岸辺露伴は揺るがない『ハワイアンズ・ウォーターマーク』 作:甘草粥
「山の話で思い出したんですけどォ──人生を例えるなら『山』よりも『海』なんじゃないか・ってあたし思うんです」
「……………………」
漫画家──〈岸辺露伴〉の
それは数年前に訪れた〈大富豪ばかりが住む村〉の話をしているときだった。
企画書に印字されたインタビュアーの名前を見たときから露伴が懸念していた泉の冗長的なインタビューも三十分前に漸く終わり、記事の最後に掲載される漫画の原稿があがるのを泉が待っている──そんな折に発せられた彼女の何気無い一言を、露伴はどうしても無視できなかった。
「……何だってェ?」
少しの間を置いてから言葉を返し、椅子を回転させて発言者本人と向き合う。相変わらず〈太陽〉みたいな女だと露伴は思った。自分が世界の中心であるかのように他人の言葉に耳を貸さず、周りを好き勝手に振り回して最後には自分の理想へと
「ですからあ~~人生を例えるとするならああ~~っ」
「ちゃんと聞こえているよ。
『言葉じゃなくて意味の方をな』肘置きに対して一定のリズムを刻む人差し指からは隠しきれない苛立ちが見てとれた。レイアウト案を見比べていた泉は両手に持った資料を机の上に置いて露伴と正対するように座り直すと、待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「海ですよ海。正確には『渦潮』なんじゃないか・って話なんです。つまりあたしが言いたいのは」
「海だろうが渦潮だろうが別にどっちでもいいけどさあ。ようは単なる比喩表現のひとつだろ?どっちでもいいんじゃあないの?こだわる必要あるのかいそれェ?」
さほど興味を示さない露伴の反応に泉が不満げに頬を膨らませる。しかし、それも束の間。ルーヴル美術館に取材に訪れた頃から愛用している黒地の手帳を開いた泉は左右それぞれの
「人生における幸運や絶望を山と谷……あるいは登りと下りで例えるのはいいんです。でもォ、下り終えた後に
「……………………」
言葉足らずで穴空き問題のように不完全な泉の主張に再び沈黙が返される。泉の価値観は常に露伴の理解の外にあった。太陽と月。水と油。相容れない存在であるからこそ、その考えが手に取るように分かることがままあった。
露伴は自身に備わった
「人は例外なく『死ぬ』運命にあるからな。生命が終わったものは戻らないし、そもそも
速度が異なる浅瀬と深部の潮流がぶつかり合うことで〈渦潮〉が発生するように、異なる価値観を持つ男女が交わることで作り出された唯一無二の
露伴は手帳のペンホルダーからパステルカラーのペンを抜き取ると、向かって左側のページに描かれた山の
「えェ、露伴先生のおっしゃる通りです!山と違って『渦潮』には明確な『終わり』がある。そして同じくらい重要なのが……」
「『自動的』……であるかどうか」
『流石先生♡流石です』右側の渦に矢印を書き込む露伴を泉が大袈裟に褒め称える。露伴は
「努力をしていようがしていまいがそんなものは関係なく、誰に対しても時間は平等に流れる。そして……すべての生物は生命を授かった瞬間から死に向かって強制的に運ばれていく……そこに『例外』は無い」
『究極生命体……なんてヤツがいれば話は別だがな』水を得た魚のような過剰な相槌を打つ泉には目もくれず、露伴は再び椅子を反転させて原稿に向かい、半ば独白のような形で背中越しに語り掛ける。
「渦に呑み込まれたモノは潮の流れに従って中央へと引き寄せられる。流れの終着点……つまり『死』だ。
『君が言いたいのはそーゆーことだろ?』完成した原稿を手に振り返った露伴を満面の笑みを浮かべた泉が迎え入れる。
「あッ!終わったんですねェ~~」
「終わったんじゃあない!
原稿を受け取ろうと手を伸ばす泉に対し、まるで威嚇するかのように露伴は声を荒げた。編集部の都合で締め切り間際の依頼になってしまったことについて謝る泉に対し、露伴は呆れた様子で短い溜め息を溢す。
「泉クン。君ィ、僕が何に怒ってるか分かってないだろ?」
「えーとォ~~『締め切り』……じゃないとすると……う~~ん……あッ!もしかして『原稿料』とかですかァ──っ??」
間延びした泉の見当違いの答えを露伴の深い溜め息が覆い隠す。露伴の血液が熱を帯び、静かな憤りと共に全身を駆け巡っていく。
「納期だとか原稿料については別に何も思っちゃいないさ。
「あれェ?違いましたああ??『金額』でもないとなるとォー……」
露伴の怒りの矛先を読み取れず、顔に疑問符を張り付けたまま小首を
「僕が怒っているのは君がこの岸辺露伴から『選択肢』を奪おうとしたことについてだッ!」
「『選択肢』…………あっ」
攻撃的な言葉に対して返された泉の苦笑が、露伴の怒りの矛先を理解したことを示していた。
「いいかい!僕は『納得』したうえで仕事をしている。金だとか、媒体だとか、重要なのはそーゆー
露伴にとって〈興味〉とは創作の種である。自らが選び抜いた
「最終的に仕事を受けるかどうかを決めるのは僕であって君じゃあない。企画会議で僕の名前が上がったのなら、納期だとか金だとかウダウダ考える前に真っ先に僕に話を寄越すべきだった!君が担当しているなら尚更だ!それが『興味』を持てる内容ならどれだけ納期が短かろうが完璧に描きあげてみせる」
『そーゆー覚悟を持って僕は仕事をしている』泉は露伴からの激しい詰問を浴びながら自身が露伴の担当編集として勤めていた頃を思い出していた。少女漫画誌への掲載依頼が来ていることを露伴に伝えた際の「引き受けるよ」という淡白な返答にも、確かに〈興味〉と〈納得〉の二つが存在していた。泉の心配を他所に露伴はマンガづくりにおける〈人間賛歌〉というテーマを愛情と遺伝子という要素に落とし込み、見事に少女漫画誌に溶け込む一作を描きあげてみせたのだ。
「ちなみにこの話を君にしたのはこれで
デスク脇のキャビネットに閉まってある茶封筒に原稿を納めながら皮肉と共にそれを泉へと手渡す。
「アハハハハそうでしたかねェ~~~~。では埋め合わせは後日ということで」
「いいや結構だ。……なァ泉クン。念のために言っておくが、そうやって口実作って僕の家を休憩所代わりに使おうとしてるのバレバレだからな?コーヒーの染みでも作る前にさっさと入稿してくれェ」
食い下がる泉を追い返して平穏を取り戻した作業場に淹れたばかりのコナコーヒーの香りが広がっていく。ソファの前にはコーヒーカップの他に、鍵付きキャビネットで保管されていた
「『自然の法則』か……取材の息抜きついでに調べてみるか」
資料の一番上にあったパンフレットを手に取り、何度も見返した中身を反芻する。濃い緑を纏った切り立った岩肌が続く断崖絶壁の海岸線の写真が表紙に起用されたパンフレットには深く広大な渓谷や神秘的なシダの洞窟などが掲載されており、〈神々の箱庭〉とも称される芸術性と凄みは写真越しでも感じることが出来た。
空まで続いているかのように穏やかで澄んだ青い海と白砂のコントラストが美しい開放的なビーチを紹介しているページで露伴の手が止まる。
「ところで…………ハワイに『渦潮』ってあるのか?」
岸辺露伴は動かない
──ハワイアンズ・ウォーターマーク──