【完結】もしもし、アクアくん?〜女優探偵の事件簿〜   作:ねこのまんま

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原作でも、最終章で頭脳戦で活躍するあかねの描写を見たかったなあ……。


⑮ 第8話 深く潜るように(前編)

 シャワーから戻ってきてコテージの鍵を開けると、20分も経っていないのに寝息が二つ聞こえた。

 

「ほんとに寝ちゃってる……ふふ」

 

 フリルちゃんとルビーちゃんは、それぞれコテージの扉側と真ん中という、昨日と同じポジションで横になっていた。

 一人は膝と背中を猫のように丸めながら、横を向いて静かな寝息を立ててるけど、対照的にもう一人は寝袋のジッパーを半分開けて片足を投げ出し、両手を広げて豪快に『んごぉ~んぴぃ~』と寝ている。既に熟睡から数時間経っているかのような貫禄のある寝相の2人に苦笑する。

 

 私を待ってくれていたのか、明かりはまだ灯されたままだった。

 私も横になったらすぐに夢の世界に旅立ってしまいそう。

 このロケで起きた殺人事件の謎を追い、頭も使い、精神もすり減らす場面が多かった。

 何の因果か、同じ日に彼女たち二人をおんぶしたり肩車したり……肉体的にもだいぶ追い詰められた。

 

(長い一日だったな。はあ……まさか、またこういう事件に関わるなんて。私はただの女優なのに……)

 

 鼻ちょうちんでも出てきそうなくらい気持ちよさそうに眠るルビーちゃんの寝顔を見ながら、カミキヒカルにまつわるあの事件を少しだけ思い出した。

 

 ルビーちゃんの未来を守って、アクアくんの望む形を達成する。

 

 でもそれだけではダメ。一つ、決定的に足りない。

 

 アクアくんに、自分自身が幸せを感じられる人生を続けたいと思わせる。

 

 両方を求めた私の……私たちの戦いも、もう数年前の話。

 

 殺意の立証は困難だ。私がこの年齢となった今では昔だけど、狛江市で90歳の女性宅に強盗が入り、執拗にバールで暴行を加えて死亡させた事件では、殺意が認定されなかった結果強盗殺人ではなく強盗致死だった。

 一般的な感覚では『そんなことしたら死ぬに決まってる。犯人も分かってて、死んでも構わないと思った犯行のはずだ』と未必の故意があると思うけど、それが司法だった。

 無罪推定の原則がある以上、冷静に考えればその判断も間違ってないのかもしれない。

 

 しかし、かつてカミキヒカルを怪物たらしめたのはここだった。

 

 新野冬子の共犯性を共有したのち、『ルビーを守ってくれ』と言ったアクアくんに頷いた後、私は彼の生きる意志を信じた一方で、彼に少しだけ楔を打った。

 本当はそのまま話を終えようとしたのに、なぜだろう……頭の中で強烈な意思が、何かもう一つ、彼に伝えろと叫んだ。

 

 ニノが殺意を示す行動をとったらすぐ連絡する。その場合、カミキヒカルを黒と判断するなら、その後どうするか一緒に考えよう。

 君は当然として、何があっても、カミキヒカルも生きてなければならない。

 一人共犯がいるなら、二人、三人同様に教唆の手がかかった人がいると考えるべき。

 被疑者死亡のままでは、どうしても捜査の掘り下げが相対的におざなりになる。本人の証言が無くなる以上、「立件するほどの関与が認められない」となって送検すらされないかもしれない。

 だから、ニノを中途半端に防ぎ、あの人単体を処理しても、他の教唆の手がかかった人に捜査が及ばず、星野家への脅威は終わらないかもしれない。

 

 そう言った私を見て少し目を見開き、考えるそぶりを見せたアクアくんを見て鳥肌が立った。

 私がこれを言わなければ、彼は何をするつもりだった?

