岸辺露伴は揺るがない『ハワイアンズ・ウォーターマーク』   作:甘草粥

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ハワイアンズ・ウォーターマーク その②

 

 

 はじまりは『溶岩』だった 

 

 

 そう書かれたドラセナの葉には一枚の〈写真〉が映し出されていた。二次元に収まっているとは思えないほどに立体的で深い色彩を宿した海の写真。その風景を背にして浮かび上がった意味深な一文に露伴は釘付けになっていた。露伴が読み終えると同時に文字列は崩れ去り、穏やかだった海面も猛々しく波打ちながら黒煙と気泡で塗り替えられ、平穏そのものだった景色は瞬く間に様変わりした。

 そこから先は、一瞬だった。

 溶岩の海(マグマオーシャン)によって(もたら)された生命が進化を重ね、幾度となく廻り続ける生活環に取り込まれることで自然の摂理が組み敷かれていく循環の歴史。地殻に滞留するマグマ溜まり(ホットスポット)から地表に噴出した溶岩が荒波に揉まれながら積み重なり、太平洋に浮かぶ絶海の孤島となるまでの歴史。寄せては返す波のように繰り返し勃発する先住民と移民の争いによって変容していく文化と伝統の歴史。両手で収まるほどの小さな一枚の葉に映し出された、凡そ六〇〇万年にも及ぶ、常人では耐えられないほどの幾星霜の情報(記憶)が瞳を通って露伴の脳内に一気に流れ込んだ。

「ハア──ッ ハァ──ッ はア──ッ」

 大きく見開かれたまま戻らない瞼と過呼吸じみた荒い吐息が露伴の混乱を如実に示していた。許容量を遥かに越えた〈記憶〉を流し込まれたことで、自身を構成する遺伝情報(DNA)が大きく書き変わり、〈岸辺露伴〉以外の誰かへ──人間以外の〈なにか〉へ姿形が変わってしまったのではないかという恐れが露伴の心身に更なる負担をかける。

 胸にあてがった右の掌に、激しく脈打つ心臓の鼓動が響く。己の存在を訴えているかのように繰り返し刻まれる力強い振動が、不安に刈られる露伴の心を癒していく。その右手の甲には渦の形をした〈アザ〉が刻まれていたが、露伴はそのことに気付いていなかった。

「ハアッ……ハアァ……ハアッ………」

 呼吸音は次第に収まってきてはいたものの、未だ地面に膝を付いて苦悶の表情を浮かべる露伴に対し、マーケットプレイスに集う買い物客らは、相も変わらずそれぞれの日常を送っていた。

 ハアッ   ハアッ

 どこか……妙だ(・・)…… 

   ハアッ

 現在進行形で何らかのトラブル(・・・・)に見舞われているであろう明らかに様子のおかしな外国人に対して、助けに入るのではなく距離を取るという行動を選択するのはある種仕方のない事なのかもしれないと、それに関しては露伴も納得していた。しかし、露伴には彼らの言動の根底にあるのが忌避の念ではなく、度を越えた〈無関心〉であるように思えた。それに同調するかのように、〈四ツ脚〉は本となったままその場に静止し、沈黙を保っている。

「あれええ~~~~~~??」

 張り詰めた緊張の糸が気の抜けた声によってぷつりと切れる。頓狂な声の主──ガロアは小首を傾げつつ、怪訝な表情を浮かべながら辺りを見回していた。

(この子供なら……話が通じるはずだ)

 やっとの思いで立ち上がった露伴が気力と共に声を振り絞る。

「なァ、そこのキミ。四ツ脚(こいつ)が見え……」

「オイオイどうしたああ~~?アイスクリームに夢中になってると思ったら今度は別のオンナ(スウィーツ)探しかああ~~??」

 『甘いものに目が()ェーのだけはパパそっくりだよなァ──ッ!!』露伴の問い掛けを掻き消すような豪快な足音を打ち鳴らしながらやってきたのはネルズだった。先ほどの剣幕を裏返したような柔和な笑みを振り撒きながらガロアの元へゆっくりと歩いてくる。

(逆に考えるんだ……逆にこっちの方が都合が良いと考えるんだ)

 〈四ツ脚〉から舞い散る葉っぱ越しに映るネルズの姿が徐々に大きくなっていく。状況把握能力に乏しい子供(ガロア)に尋ねるよりも、自身の事を〈善良な観光客〉と認識しているネルズに声を掛けた方が〈謎〉の解明に繋がる可能性は遥かに高い。そう考えると途端にネルズが心強い〈味方〉であるように思えた。使命を全うする責任感に満ちた精神も、威圧的に感じた巨躯も、子供に向ける優しい眼差しも、そのどれもが頼もしく感じた。

 もはや頼みの綱はネルズだけだった。〈四ツ脚〉の正体が限られた者にしか見ることができないスタンドめいた存在で、たとえネルズがスタンド使い(その分類)に該当しなかったとしても、今はただその肩を借りてベンチに座らせて休息を与えてくれるだけで良かった。

 

   サアーッ     サアーッ   

       サアーッ 

 

