ある日、瞼を閉じたら不思議に出会った   作:バルバルさん

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口 兄 11 ノ 動画 

 時刻は四時四十三分になったところ。夜明けが近づき、闇が少しずつ弱まる中途半端な時間。そんな時間に、とある女性の部屋に明かりが灯っていた。

 

 その部屋には、つまみの菓子やら酒の缶やらが転がり、女性のすすり泣く声が響いている。

 

「何がお前だけしか見ていないよぉ……女遊びに明け暮れているくせにぃ……」

 

 そんな独り言をぶつぶつと言いながら、酒をあおり、つまみを齧る女。彼女はちょうど前日の夜、会社からの帰りに別の女と仲睦まじく歩く彼氏の姿を見てしまったのだ。

 

 手をつないで、自分がプレゼントしたのとは違う服を着て駅前を歩くその姿は、完全に自分に対する裏切りだ。その写真をRainで送りつけるも、既読の付いた後反応は無く、ああ終わったんだな……と失恋を感じて。

 

 それからコンビニに走って、酒とつまみを買いあさり、朝まで飲んでいる次第のこの女性。

 

 見てもいないテレビでは、早朝を知らせるニュースがやっていて、自殺未遂がどうのとか、自殺配信かどうのだとか、色々なことを言ってるようだが、気にもしない。

 

 涙を流しながら、パソコンの置いてある机の前で酒をあおる女。ふと鼻が異臭を感じた。

 

 時刻は四時四十四分。

 

 酒の香りとも、つまみの香りとも違う臭い。なんというか、磯の香りをもっと嫌な感じにしたかのような、そんな臭い。

 

 すると、パソコンが自動で立ち上がる。起動のボタンも押していないのに。それを酔いの回りよく回らない頭で眺めていると、マウスカーソルが、インターネットブラウザを立ち上げた。マウスも触っていないのに。

 

 そして、体を動かそうとして気が付いた。体が1ミリも動かないのだ。酔いが回りすぎたのだろうか。

 

 いや酔いが回ろうが勝手にパソコンは起動しない。

 

 そして、検索ワードがキーボードを触っていないのに打ち込まれる。

 

 

『口 兄 11 ノ 動画』

 

 

 パソコンの画面が暗転する。どうやら、全画面表示の動画サイトに飛んだようだ。

 

 その動画は、輪の付いたロープが机の上方向、天井からつり下がっている、アパートの部屋を外から映したもので。とても不気味だ。その映像が三十秒ほど続いた後、次の動画が読み込まれる。

 

 次の動画では、机の上に立ち、その輪で首を吊ろうとする一人の男性が映っていた。首を吊る瞬間は映っていなかったが、非常にゾっとする動画だ。

 

 そして、もう一回動画が読み込まれ、画面の前方、ちょうど自分を見るようにその首を吊ろうとしていた青年が映る。

 

 その手が画面に向かって伸びる。いや、画面を通り抜けて自分の首へと伸びる。逃げなくては。そう心も本能も訴えかけるのに、体は動かない。

 

 その手が首に触れた瞬間。唇だけ、少し動くことができた。

 

「もっと冷たいかと思ったけど、意外と温かいね」

 

 女が感じ、唇から発したのは、そんな場違いな言葉だった。

 

 こういう超常現象の生物は、もっと冷たいかと思ったが、女は意外な事に温かみを感じたのだ。

 

 すると、画面の向こう。手の主は……

 

 

 今日も今日とでヒーヒー言いながら仕事をこなした後の、お昼ご飯の時間。

 

 朝お弁当を作ることも無いため、コンビニで買ったサンドイッチ等が私のお昼ご飯である。

 

 今日は私の仕事仲間であり、友人の真奈美と一緒にお昼ご飯を食べようかなとRainを送った後に、広い休憩室へと向かう。

 

 彼女は最近、体調があまり良く無いらしく、ここ一週間ほど休みがちだったので、少し心配だったのだ。

 

 噂では、彼氏さんと嫌な別れ方をしたと聞いた。それで体調を崩したのなら友人として元気づけなければ。なんてちょっと心を正義感に燃やしながら、彼女に出会うと驚いた。

 

 なんというか、幸せそうな表情をしているのだ。目を細め、愛おしそうに首に巻いている冷却ネックバンドを撫でている。

 

 さらに私を驚かせたのは、彼女の前にある手作りのお弁当だ。彼女は私と同じくコンビニでご飯を済ませていたはず。

 

 これは一体どういう事だろう?

