パルスィは、慧音の告白を聞き終えると、ほんの小さく息を吐いた。
怒りが消えたわけではない。けれど、その怒りの形が変わっていた。
「……確かに、全ての元凶……ね」
「貴方がミスをしていなければ、宇治の橋姫の悲劇は無かった」
床に置かれた短刀へ、指先が伸びる。
ためらいはなかった。
刃を握り、立ち上がる。
空気が、わずかに冷える。
「歴史の改変、君の妖怪化、水橋一族の殺害……」
「私がミスをした影響は、数えればキリがないな」
パルスィは短刀を慧音へ向けた。
その腕は震えていない。
怒りに任せた衝動ではなく、意志としての刃だった。
だが、その刃が届く前に――
ユウスケの手が伸びた。
短刀の刃を、素手で握り止める。
じわり、と赤が滲む。
「……その女を庇う気?」
「私たちの仲を引き裂いたのよ」
緑の瞳が、ユウスケを射抜く。
それでもユウスケは手を放さなかった。
「……もう、パルスィが誰かを殺める必要はないと思う」
「私は……それを見たくない」
沈黙。
地霊殿の空気が、張り詰める。
パルスィはしばらくユウスケを見つめていたが、
やがて――ふっと、口元だけで笑った。
「……そこの先生が、本気かどうか試しただけよ」
次の瞬間、パルスィは短刀を手の中でくるりと回転させ、刃を下に向けたまま慧音へ返した。
まるで、最初から“渡すもの”だったみたいに。
慧音は短刀を受け取りながら、呆然と呟く。
「……いいのか?」
パルスィは視線を逸らさず、冷たく言い切った。
「勘違いしないで」
「貴方を完全に許したわけじゃない」
一瞬、言葉が途切れる。
その隙間に、胸の奥の痛みが覗いた。
「……ただ」
「貴方が死んだら、寺子屋の子ども達が泣くでしょう」
「大切な存在を失った子どもの悲しい顔を――」
「私に、もう見せないで」
その声には、妬みも怒りも混じっていた。
けれど同時に、確かな“抑制”があった。
壊したくなる衝動を知っている者が、
それでも壊さないと決めた声だった。
ユウスケは、握った刃の痛みを噛み締めながら、
ゆっくりと手を置いた。
さとりの声は、いつも通り落ち着いていた。
まるで、最初からこうなると知っていたかのように。
「……終わったようですね」
その言葉に、パルスィが鼻を鳴らす。
「悟り妖怪は結末が分かってたから、落ち着いて見てたわね」
さとりは肩をすくめるように微笑んだ。
「私でも、先生が話し終えるまで……あなたがどうするかは読めませんでしたよ。
正直、ずっとヒヤヒヤしてました」
「刺さないわよ」
パルスィは短く言い切った。
「新しい悲劇を作る必要なんて、どこにもないじゃない」
慧音が、どこか苦笑いのような表情を浮かべる。
「妖怪らしくない発言だな」
「うるさい」
パルスィは視線を逸らし、乱暴に髪を払った。
「妖怪になった原因が、そもそも誤解だったのよ。
……ちょっとくらい、人間らしくもなるわよ」
さとりはぱちんと手を叩く。
「はいはい。では解散しましょう。
皆さん、お元気で」
お燐が顔を出し、いつもの調子で言う。
「また来てねー。地霊殿はいつでも歓迎だよ」
その声に、ユウスケは小さく頭を下げた。
「……ありがとうございました」
パルスィは何も言わず、ただ一度だけ軽く手を振った。
それが彼女なりの区切りだった。
地霊殿を出ると、地底の空気が肌にまとわりついた。
熱と湿気、煤けた匂い。
それでも、さっきまでの部屋よりはずっと息がしやすい気がした。
帰り道。
ユウスケとパルスィは、並んで歩いた。
距離は近いのに、言葉は遠い。
互いに、何から話せばいいのか分からないまま、足音だけが続く。
先に口を開いたのはパルスィだった。
「……これで、全部判明したのかしらね。
宇治の橋姫の“結末”が」
ユウスケは一瞬だけ迷って、頷いた。
「多分……大筋は」
言いながら、胸の奥が少し痛んだ。
真実を知ったのに、軽くなったわけじゃない。
むしろ、重みの形が変わっただけだ。
「俺たちは夫婦だった。少なくとも、前世では」
パルスィが、ほんのわずかに目を細める。
それは怒りでも嫉妬でもなく、ただ確かめるような視線だった。
ユウスケは続ける。
「俺が慧音先生と出会って……事故で川に落ちた。
