【完結】もしもし、アクアくん?〜女優探偵の事件簿〜   作:ねこのまんま

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㉖ 第12話 風の神様(後編)

 

 早い段階で、感染していない人も含めて、島民はみんな推島に検査のために病院に移っていた。

 だけど急なことだったから『荷物を持ってきたい』と言う人もいたし、『亡くなった人を早く祀ってあげたい』という希望者が多かった。

 すぐには危険を取り除けないから、戻ってきた時もう一度検査を受けるという条件付きで、島民は一度だけ、一度殺虫剤を捲き終わった小島に一時帰島を許可された。

 

 特別な薬を服用して、私の体の中にも潜伏していた原虫……とかいうものがいなくなっても、私の帰島許可は中々下りなかった。

 廊下でお医者さんたちの話を立ち聞きして以降はよく覚えていない。ただ、『お姉さんが亡くなったショックで錯乱している』と判断されたらしく、常に看護師が横に張り付いていた。

 病室の天井を見ている間、広くない病室の仕切り布の向こうで誰かがいなくなった気配を何度も感じる。

 姉と同じように、『投薬が間に合わなかった』誰かだろうことはすぐに分かった。

 

『自分のせいだ』

 

 その感覚すらいつの間にか麻痺した。

 点滴というものを体に繋がれ、何も喉を通らないのに生かされている不思議な時間が続いた。頭の中が寒天に包まれたようにぼうっとして一日を過ごし、窓から夕陽が入るたびに一日が終わったことに気付く。

 夕陽の方を向くと、どうしても故郷の尖った島が見え、そのたびに嘔吐感が抑えられずにえずく。

 何も食べていないから何も出てこない。慌てたように看護師が背中をさすってくる。

 

 父はどうしているだろうか。奇跡的にギリギリ投薬が間に合い回復しつつあると聞いているけど、父は姉の最期には立ち合えなかった。

 父と私の、崖の前の家に置いてある荷物と……姉の、ことも、あるから。私も一度島に帰らないと。

 

 食べたくもない食事を流しこみ、それっぽく受け答えすることで、医者の先生に対して回復している演技を繰り返した。

 ようやく私の帰島許可が出た時には、他のほとんどの島民は『用事』を済ませていた。

 

「茉莉ちゃん。巫女様……あなたのお姉さんの(よすが)、なんかすごい防護服着た保健所の人が見つけて、山の神社から持ってきてくれたらしいわ」

 

 小島について港から歩き、まずは父と一年過ごした家に行こうとすると、まだ島から持ち出す荷物整理をしていた中年の女性が話しかけてきた。

 毎年夏、子供たちにスイカを分けてくれた男性の奥さんだった。

 病院から指示されていたとおり、自分もその人も暑いのに上下ともに長袖で、肌をほとんど出さない格好だった。

 

「巫女様は……病院に行った時には、一番症状がひどかったみたいだし、生きて戻れないと思ってたのか……もう、自分の(よすが)として奉ってほしいものを決めてあったって。自室に書置きと一緒に(よすが)としてほしいものが置いてあったそうよ」

 

 姉の居室に、そんな書置きがあっただろうか。私が推島に連絡して、この病気の蔓延状況を調べている時、姉が最後の力を振り絞って用意したんだろうか。

 院長先生の案内と着替えの用意で忙しくて、気付かなかったのかな。

 

「……穴山の社に、行けたんですか?」

「ううん、あそこは行けない。特に岩淵の池は、みんな立ち入り禁止。あそこには『バクの鬼』がいるんだと思う。だから保健所の人に持ってきてもらったのよ。

 池に近いあの神社も危ないから行っちゃダメだって保健所の人が言うから、みんなの(よすが)を祀るために岩淵の水も汲んできてもらって……勝手に立ち入って申し訳ないけど、元々は病気で亡くなった人を祀っていたし、為朝の社の本殿に皆で(よすが)と岩淵の水を納めてきた。……巫女様のも、私の夫のも、入ってて。みんなの日付と名前も書いてきた」

「……そう……ですか……」

「あなたも辛いだろうから……自分の身辺だけ整理しておけばいいわ。……ううん、茉莉ちゃんは……巫女様が高校に行ってる間、たくさん先代のお母様のお手伝いをしてたよね。あなたは巫女様じゃないけど、やっぱり、(よすが)を納められたみんなが神様になれるように……お祈りしてくれたら嬉しいかな」

 

 子供相手に気遣ってくれてるような言葉遣いだけど、ほんの少し棘を感じるのは、気のせいだろうか。

 例えそこに悪意が混ざっていたとしても、何か言える立場じゃない。

 

 天災と病魔の祓いを兼ねたお祭りの直後にこうなったのだから。

 巫女とその妹が、失敗した。事実だし、それ以上の過ちを犯した私は、この病気で家族を喪った大勢の人に合わせる顔も無い。

 

 少ない私物を回収した後、誘われるように港を過ぎてさらに東に向かって脚を引きずると、夕方に近づいていく空は崖に陽の光を隠し、アスファルトの道は暗かった。

 船を待たせてしまっていると分かっていても、行かずにはいられなかった。

 目を閉じると、風と波の音以外は何も聞こえない。気づけば、かつて母と来た海辺の神社——為朝の社の境内にいた。

 私が来る前に、島民たちの手で姉たちの(よすが)と池の水が納められた社の前に立ち尽くした。

 

 姉を支えたいと思って身に着けたはずの祈りの詞を、姉たちが神様となれるよう口にして……終わった後、自分の体の重さに耐えられずその場に蹲ると、尖った玉石が手のひらと膝にめり込んだ。

 

「さむい……さむいよお……」

 

 残暑の汗ばむ黄昏時に、無人の境内で呟いても、返してくれる人はいない。

 

 母を喪った時は、涙が枯れるほど泣いた。それなのに今、姉の死について涙が全く出てこない。

 あんなにお姉さんにべったりだったのに、悲しくないのかい。病室でも他の島民に言われた。

 結局私は誰かから温められるばかりで、冷たい人間だったんだ。

 

(なんで、私は……生まれてきちゃった、の)

 

 妹が産まれなければ、姉はわがままばかり言う妹を育てる苦労を背負うことも無かった。

 妹が産まれなければ、自由な妹と比較して、姉は巫女である自分の生き方に悩まなかった。

 妹が産まれなければ、姉はお祭りで身を切るような葛藤をしなかった。

 

 

 私が産まれなければ、いんねは死ななかった。

 

 

『私の命を使って、姉を黄泉帰(よみがえ)らせてください』

 

 ずっと、病院で祈っていた。生まれてくるべきじゃなかった命を、生きているべき人のもとへ。

 神様は、お仕えしていた私の祈りを聞いてくれるはずだから。

 祈りながら目を閉じて、でも……起きたら病室の無機質な天井が待っていた。

 

 姉の力になれず、巫女の命を奪い、この島を破滅させた私が、神様に仕えていたなんてそもそも言えない。

 祈りが届くどころか、みんなと同じようにこの島に還れるかどうかも分からない。

 私の依り代になってくれる人なんて誰もいない。

 

 

 「どこに、いるの」

 

 いんね。どこにいるの。

 何を依り代としたのか分からないけど、この社の本殿に納められたなら、黄泉に隠れても、霊魂の一部は神様になって残ってるんだよね?