 

 とにかく、殺人未遂にすれば、警察が本腰を入れて捜査してくれるかもしれない。

 新野冬子の犯行に対し危険な囮をしたのは、彼女の殺意を司法に対して客観的にするためだった。

 100人の検察官と100人の裁判官、全員が『殺意がある』と認定する絵が無ければならない。犯行前に抑えても『このナイフは脅すためだった』『ちょっと怖がらせるつもりだった』とか言って銃刀法違反にしかならないかもしれない。

 ルビーちゃんに降りかかるあまねく危険を、一時的にではなく将来にわたって根絶するために。

 

 ……若かったから。そしてあの時の彼の反応を見て、焦っていたから。思い出すと恥ずかしくなるほどに、やり方が色々ずさんではあったけれども。

 

 そういう意味では、今回も上手くはいかなかった。2人には苦労と危険を背負わせてしまった。特に、フリルちゃんが薬品を高い濃度で嗅いでしまったのは本当に猛省しなければならない。

 五反田監督のように『ロケにおける明確な責任者』と言うわけではないけど、午後の3人の探索においては、発端かつ最年長者は私だった。

 

 開けさせるべきじゃなかった。

 倉庫の壁の材質を鑑みて、瓶の中身の引火性を恐れ、雑草が茂っている外で開けるのが憚られたのはそのとおりだけど……あの場のリスクの蓋然性は吸引の方が高いのは自明だし、やはり少なくとも換気が不十分な倉庫内で開けさせるべきじゃなかった。

 私が、中身を知りたがるそぶりを見せたせいだ。せめて蓋を開けるまで隣にいてあげればよかった。

 瓶を落としたから薬品がまき散らされちゃったけど、私から見ればフリルちゃんが落としてくれてよかった。

 吸ってすぐ落としたから、蓋が開いてる瓶が傾いて手に薬液が直接触れることもなかったし、落とした時の音で気付けたから、頭を床に打ち付ける前に支えることが出来た。

 

 結局ほとんどのトラブルの原因は、刹那のアンラッキーではなく、それまでの判断ミスの積み重ねでしかない。

 

「…………」

 

 2人とも怪我なく、彼女たちを大切に思う人たちの元へ帰らせなきゃ。絶対に。

 

 だけどそれはそれとして、得られたものがあったのも事実。

 けれど、少なくともあの神社はもう二度と行くことはないと思う。

 

 フリルちゃんを背負った帰り道、神社から井戸に向かう途中、ルビーちゃんが見つけた小さな水の流れ。

 

 昨日の台風。激増した地下水。先月の地震で揺らされた地面。急斜面。轍のない新しい水の道。

 

 ルビーちゃんを意味なく焦らせる事が無いように、あの場では黙っていたけど……土砂崩れの前兆にしか見えない。

 神社そのものも危険だったけど、道中すら危ないとなると、もう危うきに近寄らない選択肢しかない。

 

(メモ帳は、確かここに……)

 

 頭の中にある今日の出来事の記憶を定着、整理させるため、トランクの内ポケットからメモ帳とペンを取り出した。

 

 フリルちゃんとルビーちゃんには感謝している。

 私一人では怖気づいて進めなかっただろうところも、ついてきてくれる彼女たちのお陰で踏み込めた。それだけじゃなく、フリルちゃんは私では思いつかなかった観点で洞察を見せてくれたし、そして物事を考える足掛かりとなるものを現地で発見したのはルビーちゃんが多い。

 それに、神社では転倒から守ってくれた。

 

 二人が少しでも深い眠りにつけるよう、スマホのライトをデスクライト代わりにして、コテージの明かりは消灯した。

 床に直に座り膝を立てて、太ももを机代わりにしてメモ帳を開く。

 

 

(あの池は……)

 

 アクアくんの予想どおり、清浄な水のあるところに神社があった。飲用に適しているかどうかはともかく、天然水であの透明度の高さは貴重な存在だろう。

 雨水を桶で集めて生活用水を確保していた島の人にとってはオアシスのような存在か。神域に据えた気持ちも理解できる。

 

 宗教的に重要な意味を持っていた様子。よすが……とは、フリルちゃんの言うとおり、あの日記の文脈を見るに、故人とその人を偲ぶ人を結びつけるもの……? おおよそその解釈で困らないはず。

 よすがを奉じることで、故人と偲ぶ人の絆は恒久的なものになれる、といったところ?

 奉じて、そして……数100年、この島に綿々と生き続けた人たちの『よすが』は、今どこにあるのだろう?

