石造りのように見えるのも全く同じ。
昨夜は見ることが出来なかった……あるいは見ずに済んだあの倉庫の中も、あかねちゃんは後で調べるつもりらしかった。
「ルビー……ここ、何か、感じない?」
「へ? 何を?」
「なんていうか、こう……胸の内というか、頭の中に直接、なんかこう……感じない?」
「え? なんでフリルちゃん急にスピリチュアルなこと言いだしたの? こわ……」
「いや、昨日の夜ルビーがフラフラ真っ暗な神社に行ったって話聞いてさ。やっぱり神社の神様に気に入られて呼ばれた説、まだ私は信じてるんだよね。社の目の前まで来たけど、何か感じてない?」
「怖いって! 何も感じてないよ!」
「そっか、残念。黒川さん、入るよね?」
「うん。……ついて来て」
「分かった」
迷いなく返事するなぁ……フリルちゃんもけしかけててノリノリだし。入っている最中に崩れたりしないかなぁ。
私の不安をよそに、あかねちゃんは一度だけ目を閉じ頭を下げて、社に向き合っていた。
「ごめんなさい、不躾な好奇心なんかじゃなくて……人が一人亡くなっているんです……中に入らせてください」
……律儀な人だね。知ってたけど。
まぁでも、そもそもこの3人の中では、転生を経験した私こそ、一番神様の存在を信じるべきかもしれない。
多分45年、誰も来なくなった神社の神様にあかねちゃんに倣ってフリルちゃんと一緒に挨拶したあと、先頭のあかねちゃんが階段を数段上って扉に手をかけた。
「あっ……」
扉の立てつけ部分は壊れていたらしく、当然鍵も無かった。扉に触れ力が込められた瞬間、ガコっと音を立てて、扉が開くのではなく奥に倒れ込んだ。
奥の暗い空間に向かって倒れていった扉が床に触れた時、ドスンと重いものが倒れる音ではなく、パァンと破裂するような、耳をふさぎたくなるような不快で乾いた大きな音が反響した。
森の中の廃屋、夕陽があまり中まで差し込んで来ないから、目が暗さに慣れないと中々様子が見えない。
誰ともなく、3人ほぼ同時にスマホを取り出してライトをつける。そして次第に暗さに慣れてくる目のお陰で、ぼんやりと様子が見えてきた。
神社の中、お参りの時によく目にするお賽銭箱の奥にある神棚?は崩れて、尖った木片が散乱してる。
意外と奥行きがある様子だった。スマホの光じゃ届かない空間がさらに向こう側に広がっている。
扉が倒れた瞬間から、音の反響とこだまを聞くまでに少し時間がかかった気がして、入ったら戻ってこれなくなるような社の空間の奥深さを感じた。
「ルビーちゃん、天井を照らして」
「天井?」
「こういう暗い所、天井を照らすのが一番全体を明るく出来るから」
言われたとおりにスマホを上にかざす。
照らされたまばらな梁は太く頑丈に出来ているらしく、そのおかげで多少崩れかけている社が、完全に倒壊してしまうのを免れているらしい。
床はいたるところに、得体の知れない白いふわふわしたものや、モコッとした緑色の塊のようなものがおおわれている。カビや菌の類に見えて、生理的に気持ち悪かった。
肝試しのような恐怖感よりも、ずっと換気されてなさそうな湿った空気の不快感が上回る。
ギシギシ、と床板が大げさなくらい軋むのを気に留めず、あかねちゃんは相変わらず躊躇を知らない足取りで進んでいく。
ついて行く後ろの二人。
私は後ろから天井を照らし続けているけど、前二人はせわしなくスマホをあちこちにかざして、何か変わったものが無いか探していた。
「箪笥……文机……あれは燭台かな? 拝殿と社務所、神職の居住空間が合わさっていた? 珍しいな……神様と人の間の垣根が低いってことかな。一緒に生きてるみたい。アクアくんが言ってたとおりかも」
後ろから身体だけ傾けて、あかねちゃんが照らす先を見る。確かに、ここに住んでいた人がいたように見える。