 

 海の神様になったなら、手も足も捨てて、魚になって泳いでいきたい。

 

 樹の神様になったなら、その根本にこの身体を埋めて、今度こそ隣で永くあなたを支えたい。

 

 言ってたとおりに風の神様になったなら……体の中身を全部捨てて軽くなり、渡り鳥のように風に包まれてどこまでも共に飛んでいきたい。

 

 どんな形でも、ほんの片時でもいいから。もう一度、会いた——

 

(……)

 

 

 ごめんなさい。苦しませてごめんなさい。

 生まれない方が良かった。私たちは出会わない方が良かった。

 この命はなんのためにここにあるんだろう。どうして生まれてきてしまったの。

 もう私の手は、誰のことも温められないのに。

 

 

 荷物を取りに来た島民は私が最後。

 多分、この島はもう……意思に関係なく、住めなくなる。蚊がいなくなったら戻れると言われてるけど、生き残った住民も薄々分かってる。元々、推島の生活が便利になるにつれて、人がどんどん流出していってた島だった。

 この後私がここを離れたら、この島から人が消える。

 ここに生きる人がいなくなれば、巫女の役目は無くなってしまう。

 

 

「……」

 

 

 違う。一つだけ、巫女の務めが残っている。

 

 

「ごせんぞさま……ためともさま……」

 

 地面を掻くように力いっぱい握りしめた両手の中が、玉砂利で満たされた。

 

 巫女の務めを果たせば、今からでも、こんな私でも、姉と血を分けた命だと言っていいのかな。

 みんなのように、この島に還ることが出来るのかな。

 還ったら、会いに行っても、いいのかな。

 

「鬼退治のために……力を貸してください」

 

 島に病魔をもたらし、故郷を破滅させ、大切な人を死に追いやった『バクの鬼』……生きていてはいけない人間が、3人いる。

 姉と同じ穴山の血が流れる、この取り残された命を燃やして、必ず見つけ出す。

 

 見つけ出して、絶対に──

 

 

 

 

 

 ──あの人は げーのーかいに居る

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 特に家族を喪った人は、やり場のない目を私たち穴山の人間に向けてきている気がしていた。

 

 妻に続けて娘も喪い抜け殻のようになった父に、長女を喪ったのは次女の私のせいだと言えるはずも無かった。

 ……それでも自分も辛い中、気丈に次女の私の心の傷を癒そうとしてくれていたんだろうと思う。姉が隠れても涙一つ見せない非情な私の側に出来るだけいてくれた。

 

 時間が惜しい。中学を出たら本土に行こうかと思ったものの、あまり気が進まなかったけど、高校は卒業するよう母にも姉にも言われてたし、せめてその間は一緒にいてほしいと父からも言われたから。

 6年間推島で過ごし、姉が隠れた年齢である18歳になった時に、高校を卒業し少ない荷物と一緒に本土へ向かった。

 

 ととう。ごめんね。

 姉が卒業出来なかった高校を出て、姉が隠れた年齢でも現世にいる私には、やらないといけないことがあるの。

 周りの人を巻き込めない道を進もうとしていることくらい、私も分かるから。

 だから……一人で行ってくるね。

 

 

 高校を出させてもらったけど、テレビ局に勤められるほど学があるわけでもない。話すのが上手いわけでもないし、母と姉に似たこの容姿はきっと美しいと言えるだろうけど、多くの人の目を引くような特別さは無い。

 私が芸能界と接点を持ちうる技能は、一つしか思い浮かばなかった。あの日を、あの男を忘れないという意味でも天職だった。

 

「穴山さん、次のモデル撮影だけど、君に任せてもいいかな」

「本当ですか……?」

「初めて一人で切り盛りすることになるけど、大丈夫?」

「分かりました。大丈夫です。ありがとうございます」

「ほんとにすごいよ、穴山さんは。仕事も鬼気迫る感じで覚え早いし。人の表情を切り取るのが上手いから、ポートレートが持ち味活かせるかな」

 

 外の世界は、水は清潔で、モノがあふれ、病院がそこら中にあり……考えなきゃいけない事が多く、よっぽど頑張らないと人から必要とされない世界だった。

 カメラマンとして下積みを続けること、10年と少し。『休憩』の計算が被写体にしかないスケジュールでの長時間撮影や、それに重い機材を先輩カメラマンの分も数人分持たされる日々で、鍛えられてるのか消耗しているのか分からない日々だった。

 

 確実に言えるのは、カメラマンという職業で、テレビ局と関わりを持てるほどの仕事を受注できるまでに、気が遠くなるような時間を費やす必要があるということ。

 

「初めて自分の作品が世に出ることになるけど、活動名はどうする?」

「活動名?」

「ペンネームみたいなものかな。まあフォトグラファーは本名でやってる人が多いけど」

「……。では、高坂。高坂茉莉で」

「高坂? 何か思い入れのある名前なの?」

「いえ……そういう訳ではないんですが」

 

 カメラの師と呼べる人から活動名を問われて、頭に思い浮かんだ祖父の旧姓を口にする。

 あの男を探すにあたり、穴山茉莉の名前で近づかない方が良いだろうと考えた。

 外の世界……本土で活動する名前として、本当に何となく、最初に浮かんだだけだ。

 

「ところで先輩。テレビ局の……タケダ、という人、あれから何かご存知ないでしょうか」

「タケダさん? 前も聞いてきた人? 穴山さんより10歳くらい上の男だよね。うーん、特に分かったことは無いなあ。ごめんね」

「いえ……ありがとうございます」

 

 カメラの技能と信用を得るだけではなく、本命の目的である『タケダ』探しも難しい。

 そうして長い年月を本土で過ごすうちに、時には、こんな私に寄り添ってくれる人も現れる。楽しいと思える瞬間もある。

 そういう人たちと生きたい、幸せを感じながら生きていきたいとわずかでも頭によぎった夜は、夢に何十人もの故郷の島の住民が現れて、うつろな表情で私を見続けた。

 

 顔がおぼろげだけど、全員、姉のように投薬が間に合わなかった人だと肌で感じた。

 見ないでと言っても、ごめんなさいと言っても、何も反応を返さず、無表情で全員が一歩ずつこちらに歩んでくる。

 

 逃げようとしても、まるで水の中を歩いているかのように、うまく地面を蹴る事が出来ずほとんど動けない。

 追いつかれ、背中に骨のような冷たい手が触れる。振り返り、目の前に迫った彼らの落ちくぼんだ黒い目と視線を交わしたところで目が覚める。

 

 本土に来てから、この同じ夢を数えきれないほど何度も見た。

 推島に移ってから少しずつ見始め、カメラを持つようになってからは高い頻度で繰り返し見るようになった。

 

 

 夢に心を食いつぶされ、辛い、もうやめたい、このまま眠るように死んでしまいたいと思いながら眠った夜は、必ず夢で会いに来てくれる人がいた。

 きっと……眠れない夜だから。求めてはいけないのに、心の奥底で、あの腕と温かさを求めていたのかも。

 

 

『やめて! 姉さんやめてぇ! 苦し、っ……!』

 

 気づけば私は、あの祭りの夜にいた。

 重低音の祝詞が響く中、私の上に姉が覆いかぶさり、哀れみも怒りも悲しみも感じない能面のような顔はまばたき一つせず、横たわる私の首に氷のような手をかけてくる。

 姉の温度と体重から逃れようと首に手をかけても、なぜか手では実体が無いかのように姉の触れられず、自分の首を掻きむしるだけ。

 

『ごめ、なさ、ごべんなざい、ごめんなさ、げほっ、ぐうう……許、し、かはっ……ぜー、ひゅー、ぜー、ひゅー、……』

 

 ああ…… そっか

 

 違うよね

 

 あの日 あなたを求めたのが悪いんだよね

 

 許さないでくれるんだよね

 

 連れてってくれるんだよね

 

 

 嬉しい

 

 

 ずっと会いたかった

 

 

 ずっと待ってたの

 

 

 ありがとう

 

 

 あの日 出来なかったから

 

 

 続きをしよう

 

 

 今度こそ このまま

 

 

 あなたの手で

 

 

 眠るように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺して

 

 

 

 

「はあっはあっ……!は、は、うおぇっ……はあ、はあ……また……この夢……」

 

 睡眠導入剤は、医師の指示に従えば健康に被害を及ぼすことはないらしい。だけど、夢を見ずに済むほどの深い眠りにつきたいという私の言葉に、主治医は困惑していた。

 薬を手放す段階はとっくに過ぎて、これがなければ夢の頻度はさらに多く、不眠症で私の身体は保たなかった。

 

 夢の中の『姉』は、目は二つあり、鼻は一つ、口も一つ。なのに、どんな顔だったか思い出せない。

 

 カメラもビデオもケータイもない島だったから、顔も声もどんどん忘れていく。

 おぼろげで、目元が隠れてしまう。目と鼻と口、必要最低限のパーツはそこにあるのに、どんな顔だったか、どうしても頭の中で蘇らない。

 のっぺらぼうのような姉との言葉のやり取りを思い出しても、どうしてかその音は壊れたスピーカーのように途切れ途切れで抑揚が無い。

 

 姉さんにとって、私は何?

