岸辺露伴は揺るがない『ハワイアンズ・ウォーターマーク』   作:甘草粥

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マンガ家と青い疑問符

 

 プロローグ 

 

「山の話で思い出したんですけどォ──人生を例えるなら『』よりも『』なんじゃないか・ってあたし思うんです」

……………………

 漫画家──〈岸辺露伴〉の()担当編集である〈泉京香〉に返されたのは沈黙だった。仕事場兼応接室の壁際に置かれたソファに腰を下ろし、現担当部署であるファッション誌の誌面レイアウト案を練りながら呟かれた泉の何気ないひと言によって露伴の筆が止まる。

 それは数年前に訪れた〈大富豪ばかりが住む村〉の話をしているときだった。礼節(マナー)を重んじる〈山の神々〉によって泉が命を失いかけた事件から時は経ち、露伴の執筆する〈ピンクダークの少年〉は九部の連載が始まり、泉は集英社を退社してファッション誌の編集者となっていた。肩書きこそ変われど出版業界という互いの立ち位置に変わりはなく、広くて狭い業界に張り巡らされた縁が、こうして〈岸辺露伴ロングインタビュー〉という形で再び二人を引き寄せていた。

 企画書に印字されたインタビュアーの名前を見たときから露伴が懸念していた泉の冗長的なインタビューも三十分前に漸く終わり、記事の最後に掲載される漫画の原稿があがるのを泉が待っている──そんな折に発せられた彼女の何気無い一言を、露伴はどうしても無視できなかった。

……何だってェ?

 少しの間を置いてから言葉を返し、椅子を回転させて発言者本人と向き合う。相変わらず〈太陽〉みたいな女だと露伴は思った。自分が世界の中心であるかのように他人の言葉に耳を貸さず、周りを好き勝手に振り回して最後には自分の理想へと(こと)を落ち着ける。下手に距離を詰めれば、その奔放さに身を焦がしかねない。しかし、天敵ともいえる泉が度々招くトラブルが、読者の予想の上をいく奇想天外な展開を生み出す露伴のインプットの一助になっていたことも事実だった。

「ですからあ~~人生を例えるとするならああ~~っ」

「ちゃんと聞こえているよ。そのうえで(・・・・・)・だ。そのうえで聞いている」

 『言葉じゃなくて意味の方をな』肘置きに対して一定のリズムを刻む人差し指からは隠しきれない苛立ちが見てとれた。レイアウト案を見比べていた泉は両手に持った資料を机の上に置いて露伴と正対するように座り直すと、待ってましたと言わんばかりに口を開いた。

ですよ。正確には『渦潮』なんじゃないか・って話なんです。つまりあたしが言いたいのは」

だろうが渦潮だろうが別にどっちでもいいけどさあ。ようは単なる比喩表現のひとつだろ?どっちでもいいんじゃあないの?こだわる必要あるのかいそれェ?」

 さほど興味を示さない露伴の反応に泉が不満げに頬を膨らませる。しかし、それも束の間。ルーヴル美術館に取材に訪れた頃から愛用している黒地の手帳を開いた泉は左右それぞれの(ページ)に一筆書きの簡素な山と渦を描いて露伴の前に突き出した。

「人生における幸運絶望……あるいは登り下りで例えるのはいいんです。でもォ、下り終えた後に引き返す(・・・・)ことが出来るのはおかしいと思いませんかあ?」

「……………………」

 言葉足らずで穴空き問題のように不完全な泉の主張に再び沈黙が返される。泉の価値観は常に露伴の理解の外にあった。太陽と月。水と油。相容れない存在であるからこそ、その考えが手に取るように分かることがままあった。

 露伴は自身に備わった能力(・・)に頼ることもなく、長年行動を共にして培われた──弊害とも呼べる──共鳴(シンパシー)を用いて空白部分を読み解いていく。

「人は例外なく『死ぬ』運命にあるからな。生命が終わったものは戻らないし、そもそも戻れない(・・・・・)。途中で方向転換することはできるが、山頂を越えて麓まで下ってしまえばその先は一方通行だ。振り返ったところで『(さい)登山(トライ)』は認められない」

 速度が異なる浅瀬と深部の潮流がぶつかり合うことで〈渦潮〉が発生するように、異なる価値観を持つ男女が交わることで作り出された唯一無二の二重(・・)螺旋(・・)を宿す人間もまた、広義で云えば〈渦〉のひとつなのかもしれないと露伴は思った。世に産み落とされた小さな〈渦〉が、様々な確執や軋轢、社会の荒波に揉まれながら自己を形成していく。死ぬことだけが確定している予測不可能な日々に振り回されながら過ぎていく人生は正に〈渦潮〉以外のなにものでもない。

 露伴は手帳のペンホルダーからパステルカラーのペンを抜き取ると、向かって左側のページに描かれた山の右端()の位置に〈転回禁止〉と〈一方通行〉の道路標識を描き加えた。露伴の行動に対し、泉が満足げに数回頷いてから言葉を重ねる。

「えェ、露伴先生のおっしゃる通りです!山と違って『渦潮』には明確な『終わり』がある。そして同じくらい重要なのが……」

「『自動的』……であるかどうか」

 『流石先生♡流石です』右側の渦に矢印を書き込む露伴を泉が大袈裟に褒め称える。露伴は鰾膠(にべ)もない瞳でそれを軽くあしらうと、ペンをホルダーへと戻し、少し距離を取ってからふたつの絵を見比べ始めた。

「努力をしていようがしていまいがそんなものは関係なく、誰に対しても時間は平等に流れる。そして……すべての生物は生命を授かった瞬間から死に向かって強制的に運ばれていく……そこに『例外』は無い」