箪笥や文机と座椅子が苔むしながら倒れ、箪笥に至っては引き出しが半開き、薄茶色の服がはみ出していた。何となく、45年前は真っ白な服だったんだろうなと思った。
「え!? この服、シルクじゃない!? 贅沢~」
「あ、ほんとだ。凄いね、絹製品なんて」
「……うーん、けど事件に関係しそうな目ぼしいものは特に……やっぱり考えすぎだったかな」
「あれ? ねえ、あれは?」
暗い壁際に、木製のため色合いが壁と一体化して存在感を失っていた本棚を見つけて、二人に呼びかけて指さす。
真っ先にあかねちゃんが向かい、入口でスマホのライトをつけるために一度脱いだ軍手をはめなおして、一冊を手に取ろうとした。
湿気を吸ってよれよれになった本は本棚から出された瞬間、カビの甘ったるい臭いをまき散らしながら、自分の重さに耐えられずにボロボロと紙くずになって崩れていった。
「しょうがないけど、ひどい保存状況……読めるものは無さそうかなあ……」
「黒川さん、これならいけそう。ちょっと虫食いになっちゃってるけど」
「ありがと、見せて……ルビーちゃんは上から照らしてくれる? これは……日記かな?」
『つまを殺めた咎にて この島に流されてより 幾月経つただらうか
咳の病に侵されしつまは 苦しい もう隠れてしまひたいとしきりに我が袖を引く
咳のたびに血が出でて 穢れたこの病を君にうつさまうけれとばかり云ふ
医師に頼むれど るいれきはせむかたなし 治すこと能はずとばかり云ふ
許したまへと云ひ つまを抱きながら脇差で胸を突ひた温けしつまの手が忘れられぬ
かたじけなし これよりも極楽にて君を想へりと最期に云ふつまの言の葉は呪いにも似てゐたり
つまの病に力無し
つまに許したまへと云ひ別れるはわびし 我もかたじけなしとこそ云ふたけれど 極楽にて妻にえ会はずと思ひけり
而して つまを殺めし後共に死ぬこと能はず 同心に伝へ奉行所に自首す
島に社あり 名を穴山と云ふ
みこに我がうへを伝へると つまのよすがを問われ 婚礼にておくり よとともに身に着けたるつまの遺せし桔梗の簪を見す
みこ曰く 社の裏にありし岩淵の池にてよすがを奉じ 病の棕櫚の注連縄に編み込むべし 病の棕櫚の注連縄ばかり 海の社にあり さすれば神となり 島の木となり水となり 風となり土となり海となれり
其方と共に生くるべし
其方のつま 其方のよすぎを守らむ』
「……」
「……」
「……あかねちゃん」
「ん?」
「あの……現代語訳、お願いしたいな~、なんて」
「……えーっと……」
『妻を殺害した罪でこの島に流罪になってから何か月経っただろうか。
咳病に侵された妻は、苦しい、もう死んでしまいたいとしきりに私の袖を引く。
咳をするたびに血痰が出て、死の穢れがあるこの病気をあなたにうつしたくないと言う。
医者に頼んでも、結核はどうしようもない、治療できないとばかり言う。
許してほしいと言って、妻を抱いて胸に小刀を刺した時の妻の手の温かさを忘れられない。
ありがとう、極楽でこれからもずっとあなたを想いつづけるという妻の最期の言葉は呪いにも感じた。
妻の病気にただ無力だった。
妻にごめんなさいと言って死に別れたくなかった。私も妻にありがとうと言って別れたかった。このまま死んでもあの世で妻に会えないと思われた。
そうして、結局妻を殺したあと妻と心中することが出来なかった。同心(≒江戸時代の警察)に伝えて奉行所に自首した。
島には穴山という神社がある。
巫女に身の上を伝えると、妻とのよすがを問われたので、結婚式で贈り、妻が毎日身に着けていて、妻が遺した桔梗のかんざしを見せる。
巫女が言うには、社の裏にある岩淵の池にてよすがを奉じて、病のシュロの注連縄に編み込むこと。病のシュロの注連縄だけは海の神社にある。そうすれば島の神となり、島の木となり水となり、風となり土となり海となる。
あなたとともに生きることが出来る。
あなたの妻は、あなたの島での生活を守るだろう』