 私にとって、姉さんは何?

 

 どんなやり取りをしたっけ。

 

 あの日……病院の廊下で、話し込む医師たちの言葉を聞いてしまったあの時から、記憶の輪郭がじわじわ滲んでいった。

 今はそれに加えて、夢を重ねるたびに、黒い絵の具が記憶に垂れていく。

 

 私は姉に何て言ったっけ。

 

 姉は私に何て言ってたっけ。

 

 何かの拍子で脳裏に蘇りかけるたびに、思い出すことを許さないかのように、夢の映像で上書きされてしまう。

 

 

【姉が死んだのは、お前の存在そのものと、お前が抱いた姉への慕情のせいだ】

 

 

 記憶が剥がれ落ちる度に頭の中で響くこの声は、誰のものなんだろう。

 

 大切な記憶なのに思い出したくない。

 辛い記憶なのに忘れたくない。

 髪を掴んで叫びそうになる矛盾の果てに、あの頃の日々の映像が、失敗した写真のように不恰好に崩れていく。

 

 結果残るのは、姉たちを死に追いやった鬼を許すなという、煮えたぎるような怒りと後悔と、凍てつくような復讐心だけだった。

 

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 もう起きようと、おぼつかない足取りで洗面台に行った。

 姉に似ていると評された鏡の中の顔は、本当に姉はこんな顔をしていたのか疑わしいほど生気が無い。

 その代わり、この夢を見た後の自分の首にはいつも傷があった。

 手袋をはめて寝たこともあるけど、寝ながら脱いでしまったのか余り効果がなかった。

 

 どれだけ故郷での記憶が失われていこうと、夢の中の『姉』は、私がこのまま隠れても、誰にも会えないことを教えてくれる。

 生きる資格も死ぬ資格も無いことを、あの日を忘れてはいけないことを、こうやって文字どおり刻み付けてくる。

 

 

「さむい……さむいよお……」

 

 東京の冬の朝は、故郷の島とは比較にならないほど寒かった。

 夢の後の汗で濡れた服を早く着替えないと、風邪をひいてしまいそうだ。

 

(隠さなきゃ)

 

 爪を切れば血は出ないけど、眠りながらよほど強く指を立ててしまっているのか、内出血で青く刻まれた首の傷。

 こんな傷を見せながら外を出歩けない。

 傷は、隠さなきゃ。

 

 黄色は確か、寒さを和らげる色。

 温かさを思い出させてくれる色だよね。

 

 本土で『夢』の頻度が増えてからすぐに買った、花の色のような黄色のスカーフを、首飾りのように首に巻いて傷を隠せば、この言葉は忘れずにいられる。

 押し花を入れた白いお守りのお陰で、薄紅色に春を見る土地に長く生きても、あの日仰いだ花曇の空だけは色鮮やかに覚えてる。

 

 それでも、いろんな気持ちを全部捨てて軽くならなきゃ。

 鳥は羽だけじゃ飛べない。海の向こうまで飛べる鳥は、風の力で飛んでいけるように、体の中のものを出来るだけ少なくして軽くしてるんだよね?

 飛んだ先であの人を見つけて、務めを果たさなきゃ。

 

 姉さん、今日から暫く海外で仕事だよ。

 『アラスカ』っていう所に行くロケに同行して、夜なのに光る空を撮ってくるの。

 アラスカはね、クロアシアホウドリが、春に推小島を発って最後に行きつくところなんだって。

 もう朧げで歪んじゃった記憶だけど……綿の入った籠を持ちながら見た、翼を広げた彼らの辿り着くところ、私も見てくるよ。

 

 気づけばもう、あなたが隠れてしまった年の倍以上も生きちゃった。

 この前、テレビ局で遠目に有名なタレントを見かけたの。数年前から人気が出て、近いうちにドームっていうおっきな所で公演する『アイ』って人。

 その時は見かけただけで、まだ仕事を受けたわけじゃないけど……いつか『アイ』と同じくらい有名なタレントを撮れる立場になれた時、人伝がたくさん出来て、あの人を見つけられる気がする。

 

 このまま少しずつ評価を手に入れて、芸能界の仕事をとっていく。

 あなたが生きるべきだった時間と命を使って、私はやるべきことをやるから。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 ―1年前―(56歳)

 

 武田? 竹田? 嶽田、と書く人もいるらしい。

 テレビ局に勤めている、私より10歳程度年上の、タケダ。

 どの局かも、今何をしているかも分からない。

 

 人脈のために仕事を多くこなして、受注が増えて一人では捌ききれず、小さいけど自分でフォトスタジオを立ち上げられるほどになって……得られた人脈を駆使して彼を探るけど、そもそもほんの数時間共にしただけの人。情報、手がかりが少なすぎる。

 『タケダさんなんてたくさんいるよ』と返されては、それより情報を持ってない以上踏み込めない。

 

 ……いや、正確に言えば、情報はある。

 だけど見つけようとしている目的が目的だから、対象のタケダに私は認識されたくない。

 もしも彼が、自分の行動のせいで推小島から人が消えたと認識していたら、自分を探している島の出身者がいると知ると、怨まれてると感じて間違いなく姿をくらますだろう。

 

 探していることを、口の軽い人に業界内で噂されたくない。そうなると、雲を掴むような探り方になってしまい、やはり情報は得られない。

 『45年ほど前、アフリカにロケで行ったその足で、推小島に行ったタケダという男である』という、私しか知らない情報を振りかざす聞き方は、口の堅さを信頼できる人にしかできない。

 何より、『同じタケダという名前の人違いだった』は絶対にあってはならない。顔すら覚えてない45年前の人を、確実性を以て認識しないといけない。

 困難を極めた。

 

(悪いのは、手段か、要領か、あるいは運か……いや、全部かな……。もう少し、いい探し方があったのかも……やっぱり独りだと厳しい……)

 

 カメラマンとして名をあげて、芸能界と関わりを持つなんてやり方は、迂遠過ぎただろうか。

 あの時取材だと言っていたから、推小島について何か放映した番組があればそれを皮切りに……と探したけれど、それも見つからなかった。

 あの時代の日本では見られない病気で大勢が死んだのに、当時からニュースにもなってない。生き残った島民のその後の生活のために箝口令を敷いた病院の判断は活きたらしい。

 

 もう私も還暦直前だ。彼はとっくに定年を迎えただろう。既にテレビ局を去っている可能性が高い。

 このまま……目的を果たせず、終えてしまったら……私は……。

 

「高坂社長、オファーのメール来てますね」

「え? あ、ごめんなさい……まだ、見てなくて……」

 