 そういえば、この島の神様は、亡くなってからよすがを奉じられた人だ。それなら……開かずの扉の先の、神様がいる本殿にある可能性が一番高い気がする。

 例えば桔梗の簪も、きっとそこに。

 

 現地でアニミズム的信仰とは考えたものの、一般論で言うアニミズムとは性質は少し異なりそう。森羅万象に神霊の宿りを見出すアニミズムとは異なり、この島では亡くなった人が島の自然に宿り、島の生活を守るという発想らしい。

 木を木として拝むのか、木を故人とみなして拝むのかの違い。祖霊信仰と要約しているアクアくんが正しいかもしれない。

 

 地下で濾過され続け、最後に天盤から垂れる水滴が悠久の時をかけて穿つ形で、穴を広げて池のようになったと推測される。

 流水ではなく、小規模のたまり水であの透明度はあまり見たことが無い。

 

 そう……ただの、水溜まりでしかないはずだ。

 

 不可解なものは二つ。

 

 一つは池の中で泳いでいた魚。小さい方はフリルちゃんの言うとおり、メダカだ。そして、おかしいのが赤くてもう少し大きい魚。

 

(金魚だよね?あれ……)

 

 可愛らしい観賞用の金魚は養殖されたもので、金魚は野生に存在しない。でも何かの手違いで野生化すると……通常ありえないサイズまで成長するらしい。

 なんであの池に金魚がいる? 単に飼っていただけ? 宗教に絡む場所でそんなことする? それに……島外から持ってこない限り、あの魚はいないはず。

 人がいた頃、島外から持ち込んで放した?よく分からないけど……。

 

 もう一つ、あの立ち入り禁止のテープはどういうこと?

 ルビーちゃんの言うとおり、あの場にわかりやすい危険があるように見えない。水位も深そうなところで大人の腰程度?

 子供なら危険だけど、そうだとしても危険の内容は突発的ではなく恒常的なものだ。

 フリルちゃんの言うとおり、それなら子供が入れないような措置をするべきで、もっと堅固な進入防止措置をとるだろう。ピラピラのテープはおかしい。

 

 何があったのか、見当がつかない。飲用に使われてたのに水質が汚濁されたとか?

 だったら『飲むな』と広報するだけでよく、立ち入り禁止にするというのも違う気がする。それに……そんな水質になっても、金魚やメダカが生き続けているのはおかしい?じゃあ違う?

 近づくのもダメなら……ホットスポットのおかげで火山島として出来たこの島に、この場所で硫化水素の発生が観測されたとか……? 特にそういう異臭は感じなかった。そういうのって、自然に収まるもの?そこまでは詳しく知らないし……。

 どれも空想の域を出ない。

 

 

(もっと深く……)

 

 

 そのテープが、なぜそこにあったのか。『なぜ立ち入り禁止になったのか』とはまた別の観点で、今なおこれがあることそのものがおかしいのでは?

 

 通常時は入れるのに、緊急時に立ち入り禁止措置にしたのなら、危険が解消されればテープが撤収されてまた開放されるべきだと思う。なぜ片付けられずにテープが残っているのか。

 立ち入り禁止テープが今に至るまであの場に残り、打ち捨てられていたのは何故?

 

(……再度開放する必要が、無くなったから)

 

 訪れる人がいなくなってしまったから。

 

 あのテープは、この島から人がいなくなる瞬間を見届けているかもしれない。

 

 だとしたら、偶然だろうか。

 

 あの池が立ち入り禁止になった時期と、ここが無人島になる時期が一致していたとしたら、偶然だろうか。

 

 過去何があったのかというのは、今となっては本来どうでもいいことだ。『昔そういうことがあったんですね』程度の話でしかない。

 

 だけど……。

 

 無人島になるきっかけそのものに、関わっている可能性も。

 

 

(憶測でしかない)

 

 薄弱な根拠のまま考え続けるのは、無用な先入観の元になりかねない。

 

 

 そもそも、島の山奥の狭い池に何かあったとして。普段は山の麓に住んでいる島民全員の移住が決まるほどの、この池での出来事って……具体的に何?

