岸辺露伴は揺るがない『ハワイアンズ・ウォーターマーク』   作:甘草粥

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ハワイアンズ・ウォーターマーク その③

 

 一陣の風が吹き、露伴の手の中で乾いた〈何か〉が踊る。〈四ツ脚〉が放つ寄生植物への恐怖から反射的に手を離した露伴の予想とは異なり、そこにあったのは何の変哲もない一冊の〈パンフレット〉だった。

(さっきのガイドツアー客が忘れていったらしいな)

 右手に刻まれた見覚えの無い〈アザ〉に意識を割かれつつも、〈溶岩〉を調査するにあたって手配した資料の中に同じものがあったことをふと思い出す。

 

       ~ハワイの神々~

・海の神 カナロア

 息をする度に潮流を生み出す力を持ち、潮流や海の生き物たちを司る『海の守り神』として古くから航海者達から信仰されてきました。

 ポリネシア諸国では『タンガロア』とも呼ばれ、空と大地を創造し、自身の身体から人間や自然を生み出したとされており、神々の先祖にあたる最高位の神であると同時に冥界の神としても──── 

 

 

 擦りきれるほどに何度も読み返した内容。目新しさとは程遠い、見知った言葉の羅列。しかし、その事実とは裏腹に露伴の知的好奇心は高まりを見せていた。

 〈四ツ脚〉から攻撃を受けている真っ只中にすべきことでは無いと理解しつつも、露伴は読みたい(・・・・)という衝動を抑えることができなかった。衝動という突発的な感情よりも、読まな(・・・)ければ(・・・)ならない(・・・・)という使命感に近かった。それは決して露伴が悠長にことを考えていたからではなく、文字を反芻(はんすう)する度に、頭の中で何か(・・)が組み上がっていく感覚があったからである。

 

    ヘブンズ・ドアー       無関心 

 はじまりの島(カウアイ島)    ガーデン・アイランド(植物の楽園) 

     罪と因果    聖なる血と穢れた血 

 

 本能が求めるままに、瞬きすら忘れて文字を食む。

 

   生命の循環      潮流(ボルテックス) 

         カナロア     タンガロア  

  創造主       冥界の神 

 

 〈四ツ脚〉から膨大な情報を流し込まれたことで際限なく広がった知識の海に既知の言葉たちが飛び込んでいく。

 渦 

 

 露伴の海馬に飛び込んだ言葉の群れによって巻き立った小さな渦が、水面に漂う言葉たちを巻き込みながら広がっていく。ひとつまたひとつと、独立していた幾つもの〈違和感(歯車)〉が噛み合っていく。そして今、露伴の中で生まれた小さな渦は、極めて確信に近いひとつの〈予想〉を組み上げた。 

 

「これは……『四ツ脚(こいつ)』の正体はッ!『防衛システム』だッ!!外敵と見なした相手を認知(・・)()外側(・・)()追いやる(・・・・)ことでストレスから身を守る『防御機構』ッ!まるで体内に侵入した細菌を排除しようとする『白血球』のように……カウアイ島で生まれた者たちの血潮に宿り、彼らを守ることを義務(・・)付け(・・)られた(・・・)守り神』……」

 

 『それこそがこの四ツ脚(異形)の正体ッ!!』子飼いの猫のようにネルズの肩口から音もなく現れた〈守り神〉を見て予想が確信へと変わる。露伴が最初に邂逅した優に三メートルを越す個体とは異なり、ネルズに宿った〈守り神〉は頭ほどの大きさしかなく、先の個体が造り出した子供のようにも見えたが、大きな個体をそっくりそのまま縮小コピーしたような精巧な身体の造りから、多少大きさに差異はあるものの、それもまた立派な成体のひとつなのだと、露伴はそう結論付けた。

 

 どうやら書き込んだ(・・・・・)内容がマズかった(・・・・・)らしい…… 

 警備員としての職務を『妨害』した……

 事実はどうあれ少なくとも

 守り神はそう『判断』した…… 

 