 考え込んでいたところをスタジオの従業員に促されて、仕事依頼受付用のメールボックスを開く。

 五反田さんからだった。少し前から、何度かお仕事をいただいている映画監督だ。

 実力はあるが、一世を風靡するにはなんか決め手に欠ける、という下馬評もちらほら耳に入るけど、私は映像には疎いから成果の質の評論は出来ない。でも、人となりは信頼できると感じた。

 ……この方にも、聞いてみようか。『アフリカ帰りのタケダ』について……。

 

「えっと、ドラマ撮影、か。うわ、星野ルビー、不知火フリル、黒川あかね……すっごいメンツだなー。カメラマンは……社長ご指名。流石ですね! このレベルのタレント撮れるなんて」

「ふふ、ありがとう」

「でも大丈夫ですか? お仕事入れすぎじゃ。この前カンボジアに行ってきたばっかりじゃないですか。事故ってカメラ水没させちゃうし」

「大丈夫ですよ。これくらいなら……」

 

 心配してくれる従業員に、口元だけ少し上げる笑みを返しながら、自分もメールに目を通した。

 星野ルビー……。あの後志半ばで夭折したアイの娘は、今や母を彷彿させる、いやそれ以上の活躍を見せるトップアイドルだった。

 自分も、アイと同じくらい有名なタレントを撮れる立場にようやくなったということか。

 

 他のスタッフもオファー中なのか名前は記載されていないけど、プロデューサー等企画段階での中心メンバーはメールに書かれていた。

 

(……!)

 

 『武田』。複数人いるプロデューサーの一人の名前に、滑らせていた視線が釘付けになる。

 

(これまでも見つけた、数あるタケダ姓の一人でしかない……けど、名前からして男性だし、何かしらメディアの仕事に残ってるなら責任ある立場にいておかしくない年齢のはず。可能性はある。この人が、目指す人なのか、確認しないと……)

 

 慌てなくてもいい。仕事でしばらく一緒にいるだろうから。

 並行して他のタケダを探す手を緩めることはないけど、この人についてはゆっくり確認していこう。

 初回の顔合わせの席で遠くに座る武田を見ながら、そんなことを考えた。

 しかしそんな考えも、しばらく後の次の会合で意味をなさなくなった。

 

「集まってもらって申し訳ないね。5つあるストーリーのうち僕らが撮るパートだけどさ。次女と三女が大人になっている時間軸の撮影は、推小島ってところで撮れないかなって思ってるんだよね。

 今入ってる来年くらいまでの案件終わったら僕はこの仕事辞めようと思ってるから、気になってたところに行きたくて」

「え? 引退するんですか?」

「そもそも五反田くんが呼んでくれなかったらこれ参加してないし。もともと縮小してたんだよ」

 

(…………!!!)

 

 集まったのは、武田プロデューサーと、五反田監督と、私含めた他4名。

 武田プロデューサーの口から飛び出した故郷の名に、全身が総毛立った。

 五反田さんがいぶかしげにプロデューサーを見て口を開く。

 

「どこですか? そこ」

「東京から見て南にある島だね。推島のすぐ西にあるんだよ」

「ああ、推島は知ってますよ、有名ですよね。ええっと、確か2023年だったか。見た目は子供、頭脳は大人な国民的探偵漫画のアニメ映画の舞台になってたし。近くに別の島があるんですか」

「そそ、昔行ったことあるんだよ」

 

 まだだ。この人が、偶然武田姓で、偶然島に行ったことあるだけかもしれない。まだ確定じゃない。

 落ち着いて……。

 無表情を装いながら、心臓の辺りに手を持っていき、ぎゅっと掌を握り締めた。

 

「でもなんでそこなんです?」

「昔行った時、学校があってさ。調べたら今も残ってるらしいって。幼少期の撮影は現役の学校を春休みに借りて撮るわけでしょ? 現役の学校じゃあ、外観に廃墟感って言うのかな。雰囲気が出なそうだから」

「はあ……今スマホで場所見ましたけど、結構行くの大変じゃないですか……ロケハン行くにしても移動で丸二日潰れますよ」

「まあ、ロケハンは無理しなくていいんじゃないかな。そんな長いシーンじゃないし、現地で色々演出考えながら出来るでしょ。どうしても行きたいなら僕と五反田くんで行こうか?」

「イヤですよ、武田さんすっごくイビキうるさいから同じ部屋で寝れないし……」

「言うねえ。でもほら、一応、現地に泊まれるコテージあるんだよ」

「地図も用意してるんですか。行く気満々じゃないですか。でも10棟しかないな……予算も心配だし、タレントは3人だからこのメンバーだけにしちゃうか。本当はもっと人欲しいけど少数精鋭でいこう」

「女優3人のスケジュール抑えたの、夏だよね? シーズンだから今段階でも客船のスイートルームほとんど埋まってるよ。複数日予約とっちゃおうか。キャンセル料は経費にしよう」

 

 プロデューサーと監督の会話ばかりで話が進み、他四人は見守るだけだった。

 壮年のアフロな男性は微苦笑、少し若い眼鏡の男性はプロデューサーを見て憮然とした表情。隣の若い女性は、聞いたことも無い土地に対して興味津々、という感じだ。

 コテージの位置……これ……。

 

(かつての島民の家を、改装しているのか……)

 

 推島にいた期間は定期的な殺虫剤散布で渡航禁止だった。10年くらい前まで存命だった父に会いに時折里帰りしてた頃も、故郷を話題にしない暗黙の了解があったし、調べもしてないから小島がどうなっているかは知らなかった。

 けど話を聞く限り、生物の研究が再開されて時々微かに人の息遣いが戻っているらしい。

 蚊が激減し、動物含め原虫を持った生物がいなくなったのを確認できたということだろうか。殺虫剤等で蚊以外の生物にも当然被害が出ているだろうから、その確認もあるだろう。

 

 まさか家がコテージとして活用されているとは思わなかった。

 けど、かつての家全部ではない様子。もっと家があったはずだけど、長く放置されてる間に台風とかで崩れたものもあるはず。

 

 その中でも、地図に書かれた、この一番西の、崖の目の前のコテージは……。

 

 もうプロデューサーと五反田さんの話はまとまりそうだ。この後……色々確認しなければ。

 

 

「プロデューサー、この島、よくご存じなんですね」

「え? ああ、高坂さん、だね。さっき言ったとおり来たことがあるんだよ」

 

 打ち合わせで行先とスケジュール候補他、大まかに決まって皆退室していく中、プロデューサーに声をかけた。

 プロデューサーと私だけになった部屋で、違和感を持たれない程度に探るような視線を向けると、彼は昔を思い出すような表情をしていた。

 

「私、こういう滅多に行けないところを見に行くのが好きでして。いい機会をいただきありがとうございます」

「はは、カメラマンって皆そうだよな。よろしくね」

「あの……先ほど、『気になってるところに行きたい』とおっしゃってましたよね。何かここに気になるものがあるんですか? そもそも、過去にどんなきっかけでこちらの島に?」

「そうだねえ、もうずいぶん昔だから、ちょっとあやふやだけど……この島に人がいた頃、秘密のお祭りが行われてたらしくて。当時の上司、そういうオカルト的なものに詳しくてね。推島に旅行中病院に行った時そのネタが漏れ聞こえたらしい。行って来いって言われて、海外に行った帰りにそのまま……」

 

 過程も、一致している……。

 

 (……オカルト……か……)

 

