地底スタートの幻想郷生活 修正版   作:四国の探索人

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第30話 伝承を追い

地底でさとりが物思いにふける同時刻、幻想郷――稗田家

 

稗田家の書庫。

帳のような静けさの中に、客人の声が響いた。

 

「おや、紫さん。お久しぶりですね。」

 

阿求は筆を置き、紫に微笑を向ける。

 

「ちょっと教えてほしいことがあってね。」

紫は扇を軽く開いたまま、阿求を見据える。

「“宇治の橋姫”の伝承――あれに、他の結末はないのかしら。

それと、橋姫に“子ども”はいたのかも。」

 

「宇治の橋姫、ですか……」

阿求はしばし思案し、頷く。

「私の知る限りでは、伝承どおりです。

稗田阿礼の時代、同時代を生きていましたが、当時から“京での悲恋譚”として広く語られていました。」

 

紫は扇を閉じ、わずかにため息を漏らす。

「やっぱり……そうよねぇ。」

 

「ただ――」

阿求は指先を顎に添え、記憶をたぐる。

「復讐を果たした橋姫が“泣いていた”という記録を、どこかで見たことがあります。

確か、古い京の写本の断片に。」

 

「復讐を果たして泣く……」

紫は小さく笑みを浮かべる。

「好きだった男に裏切られて、全てを壊して、それでも涙を流すのね。

……人の心って難しい。」

 

「後悔の涙――そう記されていました。

残念ながら、その資料は既に失われていますが。」

 

「願った復讐を果たして、後悔する。ふふ、矛盾のようで、いかにも人間らしいわね。」

 

「私がお力になれるのは、これくらいでしょうか。」

 

「十分よ、ありがとう。」

 

紫は立ち上がると、柔らかく笑ってスキマを開いた。

次の瞬間、その姿は桜色の花びらのように消えた。

 

 

 

夜の帳が降りた寺子屋。

慧音は書き物をしていたが、突然、空間がわずかに歪み、スキマが開く。

 

「……人里に妖怪が来るのは好ましくない。

人間たちが驚くぞ、紫。」

 

「だからスキマで来たのよ。ほら、見つからないように。」

 

「まったく……で、用件は?」

 

「“宇治の橋姫”――つまり水橋パルスィ。

できれば“水橋ユウスケ”という人物についても調べてほしいの。」

 

慧音は眉をひそめた。

「……分かった。数日後に来てくれ。」

 

紫は満足そうに頷き、音もなく姿を消す。

 

慧音は机に肘をつき、深く息を吐いた。

 

 

 

 

その夜、静かな寺子屋に紙をめくる音だけが響く。

慧音は歴史の記録を追っていく。

 

「水橋ユウスケ……パルスィの夫にして、他の女性に手を出し、怒りを買う。

その後、パルスィに殺害される。」

 

「そして水橋パルスィ――“宇治の橋姫”。

浮気した夫に復讐するため妖怪となり、夫やその女、親族を皆殺しにした。」

 

慧音は筆を止める。

「伝承と矛盾はない……はず、だが――」

 

眉間にしわを寄せる。

 

「この記録……どこかおかしい。

一部の記述が、意図的に隠されている。」

 

慧音は机に手を置き、低く呟く。

 

「……“上白沢慧音の歴史”」

 

途端に、淡い光が慧音の身体を包む。

彼女の記憶と記録が、内側から照らし出されていく。

 

数秒後、慧音は目を見開いた。

 

「……やはり、だ。

この歴史――“私自身”が隠した跡がある隠した事さえ忘れるように変えてあるな。

しかも、その時期は“パルスィの歴史”を隠した時期と同じ。」

 

慧音は震える手で書を閉じ、深く息を吸った。

 

「私は……水橋パルスィと会ったことがあるのか?

なぜ、過去の私は彼女の歴史を隠した――?」

 

月明かりが窓から差し込み、慧音の瞳に淡く揺れた。

 

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