 『究極生命体……なんてヤツがいれば話は別だがな』水を得た魚のような過剰な相槌を打つ泉には目もくれず、露伴は再び椅子を反転させて原稿に向かい、半ば独白のような形で背中越しに語り掛ける。

「渦に呑み込まれたモノは潮の流れに従って中央へと引き寄せられる。流れの終着点……つまり『』だ。強制的(・・・)かつ自動的(・・・)に終わらせようとするパワーを持つ『渦潮』こそが人生を例えるに相応しい・と」

 『君が言いたいのはそーゆーことだろ?』完成した原稿を手に振り返った露伴を満面の笑みを浮かべた泉が迎え入れる。

「あッ!終わったんですねェ~~」

「終わったんじゃあない!終わらせた(・・・・・)んだッ!」

 原稿を受け取ろうと手を伸ばす泉に対し、まるで威嚇するかのように露伴は声を荒げた。編集部の都合で締め切り間際の依頼になってしまったことについて謝る泉に対し、露伴は呆れた様子で短い溜め息を溢す。

「泉クン。君ィ、僕が何に怒ってるか分かってないだろ?」

「えーとォ~~『締め切り』……じゃないとすると……う~~ん……あッ!もしかして『原稿料』とかですかァ──っ??」

 間延びした泉の見当違いの答えを露伴の深い溜め息が覆い隠す。露伴の血液が熱を帯び、静かな憤りと共に全身を駆け巡っていく。

「納期だとか原稿料については別に何も思っちゃいないさ。出版社(そっち)にだって予算や都合ってモンがあるだろうしな」

「あれェ?違いましたああ??『金額』でもないとなるとォー……」

 露伴の怒りの矛先を読み取れず、顔に疑問符を張り付けたまま小首を(かし)げる泉の態度に露伴の心拍数が高まっていく。自身と関わったことがある者であれば自然と避ける〈禁句〉を──そこに悪意が無いにしろ──悪びれもせず平然と言ってのける泉は好奇心に殺されるタイプだろうと露伴は思った。良く言えば裏表が無く、逆を言えば善性の悪意の塊のような存在。それこそがこの〈泉京香〉という人物であったこと露伴は改めて思い知った。虎の尾を踏み、竜の逆鱗を撫で付けかねない泉の言葉によって、臨界点を迎えた露伴の怒りが勢い良く噴き溢れる。

「僕が怒っているのは君がこの岸辺露伴から『選択肢』を奪おうとしたことについてだッ!」

「『選択肢』…………あっ」

 攻撃的な言葉に対して返された泉の苦笑が、露伴の怒りの矛先を理解したことを示していた。

「いいかい!僕は『納得』したうえで仕事をしている。金だとか、媒体だとか、重要なのはそーゆー部分(ところ)じゃあなく僕自身が『納得』出来るかどうかだッ」

 露伴にとって〈興味〉とは創作の種である。自らが選び抜いたネタ()と編集部から無条件に与えられた案件()とでは実る果実の品質に大きな差が生まれることを露伴は理解していた。例え全く同じ熱量で取り組んだとしても、無意識下における興味の差異は必ず結果に影響を及ぼす。作品に生命を吹き込む〈リアリティ(エネルギー)〉は露伴の〈納得〉によって生み出されていると言っても過言ではない。

「最終的に仕事を受けるかどうかを決めるのは僕であって君じゃあない。企画会議で僕の名前が上がったのなら、納期だとか金だとかウダウダ考える前に真っ先に僕に話を寄越すべきだった!君が担当しているなら尚更だ!それが『興味』を持てる内容ならどれだけ納期が短かろうが完璧に描きあげてみせる」

 『そーゆー覚悟を持って僕は仕事をしている』泉は露伴からの激しい詰問を浴びながら自身が露伴の担当編集として勤めていた頃を思い出していた。少女漫画誌への掲載依頼が来ていることを露伴に伝えた際の「引き受けるよ」という淡白な返答にも、確かに〈興味〉と〈納得〉の二つが存在していた。泉の心配を他所に露伴はマンガづくりにおける〈人間賛歌〉というテーマを愛情と遺伝子という要素に落とし込み、見事に少女漫画誌に溶け込む一作を描きあげてみせたのだ。

「ちなみにこの話を君にしたのはこれで2回目(・・・)だ」

 デスク脇のキャビネットに閉まってある茶封筒に原稿を納めながら皮肉と共にそれを泉へと手渡す。

「アハハハハそうでしたかねェ~~~~。では埋め合わせは後日ということで」

「いいや結構だ。……なァ泉クン。念のために言っておくが、そうやって口実作って僕の家を休憩所代わりに使おうとしてるのバレバレだからな?コーヒーの染みでも作る前にさっさと入稿してくれェ」

 食い下がる泉を追い返して平穏を取り戻した作業場に淹れたばかりのコナコーヒーの香りが広がっていく。ソファの前にはコーヒーカップの他に、鍵付きキャビネットで保管されていたある(・・)取材(・・)資料(・・)の束が置かれている。

「『自然の法則』か……取材の息抜きついでに調べてみるか」

 資料の一番上にあったパンフレットを手に取り、何度も見返した中身を反芻する。濃い緑を纏った切り立った岩肌が続く断崖絶壁の海岸線の写真が表紙に起用されたパンフレットには深く広大な渓谷や神秘的なシダの洞窟などが掲載されており、〈神々の箱庭〉とも称される芸術性と凄みは写真越しでも感じることが出来た。

 空まで続いているかのように穏やかで澄んだ青い海と白砂のコントラストが美しい開放的なビーチを紹介しているページで露伴の手が止まる。

「ところで…………ハワイに『渦潮』ってあるのか?」

 

 

 

岸辺露伴は動かない

──ハワイアンズ・ウォーターマーク── 

 

                  

 

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