「この島って、その時からこういった宿泊施設ってあったんですか? 学校があるってことは……島に人が住んでたんですよね」

「うん……ひょっとしてこのコテージ、昔あった家を使ってるのかな。地図見てたらそんな気がしてきた。じゃあ、折角だし僕はこの一番西の、使おうかな」

「…………。 ここですか? 遠くて不便そうですけど……ここに思い出が?」

「ああ。前来た時ここに泊めさせてもらったんだ。とは言ってもその時ここに住んでた親子の父親はいなくて、女の子は夜に出かけちゃってさ、寝る時は僕しかいなかったよ」

 

 

 

 私と父がその『コテージ』に住居を移している間。泊めたことがある人は、1人しかいない。

 1人しか。

 

 (見……つ……)

 

「けた……」

「ん?」

「あ、いえ……」

「んー……高坂さんってさ……」

「はい?」

「いや、若いけど、何か面影があるような……高坂さんは下のお名前、何て言ったっけ」

「……茉莉、と申します」

「まつり……高坂、というのは本名? 旧姓とかは? それと、どこ出身?」

 

 ああ。タケダさん。本当、本当に、お久しぶりです。

 私はこの日を。

 

「ふふ、姓は変わらず、本名ですよ。それと……沖縄出身です」

「そうか……いや失礼。人違いか」

 

 ずっと……ずうっと、待っていました。

 

 

「深夜に出かけたんですか。何してたんでしょうね、その親子」

「実はね、その子について行ったんだけど……あんまり、世に出しちゃいけなそうなお祭りをしていたから……流石に面白おかしくコンテンツにするのは気が引けてね……。

 上司にも何もわからなかったって報告したら、大目玉くらったよ。その少し後に調べたら、島からみんないなくなったらしくて……僕が行った直後くらいなんだよ、無人島になったの。だから気になってたんだ」

「そうなんですか……」

 

 あまりにも時間がかかりすぎてしまったけど、見つけた。目的である3人のうちの1人。

 そっか……見られていたのか。でも結局番組のネタにしてなかった。なかなか見つけられなかったのも納得した。

 

(『気になったから』見切り発車でここをロケ地にしたんですか。相変わらずですね)

 

「メディアの方の情報力は凄いですね……その上司の方はまだ働いておられるのですか?」

「どうだったかな……辞めてるかも。会いたいの?」

「ふふ、ええ、私、こういうオカルトと言いますか、そういうのも好きなので。まだ何かしら番組をお持ちでそういう企画があるなら、営業かけてみようかなと」

「そう、まあいいけど……高坂さんも変わった人だねえ。調べておくよ」

 

 『2人目』はこの人経由で聞けば分かるだろうと元々考えていた。

 部下であるこの人が海外で危険な病気を患ったことを知りながら、日を空けずに病院も無い隔絶された島に送り込む判断と指示を下した人。

 

(身元さえ分かっていれば、いかようにも……)

 

 どうやら武田さんもその人物の今の状況は分かっていないらしい。

 慌てる必要はない。この人から聞き出して、そして……。

 

 

 もうすぐ終わるよ、姉さん。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 武田さんの元上司はもう仕事をやめていたらしい。名前と、『生きてはいる』程度しか分かっていない。

 この人について調べるのに時間がかかりそうだ。

 名前まで分かっているなら、興信所を使えば分かるだろうか。

 

 それだけじゃなく、45年前のその人と武田さんの関係は、武田さんの一方的な言葉でしか聞けていない。

 島で話していた武田さんの上司の愚痴が本当だったのか、事実確認もしていかないと。手をかけるつもりなら最低限、当時彼らは上司部下で、帰国後推小島へ行くよう指示した事実までは裏をとるべきだ。

 そこまでやるとなると、やはり時間はかかってしまいそうだ。

 

 武田さんにしても、このロケが終わったら会えるかもわからない。そろそろ引退すると言ってたし……。

 この仕事で関わっているうちに終わらせてしまいたい。正直、私の身も心ももう保たない。

 でももし警察沙汰になったら、残り二人に手を下すことが出来なくなってしまう。

 

 武田さんに手をかけるのは、殺人を誤魔化す、あるいは捜査で時間を稼ぐような方法で……。

 でも私に完全犯罪を行えるほどの知恵もマンパワーも無い。

 

「社長、このスマホなんてどうですか?」

 

 スタジオの従業員が見せてくれたスマホのカタログを見ると、ちょっと普段使いには大きすぎるけど、録画や撮影の機能が極めて充実している型があった。

 武田さんは、ロケ中にそのロケのこと以外の仕事の連絡が来ることを嫌がる。

 だからいつも、スマホをレンタルして関係者に配って業務を行っているらしい。

 

 タレントの個人用スマホの連絡先なんて極めて機密性が高い以上、企画や番組ごとにスマホを用意するなんて珍しい事ではない。芸能界に限らず、今時どの企業も業務用のスマホの貸与なんてよくある話だ。

 用意しないなら全てタレントのマネージャーに業務連絡が行くだろう。だけど、今回のロケは各タレントのマネージャーも来れないから、直接タレントたちともやり取りする必要がある。レンタルスマホはそういう意味でも理にかなっていた。

 

 行きづらい所に行くし、ロケ中万が一機材が故障しても代替手段になるよう機能性の良いスマホにしようと提案した。

 それならカメラと映像担当の二人が良いものを選んでほしいとプロデューサーに言われたため、従業員に良い機種を探してくれるよう頼んでいた。

 映像担当の男性は特に興味ないようで、提案者の私が選んだ機種にそのまま賛成するだろう。

 

「ふふ、いいですね。これにしましょう。ありがとうございます。今から手配すれば……ロケ本番の一週間前くらいには受け取れるかな。レンタル手続きは私がやっておきますね」

「分かりました。でも……この機能まで要ります? そんなに過酷な現場なんですか?」

「……念のため、ですよ」

 

 機能性が良いスマホにしようと提案した本当の理由。高価なスマホである以上は。

 

「社長、防塵防水ってどういう仕組みなんでしょうね? スマホの中がビニールでくるまれてたりするのかな……」

 

 この機能がついていても不自然ではないからだ。

 

 ロケは夏。あの島は月に何回も台風が来る。それ以外でも、井戸が増水するほどの大雨は何度もある。

 その後の打ち合わせで、夏の南の島らしく悪天候の可能性を誰かが言った時、プロデューサーが学校の水没を懸念した。意外とあの日の事を覚えている様子だった。

 それならと誰かが防災用の機械を見せてくれた。機械に詳しそうな映像担当の男性だったような気がする。

 

 この段階で、『やり方』を決めた。

 高頻度の台風はロケ中どこかで当たるだろうし……当たるよう多少日程の『調整』も出来る可能性がある。

 定期的に島に行っている生物の研究者にも、島の状況や、コテージの構造の改修状況について話を聞きに行った。

 道が緑に埋め尽くされた航空写真や彼らの話からも、両神社への道のりには誰も踏み入っていない様子だった。それならあの薬品も残っているはず。

 

 そして、このスマホ。決行直後はびしょ濡れになる異様なコテージの現場を『誤魔化す』ことが出来るかもしれない。

 台風の後は最低一日風が吹き荒れる。警察も来れないから、即日遺体に現れる死後の硬直や直腸温度の経過あたりも調べられない。

 もちろん全部、聞きかじった知識に基づく素人考えだ。胃の中の水は残ってしまうだろうし、捜査や法医学のプロ集団を完全に騙せるとは思ってない。

 でも例え殺人に気付いても、あの島に詳しい人なんて私しかいない。やり方もすぐには分からないはず。故郷という地の利を生かさないと、捜査のかく乱なんて不可能だから、やっぱりこの島でやり遂げるべきだ。

 最悪捜査で時間さえ稼げればいい。

 

 『2人目』を見つけ出し、事実確認を経てその人に手をかけるまでの時間さえあればいい。

 

