「我こそはという者から名乗り出よ!全員まとめて一人残らず私が相手をしてやろう!」
箱庭学園の柔道場、そこになぜか黒神めだかが居た。凛とした声で宣言した彼女は柔道着を着ており、部員達は困惑した表情で遠巻きに眺めている。まさか道場破りとか?
「おはようございます。ええと……何が起こっているんですか?」
ボクは近くにいた部長の鍋島先輩に尋ねてみると、ニヤリと笑みを浮かべてみせてくれた。鍋島先輩とは現在の柔道部の部長で、反則王の異名を取る全国でも有名な選手である。
「おう、遅刻やでジブン。今日は生徒会長に新部長の選定をお願いしてるんよ」
「わざわざ部外者に……?」
疑問に思ったけど、鍋島先輩も何か企んでいるのだろう。意味もなく人選を他人任せにするはずがない。部長が誰になろうがボクには関係ない話だし、普通に考えれば阿久根か副部長の城南だろう。
「ほれ、お呼びやでー月見月クン」
鍋島先輩に言われて柔道場に目を遣ると、黒神めだかがボクの方を鋭い瞳で見つめていた。箱庭学園生徒会長・黒神めだか――豪華絢爛、才色兼備、質実剛健。ただ立っているだけでこの柔道場全体が華やいだかのような圧倒的な存在感。そしてこの威圧感は、こうやって相対しているだけで押し潰されてしまいそうに思える。さすが球磨川さんと同等の絶対値を持っているだけのことはある。
「久しいな、月見月二年生。いま部員達のテストを行っている。私がじきじきに鑑定してやるから貴様も掛かって来い」
「久しぶり……そして相変わらずだね」
ボクに敵意はもっていないようだけど、それでも強烈な威圧感に冷や汗をかきながら再会の挨拶をした。
「だけどボクはパスするよ。部長なんて興味無いしね」
そう言ってボクは黒神めだかから離れて壁際に歩いていき、やる気無さそうに壁に寄り掛かる。部長に興味が無いというのももちろんそうだけど、一番の理由は黒神めだかから離れたかったのだ。一般人が過負荷(マイナス)に近寄りたくないのと同様に、ボクも異常(プラス)の最高峰である黒神めだかにはできるだけ近寄りたくはない。あの高すぎるプラスの絶対値の前で、阿久根がそうだったように、ボクまでもがプラス側に引き寄せられたくないのだ。みんなはそれを改心と呼ぶのだろうが、結局それは過去の自分への裏切りである。ボクには球磨川さんがいればそれでいい。
「よいのか、鍋島三年生?奴はテストを放棄するそうだが」
「はぁ~。やっぱり興味はあれへんか」
黒神めだかの言葉に鍋島先輩はやれやれといった風に首を振る。
「本来はこんなん頼むまでもなく月見月クンが後継者やってんけどな。教えたことも素直に吸収するし練習も真面目やし」
何より才能が無いし、と辛辣としかいえない言葉を付け足した。
「そのつもりで一年間鍛えてきたんやけど……。どうも最後の一歩のところでウチの教えとズレが生じるゆーか。戦う相手に対する感じ方が違うんかな」
そのズレはボクと戦闘に対する前提が違うためだろう。凡人(ノーマル)が特別(スペシャル)に勝つためにと練られたのが鍋島先輩の柔道であり、それを異常(アブノーマル)や過負荷(マイナス)にも対応できるように勝手なアレンジを加えているのがボクの柔道だからだ。しかもサバットと併用して使うことを前提にしているものだから、確かに正式な鍋島先輩の後継者とはとても言えないだろう。
辺りを見回すと、善吉くんの姿を見つけた。どうやら阿久根と話をしているようで険悪な雰囲気を醸し出している。善吉くんは阿久根とも中学時代からの知り合いなので積もる話でもあるのだろうか。
「善吉くんも久し振りだね」
「あ……み、瑞貴さん。久し振りです」
懐かしい顔に挨拶をしにいったが、しかし善吉くんは顔をわずかに引きつらせて上ずったような声で答えてきた。
「そんなに怖がらなくていいよ。球磨川さんはいないんだし、めだかちゃんと敵対する理由なんて無いんだからね。そもそも敵対したところでボクでは相手にならないことは中学時代で学んでいるよ」
「そ、そうですか……」