「だいたいこんな感じかな?」
「……おっも! 何となく開いた日記、内容重すぎない!?」
古ぼけてシミだらけで、ニョロニョロとした昔の人の字だったけど、何とか文字を読めなくはなかった(というか、読めないところもあかねちゃんが補完してくれた)。
ただし内容はありふれた日常とか、面白おかしいものではなく、個人的にも胸をつくものだった。
なぜか、せんせにアクリルキーホルダーを渡した瞬間がフラッシュバックした。
ママの事を暴露されて一時的に喧嘩してた頃は例外だけど……星野ルビーとして生きていけるようになってから、せんせが……お兄ちゃんが向けてくれる、私を大切にしてくれるその気持ちに疑いを持ったことはない。
そして、あの時の無邪気で精一杯の想いの吐露を、後悔なんてしていない。
でも、ずっと大切にすると言ってくれたせんせの笑顔は、強がりではなかったか。
私の今際の際の言葉は、せんせの心にどんなふうに残ったんだろう。
私が死んだあと、せんせはアクアになるまでどんな気持ちで生きていたんだろう。
私たちは生まれ変わって再会した。だけど、すぐにお互いの前世を知ったわけじゃない。
アクアがせんせであると知らずに兄妹として一緒に過ごした時間の方が圧倒的に長い。
その日々の中で……ツンデレでSっぽくて悪ぶっちゃう優しい人の、心の弱い繊細な部分を知ることが出来たから。
あの時見たせんせの表情の印象が、今はあの時とは……少しだけ……違ってきている。
(せんせ……)
「うーん、でも宗教観はアクアくんが教えてくれたとおりだなぁ……アニミズム的信仰……」
「それに、新しいワードが出てきたよね。よすが……岩淵の池……シュロの注連縄……よすがってなんだろーね?」
「漢字では『縁日』の『縁』で、
「まあ一般的にはそれだね。文脈的には……故人と偲ぶ人との、生前の繋がりを象徴してるもの?」
「多分、不知火さんの言うとおり」
「他の本も調べてみる? 時間足りないかな? 他にも池とかあるけど。私も少し周り見てみようかな?」
「うん……まだこの建物も、奥に何かありそうだけど……」
遠く昔を思い出して空想にふける頭に、あかねちゃんとフリルちゃん声が届いて、現実に引き戻されて振り返った。
本棚の奥にあった、横にスライドさせるタイプの大きな扉にあかねちゃんが向かっている。扉に見覚えがあって、この社の入り口で倒してしまった扉と大きさも模様も一緒だった。
取っ手に手をかけて開けようとしてたけど、ガタガタと音がするだけで開く気配が無い。
「鍵かかってるし、屋内だから扉もしっかり残っちゃってるか。開けられないしここが行き止まりでいいかな」
「何かさ、入口からここまでくる間にそこらへんにあった扉よりゴツくない? あかねちゃんが壊しちゃっ……開けた玄関と殆ど同じ扉に見えるけど。玄関の奥にもう一回玄関があるみたいだよね?」
「うーん……この先、本殿かも」
「ほんでん?」
それなら無理やり入らない方がいいかな、と言って取っ手から手を離し、扉の前からあかねちゃんがこちらに戻ってきた。
「神社でみんなが二礼二拍一礼している建物は『拝殿』で、その奥に本当に神様がいる『本殿』があるの。神職の人でもいつもは入れないんだって」
「へぇー。この奥に神様がいるの? あれ?みんなで宮崎行った時荒立神社でお祈りしたじゃん? あの建物は……」
「神様はもっと奥にいるから、あの建物にはいないよ」
「そうなの!?……そうなんだ……でもこの神社の場合この奥にいそうなんだよね? え、気になるんだけど。鍵探して中見てみない?」
「ええっ!? 開かないし、やめた方が……だいたいは鏡が置かれているだけっていう神社が多いみたい。もちろん私も入ったことなんてないから、本当か分からないけどね。でも普通は拝殿と本殿は同じ建物じゃないはずなんだけど……」
