【完結】もしもし、アクアくん?〜女優探偵の事件簿〜   作:ねこのまんま

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㉗ エピローグ Elementary, my dear Aqua

 

・Frill Shiranui

『るび~ちゃん、はろはろ(^з<)チュッ(笑) るび~ちゃんがめちゃかわ♡すぎてオジサン病院行っちゃった(-_-;)どうしてくれるんだ(笑)❗☀ るび~ちゃんは今日もお仕事❓( ̄ー ̄?)❓⁉⁉ このあとるび~ちゃんのおうち行っていいカナ( ̄ー ̄?)♡✋❓アイス持ってくよ☀』

 

・Ruby Hoshino

『きも……』

 

・Frill Shiranui

『昨日偉い人から貰いたてほやほやのやつ改変してみた』

 

・Ruby Hoshino

『芸術点高いね。確認してみる』

 

 殺人事件が起こったロケから帰ってきて2日後の夕方。仕事帰りにミヤコさんが運転する社用車の後部座席で、通知があった自分のスマホに来たメッセージを眺める。

 そういえば、本土戻ったら念のため病院に行っておくようにってお兄ちゃんがフリルちゃんに言ってたな。

 言われたとおり本当に行ってたんだ。

 

「ミヤコさん」

「何?」

「この後家に友達呼んでいい?」

「……念のため聞くけど、どちら様?」

 

 運転席にいるミヤコさんに話しかけると、ミラー越しにちらりとこちらを見てきた。

 いつの間にか大通りを抜けて、自宅はもうすぐだ。壱護さんが戻ってきてから事務所は大きい所に引っ越しちゃって、自宅と事務所は少し離れてしまってる。

 私が正式にアイドルを始めた時のように自宅と事務所が兼用だったら、うちに誰か来たのを目撃されても、『苺プロに用があったんです』という言い訳が出来た。けど事務所を切り分けた今は、完全にプライベートの付き合いとしか言えない。

 ミヤコさんによる来客の精査はこの頃から始まったし、気持ちは分かるからこうして毎度伺いを立てている。

 

「フリルちゃん」

「なんだ、彼女なら私に確認するまでも無いわよ。好きにしていいわ」

「うん、ありがと」

 

 バックミラーに映るミヤコさんは微笑みを戻し、自宅に向かう道にすぐ視線を戻した。

 フリルちゃんに返信する形で家に来ていい旨伝える。

 一日の仕事を終えた家路には、夏の夕陽のせいで出来た電柱の長い影が横たわり、それをいくつか踏み越えると見慣れた自宅が見えてきた。

 

「ただいまー」

「お帰り」

「あっつーい……お兄ちゃーん、アイス持ってきてー……」

 

 自宅のリビングで、パソコンを開きながら冷房を浴びているお兄ちゃんは、私が夏の仕事から帰って来ると、私が何か言う前に立ち上がる。

 いつも麦茶を持ってきてくれるんだけど、今日は特に暑かったから、着替えてすぐソファにごろ寝してアイスを舐めたい気分だ。

 ミヤコさんは社用車を事務所に駐車するために、私を下ろしたらすぐまた出て行ってしまった。

 

「お茶じゃなくてアイスかよ。この後不知火が持ってきてくれるんじゃないのか?」

「え?」

「アイス持っていくって書いてあったじゃん」

「ん? え? あれ?」

 

 ほんとだ。ふざけたメッセージの最後に『アイス持ってくよ☀』って書いてある。

 この暑さでアイスを持っていくって……融けないのかな? いや、それよりも……。

 

「お兄ちゃん、フリルちゃん来るって知ってたの?」

「グループにメッセージ来てただろ」

 

 グループ?

 言われてメッセージをよく見ると、私の送信の既読に数字が書かれてる。確かにフリルちゃんは私個人宛じゃなくて、お兄ちゃんの言うとおりグループに送っていた。

 お兄ちゃんと私と、フリルちゃんが一緒にいるグループ。今は使われていない『15年の嘘』タレントグループ以外だと一つしかない。

 本当につい最近作られたアレだ。

 

 ってことは……。

 

 

•Akane Kurokawa

『タクシー乗ったよ。もうすぐ着くからね』

 

 

「あかねも来るってさ。不知火のSNSに写真上がってたし一緒にいるらしいな。こいつらこんなに仲良かったのか」

「え!? 何か私が今日仕事してる間に色々動きすぎてない!?」

 

 慌ててフリルちゃんのインスタを見ると、

『新宿開催の「あいぱく」に行ってきた。今日のランチの主食はアイス、おかずはアイス、薬味はアイスです。』

というさっき投稿された写真にあかねちゃんと2人で写っている。

 距離近いな……仲良くなったなあ……二人とも友達の身としてはもちろん嬉しいことだけど。

 

 ……ていうかさ!

 

「私が仕事あるから行けないって言った『あいぱく』じゃん! あかねちゃんと行ったの!? あああああ……私も行きたかったのに……プレミアム生チョコアイス……」

「そっちかよ」

「行きたかったんだもん! それにあかねちゃんたちの事なら、そりゃまー濃ゆ~い三日間だったし?」

 

 無人島ロケの前は、私を介して『友達の友達』くらいの関係だったはずの二人なのに、いつの間にこんな距離感に……とちょっと不思議そうなお兄ちゃんは、私たちがロケで三日間どう過ごしたか、細かいところまでは知らない。

 

 ロケから帰ってきたのは一昨日の夕方。推島からまたフェリーに乗る予定だったけど、色々大変なロケだったから疲れてるだろうということで、トラックの管理のため客船に乗る必要があるADの馬場さん以外……私たち3人と、山県さん、内藤さんは飛行機で帰らされた。

 『どうして五反田監督と高坂さん、島に残るんでしょうね……?』と不思議そうにしていた山県さんに、私たち3人は分からないふりして何も言えなかった。

 

 帰ってきてすぐ、無事だったか確認してくるお兄ちゃんに対して、『今日は休ませてあげましょう』と言って制止してくれたミヤコさんがありがたかった。

 次の日は元々の予備日でゆっくり過ごしたけど、そこで三日間の出来事をかいつまんで話している。

 

 犯人は、ロケ中は予定していたプロデューサー以外に害意を抱く可能性は微塵もなかった。でもそれは直接犯人と話せたから知りえた結果論で、3人で色々島中を調べまわる危険な探索をしていたことも含め、お兄ちゃんが私を心配したのは仕方ないとも思う。

 

「行きたかったなら昨日だけじゃなくて今日くらいはもう少しゆっくりしてもよかったのに」

「そういうのがあるって知ったのはロケ中フリルちゃんが教えてくれた時だから……もうスタジオ抑えてたし、ドタキャンするわけにもいかないし。それに、大事なお仕事だったし」

「アイの活動を振り返る番組だったな」

 

 今日はラジオ番組の収録で、娘の私がママのアイドル活動を振り返ってお話しする内容だった。

 私がアイの娘だと公になって、容姿が似てるとかでB小町ファンに戻ってきた人は、当然ながら年齢層が高い。そうなると、こういう『先代B小町特集!』と銘打ったママの回顧録的テーマの場合は、古いツールであるラジオと相性が良かったりする。

 

「なんか懐かしかったなー。ラジオそのものも、ママのことも。昔のこと思い出しちゃった」

「……病室にいた頃か?」

「うん。基本的にテレビでアイのこと追っかけてたけどね。夜は寝てないと怒られるから、つけてても看護師さんにバレないラジオとかもたまに布団かぶって聞いてたんだ」

「昔から先生の言うことを聞かない問題児だったのか。ま、車いすで脱走しようとするくらいだからな」

 

 ママの話をするだけじゃなくて、ふっと笑うお兄ちゃんを見ると、私たちの間の空気が遠い昔に戻る。

 

 懐かしくて。幸せで。いつまでも心の宝箱にしまっておきたい、かけがえのないもの。

 だけど、もう……何もかもが、あの頃のままというわけじゃない。

 

 大好きなせんせ。だけど今は、お兄ちゃんとして何年も一緒にいて、せんせが『先生』という立場じゃない姿になって私の隣にいた。

 そうして、20年以上生きてきた。

 

「へへ。だから、大事なお仕事だったの」

「そうか……ルビー」

 

 

 アイドルは楽しいか?

 

 

 いつか、ミヤコさんのためにご飯を作って待っていた日と同じ口調で、同じことを聞いてきた。

 

「楽しいよ、もちろん」

「……そうか」

「前にさ、メンバーと練習したり、ライブしたり、合宿行ったり。病院の中で生きてた頃じゃ想像できない毎日で楽しいって言ったよね。でもね、前世でも出来たことがまた出来ていることも嬉しいんだ」

「前世でも出来てたこと?」

「うん。せんせと出来たこと。変わっていくせんせを見て、嬉しかった。誰かに何かを送れた。もう出来ない人生だと思ってたから。受け取るだけじゃなくて、届けたかった。それが私の生きる意味だとすら思えた」

 

 島で見た夢は、私が無意識に思い続けていたことを、分かりやすく言葉にしてくれた。いつかちゃんと、お兄ちゃんに伝えたいとも思っていた気持ちだった。

 

 その言葉を伝えると、お兄ちゃんの手元から、マウスのクリック音が止んだ。

 パソコンに限らずいつも本を読みながらだったり、何かしながら会話をするお兄ちゃんの目が、私の方に向いているのを感じて。

 私もぐでーっと片膝を立ててソファに寝転がっていたのをやめて、体を起こして見つめ返した。

 

「そうだな。君には昔から、救われてばっかりだ」

「へへ……。そうやって頑張ってきたから、またこうして会えたもんね」

「悪かったな、すぐに君だと気づけなくて」

「……ほんとに。時間かかりすぎだよねー。……でもさ、だからよかったって、最近思うの」

「そうなのか?」

 

 ソファから降りて、座るお兄ちゃんに後ろから肩越しに抱き着く。お互いのことを知ってから数えきれないほどしたこの姿勢は、お互いの表情が見えないけど、相手の身体の温かさを一番感じられる。

 

 ひょっとしたら失われていたかもしれなくて、必死に繋ぎとめた大切な温もりだった。

 

 

 お兄ちゃん、私ね。一つだけ後悔してることがあるんだ。

 

 お兄ちゃんがママの事を世間に暴露した時、アクアだから許せなくて仲たがいして、せんせだと分かったから許したこと。

 