「実は私……この仕事を終えたら、カメラマンを辞めるつもりなんです」

「え!? 社長、そんな、急に……! ちょちょ、今夜のご飯はカレーですみたいなノリで! この会社どうなっちゃうんです!? あ、経営と指導に専念するって意味ですよね!?」

「あなたも皆さんも、同業の伝手で再就職できるようにしますから」

「えー! 畳んじゃうんですか!? そんなー!! 私も皆も、社長と一緒が良いからここにいるんですよ!……お忙しいのに、カメラの事、たくさん教えてくれて……ずっと面倒見てくださって……それにまだお若いじゃないですか!」

「若くないですよ。還暦直前です」

「それは知ってますけど……社長みたいにいつまでも若々しい年のとり方したいなって思ってたし……」

「……」

 

 過ぎ去った時間が刻まれたものが皺だというのなら。私のような年の取り方、しない方がいいですよ。

 

 言葉にせず、口元だけわずかに上げる微笑みを返した。

 殺人者が経営していた会社となってしまうから……この会社は引き継がせるのではなく、畳んで従業員を再就職させよう。

 スタジオを持って受注を増やし、同時に伝手を増やすという打算があったにせよ、他人を巻き込めないと思って一人で本土に来たはずなのに、こうして会社を立てて仕事で繋がりが出来てしまった。

 でも、私が生きていた痕跡なんて、遺っていない方が良い。

 

 スマホにしても、武田さんを手にかける過程で使う以上、もし事件化してしまい、従業員がレンタル手続きに関わっていたら、彼女にも迷惑が掛かってしまう。だから私がやらないと。

 

 あまり自分の年齢について自覚を持てない。本当に姉の3倍生きたのか……。57年も生きた実感がわかないのは、母や祖母のようなライフステージを踏んでいないからなのか。経験の厚みだけ視野と落ち着きを得ている気がする一方で、故郷にいた時のままの自分が胸中のどこかにいる気もする。

 『穴山の人間』の私と、高坂茉莉。どちらが私なのか、分からなくなってしまう時がある。

 疲れ切った心に鞭打って仕事をするにも、いよいよ体の衰えのごまかしが効かなくなってきたという体感だけは本物だった。

 

 でも、武田さんを見つけて、計画を練っている間はあの夢をほとんど見なくなった。

 これでいいんだ。

 

「急にこんなこと言ってごめんなさい。でもやっぱりここのところ、カメラを。少し、重く感じてしまう時が増えまして」

「むう……まだ納得してないですけど。まあ、とりあえずこのロケでもムリはしないでくださいね」

 

 やれるだけの準備はやった。

 台風が来ても、昼にあたったらロケ自体が代替地で行われてしまうから、そこだけは予報どおり夜にあたるよう祈るしかない。来なければ他の方法を考えるしかないけど……。

 私の希望どおり夜に台風が来て、ロケが決行されたなら。

 

 45年ぶりに、あの島に、あの時の二人が立つ。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

  ―1日前― 3:30

 

 開け放たれたコテージの窓から、沈んだ武田さんの身体をスマホのライトで照らし眺めていた。

 月明かりも無い真っ暗闇で、ずっと追ってきた存在が、かつてひと時を共にしたこの空間で死に行くさまをただ見続けていた。

 沈んで30分も経てば、十分だろう。長すぎると皮膚がふやけて、これも痕跡になってしまう。時間が来たら塞いでいる扉の隙間を開放して、周辺をくまなくチェックして……夜が明けてから、何事も無かったかのように振舞えばいい。口元だけ緩める微笑みは慣れている。

 私がやった証拠は何一つ残らないはず。

 山の上の『実家』まで行きたくはなかったけど、為朝の社にあった薬品は密閉を解かれていたせいで揮発してしまっていた。うっすらと記憶に残っている、過去の自分の悪戯を恨むしかない。思ったより時間がかかってしまった。

 

 21:30に差出人不明のメッセージが来ていた。朝にみんな集まるのにわざわざ夜に送ってきたということは、きっと五反田さんからの連絡。集合時間が変わったのかもしれない。

 今からでも眠る時間はあるだろうか。一時期よくなったのに……やっぱり今も『夢』を見る。このロケの仕事が中止にならない場合、途中寝不足で倒れないように……薬は……念のため、飲んだ方が良いだろうか。

 

(この島に戻っても、あんまり思い出せなかったな……)

 

 美術室に訪れた時。屋上に上がった時。やはりその現場を見ると蘇るものがあるのか、軽い頭痛と共に断片的に記憶が蘇ったけど、それっきりだった。

 今日、武田さんが死んでいるのが分かった後も撮影するのなら、一つのシーンを学校の裏の花畑で撮ろうと提案してみようか。校庭で星野さんと見た一輪だけ残っていた花は奇跡のようなもので、本来もうこの季節に、黄色の花はないだろうけど。

 

 いずれにしても、これで一人終わった。あと、二人。

 やらなくてよくなった『タケダ探し』のリソースを使い、武田さんの知り合いを探しながら昔のことを調べた。結果、45年前の武田さんの『上司の愚痴』は概ね真実であることが分かっている。

 諸々終わったら、やるべきことをやろう。

 『2人目』の手段は何だっていい。時間稼ぎの凝った隠蔽工作はいらない。『3人目』はいつでも手を下せるから。

 

 武田さん。覚えてますか。

 この島は、送る時も迎える時も、水を必要とするんです。

 あなたと再会してから、あなたの事を調べた。あまりいい噂は聞かなかった。

 でも……あの時あなたは……きっと、この島の事を探るために、子供の私を誑かす目的で言ったんでしょうけど。

 

 

『へえ、子供とは思えない出来だな。丁寧で上手だ』

『構図がすごく上手いんだよな。それに、景色が綺麗な島なんだな』

『絵描いて食ってるやつもいっぱいいるけど、興味あるならカメラなんてどうだ? 見たことないものに興味あるんだろ、行動範囲広がるぞ』

 

 

(もし違うところで生まれて、あなたと出会っていたら……どんな、人生……だったんだろう……)

 

 『2人目』を終えたら、3人目のためにすぐ、渡り鳥のようにこの島に戻ってきます。

 あなた一人で隠世(かくりよ)に行かせませんから。

 

 

 姉さん。みんな。

 巫女の務めは、これで果たせますか。

 この島で最後の一人に手を下せば、そのまま私もこの島に還ることができますか。

 

 

「もう一度……」

 

 罪ばかり重ねたこの命でも

 

「会いたいよ……」

 

 罪人を受け入れてきたこの島でなら 祈りの心くらいは 許してくれますか

 

 

 残った睡眠薬を一度に全て飲めば、夢を見ることも無く眠ることが出来るはず。

 

 祈りも、想いも、よすがも。

 私には、辛くて、苦しく、傷つけ、喪うものでしかなかった。

 

 だからここまま全て、現世(うつしよ)に置いてゆきます。

 

 

 もう声も顔も思い出せなくなっちゃった。

 でも、底の見えない螺旋階段のような記憶の一番深い所にある、あの腕に抱かれた時の温かさ。

 思い出せかった45年の最期は、それだけを、ほんの片時だけでも思い出せたら。

 

 

 そこに一輪の黄色を添えられれば、他は何もいらない。

 

 

 あとは その時が来たら もう

 眠らせて────

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 22:30

 

 誰も何も言わなかった。

 高坂さん……本名は、山の上の神社と同じ穴山さん?が語った内容は、この島に来てから私たちが感じてきた謎に答えつつも、ちょっと信じられない話もあって、簡単に何か言えるようなモノじゃなかった。

 フリルちゃんたちが想像したとおり、全然気持ちのいいお祭りじゃなかったし。武田プロデューサーが昔この島にきた時、まだ子供だった高坂さんに案内されて、あの山の神社に行って。

