数日が経った。
ユウスケは白玉楼の縁側に座り、西行妖をぼんやりと眺めていた。
陽のない冥界の空は淡く光り続けている。
しかし彼の心は、桜の花びら一つ咲かぬその木のように静かで、どこか沈んでいた。
「……あの時、見たのは本物だ。
“水橋ユウスケ”という同名の男が、パルスィに殺された……」
あの記憶がただの幻ではないことは分かっていた。
もしそうなら、自分は――あの男の生まれ変わりなのだろうか。
そしてパルスィは、自分を殺した“かつての恋人”。
それを知って、これからどう接すればいいのか。
何度考えても答えは出ず、ユウスケはただ溜め息を吐いた。
そんな折、背後から柔らかな声がかけられた。
「ユウスケ~、少しいいかしら?」
振り返ると、幽々子が扇をたたみながら近づいてくる。
「この桜を咲かせたくない人たちが、そろそろやってくる頃なの。
妖夢と一緒に追い払ってくれないかしら?」
「咲かせたくない人たち……? そんな事で誰かが来るんですか?」
幽々子は微笑んで肩をすくめる。
「ちょっとだけ幻想郷から“春”を頂いているの。
おかげで向こうは少し寒くなっているみたいでね――怒ってるのよ。」
「え~と、分かりました。」
ユウスケは、冥界へと続く長い階段の前で待機する妖夢に歩み寄った。
半霊がわずかに揺れ、妖夢はすぐにこちらへ気づく。
「お疲れ様です、ユウスケさん。
西行妖のためとはいえ……付き合わせてしまって、申し訳ありません。」
その声音には、深い責任感が宿っていた。
「いえ。……ただ、疑問があって。
幻想郷から春を奪ったと言っても、誰かここに辿り着けるものなんですか?」
妖夢は静かに息を吐き、刀の柄へと指を添える。
「ええ。博麗の巫女――必ず来ます。
季節の異変を見逃すような人ではありません。」
「霊夢が……?」
「確か、前の異変ではユウスケさんも共に解決に乗り出していた、と新聞にありました。
……気乗りしないのですか?」
ユウスケは頭をかき、視線を逸らす。
「いや、その……。
私たちって、もしかしなくても――とんでもなく悪いことをしているのでは?」
妖夢はすぐに否定しなかった。
「……否定はできません。
幻想郷から春を奪った事実は重い。
暖いはずの季節が、向こうでは今も冬のままです。
住人にとっては、たまったものではないでしょう。」
ユウスケ(……これ、完全に紫に怒られるやつ?)
妖夢は階段の下方へ鋭い視線を向けたまま続けた。
「しかし――幽々子様が“それでも咲かせたい”と望まれたのも事実。
ならば、私は剣でその責任を果たします。」
「責任、か……。」
「ユウスケさんも、来るのでしょう?
ここに立つ以上、覚悟は必要です。」
その言葉は冷たくはなかった。だが甘さもなかった。
ただ、武人として真っ直ぐで、揺らぎがなかった。
ユウスケは深く息を吸う。
「……分かりました。妖夢と共に戦います。」
妖夢はほんのわずかに顎を引いて頷く。
「助かります。
やがて気配が現れるはずです。臨戦態勢を。」
冥界の空気が、微かに震えはじめる。
それは、外界からの侵入者の前触れだった。
コツ、コツ、コツ――。
ゆっくりと、しかし確実に迫ってくる足音が、階段下から響いた。
ユウスケとともに構えていた妖夢が、すぐに異変を察する。
「……何かありました?」
ユウスケが小声で問う。
妖夢は半霊ごとわずかに震わせながら答える。
「圧倒的な……妖力です。
博麗の巫女じゃありません……こんなの、私……覚えがあります。」
階段を登りきった影が姿を現す。
陽光のない冥界にありながら、まるで季節そのものを引き連れてきたかのような気配。
花々の死す冬でさえ関係ない、存在そのものが“春”を圧倒する。
風見幽香だった。
妖夢は一歩下がった。刀の柄に触れた手が汗ばむ。
「な、なな……なんで、風見幽香が、ここに……」
幽香は軽く視線だけ向け、まるで道端の花の状態を確認するような軽さで言った。
「二人いるけど……どう見ても、あなたがユウスケね?」
ユウスケは静かに頷く。
幽香はその答えだけで十分と言わんばかりに微笑む。
「場所、変えましょうか。私はここでもいいけれど――」
扇子ではなく傘の柄で階段をコツ、と叩きながら、妖夢へ流し目を送る。
「この白髪の子、怯えた目があまりに可愛いものだから。
泣かせるのは趣味じゃないの。」
妖夢「ひぃ……っ」
ユウスケは判断する。
ここで戦えば妖夢を巻き込む――それだけは避けたい。
「……少し行ってきます。妖夢さん。」
短く告げると、ユウスケはスキマを裂いて開く。
幽香は何の警戒もなくその中へ入った。
妖夢は呆然と立ち尽くしたまま、かすれた声で呟く。
「……い、行かせてしまった……」
スキマが開き、ユウスケと幽香は雪の積もる大地に降り立つ。
冥界とは春がないからか異なり、空気が冷たい。風が吹き抜け、枯れた草が擦れ合う音がする。
幽香は傘をくるりと回しながら、楽しげにユウスケを見る。
「紫の力、本当に使えるのね。
話半分くらいに聞いていたけれど……これは愉しめそう。」
ユウスケは警戒を緩めず返す。
「私が目的なんですか?」
「もちろん。
お花の咲かない冬を続ける幽々子も困ったものだけれど――
今回は紫に頼まれたの。」
「紫が?」
「ええ。“連れ出してほしい”ってね。
あなたの能力、本気を出せば博麗の巫女を倒しうる――らしいから。」
その声には、期待と殺意が同じ熱量で混じっていた。
幽香の奥底から溢れだす妖力が、空気を震わせる。
「だから紫は言っていたわ。
ユウスケを連れ出す代わりに――遊んでいいって。」
幽香は傘をひと振り。
放たれたのは弾幕ではなく、“炸裂する花弁”の弾丸。
雪が抉れ、鮮やかな花びらが弾けるように地表を砕いた。
ユウスケは即座に肉体を再生し、呼吸を整える。
幽香は愉悦に濡れた瞳でつぶやいた。
「さあ――壊れずに、どれだけ私を退屈させずにいられるかしら?」
凍てつく白い世界に、妖力の花が咲き乱れようとしていた。