 〈四ツ脚〉の身体から舞い落ちる葉っぱの中に混ざったハイビスカスの花弁が露伴を取り囲むように円形に広がっていく。足元に敷かれた華やかな花弁の絨毯を一瞥し、再び顔を上げると、ネルズが先ほどのガロア同様に訝しげな眼差しで周囲を見回していた。

「『探し物(・・・)』で思い出したけどよォ──……」

 『ロハン先生はどこ行った?(・・・・・・・・・・・・)』たった一本の頼みの綱が豪快に千切れる音がした。ネルズまでの距離は僅か三メートルしかなく、見えていないはずは無かった。目の前に立つ大男の姿がやけに小さく、遥かに遠くに存在しているように見えた。

「こいつは…………」

 

 『無関心』………… 

 

 忌避の念でもからかいでも無く圧倒的な〈無関心〉。トラブルに見舞われている露伴を素通りした人々と同じように、ネルズの視界からも〈岸辺露伴〉という存在そのものが消え失せていた。

「『ロ・ハ・ン』んん~~……って誰それ??知らなァア~~い」

 『あっ!』アイスクリームが地面に落ちてしまったことにそこで初めて気付いたガロアが大袈裟な舌打ちを鳴らす。一瞬不貞腐れた表情を見せたガロアだったが、喜色満面の笑みで「いいことを思い付いた!」と呟いたかと思うと、残ったコーンの先端を勢い良く齧り取ってみせた。

「あンまああ~~~~いっ♪」

 先端を欠けたコーンから流れ落ちる液状のアイスを大きく突き出されたガロアの舌が受け止める。自身の反応を横目で盗み見るガロアから向けられた何故か自慢気な瞳にネルズが苦笑いを返す。

 

 

 ド ザ ァ ア ア ァ ア ッ 

 

 

「はッ!」

 自身とガロアの狭間に発生した超局所的な〈スコール〉に露伴が我に返る。ポツリ、ポツリとガロアの舌を打つ柔らかなアイスクリームの雫とは異なり、その〈スコール〉はまるで重力(・・)()帯びて(・・・)いるか(・・・)のようにタイル張りの地面を鋭く叩きつけた。

(何だ……何が起こっているッ!?)

 狼狽こそしたものの〈発生源〉は明白だった。見上げた先、〈四ツ脚〉の下半身にあたる逆さになった円錐形の先端から(せき)を切ったように勢い良く放射状に水が噴き出していた。

 此処彼処に散らばっていたドラセナの葉やハイビスカスの花弁が雨水の勢いによって押し流され、露伴の足元に次々と流れ着いていく。

(集まって来るッ……『不自然』なまでに……!)

 作為的に仕組まれた〈水の流れ〉を疑う露伴の視線を浴びた草花が一斉に本となって開き、その〈精神〉を見せつけた。

 

 我々ニハ【義務】ガアル  

 

 一番始めに目に飛び込んできたその一文を皮切りに、全方位に散りばめられた草花(ページ)がひとりで捲れていき、再び露伴に〈情報〉を流し込む。

 

 罪ノ行方ヲ見届ケル    【義務】ガアル

 森羅万象ヲ因果デ繋グ   【義務】ガアル  

 聖ナル血ヲ宿ス子供達ヲ守ル【義務】ガアル 

 邪ナル血ヲ宿ス者達ヲ迎エル【義務】ガアル 

 争イノ無イ在ルベキ姿へ── 

        生命ヲ循環(マワ)ス【義務】ガアル

 

「……これはッ……!僕に対する『警告』だ……」

 『攻撃(・・)は既に始まっているッ!!』己の正当性を主張するかのように何度も繰り返される言葉からは〈敵意〉が滲み出していた。

 露伴が気付いた頃には既に雨は止んでいた。僅かな湿り気さえも無い乾ききった地面を見て、今まで夢を見ていたのかと自分を疑った露伴だったが、足元に残ったままの草花がそれが現実であったことを暗に物語っていた。

「まさかッ……!」

 まだ目も開いていない生後間もない子犬の兄弟が本能で母犬の母乳に群がるように、露伴の足元にあった落葉の群れが束になって膝の辺りまで登ってきていた。

「こいつらッ!僕に寄生(・・)する気だ!!」

 ギチギチと音を立てながら足に食い込む草花を払い除けようとした露伴であったが、草花から直に伸びた根は互いに複雑に絡まり合い、一枚の布のようになって地面に固定されていた。

 莫大な情報処理の後遺症をやり過ごすためにその場から動かないという選択肢を選んだのだと露伴はそう思い込んでいたが、実際には動かなかった(・・・・・・)のではなく、動けなかった(・・・・・・)のだとそこで漸く事実に辿り着いた。

「『ヘブンズ・ドアァァ──』ッ!こいつらを『本』に変えろッ!!」

 植物の性質を失い、バラバラと音を立てて内面をさらけ出す植物たちを強引に引き千切る。その際、露伴は勢い余って後方へと倒れて、受け身をとる際に手首を少し痛めたが、足枷から解放された安堵感に比べれば、その程度のアクシデント(不幸)は些事に過ぎなかった。

 

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