目を開けた瞬間にボクの網膜に飛び込んできたのは、廃墟と化した巨大冷凍室であった。いや、冷凍室だった場所と言うべきか……。天井も壁も破壊されてなくなり、ボクの頭上には大きな青空が広がっている。しかし、頭上に向けていた視線を横へと移動させると、そこには大破した飛行機の残骸が鎮座していた。
信じられないことに――ジャンボジェット機がこの場に墜落してきたのだ。いや、信じられないことにというのは真実ではない。むしろ、こんなこともあるのかと納得した気分だった。そのボクの周囲だけが幸運にも被害を免れたように無傷であり、それ以外は墜落の衝撃とエンジン部の爆発による爆炎によって見るも無残な惨状を晒している。ボクがそれを冷静に見つめていると、外から大量の選挙管理委員が押し掛けてきた。長者原が指揮を執って大きな声で指示を出しているのが聞こえる。
「総員で名瀬さまと月見月さまの救助にあたれ!」
「必要ないよ」
「月見月さま!?ご無事でしたか……」
ボクの声に振り向いた長者原は驚いた表情を見せた。辺り一帯すべてが根こそぎに破壊された中、ボクの周囲だけが奇跡的に被害を免れていたのだから。墜落した機体からも瓦礫からも爆発の衝撃や爆炎さえもがボクの身体にだけは害を及ぼすことは無かったのだ。偶然にも機体や瓦礫の雨のコースから外れていたのかもしれないし、冷凍室の棚が盾になったのかもしれない。理由なんてどうでもいい。偶然での事故では、人為的な意志の篭っていない危険ではボクを傷つけることはできないのだ。
それが「他人の幸運を奪う」ボクの過負荷(マイナス)――『壊運(クラックラック)』
そして、幸運を奪われてしまった名瀬さんはというと……
「名瀬さんはツキがなかったみたいだね」
トラックの正面衝突にも耐えられる防護服も、さすがにジャンボジェット機の正面衝突には耐えられなかったようだ。不幸にも名瀬さんの身体は見るも無残な姿へと変わっていた。蘇生の余地も無い現状に長者原は首を振り、選挙管理委員会の生徒達に救助の中止を告げる。飛行機の乗客も全員が死亡していたようだ。
『抑え込まれ、負荷を与えられ続けてきた瑞貴ちゃんの過負荷(マイナス)、解き放たれたその規模は僕の想像以上だったみたいだね』
爆風で吹き飛ばされたのか、向こうから球磨川さん達がこちらへ歩いて来ているのが見えた。その声に反応して視線を向けた瞬間、ボクの目が驚愕に見開かれる。何だあの、黒神めだかの埒外なまでに高い運勢は……!過負荷(マイナス)を取り戻したから今だからこそ分かる。
――黒神めだかの幸運値は常識どころか非常識をも超えている!
ボクの目は他人の幸運の度合い、いわゆる運勢というものを見ることができる。異常者(アブノーマル)の連中は運の総量が一般人(ノーマル)に比べて大きい場合が多いが、黒神めだかはそういった次元の問題じゃない。総量もそうだけど、何より内から滲み出る幸運の質が測り知れないほどに優れているのだ。おそらくはボクでも扱いきれないほどに……。ボクの過負荷(マイナス)でも奪うことのできない一段階上位の運勢。
――運命、とでも言うべき代物
「く、くじ姉……」
「名瀬師匠!?」
ふと横を見ると黒神めだかが口元をわなわなと震わせながら名瀬さんだった物を見つめていた。その顔は酷く青ざめており、追いついてきた善吉くん達もすぐに同じ表情へと変わる。
『長者原くん、そろそろ戦挙結果の発表をしてくれないかな?』
「球磨川!貴様、そんなことを言っている場合か!」
まるで何事も無かったかのような笑顔で尋ねた球磨川さんの胸倉に黒神めだかが掴み掛かった。もちろん球磨川さんは意にも介さない。むしろ、より愉しそうに無邪気な笑みを浮かべて両手を大きく広げてみせた。
『おいおい、これは厳正なる戦挙の結果だろう。それに名瀬さんの身が心配なら書記戦なんて棄権させればよかったんだ。ルールを聞いて命賭けの勝負だとわかってたはずだしね。この結末は君の責任でもあるんだよ』
「き、貴様というやつは……!」
『まあ、戦挙の結果は厳粛に受け止めなきゃね。それが僕らに課せられた義務なんだよ。ということで長者原くん。結果を宣言してもらっていいかな?お腹も減ってきたし、早く終わらせてみんなでファミレスに行きたいんだからさ』
「え、ええ……そうですね。では、生徒会戦挙書記戦の結果を発表いたします」
球磨川さんの言葉に気を取り直したような長者原がこの場の全員に対して顔を向け、高らかに宣言する。
「生徒会戦挙書記戦は――試合続行不能により勝負なし!引き分け、とさせていただきます!」
意外な裁定に周囲がざわめきに包まれた。ただし、黒神めだかはいまだ名瀬さんの死に呆然とした表情を浮かべたままだ。そして、勝敗に納得がいかないのか志布志たちが長者原に食って掛かっていた。
