1か月後――――
東京
4月を迎え、新年度の新鮮な空気感に包まれた日中の都内。桜が散り、春服で過ごしやすくなった気温に絆されるよう、雑多な駅前にはラフで軽やかな格好の人々が目立ち始めていた。
自分もその1人である。待ち合わせのために泉楽町の最寄り駅前で佇んでいるその姿は、傍から見れば友人を待っているごく平凡な大学生などに見えたことだろう。
なんだか落ち着かず、前髪を弄ったり何度もスマートフォンで時間を確認したりする。それでもソワソワしてしまうことから、隣にあったショーケースへと移動して自身の身なりを再チェックした。
身長175cm。
服装は、上から下にかけて水色から黒色へと変化していくグラデーションカラーのニットシャツと、絞った裾がバネのように重なった見栄えが軽快である黒色のジョガーパンツ、あとは若者の間で流行っている焦げ茶色のカジュアルシューズに、アクセントとして首に下げているシルバーの十字架ネックレスというもの。
ショーケースに反射する自分の姿を見て、本当にこれで大丈夫だったのだろうか……? という不安を巡らせる。しかし、そんな内心を紛らわせるためにちょっとだけ良い顔をしてみたり、髪をちょっと直したりしていると、ふと背後の人混みから気になる足音と気配を感じて即座に振り向いたものだ。
……微かによぎった、形容し難い不思議な直感。“あの夜”に感じた何かを確かにキャッチしたのに、周囲を見渡してもそれらしき姿は伺えない。
気のせいだった……?
眉間にシワを寄せて、呆然と佇んでいく自分。だが、そうしていると次の瞬間、気を緩めた今を見計らうかのように視界の隅から“彼”が顔を覗かせてきた。
「ばぁっ!!!」
「うわっ!?」
185cmの身長を折り畳むような前傾の姿勢で、男性的な声音とは相反する無邪気な表情で驚かせてきた人物。“彼”は驚くこちらにご満悦な笑みを見せてくると、女性的な佇まいと仕草を交えながら、独特の面妖な雰囲気を纏いつつセリフを口にし始めた。
「うん! とても良い表情ね! 貴方、良かったら俳優もやってみないかしら?」
「ら、ラヴさん……っ!」
ブラックパールのような黒い瞳を光で反射するように輝かせて、男性的なエロスと女性的なエロスの双方を織り交ぜた色気を放ちながらラヴは言葉を続けてくる。
「集合場所に着いてみたら、緊張している様子の貴方が見えたものですから。緊張を和らげるついでに貴方がどんな反応をしてくれるのか気になって、試しにちょっと驚かしてみちゃった!」
「ほ、本当にビックリしましたよ……! さっき、ちょっとだけラヴさんらしき気配は感じたんですけど。気付いたらこんな驚かされ方をするなんて」
「気を悪くしたなら、ごめんなさいね。これから会うのにお詫びって言うのも変だけど、事務所の可愛い女の子達とたくさん喋らせてあげるから、それで許してちょうだい。ね?」
本心らしき謝罪に、ラヴは眉をひそめながら申し訳無さそうに手を合わせてくる。自分としては別にそれで腹を立てたわけではないものの、それとは全く異なる“ひとつの恐怖心”が胸の内に残って仕方が無かったのだ。
……気配を察知できる感覚の鋭さは正常だった。現に、接近してくる彼の気配は確かに感じ取れていた。しかし、こんな至近距離まで迫ってきた彼の急接近には気付くことすらできなかった。気配を殺し、音も無く、意図的にあらゆる存在感を打ち消しながら忍び寄ってくるそれは、紛れもなく“影そのもの”を目の当たりにしたようにも感じられる――
「立ち話をしていてもしょうがないから、事務所に向かいながら話しましょうか!」
「あ、はい! 本日はよろしくお願いいたします」
「えぇ、よろしくね。一応、念のため確認だけど。今日は社内見学という予定になっているから、そんな気を張らなくてもいいわよ? ……スカウトを受けたからといってすぐ入社しても、もし自分に合わないってなったらお互いに大変でしょう? 今日はその下見として、この会社が自分に合うかどうかしっかり見てもらうつもりの見学ということでよろしく」
「詳細にご説明いただきありがとうございます」
「それじゃあ行きましょうか」
歩き出したラヴが、影のような黒色ロングコートをなびかせながら先頭を往く。春の日差しに背を押され、暖かな空間にその一歩を踏み出した自分は、ついてくるよう手で促してくる彼の傍について共に歩を進めたものだ。
「事務所に到着するまでの間、会社概要を軽く説明しておきましょうか」
交通機関と有象無象の人間が行き交う忙しない街道。その歩行者通路を歩き進めていく中で、ラヴはロングコートのポケットに両手を入れ、左目を隠した前髪を揺らしながら言葉を続けてくる。
「株式会社『龍明』は、創業から間もない新規事業の芸能プロダクションよ。主な事業内容は、所属しているアーティストや俳優のプロデュース、マネジメント、サポートなど。所在地は、この最寄り駅から徒歩8分。代表者は、取締役社長のこの私、生神ラヴ。従業員数は、プロデューサーが1名、事務スタッフが1名、グループ活動している女性アーティストが4名、イケメン俳優が1名、そしてボディガードが1名の計8名」
「ボディガード?」
自分がその枠でスカウトされたにも関わらず、意外に感じてつい驚いてしまう。
「俺以外にもいらっしゃるんですか?」
「いるわよ~、腕の立つ変わった子が。……そろそろ貴方には話しておかないといけないのだけど、私の芸能プロダクションって“少しワケありの子”を集めた事業なのよ」