 結局そこに疑問が帰ってきて、想像がつかない以上、ここを深堀するのは時間の無駄かもしれない。

 ……事実は小説よりも奇ならば、私個人の想像力を超えた出来事かもしれないし。

 あの池についてはこのくらいにしておこうかな。

 

 

(次、あの倉庫は……)

 

 ルビーちゃんと昨夜行った海辺の小さな神社でも見かけた倉庫。シュロ製の注連縄。使用用途がよく分からない机。でももちろん一番不可解なものは、あの薬品。

 

(小窓の光があたらない位置で保管。

 紫外線を遮断する茶色の瓶。

 高温や日光を厭う管理。

 小窓があった以上、最低限の換気を行っていた。

 瓶の落下直後に感じた甘い臭い。

 常温で液体だけど、少なくとも夏の暑い環境下では高い揮発性が見受けられる。

 フリルちゃん昏倒後、再度縄の調達のために倉庫に入った時には臭いが薄らいでいた。

 が、再び倉庫に風が入ってきた時に同じ臭いを感知。

 恐らく、本来気化した状態のこの薬品は空気より比重が大きい。

 はじめは割れた衝撃で舞った後、床の低い所に気化状態で集まり、人の頭の高さでは濃度が低下した。

 そこに風による巻き起こしで再度臭いを感じたと思われる。

 C……が元素記号だとした場合……それだけじゃ何種類もある有機化合物の中から特定は厳しいけど……。

 45年以上前から、活字のラベルで商品化する程度には世の中で使われている様子。

 気化した薬品が気中に散逸した状態で僅かに吸った私とルビーちゃんの体調に変化なし。

 数十年を経て密閉から解放された直後、至近距離にあった高濃度の状態の気体を、風により不意に思いきり吸わされたフリルちゃんは……頭痛、めまい、脱力感、喉の違和感……)

 

 寒気がする。冷や汗がじわりと浮き出る。

 無事でよかった……本当に……。

 あの時は私だって、どうしようって、パニックになって叫んでしまいそうだった。

 本人が大丈夫と言ってても、本来なら医療機関に連れていくべき事態だ。フリルちゃんはルビーちゃんほどではないけど、歌の仕事もある。喉の後遺症は致命的。

 昨日の夜、医者のいない島で危ないことをするなとルビーちゃんに諭したのは誰だったか。

 私が……不甲斐ないから……こんなことに……。本土に戻ったら念のため病院に行かせなきゃ。

 今夜も容態の変化が無いかすぐ気付けるように、フリルちゃんのすぐ隣で寝よう。

 

 実の所、今こうして頭の中を整理したことで、この薬品が何なのか漠然とした見当はついてきている。やはり現地で推測したとおり、可燃性のある危険な物質である可能性が高い。

 そして……見当のとおりなら、これを犯人が持ち去った理由にも合点がいく。

 殺人に、これを利用した訳も。

 

(この薬品が気化したものが、空気より重く低い所に集まるなら……立っているならまだマシでも、密室で寝ている人間のそばに大量に撒かれたら……)

 

 まだ想像でしかないので、ルビーちゃんの提案のとおり、ラベルと瓶の写真とともに箇条書きの特徴をアクアくんに伝えて調べてもらうつもりだ。

 

 どうしてこれが神社にあるのか、結局分からずじまいだ。神社に他にもあった古い本を探れば、何か分かったかもしれないけど……。

 ただし確実に言えるのは、こんな薬品は渡航時に手荷物検査で確実に没収されるものであるということ。無人島になった後も訪れている、島の生態系の研究者が置いて行ったものじゃない。

 だから、島に人がいた時代から取り残された遺産だ。

 犯行に使ったのは想像がついたけど、元々何のためにここにあったんだろう?

 

 

(もっと深く……)

 

 

 この薬品が、なぜそこにあったのか。これがあることそのものがおかしいのでは。

 これは、『元々何に使われるために倉庫に置かれていたのか』とはまた少し別の話。

 

 アクアくんも伝えてくれたとおり、この島の信仰の敬虔さは相当に高いと思われる。

 エピソードの一例として、江戸時代に農業生産効率を跳ね上げた下肥の使用を飢饉の状況下でも拒絶した、というものがあった。亡くなった人が神様となって息づいている島での耕作に、今を生きる自分たちの排泄物を用いたくなかったということだろうか。

 そうまでして、信仰に関しては自分たちが積み重ねてきた歴史を曲げない。

 

 それなのに、あの石造りの倉庫……正しいけど手間のかかる保管が為されていたのだとすれば、島民から、少なくとも神社の関係者からはその存在を受け入れられていたということ。

 あまり信仰とは縁のなさそうなあの薬品が、どうして宗教施設に保管されていたのか。危険なものなのになぜ?