 

 なんて疑問に思いつつ、彼女の前に座る。

 

「真奈美。待たせちゃった?」

「あ、八重子。大丈夫だよ」

 

 そして軽く食事前の会話を始める。あの部長がどうの、あの新人の子がどうの……と。だがなんだろうか。この違和感は。

 

「そういえば真奈美。今日はお弁当なんだね」

「うんそうだよ。彼に作ってあげたお弁当の残りを突っ込んだだけなんだけどね」

 

 なんて笑う彼女に少し安心した。どうやら、失恋の痛みで休んでいたわけじゃないのかもしれない。

 

「ということは、彼氏さんとはうまくやってるの?」

 

 そう問うと、彼女は視線を落とし。

 

「前の彼氏とは。別れた」

「え」

「そういえば、八重子には言ってなかったね。別れたの。前の彼とは」

 

 聞いてしまったことを後悔しつつ、だが違和感は強くなっていくばかり。

 

 前の彼という事は、今は違う男性と付き合っているのだろうか。

 

「という事は、今は別の人と?」

「そうだよ。とっても優しくて、とっても暖かい人と出会えたんだ」

 

 そういう彼女の表情は、これ以上なく幸せそう。だが、違和感は強くなるばかりだ。

 

 何にこんな違和感を覚えているのかと思えば、お弁当だ。

 

 お弁当から、嫌な臭いを微かに感じるのだ。そう、最近不気味なことが起こるときに感じるあの嫌な臭いを。

 

 それに、よく見れば真奈美の顔色もどことなく悪いし、少しやせているように思える。

 

「ねえ、真奈美」

「え?」

「その彼氏さん、会ってみたいなぁ……なんて」

 

 そう聞いたのは、好奇心からではない。この臭いを感じる時というのは、大抵ろくでもない事に巻き込まれている証だからだ。

 

 真奈美も、もしかしたら何か妙な事に巻き込まれているのかもしれない。巻き込まれたいわけではないが、友人が事件に巻き込まれていると知りながら無視はできない。

 

 真奈美は少し渋ったものの、真奈美と私の仲という事で、会わせてくれることになった。

 

 その日は奇跡的に早めに仕事を終わらせることができ、真奈美のアパートへと向かう。彼女はやっと仕事が終わり、彼に会えるとのんきな様子だが、その足取りはおぼつかなく、少しふらついているように見える。

 

 やはりおかしい。私は不安に音を立てる心臓を、数回の深呼吸で落ち着かせ、彼女の部屋に入る。

 

 強くはない。だが、確かに感じる、あの嫌な臭い。部屋の奥へ行くと、そこにはパソコンが乗っている机が。

 

 そこに映っていたのは。

 

「やあ真奈美。早かったね」

「ただいま、ヒロトさん」

 

 画面に映っていたのは、顔色の悪い男性。透明なコップに入った飲み物を飲みながら、こちらに手を振っている。

 

 だが、私を見ると驚いた様子で。

 

「あれ、その人は?」

「ああ、私の友達の八重子よ。ほら八重子。この人が私の彼氏のヒロトさんだよ」

 

 そう聞いて、ビデオ通話かー。なんて現実逃避しかけるがどうもおかしい。ヒロトとかいう彼は、見ていればパソコンの前のボトルからコップに飲み物を注いだのだ。

 

 つまり、あのパソコンの画像はこちらとつながっている。

 

「え、えっと?」

「ああ、驚くよね。でも安心して八重子。この人はとっても優しいし、話していて、胸が暖かくなるんだ」

「照れること言うなよ真奈美。でも嬉しいよ」

「真奈美。このパソコンの向こうの彼は……えっと、何?」

「だから、ヒロトさんだよ。なんでか知らないけど、パソコンの中に閉じ込められているんだって」

「はぁ」

「あはは、信じられないかもしれないけど。パソコンの中の存在だよ。まあよろしくね。」

 

 きっと、間抜けな顔をしている私に苦笑しながら彼は話しかけてくる。その声色は、なるほど。優し気で敵意がない。

 

 そこから、何を話したのかはうっすらとしか覚えていないが、話している中で少なくともこの画面の向こうの存在が、真奈美を害する存在とは思えない自分がいた。

 

 なにせ目に光があり、こんなに真奈美と幸せそうに話し合える存在。これが演技ならしばらく私は男性を信じられないと思う。

 

 もしかして、これは大丈夫なのかな?

