それから、ユウスケはパルスィと地下室での生活を続けていた。
――閉ざされた扉。自由を失った空間。
けれど、そこにあったのは思いのほか静かで、穏やかな日々だった。
ユウスケ(外には出られない。でも、それ以外は――)
パルスィは食事を用意し、掃除や洗濯まできっちりこなし、体調や気分まで丁寧に気遣ってくれる。
ユウスケ(そう、ここは地下室だけど……地底に来た初日と比べれば、天国みたいなものだ。安全で、危険もなく、何より――)
目の前に座るパルスィが、静かに笑ってこちらを見つめていた。
ユウスケ「……今日のご飯も美味しかったよ。ありがとう」
パルスィ「ふふ、どういたしまして。……あら、どうしたの? 何か足りなかった?」
ユウスケは少し首を傾げる。
ユウスケ「いや、そんなことないよ。むしろ完璧すぎて怖いくらいだ」
パルスィはそこで意味ありげに微笑んだ。
「ふ~ん、そろそろ効果が切れてきたのかしら?」
「え……何の話?」
「内緒」
そう言って、彼女はユウスケの頭にそっと手を置いた。指先から、ふんわりとした妖気が流れ込み――
その瞬間、ユウスケの思考がふと霧がかったようにぼやける。
(……あれ、なんでさっき……“ここから出たい”なんて考えてたんだっけ)
頭の中に浮かんでいた迷いや焦燥が、ふっと霞んでいく。
今、目の前にあるのはパルスィの笑顔だけ。
彼女以外、必要ない。
「……そうよね、私たち2人しかいないんだもの。ゆっくりしていましょ」
彼女の声が、深く静かに心に染み込んでいく。
ユウスケは小さく頷いた。
もう、考えるのをやめてもいいのかもしれない――と。
数日後にユウスケは、紅茶の湯気を見つめながら思案に耽っていた。
(あれから数日……パルスィと暮らしてる。でも……これって“普通”なのか?)
確かに部屋から出られない。だが、パルスィは食事を用意し、着替えや本、暇を潰せるものも揃えてくれる。外に出られない以外、不満はなかった。いや――
(不自由じゃない分だけ、余計に何かが引っかかる)
そんな時だった。カチャリ、と扉の開く音がして、パルスィが入ってきた。両手には柔らかそうな毛布が抱えられている。
「お待たせ。夜は少し冷えるから、もう一枚持ってきたわ」
「ありがとう。助かるよ」
パルスィは微笑んだままユウスケのそばにしゃがみ込み、丁寧に毛布を膝にかけてくれる。
「どう? 他に欲しいもの、ある?」
「いや、十分すぎるくらいだよ。むしろ、いつもありがとうって言いたいくらい」
「ふふっ……よかった。ユウスケの言葉って、ちゃんと胸に残るの。優しくて、私のために言ってくれてるんだって……思えるから」
一瞬、パルスィの瞳が潤んだように見えた。
「ねぇ、ユウスケ。ここでの暮らし、不便……?」
ユウスケは返答に少しだけ迷った。
「まあ、自由がないのはちょっと気になるけど、でもパルスィがいるから、耐えられてる部分もあるし……」
「じゃあ、やっぱり他の誰かにも会いたいの?」
パルスィの言葉が、紅茶の甘い香りに似つかわしくない重さを含んで響いた。
「え?」
「さとりとか……お燐とか。誰かに、助けを求めたりする気……あるの?」
「……いや、別に。今は落ち着いてるし」
パルスィはその返答に安堵の吐息をもらし、ユウスケの手をそっと握った。彼女の手はほんのりと温かく、指先が震えていた。
「よかった。……お願い、これからもここにいて。ね? ユウスケが“ここが居場所だ”って思えるように、もっと頑張るから」
「パルスィ……?」
「……何があっても、私だけを見ていてね」
パルスィは微笑んだままそう告げ、そっと唇に指を当てた。
「誰かが来たとしても、私が全部、追い返してあげる。大丈夫。何も考えなくていいから。あなたは私に、預けてくれればいいの」
その時、地底全体に響き渡るような「ズドン!」という轟音。
ユウスケ「……今の音、よく鳴るものなのか?」
パルスィは眉をひそめ、立ち上がる。
「いいえ、聞いたことない音よ。ちょっと様子を見てくるわ」
そう言い残して、パルスィは扉を開け、旧都の中心へと駆け出していった。
* * *
広場では、妖怪たちが警戒しながら距離を取っている。その中心で、堂々とした佇まいの人間が、お祓い棒を手に構えていた。
博麗霊夢。その名を知らぬ者は地底にも少ない。
パルスィは思わず声を漏らす。
「……人間?」
その横から、肩を竦めた勇儀が現れる。
「見慣れない顔だろ? 地上の博麗の巫女、博麗霊夢さ」
パルスィ「博麗の巫女……聞いたことあるけど、なんで地底に?」
霊夢は遠くからでもよく通る声で応じる。
「私だって好きで来たわけじゃないわよ! “地底の妖怪が人間を誘拐した”って話を聞いて、連れ戻しに来ただけ!」
パルスィの心臓がドクンと脈打った。
(誘拐って……まさかユウスケのこと?)
