岸辺露伴は揺るがない『ハワイアンズ・ウォーターマーク』   作:甘草粥

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ハワイアンズ・ウォーターマーク その①

 

 ハワイ諸島 ハワイ島 ワイコロア地区 

 キングサイド・マーケットプレイス 

 

「君が持ってる『その本』……少しだけ見せてもらってもいいかな?」

とびっきり(・・・・・)冷えた『チョコレート』くれるならいいよおお~~」

 『3秒以内にィ~~』年相応の子供じみた無理難題が露伴の交渉を退ける。露伴の胸に立ち込めた暗雲。セルリアンブルーが広がる澄み切った空からは容赦ない太陽光が降り注いでいる。

「…………」

 露伴は喉元まで込み上げた罵倒の言葉をなんとか胃の中へ押し戻すと、乱れた心の平静を整えながら今一度少年の観察を始めた。花壇と一体型になった石造りのベンチに腰掛けた交渉相手(少年)の右手には表面をチョコレートでコーティングされたアイスクリームが乗ったコーンが握られており、もう片方の手はベンチに置かれた〈本〉の上に置かれている。花壇から伸びるオレンジ色のパラソルの落とした影が日差しから少年を守る四つ角の結界を作り出していた。

 パラソルの内と外。日陰と日向。そうしてくっきりと分かれた明暗によって作り出された一筋の境界線は、二人を隔てる不可視の断層を体現しているかのようだった。

「ねェ~~~~まだああ~~~~?『チ・ョ・コ・レ・ェ・ト』ぉおお~~~~」

 片側一方だけが往来可能な不条理な〈断層〉を抜けたソプラノの声が露伴の耳朶(じだ)を揺らす。アイスクリームのコーティング(チョコレート)だけを舌で器用に剥がしながら露伴を煽るその声が気にならないほどに、露伴の意識は少年が持つ〈本〉に集中していた。

 

 状態が良すぎて(・・・・)模造品かと思ったが…… 

 間違いない……あれはッ……! 

 『チャーリーとチョコレート工場』の初版本(オリジナル)ッ! 

 (しかも『ロアルド・ダール』のサイン入り!) 

 冒険譚とサスペンスにおける一種の 

 『完成形』と言っても過言じゃあないッ 

 

 児童文学(お子様向け)だと軽く見られがちだが

 大人であっても……いや、大人であるからこそ 

 予測不可能な『奇想天外な展開』ッ 

 多種多様な生物が織り成す『生命の輝き』ッ! 

 そしてグロテスクさと美しさの 

 調和が(もたら)す『知的好奇心』ッ!! 

 そのどれもが一級品── 

 

 僕がマンガ家を目指すキッカケのひとつ……  

 僕の人生を変えたそういう『教科書(一冊)』…… 

 

(どうしてそれがこんな場所(ところ)に……)

「レロレロレロレロレロレロ」

 苦悩に喘ぐ露伴の葛藤など露知らず、当の少年は小説の表紙に描かれた男の子とよく似た黒目がちな瞳で露伴を見上げながらソフトクリームを舐め続けている。

「『ヘブンズ・ドア──』」

 『ピシィイィッ』という音を合図に少年の顔の中心に裂け目が走り、〈本〉へと変えられた顔が左右へはだけていく。意識を失った少年の右腕は引力に引き寄せられて太ももへと落下し、その手に持っていたアイスクリームは反動によって華麗に宙を舞って地面に着地した。

「これは僕に備わった能力だ。人や生物を『本』へ変えて、そこに蓄積した『体験の記憶』を読むことができる……そーゆー能力……」

 (まッ、説明したところで聞こえちゃいないだろうがな)意識を失った少年相手に自己紹介を兼ねた説明義務を果たす露伴の背後には、彼の精神エネルギーが具現化した能力(スタンド)──〈ヘブンズ・ドアー〉の姿があった。発現当初は露伴の作品に登場する少年の姿を象った見た目をしていたが、露伴の精神の成長が反映されたのか、今は青年のような見た目へと変化している。

「欠点も在る。自分の遠い記憶運命は読め(・・)ない(・・)。……言い忘れたが記憶に書き込むなんて芸当もできる。絶対厳守の『命令(・・)』を──』

「オイッ、そこの日本人(・・・)ッ!今すぐその子から離れろォォオオ──ッ!!」

 長らく眠っていた活火山が水蒸気爆発によって目覚めたかのようなけたたましい〈警告〉が露伴を制す。声を辿った先には黒々とした艶肌を持ち、アメフト選手のように筋骨隆々で恰幅の良い体躯の大男が立っていた。