 私はそんなつもりじゃなかったけど、兄と妹として生まれて一緒に過ごした時間を否定されたようにお兄ちゃんは感じちゃったかもしれないって。

 それが良くなかったんじゃないかって思ったのは、映画を撮り終えてミヤコさんに抱きしめられたお兄ちゃんが涙を流しているのを見た時。

 

 ママが涙を流す人だと知らなかった世間に対して憤る演技をした私が、『自慢の息子』って言われて涙を流すお兄ちゃんを見て、一瞬でも驚いたことが、悲しくて、悔しかった。

 

 

「せんせだって知らなかったからこそ、お兄ちゃんのこと、良く知れた。それが無かったら、私はお兄ちゃんのこと支えられない」

「……さっき言っただろ。そんなことなくたって、君にずっと救われて」

「分かるよ、私を推してくれる幼い子いるもん。子供のような無邪気な愛って、本当に救われるよね。でも私はもう、子供じゃないから。天童寺さりなの記憶を持つルビーだから。

 せんせに守られるだけじゃなくて、秘密主義で悩んでばっかりなお兄ちゃんの裏側に寄り添って、支えたいんだ」

「……」

 

 私はとびきり頭がいいわけじゃないし。お兄ちゃんも隠し事ばっかりで、今ですら何もかもわかってるわけじゃないけど。

 

 病室でのひと時だけじゃなくて、ただの兄と妹としてアクアと触れ合えた時間を大切にすることは、この人を大切にすることだって。それぐらいは分かるよ。

 

 

「だからね。せんせ。……アクア。貴方とまた会えるまで、あなたとたくさん過ごせてよかった」

 

 

「……難しい言い方をするんだな。いや、俺たちの関係が難しいのか」

 

「難しくなんかないよ。お兄ちゃん、大好きだよ。それだけだから良いの」

 

 体重を乗せると、私の髪がお兄ちゃんの頬に流れた。

 お兄ちゃんに全力で寄り添ってた頃、あかねちゃんが『それだけだから良い』って言ってた意味が、やっと分かった気がする。

 

「……ふ」

「なーに、急に笑ってさ」

「何でもない。……君の髪が、くすぐったかっただけ」

「……へへ……」

 

 二人とも何も言わない静かな時間が一瞬だけ流れて、ちょうどその後にチャイムが鳴った。

 お兄ちゃんから離れて玄関に行ってドアスコープを覗くと、さっきインスタで見たフリルちゃんの投稿と同じ格好をした二人が見える。

 あかねちゃんが汗をハンカチで拭いていたから、中で涼んでもらおうと急いでドアを開けた。

 

「ちょりーす。いやー夕方なのにあっついわ。激アツ」

「ルビーちゃん、ごめんね急に」

「全然! 二人とも入って入って!」

「おじゃましまーすっと……あ、野生のアクアが現れた」

「ここは俺の家だが」

「お邪魔します、アクアくん」

「ああ、ゆっくりしてってくれ」

 

 人数が増えたのを見たお兄ちゃんが、リビングの机に置いていたパソコンを脇に寄せる。手を洗ったフリルちゃんとあかねちゃんがリビングに戻ってくると、何人か座れるソファも、4人だとちょっと狭く感じる。

 あかねちゃんも来ることはミヤコさんに言ってないけど、まあ大丈夫だよね。あかねちゃんだし。

 

「昼過ぎに病院行ってきてさあ。ロケ中エーテルをしこたま吸いました、なんて事情説明するのめんどかったけど、まあタレント診るかかりつけのお医者さんだからね。深く踏み込んで来ずに診察してくれて、結果異常なしだった」

「そうか、良かったな」

「で、そこにあかねが付き添ってくれたってわけ」

「話の前後が飛びすぎだろ」

「マネージャーに事の経緯を話したら怒られそうだし付き添い頼みたくないなあって思ってたところで、あかねから付き添うよって連絡してくれて。それならせっかくだし一緒に『あいぱく』行こうと思って、通院を開催日に合わせたんだよ。さて、融けちゃうし早く無人島ロケの打ち上げやろうか」

 

 あ、これ、ロケの打ち上げなんだ。

 急な友達の訪問の意味を今更知る私の横で、フリルちゃんが持ってきた白いお土産の箱を開ける。

 モクモクと真っ白なケムリが箱の底に漂う中、覗き込んでみると白と茶色と緑のアイスクリームが入っていた。

 

「ほいルビー、一個はプレミアム生チョコアイスね」

「ほんと!? やったー!!!」

「ルビーの全身使った躍動的なガッツポーズ、冥利に尽きるよ。まったく、遠方ロケ後の数日くらいは休んじゃえばいいのに。アイドルは大変だねえ」

「私を待ってくれる人がいるからね! 行きの船でも言ったけどお仕事楽しいから、寝る間を惜しんで働いてるんだよ。ほらなんていうんだっけこういうの、五臓六腑の働きってやつぅ?」

「八面六臂ね。でも偉い偉い。まっ私は昼まで寝る間を惜しんで寝てたけどね」

「残り二つはね、私とフリルちゃんで選んだの。バニラと抹茶だよ」

「抹茶は私が選んだんだけど、なぜあかねはバニラを選んだのか? 私は考えたね。バニラは味がシンプルだからこそ一番素材の味が出る。つまり、料理通のあかねだからこそスイーツにも一家言あって、にわかに世間で認知されつつあるこの『あいぱく』というイベントに出るお店が、果たして使っている牛乳とか生クリームとか、どの味でも共通の材料に妥協が無いか、アイスクリームの基本に立ち返って審美的であろうとして、」

「単に味が私の好みなだけだよ」

「インスタの写真見ても思ったけど、不知火とあかねってそんなに仲良かったのか?」

「そりゃもう。ガチのマブなメロい好きピだよ。どのくらい好きかっていうと、私はあかねのこと、ハッピ○ターンにまぶされてる粉くらい好きだよ」

「だいぶ好きでいてくれてるんだね。私もフリルちゃんのこと、雪○大福の皮くらい好きだよ」

「嬉しい……あかね、私の事そんなに好きでいてくれたんだ。自己肯定感上がっちゃう……」

「まだ上がる余地あったの? 私も少しは見習わないとね」

「……あかねちゃんてこんな人だったっけ?」

「こんなやつじゃなかったと思うけど、まああかねは昔から他人の影響を受けやすいやつだからな」

「しまった、ルビー用の生チョコアイスばっか考えてて、アクアの分のアイス買ってなかった……悔恨の極み……」

「俺はいい。三人で食うために買ってきたんだろ」

「でもアクアのサポートもなかったら、色々とこのロケをハッピーエンドで終えられなかったわけで。しょうがない、ここは公平に名前の50音順で好きなアイス取っていくか……」

「……くろ……しら……ほし……私最後じゃん!? 一個足りないんでしょ!?」

「ルビー、どうどう、ステイステイ。安心して、よくよく考えてみたら厳密にはここにアイスが四つある……抹茶、バニラ、チョコ、そして運搬用ドライアイスね」

「最後のはカウントしちゃダメでしょ!」

「早く食わないと融けるぞ。女三人集まればなんとやらだな」

「「やかましいのはフリルちゃんだけ(じゃん!)だよ」」

「なんかルビーもあかねも私の扱い雑になってない? 嬉しい」

「俺はじゃあ気持ちだけ受け取っておくから。そうだな、ルビーのそのチョコアイス、一口くれよ」

「いいよ! 一口なんて言わずにさ、半分あげる!」

 

 お兄ちゃん用の取り皿を持ってきて、フリルちゃんが持ってきてくれた『生チョコアイス』にスプーンを差し込む。

 一番上にサイコロ状にチョコブロックがゴロゴロ乗っていて、チョコパウダーが雪みたいにふりかけられている。下の方はトロッとしたチョコモンブランも入っていて、ロケ中にフリルちゃんが言ってくれた食レポどおりにチョコ尽くしだった。

 お皿に乗せようとしたら、お皿には既にバニラと抹茶のアイスがそれぞれの半分乗っていて、結局全種類をいっぱい食べることになったお兄ちゃんが困惑顔をしていた。

 

「さすがアクア、モテモテだね」

「多すぎだろ……まあ、ありがたくいただく。若いならこれくらい食える」

「んふふふふ」

 

 別にせんせもそんなに胃もたれとか気にするほど年取ってなかったはずなのに、お兄ちゃんはこういうおじさん発言をそこかしこに入れてくる。ファッションおじさんだ。

 あかねちゃんもその辺は慣れているみたいで、彼女の特徴的な笑いを見せた。

 

「ルビーちゃんも、今日『あいぱく』イベントに行けてないでしょ? 私は現地で食べてきたから、このバニラ少しあげる」

「やったー!! ありがと!」

「仕方ない、私の抹茶も施してあげる。これ、イベントに合わせて休暇の裁量があるタレントのノブレスオブリージュね」

「ぐぬぬ……いやアイスは嬉しいけど。そーいや、お兄ちゃんパソコンで何してたの? 今夏休みだし大学は課題ないよね?」

 

 机の脇に寄せられた画面を見ると、何かのドラマ作品なのか、編集ソフト画面の中で映像が映っている。

 カントクから編集を依頼された何かの作品かな? お兄ちゃんも夏休みなのによく働くなあ。

 

 ん? この景色、この廃校……すっごく見覚えが……。

 

「あ、それこないだのロケのやつじゃん。もう監督からデータ来たの?」

 

 フリルちゃんの言葉で確信に変わる。これは一昨日までの三日間、無人島で撮ってたドラマの映像だ。

 でも、カントクは……彼女と一緒に、まだ推島に残ってたと思うけど……。

 

「ああ。もう作業できるならさっさと始めようかと思って。で、さっきお前らが来るまで見ていたんだけどさ。編集する以上俺も最新の脚本貰ってるけど、ラストシーンのところは台詞替えたのか?」

 

 お兄ちゃんがパソコンをこちらに向けながら再生したのは、学校の中の最終シーンだった。写真を見つけて長女の記憶を取り戻していくきっかけになったシーン。

 

 もし私が演じた『三女』と、同じ状況になったらどういう精神状態になるのか。多分それは人それぞれで、これといった答えのない事なんだとは思う。だから私としては、3日目の撮影が終わった段階では消化不良だったけど、一度OKが出たし、その後暗くなる前に3人で海の神社を調べるつもりだったし、撮影を終わりにしちゃってた。

