スキマを抜け、白玉楼へと戻ったユウスケ。
太陽はないはずの場所だが、空は柔らかく明るく、桜が堂々と枝を伸ばしている。
「ちょっと前に来たばかりだけど──整備されてるな」
ふらりと言うと、軽やかな声が返ってきた。
「いらっしゃ〜い、ユウスケ。紫から話は聞いてるわよ」
振り向くと、薄桃色の着物を優雅に翻す幽々子が立っていた。
「幽々子さん。お世話になります」
「いいのよ。確か、幽霊や亡霊に対する対抗手段が欲しいって話だったわね?」
「そうなんです。技のコピーや物質の生成はできるんですが、物理が効きにくい相手にはどう対処すべきか分からなくて……」
幽々子は考え込むように指先をこすった。
「うーん、幽霊に確実に効く“万能の技”なんてないのよ。仏法や修行の領域になるからね……」
そのとき、妖夢がお盆に湯気立つ湯のみを載せて現れた。
「半人前の私が言うのも何ですが、まず“イメージ”の確認じゃないですか。はい、お茶です」
タイミング良く差し出された湯のみを受け取りながら、ユウスケは首を傾げる。
「イメージ?」
妖夢はにっこりと笑い、ユウスケの手をそっと取った。
「例えば、触れられるかどうかの“想像”をはっきりさせれば、実際に触れてみても違和感が減ります。ほら、握ってみてください」
幽々子が小さく吹き出すのを見て、ユウスケは言われるまま手を差し出す。妖夢の掌は温かく柔らかい。
「ふむ……柔らかい」
「半人半霊の私でも触れます。幽々子様、触ってみてください」
ユウスケが幽々子の腕に触れると、確かに“触れている”感覚がある。
「触れてますね」
妖夢は真面目な顔で続ける。
「幽霊が物理攻撃無効なんてのはデマです。鍛錬や慣れが必要なだけ。『触れられない』って思い込むのが一番問題なんです」
「それだけでいいなら、何で私はここに?」とユウスケ。
幽々子は手でユウスケの頬を撫でた。その指先から黒い蝶がひらりと生まれ、頬に触れる。
「理不尽に慣れておくのも大事よ。心臓の強さは、実戦でしか培われないからね」
次の瞬間、視界が暗転した。意図せず、ユウスケは強い眠りに落ち──
目を開けると、妖夢が慌てた顔で駆け寄ってくる。
「ちょっ! 幽々子様、いきなり殺さなくてもいいじゃないですか!」
幽々子は涼やかに笑う。
「いいのよ、妖夢。復活できるんだし。これも勉強、勉強」
ユウスケは辺りを見回す。足元には、確かに自分の“死体”が横たわっていた。
「一体、何が……?」
「足元を見た方がいいわ」と幽々子。
ユウスケが視線を下ろすと、自分の亡骸がそこにある。しばし茫然とするが──
「えっ、ええぇぁ。」と妙に落ち着いて言い放ち、ふと笑う。
「生成“死者蘇生”」
光が彼を包み、肉体はぴくりと息を取り戻す。体内に戻った実感が広がると、幽々子はにやりと笑った。
「さあ、勉強の後は飯よ、妖夢。お腹減ったでしょう?」
「わかりましたよ幽々子様。少々お待ちを」
ユウスケはふと考え、妖夢に向かって言った。
「妖夢さん、一人分で調理して。私がコピーして増やすから」
妖夢は驚いたようにこちらを見る。その目が次第に真剣になっていく。
「ユウスケさん……幽々子様の食費を気にしなくてよくなるなら、永久就職しませんか? 私が貴方の帰る肉体を灰にして、霊体として白玉楼に……」
ユウスケは呆れたように笑う。
「目がマジになってますよ」
妖夢は少し顔を赤らめ、必死に笑いを誤魔化した。
食事を終え、茶をすする穏やかな時間。
ふと、ユウスケの視線が庭の奥の一本の巨大な桜に向かう。
「そういえば、あそこにある大きな木はいつからあるんですか?」
幽々子は湯のみを傾けながら微笑んだ。
「えっ、ああ――西行妖(さいぎょうあやかし)のことね。桜なんだけどね、咲いたところを私も見たことがないの」
妖夢が箸を置き、控えめに付け加える。
「いつ見てもつぼみのままですね。ですが枯れているわけでもない。不思議な木です」
ユウスケは首をかしげた。
「春になったら咲くんじゃないんですか?」
幽々子はゆるやかに首を振る。
「ううん。あの桜の根元には“何か”が封印されているみたいなの。そのせいで花を咲かせられないんでしょうね」
妖夢は少し表情を曇らせる。
「封印されている“何か”については、私も詳しくは知りません。ですが……嫌な気配ではないです」
「悪意は感じないのよ」と幽々子。
「だから、いっそ封印を解いてみようかしらって思ってたの」
ユウスケは驚いて箸を止める。
「封印って、解いていいものなんですか?」
幽々子はくすりと笑った。
「気にならない? “何が眠っているのか”って」
ユウスケは少し考えたのち、苦笑いを浮かべた。
「……気になりますね。すごく」
「でしょ?」
幽々子は立ち上がり、扇子を広げて西行妖の方を眺めた。
その瞳は、花の咲かぬ桜に微かに哀しみを映している。
「――ずっと、気になっていたのよ。あの桜の下に眠る“誰か”を」
妖夢は慌てて止めに入る。
「ゆ、幽々子様!? 本気で封印を――」
「大丈夫よ、妖夢。私が責任を取るから」
ユウスケの胸に、なぜかざわめきが走る。
(あの桜の下……何か、胸が苦しい。まるで……懐かしいような。)