そう言うと善吉くんはほっとしたように安堵の溜息を吐いた。だけどむしろ怖がるべきなのは、周りがプラスだらけで全面アウェイのボクの方なんだけどね……。
「よぉし!まずは副部長であるこの俺、城南が相手だ!」
そんなことを考えていると、ようやくテストとやらが始まるようだった。やはり放っている強烈な威圧感のせいでみんな萎縮して挑むに挑めなかったけど、さすがは副部長というべきか、その城南がまずは勇気を出して挑戦するようだ。
「ヒヒッ……それにこれうっかりおっぱいとか触っちゃっても不可抗力ってことでいいんだよな」
前言撤回。心の中から湧き出たのは勇気ではなく煩悩だったようだ。っていうか思っても口に出すなよ……。そして予想通りに一瞬で黒神めだかに投げ飛ばされてしまった。
「あれ?」
思わずボクは疑問の声を上げていた。もちろん城南が敗れてしまったことにではない。城南レベルの人間で黒神めだかの相手になるわけがないのは分かっている。ボクが疑問に思ったのは別のことだ。
「しかし聞こえなかったか?私は全員まとめて掛かって来いと言ったのだぞ」
そして、残りの全員が黒神めだかに襲い掛かっていくが、鎧袖一触で軽々となぎ倒されてしまう。困惑しながらもその後の様子を眺めていると、だんだんと疑問は確信へと変わっていった。でも、相手が弱すぎるからってことも……。確かめるにはやっぱりボク自身で試してみるしかないのか。
そして、すぐに柔道場で立っている者は黒神めだかただ一人となった。
「ふむ……なるほど、だいたい分かった」
「いや、まだボクがいるだろ?」
やりたくはないけど、この方法が一番確実だ。一通り全員を試し終わったのか、何か納得したような表情をしている黒神めだかに声を掛けた。意外といった風に一瞬目を丸くしたが、すぐにボクの言葉を理解して戦闘態勢に戻る。
「ほぅ……やる気になったか。では月見月二年生。貴様も掛かってくるといい。私が試してやろう」
「いや、試されるのは結構。部長になりたい訳じゃないしね。めだかちゃん、君には本気で勝負して欲しいんだ」
「なんだって!?どういうことですか、瑞貴さん!」
善吉くんの焦ったような声が聞こえるけど、別に中学時代の意趣返しというわけではない。ただ手加減されてはボクの疑問が解消されないというだけのことなのだ。
「なるほど、了解した。私も下克上を挑まれれば受けて立つ覚悟はあるぞ」
ボクの言葉に黒神めだかは面白そうに笑みを浮かべた。自信満々の表情で肉食獣のようにボクの瞳を射抜くように見つめてくる。その全身から迸る闘気で自身の筋肉が萎縮しているのが分かる。
「じゃあ一本勝負で――行くよっ!」
不安を振り払うように大声で開始の合図をすると、ボクは挨拶代わりに遠間から思いっきり相手の足を蹴り払っていった。ローキックに見紛うかのような威力と速度の足払いを受けて一瞬、黒神めだかの身体の軸が揺らぐ。しかし、すぐに体勢を立て直すと、即座に距離を詰めて再び蹴りを放とうとしていたボクの襟を掴んだ。
「三年振りに受けたが相変わらず鋭い蹴りだな」
「……それはどうも」
ボクの方も黒神めだかの襟を取ると、ここからは組み技の勝負となる。体重別で行われる競技というのは伊達ではない。ボク自身は特に身体が大きい方ではないけど、男女の体重差を利用して力尽くで相手の重心を揺さぶっていく。そして、とうとう黒神めだかの体勢が崩れた。
「今だっ!」
その隙に内股を掛けようとするボクだったが――
「甘い!」
――逆に返され、天井を仰ぎ見る結果となったのだった。
「それまで!一本や!」
鍋島先輩の声と共にボクの全身から力が抜けた。立ち上がると互いに礼をしてその場を去っていく。ボクの目的は達した。そのまま場外へ出て座り込むと、信じられない結果に何とも言えない表情が浮かんだ。もはや疑う余地はない。鍛錬の成果や男女の成長の差なんて話ではない。黒神めだかは――
――明らかに中学時代の彼女よりも性能が劣化している