 

 でも、結局……あとは帰るだけになった最終日に、朝食の後無理を言って、もう一度撮影してもらった。

 

 お兄ちゃんのパソコンの中で動く映像を、4人で覗き込んだ。

 

 

~~~~~~~~~~~

 

「『それ、お姉ちゃんの写真? 雨音、良く見つけたね。そう……そうだよ……お姉ちゃん、こんな人だった……。パパもママもすっごく喜ぶはず』」

 

 

 写真を拾った三女を見つけ、思ってもみなかった収穫に次女が喜んで声をかける。

 元の脚本では、この後三女も長女の写真を見て記憶を取り戻せて、姉の死と向き合えてハッピーエンド! な話だったけど、あかねちゃんとフリルちゃんと、カントクにも話して、少し話を変えた。

 

 

「『やっぱり写真はいいね。顔が思い出せると、何だか声も思い出せそう。雨音も、何か思い出せる? 雨音が少しでも、お姉ちゃんと向き合えればいいんだけど』」

「『向き合うって、何?』」

「『……え?』」

「『向き合ったって、私のせいでねーねが死んだ事実があるだけだよ』」

「『雨音……あんた、やっぱり』」

 

 

 細かい仕草とか間合いとか、カメラアングルとかは、時間も無かったし結構ぶっつけ本番だったけど。

 無表情であえて抑揚無く話す私の対比になるように、フリルちゃん演じる次女は、何を考えているか分かりにくかった妹の想いの吐露を聞いて慌てたような声色を出す。

 

 

「『見て、見てよ。この写真。ねーね、私たちより若いよ。高校生だよ。ねーねが生きるはずだった時間を生きるのが、辛い……』」

「『……私だって、辛いよ。周りは、時間が解決してくれるって、それっぽいこと言うけどさ。時間は解決なんてしてくれなくて、取り繕い方しか教えてくれないよね。でも、雨音……』」

「『あの時ああしていたらって、ずっと頭から消えないの。死ぬなら私が死ぬべきだった。なのに、連れてってほしいくらいなのに……死んだって、ねーねはきっと、受け入れてくれない。でも私なんかが、生きる資格なんて。どこに行けばいいんだろ。私は今……どこにいるの。夢で、ねーねが私を責めてくれる時だけ、安心する。ここにいればいいんだって……』」

 

 

 自分のせいで、って苦しむ人が、そんな簡単に前向きになると思えない。

 あかねちゃんもそう言ってたし、そういう人が家族にもいた。そして、この島でも会った。

 その人の気持ちの一部を借りて演じて、その後フリルちゃん演じる次女が視線をそらし、地面に向かって話しかけるようにセリフを口にする。

 

 

「『雨音が何を考えてるのか、聞けて良かった。やっとお姉ちゃんらしいこと、出来るかな。雨音……見て。分かってると思うけど、この写真でお姉ちゃんがだっこしてるの、雨音だよ』」

「『……』」

「『雨音の事大好きだったよね。私も妹なのにって、嫉妬しちゃってたなあ……。ねえ、私が知らないお姉ちゃんと雨音の思い出、教えてよ。私だけじゃなくて雨音だって、この写真で思い出せるもの、あるでしょ?』」

「『なんで……』」

「『お姉ちゃんにとっての雨音。雨音にとってのお姉ちゃん。両方思い出すために』」

「『お姉ちゃんにとっての私って……! いなければ自分が死なずに済んだ存在でしかないんだよ!』」

「『今はそれでもいいよ。でもどれ時間がかかっても、それを思い出さなきゃ。向き合うって、事実とか、その結果論に対してじゃないよ。お姉ちゃんの気持ちと、雨音の気持ちだよ。

 時間がかかっても……雨音が思い出せるまで、そばにいるから』」

 

~~~~~~~~~~~

 

 

 

「う~ん……演技とはいえ、自分の泣き顔見るのなんかヤダ……」

「んー、ルビーのはこれで良いと思うよ。最初の脚本じゃ安直にボロ泣きだったけど、声を抑えようとする感じの方がさ、なかなか出せない本音が溢れてる感じで。私ももらい泣きしそうだったよ」

「ほんと? なら良かった……あかねちゃんも、最初は教室の隅から見守る感じだったのに、変えたよね」

「フリルちゃんが『お姉ちゃんの気持ちと向き合う』って台詞入れたからね。ならそれを受けて私も、役の感情を見せた方が良いかなって」

 

 短いラストシーンの映像を見て、感想が飛び交った。

 撮りたいって言いだしたのは私だけど、セリフ回しは3人で考えてる。

 そして、私とフリルちゃんだけでなく、あかねちゃんも台詞はないけど演出を変えている。もともとの脚本では、前を向こうとする妹たちを微笑んで見守っている感じだったけど、この映像だと私に後ろから抱きしめてきた。

 それも、番宣写真では私の頭に隠れてあかねちゃんの表情は見えないアングルだったのに、映像だとカメラに表情が写るようにして変えている。

 

 嬉しさ、優しさ、寂しさ、愁い。あとは……安心と、悲しみ。

 一歩前進はしているけど、相変わらず自分と長女との関係の認識が歪んだままで、回復に時間がかかりそうな末妹に対する感情を、言葉以上に伝えてくれていた。

 

 

「何か……やっぱりちょっとチャレンジングな内容になったね。フリルちゃんが出る作品はコケちゃいけないのに……元の『長女と向き合えてよかったね!』エンドの方が当たり障りないよね? 王道というか……」

「でもルビーは満足したでしょ?」

「それは、そう。どうせ創作するなら、なんかメッセージを込めたいじゃん」

「ならいいじゃん。私はルビーの演技を推したから合わせただけ。いや、決して雑なロケハンで演者を振り回した体制に意趣返ししたくて、帰る直前に好き放題やらせてもらったとかそんなプロテスタンティズムを発揮したわけではなく」

「そんな意図もあったんだ……」

「それに、内容だっていいんじゃないかな」

 

 カップに残っていた最後のアイスを掬って、プラスチックのスプーンを口に咥えながらフリルちゃんが答える。

 意外と美味しそうにモリモリ食べたお兄ちゃんのお皿も含めて、ロケの打ち上げのアイスは全部なくなった。

 

「どれだけ時間が経っても、向き合えなくて苦しんでる人がいるって。上手く向き合えないと、時間は解決してくれないって。ちょっと残酷だけど、そういうメッセージを届けてもさ。

 前を向かなくちゃって思ってても、そうなれずに悩んでる人とか。時々私たちよりも演技派になっちゃうそういう人たちに、きっと届く作品になると思うよ。

 あんまりこういう難しいこと考えたことなかったけど……あの島に三日いて。貴重な体験だったかな」

「……うん。そうだね」

 

 私が頷く前に、あかねちゃんがフリルちゃんに答える。

 3日滞在したあの島の歴史の生き証人である『彼女』とお話出来たのはカントクも同じ。だからこんな演技でも認めてくれたのかなぁ。

 とりあえず演者としてはやりきったし。どちらを採用するかは、他のプロデューサーやカントクに任せちゃえばいい。

 

 つくづくこの3人+お兄ちゃんで、ロケを乗り切ったんだなって思う。

 先輩やMEMちょ、それとB小町の新規メンバーとはまた違う関係だけど……考えてみれば、全員性格バラバラな不思議な組み合わせで。

 

 

 不思議な噛み合わせでもあった。

 

 

「ふう、ただいま。……あら、不知火さんもういらしてたのね。黒川さんも」

「「お邪魔してます」」

 

 車を事務所に置いてきたミヤコさんが帰ってきて、リビングを開ける。

 呼ばれたフリルちゃんとあかねちゃんが立ち上がった。

 

「二人とも来てくれたならちょうど良かったわ。ロケで娘がお世話になったから。お二人とも、夕飯のご予定は? ご家族さえよければ是非食べていって」

 

 気さくに微笑んで来客に声をかけたミヤコさんは、そのまま部屋着に着替えるために自分の部屋に向かって行った。

 ミヤコさんが奥に行った後、フリルちゃんがヒソヒソと声を落として話しかけてくる。

 

「ルビー、ちょっと、いやまあまあ失礼な事聞いちゃうんだけど」

「え? 何?」

「斎藤社長って……おいくつ?」

「さあ……少なくとも、私とお兄ちゃんを引き取ってくれた時から見た目はあんまり変わってないかな……」

「マジか。そこらの若作りタレントよりよっぽどすごい美貌だよ。けど何か……そっくりさんってわけじゃないけど、雰囲気がさ、似てるよね」

 

 誰のことを言っているのか、私もあかねちゃんもすぐ分かった。

 

 

 高坂さんの過去を聞いた夜が明けた次の日の朝、彼女は『夢を見た』と言っていた。

 最終日だけ私の隣で眠った彼女が見た夢は、私が二日間見てきた不思議な夢と似たものだったらしい。

 

 なんとなくこうして話題になったから。事件を解決した夜と、明けた次の日の事。

 そして彼女が見て、私たちに語ってくれた不思議な夢の内容を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 地平線というものを、島から出るまで見たことがなかった。

 終わりのない一面黄色の花畑を、青空の下でただ歩く私の手を引く人が前にいる。

 どうしてか、これが夢であるというのが自覚できる、不思議な世界の中にいた。

 

 背の高い女の人だなと思ったけど、そもそも私の目線がなぜだか低い。繋いでいない手を見ると、明らかに小さくなって、子供になってしまってることに気がついた。

 

「疲れちゃった」

 

 いつまでも私の手を引いて歩き続けたその人に声をかけると、足を止めて振り返った。陽の光が眩しすぎるせいで、陰になったその人の顔がよく見えない。私に向かって何か言っているけれど、風が強くてよく聞こえない。

 

 だけど、顔も声も分からなくても、その人が誰なのか、繋いだ手から伝わってくる。きっと、これまでも。数えきれないほど、この手と手を繋いだことが、あったから。

 

 

「ずっと会いたかった」

 

 

 夢の中だからなのか。あるいは……この夢を見る前に、初めて私が過去を打ち明けた人たちから受け取った、数々の言葉のおかげなのか。

 押し殺し続けてきた言葉が、自分でもびっくりするくらい自然に零れ落ちた。

 するとその人は、私の言葉を返す代わりにしゃがみこんで、足元の花を一つ摘む。

 一輪だけの黄色の花が、私の手に乗せられた。

 