「少し周り見てきたよ。昔の日用品ばっかりで、ここは特になにも無いと思う。やっぱ流石にこんな山奥は事件と関係ないのかな……どうする? 黒川さん、もう少し探してみる?」
ほんの少しだけ私たちから離れていたフリルちゃんが戻ってきた。暗くて顔が見えないけど、腰の位置辺りで動くスマホの光が近づいて来てる。
「いや、もう時間無いから、他のところにできるだけ行こうか……まずは社の裏にあるらしい、池に……うあっ!?」
「!? 危なっ……くぅっ……!!」
「あ、あかねちゃ……!」
歩き出したあかねちゃんの頭の位置が、突然板が破られる音と共に落ちていった。
直ぐ真後ろにいたフリルちゃんがものすごい反射神経を発揮して、腐っていたらしい床を踏み抜いたあかねちゃんの身体が前に倒れるよりも早く、後ろから手を伸ばして背中のリュックサックを掴んでいる。
「だ、大丈夫……!?」
「……ルビー、手伝って……!」
薄暗くても分かる、見たことも無いくらい切羽詰まった表情のフリルちゃんの隣に駆け寄り、フリルちゃんの手でギリギリ支えられているあかねちゃんの身体を横から抱えて姿勢を戻した。
そのまま、床下に落ちた右足を引き抜くのを手伝う。
あかねちゃんが倒れ込もうとした先の床には、折れた文机の脚が上を向いて落ちていた。
「あり、がと……はあ、はあ」
「あかねちゃん! 脚は!? 痛くない!?」
「うん、大丈夫……不知火さんも……私を支えたら、下手したら私と一緒に自分も転んでいたかもしれないのに」
「私は平気。それより脚ほんとに大丈夫? 脛に腐った床の破片が刺さってたらと思うと……。ここ危ないし、埃っぽいし早く出た方がいいかもね。黒川さんも、いつも先頭を行こうとしなくていいんだからね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
社のすぐ裏に行けば、探し回る必要も無かった。
山の斜面を横から抉られたようにぽっかり空いている空間には、天井の岩からポタポタと透明な水が落ちていて、その下にお椀のように広がった地面に池になって溜まっていた。
洞窟、と言うより、大きな天然の軒下、って感じ?
穴山神社という名前のルーツが、山に穴が空いているこの場所からだと言うのなら、名前どおりで分かりやすい。
池の水は、底の岩の模様が良く見えるほど透き通っていて、ここだけ気持ち涼しく感じる。周りの木の枝がこの場所を隠しているかのように伸びているのも相まって、この場所に神様がいると言われたら信じてしまいそうな厳かな雰囲気があった。
綺麗なところだなぁ。映えそうだし、ちょっと変わった地形だから観光名所になりそう。
あかねちゃんが構えるスマホから、シャッター音が鳴る。
「あー冷たくて気持てぃ―」
「水が貴重な島で、綺麗な濾過水がオーバーハングの岩から染み出して溜まっている場所……この場所に神社がある理由はこれのおかげ……? 流石にここは犯行現場から遠いからこの水が使われたわけじゃないよね……井戸もあったし」
フリルちゃんがしゃがんで片手の指先で水に触れている少し後ろで、あかねちゃんが顎に手を添える『考える人のポーズ』を取り始めている。この島に来てから見慣れた光景だった。
私もフリルちゃんの隣にしゃがんで、合わせた両手の手のひらで水を掬う。ところどころ藻がある以外はゴミも無く、うっすらと手のひらの水面に映り込んだ私の顔が、ゆらゆら揺れていた。
あとは、赤くて両手の手のひらを合わせたより少し大きいくらいの魚とか、本当に小さな可愛い魚が泳いでいた。
「何の魚だろ?」
「赤いのはよく分からないけど……小さいのはメダカじゃん。見たことない?」
「え……!? 学校が川の中にあるやつ!?」
「それそれ。ここ池だけど」
「へぇー。あかねちゃんもすごいけどさ、フリルちゃんも結構物知りだよね。ねえ、持ってきた水だいぶ無くなっちゃったし……ここの水飲めないかな? 見た目すごく透明だし」