 

 と思いながら彼女に見送られ、自分の家へと帰った。

 

 そして、ネットで動画を見た後、ゆっくりと瞼が落ちてきた。

 

 ああ、今日も疲れた。

 

 

 瞼が、ゆっくりと上がる。パソコンの前でうたた寝をしてしまっていたようだ。表示時間を見れば、時刻は四時四十四分。

 

 すると、マウスカーソルが勝手にパソコン上を動くではないか。びっくりしてマウスを掴むが、動きは止まらない。

 

 そして、動画サイトの検索欄にワードが打ち込まれる。

 

『口兄 11 ノ 動画』

 

 すると、画面に映ったのは。

 

「こんばんは、八重子さん」

「え、ヒロトさん?」

 

 そう、昼間話した相手のヒロトさんだった。その表所は少し暗く、顔色の悪さと相まって不気味さが強い。

 

「どうしたんですか? っていうか。どうやって?」

「ああ、どうやってあなたのパソコンを操作したのか。それは、俺にもわからない。だって、俺は呪いの動画だから」

「え」

「そう、俺は真奈美を呪い殺す、呪いの動画なんだ」

 

 そういう彼の表情は、辛く悲しげだ。どういう事だろうか。

 

「どういうことですか?」

「ああ、俺はいわば、病原菌みたいなもの。パソコンがつながる場所で、超低確率でかかるコンピューターウイルスみたいなものさ」

 

 そう吐き捨てるように言った後、彼は私をまっすぐ見て。

 

「かかったコンピューターに俺は映され、見ている相手を殺す。それが俺という存在だ」

「なら、真奈美を」

「そう、一週間前、俺は真奈美を殺そうとした」

「……っ!」

「でも、できなかった。俺は、真奈美を殺せなかったどころか、こんな想いまで抱いてしまった」

 

 理解が追い付かない。ヒロトさんは、呪いの動画で真奈美を殺そうとしたけどできなくて、しかも恋をしたの?

 

 混乱する脳をゆっくりと落ち着かせていると、ヒロトさんは続ける。

 

「一週間は大丈夫だったんだ。彼女は俺といると幸せそうにしてくれて、俺も彼女といると幸せで。こんな思いを、呪いである俺がしていいのかと思えるくらいだった。でも、そろそろ真奈美が限界かもしれない」

「えっ」

「呪いと一緒にいて、普通の人間が普通でいられるわけがなかったんだ。彼女の魂は、俺と一緒にいて疲れてきている。俺は、存在するだけで彼女を蝕むんだ」

「なら、あなたがあのパソコンから消えれば……」

 

 その言葉に、彼は辛そうに首を振る。

 

「無理だ。俺は彼女が死ぬまであのパソコンからは移動できない。何故かはわからないけどね」

「そんな、なら真奈美は」

「だから、一つ方法を試してみようとしたんだけど、これも無理の様だ」

「方法?」

「真奈美以外の誰かを殺すこと」

 

 その言葉が、画面の向こうから発せられた時、磯の臭いを腐らせたかのような臭いが強まった。

 

 私は、反射的にパソコンの前から動こうとしたが、体が動かない。

 

「そう、俺は君を殺すために、今日このパソコンに分身を送ったんだ」

「……っぁ」

「はは……俺は呪いだから。誰かを殺すなんて何とも思わないハズなのに。彼女も君も殺せない。真奈美の友達は殺せない。まったく、呪い失格だな」

 

 すると、体の硬直と嫌な臭いが消えていく。

 

「ごめんね、怖がらせちゃって。でも信じてほしい。真奈美を、殺したくないんだ」

 

 そんなの、身勝手だよ。

 

 そう言おうとしたが、恐怖から来た疲れからか、瞼が落ちていき、私は闇の中に落ちていく。

 

 だが、落ちきる瞬間。ふわりと、暖かい何かが、私を包んでくれた気がした。

 

 

 目を覚ませば、朝日が差し込んできていた、体の調子は悪くない。あんな夢を見たのに。

 

 いや、あれは夢なんかじゃないような気がする。そう、間違いなく、ヒロトさんは、真奈美を蝕む存在だ。

 

 でもどうすればいいんだろう。昨日の、あの幸せそうな二人を見て、ヒロトさんの辛そうな表情を見て、ただヒロトさんに消えてもらうのは違う気がする。

 

 どうすれば良いんだろう。顔を覆う。すると手に、何を持っているのに気が付いた。これは切符とメモ帳?