 そしてさらに、あの薬品を持ち込んだ人は、正しい保管環境という科学的な知見をも島にもたらしている。

 何かの間違いで偶然島民が薬品を手に入れたのではなく、持ち込んだ人間も島に持ち込み使用させたいという明確な意図があったはず。

 

 島の人は、観光で訪れる人を拒絶しなかったあたり、もともと島外の人間や文化に排他的な性質ではなさそうだけど……あれを受け入れるだけの何かしらのきっかけがあったのか。

 おそらく、良くない出来事だ。

 あの薬品を使うことで、それを回避しようとして受け入れたと考えるのが自然……?

 

 

 あの広い境内で、何をしていた? 何があった?

 大切な祭事らしいって行きの船で言っていたけど……どんな儀式だった?

 

 

(アクアくんのメッセージだと……『眠り』を特別視していたと……お祭りの内容に、関係ある……?)

 

 あれは注連縄と一緒に保管されていた。可燃性の重要物と一緒に保管していたあたり、頻繁に開ける倉庫ではなかったかもしれない。

 頻繁に出入りしたり、管理がずさんだとそれだけ事故の元だから。注連縄含めて滅多に使わなかったと思われる。

 あとは、あの机。特徴が無さ過ぎて何も考察できない。

 

 神社に関してはこんなところだろうか。

 

「…………」

 

 ルビーちゃんがシャワーから戻ってきてから少し3人で話した時の、ルビーちゃんの発言を思い出す。

 

『私も、あの瓶の中身がまだあるって気付く直前に考えてたんだ。

 これは何?

 どうしてこれが、神社の倉庫に?

 あかねちゃんの言うとおり、誰かが持ち出したとしたら……何のために?って。

 

 だけどさ。

 それ以前に、そもそも、どうして……犯人は、この薬品が神社の倉庫の中にあるって知ってるんだろ? 中身含めて知ってないとありえない行動だよね?』

 

 似たようなことを、フリルちゃんも。

 

『今夜、アクアとやり取りする? それなら聞いといてほしいことがあるんだけど。私たちも出発の時にサインした、この島への渡航者リスト。遡って調べられないかな。スタッフの4人の名前が過去に無いかどうか』

 

 コテージから井戸までの隠された小道を使われ、限られた時間の中で到達困難な神社が事件に関わっている可能性が見出された。

 その結果、この島の地理、地勢に極めて知悉している犯人像が浮かび上がる。初上陸の人間が出来る芸当じゃない。

 私も井戸周りを調べ終えた後、同じことを考えていた。

 

 池の疑問にしても、この薬品の本来の存在意義にしても、一見すると今回の事件と関係ない。

 ただの島の郷土史。昔の出来事を探ったところで……という気持ちもある。

 

 だけど、島の無人化に関わってそうな池の近くにあり、池の存在により建立されたと思われる神社。その神社の倉庫の中身を犯人は知っていた。

 島に詳しいだけでなく、この島の僻地にある神社にもゆかりのある人……?

 

 それなら……この島で、あの池で何があったのか。なぜこの島から人がいなくなったのか。今朝の事件はなぜ起きたのか。

 ルビーちゃんとフリルちゃんの疑問と、私の考えたことがそれらの答えに結びついているのなら。

 

「一本の線で繋がっているような……」

 

 それこそ……空想でしかない。『そんな気もする』程度のもので、しかも45年前。いくら何でも過去としては昔すぎる気がする。

 スタッフで一番年齢が高そうなのは、内藤さん……? それでも、無人島になった時は小学生だったと言っていた。他三人はもっと若そうだけど……。

 やっぱり島の過去は関係ない? まさか……世代を超え、受け継がれた怨恨?

