地底スタートの幻想郷生活 修正版   作:四国の探索人

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第42話 罪の告白

紫は扇を閉じたまま、珍しく黙り込んでいた。

 

再会の余韻を楽しむでもなく、空を見上げるでもなく、ただ一点を見つめ続けている。

 

「……やっぱり、腑に落ちないのよね」

 

藍は一歩下がり、主の様子を静かに窺った。

 

「水橋ユウスケが橋姫と別れる“きっかけ”になった、あの落水事故ですか」

 

「ええ。人間が川に落ちて記憶喪失になること自体は、まあ、なくはないわ。でもね」

 

紫は指先で扇を軽く叩く。

 

乾いた音が、妙に大きく響いた。

 

「“都合が良すぎる”のよ」

 

川に落ちる。

 

助かる。

 

記憶だけが、綺麗に抜け落ちる。

 

家のことも、恋人のことも、人生そのものも忘れているのに、言葉も常識も、生きる術だけは残っている。

 

「幾ら記憶を失ったといえ、家も恋人も忘れて、その他は覚えているなんて……出来すぎてる」

 

「まるで、最初からそうなるように“整えられていた”みたいじゃない?」

 

藍は少し考え込み、慎重に口を開く。

 

「紫様は……事故ではなく、何者かの介入を疑っている?」

 

「ええ。しかも、中途半端な介入」

 

紫の目が細くなる。

 

「全部を壊すつもりもなかった。

 ただ――“誰か一人を忘れさせたかった”だけ」

 

藍は言葉を選ぶ。

 

「とはいえ……そんなことをして、誰に得が……」

 

紫は小さく笑った。

 

その笑みは、どこか苦い。

 

「案外。もっと簡単で、もっと単純な――人間的な理由なのかもしれないわ」

 

 

 

同刻、人里の川にかかる橋にて

 

上白沢慧音は、ひとり橋の上に立っていた。

 

川面を渡る風が、衣を揺らす。

 

「……水橋パルスィが可哀想だから、歴史を変えた。

 紫には、そう説明したが――」

 

慧音は欄干に手を置き、目を伏せる。

 

「教育者たる私が、そんな感情だけで歴史を変えるとは思えん」

 

胸の奥に、違和感が渦を巻く。

 

(宇治の橋姫の歴史は、皆の認識と結びついている。

 だから変更はできない)

 

(だが――私自身の歴史を変えた理由なら、私しか知らない)

 

「……元に戻しても、問題はないはずだ」

 

小さく息を吐き、慧音は能力を解放した。

 

自らが封じた“理由”へと、歴史を遡る。

 

「……私の想像通りでないことを、願いたい」

 

一瞬、視界が歪む。

 

そして――理解が、胸に落ちた。

 

「……成る程」

 

言葉が、重く転がる。

 

「だから私は……歴史を変えたのか」

 

川の流れが、静かに続く。

 

「……教壇に立つ資格など、もうないのかもしれんな。」

 

 

 

 

 

 

 パルスィと再会してから数日後。

 

同棲はしていないものの、ユウスケは一度地底へ戻ることにした。

 

久々に訪れた地霊殿。

 

静かな廊下を抜け、さとりの執務室へと足を運ぶ。

 

「……割と早めの帰還ですね」

 

穏やかな声に、ユウスケは軽く背筋を伸ばした。

 

「次に地上へ行く時は、私にも一言ください。把握しておきたいので」

 

「すみません」

 

その隣で、パルスィも軽く頭を下げる。

 

「今回の件は、地上に大きな影響はありませんでした」 「よって、不問とします。ただし――」

 

「以後、気をつけるわ」

 

短くそう返すパルスィに、さとりは小さく頷いた。

 

その時だった。

 

「さとり様! お客様が……」

 

慌てた様子で、お燐が扉を開ける。

 

「来客の予定はないのだけれど……」

 

言いかけたさとりの言葉が、そこで止まった。

 

扉の向こうに立っていたのは――

寺子屋の教師、上白沢慧音だった。

 

「……慧音先生?」

 

思わずユウスケが声を上げる。

 

「やあ、ユウスケ。久しぶりだな」

 

穏やかな口調。

 

だが、その表情はどこか張りつめていた。

 

「無事に……橋姫とも再会できたようだな」

 

パルスィは慧音をじっと見つめる。

 

「地上で寺子屋をやってる先生、よね」

 

「ああ。そうだ」

 

慧音は一歩進み、視線をパルスィに向けた。

 

「本来なら、君とはもっと昔に会っている」

「――宇治の橋姫の件でな」

 

空気が、わずかに重くなる。

 

「だが、その歴史は私が変えた」

「君が覚えていないのも、無理はない」

 

「……歴史を、変えた?」

 

パルスィの声が低くなる。

 

「もしかして、私の記憶が抜けてるのは……」

 

「私の仕業だ」

 

慧音は、はっきりと言った。

 

「だが、元に戻すつもりはない」

「妖怪である君にとっても、あの記憶はあまりに重すぎる」

 

沈黙。

 

やがて、パルスィは肩をすくめた。

 

「……別にいいわ」 「教えてくれなくても」

 

視線を逸らしながら、続ける。

 

「水橋ユウスケの一族を殺したのは事実だし」 「生き残りの子どもがいたことも……もう、知ってる」

 

慧音の目が、わずかに揺れる。

 

「……それでも」

 

慧音は深く息を吸い、頭を下げた。

 

「君たち二人には、謝らなければならないことがある」

 

「歴史を変えたことなら、もう……」

 

ユウスケが言いかけるが、慧音は首を振る。

 

「違う」

 

顔を上げ、まっすぐに二人を見る。

 

「宇治の橋姫――」 「その悲劇の“最初の原因”は、私だ」

 

「……どういう意味?」

 

パルスィの問いに、慧音は一瞬だけ目を閉じる。

 

「水橋ユウスケが“浮気した”理由」 「君のことを忘れていた理由」

 

言葉を選ぶように、ゆっくりと告げる。

 

「――あれは事故じゃない」 「私が、彼の記憶を消した」

 

部屋の空気が、完全に凍りついた。

 

「私が……彼から、君を奪ったんだ」

 

その告白は、

これまで積み重ねてきた誤解と悲劇を、

静かに、しかし確実に崩していく音だった。

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