 そしてあかねちゃんの予想どおり、本当に怖い感染症が……それで、お姉さんが。

 

 だけど、思い出しながらポツポツと話すから、時系列もバラバラだったし……家族、特にお姉さんとの思い出話は断片的かつ抽象的で、いまいち要領を得なかった。絵をかいて贈ったとか、花飾りをもらったとか、かなりヤバいお祭りで関わったとか、その程度。

 話そうとするたびに、怯えるように頭を抑えてたけど……うまく、思い出せないのかな……。

 

(日誌の『いんね』って、お姉ちゃんって意味だったんだ……)

 

「すまん……聞かせてくれって言ったのは俺なのに……なんも言えねえ……」

 

 カントクがポツリと零して背を向ける。

 こんな時、なんて声をかければいいんだろう。

 

 そもそも、45年だよ? そんなに長い間、気持ちを維持し続けるなんて、そんなこと……。

 

(……ううん)

 

『無人島になったのは45年前なんだ。結構昔だなぁ。さりなすら産まれてない。

 せんせと……お兄ちゃんの人生を足したくらいかな。』

 

 この島に来るとき、船でそう思った。私は、45年間もの間、自分が生まれてしまったことの罪悪感に苦しむ人がいることに、一番疑問を持ってはいけない人間なんだ。

 それに私だって、ママやせんせを殺した人が今も生きているって分かった時、それからアクアの前世を知るまでの一年以上、胸の中にどす黒い恨みと殺意が渦巻いていた。

 でも、怒り以上に抱いていた、本当の気持ちは──

 

「あ、あの。ご迷惑をかけ、不安な思いをさせてしまったので、お話はしましたが……。身勝手であることは分かってます。何も見なかった、知らなかったことにしてもらえませんか」

「いや高坂さん、そういうわけには……」

「すみません……でも、五反田さん……全部、ちゃんと、終わらせますから……お願いです、終わらさせて……」

 

 身体の震えを隠そうともせず懇願する高坂さんに、カントクが困惑顔をする。

 そうだよね……知らないふりという訳には行かないよね。彼女をこのままにしたら、今も既になっているけど、それ以上に取り返しがつかないことになる。

 今夜一晩すら彼女を近くで見ていないと危ないとすら感じる。……自分を責めて責めて責め抜いた人が言う『終わらさせて』の意味くらい、流石に予想がつく。

 

 ありきたりだけど、『そんなことしないで』って言いたい。でも……彼女の語る昔話は、バラバラで揃っていないパズルのピースだけを受け取っているようなもの。

 すぐにはパズルの絵が分からなくて彼女にかけるべき言葉をみんな迷い始めたころ、左隣に座る人が声を出した。

 

「ずっと……独りだったんですね」

「……」

 

 憐れみとも、優しさとも違う、なんていうんだろう……このあかねちゃんの眼差しは、うまく表現できない。

 

「もう、とっくにおわかりですよね。自分が一番責めている人が誰で、自分を一番責めている人が誰なのか。武田プロデューサーへの憤りも勿論あったでしょうけど、それだけじゃなくて」

「さっき、さんざん昔話、したじゃないですか。私のせいで、私が、私が」

「……。そうですよね。自分のせいでって考えてしまうのは、呪いのようなものだから。自分は幸せになる資格が無いって気持ちはどれだけ時間が経っても、消えるものじゃない。なら……お姉さんが亡くなったのは自分のせいだって、思ってもいいと思います」

 

 ここは『あなたは悪くない』って言ってあげるところじゃないの!?

 どう見ても罪悪感で苦しんでいるようにしか見えないのに……!

 ……でも……。

 

「私は、人付き合いはずっと、失敗ばかりで。正しいことを言えば解決するような関係の方が少なかった。あなたは悪くないって伝えるだけじゃ、救われなかった人が、いたから。それなら……その罪悪感ごと私は寄り添いたい。

 自分を責める気持ちは、お姉さんを慕うことを許せなかったご自分が、唯一その人と繋がれる感情、だったんじゃないんですか」

「……」

「なら、ここにいる人は、高坂さんの気持ちを否定したり、しませんから。辛く苦しいけど捨てられない気持ち、独りだと耐えられないなら、私なんかで良ければ、一緒に飲み干してもいいですから。その代わり……怒りとか、後悔とか、罪悪感とかのさらに先にある、お姉さんを想う気持ち。大切な人と繋がりたいという本当の気持ちまでは、どうか、自分自身で押しつぶそうとしないで……」

 

 一言ずつ。いや一文字ずつなのかな。ものすごく丁寧に言葉をかなり選びながらなのか、ゆっくりと話している。

 人付き合いは失敗ばかりって言ってたけど、ここでこんなことを言えるあかねちゃんは、どんな道のりを歩んできたんだろう。

 あなたは悪くないって伝えるだけじゃ、救われなかった人って、誰なんだろう。多分だけど、私もよく知る人な気がする。

 

 初めて過去を明かした相手とは言え、出会って3日の人にそこまで言われて高坂さんも困惑気味だけど、胸の前で組んだ両手の震えが少しずつ止まっているように見える。

 

「それならやっぱりこれ、持ってきてよかった」

 

 あかねちゃんの奥の方から声がした。高坂さんのお話し中、フリルちゃんは一度も質問したりしなかったから、久しぶりに声を聞いた気がした。

 

「監督、パソコンに昨日撮った宣材写真あります? そこにルビーが高坂さんのカメラを借りて一枚だけ撮った写真があると思うんですけど」

「ああ、あるぞ……これだな」

 

 何百枚もある写真データの中から、カントクが学校の屋上で私が撮った写真データを見つけ出し、ダブルクリックして映し出した。

 「こんな感じで撮れてたんだ……そっか、だからフリルちゃんは、神社からアレを……」と呟くあかねちゃんを見て、あの時、被写体のあかねちゃんに見せるのはなんだか恥ずかしくて断っていたのを思い出した。

 

「私は黒川さんほど細かいことに気付いたり、論理的に物を考えたりとか出来ませんが。今日の撮影中、何だか黒川さんが上の空な時があって。よく見てたらずっと高坂さんを見てたから。高坂さんを疑ってるのかなあって漠然と思ってた。

 それで、今日の夕方、海辺の……為朝神社っていうんでしたっけ。そこの本殿に行ってきて」

「え? あの社……入れたんですか? 崩れてましたよね……」

「奥まで行ったら壁に穴開いてましたよ。それで、箱の中にあったものを見て。ルビーの写真と昨日の宣材撮影を思い出して……やっぱり、事件に高坂さんが絡んでて……事件の理由は、それに描かれている人が関わってるんじゃないかって。

 

 ルビー。これ、高坂さんに渡してくれる?」

 

 フリルちゃんが机の下から、何か黄色く変色した紙を取り出し、あかねちゃんを越えて私に手渡した。

 ただの紙より分厚い。画用紙だ。

 裏面は変色しているけど、表面は……青い空と、海。そして緑の多い島の自然を背景に、こちらに向かって微笑む人が描かれている。

 ゆったりとした袖の特徴的な衣服に、肩よりも長い髪。そしてこの絵を描いた人に向けられる、自然で零れるような笑顔。

 

 パソコンに映っている、高坂さんからカメラを教わりながら私があかねちゃんを撮った写真と、場所、アングル、人物の位置や構図。何もかもが一緒だった。

 あかねちゃんと本殿から出てくるのが遅かったのは、これについて話してたからだったの?

