魔理沙がユウスケを背負い、地底の出口に差し掛かった頃――
旧都の広場では、博麗霊夢と星熊勇儀の激しい弾幕戦が一瞬の静寂に包まれる。
霊夢は宙に舞う紙符を払うように手を振り、動きを止めた。
「……もういいわ。目的は達成したから」
拳を構えていた勇儀が片眉を上げる。
「おっと、どうした? まだ拳は交えてる最中だろ?」
霊夢はお祓い棒を肩にかけ、あっさりと告げる。
「そっちと戦う理由はもうなくなったの。これ以上ここにいる理由もないしね」
その言葉に、聞いていたパルスィの表情が強張る。
「……は? なにそれ。今、なんて言ったの?」
霊夢はパルスィの方に振り返り、にやりと笑う。
「“人間を誘拐した”って情報を聞いて来たって言ったでしょ? あんたら、わざわざ目の前に出てきてくれたおかげで、こっちは魔理沙を裏から回せたってわけ。感謝するわ」
パルスィの血の気が一気に引き、次の瞬間には嫉妬と怒りに満ちた声が響く。
「――あんた……っ! 博麗の巫女が……勝手に、私のユウスケに手を出してんじゃないわよっ!!」
やれやれと首を振る霊夢に激昂しながら一歩踏み出した彼女の足元に、嫉妬のオーラが広がる。地面が揺れ、妖気が空間を撓ませた。
(勇儀)「珍しいな……パルスィがここまで取り乱すなんて」
パルスィは叫ぶように言い放つ。
「もういい、頼んだ私が馬鹿だった……! だったら妖怪らしく、力づくで取り返すまでよッ!」
そう叫んだ瞬間、緑がかった弾幕が空間を裂くように霊夢目掛けて放たれた。
だが霊夢はそれをひらりとかわし、余裕のある声で返す。
「そっちがその気でも、こっちはもう帰るの。――邪魔しないで」
霊夢はそのまま、地上へ続く通路へと飛び去っていく。
「逃げるな……っ、この泥棒巫女!」
パルスィもすぐさま駆け出そうとするが、その肩をがっしりと掴む手があった。
「なによっ! 放しなさい勇儀!」
勇儀は冷静な目でパルスィを見つめ、静かに言った。
「もう無理だ。今からじゃ追いつけないし、あいつは地上との結界を越えた。下手に踏み込めば、こっちが妖怪の賢者に潰される」
パルスィはその言葉の意味を理解していた。それでも、収まるはずもない感情が、彼女の中で暴れ狂っていた。
「クソが!クソが!クソが!なによ何の問題もないはずよ。」
声にならない叫びが、怒りと嫉妬と悔しさと共に空へと消えていく。
地底の空気が静まる中、パルスィはその場に蹲り、唇を噛み締めた。
魔理沙はユウスケを背負い、長く続く地底の通路を登っていた。足取りは重く、息もかすかに乱れている。地底の空気はこもっていて、上り坂の連続はさすがの魔理沙にも堪えていた。
「……はぁ、重っ……。おい、そろそろ手伝ってくれよ」
肩越しに後ろを歩く霊夢にぼやく声が響く。だが霊夢はつまらなさそうに返すだけだった。
「戦ってたのは私でしょ? あんたは拾ってきただけなんだから、黙って背負ってなさいよ」
「拾ってきたって言い方やめろっての。私はさとりに頼まれて動いただけだぜ? それで無報酬ってのはどうなのさ……」
くだけたやりとりの中にも、どこか緊張感があった。誰も言葉にしないが、パルスィのことが頭に浮かんでいたのだ。
やがて、魔理沙が小さく息をついて空を仰ぐ。
「……でもさ、やっぱり変だよな。紫が“人間の救出”なんて、自分から指示するなんてさ」
霊夢も頷く。
「うん。あの人、普通なら私たちに任せるでしょ。それをわざわざ……ね。どうも腑に落ちない」
そんな言葉に応えるように、空間がふわりと歪んだ。
風も音もない中に、紫色のスキマがすっと開かれ、その向こうから一人の女性が姿を現す。八雲紫。あの異変の仕掛け人にして、幻想郷の賢者の一人。
「ふふ、お疲れさま。ちゃんと回収できたみたいね。さすが博麗の巫女と普通の魔法使い」
霊夢がやや眉をしかめながら口を開く。
「……あんたの登場、遅いわよ。どうせ見てたんでしょ?」
紫は悪びれもせずに笑う。
「もちろん。あなたたちのことは信用してるから、最後まで任せただけよ」
魔理沙が肩の荷を調整しながら尋ねる。
「で、こいつはどこに運べばいいんだ? 博麗神社で面倒見るわけにもいかないだろ?」
紫はゆったりと扇を広げながら答える。
「ええ、私の屋敷で預かるわ。結界は万全だし、下手な妖怪や鬼が来ても通れないわよ」
霊夢の目が鋭くなる。
「……あんた、勝手に持ってくつもり?」