 

 メモ帳には、こう書かれていた。

 

『彼の呪いを解くのは君じゃない。でも、手助けできるのは、君だけだ』

 

 どういう事だろう。そして切符を見る。なんというか、触っているだけで、気分がすっとするような、そんな神聖な感じのする切符だ。

 

 その切符に書かれた着発の場所を見て、多分だけど、やるべきことが解った気がする。

 

 間違っているかもしれないけど、今より悪くなることは無いはずだ。

 

◇◇

 

 今日の仕事は休み。ゆっくりとパソコンの中の彼といられる。

 

 こんなに幸せな気分になれて良いのだろうか。そんな思いが浮かぶくらい幸せだ。

 

 とん、とんと今日のお昼ご飯に肉じゃがを作ってみる。料理系女子ってわけじゃないけど、彼はおいしいって言ってくれる。おいしいって表情をしてくれる。だから作る。

 

 ふと、玄関のチャイムが鳴ったのに気が付いた。誰だろうか?

 

「真奈美」

「八重子?どうしたの」

 

 やってきたのは友人の八重子だ。連絡もなしに……どうしたのだろうか?

 

 とりあえず、部屋に上げる。

 

「真奈美、実はね」

「だから何?」

「ヒロトさんと真奈美に、渡さなくちゃならないものがあるの」

 

 そう言って押し付けてきたのは、一枚の切符。

 

 頭にはてなマークを浮かべながら、発着を見れば。

 

 

『口 兄 11 ノ 動画 発 =>土野 博人 行』

 

 

 と書かれていて、さらに疑問符が大きくなる。これは何かのいたずら?

 

 いや、八重子はそんなことする性格じゃない。なら一体?

 

「八重子、これは?」

「これは、ヒロトさんを、真奈美と一緒に呪いから救う切符」

 

 そして、八重子はパソコンの画面で、その切符を凝視するヒロトさんに言う。

 

「ヒロトさん。いえ、貴方の名前は本当は土野博人さんですね」

「……っぁ。そ、の、名前」

「博人さん。あなたの本当の名前を偶然知ることができて、少し調べました。そしたら、あなたは自殺未遂で今、病院にいるんです」

「ど、どういう事?」

 

 八重子が言ってる意味がさっぱり分からないけど、何かが起こってる事だけはわかった。

 

 ヒロトさんの本名……一体、どういう事なんだろう。

 

「ヒロトさんが、博人さんで、自殺未遂で?」

「真奈美も聞いて。博人さん。あなたの自殺未遂は、ちょっとしたニュースになっていました。自殺を、録画して配信しようとしていたと」

「……ぅ、ぁ」

「でも、違ったんですよね」

 

 そして八重子は新聞紙を見せてくる。そこには、自殺を強要したという事で、逮捕者が出たという旨の記事があった。その被害者の名は、土野博人。

 

「貴方はとある大学でいじめられていて。自殺未遂の配信なんてさせられて……」

「そんな、そんなことが」

「そして、あなたは世の中への恨みを、今あなたが縛られてる動画にしたんです」

「俺は、そうだ、俺は」

 

 すると、ヒロトさんは苦しそうに首をおさえた。

 

「苦しかった。なんで俺が。なんで俺がと、恨みと呪いを、画面にぶつけたんだ。そしたら、ここにいて」

「ヒロトさん……」

「真奈美。俺は呪いの動画だ。自分がされた苦しみを、誰かにも味わってほしかった。だから、君のパソコンに現れたんだ」

「うん、でもあなたは。私の心の隙間を埋めてくれた」

「ああ、そして君は、俺の心の隙間を埋めてくれた。でも、君も気が付いているだろう? 俺がいることで、自分の体が、魂が疲弊してる事」

「……それが、何?」

「え」

「あなたは、私の料理を幸せそうに食べてくれた。あなたは、私と一緒にテレビ番組で笑ってくれた。あなたは、一週間で、何か月分の幸せをくれた。それに、あなたの手は温かかった」

「真奈美」

「少なくとも、あなたにそばにいてほしいと思ったの。思ったのよぉ」

 

