――箱庭学園柔道場
二人の部員が試合形式の練習を行っていた。一人は「柔道界のプリンス」こと阿久根高貴。そしてもう一人は――
「一本!」
背負い投げで綺麗に投げ飛ばされた、このボクであった。残念ながら純粋な柔道勝負では阿久根の相手にはならず、いつも通りの敗北で終わってしまった。ボクが畳に叩きつけられると同時に見学者(ほとんどが女子)から黄色い歓声が上がる。阿久根はその歓声に手を上げて答えると、飲み物を手に取って壁際で休憩に入った。まるでアイドルのような人気だ。そして、敗れたボクも同じくその隣に腰を下ろして話しかける。
「相変わらず人気者だね。まったく……中学時代の破壊臣と呼ばれた君と同一人物だとは思えないよ」
ボクが箱庭学園に入学してからすでに一年が経過していた。球磨川さんは中学時代に学校から追放されてしまったため、現在のボクは二年七組に所属している、ただの柔道部員でしかない。中学時代の敗北からこれまで、ボクは敗残者として惰性のような学生生活を送っていた。
「……あまり昔のことは言って欲しくないんだけどね。いや、裏切られた君にはそれを言う権利があるのか。悪いとは全く思っていないけどね」
「別に球磨川さんを裏切ったことを怒っているわけじゃないよ。ボク達(マイナス)がプラスに裏切られるなんてことは当たり前だからね。怒っているとしたら球磨川さんを敗北させてしまった自分自身にだよ」
乱神モードの黒神めだかの前には、これまでの努力や鍛錬はまるで意味を成さなかった。不甲斐なくも鎧袖一触で潰されてしまい、その結果として球磨川さんは敗北してしまったのだ。そして今年、その黒神めだかがこの学園へと入学してきており、先日の選挙で再び生徒会長に当選していた。
「それにしても、黒神めだかが入学してくるなんてね……。でも『異常(アブノーマル)』を蒐集しているこの学園に来るのは当然といえば当然か」
「入学早々に生徒会長に当選するとはさすがめだかさん!選挙中の忙しい時期にお手を煩わせてはならないと思っていたが、そろそろ挨拶に向かうべきかな」
「はぁ……その話はもういいよ」
黒神めだかの話題を出した途端、阿久根は嬉々として彼女を賞賛し始めた。もはや信者と言っていいほどの心酔ぶりにボクは手を横に振って話を切り上げる。もう聞き飽きた話だし、ボクだって球磨川さんを敗北させた相手の賛美の言葉なんてわざわざ聞きたくはない。
「おーい!阿久根クン、月見月クン!二人にお客さんやでー」
そんな話をしていると、部長の鍋島猫美先輩がボク達を呼ぶ声が聞こえた。心なしかその表情は引きつっているように見える。鍋島先輩に連れられて来たのはボクらが見覚えのある女子だった。
「な!?アンタ……!」
すぐ隣から阿久根の驚く声が聞こえる。それはボクも同じ気持ちだ。でもボクはまた彼女とは出会うような気がしていた。
「よお!ずいぶん探したぜー」
中学時代に出会った過負荷(マイナス)の少女――志布志飛沫がそこにいた。
入学して一週間も経っていないというのにすでにダメージジーンズのようにボロボロに加工された改造制服で堂々と柔道場に佇んでいる。球磨川さんと引き離されてからは初めての過負荷(マイナス)仲間なので少し感慨深い。仲間というか、むしろ敵だったんだけどね。懐かしさからボクの方も軽く彼女に声を掛けてみた。
「久しぶりだね。志布志さん……でよかったかな」
「ああ、いいよ。噂の十三組とやらに在籍しているのかと思ったけど、普通の生徒として部活に出てるとは思っても見なかったぜ」
「それは手間を掛けさせちゃったね。ボクは七組の普通クラスだよ。どうやら過負荷(マイナス)は異常(アブノーマル)とは違う分類(カテゴリ)らしいね。十三組どころか特待生にすらなれなかったんだよ。そういうキミは?」
「あたしも普通クラスだな。当然だろ、人生勝ち組のエリート連中と違ってあたしらは負けっ放しの負け組なんだからよ。そうだな、確かに十三組なんかにいる訳ねーか」