 

 机を回り込んで、高坂さんにそれを手渡した。

 落ち着きを取り戻しつつあった高坂さんが、その絵を見てまた震え出した。でもさっきまでのパニックという感じではなく、驚きと……いろんな感情が綯交ぜになったような震えだった。

 

「高坂さん、勝手にあそこから持ってきてすみません。でも、この絵……大切なものだったりしませんか?」

 

「こっ……これっ……は…………っ……あ゛……ううっ……」

 

「……あの箱に、これが、入ってましたよ」

 

「……う……うう………………そう……こん、こんな、う゛、うう゛……ふうに……笑う、人……だった…………。……ごめん、なさい……」

 

 高坂さんがさっきまで断片的に語っていたとおりなら、これは彼女があの日誌を日付で描いた絵だよね。

 当時6歳でこのクオリティの絵を描いたのか……私は二度目の人生でも、分厚い本読んでるお兄ちゃんの横で、落書きレベルのものしか書けなかったのになあ。

 

 思い出したくても故人の顔を思い出せなかった人が、思い出せたらそれに合わせて少しずつ記憶が蘇っていく。

 私がこの島で演じた役と似たことが、目の前の彼女にも起こっているのか……それ以外に、心によぎる気持ちがあるのか。声だけでなく色々押し殺すように、フリルちゃんが見つけた絵に向かって話しかけて。

 目を閉じた時、押し殺しきれないものが彼女の頬に流れていた。

 

 結局この人も……あかねちゃんの言うとおり、自分を責める裏で、特別な人に手を伸ばし続けてただけなんだ。

 こんな事件を起こしているくらいなんだから、思い出せないからって、お姉さんが軽い存在なわけがない。

 なのに、なかなかその人との関わりを思い出せないアンバランスさと痛々しさに、高坂さんというちぐはぐでバラバラなパズルをすぐ組み立てられたあかねちゃんが一番早く気付いただけだった。

 

「……? あの、な、んで……星野さんが……泣いてるんですか」

「……」

 

 高坂さんは初回の顔合わせで遠目に一度見ただけで、一昨日初めてまともに会話した人。過去に何があったのかだって、さっきちぐはぐにパズルのピースを見せてもらっただけ。

 不思議そうにこちらの顔を見る高坂さんの反応が普通だよね。

 

 高坂さんの全てを知っている訳じゃないのに、私は出会って3日の人に、何を重ねているんだろう。

 

 アクリルキーホルダーを強がりの笑顔で受け取るせんせ?

 自分を呪いながら今にも消えてしまいそうだったアクア?

 暗い病室で命の意味を見失ってたさりな?

 この事件を一緒に追った二人にだけ、公民館で見せた『嘘』のルビー?

 

 

「どうして、いつまでも特別な人ほど……私を想って、いつまでも辛い思いをしちゃうんだろうね……そんな姿、見たくないのに……」

 

 

 すごく似てる経験をした気がする。

 お兄ちゃんの時と同じだ。深くて真っ暗な螺旋階段を下りていって、お兄ちゃんの心の一番深いところにあるドアをノックし続けた。

 伝えたいことがいっぱいあった。

 あかねちゃんだけじゃなくて私だって、『せんせーの全てを肯定してあげる』だけでは救えなかったから。『大好き』も『ありがとう』も『一緒にいたい』も。伝えたい言葉を鍵にして、扉を開けようとした。

 

 私はあかねちゃんのようなことを言えないし、フリルちゃんのようなことも出来ない。

 でもあかねちゃんが、深い穴を下りる階段を見つけてくれた。

 フリルちゃんが、深い穴の底にある扉を見つけてくれた。

 お兄ちゃんの時のようにこの扉を開けるなら、あと必要なのは鍵だけ。

 

 彼女がお姉さんとどんなやり取りをしたかなんて、私は分かるはずがない。

 だけど……この島で見た不思議な夢の中での言葉は、私や私と関わる誰かの想いなのに。私はその言葉が、そのまま高坂さんの扉を開ける鍵だってことがわかるの。

 

 どうして私なの? どうしてあかねちゃんやフリルちゃんじゃなくて、私に夢を見せたの? この夢で、私の中に入り込んでくるあなたは誰なの?

 

 あかねちゃんとフリルちゃんに無くて、私にあるもの……私だけが前世を持っているから? ううん……多分そんな難しい話じゃないかも。

 お兄ちゃんがメッセージで言ってたとおりなら、この島には神様がいる。

 きっと、あかねちゃんと初日に夜の神社に行った時。このロケの中で、私の演技が誰かの心に届いて、誰かの救いとなれるようなものになりますようにってお祈りしたから。

 神様が、お祈りを聞いてくれたのかも。

 

 それなら、このまま演じればいいんだ。やり方はフリルちゃんが教えてくれた。

 無意識に抱きしめた、椅子に腰かける高坂さんの身体は、前世を合わせた私よりもずっと年上なのに、まるで12歳の少女のように幼く感じる。

 夢を見て、何かと溶け込んで、曖昧になった自分と何かの境界の上を泳ぐように、誰かの心と言葉を借りて、このままこの子の扉の鍵を開ければいい。

 

 でも、見せてくれた夢とはいえ、夢の中の私の気持ちは本当だから。自分が死んだ後に、大切な人が自分を想って苦しむ姿を、見たくなかったから。

 夢で私に託したあなたの気持ちだけじゃなくて、私の気持ちも乗せて、腕の中の人に届けるよ。

 

 

 

「この絵はあなたとの(よすが)

 糸のように心に編み込まれ、紡がれたこの(よすが)は、きっと神様からのおくりもの。

 

 だからお願い……もう、苦しまないで。……ずっと、ありがとう」

 

 

 

 この島に本当に神様がいるって思ったのは、お祈りしてから私が不思議な夢を見るようになっただけじゃない。

 私が前世持ちで、オカルトに耐性があるからってわけでもない。

 

 初日の夜、雨雲が流れて、海の神社までの道が月明かりに照らされたのも。

 2日目、コテージの裏に行った時に偶然風が弱まって、フリルちゃんの録画に私の悲鳴が残ったのも。

 台風の次の日までだった強風の天気予報が、事件が起きた直後に、台風の二日後までに延びたのも。

 3日目の今日の午後……海辺の神社から帰ろうとして、神様に挨拶した時に……まるでこの絵がある本殿に私たちを誘うように、強い風が吹いたのも。

 

 

 私たちが事件を解決するまで、穴山茉莉さんをこの島に留めて。

 そしてお姉さんを想い苦しみ続ける彼女の手に、約50年ぶりにこの絵が届けられるまでに起こった、あまりにも都合の良い何もかもが。

 

 

 全部、この島にいる風の神様のせいだって思えたから。

 

 

 

「……いんねぇ……どこに、どこにいたの……?……行かないで……いは、あいは、ずっと、ずっと、いんね、ずっと……行かないで、やだ、やだぁ、いかないで! いが、ないでぇ、いかないでよぁ!、いが うぅぅぅ あああああああ、わあああああああああああ!!!!!!!!」

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

いんね! いんねぇ! ねえねえ!

 

 

茉莉。あいはいんねだよ。いんねって呼んでくれたら、こうやっていっぱい抱っこしてあげる。茉莉はあいのかわいい妹だもん。

 

 

あったかい……いんねのおてて、あったかいね。

 

 

寒くなんかないよ。茉莉の手はあったかいから。

 

 

いんねがうれしいと あいもうれしいです。

 

 

茉莉が私のところに来てくれたことが、一番嬉しいの

 

 

いんねはいつまでも特別だよ!

 

 

茉莉の命も、茉莉と私が会えたことも。私が祈ったから来てくれた、神様からのおくりものなんだよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あいはいんねのそばにいるよ。

 

 いんねが好きな、花と、鳥と、風と、月があるこの島で。

 

 ずっと……ずっと一緒にいようね。

 

 

 

 

~ Next is the epilogue ~

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