「ルビーちゃん、どんな微生物いるかわかんないし、お腹壊しちゃうから……喉乾いた? 水足りないの? 大丈夫? 私の水飲む?」
「ああいや、ごめん、そこまでじゃないよ!……ん、何これ?」
しゃがんでいたところの直ぐ右側の地面に落ちていた、紐状の何か。立ち上がりながら引っ張り上げると、ごく一部が地面から出ていただけのようで、土に覆われていた部分がズルズルと表面に出てくる。
土ぼこりを手で払うと、ごく普通のビニールテープだった。
黄色と黒の縞模様であることだけが異質だった。
「え……何、これ……なんでこんなところに……あかねちゃん、この模様……ここ、立ち入り禁止だった、ってことかな」
「うーん、そういえば、ここ来た時内藤さんが言ってたよね。この島、昔は観光の人が来ても受け入れてたって。よその人が来た時に、神聖な場所には入れないようにしていたんじゃないかな……?」
「? 内藤さん……えっと……」
「ほら、ルビーちゃん……明日映像を担当してくれる人だよ、一緒に来てる」
「……えーっと……」
「ルビー、思い出して。髪がアンダーヘアみたいな人だよ」
「ああー! 髪型がわかめブロッコリーの人! さすがフリルちゃん!」
「……」
「……」
「あはははははは!」「ふふ、ふふふ……!」
「もー! ルビーちゃん! 不知火さんも! 失礼だし、陰でそんなこと言ってると本人の前で口滑らしちゃうから気を付けてよ!?」
「大丈夫大丈夫、私はそんなヘマしないよ。ルビーは分かんないけど」
「なんで私だけ!?」
「あとさ、立ち入り禁止にしてたって言うけど、ちょっと違う気がする」
フリルちゃんが、私が引っ張ったら途中で千切れて1mほどの長さになったビニールテープを手に取った。
森の木をすり抜けてきた弱い風が靡かせて、ふわりと横にテープが漂う。
「神聖な場所だからっていうなら、常に立ち入り禁止のはずだよね? ちゃんと柵で囲ったり、せめて山とかの遊歩道みたいに硬くて頑丈そうなロープとかで囲ったりしないかな? 確かに警戒色だし、立ち入り禁止以外に考えにくいけど。こんなビニールテープ、急ごしらえに感じる」
「あー! 言われてみれば……うーん、それに、この島に来てから初めてビニールのものを見たかも。学校の中と私たちが持ってきたもの以外でさ!」
「そっか……フリルちゃんとルビーちゃんの言うとおりだとすれば……よすが……奉じる……ここは本来宗教上、人が立ち入る前提の場所……すぐ千切れる弱いビニールテープ……島には無い材質……立ち入り禁止措置……
推測でしかないけど……通常入れるこの場所が、昔、何かが起こって……その対応で島外から来た人が急遽、立ち入り禁止の判断と措置をしなければならないほど、危険な場所になった、とか……?」
風に紛れて、ポチャン、と微かに反響する音にビクっとなるくらい、3人とも嫌になるほど静かになった。
水滴が池に波紋を作り、池の底の岩の模様が一瞬だけ微かに歪んでいた。
「え……あかねちゃん……危険って何? ここ、なんか怪我とかしそうな要素ある……?」
「分かんない、分かんないけど……島の信仰とは関係ない他所の人が立ち入り禁止にするって、危ないから以外に考えられなくて……」
「ねえ……もう、行かない?」
「そうだね、日が暮れるし。ここは長居していい場所じゃないかも。黒川さん、もう行こ?」
「うん……最後に、社の隣の倉庫、見に行こっか」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
社の脇の道を引き返して、広い境内まで距離もないからすぐに戻って来れた。
拝殿に比べたらそれほど大きいわけではない白い倉庫まで近づく。
昨夜の海の神社でも手に触れたとおり、白くて表面に漆喰があしらわれている。