「ワケありの子……?」
「世間が考える一般的な常識の世界で生きられなかった子達を私は預かっていて、そんな子達が表社会で輝けるようにと思って起業したのが、株式会社『龍明』誕生の起源なの。で、彼女達が不遇な運命を辿る中で関わってきた勢力というのが、やっぱり表の世界ではあまり声を大にして言えないような連中ばっかりでね。所謂“反社”とか呼ばれている界隈から、あの子達は目をつけられていたりするのよ」
「それは……気の毒な話ですね」
「私の会社に入りたくなくなったでしょう?」
「…………」
この展開になることはラヴも承知していたらしく、言葉を詰まらせるこちらの様子を彼は苦笑しながら眺めてきたものだ。
「だから、無理強いはしないわ。私の会社に入れば、その関係者として貴方も少なからず目をつけられてしまうでしょうから。私としても、貴方が無理な選択をして傷付く姿を見たくないの」
「そのボディガードが俺である必要はあるのでしょうか?」
「貴方をスカウトした理由はね、格闘術の腕はさることながら、そんなワケありの子達が相手でも、貴方はきっと分け隔てなく優しくしてくれると思ったからなの」
「どうしてそこまでして、初対面である俺のことを評価するんですか?」
「貴方の人間性に、光を感じたから。……これは返答になっているかしら」
「ありがとうございます。――会社見学の場を設けてもらった立場の人間として、本日は最後まで御社を見学させていただきます」
「厄介事に付き合わせてしまってごめんなさいね。……ありがとう」
最後の一言はボソッと呟かれ、自分は車道の音で聞き逃してしまう。だが、ラヴのどこか安心したような表情に心配の必要は無さそうだと判断して、この話は一旦お終いになった。
会話をしていると、徒歩8分の道のりもあっという間である。街道に直面する、乱雑に立ち並ぶビルの光景。その一部となって一緒に肩を並べていたひとつのビルの前でラヴは足を止めると、それを見上げながら言葉を口にしてきた。
「目的地に到着よ。ここが私の事務所、芸能プロダクション『龍明』」
彼と共に顔を上げていく。するとそこには、1階部分がガレージになった5階建てのビルが佇んでいた。
ガレージには1台の白いスポーツカーが格納されており、その建物にただならぬオーラを付与している。仕切りの壁を挟んだガレージの隣には、事務所の入口があるのだろう2階に続く階段が伸びており、その頭上の縁に『芸能プロダクション龍明』と書かれた看板が取り付けられていた。
芸能プロダクションを前にしてみると、途端に言い知れない緊張を抱いていく。やはりとも言うべきかこの手の界隈にはどこか崇高なイメージがあるため、一般人が踏み入る世界ではないという先入観がどうしても拭い切れないのかもしれない。
こちらの様子を逐一と感じ取るラヴは、自ら進んで階段前に移動してから「ついてきてちょうだい」と声を掛けてくる。その声を受けて動き出した自分は、ハッと我に返るように意識を取り戻してから慌てて駆け寄ったものだ。
芸能プロダクション『龍明』の敷地に入り、ラヴの下に追い付く。同じ頃合いに空気は一変し、春の陽だまりが射す暖かな空間にどことなく物寂しい風が吹いているようにも感じられた。
雑多な街中の音は遮断され、静けさを纏った刹那の中を生きる。共にして階段を上り始めたラヴと、それについていく自分という構図が生まれると、次にもラヴはいつも通りの声音でその説明を口にした。
「今日は珍しく予定が立て込んじゃって、8人いる従業員の内の5人が不在なの。いないのは、プロデューサーとグループリーダーの女性アーティスト1人、それとイケメン君の俳優さんに、付き添いで同行しているボディガード君ってところかしら。事務スタッフの子は今日が公休日で、存分に羽を伸ばしているでしょうね。……いつもは人がいっぱいいるのに、社内見学に来てもらうタイミングにこれでほんとごめんなさい」
階段を上り終え、2階の事務所と繋がるドアの前にやってくる。先のセリフでラヴは苦笑しながらドアノブに手を掛けていくと、それを捻ってドアを開けながら続きの言葉を口にしてきた。
「けれど、今日は龍明が誇る駆け出しの美人アーティスト3人が来ているわ。みんな、貴方の到着を心待ちにしていたから、大いに期待してちょうだい」
開かれたドアの先。視界には一直線に伸びる廊下が奥まで続いており、突き当たりに3階へと上る折り返し階段が存在している。その脇には化粧室や倉庫といった類の部屋に繋がる扉が見受けられたが、一番に注目するべきは廊下の左手、間仕切りと思われるガラス張りの壁の向こうにはオフィスが広がっており、そこには事務机の他にテーブル、ソファ、テレビモニターといった生活感ある部屋が存在していた。
そこで過ごしていた“3名の女性”が、ドアの方へと向いてくる。開幕から顔合わせとなった展開に心の準備ができていない自分は面食らっていると、引き続きラヴの案内でその部屋へと導かれ、間仕切りに設けられた扉を開いてオフィスの中へと通された。
3名の女性から注がれる眼差し。それぞれ、ちょこんとソファに座ってスマートフォンを操作していた可憐な美女と、テーブルの上にファッション誌を散らかしながら向かいのソファに座ってマニキュアを塗っていたイケイケな美女、そして佇みながら窓際に置かれた観葉植物に水やりをしていた妖艶な美女という、見事に属性の異なる面子がこちらに注目していたものだ。