地底スタートの幻想郷生活 修正版   作:四国の探索人

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第40話 生き残りの子ども

それから数日。

 

水橋パルスィは自室の机に向かい、紙に文字を書き連ねていた。

 

覚えていること。

 

思い出せること。

 

曖昧なまま残っている断片。

 

(……宇治の橋姫の一件で、私は――)

 

筆先が止まる。

 

(浮気していたあいつと、その相手を殺した……はず)

 

そこまで書いて、書けなくなった。

 

(……“はず”?)

 

自分の中で、その瞬間だけが妙にぼやけている。

 

怒りも、憎しみも、殺意も――確かにあった。

 

それなのに、決定的な感触が、どうしても思い出せない。

 

「……なんでよ」

 

紙を睨みつける。

 

「なんで一番大事なところを、覚えてないのよ……」

殺した。

 

復讐した。

 

それで終わった。

 

――そういう話のはずだった。

 

けれど、“終わった後”の感情が、どうしても浮かばない。

 

達成感でも、虚無でも、後悔でもない。

 

何も思い出せないこと自体が、不快だった。

 

(私、何か……見ないようにしてる?)

 

胸の奥に、鈍いざわめきが広がる。

 

考えるだけでは限界だった。

 

「……探すしかないか」

 

立ち上がり、自宅の奥へ向かう。

 

普段は開けることもない倉庫。

 

埃と古い木の匂いが鼻を刺す。

 

積み上げられたガラクタや壊れた道具をかき分けながら、思う。

 

(もう千年も前の出来事よ。

 

 何も残ってるわけ――)

 

その考えが、途中で途切れた。

 

「……ん?」

 

倉庫の奥。

 

不自然に整理された一角に、小さな籠が置かれていた。

 

古く、編み目もほつれている。

 

だが“捨てられた”というより、“大切にしまわれていた”印象だった。

 

近づき、中を覗く。

 

「……子ども用?」

 

そこには、色あせ、ほつれ、破れた小さな衣服。

 

そして、その下に一冊の本があった。

 

表紙は汚れているが、紙の質は意外なほど良い

「……妖魔本?」

 

妖怪が妖力を込め、長く保存するための本。

 

それが、なぜ自分の家にあるのか。

 

嫌な予感を押し殺し、頁をめくる。

 

拙い文字。

 

震えるような筆跡。

 

――日記だった。

 

☓月☓日

きょうは パルスィさんと ゆうぎさんと あそんだ

 

☓月☓日

きょうは ひるねをした

 

☓月☓日

ごはんが おいしかった

 

拍子抜けするほど、他愛もない内容。

 

宿題の延長のような、ただの日常。

 

それなのに。

「……私の、名前」

 

指先が、無意識に文字をなぞる。

 

何度も、何度も出てくる名前。

――“パルスィさん”。

 

「……誰よ」

 

喉が、かすかに鳴る。

 

「……誰が、これを書いたの?」

 

答えはどこにもない。

 

だが、胸の奥がざわつき始める。

 

忘れている。

 

いや――忘れさせられている。

 

そんな考えが、初めてはっきりと形を持った。

 

籠の中の衣服と日記を前に、パルスィは立ち尽くす。

 

「……妖魔本なら」

 

震える声で呟く。

 

「本に残った妖力を辿れば、何か分かるかもしれない……」

 

そっと、本に手をかざす。

 

(自宅にある時点で、察してはいたけど)

 

妖力の波長が、微かに反応する。

 

(これは……私の妖力。

 保存したのは、間違いなく“私”)

 

だが、同時に違和感があった。

 

(……でも、書いたのは私じゃない)

 

文字の癖。

 

感情の動き。

 

読み進めるほどに確信が深まる。

 

(……子どもの字。

 それも、人間の)

 

胸の奥で、何かが音を立てて崩れ始めていた。

 

 

 妖魔本に残る妖力を辿ると、微かな残響が胸の奥に返ってきた。

 

それは外へ向かうものではなく、内側へ沈み込む感覚だった。

 

(……私の妖力なのに、懐かしい)

 

違和感に、思わず眉をひそめる。

 

(懐かしい、って何よ。

 妖怪になってからずっと使ってる力でしょうに)