石造りのようで、拝殿は半壊しているのにこちらはしっかりとその形を残していた。
入口の扉の上にはひさしのようなものが張り出していて、扉の前の地面は昨日の台風の後なのにあまりグチャグチャになっていなかった。
「ルビーちゃん、どうする? 大丈夫?」
「うん、ここまで来たし。私も行く。あかねちゃんたちもいるしね」
「分かった。……開けるよ」
閂のように鍵をかけられるようになっていたけど、鍵はここの倉庫も残っていなかった。
あかねちゃんが両開きの扉の正面に立ち、右手でドアノブに手を延ばして……静電気で弾かれたかのように、その手を少しひっこめた。
「どうしたの?」
「誰か……ここに来てる」
「え!?」
「錆で色が分かりにくいけど……ドアノブの左右で、左しか砂埃が覆われてない……直近で、誰かが右手でここを開けている……」
ここの神社に初めて来た時も感じた、ざわざわと気持ちが落ち着かなくなるような静けさ。
蝉の合唱の中に、ヒグラシの声も混ざり始めた。
「……まだ中に、いるなんてことはないよね? 私たちが来たから急遽ここに隠れた……みたいな。犯人は現場に戻るとか刑事ドラマでもよく言ってるよね!?」
「無い、と思う。万が一ここに隠れたとしても、私たちが社とか奥の池に行ってた間に出て行ってるはず……ありえないよ……多分ね」
もう一度スマホのライトをつけたあかねちゃんが、砂埃は無いけど錆びているドアノブに手をかける。
鉄製の扉が、ギイイイイっとけたたましい音を立てて開かれて、ゆっくりあかねちゃんが中を覗き込む。
また先頭であかねちゃんが進もうとしてる。どうしてか、さっき床板を踏み抜いて、フリルちゃんがあかねちゃんを支えた時を思い出す。
あかねちゃんばっかり危険に晒されるのがイヤで、あんまり意味が無いかもしれないけど、出来るだけあかねちゃんと同時に身体を倉庫の中に入れようとして、結局3人同時に入った。
中の広さは事務所併設の自宅のリビングと同じくらい。
倉庫の反対側に小窓があり、そこから多少外の明かりが入っていて、薄暗いけど中の様子はぼんやりとであれば見て取れる。あかねちゃんの言うとおり、中に誰もいなくてホッとした。
倉庫の中は意外に物が少なくて、スペースが余っている。
何かが入っている麻の袋、よく分からない机、そして……。
「これが……シュロの注連縄、かな?」
数メートル程度の長さの縄が、蛇のようにとぐろを巻いて積まれて置かれている。注連縄って、もっと太いイメージだったけど、ここにあるものは日用品のロープのように細い。
それでも、ざらざらとした触り心地で、何十年も前に作られている割にはものすごくしっかりしていて、簡単には千切れそうにない。
……暗かったから確証はないけど、昨夜の神社の倉庫にも、隙間から見た時縄があった気がする。
「あのさ、シュロって何?」
「ルビーちゃんもこの島に来て結構見かけてたよ? 南国の島っぽい、ヤシみたいな木。シュロ製の縄ってものすごく頑丈で長持ちなんだって」
「へぇ~」
「……編み込むってどういう意味だろう。継ぎ足していくってことでいいのかな。病のだけは……って日記で書いてあったから、昨日の海の神社にも一本だけある……?」
ブツブツと自分の世界に入り込み始めたあかねちゃんと、もう飽きて狭い倉庫内を歩き回って調べ始めたフリーダムなフリルちゃん。これもこの島に来てからだいぶ見慣れた光景だった。
カン、と固いものがぶつかる音が聞こえてあかねちゃんと振り返ると、フリルちゃんが床に転がっていたものを蹴飛ばした音だった。
「それ、何?」
「分かんない、私も気づかずに歩いてたら足に当たっただけ」
あかねちゃんが近づいて、コロコロと転がるそれを拾い上げてスマホのライトを翳す。
茶色の小瓶のようなもので、表面にラベルのような、紙のシールがべったりと貼られていた。だけど、肝心のシールの表面は剥げていて、何が書いてあったのか分からない。それでもごく一部だけは文字が残っていた。