 この花は、春から初夏にかけて咲く、今も押し花を白いお守りに入れている故郷の花だった。夢の中の世界なのに、季節もあの日を再現しているかのように、温くて優しい風が私たちの間を通り抜けていた。

 

 

『黄色のフリージアの花言葉は、無邪気。それともう一つは、親愛の心。この黄色の花は、私たちのもう一つの(よすが)。もう一度茉莉にあげるね』

 

 

 やっと聞けた、目の前の人の声。剥がれ落ちた記憶どおりの声なのか、もう確かめられないけれど。

 

 

「本当に、あいがもらって、いいの?」

 

 

『どうして?』

 

 

 とまどう私の様子を見て、その人が不思議そうに声をかけてきた。

 この世界に来る前に言われた、『例え自分を責めても、大切な人と想う気持ちだけは否定しないで』という言葉。

 閉じた心を揺さぶる言葉を受けても、消せない過去の重さと、長い時の積み重ねが、そのまま自身の心の上にのしかかる。

 

 だけどもし、母が亡くなった直後に同じ言葉を姉に届けていれば……違う未来を歩めていたかもしれない。

 

 

「だってあいは、いんねがつらいとき、そばに、いられなくて」

 

 

『うん』

 

 

「いんねのために頑張ってきたのに、お祭りでお祈りもできなくて」

 

 

『うん、うん』

 

 

「いんねのために、なのに、やっちゃいけないこと、して。そのせいで、いんねが、みんなが、かく、れ、ちゃって……」

 

 

『うん、うん……』

 

 

「あいは、あいは、なにも、できなくて。あいは、なん、だったんだろ……ず、ずっと…………ごめん、なさい……」

 

 

『そっか。じゃあ茉莉……おいで』

 

 

「……」

 

 

『もっと近く……』

 

 

 私の目元をゆったりとした袖で拭いながら、その人は一度私に手渡した花をもう一度手に取り、花に向けて言葉をかけ始めた。

 

 

『茉莉に遺れるように、お花に祈りを込めてあげる。大丈夫、いんねのお祈りは、これまでいっぱい叶ってきてるから』

 

 

「そうなの……?」

 

 

『生まれてきてほしいって思った時。お祭りの後に寝込んだ時。黄泉に隠れゆく時。『来てほしい』って祈ったら、必ずそばに来てくれた。

 本当は一緒に島で生きていきたいって、月に照らされながら思った時。ずっとそばにいるよって言ってくれた。ほらね?いんねのお祈りは、いつも叶ってるんだよ? だから、任せて』

 

 

「…………」

 

 

『妹として来てくれたこと。一緒にいれたこと。茉莉がくれたもの。あいの中に遺ってる。だから今度は、あいの想いが、そのまま茉莉の中に遺りますように。

 大切な人が私のせいで苦しむなんて、いやだから。だからお願い。……もう、苦しまないで』

 

 

 小さな花を両手で包みながらそう言って、今度は花が手渡されるのではなく、私の胸に当てられる。

 顔をあげたその人と目が合い、夢の中で初めてその人の顔が目に映った。

 眠れない夜に繰り返し見た、祭りの夢ののっぺらぼうのような『姉さん』の顔とは全然違う。

 この世界に来る前に、50年ぶりに見て思い出した幼い頃の絵。そこに残した、心に灯りを燈してくれるような微笑み。

 

 その瞳に映る幼い自分の姿から、取り戻しつつあった遠い日々の記憶が、濁流のように流れ込んで来る。

 

 

「あれ? なくなっちゃったよ?」

 

 

 その人が私の胸から手を離すと、そこにあったはずの黄色の花が消えていた。

 慌てた声を出す私を落ち着かせるように、もう一度私の胸をトントンと指先で叩く。

 

 

『ちゃんとあるよ。私たちの(よすが)は、ここに』

 

 

 もう一度その人が立ち上がった時、なぜだかその人も体格と顔つきが大人びたものになっていた。

 私も見下ろすと、地面の花畑がさっきよりも遠くなっている。

 

 いつのまにか、島を出た頃と同じくらいになった私に、もう一度その人が向き合った。

 

 

『見える姿。聞こえる声。香る匂い。流れる温もり。形あるものは、いつか消えてしまうから。繋がりが形となった(よすが)を祀って、人の中に遺すの。それがお別れ』

 

 

「お別れ……? もう、これっきりなの?」

 

 

『人が生くるとは、人の中に遺ること。

 18年の命でも、或いは100年生きたとしても。神代(かみよ)から続く時の重なりと比べたら、人は須臾の命だけど。

 茉莉の中に遺るなら、あいが生きた証になる。茉莉も誰かに遺すなら、あいも遺っていく。

 繋がりを遺しゆく摂理を守るのが、私たち穴山の人間の務め。

 だから、起きたらもう一度あの絵を社に届けて、私の代わりに務めを果たしてほしいの。血を分けたあなたにしか頼めないことだから。

 いんねの最後のお願い、聞いてくれる?』

 

 

 せっかく大切な記憶が蘇ったのに、あの絵を届けてしまったら、お別れになってしまう。

 どうして。残ってくれないと寂しいから(よすが)があるんじゃないの。

 

 

「やだ、やだ……そんなのやだ! いつもみたいに、ついて来てって、言ってよ!」 

 

 

『うん、うん……』

 

 

「いんねは昔から、すぐどっか行っちゃうから。私がそばにいくくらいで、ちょうどいい、から……ねえ……』

 

 

 曖昧な返事をしながら、姉は笑みを残したまま、困ったように眉を下げる。

 私がわがままを言うと時折見せたこの表情は、わがままを聞いてあげたくても出来ない時によくしていた。

 今、こんな表情をさせたくなかった。だけどこんな顔をするって、心のどこかで分かってた。

 

 

「夢で神様にお祈りしたら、叶うんでしょ!?」

 

 

『うん……』

 

 

「いんねは何だって出来るんでしょ!?」

 

 

『…………』

 

 

「なんで……いんねが、やっと任せてくれた、最初の務めが……いんねを送ること、なの……ひどい……ひど、すぎる、よぉ……もう……置いて行かないで……連れ……っ……てって……」

 

 

『ごめんね……』

 

 

 温くて優しい風に、身を任せてしまいたい。摂理も倫理も責任も、積み上げたものも全て捨ててでも、ただ、隣にいたいだけなのに。

 

 身体に合わせて情緒も考えも幼くなって、同じ言葉と祈りだけが頭を巡り。

 『分かってる、姉はもういない』という別の私の声が加わり、それぞれが両側から私の心を掴み、まるで引き裂くかのように乱暴に引っ張りあって。

 やがて後から加わった声が勝り、追いやられた幼心の祈りは、食いしばり嗚咽を噛み殺す歯を目指すように瞼から一雫ずつ零れ落ちてゆく。

 

 

「……。うん……分かった……。絵、あいが届ける。もう……いんねを……困らせること、言わないから……」

 

 

『困ってなんかないよ。茉莉が、わがままで、泣き虫で、甘えんぼになれるように、いんねは(よすが)を遺したの。もう怖い夢を見なくなるように……』

 

 

「…………」

 

 

『だからね、いんねからお願いするだけじゃなくて。ずっと頑張ってきた茉莉のために、他のお祈りなら、あいも何か一つ聞いてあげたいな』

 

 

「じゃあ、じゃあ。あいも、最後に── あの頃みたいに……いい?」

 

 

 何か一つ。これがこの人との、最後の交わりなんだ。そう思って……どうしてか、蘇った記憶の中から、二人きりの寝室で交わして叶わなかった、姉妹の最後の約束が自然と出てきた。

 それを聞いて少しだけ動きを止めたその人は、私の肩に手を乗せ、もう一度身体が触れそうなほど近づいてくる。

 

 

 

『もー、しょうが、ない……なぁ……。じゃーあ……今度こそ。今までの分も──』

 

 

 内緒話でもないのに、大人に隠れて悪だくみするように、耳元に手を当てられてヒソヒソと語りかけられる。

 ほんの少し声が震えているけど、耳に感じる姉の息遣いが、こそばゆくて心地良い。

 

 肩に乗せられたその人の両手が、私の背中に流れて力が込められて。

 されるがままに胸に顔をうずめたら、頭に温かい手が乗せられて、髪を梳くように撫でられた。

 

 

 触れると感じる存在。

 

 見える姿。

 

 聞こえる声。

 

 香る匂い。

 

 自分の足で立つことも出来なかった頃から、数えきれない夜に私を眠りに誘ってくれた、流れる温もり。

 

 私はこの人の全てを知ってる。

 

 私という人間を育んだ、あらゆる季節の中心にいたこの人を。

 

 

 もう一度会いたいと、願う資格すらないと思ってた祈りが叶ってるのだから。それなら伝えたいこと、お話ししたいこと、もっとあるはずなのに。一つしかない喉は、壊れた堰から流れ出る水のような慟哭に使われてしまっていて。

 

 

 それなら、果てしない時の中で抑え続けた、あなたへの思慕の情をこの慟哭に乗せて、この想いだけで声を潰してしまいたい。

 

 

 このひと時は夢だから。ずっと隣にいることは、出来ないというのなら。

 

 

 どうか、あなたの胸元に染みつけた、幼心の祈りを込めたこの滂沱の涙だけでも。それだけでも、渡り鳥すらたどり着けない、ずっとずっと、遠くへ。

 

 

 連れていって────

 

 

 

 

─ 茉莉は、いんねのこと、好き? ─

 

 

 

─ 大、だ、大、好き。ずっと、大好き。いんねは、いつまでも……特別、だよ ─

 

 

 

─ あいも、茉莉のこと、大好き。かけがえのない、神様からのおくりもの。……ずっと、ありがとう ─

 

 

 

 

 記憶の一番深い所にあったものと同じ温かさは、次第に朧になり、風になって流れていく。

 

 あと一目だけでもその顔を見たいと思って見上げたら、もうそこには誰もいなかった。

 

 ずっしりと肩に重みを感じて手を伸ばすと、長年使い続けてきたカメラがショルダーストラップにぶら下がっている。

 たった一人、茫漠とした花畑に立ち尽くす私の背は更に伸びて、両手の肌は少し張りを失っていた。

 

 

 見上げる空は少しずつ曇って白くなる。

 