「おいちょっと待てよ!どう見てもあたしらの勝ちだろ!生き残ってんのが月見月先輩だけなんだしよー。あんた、マイナス十三組に不利な判定をするってんなら……」
『めったなことを言うものじゃないよ、志布志ちゃん。それにこれは公平な判定だよ。そうだろ?』
「ええ、もちろんです。この勝負は相手の着衣をすべて脱がした方の勝ちとなりますが、さすがは耐熱性・耐衝撃性に優れた名瀬様の防護服とでも言いますか。この爆発でも、中身はともかく衣服の方は無事のようです。さらにルール上、相手の生死は勝敗に関係ありません」
長者原の言うとおり、ボクは名瀬さんの着衣を脱がせてはいない。だからボクはまだ勝利していないのだ。
「さらに、戦挙会場であるこの冷凍室がこの有様では復旧など夢のまた夢。この状況では戦挙を続行することはできません。よって、戦挙のルール通りに進行することのできたのは飛行機の墜落直後までであり、その結果として引き分けという事にさせていただきました。異存はありませんね?」
そう言って長者原はボクら全員を見回した。生徒会メンバーはすでに結果などどうでもいいといった様子だし、マイナス十三組のみんなも渋々納得したようだった。だけど、自分でやったこととはいえ飛行機が学園に墜落してきたなんて事態が起きて、生徒会戦挙は続けられるんだろうか。保険会社とかマスコミとかが殺到してきて戦挙どころじゃなくなるんじゃないか……?しかし、それは杞憂のようだった。いつの間にかボク達は先ほどの冷凍室の中へと移動していたのだ。
「え?これは……?」
『飛行機が墜落してきたことをなかったことにした』
倒壊した建物も墜落した飛行機の残骸も、その全てが元通りに戻っていた。飛行機は何事もなかったかのように上空を飛んでいることだろう。これが球磨川さんの『大嘘憑き(オールフィクション)』の効果。まばたきの間にボクの不運をなかったことにする、そのあまりの凄まじさには戦慄を覚えずにはいられない。黒神めだかと同様、やはり球磨川さんも別格。ボクでは干渉不能な黒神めだかの運命を覆せる存在がいるとすれば、球磨川さんしかいないだろう。
「くじ姉えええええええええ!」
はっと振り向くと、黒神めだかが大声で叫びながら名瀬さんに抱きついていた。名瀬さんの死もなかったことになったのか……。生き返った名瀬さんは目をパチパチと開き、困惑した表情を浮かべている。あの一瞬での出来事を覚えていないのだろう。その名瀬さんに球磨川さんが歩み寄りながら、うんざりしたように声を掛けた。
『名瀬さん、君にはがっかりしたよ。さっきの戦いを見せてもらったけど、やっぱり君は過負荷(マイナス)にはふさわしくない。僕に言わせれば君のそれは過負荷(マイナス)じゃなく、ただの幸せ(プラス)だよ。だから――』
「お前……!」
ボクと目が合った名瀬さんは、球磨川さんの言葉を無視してこちらへ向けて手をかざし、その直後にボクの顔のすぐそばを冷気が通り過ぎる。ボクの頬のすぐ近くの水蒸気が凍結してキラキラと光を反射させて輝いていた。狙いがそれてボクの髪を一房ほど凍らせただけに終わった自身の攻撃に、名瀬さんはわずかに顔を歪める。開いた扉から突風が吹き、絶対零度の冷気による攻撃の軌道がズレたのだ。常時、周囲の人間の幸運を奪い続けているボクはかつての不運だったときとは真逆の特性を得ているのだ。
「幸運に満ちている今のボクに、そんな遠くからの攻撃は通用しないよ。それに、もう戦挙は終わったんだ。ボク達に争う理由なんて無いだろう?」
「……ちっ」
名瀬さんも周囲のみんなの反応を見て試合が終わったのを理解したのか、とりあえず矛を収めてくれた。これにて書記戦は終了。
「ふぅ。じゃあ帰りますか、球磨川さ……!?」
振り向いたボクは初めて見る球磨川さんの形相にギョッと目を見開いた。普段の笑顔でも不敵な表情でもない、怒りと狼狽の混ざった別人のような姿に思わずボクの全身が固まってしまう。そのただならぬ雰囲気に場の空気が急激に緊張していくのが分かる。
『どういうことだ。君の過負荷(マイナス)は――僕がなかったことにしたはずなのに』
ぞっとするような冷たい声が響く。そして、その内容はとても聞き流せないほどに重要なものだった。
「……球磨川さん、名瀬さんに『大嘘憑き(オールフィクション)』を使ってたんですか?」
『そうだよ。本当なら名瀬さんは過負荷(マイナス)を扱えないはずなんだ。僕の『大嘘憑き(オールフィクション)』でなかったことにできない現実があるなんて……』
そう言って球磨川さんは元の笑顔に表情を戻した。しかし、その顔には消しきれないわずかな狼狽が感じられる。でも、これは少しまずい……。最悪と思われた球磨川さんの『大嘘憑き(オールフィクション)』にも限界というか、底が見えはじめてしまったのだ。