ところで、と志布志は隣の阿久根に目を向けた。阿久根は志布志が現れた途端、顔色が悪くなってしまい苦しそうに目を伏せている。球磨川さんを裏切った中学時代のトラウマで、阿久根の心の中には過負荷(マイナス)に対する恐怖が深く刻み付けられていた。まあ負の塊である球磨川さんと再び正面から敵対してしまったのなら当然のことだろう。旧知であり絶対値の低いボクだからこそ普通に話せているが、さすがにこれだけの絶対値の高さを持つ過負荷(マイナス)と相対するのは難しいようだ。ボクにとってはむしろ親近感や懐かしさを感じる相手なんだけど。
「コイツも昔、アンタと一緒にいた奴だよな。だいぶ雰囲気違うけど……。ってことはあの負の塊みたいな男もいるんだろ?」
「……いや、いないよ。ボクらは敗北したんだ」
沈痛な表情でボクは答えた。その答えに志布志も少なからず驚いた表情を見せる。
「……あれだけの絶対値をもった男が?一体どんな奴に……」
「箱庭学園の現・生徒会長――黒神めだか」
つい先日決まった新たな生徒会長、98%の異常な支持率でもって就任したのが、球磨川さんを中学から叩き出した黒神めだかである。このありえない支持率の高さはさすが異常(アブノーマル)というしかない。中学時代、支持率0%で生徒会長に就任した球磨川さんと同じく。もちろんボクは別の人間に投票した残りの2%であり、阿久根は98%の方であった。
「せっかくだから校内を案内するよ。この学園は広いからね。まだ全部は見てないでしょ?」
「ああ、じゃあお願いしよーかな」
懐かしい知り合いにあってテンションの上がったボクの提案に志布志も乗ってくれた。先輩としては後輩の面倒を見ないとね。
「お、おい!部活中だぞ!」
「ついさっきインフルエンザに感染してしまったので早退します!」
阿久根の制止の声に白々しく返事を返すと、制服に着替えて柔道場を後にするのだった。
「で、ここの塀は少し低くなっててね。校門で風紀委員が抜き打ち検査してるときはここを越えて行くと見つからないで登校できるよ」
「何であたしが風紀委員ごときに気を使って生活しなくちゃいけねーんだよ」
ボクが説明をすると、志布志は不機嫌そうな顔をして答えた。確かに志布志には恐るべき過負荷(マイナス)をもっているけど、その考えは甘すぎる。
「風紀委員自体には問題は無いんだけど、ただ生徒会が出てくると面倒になるんだよ。はっきり言って、球磨川さんが勝てなかった相手に君が勝てるとは思えない」
戦闘力においてならば志布志の方が圧倒的に上ではあるけど、過負荷(マイナス)性においては球磨川さんの絶対値は志布志を越えていたからだ。志布志と黒神めだか。その両方と戦ったことのあるボクだけど、はっきり言って二人が戦った場合、志布志に勝ち目はないだろう。
「あたしにはあの男が敗れたせいで、あんたが敵を過大評価し過ぎてるように見えるけどな」
「それにこの学園は異常者(アブノーマル)の巣窟だ。キミ一人、ボクを含めても二人だけでどうにかできる所じゃないよ」
「まったく……勝ち負けで考えてる時点でズレてんだよ。その調子じゃまだ自分の過負荷(マイナス)を制御できてねーんだろ」
「……」
「三年間ずっと異常者(アブノーマル)の連中に怯えて過ごす気かよ」
いいや、とボクは首を横に振った。ボクだって何の考えも無くこの学園に来た訳じゃない。
「球磨川さんがまだあの野望を諦めていなければ、いずれこの箱庭学園を標的にするはずだよ。――エリートの集団である十三組を」
いずれ来るその時のためだけにボクは異常者(アブノーマル)の集まるこの学園に入学したのだ。次こそ球磨川さんの役に立つために。
「まあいーや。一応言うことは聞いといてやるよ。先輩の顔を立ててな……で、こいつらは誰だよ?」
気付くとボクらは不良たちの集団に囲まれてしまっていた。木刀や竹刀を持った男達が数人でボク達の周囲を塞いでいる。
……しまった。うっかり不良たちの溜まり場である剣道場の周辺エリアに踏み込んでしまっていたか。
そして、リーダー格であろう頬に傷を付けた男が正面に陣取り、威圧するように木刀を突きつけて睨み付けてきた。
「よお、月見月ぃ!てめぇ彼女連れかよ。結構かわいいじゃねぇか。ちょっと貸してくんねぇ?」
「門司先輩ですか。お久しぶりです。ちょっとボクら急いでますので、失礼しますね」