 花の香りを運ぶ故郷の風。

 

 自由な渡り鳥が舞う、花曇の空。

 

 この身に遺された、一番古い記憶と同じ温かさ。

 

 姉にとっての私。

 私にとっての姉。

 

 

 全部、全部…………遺ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 6:00

 

 誰かと誰かが談笑している声で目を覚ました。あかねちゃんの声と……この声は、確か……。

 焦点が定まらない目をこすって声の主を見ると、その人は私が起きたことに気付いてこちらを見てきた。

 

「おはようございます、星野さん」

「おはよ、ルビーちゃん」

 

 あかねちゃんと高坂さんが話している声だったらしい。

 窓の外は明るくなったばっかりなのか、真横から注ぎ込んでくる陽の光はコテージの床じゃなくて壁を照らしている。

 私の真横を見ると、フリルちゃんがまだ寝息を立てていた。

 

「おはようございます! 何か早起きですね」

「ふふ、そうですね。もう少し眠っていたかったけど……起きちゃいました」

 

 昨夜と違い、ロケ中の雰囲気を取り戻した高坂さんが微笑んでくる。

 

 

 昨夜、子供のように泣きじゃくった彼女は、しゃっくりしつつ少しずつ静かになったと思いきや、なんと私の腕の中で体を丸めてそのまま眠ってしまった。

 私も我に返って、自分の倍以上の年の人がまさかこうなるとは思わず慌てたけど、あかねちゃんが高坂さんのコテージから、カントクとフリルちゃんが私たちの(ほんとはあかねちゃんのだけど)コテージから人数分の寝袋とパジャマを持ってきてくれた。

 

『君たちに頼ってばかりで悪い。落ち着いた、と思うが……。今夜は近くにいてやってくれないか』

『分かりました。私たちもそのつもりでしたから』

 

 静かに寝息を立てる高坂さんを心配そうに見るカントクとあかねちゃんのやり取りを聞きながら、フリルちゃんが共用コテージの机を端に寄せて、狭かったけど4人で眠れるスペースを作った。

 

『すまないな。明日以降は全部大人に任せてくれ』

『ちょっとカントク、私たちもハタチ超えてるし大人だよ! 何か手伝えることないの?』

『……ここで言う大人って言うのは、「これから」より「これまで」の方が長い人間のことを言うんだ。

 45年も前に死んだ人に『いかないで』か……葬式で言う言葉だろ……。この島を出た時からずっと、時間が止まってたんだろうな……。お前も、黒川も不知火も。もう十分やった。十分すぎるほどだ。後のことは大人に押し付けてくれ』

 

 そう言ってカントクは自分のコテージに帰っていった。

 

 高坂さんをほっとけない気持ちは私も同じだった。

 もしこうして眠っている高坂さんが、さっき過去を語る時に言っていた『悪夢』に苦しんでいたら、すぐ気づけて起こせるように、触れそうなほど彼女のすぐ隣で眠った。 

 

 時々眠りながらまた涙を流してたから心配だったけど……あの感じだと、怖い夢は見ずに済んだのかな?

 大丈夫かな……。

 

 

「色々、本当にご迷惑をおかけしました。武田さんの件もですが、昨夜はいい年して、本当にお恥ずかしい限りで。特に、星野さん……あの、ほんとにすみません……」

「い、いえ、そんな! あははは……。あの、もう大丈夫ですか? あと、その……」

 

 彼女の落ち着いた様子にほっとする一方で、避けられない別の問題も出てくる。

 高坂さんの身の上は分かった上で、だけど、武田プロデューサーの事を大切に思っている人もいるはず。馬場さんも『一部からは慕われている』って言ってたし。

 無かったことにはできないし、そんなことしても高坂さんにとってもよくないよね。

 

 でも、まだ昨日の今日で、それも目が覚めた直後で、その問題を突き付けるのもどうかと思い直して。

 うまく言えずにゴニョゴニョしてたら、だいぶ私の顔に出ちゃってたらしく、高坂さんは穏やかな口調のまま私が聞きたいことを答えてきた。

 

「五反田さんが起きたらお伝えしますが、お昼に警察が来る前に、事前に経緯を全て電話で伝えるつもりです」

 

 今高坂さんが言った内容は、あかねちゃんも気になっていてかつ初めてその意思を知ったみたいで、目を見開いて高坂さんの横顔をじっと見ていた。

 

「そうですか……そうですよね。やっぱり、隠しちゃ、ダメですよね」

「……。今少し、先に起きてらっしゃった黒川さんとお話してました。皆様がこの3日間、どう過ごされていたか。大変なご苦労をおかけしたことに申し訳ない一方で……初めてこの島にいらしたのに、山の神社とか島の過去とか、随分お詳しい理由が分かりました。

 ふふ、テレビでしかお見かけしてないですが。星野さんには頼もしいお兄さんがおられるのですね」

「えへへ……」

「ですが、事件性を認識しながらお兄さんとやり取りした内容は、通信記録として残されています。もうそんなつもりはないですが、もしここで示し合わせてごまかすようなことをしても、警察に不自然だと思われた場合は記録を調べられ、皆様が事件性を認識したまま隠した事実が残ります。皆様のタレントキャリアを考えるなら、あってはならないこと。

 ……身勝手な本音を言うと、ウチの社員の再就職の斡旋とか、会社の終活とか、先にやるべきことをやっておきたいですが……これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきませんから」

 

 穏やかだけど毅然とした物言いで高坂さんが語った内容は、ぐうの音も出ないほど正論。なのに、それを聞いた私はどこかモヤモヤとした気持ちが残る。

 なんだろう、この気持ち……。でもその正体がわからなくて曖昧な返事しか出来ないでいると、高坂さんが立ち上がり、コテージの端に寄せられた机の上に置かれた紙を手に取る。

 フリルちゃんが海辺の神社から持ってきた、昔高坂さんがお姉さんを描いた絵だ。

 

「他の皆さんが起きる前に、これ、あるべき場所に戻してきます。私はもう、一人でうろついていい立場ではないと思うので、申し訳ありませんがご一緒いただけないでしょうか。あの箱の蓋、重いですし」

「……やっぱりそれ、戻しちゃうんですか? お姉さんの面影を遺した大事なものじゃ……」

 

 フリルちゃんが持ってきたこの絵のお陰で、大切な記憶をとりもどすきっかけになれたんじゃ。

 でも高坂さんは、静かに首を振った後に『頼まれてしまいましたので……』とつぶやいた。

 

「きちんとお別れするためにも、必要なこと、なんだと……思います。それにこれは、私が姉にあげたもの。私が姉に渡したものが、姉の手にあることが大切ですから」

「そっか……うん、そうですよね」

 

 高坂さんの話を聞きながら、お兄ちゃんからもらったアクリルキーホルダーを一度だけギュッと握り締めて、着替えた普段着のポケットに入れる。しゃがむと太ももにアクキーの尖ったところが淡く食い込むのを感じながら、まだ眠りこけているフリルちゃんをゆすった。

 