 そんなこと、あるのかな……。

 これも考えるのはこの辺でやめておこう。

 

 

(あとは、井戸)

 

 今回探索した所の中で、最も直接事件に関わっていそうな場所。

 被害者のコテージを水で満たして溺死させ、外傷無く殺害し自然死に見せかけるという、俄かに想像しがたい犯行を実現するための課題は多い。

 

①水源

 犯行現場の側に、まとまった淡水が不可欠。

 ルビーちゃんとフリルちゃんが現場捜査の時に色々考えてくれて、指摘してくれたおかげで、まずこれを探す必要性に考えが至り、アクアくんの机上調査をヒントに見つけた井戸。

 見つけた時は水位が結構低く見えたけど……アクアくんの言うとおりなら、台風で水位は増えた?

 現地で聞いたフリルちゃんの推理、私は信じていいと思う。だから、かなり高い所まで水位が上がって、それが犯行に寄与したはず。

 これだけの犯行、ついカッとなってやるようなものじゃない。この犯人はそういう人とは思えない。ある程度、計画的に動いたはず……でもその割には、天候が犯行の成否に関わるような計画はちょっと賭けになりすぎてる気がする。

 そういえば、なぜ台風の中ここに来ることになった?プロデューサーの予定が変わってこのロケが強行されたのはどうして……?

 

②導線

 どのように水を運んだか?……これは現地の跡からして、あの排水ポンプ用ホースで間違いない。ホースは運びやすいサイズなのか思ってたより細いし、丁寧にたためば結構コンパクトで、容易に背負えそう。

 コテージの裏の崖も、崖の上からなら分かる形で、上り下りできる道を見つけた。そもそも登れるなら、あの学校手前の分岐から井戸までの凄まじい藪道を通る必要が無いから、犯行時も井戸とコテージを行き来が可能だ。必要なものを何度かに分けて崖の上に運搬すればいい。一往復10分もあればできる。

 高い窓への取り付けも、軽トラを使ったのならできるはず。

 

③動力

 井戸の水をコテージに運ぶ力は? それも短時間で。まさか人力なわけがなく、ホースの形跡もあるし、ホースに取り付けるポンプを使ったはず。

 もし今朝使ったなら、今日のお昼過ぎ、撮影前に学校入り口の水たまりを無くすときに使った時点で相応にバッテリーが失われていたと思われるけど……。コテージを水浸しにして、その後学校の水たまりを無くす。あのポンプ備え付けの小型バッテリーに、それだけの稼働に耐える蓄電量があるだろうか?

 その場合、2時間で犯行を終えられる? いや正確には、高坂さんと馬場さんが9:45にはある程度トラックで作業をしていたから、トラックにポンプやホースを元どおり返すことも考えると、1時間30分くらい?

 そうだとしても、崖の上から何メートルも垂れ下がるホースなんて、遠目に見て誰かが気づきそうなものだけど……?

 念の為五反田監督あたりに聞いてみてもいい。でも犯人以外の誰かしらがその様子を見ていたら、必ず騒ぎになるだろう。誰も騒いでないと言うことは、誰も視認していないということだと思う。

 

④排水

 丁寧にはがされた様子だけど、コテージ入り口ドアの隙間を粘着テープで埋めた隠しきれない形跡をフリルちゃんが見つけてくれた。

 そしてなによりも、ルビーちゃんが見つけた、コテージ入り口玄関のすぐ下、コテージ支柱の陰にあった泥の地面のわずかな凹み。

 被害者の名刺が落ちていた跡だと言うなら、排水時にコテージから流れ出たものの痕跡を隠そうとして犯人が取り除いたものか。

 

⑤乾燥

 これも難しい。暑い夏だし、開いていた窓もあるから乾燥はかなり早いとは思うけど……よくよく調べればまだ湿っていたとはいえ、いくらなんでも午前の数時間で水浸しがあそこまで乾くだろうか?

 3人で話した時にも、ルビーちゃんもこのことについて言っていた。

 

 『今日の撮影終わった後さ、一旦自分のコテージに帰ったじゃん?その時、いい加減私のコテージも乾いてて、濡れて黒っぽくなってたところも元の色に戻ってたんだよね。ほら、砂場の砂とかさ、モノって濡れると黒っぽくなるよね?