周囲の連中から下卑た笑い声が聞こえてくるが、ボクにとってはいつものことだ。
一応は穏便に収められないかと思って下手に出てみるけど、どうやら効果は無さそうである。
「それで済む訳ねーだろ!今までの恨み、晴らさせてもらうぜ!」
そう言って木刀を振り上げて向かってくる門司先輩を、ボクは一歩下がることで回避した。同時に手に持った木刀を蹴り飛ばすのも忘れずに。
「なーなー、月見月先輩。こいつ誰だよ、やっちゃっていい?」
「駄目だよ。きみが手を出したら剣道場が処刑場になっちゃうだろ。彼は門司先輩といってね。剣道場を溜まり場に活動をしている不良少年だよ。週に三日は誰かしらの不良に絡まれるから、何でボクが門司先輩に恨まれているのかってのは覚えてないんだけどね」
仲間を呼んだのかこの間にもわらわらと虫のように武器を持った不良たちが湧いて出てきている。その数は八人。とはいえ、あくまで素人なのでボクにとっては物の数ではない。問題は――
「そこの女も痛い目みたくなきゃさっさと消えるんだな!」
「へー、このあたしを痛い目にね……」
――志布志がこいつらを殺さないかということだけだ
ピクリと志布志の頬が怒りでヒクついたのがわかった。もはや一刻の猶予も無い。志布志の纏う雰囲気が変わり始めたところで、ようやく男達も目の前の新入生に対する得体の知れない恐怖を覚えたらしい。その身体は過負荷(マイナス)に対する怯えでガクガクと震え出していた。しかし、今更振り上げた武器は止められない。
「や、やっちまえ!」
自暴自棄になったように振り下ろした鉄パイプを足で弾きながら、志布志の様子を伺うと、やはり向こうにも不良たちは襲い掛かっていた。慌ててボクは志布志に止めるように叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待って!きみの過負荷(マイナス)は目立ちすぎる!学校で斬殺死体や血の海なんて発生したら、本当に生徒会や風紀委員が動き出してしまう!せめて格闘戦で……!」
女子に対する多少の配慮はあったのか、不良が志布志の脳天に叩きつけようとしていたのは木刀ではなく竹刀であった。いや、実際には何の配慮でもなくただの偶然なんだろうけど。そして、その竹刀が志布志の頭に激突する寸前――
――竹刀がバラバラになるように弾け飛んだ
「何だこりゃあ!?」
不良たちの顔に驚きの表情が浮かぶ。そして次の瞬間にはその男の脳天には志布志の踵が振り下ろされており、地面に顔面を勢いよく叩きつけられていた。
「これがあたしの過負荷(マイナス)『致死武器(スカーデッド)』――」
志布志は何事も無かったかのように佇んでいる。見ると志布志を襲った竹刀はバラバラになって地面に落ちていた。この現象は間違いなく志布志の過負荷(マイナス)の効果。
「で、でもきみの過負荷(マイナス)は無機物には作用しないはずじゃあ……!?」
ボクらの全身をズタズタに切り裂いたあの過負荷(マイナス)は、確かに人体にしか影響は無かったはず。驚きの目で志布志を見つめると満足そうな笑みを浮かべて答えた。
「その派生系――あの敗北によって新たに制御を得た、いや失った憎武器。名付けて」
そして、一拍置いて宣言する。
「――バズーカーデッド」
これは有機物だけでなく無機物までもズタズタに引き裂けるようになったということ――これがマイナス成長というものなのか
「安心しろよ月見月先輩。きっちり手加減してこいつらを病院送りにしてやるからよー」
その後、ボクと志布志に完膚なきまでにやられた不良たちは、「ごめんなさいもうしません許してください」と志布志とは違って心の底から誓わされ病院へと叩き込まれたのだった。ボクの方もついついやり過ぎてしまったので、剣道場を溜まり場にしていた不良たちは全員その溜まり場を病院へと強制的に移されてしまったことになる。とはいえ、不良たちがいなくなったため、一人の新入生が入部して剣道場は元の通りに剣道部員に使用されることとなったので結果オーライと言っていいだろう。
ようやく剣道場が使えるようになりました、とわざわざお礼を言いに来てくれたのは確か……日向とかいう一年生だったかな。