「フリルちゃん起きて!」

「…………んんん~……静かにして……なにごと?」

「海辺の神社に返しに行かないと! 一緒に行くよ!」

「……ぐっもーにん」

 

 ~~~~~~

 

 外に出てもう一度海の神社へ向かう。横に並び明るい口調で談笑するあかねちゃんと高坂さんの後ろで、起きたばかりのフリルちゃんにさっきまでの高坂さんの様子と『意思』を伝えた。

 この3日間、あれほど吹き荒れていた風がピタリと止んでいたおかげで、小声でヒソヒソ話してもフリルちゃんは聞きもらすことなく相槌を打っていた。

 

「ふふ、あはははっ。なるほど、なかなかの壊れっぷりですね。ここから入れたんだ……」

 

 3日目の夕方、海の神社の本殿に入れた壊れた壁。

 木片が散らばる凄惨な状況を見た途端、にこやかに浮かべるような笑みじゃなくて、目じりに小さな皺を寄せながら口を開けて笑う彼女の声は、この最終日で初めて聞いた。

 

 フリルちゃんがここから持ち出したものを返すために、一人ずつ高い床に足をかけていく。

 やっぱり少し薄暗いけど、午前中だと海しかない東側から朝日を強く受けて、木目の隙間から光が入ってきてスマホのライトはいらなかった。

 昨日帰り際に閉めた大きな箱を、3人でもう一度開けた。

 

 絵を持って箱に向かい、古い紙がちぎれないようにそっと絵を持ちながら高坂さんが立つ。

 

 絵の中の人をじっと見つめて、声を出さず唇だけ動かして何かを言って、壊れやすい宝物を扱うように箱の中に入れていった。

 聞こえはしなかったけど、『ありがとう』って言ってるように見えた。

 

 その後すぐに蓋を閉めずに、箱の裏に書かれた一人一人の名前に、高坂さんがゆっくり指を這わせていく。

 最後の名前……書かれた日付が一番古い、『穴山茉白』という名前まで指がたどり着いたとき、手が動きを止めて、静かに目を閉じていた。

 

 お姉さん以外にも、いろんな人の「もの」が入っている。

 昨夜初めて他人である私たちに明かしただけじゃ、彼女が背負っているものが消えたわけじゃない。

 

 元々華奢で、私より少し背が高い程度の人だけど、何も言わず箱の前に佇む高坂さんの背中は更に小さく見える。

 この時やっとコテージで感じたモヤモヤの正体に気付いて、目を閉じ続ける高坂さんに声をかけた。

 

「あの! あの……高坂さんは、この後、どうするんですか?」

「え? この後はさっき話したとおり、島に残って警察と色々お話ししますけど……」

「えと、そうじゃなくって!」

 

 さっきの言い方も、私たちや会社の心配ばかりだった。自分の事を考えている様子が見えない。

 今は一旦は大丈夫だと思うけど……一度は引き留めたはずの高坂さんが、また消えていってしまわないか、何も手ごたえが無いやり取りが不安だからモヤモヤしたんだ。

 映画を撮り終え、ママとせんせを死なせたアイツを処理した後のお兄ちゃんにどうしても重なっちゃう。

 

「……その先は……どうしましょうね。ある意味、当面のやるべきことは決まってますね。でも、その後は……何も考えてません。身寄りも無いし、もう……年齢が、年齢ですし……」

「……じゃあ、じゃあ! 苺プロの専属カメラマンなんて、どうですか?」

「え? は、はい?」

「ですから! カメラの仕事、しましょうよ! 会社畳んじゃうかもって言ってましたけど、カメラ好きだって言ってたじゃないですか! 社長に言ってみますから!」

「あ、あの、あははは……」

 

 びっくりした顔で振り返った高坂さんに畳みかけると、半歩後ずさりながら困り顔の引き笑いをされた。

 いや、いきなり過ぎた自覚はあるけどさ。

 でも本当に何にも考えてなさそうで、何か言わなきゃっていう気持ちを止められなかった。

 

「流石ルビー、ほんとに勢いで話しちゃうよね」

「だって……」

「でもそうだね、高坂さんがまた戻ってこられるまでだったら、少なくともこの3人ならタレントやれてるだろうし。撮られるなら高坂さんが良いって、案件の度にその仕事のプロデューサーやディレクターに推しちゃおうかな」

「……お気持ちだけで十分です。ですが……私にとってカメラは、姉や島の人が命を失くすのに関わり……私が、手をかける相手を探す手段としたものです……」

「それは……」

「お心遣い、ありがとうございます。もったいないお言葉です。でも、皆様も立場がありますし、この後はあまり私とは関わらない方がいいですよ。ご迷惑、おかけしてしまいますから」

 

 フリルちゃんの援護射撃を受けても、高坂さんはうつむき気味で小声で返してくる。

 追加で何か言おうか考えがまとまるよりも早く、それまでずっと黙っていたあかねちゃんが、ほんの少しだけ背中を丸めて屈み、目線を合わせて話しかけた。

 

「カメラも絵も、大切な瞬間を切り取って残してくれるだけです。だから、お仕事じゃなくてもいいですから。高坂さんのこれまでを、少しでも知れた私たちを、一度撮ってくれませんか」

「でも……」

「できれば、この島で。──黄色の花が咲んですよね。だから、春から初夏にかけて」

 

 途中で遮られそうになっても構わず言ったあかねちゃんの最後の一言で、それまでうつむいていた高坂さんが目を見開きながら顔をあげてあかねちゃんと目を合わせる。

 少しだけもう一度目を伏せて。また顔を起こした時の表情は、この三日で見慣れたものに戻っていた。

 

「……それなら、じゃあ……私のお願いも……聞いていただけますか」

「え、何ですか? 何だってやります!」

「ふふ、星野さん、ありがとうございます。お三方に、この神社の参詣人となっていただきたいんです」

「さんけーにん?」

「ルビーちゃん、参拝客って意味だよ」

「参拝? 別にいいですけど……」

 

 お参り? そういえば、高坂さんはこの島の神社の巫女さんの家系だって言ってたっけ。

 ここで私たちがお参りすることにどんな意図があるのか、よく分からなかったけど……。

 キョトン顔の私たちを置いて、『たしかここに……』といいながら、勝手知ったるという感じで本殿の中の棚を物色していた高坂さんが、やがて何かを手に取って戻ってきた。

 

 よく神社で参拝客の頭の上でしゃらら~んって振られてる、先っちょにもふもふの紙がいっぱいついてる棒だった。

 

「そうそう、子供の頃、これで遊んでたら怒られましてね……棚の中にしまわれてたからかな、まだ使えそうでよかった。さて、それでは……」

 

 お祓い棒を手にした高坂さんが、横に並んだ私たち3人に向かって恭しく一礼してきたのに合わせて、自然と私もぺこりと頭を下げた。

 その途端、山の中で川の水に手を浸したような、澄み切ってピンと張り詰めたような緊張感が漂う。

 

 そのまま高坂さんは振り返って私たちに背を向け、本殿の奥にあった神棚?のようなものに向き合った。

 

 

「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等

諸々の禍事罪穢 有らむをば祓え給ひ 清め給へと(もう)す事を 聞こし食せと(かしこ)み謹みも白す──」

 

(な、なんか始まった……!)

 

 地声と全く違う低い声で厳かに何かを唱える高坂さんを、頭を下げたまま上目遣いでちらっと見た。

 この姿勢のままで良いのかな? 目は閉じるべき? 両手は合わせてお祈りポーズするの?

 横二人を薄目で見てみると、二人とも目を閉じて、手は合わせず下ろしていたから、私も真似することにした。

 

 言葉の意味はさっぱり分からないけど、その間も高坂さんはずっと呪文のようなものを言い続けてる。

 

 

「──その高き尊き天照大神 伊豆の推小島に生り坐せる神々等のまにまに (よすが)は直し正しき慈しむ真心に宿り 誠の道に違ふことなく 家をも身をも健やかに栄えしめ給へと謹み謹みも白す」

 

 

 全て言い終わった後、バサッバサッと何度か音がして。一瞬だけ誰も微動だにせず、社の中は静かになった。

 

「お直りください」

 

 高坂さんの声を合図に、3人とも顔をあげる。

 お祓い棒が胸の前で斜めになるように手に持った彼女がもう一礼して、それに私たちも合わせた。

 

「すごい……! これやってたの、45年前なんですよね!?」

「ふふ、声が嗄れるほどした修行も、なんだか思い出せてきました。……ただ、支えたい気持ちでいっぱいで……何十年経っても忘れないように、いっぱい練習したんです……。

 改めて、皆様にはお世話になりました。薬を飲まずに、一度も目を覚まさず眠れたのは本当に久しぶりで。それで、いつもと違う夢を見ました。

 不思議な夢で……本来、この島で眠って夢で神様と会うには、標縄の煙とか、黄泉への道を知る存在のそばで眠らないといけないはずなんですが……どうして昨夜、あんな夢を見れたのか……」

 

 あ、そういえば昨晩、私は不思議な夢を見なかったな? 代わりに私のすぐそばで寝てた高坂さんが見てたってこと?

 へえ……黄泉への道を知る存在は、夢で神様と会えるんだ……。なるほどねー……そういうことだったんだねー……。

 

 

(っていうか、『よみ』って何だろ?? 昨日ここに来た時もあかねちゃんとフリルちゃんが言ってたけど……。あと道を知る存在って?? さっきまで寝てた高坂さんのそばにそういう存在がいたってこと??

 またここで話題になるならあの時知ったかぶりしないで聞けば良かったなあ……)

 

 

 高坂さんが、何かを思い出すように少しだけ下を向いて、話しながら頭の中でイメージしなおすように、見た夢の内容を語り出した。

 当然断片的で、高坂さんも詳細に全部話した訳ではないだろうけど……夢の中の人と……いや、神様、と言うべきなのか……やり取りした言葉の数々は、彼女が背負うものを少なからず下ろし、洗い流すには十分だったのは想像がついた。

 

「これは夢だと分かる不思議な夢で……。でも、その人の手が温かかったのは、覚えてる。

 だから……だから。この祈りを以て、穴山の人間としての私はもう……この島に、置いてゆきます……」

 

 最後、何が「だから」なのか。何も知らない人が聞いても、前と後がつながっていなくてよく分からないかもしれないけど。

 私たち3人は、誰も聞き返すなんてことはしないで静かに聞いていた。

 

 言い終えるのと同時くらいに、高坂さんと初めて会った時からロケ中ずっと首に付けていた、蝶結びの黄色いスカーフの端が持ち主の手で引っ張られた。

 その後私たちに目を合わせるように顔をあげたから、彼女の首にいくつも重ねられた傷痕が、私たちからもくっきりと見えた。

 

「私はきっと、真っ当な道を歩めませんでしたが……不思議なめぐりあわせで、画面の向こうの人だと思っていた皆様と縁を結べた。

 人が生くるとは、人の中に遺ること。

 これからは、姉が自分の中に遺ってくれることを、私自身が許していこうと思います。全て……皆様のお陰です」

「……。そうですか……」

「夢で、『茉莉も誰かに遺すなら、自分も遺っていく』と言われました。自分が誰かに遺すなんて、この島を出てから全く考えたことが無かった。

 でももし、私にその資格があるなら……まず初めに、こんなにも私に寄り添って下さる皆様へ、この島の祈りを。

 この島はおそらくもう恒久的に無人島ですが、幾百年の歴史の最後の参詣人となってくださり、ありがとうございました」

「な、なんか重たいですね……歴史の重みがこう、ズドーンと……私たちで良かったのかな……」