 それで思ったんだけど……プロデューサーのコテージを調べた時、あんまり壁とか黒っぽくというか、木の壁が黒くなってなかったような気がして……』

 

 ルビーちゃんといえば……今朝彼女の服が濡れてしまった直後、私は服が皺にならないように床に広げるのを手伝った。

 その時に服に触れて感じた湿り気と、プロデューサーの部屋を調べた時に触った被害者の服の湿り具合が同じ……或いはルビーちゃんの服よりも、もうちょっと乾いていたような……? アクアくんに止められたし、しっかり触ったわけじゃないから確証はないけど……。

 

 

 開いていた窓は、軽トラが来ていた様子から見て、おそらく水の投入口になった。つまり犯行に関係がある。

 現場の痕跡を念入りに消していた犯人なのに、台風の夜に夜通し窓が開いている違和感を放置するとは思えない。開閉を外からでもできる構造である以上、犯行後に閉めていないのは単なる犯人の見落としだろうか?

 そんなはずがない。この犯人は絶対にそこに気付き、違和感を消していく人間だ。何か意図がある気がする。

 

 日の光を入れて乾燥を促すため? どうだろう……方角的に窓は北北東を向いているし、目の前に崖がある窓だ。日の光なんて入らない。

 それなら、南側のガラス窓で十分だと思う。窓が開いていなくても、そこから日の光が中に注がれているのは見て取れた。

 

 じゃあ、換気のため?

 あるいは、コテージを水没させたことで濡れてしまったことを、『台風の雨水が風で入ってきた』とカモフラージュするため? この理由の方が合理的?

 

 ……よく分からない。

 

 

 そして、犯行現場に比べて井戸の周りは残された痕跡が多かった。時間が限られていたし、そこまで痕跡を消せなかった……とも思われる。

 

 やはり、短時間で崖上は痕跡を消すのが困難だし、そもそも崖上を調べようという発想にすら誰もならないと犯人は考えたんだろうか。

 実際私たちも、ルビーちゃんのラッチ受けの発見、フリルちゃんの水の供給源の指摘、アクアくんの机上調査……色々なものが積み重なって崖上の井戸周りを調べることができている。

 

(警察が来る以上、やれるなら井戸周りの痕跡も消したかっただろうけど、時間がないから後でゆっくり消せばいい、と思ったのかな……けど、私たちがGPS携行の提案をしたから、不審な行動だと思われないために諦めたのかも。じゃあ、ひょっとしたら……GPSの提案をしていなければ、夕方に井戸周りで犯人と鉢合わせちゃってたかもしれない……?)

 

 時間がないなら、犯行直後は事件後に大勢の人に見られることになる、現場周りの痕跡をなくすことに集中した、ということだろう。

 事実、身をかがませて床下を見て探さないと分からない位置にあった、排水時に流された名刺を取り除くことが出来ていて──

 

 

「……あれ?」

 

 おかしい。

 犯人の行動を頭の中でトレースすると、この状況、何かひっかかる。

 どうして今まで気付かなかったんだろう。

 

 犯人が名刺に気付きもしなかった、ならあり得るだろう。どれだけ注意深く動いてても、所詮は可謬的なのが人間。

 ただの見落とし、偶発的エラーだと言えばそれまでのこと。

 

 でも犯人は見つけた。あそこに名刺という痕跡が残ってしまっていることを認識できていた。

 なら、名刺を手に取り拾った時、同時に凹みも認識して、ほんの少し手で払うだけでそれも消すことが出来たはず。

 昼に見た時、床下とはいえあそこは十分明るかった。

 

 もちろん他人が考えたことを、完全にトレースするのは不可能だ。誰しも気まぐれだってある。

 犯人が横着して、『こんな僅かな地面の凹みに誰も気付かないだろうし、気付いたとしても名刺、ひいては事件に結びつけないだろう』と考えた可能性もゼロじゃない。

 

 だけど、ここで名刺を見つけられ、車両に踏まれた草を丁寧に起こした犯人の几帳面な人格を鑑み、手間対効果を考えれば、わずか1秒地面を手で擦るくらいやる人間だと考えるべきだ。

 

 あの場面、名刺ごと現場に残されているか、凹みごと抹消されているかの二択のはず。

 

 どうして中途半端に凹みだけ残されていた?