――球磨川さんの『大嘘憑き(オールフィクション)』による強制力では、黒神めだかの絶対的な運命をなかったことにできないのではないか
『ごめん。打ち上げは先に始めちゃっててよ。僕は少し遅れていくから』
困惑するボク達を尻目に球磨川さんは足早に去って行ってしまった。さっきの球磨川さんは普段に比べると明らかに様子がおかしかった。今回の書記戦で勝てなかったこともあいまって、いやそれはボクの責任なんだけど、これからの戦挙に不安を残す結果となったのだった。
「……じゃあボク達も帰ろうか。ほら、どいてくださいよ」
「です、ね。行きましょうか」
「今日は勝てなかった月見月先輩の奢りだからな!」
呆然としていた選挙管理委員の一人を押しのけるようにしてこの冷凍室の出口へと向かっていくボク達。そのまま扉に手を掛けた瞬間、背後からガシャンと何かが崩れたような大きな音が鼓膜を叩いた。
「ぐぁああああああああ!」
それと同時に響く男の悲鳴。振り向くと、そこには崩れ落ちた冷凍食品の箱や棚、そしてそれに埋もれた一人の男の腕だけが見えた。おそらくは今ボクが押しのけた選挙管理委員の男。彼は数百kgを超える大量の荷物の崩落に巻き込まれたのだ。唯一外に出ている腕はピクリとも動いていない。死んだのか気絶したのか……。それを何でもないかのように眺めながらボクは――
「ごめんごめん。ちょっと運を奪いすぎちゃったみたいだね」
まるで他人のお弁当のおかずでも奪ったかのような軽い調子で、反省も後悔もなく言い放ったのだった。
それから、マイナス十三組としては特に行動を起こすこともなく一週間が過ぎた。そして、生徒会戦挙会計戦当日――マイナス十三組からは江迎さん、現生徒会側からは人吉先生がそれぞれ出馬をしており、ボク達は植物園の前に集まっていた。
「それでは江迎さまが選ばれた『卯』のカードの試合形式――『火付兎』のルールを説明させていただきたく存じます」
長者原の説明を聞きながら、ボクは隣の球磨川さんに話しかけていた。
「でもいいんですか?江迎さんが会計戦に出馬して……。現在の戦績は1敗1分け――正直、会長戦は勝てる気しませんし、もう負けられないんですよ?まぁ、書記戦で勝てなかったボクが言える立場じゃありませんけど」
『心配いらないよ、瑞貴ちゃん。怒江ちゃんのマイナス成長の伸びしろはかなりのものだぜ。規模で言えば、おそらくは君の過負荷(マイナス)に匹敵するほど』
「そこまで……!?」
その言葉に少し驚く。ボク達の中で江迎さんは戦闘力という点において劣っていると考えていたからだ。しかし、球磨川さんの話によると、江迎さんの過負荷(マイナス)の規模はボク同様に大災害クラスだということ。それを聞いてボクは安堵の溜息を吐いた。だとすれば、江迎さんには会計戦に出馬する資格は十分にある。
「さて、今回は候補者の他に各陣営より1名ずつサブプレイヤーとして競技に参加していただくことになります。形式としてはタッグ戦ということになるのでしょうか」
「サブプレイヤー?それって誰でもいいの?」
「ええ、すでに試合を終えた候補者の方でも構いません」
人吉先生の疑問に長者原が答える。しかし、タッグ戦か……。ボクの過負荷(マイナス)は近くに仲間がいるときには使いづらいんだよな……。
「私が行きますよ。絶対に勝たなければならないこの試合、スキルを知られていない私が最も適任でしょう」
そう言って蝶ヶ崎が前へと歩み出た。それを球磨川さんは笑顔のまま了承する。
『じゃあ蛾々丸ちゃん、お願いね』
「はい、必ずや勝利を」
球磨川さんが出た方が確実かとも思ったけど、先週判明した「過負荷(マイナス)をなかったことにできない」という『大嘘憑き(オールフィクション)』の不具合は気になる。使用者本人ですら知らなかった弱点が存在することに慎重になっているのだろうか。とはいえ、この組み合わせも悪くない。完全にして無敵のスキルを持つ『不慮の事故(エンカウンター)』蝶ヶ崎蛾々丸と災害規模の破壊力を持つ『荒廃した腐花(ラフラフレシア)』江迎怒江のコンビは未知数の恐ろしさを誇るだろう。
「ボクからも頼むよ。二人とも、絶対に勝って!」
「はい、がんばります!」
「言われるまでもありませんよ。あなたは次の副会長戦の心配でもしていてください」
江迎さんは笑顔で、蝶ヶ崎はクールにそう答えた。ボクは自分の中に生まれた感情に人知れず苦笑する。こんな感覚は初めてかもしれない――ボクが球磨川さん以外の誰かを信頼するなんて。はぐれ者の集団だけど、意外にもマイナス十三組に愛着を持ち始めていたみたいだ。
「それでは、会計戦『火付兎』!スタートでございます!」