「“普通の人間”なら任せたわ。でも彼は例外。外から来たうえに、イメージをそのまま現実に変えられる。“再生能力”まで持ってるなんて……私の予想を超えてるわ」
魔理沙が驚いたように目を見開いた。
「マジかよ……自分の腕を生やすなんて聞いたことないぜ」
紫の声が静かに、だが確かな重みを帯びる。
「過去に似たような力を持つ者はいたけれど……ここまで無意識に、直感的に現実を書き換えるなんて。放っておけば幻想郷の枠組みそのものが崩れかねない」
霊夢がため息をつき、腕を組んだ。
「どうして暴走しなかったのか、むしろ不思議なくらいね」
紫の視線が、眠ったままのユウスケへと注がれる。
「パルスィという執着が、かろうじて“鎖”になっていた。でもそれも時間の問題だった。今のうちに、ちゃんと見ておかないと」
魔理沙が呟く。
「……こいつ、ただの人間じゃなかったんだな」
紫は静かに頷くと、手を軽く振ってスキマを開いた。
「あなたたちはここまででいいわ。あとは私が責任を持つ。いずれ地上全体が動き出す前に……ね」
魔理沙が肩からユウスケを下ろし、スキマの前へと連れてくる。霊夢はその様子を見届けながら、まだ不満げな表情を浮かべていた。
だがそれでも、何も言わずに留まる。
紫はスキマの奥へとユウスケを連れ、ゆるやかにその裂け目を閉じていく。
静寂が戻る。
霊夢はしばらく沈黙した後、ぽつりと呟いた。
「……なんだか、嫌な予感がするわね」
魔理沙も、帽子のつばをつまんで、空を見上げる。
「まったくだよ。次は、もっと面倒なことになりそうだ」
ユウスケが目が覚めると、見知らぬ天井が広がっていた。
白く滑らかな天井板に、薄い布のカーテン。地下室でも、自宅でもない。どこか――整った、静かな場所。静かすぎる空間に、ユウスケはすぐに違和感を覚えた。
「……どこだ、ここは……?」
体を起こす。布団は分厚く、肌触りのいいシーツ。見慣れない和風の家具が並ぶその部屋に、まるで自分の存在だけが浮いていた。
声がしたのは、その時だった。
「ようやく目を覚ましたか。ここは紫様の御屋敷だ」
低く、落ち着いた声。振り向いたユウスケの目に映ったのは、九本の尾を携えた妖怪――八雲藍だった。
その佇まいは威圧的というよりも、威厳そのものだった。
「……誰だ、あんた」
不機嫌そうにそう返すユウスケに、藍はふうと小さくため息をついた。
「本当に何も知らないようだな。私は八雲藍。八雲紫様の式神にして、幻想郷の調律を担う者だ。君をここへ連れてきたのも、我らの判断によるものだ」
「勝手に連れてきたってわけか……誘拐だろ、こんなの」
「誘拐ではない。“保護”だ」
その言葉に、ユウスケの眉がわずかに動いた。
「戻せ。俺はあそこに住んでたんだ。パルスィだって……友達だった」
「君のような存在が、あのような閉鎖的な場所にいて何の問題も起きないと、本当に思っていたのか?」
藍の声が冷える。静かな語気の奥に、確かな警戒があった。
「君は外の世界から来た異分子。そして、己の想像を現実に変える力を持つ。物を創り、身体を修復し、現実に干渉する――それはもう、“人間”の枠を超えている」
「……それがどうした。今さら人間扱いでもないだろ。俺はただ……居場所が欲しかっただけだ」
「だが、その居場所に災いを呼び寄せたのは、君自身だ。宮出口瑞霊に取り込まれ、右腕を失い、力を使われた。もし、完全に乗っ取られていたら――地底ごと消えていたかもしれない」
言葉が、突き刺さる。だがユウスケは、目を逸らさなかった。
「終わった話だろ。もう俺の体に奴はいない。過去を責めるなら、あんたらだって見てただけじゃないか」
「我々は、“今後”を見ている」
藍の目が鋭くなり、着物の裾を払って立ち上がる。
「……口で言っても理解できないようだな。なら、体で覚えさせてやる」
その言葉に、ユウスケの肩が微かに揺れる。だが怯えではない。むしろ――挑発に近い笑みが、その口元に浮かんだ。
「能力を知っててやるつもりか? 俺が、どんなものを創れるかも知らないで?」
「知っているさ。そして、だからこそ“経験”の差を教えに来た」
妖力が、藍の足元から立ち上る。空気が重くなる。
一方で、ユウスケの瞳もまた、静かに燃えていた。
(……想像が、現実になる。なら――“戦うためのもの”を思い描けばいい)
次の瞬間、両者の間に張りつめた空気が走った。
静寂は、嵐の前触れ。
その小さな和室にて、“人間”と“式神”の対話は、やがて衝突へと変わっていく――。