 

「モノは濡れると黒くなる……白い名刺には気づいたけど、水で濡れて土が黒くなった地面の凹みに気づかなかったから」

 

 

 なぜ白に気付き、黒に気付かなかったのか

 

 

「見えなかったから」

 

 

 なぜ

 

 

「暗かったから」

 

 

 どうして

 

 

「犯行の時間帯が、朝ではなく――」

 

 

 

 

 

「……すぅー……ふぅー……」

 

 呼吸を忘れていたかのように息苦しく感じたから、ゆっくり深呼吸をした。

 子供の頃から両親に指摘されていたけど、何かを考えている時、私は音が聞こえ無くなり、周りのものが見えなくなる。

 まるで、深い水の底に潜ってパズルを解いているかのよう。

 深く、深く潜って……思考を中断して窓の外の風の音が聞こえた時、久しぶりに水面に顔を出した時のように、ハッと自分が今どこにいるのか思い出す。

 

 今の時間帯に電話をしたら、迷惑かもしれない。だけど、早めに確認したい。

 スマホの明かりを消し、その代わり通話画面を開いてコールする。

 照らされたメモ帳の文字に影が生まれた。

 

『五反田です』

「……もしもし、黒川です」

『おう、どうした?』

「夜分に申し訳ございません、お休みではなかったですか?」

『まだ寝てねぇ。今日撮ってくれた写真見ていたし、明日の撮影本番をどうするか考えていたしな』

「そうですか……恐れ入りますが、確認したいことがあるのでそちらにお邪魔してもいいですか?」

『……事件に関係することか?』

「はい。今朝、不知火さんがメイキング映像として寝起きドッキリのために撮影した動画を見たいんです。お昼にデータをコピーさせていただいたものです」

『ああ……あれね。分かった。本当はよく分かんねえけど、俺は黒川に協力するしか出来ねぇしな。ほぼ目の前だけど、念のため俺がすぐそっちのコテージに迎えに行くから。起きてるのは君だけか?5回ノックする。一人で出るなよ』

「ありがとうございます」

 

 電話で言われていたとおり、時間を経ずしてドアが控えめに5回ノックされたので、膝に手を当て立ち上がる。

 

 あの時点で本当にまだ被害者は生きていたのか。

 

 確証はない。薄弱な根拠で考えを進めすぎると、余計な先入観を招く。

 今夜の考察の中でも、自戒のために何度も頭の中で反芻した言葉だ。

 でもそれは、検証が困難である場合に限る。

 

 現実はミステリー漫画やゲームのように、必要なヒントが全て丁寧に用意されているわけではないのだから。集めた客観的物証を以て、揺るがない真実を必ず詳らかにできるなんて思ってない。

 フリルちゃんの言うとおり、それは組織力と科学力、執行力のある警察の仕事だ。

 

 ある程度は決め打ちを辞さない構えでなければ、私人かつ少人数で、更に素人である私たちの調査はいつまでたっても前に進まない。

 

 限られたパズルのピースを集めて、『役の人格』なんていう明確な正解のないものを推理、再構成し、手探りかつ試行錯誤をしながら演じる。そのサイクルをこれまで数えきれないほど繰り返してきた。

 初手、情報をひたすら集め、そこから自分なりにレールを敷いて、想像でもいいからもっともらしい仮説を立てる。『その仮説が本当に正解か?』という観点から、調べるべきことを絞って調査する。

 

 調べ尽くさないと気が済まない一方で、私はどちらかというと、こういう演繹的な考え方のほうが性に合ってる。

 

 カミキヒカルと相手を絞ったうえで調べる、というようなやり方は私に向いてるけど、アクアくんの『DNA鑑定で関係者を総洗いする』というやり方には、そのコストも含めて驚いたものだ。

 ただもちろん、ララライに所属してカミキヒカルと間接的な繋がりがあった私と違い、情報がほぼゼロだったアクアくんとはスタートが違うのは加味するべきだけど。

 

 

 事件が起きた推定時刻が間違っていたのかもしれないという仮説も、ちゃんと調べなければ。

 ずっと犯行時間の短さと、4人のスタッフに中途半端にあるアリバイに苦しめられたけど……。

 犯行時間の前提を変えてしまった方が、地面やコテージ、被害者の服……それらの乾きの進行度としては、むしろ辻褄が合ってしまうのだ。

 朝に犯行があったと考えているのは、あの場にいた人がいびきを聞いたから。それだけ。

 

 

 あの時、犯人が閉めずに不自然に開けっぱなしになっていたおかげで窓から漏れ聞こえた、いびきだけを。

 

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