その動揺を敏感に察知した霊夢は、容赦なくお祓い棒をパルスィに向ける。
「ふーん、その顔……やっぱり心当たりがあるのね? ――じゃ、まずはあんたから片付けるわ!」
霊夢が空へと跳び、パルスィに向かって飛来する――
「待ちな!」
鋭い声とともに割って入ったのは鬼の星熊勇儀。その拳は霊夢の棒を受け止め、地面に亀裂が走る。
霊夢「ちょっと、邪魔する気?」
勇儀「地底のことは地底の住人がどうにかする。それが地上との約束だったはずだろ? 博麗の巫女といえど、いきなり手を出されちゃ困るよ」
霊夢「信じられないわね。地底には人間を喰らう妖怪もいるのよ? “解決する”なんて言葉、どう信じろっての」
勇儀「……で、その“地底の人間”って誰だ? 姿も見てないんだろう?」
霊夢「賢者が言ってたのよ。しばらく前、結界に綻びがあったって。人間が迷い込んだ気配があるってね。……いるはずよ、絶対に」
勇儀は一つ鼻で笑い、拳を下ろした。
「仮にその話が本当だとしても、地底のことは地底で処理する。それが筋ってもんだ。もし勝手に踏み込むって言うんなら――まずは、この私を倒してからにしてもらおうか!」
その言葉に、周囲の空気が一層張り詰める。
パルスィは霊夢と勇儀の間に走る緊張に、口を挟めずにいた。
(ユウスケのことがバレるのは……まずい。でも、ここで私が彼の居場所を明かせば――)
その胸の中に、不安と嫉妬、そしてほんのわずかな決意が生まれつつあった。
その頃――
地下室の静けさを破るように、「コン、コン」と控えめなノックの音が響いた。
ユウスケはベッドから起き上がり、扉の方を見つめる。
(……パルスィ?)
そう思いながら扉を見ていると、「ガチャ」とノブが回され、鍵のかかっているはずの扉が開いた。
中に入ってきたのは、黒いローブにとんがり帽子をかぶった少女――霧雨魔理沙だった。
「おっ、開いた開いた。地底に住んでたって人間は、お前だな?」
ユウスケは警戒心をあらわにし、思わず一歩下がる。
「……誰だ、お前は」
「おいおい、そんな怖い顔すんなよ。せっかく助けに来てやったってのにさ」
「助け?」
「ん? ……おい、説明してねぇのか?」
魔理沙が振り返ると、後ろからゆったりと入ってきたのは、地底の主とも言える存在――古明地さとりだった。
「さとり……?」
ユウスケが驚きに目を見開く。
「ええ。お久しぶりです、ユウスケさん。あのときは話す時間も余裕もありませんでしたから」
さとりは静かにユウスケに視線を向け、淡々と告げた。
「本来であればパルスィさんに許可を取って迎えに来るのが筋でした。……ですが、それが叶いそうになかったので、強硬手段を取らせていただきました」
「……外の騒ぎは?」
ユウスケは気になっていた外の轟音を思い出す。
「おう、それな。私のダチ、霊夢が暴れて注意引いてくれてるのさ。おかげでこっちが動きやすくなった」
魔理沙が肩をすくめて笑う。
さとりが一歩進み、まっすぐユウスケを見つめる。
「今のあなたの環境は、“保護”の域を越えています。……パルスィさんのことは承知の上で言います。あなたは、地上へ戻るべきです」
促されるが、ユウスケの足は動かない。
(……行きたくない)
(パルスィと、離れたくない)
その心の声を、さとりは黙って受け止めていた。そして、薄く目を閉じる。
「……やはり、能力の影響がありますね。強くはないですが、確実に痕跡が残っている」
「能力……?」
「パルスィさんの能力です。“嫉妬を植え付け、縛りつける”……あなたの判断力に少しずつ影響を与えている」
ユウスケは目を伏せたまま何も言わない。
「……では、一つ提案です。パルスィさんに最後の挨拶だけしてから、地上へ行きましょう」
さとりが扉を指差し、ユウスケは渋々うなずいて歩き出す。
しかし――背を向けた瞬間。
「……ごめんなさい」
さとりの声が囁かれたと同時に、ユウスケの意識はぷつりと切れた。
ドサリ、と倒れる音。
「何したんだ?」魔理沙が眉をひそめる。
「少しだけ、過去の記憶――“あの時の痛み”を思い出してもらいました。急でしたが、彼にはこれが必要です」
「……怖いねぇ、相変わらず」
魔理沙は軽く舌を巻きつつ、倒れたユウスケを背負う。
「さてと……じゃ、さっさと帰るか。霊夢にあんまり待たせると後が怖いからな」
そのまま、二人と一人の影は、静かに地底の出口へと向かっていった――。