「おいおいおいおい」

 暑さにあてられて熱中症になったかのように力なくベンチに(もた)れ掛かる現地の少年とその傍らに佇む外国籍の不審な男の組み合わせには、そこはかとない〈犯罪〉の匂いがあった。マーケットプレイスの警備員の腕章を着けた大男の警戒心は間違いなく露伴に向いていた。

「フゥ──ッ! フゥ──ッ!」

 鼻腔を掠めた匂いに引き寄せられた警備員は、威嚇するかのような攻撃的な吐息を溢しながら二人との距離を詰めていく。男が放つ威圧感によって、のどかな昼下がりの空気が徐々に緊迫したものへと上書きされていくのを露伴は肌で感じ取った。

 不幸は更に続く。〈ヘブンズ・ドアー〉で少年の意識を奪った一部始終を、パトカーで辺りを巡回していた保安官に目撃されていたのである。歩道脇のバスロータリーに停車したパトカーの助手席のドアが開き、壮齢の保安官が灼熱のアスファルトに降り立つ。保安官はホルスターに手を掛けながら、警備員の対角──露伴を挟み込むような位置からゆっくりと距離を詰め始めた。

「……穏やかじゃあないな……」

 

 岸辺露伴は善良な観光客だ 

 

 岸辺露伴に近寄らない 

 

 非可聴音の『ドシュッ』という音が続け様に鳴り、露伴に敵意を向けていた二人が〈本〉へと変わる。意識を失うよりも早く〈命令〉を書き込まれた警備員と保安官の表情は途端に緩み、踵を返してそれぞれ元居た場所へと帰っていった。

 非暴力の精神に基づいたヘブンズ・ドアー(平和的解決)によって服従させた二人を横目で見送り、周囲を今一度確認してから太陽が描いた〈境界線〉を越え、露伴は少年の記憶に手を掛けた。

「別に盗ろうって訳じゃあない……ほんの少し読むだけだ」

 陽光は依然として強く降り注いでいる。光を食んだパラソルは第二の太陽のようにそのオレンジ色を主張していた。

 

 『ガロア・ボルテックス』(8)さい 

 普段はカウアイ島で暮らしているが 

 『小説家』である父親に付き合わされて

 向こうの本屋で扱っていない作品を探すために 

 ハワイ島(ここ)へ連れてこられた……  

 

 その少年──〈ガロア〉自体に興味は無かったものの、本に変えたついでに基本情報に軽く目を通す。〈体験の記憶〉が語るにガロアが持つ〈初版本〉は父親から譲られた品であり、更に元を辿ればその彼が曾祖父(父親)から買い与えられたという歴史(過去)があった。僅か数センチの厚さの中に無限に広がる本の世界に魅了され、冒険者の域を越えて、創造主を志した父親の想いは同業者である露伴にもよく理解できた。

(なるほど……成るべくして成った(・・・・・・・・・)と……)

 二代に渡って継承されたにも関わらず、半世紀を越える歴史を感じさせない新品同様の美麗な装幀(そうてい)は、作品に対する彼らの敬意に満ちた〈精神エネルギー〉でコーティングされているのかもしれないな、と露伴は思った。

 少年を読み終え、その横の腰を下ろして〈オリジナル(初版本)〉を開いた露伴の脳裏に〈親の心子知らず〉の言葉が浮かぶ。父親の想いに反し、ガロアは小説はおろか、本という媒体そのものに対する興味が皆無(ゼロ)に等しかった。何をせずとも無限に情報が流れ込んでくる現代社会に毒され、わざわざ読み進めなければならないそれらの媒体は古臭く、劣ったコンテンツであるという誤った認識がガロアの思考を埋めていた。父親の付き添いに嫌気が差し、父親の知人である先程の警備員に見守られる形でアイスクリームを頬張っている現状からもその傾向は見て取れた。

 

 そうじゃあなくって……ホラッ!カリヒ地区の…… 

 ええ~~と……なんだっけェ……そうだ! 

 『アイコアイコ』って店! 

 そこの服が最ッ高にイケててさァ──ッ!! 