その時に、記憶が欠けた」
「欠けた、じゃないわ」
パルスィが淡々と訂正する。
「消されたのよ。私の存在を」
ユウスケは苦く笑った。
「……そうだな」
地底の道の先に、灯りが揺れている。
旧都の喧騒が、少しずつ近づいてくる。
「そのあと、俺は別の女の人に助けられて……
恋仲になって、子どももできた」
パルスィは、歩みを止めなかった。
止めたら、多分、心も止まってしまう気がしたから。
「私は、遠くから見てた」
声が少し掠れる。
「問いただすこともできないまま、勝手に“裏切り”だって決めつけて……
妬んで、恨んで、膨らませた」
ユウスケは何も言えなかった。
否定もできないし、肯定なんてもっとできない。
パルスィは吐き捨てるように言った。
「それで貴船神社。神託。宇治川。
妖怪になって……全部、壊した」
“全部”という言葉が、やけに重い。
壊したのは一族だけじゃない。
自分の人生も、相手の人生も、戻れない形にした。
ユウスケは静かに続けた。
「水橋の一族は……殺された。俺も、その女の人も」
パルスィの指が、服の端をきゅっと掴む。
その仕草だけで、彼女がどれだけ耐えているか分かった。
「……でも」
ユウスケは言葉を選んだ。
「子どもだけ、生き残った」
パルスィが小さく頷く。
「女が抱えてたからよ。
あの子だけは……最後まで腕の中に守られてた」
その言い方は、どこか他人事のようで、
同時に、ひどく優しかった。
「私はあの子を……殺さなかった」
パルスィは呟く。
「殺せなかった、が正しいのかもね」
ユウスケがそっと見ると、パルスィの横顔は笑っていなかった。
泣いてもいなかった。
ただ、疲れていた。
「それで慧音先生が、子どもを引き取って……
歴史を変えた」
パルスィは小さく息を吐く。
「伝承の宇治の橋姫を作って。
私から“余計な真実”を奪って……
自分の罪も、封じて」
ユウスケは、最後の部分を静かに付け足す。
「その子は歴史には残らなかった。
でも血は途切れなかった」
「だから、あなたがいる」
パルスィが、はっきりと言った。
「“水橋ユウスケ”の血が、巡り巡って。
同じ名前のまま、外の世界から忘れられ幻想郷に流れ着いた」
その瞬間、二人の足が同時に止まった。
旧都の灯りが、少しだけ遠く見える。
パルスィは自嘲するように笑う。
「……運命って、性格悪いわね」
ユウスケも、苦笑いで返すしかなかった。
「そうだな」
沈黙が落ちる。
地底の熱が、二人の間の空気を揺らす。
ユウスケは、胸の奥に残っていたものを、ようやく言葉にした。
「前世の私は、何も覚えてない」
パルスィがちらりと見る。
「でも」
ユウスケは視線を逸らさずに続けた。
「今の私は、逃げない」
パルスィの瞳が揺れた。
怒りでもなく、妬みでもなく――迷いだ。
「また、消えるんじゃないでしょうね」
「気を付けます」
ユウスケは即答した。
「勝手にいなくならない。
今度はちゃんと、話す」
パルスィは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……それなら、まあ」
言いかけて、彼女は言葉を飲み込む。
代わりに、いつもの調子に戻そうとするみたいに肩をすくめた。
「よろしく。あなた」
ユウスケは、少し驚いた顔をしてから、頷いた。
「……よろしく、パルスィ」
第1部完
作者です。
「地底スタートの幻想郷生活 修正版」を最終回まで読んでいただきありがとうございました。
今作の元となった「地底スタートの幻想郷生活」を書いてる中で、私自身このストーリーではつまらないと感じで今作を書き始めました。
前作とはストーリーとは違いますが、水橋パルスィを中心に話を書きたくて書いた次第です。
途中まではパルスィとの甘い話を書きたいとも思っていましたが登場人物達の過去(宇治の橋姫)について中心に書いたのは同時並行で連載している「純狐の息子は2度目の生で母を追う」を書いている中で幻想郷時代以前の繋がりなどを想像するのが楽しくなったからだと思います。
第1部は終わりましたが、少しずつ幻想郷での生活も連載を続けていこうと思います。
会社の残業が増えたため更新速度は落ちてますが、よろしくお願いします。