「……C? これ、C、だよね?」
「ルビーの言うとおり、単純にアルファベットだと思っていいのかな」
「うん……この部分はラベルが剥げている感じじゃない。
あかねちゃんがラベルの表面を指で触りながら答える。
C。何を表しているんだろう? Gだったらみなみちゃんのカップなんだけど……
「Gだったらみなみのカップなんだけどなあ……」
おんなじことを考えている人が隣にいた。
「何かのイニシャルかな? Cから始まる単語。何だろう……」
そんなに英語得意じゃないし、大して語彙を知っている訳じゃないけど。
C……うーん……。
「……CuteのC。私の事かな?」
「そうだね、CrazyのC。ルビーの事だね」
「えへへ! ん?」
「……炭素……」
ぼそりと、あかねちゃんが口にする。真顔の沈黙の後のあかねちゃんの言葉には、聞く人に『たぶん正解なんだろう』と思わせる何かを感じる。
しばらく瓶をいろんな角度で観察した後、フリルちゃんが一度これを蹴飛ばした辺りの床を調べ始めた。あかねちゃんがしゃがんで見ている個所は小窓から遠く、暗くてほとんど分からないので、私のスマホのライトを上から照らす。
「まだいくつかあるね、この瓶……ルビーちゃん、この辺照らしてくれる……?
やっぱり……いくつか減ってる。床に丸く埃が被っていない場所がいくつかあるけど、1つは不知火さんの足に当たった瓶があった場所として……他は、おそらくここに来た人が持ち去った……?」
「人いなくなってからも生態系の研究者が何度か来てるんだよね? その人がここまで調べに来て、数年前に何かしたとか……」
「いや……。不知火さんが蹴飛ばしたところと、他の埃が無い所、どっちも全く埃が無い。他のところが少し埃が積もっていたら今ルビーちゃんの言うとおりなんだけど……同じタイミングで、この場所にあったものが無くなってる。今不知火さんが蹴飛ばしたんだから、他も限りなく『今』瓶が無くなってるよ」
指で該当箇所をなぞって、あかねちゃんが指の腹を上に向ける。
床そのもののわずかな汚れが指についているけど、埃っぽいものはついていなかった。
「何のために空き瓶なんかを?」
「分からない。もともと何の瓶なのかもわからないし……」
「そりゃそっか。それにしても、何というか。この島の人には申し訳ないけど、随分『文明を感じるもの』が急に出てきたなって感じがする。なんかこの場には異質だよね、この瓶」
フリルちゃんの言うとおり、ここまでこの島で、原始的な生活感を帯びた雰囲気の遺構を見てきた私たちにとって、この瓶はさっきのビニールテープのような異質さを感じさせるアイテムだと思った。
間違いなく、島の外から持ち込まれている。
これは何?
どうしてこれが、神社の倉庫に?
あかねちゃんの言うとおり、誰かが持ち出したとしたら……何のために?
それ以前に、そもそも、どうして──
「あれ? 他の瓶、まだ中身入ってるよ!」
私なりに考えこみながら私も一つ瓶を手に取ると、タプン、と手応えを感じて、中を照らすとまだ液体が入っていた。
未開封のようで、瓶の上の方まで中身が入っている。
「瓶の色的にリポビ〇ンDに見えるけど、これやっぱ飲めないかなぁ?」
「ルビーちゃん。ダメだよ。絶対にダメだよ。喉乾いてるなら私の水を飲んで?飲んじゃダメだからね?」
「一度に3回ダメって言われるルビーの信用の高さに嫉妬しちゃうよね。でも……ちょっと開けてみる? 中身、気になるんでしょ?」
私にダメって言いながらも食い入るように瓶の中身を見ていたあかねちゃんを見ながら、フリルちゃんが提案し始めた。
見るからにやばそうな気がするんだけど、大丈夫なの? いや、よっぽど危なかったらこんなところに置いてないはずだから大丈夫と言える?