そもそもボクが本気の黒神めだかとまともに戦えている時点でおかしい。本来ならボクの足払いでフラついたり、力比べで勝てたりする相手じゃない。最後は内股をすかされて敗北したけど、あらゆる格闘技を極めた黒神めだかと柔道を始めて一年のボクでは技術で負けるのはある意味当然のことなのだ。そう、身体能力や格闘技術とは別次元のところで勝負をしていた中学時代とは比べ物にならない弱さだ。この分だと通常モードであればボクでもやりようによっては黒神めだかを倒すことができそうだ。あの乱神モードですらボクと志布志の二人なら、いや志布志だけでも倒すことができるだろう。この学園を掌握するということも、あながち夢物語でもないかもしれない。
「はぁ……何を考えてるんだボクは」
頭を振ってその考えを打ち消した。黒神めだかを倒せたから何だっていうんだ。学園を掌握したところでボクには何のメリットもない。ただ危険なだけだ。球磨川さんの命令であれば利害は度外視して従うだけだけど、そうでなければわざわざ異常(アブノーマル)連中に喧嘩を売る意味なんて無い。
「さーて、じゃあ次の試合やな。無制限十本勝負VS無制限一本勝負!阿久根クンが十本取られるまでに一本でも取れたら人吉クンの勝ちや」
いつの間にか中央に陣取っていたのは阿久根と善吉くんだった。殺気立った雰囲気で二人は互いに相対している。審判は鍋島先輩が務めるようだ。
「で、阿久根クンが勝ったら人吉クンは柔道部に、阿久根クンは生徒会にお互いをトレードやでー」
「ちょっと鍋島先輩、どういうことですか?」
「ん?そのまんまの意味や。生徒会長さんも了解してくれたで」
ボクが戦っている間に驚きの交換条件が成立していたようだ。鍋島先輩は自分の柔道の後継者に善吉くんを選びたいということなのか。黒神めだかがこの勝負を受けたというのは性格的に納得できるところだけど。
「がはぁっ!」
早くも善吉くんは綺麗な背負い投げを掛けられて畳に叩きつけられていた。善吉くんの専門は立ち技なので当然の結果だろう。柔道にはマグレはない。普通に考えればほぼ素人の善吉くんに勝ち目は無いのだ。
「どない見る?ジブンやったらどう勝つんや」
隣に来ていた鍋島先輩がボクに声を掛けた。一般人(ノーマル)が阿久根(スペシャル)に勝つなんてことはほとんど有り得ない。過負荷(マイナス)とはいえ、ボクも実際には普通(ノーマル)に等しいから分かる。しかし、それを可能にするためだけに練り上げられたのが鍋島先輩の柔道なのだ。
「そうですね、ボクだったら……。まず十本中はじめの七本くらいを――わざと負けます。それも反則負けで」
マイナス思考で考えれば――十本勝負ということは九本は負けられるということなのだ。だから重要なのはどう勝つかではなく、どう負けるか。
「その反則で相手にダメージを与えます。ボディや金的に一発でもいいのが入れば残りの試合はとても万全では戦えません。場合によっては不戦勝もできます。万一、ダメージを与えられなくとも相手はこちらの反則を警戒せざるを得なくなります。つまり、こちらが組み技だけを警戒していればいいのに対して、相手は打撃技と組み技の両方を警戒しなくてはならない。圧倒的に有利です。しかも相手はこちらと違って一本取られたら負けなので明らかな反則技は使えない」
「せやな。ま、ウチやったら反則見せるんは最初の一本だけで、あとは会話とフェイントでプレッシャー掛けるけどな。ならジブンは人吉クンが勝つ思てるん?」
分かりきった質問をする鍋島先輩に、ボクは首を振って答えた。
「生徒の模範たる生徒会役員が堂々と反則しちゃマズイでしょう。性格的にも善吉くんは反則を前提とした作戦なんて立てないでしょうし。順当に戦って順当に負けるだけです」
しかし、その目論見は脆くも崩れ去ることになった。阿久根に勝利した善吉くんは柔道部には入らず、それどころか阿久根が生徒会の書記に任命されてしまう。
これで現在の生徒会のメンバーは黒神めだか、人吉善吉、阿久根高貴の三人。早くも生徒会の戦力が揃ってきていることに、ボクは若干の不安を覚えるのだった。