 

だが、その感覚は消えない。

 

胸の奥に引っかかり、離れない。

 

まるで――

「もう戻れない場所」を、思い出しかけているような。

 

パルスィは、ふと周囲を見回した。

 

薄暗い地底。

湿った空気。

太陽の届かない世界。

 

(……そういえば)

 

自分は、なぜここにいるのだろう。

 

地底に落とされたわけでもない。

 

追放された記憶もない。

 

気づいたときには、ここにいた。

 

(私は……嫌われ者の妖怪)

 

妬み。

嫉妬。

 

近くにいるだけで、誰かの感情を歪めてしまう存在。

 

(……でも)

 

胸の内に、疑問が生まれる。

 

(嫌われ者になったのは“結果”よね?

 じゃあ、その前は?)

 

自分は何をした?

 

何をして、ここまで堕ちた?

 

(地底に来るほど……)

 

答えは、思いがけずあっさりと浮かんだ。

 

(地上で、取り返しのつかないことをした)

 

心臓が、どくりと音を立てる。

 

(それが……宇治の橋姫)

 

復讐。

殺戮。

鬼と化した女。

 

(……でも)

 

それだけでは、説明がつかない。

 

伝承の宇治の橋姫の通りなら、

この日記の“子ども”は存在しないはずだ。

 

思考が、自然と日記へ戻る。

 

「きょうは パルスィさんと あそんだ」

 

拙い、子どもの字。

 

穏やかな、何でもない日常。

 

(殺しをした直後の私が……

 こんな日常を送れるわけがない)

 

矛盾が、はっきりと形を持つ。

 

(じゃあ……その“間”は?)

 

復讐の後。

 

地底に来る前。

 

私は、何をしていた?

 

パルスィは、強く目を閉じた。

 

妖力を、日記へと静かに流し込む。

 

すると、映像ではない――

感触だけが、断片的に蘇った。

 

小さな手。

 

指に絡みつく、弱い力。

 

泣き声。

 

――そして、胸に伝わる温もり。

 

「……あ……」

 

喉から、掠れた声が漏れる。

 

(子ども……)

 

はっきりとは思い出せない。

 

だが、確信だけは揺るがなかった。

 

(この子は……水橋ユウスケの子)

 

記憶を失ったあいつと、

あのとき側にいた女性が残した命。

 

私は――

あの夜、確かに“殺した”。

 

夫を。

女を。

一族を。

 

妬みも、怒りも、殺意も、そこにはあった。

 

(……なのに)

 

子どもだけは、殺さなかった。

 

理由を探そうとして、

パルスィは自分で苦笑した。

 

(理由なんて……考えるまでもない)

 

だって。

 

刃を振り下ろそうとしたとき、

あの小さな体が、女の腕の中で泣いていた。

 

恐怖も、憎しみも、

何も分かっていない命。

 

(……あれは)

 

復讐の対象じゃない。

 

裏切りでもない。

 

(あれは――

 “罪の結果”ですらない)

 

殺したのは、自分の感情。

 

自分の選択。

 

(この子は……)

 

ただ、そこに生まれていただけ。

 

(だから私は)

 

抱き上げた。

 

守ろうとしたわけじゃない。

 

償おうとしたわけでもない。

 

(……放り出せなかっただけ)

 

それだけ。

 

けれど、その“それだけ”が、

私を地上に留めなかった。

 

(私は、全部を壊した)

 

それでも。

 

(この子だけは……

 私の罪とは無関係)

だから。

 

地上に、いられなかった。

 

私がそこにいれば、

また誰かを傷つける。

 

また、妬みで壊す。

 

(だから私は――)

 

地底を選んだ。

 

誰も近づかない場所。

 

誰とも深く関わらなくていい場所。

 

(この子を……

 人の世に戻し終えたら)

 

もう、私が地上にいる意味はない。

 

(もう誰も、傷つけないように)

 

その結論に辿り着いた瞬間、

胸の奥で、静かに何かがほどけた。

 

(水橋の名字を、捨てなかった理由)

 

それは未練でも、誇りでもない。

 

(忘れないためだ)

 

自分が何をしたか。

何を壊したか。

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