「皆様だからこそ、ですよ」

 

 思ってたよりも重たい理由で「お参り」をさせられていたらしいことを知って、私たちでいいのかなってちょっと思ったけど。答えてくれる高坂さんの口調の柔らかくて、でも眼差しは私たちのことをまっすぐ見つめていた。

 

「お若くても、誰かのために強く、優しく、聡慧でいられる。きっと皆様には、素敵なつながりがたくさんあるから。

 黒川茜、不知火フリル、星野瑠美衣、そして皆様の大切な方たちの心に。日輪のような(よすが)が、どうか幾久しく燈されますように——」

 

 目を閉じて祈ってくれている高坂さんに、ありがとうございます、とあかねちゃんが最初に返事をして。

 続いて私とフリルちゃんもお礼を伝えると、彼女は細く目を開き口元を綻ばせた。相変わらず口角を上げるだけ程度の控えめな笑みだけど、今までと違い少し見えた白い歯は、薄暗い中でも綺麗だった。

 

 良かった……。きっともう、大丈夫だよね。

 

 

「そういえば、先ほどのお誘いにお返事してませんでしたね。

 星野さんの事務所専属カメラマンもありがたいお誘いですけど。警察に電話した後、ずっと一緒に仕事してきた会社の人にも電話してみます。株主も私のカメラの先輩だったり知り合いばかりなので、そちらとも相談しないと。

 私の身の上を全部話して……こんな私と一緒でも本当にいいのか……本当に会社を畳むかは、やっぱり話し合ってから決めようと思います」

 

「そうですね! うん、良いと思います!」

 

「ふふ、ありがとうございます。それともう一つ。

 

 何年後になるか分かりませんが、寒さが和らぐ砌……もう一度この島へのお誘いのために。皆様へ、お便り申し上げます」

 

 

 

 

 

 

 

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

「いやーアイス美味しかったね。ルビー、プレミアム生チョコアイスのご感想は?」

「最高。カカオに押しつぶされて幸せ……」

「どっかで聞いたような感想だね。さてと、星野家の晩餐のご相伴にあずかるまで時間あるし、暇だからちょっとアクアのパソコンを拝借……お、これがアクアの他の編集作品か……さすが、妹の映えを良くして見る人の印象に残すスキルは一級品だね」

「お兄ちゃんがどんなふうに編集してるのかよく分かんないんだけどさ、『印象に残す編集』って例えばどんなことするの?」

「そーだなあ……私だったら……10秒に一回、0.02秒だけMEMちょの写真を入れたりとか……」

「サブリミナルMEMちょ!? それって本当に効果あるの……?」

「さすがルビー、ジーニアスな指摘だね。検証してみようか。まずは素材集めを……えーっと、『MEMちょ グラビア えっち』検索っと……」

「おいやめろお前ら、人のパソコンで何やってんだ」

「あっごめんアクア、もう検索履歴に残っちゃった」

「やめろって」

 

 斎藤社長がエプロンを付けてキッチンに立ったのを見て、何か手伝えないか声をかけたところ、お客さんは座っててとにこやかに断られてしまった。

 私と同じように少し暇になったフリルちゃんがアクアくんとじゃれ合ってるを見て、ルビーちゃんがお腹を抱えて笑う。

 

 この三日間、先走ったこともあったし、気を張り過ぎたこともあったし。

 運や人に助けられてばかりだったけど、アクアくんの元にルビーちゃんが帰ってきている様子を間近で見れて、一度だけ目を閉じて深く呼吸をした。

 

 その直後、座っているソファのすぐ左隣が沈んで、私の身体が傾いた。

 不意打ちだったからバランスをとれず、よろけてソファを沈ませた人の肩に自分の肩を軽くぶつけてしまった。

 

「あかね」

「アクアくん」

 

 パソコンを取り戻したアクアくんが、私の隣に腰かけてきた。

 ロケ中色々フォローしてくれたお礼を言おうとしたら、先に彼が口を開く。

 

「ルビーが世話になった」

「……こちらこそだよ」

 

 フリルちゃんが撮った動画を検証し始めた夜に、カントクさんが話してくれた内容が脳裏に蘇った。

 分かっていたつもりだったけど……彼が私に言うこの言葉の重みは、私が思う以上なのかもしれない。

 

 さっきまで触っていた私のスマホはまだ画面が表示されていて、それを一瞥したアクアくんがまた声をかけてくる。

 

「何か調べてたのか? 話しかけて悪かった」

「ううん、大丈夫。カントクさんからのメッセージを見てただけ。今のところまだだけど、いずれその場にいた私たちにも警察から聴取はあるだろうなって」

「ああ、ルビーからある程度聞いてる。カントクからも、本当は外部に漏らしちゃダメだけどって前置き付きで、今朝推島の状況を聞いた」

「私も」

 

 逮捕すると、警察は証拠を固めて送検の判断を48時間以内にしなければならない。

 結構シビアな制限時間であり、通常は事前に捜査を終えて証拠を固めてから裁判所に逮捕状を請求する。

 

 ロケの責任者として付き添っているカントクさんがメッセージで言うには、今回の場合は

・被疑者がフォトスタジオを運営している法人の代表であり、身元が明確であること

・犯行の態様が複雑で捜査に時間がかかりそうであること

・一方で被疑者は自首に近い申し出と共に捜査に全面協力していて、逃亡、証拠隠滅の可能性が極めて低いこと

 ということで、外部との通信を禁止される以外の身柄の制限はほぼ無く、彼女は捜査が終わるまで、旅行客みたいに推島の宿で寝泊まりするそうだった。

 

 

『でも結局、その辺の判断のためには、被疑者の精神が落ち着いているかも重要だそうだ。つまりなんというか。言い方が良くないが、この世からいなくなってしまいそうじゃないかどうか。黒川、不知火、ルビー。本当にありがとな』

 

 

「……」

 

 カントクさんのメッセージはそう締めくくられていた。撮影データはアクアくんに送っているから仕事は進んでいるけど、帰ってこれるのはまだしばらく先かもしれない。

 

「ご自身の会社の社員の事気にしてたし、このまま在宅起訴にならないかなぁ……」

「殺人だとハードルは高いかも知れないけど。随分入れ込むんだな」

「私の身勝手なエゴなのは分かってる。多分普通の価値観なら、きっと私たち3人の行動は、カントクさんみたいに結果も含めて称賛してくれる。フリルちゃんもハッピーエンドって言ってたし、私も後悔はしてない。

 でもね……私の推理と行動で、誰かの人生を大きく変えちゃったっていう気持ちがどうしても消えない。この結果が彼女や周りの人にとって、良い方向に行ってくれることを祈らずにはいられないの……つくづく、エゴなんだ」

 

 このカントクさんのメッセージ。それから、後のことは大人に押し付けてくれという言葉。単純に仕事の知人が救われた感謝もあるだろうけど、私たち3人の心を気遣う意図もあるのかもしれない。

 

「そうか。そういう所、昔から変わらないな、お前は」

「……。それにね、私たちは直接話を聞いたし。調べてた時も、直感でしかないけどなんだかほっとけなくて。それで、蓋を開けてみたら……やっぱり、他人事には思えなくてさ。

 

 私だけじゃなくて、ルビーちゃんも同じだと思うよ。

 もう聞いてるかもしれないけど、『私たちに追及されたからではなく、犯人は三日目の夜、五反田監督に事件と自首について相談していた』というストーリーにしちゃおうって言い出したのは彼女だから」

 

 私やカントクさんの、最終日夜まで事件性を疑い調べていた際のアクアくんとの通信記録は消せないから、『事件直後に自首を考え、自主的に周りに相談していた』とは言えない。

 矛盾の無い範囲とはいえ、嘘をつくことになる。良い事……とは言えないだろうけど。

 

「お前らほどのタレントが事件を解決したなんてなったら、感謝状沙汰になってすごいニュースになりそうだけど」

「それもルビーちゃんが一番嫌がってたよ。ネットの中では皆好き勝手言うから、変に注目されて高坂さんの人生がエンタメにされたくないって。だからさっき言ったストーリーにしたの。アクアくんに聴取が来るか分からないけど、そのつもりでよろしくね」

「そうか……分かった」

「でもそれはそれとして。武田プロデューサーは独身だったそうだけど……当然親しい関係者はいるだろうし……なあなあにしていいことじゃないから……」

 

 平成29年の古いデータだけど、法務省の犯罪白書によると殺人罪が適用された場合の執行猶予率は約25%。

 報道されるセンセーショナルな事件の裏には、いろんな人間と背景を持つ事件がある。届くべき福祉が届かなかった故の悲劇もあれば、不運と孤独と心の傷の深さが合わさり引き起こされた事件もある。

 殺人既遂者のうち、4人に1人は矯正以上に支援が必要だと判断されている。

 

 今回は……どういう結果になるかは分からない。分からないけど……。

 

(殺人の最低刑は5年。執行猶予のためには3年以下でなければならない。量刑が下がる可能性は、心神耗弱と情状酌量の二つ。心神耗弱の方はなかなか認められないらしい。犯行時は極めて厳しい精神状態だっただろうけど、今だって半世紀にわたる心の傷が完全に癒えているはずがない。彼女の過去の内容と発言を聞く限り、やや解離性障害の傾向がみられる。……お姉さんとの死別が……その、過程も含めて……よっぽど辛かっただろうから……。彼女に睡眠導入剤を処方した医師が、何か精神疾患についても診断してないだろうか。それに量刑を最大で半分に出来る情状酌量は不可欠。彼女は経緯を全部話すだろう。45年前のことを客観的に証明できるだろうか。警察はこの事件に共犯が本当にいないのかを調べるのに手いっぱいだろうし、斟酌すべき過去があるかをどこまで掘り下げるか分からない。蔓延した病気の事実と武田プロデューサーの行動は記録に残っている可能性が高いけど、昔過ぎる。国選弁護人では厳しいかな。芸能事務所は仕事柄、法トラブルは日常茶飯事で、刑事民事問わず弁護士とも複数つながりがある。実績だけでなく過去を調査できるマンパワーもある優良な弁護士事務所を紹介してあげるべきか。それと執行猶予の判断は、被告人のサポートが可能な人が身近にいるかも重要。身寄りが無いと言っていたから、やっぱり分かりやすい社会的繋がりとして会社は存続してほしい。事件とは関係ないところでは、ロケ中そうだったように物腰柔らかく世話焼きな働き者だっただろうから、職場では人望もあっただろう。会社の従業員にも情状証人として協力してもらえないか接触してみようか。……いや、流石に立場を弁えない余計なお世話過ぎるか……けど、殺意と計画性が明確なのは被告人にとって不利だし、何とかできないか……)

 

「あかね」

 

 机がコトン、と小さな音を立てた。ハッとして慌てて目の焦点を合わせると、アクアくんが置いた湯呑から少し湯気が揺れている。

 机に置かれた麦茶入りのタッパではなく、さっき自分で用意した急須を取って湯呑に入れてくれたようだった。

 

「また何か考えこんでただろ。あとのことは大人に任せればいい。お前も少し頭を休めろよ」

「うん……」

 

 彼の言うとおりだ。彼女の人生は彼女が決める事。事件時のように、周りに手を伸ばすことも出来ない心理状況なら支えたいけど、もうそうじゃないだろうから。エゴもほどほどにしなければ。

 素人の私が考えるようなことは、専門家たちが最善な形でやってくれるだろう。こちらは力になる旨伝えるだけで、いつでも手を差し伸べられるように待っていればいい。

 

