地底スタートの幻想郷生活 修正版   作:四国の探索人

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第43話 慧音の罪

「仮に慧音先生に原因があったとしても、もういいじゃ、、、」

 

ユウスケが言いかけた言葉は、途中で止まった。

 

隣のパルスィが、視線だけでそれを封じたからだ。

 

緑の瞳が、暗い地底の室内でわずかに光を帯びる。

 

怒りではない。だが、怒りよりずっと鋭い何かだった。

 

「……話してよ」

 

慧音は短く息を吐き、覚悟を決めたように頷いた。

 

「復讐が起きる前。君たちが夫婦として、まだ何の問題もなく過ごしていた頃……私は同じ都にいた」

 

平安の都。

 

人の声と車輪の音、紙と墨の匂い。

忙しなく動く人々の中で、慧音は一人苛立ちを噛み殺していた。

 

「まったく……宮廷の仕事にありつけたのはいいが、こう毎日仕事詰めだと嫌になるな」

 

抱えているのは束ねた資料。

 

落とせば終わりだ。紛失すれば責任問題。

 

胃の奥が常に重かった。

 

曲がり角に差し掛かった瞬間――誰かとぶつかった。

 

紙が舞う。

 

墨の匂いが散り、資料が床に散乱した。

 

「資料が……ああ、すまない!」

 

「こちらこそすみません。手伝います」

 

見上げると、若い男が膝をつき、迷いなく紙を拾い始めていた。

 

慌てる気配がない。焦りもない。

 

ただ真面目に、黙々と。

 

「……仕事のことを考えていてな。こちらこそ不注意だった」

 

「いえ、こちらも前を見ていませんでした」

 

「怪我はないか?」

 

「ええ、問題ありません。……紙が無事でよかったですね」

 

その言葉に、慧音は思わず苦笑した。

 

紙の価値を知っている。責任の重さを理解している。

 

そして、他人の損失を自分のことのように気にする。

 

「全くだ。……一枚でも無くしたら私が罰せられる」

 

数を数え、束を整え、ようやく胸を撫で下ろす。

 

「礼を言う。私は宮廷で書記をしている、上白沢慧音という者だ」

 

「宮廷で……それはまた。私は水橋ユウスケです」

 

「水橋……ということは橋の管理を?」

 

「ええ。宇治橋の管理をしているので、役職と共にこの名字で」

 

そこで慧音は、ふと思った。

 

“縁”という言葉は、こういう時に使うのだろうか、と。

 

「よければ甘味屋で話でもしないか」

 

「ええ。宇治橋の近くに、いい甘味屋があります。案内しますよ」

 

甘味と、くだらない話。

 

仕事の愚痴。都の噂。

 

気づけば慧音は笑っていた。

 

「……もうこんな時間か。夜更けだな」

 

「送りますよ」

 

「おっと、すまないな」

 

二人は宇治橋を渡った。

 

夜の川は黒く、静かで、どこか底が見えない。

 

その時――強い風が吹いた。

 

「しまった……!」

 

慧音の腕の中から、束ねたはずの紙が抜ける。

 

夜の風にあおられ、白い紙が舞い、川へ散っていく。

 

「書類が……!」

 

「大丈夫です。私がなんとかします!」

 

ユウスケは迷わず橋の縁へ身を乗り出した。

 

紙を掴んだ。

 

掴んだはずだった。

 

体勢が崩れる。

 

「……やべっ!」

 

「ユウスケ!」

 

落ちた。

 

水音が闇に吸い込まれる。

 

慧音は迷わず後を追った。

 

川下で追いついた時、ユウスケは意識を失っていた。

 

だが息はある。脈もある。

 

生きている。

 

「……なんとか追いついた。気を失っているが……息はある」

 

安堵と同時に、現実が襲いかかる。

 

書類はもう流された。

 

替えがきかない。

 

(私が罰せられるのはいい)

 

(だが、この男は私を助けようとしただけだ)

 

ユウスケの手は、まだ紙を掴もうとした形のままだった。

 

(正直者だ……)

 

(彼なら、責任を取ろうとする)

 

(私と会ったことを覚えていたら、“自分が落とした”と言いかねない)

 

慧音は決断した。

これは彼を守るための処置だ、と自分に言い聞かせた。

 

「……今日のことだけ、消す」

 

触れた額に、力を流す。

 

狙いは“自分と会った記憶”だけ。

 

――そのはずだった。

 

だが、冷たい水。夜の闇。焦り。罪悪感。

 

心の揺れが、能力の照準を狂わせた。

 

(消すのは……私のことだけだ)

 

(なのに――)

 

慧音の手のひらの下で、ユウスケの記憶が“ほどけて”いく感覚があった。

 

一本の糸ではない。

 

束になった糸が、まとめて抜け落ちていく。

 

(やめろ……!)

 

止めようとした時には、もう遅かった。

 

ユウスケの中から――

 

“水橋パルスィ”へ繋がる記憶が、抜け落ちた。

 

慧音は、その場で立ち尽くした。

 

自分が何をしたか、理解した瞬間、喉の奥が凍った。

 

(私は……取り返しのつかないことを……)

 

だが、そこへ足音が近づいてくる。

 

街道を歩く女性が、倒れているユウスケを見つけたのだ。

 

「そこの方……濡れていますが、大丈夫ですか?」

 

慧音は息を呑んだ。

 

説明すればいい。止めればいい。

 

けれど――恐怖が勝った。

 

自分がしたことが露見する恐怖。

 

責任を取らされる恐怖。

 

そして何より、“善意で始めたことが罪になった”現実への恐怖。

 

慧音は、逃げた。

 

ユウスケは女性に連れ帰られ、看病され、

 

やがて、恋をした。

 

パルスィの記憶がないまま。

 

そして、それを発見した水橋パルスィとのすれ違いが始まった。

 

探す者と、忘れた者。

 

愛していた者と、知らない者。

 

やがて、嫉妬は炎になり、

 

復讐は刃になり、

 

宇治の橋姫が生まれた。

 

悲劇の後、慧音は真実を知った。

 

自分が原因だったと、理解した。

 

その罪悪感の中で、慧音は“歴史”を変えた。

 

そして、橋姫から悲劇の記憶を奪い、

生き残った子を引き取り育てた。

 

回想が終わる。

 

慧音の声は震えていなかった。

 

だが、目だけが、疲れ切ったように揺れていた。

 

「……これが顛末だ。私に責任がある。最も思い出したのは数日前だが」

パルスィは、しばらく何も言わなかった。

 

怒りが爆発する気配もない。

 

ただ、胸の奥を確かめるように、ゆっくり呼吸していた。

 

「黙ってることもできたのに……どうして、わざわざ言いに来たの?」

 

慧音は目を伏せた。

 

「全部の責任を取りたかった」

 

そして、懐から小さな短刀を取り出し、床に置く。

 

刃は光を返し、静かにそこにあった。

 

「君が望むなら、これで私を好きにしてくれ」

 

「安心してくれ。地上のことは片付けてある。地底に私がいることは誰も知らない」

 

それは謝罪ではなく、

贖罪の形をした“許可”だった。

 

パルスィが、どう裁くか。

その答えだけを待つ覚悟だった。

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