 気が付けば、私は涙を流していた。いや、ヒロトさんも泣いていた。

 

 一緒にいたい。でも、呪いと生ける者という違いがそれを阻んでいる。

 

 そんなの、わかってるのに。

 

「真奈美」

 

 すると、八重子が優しく私の肩をたたいてくれた。

 

「あなたたちが、別れずに一緒にいられる方法。それが、この切符なの」

「どういう、事?」

「真奈美、博人さんに、この切符を」

 

 そう言われたので、ヒロトさんに切符を手渡す。

 

 すると、どこからか電車が来る音がした。カタン、カタンと。

 

 だが、付近に列車なんて通っていない。どういう事だろう?

 

 きょろきょろとしていると、ヒロトさんのいる画面にひとり、新しい人物が現れたではないか。

 

「こんにちは」

 

 その人物は、まるで駅員さんのような服装をしている、初老の男性だった。

 

「切符を拝見」

「え、あ。はい」

 

 ヒロトさんも、目を丸くしていたが、半ば呆然と切符を手渡す。

 

「はい、この世界発、土野博人さんの世界行ですね、了解しました」

「え、ちょ、ちょっと。あなたは、どなた?」

「私ですか?私は、世界の車掌ですよ。いろんな世界、いろんな時代に、旅人を運ぶ、世界の車掌です」

「はあ」

「さあ行きましょう、博人さん。あなたの世界も限界が近いようですから」

 

 すると、画面が輝きだした。私も八重子も目をつむる。

 

 その光が晴れたとき、パソコンの画面は、普通の画面に戻っていた。

 

「あ、れ。ヒロトさんは?」

 

 呆然と呟き、パソコンの画面を触るが、向こうには何もない。

 

 ヒロトさんはどこかへ行ってしまったのか?

 

 そう思っていると。八重子が腕をつかむ。

 

「八重子?」

「真奈美、悲しむのは早いよ。来て」

 

 そう言って、彼女は私を引っ張って、県をまたいで離れた場所の病院へと。

 

 その間、涙を流し、呆然とする私を元気づける言葉を言っているようだが、今は心に届かない。

 

 だって、ヒロトさんが居なくなったのだから。

 

 そして病院につくと、その病院では少し看護師さんが慌てていた。

 

 そして、八重子が看護師さんたちが出入りする部屋の名前を、指さす。

 

『土野  博人』

 

 

 ここからのことを、私の口から語るのは野暮かもしれないが。

 

 一週間以上目覚めなかった彼の第一声は、真奈美の名前で。

 

 初めて出会ったはずなのに、初めてじゃないような気がするという不思議そうな表情だったが、博人さんは自分のために泣いてくれる女性の存在に感動し、さらに無意識にこう言った。

 

「肉じゃが、食べ損ねちゃったね……って、アレ?」

 

 首を傾げつつも、自分の名を呼び、泣く女性にあたふたする博人さん。あとは二人の物語だ。

 

 そう思い病室から出ると、窓に薄っすら映るのは、旅人さんと、車掌さんの顔。

 

 その顔に、ペコリ、と礼をすると、その顔は消えていて。

 

 さて、今日は別の県まで来てしまったが、何を食べようかな?なんて思うのでした。

 

 

「さて、車掌さん。ご協力感謝します」

「いやいや、この世界のこの時代で、旅の電車に乗るのは君達の一族くらいだからね。これくらいはサービスするよ」

「……しかし、博人さんが羨ましいな……」

「旅人さん」

「どんな形であれ、名前があるというのはいい事です。俺には……」

「ですが、君には、歴代の旅人には無いものがありますよ」

「……え?」

「どんな理由があれ、どんな理由であれ、貴方のように旅人が物語に介入できる事、それはすごい事ですよ?」

「……それは……」

「他の旅人は、どんな理由があってもそれができなかった。摩訶不思議や奇奇怪怪の怪異に巻き込まれて、大切な人が連れ去られてもね」

「……」

「君は救える。いや、何度も救った。だから、きっと……いえ、私は、世界の車掌。これ以上の介入はご法度ですね」

「いえ、ありがとうございます」

 

―――呪いの動画に捕らえられた魂は、正しい体に戻った。

   なら、戻るべきものを失った「何か」も、きっといつか……

   私は世界の車掌。そのいつかがこの青年に来る日を願うくらいは、いいですよね。

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