 今ガチの時にみんなが私にしてくれたことをすればいい。

 

「んふふふ、ふふ」

「何だよ」

「君がそんなこと言うなんて。カントクさんが聞いたら喜びそう」

「ったく……」

「だけどそうだね。一人じゃ大したことできないってもともと分かってたけど。この三日間でさらに思ったよ」

 

 冷たい麦茶ではないのは、冷房の中でアイスを食べて冷えた私の身体を思ってのことだろうか。

 一口飲むと、バニラとミルクの甘みがお茶の渋さで洗い流される。

 

「島を出る直前にね、神社でお祈りしてくれたんだ。私たちに人との繋がりがあり続けますようにって」

「津々浦々ある縁結びみたいなやつか?」

「まあそんな感じだけど。なんていうか、もうちょっと踏み込んだ話な気がする」

 

 今、一緒にお茶をすすっている隣の人との関わりは、私にとって何だったんだろう。

 

 始まりこそ、恩返しを込めた献身だったかもしれない。けど、周りには散々遺していくくせに、周りから遺されるのを上手く受け取れなかった彼との長い付き合いは、私という人間を形作るには十分過ぎた。

 お互いのために自分の意志で行動し合い、お互いの優しさも異常さも知った。その結果、この人のお陰で命があるとかそんな単純な話はとっくに超えて、もうお互いの中にお互いが交ざり合い過ぎてる。

 

 二人とも考え過ぎるあまり、すれ違いも失敗もあった。それも踏まえて私たちの関係もここまで来た。

 今の私にとって、彼を大切にするのは私を大切にするということだし、私を大切にするのは彼を大切にするということだ。

 

(だからこそ、焦っちゃうと視野が狭くなる私の悪癖を、ルビーちゃんとフリルちゃんが補ってくれて嬉しかったな……)

 

 この彼との交ざり合いが無ければ、私は高坂さんに何を言えただろうか。果たして彼女の心に届く言葉を伝えられただろうか。

 

 『遺し遺されて、繋がりが広がり続きますように』というのは、『相性の良い人と会えますように』というちょっと都合の良いお祈りとは、少し違う気がする。

 

「人から影響を受けて変わる人っているじゃない?」

「お前は特にそうじゃないか?」

「ふふ、そうかも。で、天邪鬼な君はその逆で、なかなか人からの気持ちを受け取らないよね」

「そんなつもりは無いんだけどな」

「でも今、こうしてここにいてくれて本当に良かった。どんな形でもいいから、君の周りの人の想いが遺ってほしかった。

 君の優しさが蒔いてきた種が、どう育ったのが、気付いてほしかったの。

 大切な人を中に入れられなかった人は、自分を大事に出来ないから。島でしてもらった祈祷は、そういう繋がりがいつもありますようにっていうものだった。……んじゃないかな」

「自信ない感じかよ」

「私は元々人付き合いは苦手だから、こういう話は難しくて。だけど、少なくとも君と私は。これが無ければ今ここにいられなかったから」

「……そうか」

「すごいんだよ、生活しにくい島だっただろうけど、何百年も続いた神社なんだって。せっかくそんな由緒ある神社で、大切なお祈りをされたし。私だけじゃなくて君と一緒に、この繋がりを大切にしていきたいって思ったかな」

 

 高校来の友人同士のルビーちゃんとフリルちゃんが、メディアで見せない大きな声で笑っている。

 斎藤社長が作る夕飯の匂いが、少しずつ私たちがいるリビングにも漂い始める。

 

 今、私の目を見て話してくれる君には、この声と匂いが届いてるんだよね。

 

「ルビーもお前も、このロケから帰ってきたやつは難しい事ばっかり言う」

「ふふ……でも、ルビーちゃんってさ」

「ん?」

「いい意味で、難しいことは言わないと思うけどなぁ。だからこそ、一緒にいると元気をくれるよね」

「ああ……」

 

 ロケから帰ってきたルビーちゃんが、アクアくんに何を伝えたのだろうか。私と似て考え過ぎる彼のような人には、大切なことだけをまっすぐ言ってくれるルビーちゃんの存在は、きっと大きいはず。

 私一人では救えなかった彼が、今こうなっているのがその証左だ。難しい事ばっかり言う、と彼は言うけど、ルビーちゃんの言ったことは多分そうじゃない。

 

 いつの間にか彼の手には、ロケ二日目の朝にルビーちゃんが言っていたアイのアクリルキーホルダーがある。

 ルビーちゃんが本当に大切にしていることが窺えるキーホルダーと同じデザインだけど、アクアくんが持っているものは、ルビーちゃんのものより色がくすみ、細かな傷がそこかしこにあった。

 

 デフォルメされた母親が描かれたキーホルダーを見つめる彼のまなざしは、その先の誰か別の人を見ているように感じる。

 

「さっきだけじゃなくて。ずっと昔から、言ってくれてた気がする」

「そうなんだ。昔から……。家族っていいよね、繋がりが分かりやすくて」

 

 お母さんの喪失と、自分たちの出生の秘密。それらを共有する二人の絆は、家族だからこそ……あるいはそれ以上のものなんだろうな。

 宮崎旅行の頃はまだしも、15年の嘘の撮影の頃から、ただの『仲がいい兄妹』で済ませていいのか首をかしげたくなるような二人ではあった。

 

 他人が踏み込めない領域に対して線を引こうとした私に、一瞬だけアクリルキーホルダーから目を離した彼が視線を投げかけてきた。

 

「繋がり、ね。お前とも、分かりやすいくらいに色々あったよな」

「んふふふ……うん、そうだよね。ありがと」

「まあ、いろいろ言ってくる奴は、ルビーとお前以外にもたくさんいるし。おせっかいなやつらのお陰で」

 

 

 俺は何とかやれてるよ。

 

 

 私が知る中で一番『おせっかい』な人は、アイのキーホルダーをポケットにしまい、お茶を呷ってソファの背もたれに深く腰掛けた。

 肘をソファの背もたれのてっぺんに乗せて、脱力しきった姿勢の彼は表情すら緩ませてる。

 

 

 大丈夫だよアクアくん。

 

 呪いが解けたその先の人生がどうなっていくのか、祈りを込めてずっと見守っていくから。

 

 

 言葉にする代わりに、私もお茶を全て飲み干し、力を抜いて彼の隣で深くソファに身を沈めた。

 

 

「今夜遅くてもいいのか? 明日朝早くないのか」

「明日は朝から府中のスタジオ。事務所の送迎があるから大丈夫。君は?」

「新しい編集作業も来たし、今のうちに大学の事は終わらせておこうかと。やることはなんだかんだ多い」

「そうなんだ。ありがとね、忙しいのにロケ中色々手伝ってくれて。フリルちゃんも言ってたけど、多分いい方向にロケが終わったのはアクアくんのお陰だよ」

「どうも。なかなか人使い荒かったな」

「それはもちろん、誰に頼むべきかは考えているからね。君とか、ゆきとか」

「ゆき? あいつにも何か頼んでたのか?」

 

 予想外の名前が出たからなのか、彼はちょっと驚いた声を出して振り返る。

 そういえばゆきにも突発で頼んでたこと、彼には言ってなかった気がする。

 

「天候が犯行の成否に関わってたんだけど。それって現場の痕跡の消し方からして几帳面で計画的な犯人像の割には、ちょっと運任せすぎる気がしてさ」

「まあ確かに。それもプロファイリングか」

「そんな大げさなものじゃないよ。それで、もともと台風に合わせるように無理やりこのロケの日程を動かしていたのが不自然だったからさ。ちょっとそこに作為めいたものを感じて」

「なるほどな」

「ロケの後にあった武田プロデューサーの予定が変わったせいだってカントクさんが言ってたから。それだけ彼女に調べてもらったの」

 

 スマホをもう一度起動して、ゆきとのメッセージラインを開いて、アクアくんに見せる。

 ゆきにもお礼しなきゃ。あと間接的に事件に関わらせてしまったから、事の経緯も直接会って他言無用で伝えておこう。

 

 

•Yuki Sumi

『昨日調べてって頼まれたやつ、伝手をたどってだいたい分かったよ! えっとね……

 別のモデル事務所だけど、あかねが今行ってるロケの後、武田プロデューサーが関わる撮影の仕事があったみたい。それでその事務所の知り合いに聞いたら、その撮影スタジオは高坂さんって人が運営してる場所だって。あかねが電話で言ってた人と同じかな?

 それで、「スタジオの空きスケジュールが変わった。料金を下げるから、日程を変更して早めてもらえないか」って話が直前にスタジオから来たって……あかねのロケの日程が前倒しになったのは、その早まった撮影スケジュールに押し出されたからっぽいよ』

 

•Akane Kurokawa

『「日程を早めてほしい」って連絡はいつ頃スタジオから来たか分かる?』

 

•Yuki Sumi

『えっと……今から一週間前くらいだって』

 

•Akane Kurokawa

『うん、分かった。ありがとう。助かった』

 

 

「……」

「一週間前。夏の天気予報は変わりやすいけど、多少は確度が上がる頃かな」

「なんでこれだけあいつに頼んだんだ?」

「深夜にいきなり頼んでも許してくれそうな関係っていうのもあるけど……私はこの段階で高坂さんが犯人だろうって思ってたし。フォトグラファーと一番関わりが深そうな業界の人に聞くのが一番かなって。事件調べるのもあと一日でタイムリミットだったしね」

「……俺が編集した動画を見る前から犯人分かってたのか」

「んふふふふ」

 

 

 ララライの人たちのように、彼と出会う前からの大切な知り合いもいるけど、彼と共に、あるいは彼を介して知り合った人もたくさんいて、私を助けてくれる。

 

 ゆきや今ガチのメンバーもそうだけど、このロケで一緒に調べまわった二人も同じだ。

 

 

「じゃあそれ以外を俺に頼んだのは……」

 

「私が君に対してそうであるように、君も私に頼まれたら断らないでしょ? ちょっと頼み事多くて無茶かなあとは思ったけど、『大丈夫、アクアくんなら出来る! ガンバローッ!』って思いながら電話したよ」

 

「お前な……」

 

「人にモノを頼むなら、適材適所を心掛けなきゃね」

 

 

 

 お陰で何とかやれてる、と君が言ってくれるなら、私も君に同じ言葉を伝えたい。

 

 繋がりがたくさんあるのは、君のお陰で、君だけじゃないからさ。

 

 

 

 

 

 

「初歩的なことだよ、アクアくん」

 

 

「……ホームズだってここまでワトソンをこき使ってなかっただろ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もしもし、アクアくん?〜女優探偵の事件簿〜 終

 






 本シリーズを最後までご覧くださり本当にありがとうございました。これにて完結です。
 初めて書いたミステリーです。色々ツッコミどころはありますが、何卒お手柔らかにお願いします……。

 完走した感想ですが、ミステリーなんか手を出すんじゃなかった、疲労困憊だ、というのが正直なところです。
 しかし、『スピンオフ 名探偵黒川あかね』を望む気持ちをなんとか自己消化できたかな、とも思ってます。

 閲覧いただいたのみならず、評価、ご感想、ここすき等、どれだけ力をいただけたことか、言葉もございません。

 以下、本作を書くにあたり参考にした文献、及び世界観のインスパイア元のゲーム作品を掲載します。
 検索除けのため、画像にて掲載すること、お許しください。

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