 

 ハワイ王国第8代国王『リリウオカラニ』は 

 最後にして唯一の女王でありましてェ── 

 あの有名な『アロハ・オエ』の

 作詞作曲も手掛けていてェ──…… 

 

 歩道を過ぎて行く地元の若者や現地ガイドの声が、厚さ数センチ(・・・・・・)の〈チョコレート工場〉を探索していた露伴を現実に連れ戻す。露伴が小説に触れていたのは三分にも満たない僅かな時間ではあったが、それが一時間にも感じられるほど彼の心は濃密な満足感で満たされていた。

 

 ああ……ガロアはアイスクリームに夢中になってるぜ 

 …………何ィ~~?あと『10分』だああ~~?? 

 ……ああ……分かったよッ!その代わり明日の集まりは  

 全部おまえの奢りだからなああ? 

 

 『ガハハハッ!冗談だよ冗談ンン~~ッ!』少し離れた場所で誰かと通話している先程の警備員──ネルズ・パールグレイの声が耳に入る。会話の内容からして相手はおそらくガロアの父親で、その中身は子守り(・・・)の延長依頼のようだった。

「おかげでいい『体験』ができたよ」

 その言葉も共にガロアと〈オリジナル〉のふたつの本が閉じられる。それぞれを元あった状態(場所)へ戻したことを確認してから露伴は立ち上がった。

「ウゥゥ~~ン」 

 ヘブンズ・ドアーから解かれて意識を取り戻したガロアの左手が、痙攣しているかのように小刻みに震える。露伴はそれを横目に見下ろしながら、まるで小説を撫でて愛でているようだと思った。

 そんなことを考えつつ、自身の腕時計に目をやると時刻は丁度十三時を指していた。

「予定外の収穫(・・)だった。これもまた『自然の法則』のおかげかもな」

 レザー製のストラップが取り付けられたスケッチブックと鞄を背負いながら、スマートフォンを開いて〈フアラライ山麓(カイルア・コナ)〉行きの便の時間を調べはじめた露伴であったが、小気味良く画面をタップしていた指はベンチから数歩離れたところで動きを止めた。

 

 ……太陽()が差さない…… 

 

 露伴の本能が嗅ぎ取った明確な違和感。本来であればベンチが設置された場所から一歩踏み出せばパラソルの影から出るはずであった。しかし、露伴の身体は今も尚、光の世界に戻ることはなく、〈何か〉によって濾された〈仄明るい影〉の中に囚われていた。

「…………」

 生唾を飲む振動によって、日陰に似つかわしくない数滴の冷や汗が露伴の頬を伝う。周囲の買い物客に目を向けてみたが、混乱や動揺を見せる者は誰ひとりとして居なかった。不可解な状況に巻き込まれたのは自身だけなのだと露伴は即座に悟った。

「『ヘブンズ・ドアァァ──ッ』!!」

 自身の頭上に覆い被さる得体の知れない〈何か〉を本へ変えるため、影から飛び出して空へ叫ぶ露伴の足元で〈波紋〉が立った。

「な、何だ……こいつは……!?」

 見上げた先、頭上4メートルの位置に〈ソレ〉は居た。人型の上半身と逆さにした円錐形の下半身で構成された胴体を持つ〈ソレ〉には腕と呼べるような部位はなく、代わりに飾り気のない機械的な四本の脚が肩部(けんぶ)から生えていた。胴体部分には人型であることを判別できないほどに鬱蒼と草花が生い茂っており、そこから伸びたツル性の植物が脚の中間あたりまで巻き付いている。奇妙な点は見た目だけにとどまらず、下半身(円錐)の先端に空いた穴から一定の間隔で滴り落ちる水滴が地面に触れる度にレンガ敷きの歩道が液体のように滑らかに波打っていた。

 波紋によって波打つ地面とアメンボを彷彿とさせる細い四本の脚を見て、〈異形の存在〉によって地面を液状化させられたのではないかという懸念を抱いた露伴だったが、その考えとは裏腹に足の裏には確かな反発が残っていた。〈四ツ脚〉は声を発することも目立った動きを見せることもなく、何かを見守るかのようにその場に鎮座し続けている。

 動植物と機械が融合したような造形の〈四ツ脚〉から生えていたドラセナの葉が『ヒュッ』『ヒュッ』と音を立てながら露伴の目の前に落ちる。〈ヘブンズ・ドアー〉を使うよりも先にひとりでに本へと変化した横長のページ(葉っぱ)には、露伴の予想の範疇を遥かに越えた〈体験の記憶〉が刻まれていた。

 

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