「……確かに気にはなるよ。だけど……異質なのはこの倉庫自体もだよ。どうして木製じゃない? どうして山の上の不便な場所に、重い石を持ってきて手間暇かけてこの倉庫を作ったの? ……もしこの瓶の中身が、可燃性だったら……危ないものだったら……」
「確かに得体の知れないものだしリスクはあるけど。ここから減ってるってことは、事件に関わってそうなんでしょ? 持ち去った瓶は空き瓶じゃなかっただろうし、中身分からないままだとなんか落ち着かないと言うか」
「でも……」
「ここまで徒労だったなんて言わないけど、神社に来てから見つけた事件に関係しそうなものって、これだけだよね。知れたら間違いなく意味があると思う」
目を閉じて、頭の中でリスクと瓶の中身についてを天秤にかけている様子のあかねちゃんが、う~んと声を漏らす。
やらせたくないのが本音だろうけど、やっぱりここまで来てこの瓶について分からないままというのは気が引けたようだった。
「……分かった。コテージまで持ち帰っても他の人に迷惑かけるかもしれないものだったら困るし……その代わり、少しだけだよ。匂いを嗅ぐなら少し離して嗅ぐこと。そして直接中身に触っちゃ絶対ダメ。これをやったらもう帰ろうね」
「おっけー。……ん、これ……蓋、かったい……固着してる……」
「あんま効果ないかもだけど、小窓の日の光に当ててみたら? 中の空気が膨張して開けやすくなるかも。開けられそうになったら私を呼んでね」
この瓶を開けて、中身を少し確認したら、この探索は終わり。ずいぶん長く感じた。午後の一幕でしかない探検だったけど、午前にもショッキングなことがあったし、丸一日動き回っていたような疲労感がある。
倉庫の端の方で、机についてあかねちゃんが調べている。人の身長より少し長いくらいで、見方によっては寝台に見える気がする。これは特に変わったところはないな……とあかねちゃんが言うとおりであまり特徴は見当たらない。
何に使うものなのか私にはもう考える余力は正直残ってなくて、あかねちゃんもスマホで撮影して終わりにしようとしていた。
「お、開けられそう……ふぬぬ……あっ……ごめん、開いちゃった」
小窓の下で瓶の蓋にフリルちゃんが手をかけて力を込め、勢い余って蓋が開けられたその直後だった。
フリルちゃんがゆっくりと瓶を顔に近づけている間に、倉庫の外の風がうなりを上げて、開けられた扉から小窓に向けて一瞬の突風が駆け抜ける。思わず目を細めて、私の長い髪が少し浮き上がるほどの風が入ってきた倉庫の入口の扉に視線を向けた。
後ろで、パリン、と固いものが割れる音がした。
振り向くと、フリルちゃんが持っていたはずの瓶が地面に落ちて、中身が足元の床に漏れている。
なんだろ、この臭い……洗剤のような、お酒のような……そこまで不快じゃないけど、果物や花の匂いような自然な感じじゃなくて……変な甘い臭い。
例えるなら、甘いガソリンのような感じ? ちょっとクラクラする。
なんで瓶を落としちゃったんだろうと、「どうしたの?」と声をかけながらフリルちゃんの表情を覗いた。
少し伏せた目から生気が抜けて、口が力なく半分開いていた。
両手は、だらん、と振り子のようにわずかに前後に揺れて。
膝が曲がって、そのまま壁に背中をこすりつけるように崩れてしゃがみこんだ。
何かよくないことが起こってる。
本能的に感じた漠然とした緊張に、胸の奥がドクンと鳴った。
大丈夫!?と私が声をかけるよりも早く、フリルちゃんの身体は横倒しに床に倒れ込もうとして──横から飛んできたもう一人の人影が、フリルちゃんの身体が床に叩きつけられる前に抱きかかえた。
そして、その人の声では一度も聞いたことが無い大声が、狭い倉庫の中に響いた。
「ルビーちゃん!!!!息止めてすぐここを出て!!!!」
~ To be continued ~