 『……だとするとこっちの大きい方がガロア(小僧)の守り神か……』露伴はガロアとの会話の内容を思い出しながら防御機構が作動したきっかけ(・・・・)を探したが、これといった心当たりはなかった。アイスクリームが落ちてしまったことが多少気にはなったものの、それはあくまでもガロア自身の行動によって起きた現象であり、自身に非は無いとして心当たりの候補から早々に除外していた。

 

 

 オ ォ オ オ オ ォ オ ォ オ オ ォ ォ 

 

 

 露伴を責め立てるかのように、建物の隙間を通り抜けた風が唸りをあげる。建物に沿って生えるヤシの木や雑草対策で植えられたグランドカバー(匍匐植物)、花壇を彩る見目麗しい花々。視界に入るすべての植物が風に合わせて鳴動し、本となって靡いていた。

 

      貴方ハヲ犯シタ 

  奪ッタモノヲ返シナサイ 

          ソシテ赦シヲ乞ウノデス 

  許サレルトハ 償ウト云ウコト 

      許サレレバソコデ終ワリ  

          拒マレレバ自然ニ還ル 

  我々ト混ザリ合イ 

    子供達ヲ見守ル【義務】ヲ得ルノデス 

          コレハッ! 

 強欲ナ略奪者ニ与エラレル 

       誇ルベキ権利ナノデス!! 

 

 木の葉の擦れや噴水のさざめき、鳥の(さえず)りと風の唸り声。環境を織り成すそれら全ての音が人の発する声のように周囲に響き渡る。杜王町に住むスタンド使いの一人である広瀬康一の〈エコーズACT2〉のように、植物に記された記憶(文字)が音波となって露伴に直接語り掛けていた。

「なんだ……これはッ……!?」

 全方位から向けられる〈声明文〉に思わず声を荒げた露伴だったが、建物に反響するほどの熱量を持ったその声さえもガロアやネルズには届いていなかった。

「……言葉の意図が全く読み取れない……。この僕が『略奪者』だと?いいかッ、僕はあの少年から何も奪ってなどいない。少し本に触れただけでその後ちゃんと……」

 『はっ!』思考に疑問符が浮かんだのとほぼ同時に肩に感じた不穏な重力に思わず声が漏れる。

「オイオイオイオイオイオイ」

 露伴の悪い予感は的中した。肩から提げた鞄の中には、ガロアに返したはずの〈本〉が紛れ込んで静かに眠っていた。

「『自然の法則』がこの状況(タイミング)で発動するとは本当に……」

 『最高(・・)の気分だね』皮肉を吐き捨て、鞄の中をまさぐった露伴の右手がピラミッドのような形状の〈溶岩〉を掴む。ゴツゴツとした鉱滓(スラグ)状の破片で覆われた武骨なその塊には、スポンジのような見た目に則したある特殊な〈仕組み(メカニズム)〉が備わっていた。

 

 戻ってくる── 

 

 〈溶岩〉で触れた金目のものや価値あるものが、必ず自分の元へ戻ってくる。誰かに奪われたとしても、何処かへ置き忘れたとしても、どれだけ距離が離れていようと、どれだけ時間が掛かろうと、必ず、絶対に、間違いなく戻ってくる(・・・・・)。そういう性質が〈溶岩〉には、在った。

 所有者が求めるものを吸い寄せて蓄える黒いスポンジ。底無しの欲求を具現化したような硬く乾いたスポンジ。飽くなき探求心に刺激された漫画家──岸辺露伴がハワイを訪れた意味。興味の矛先である〈溶岩〉が(もたら)化学反応(・・・・)。時間を掛けて紐解くはずだった〈反応式〉の中に、スポンジに向かって進む大いなる〈渦潮(流れ)〉の中に、露伴は知らず知らずの内に呑み込まれていた。

だが問題は無い

 窮地に立たされているにも関わらず、露伴の顔に焦りの色は無かった。〈本〉が舞い戻ったカラクリを見破った露伴はまずはじめに再び二人を本へと変えると、ネルズに書き込んだ〈岸辺露伴は善良な観光客だ〉という一文に二重線を引いてその効果を打ち消した。そして、ガロアの隣へ〈本〉を置く(返す)ことで、自身が関わる前の元あった状態へと戻し、すべてを無かったことにした。例え〈溶岩〉に触れさせたものでも、自身がその権利を放棄すれば、それは元の持ち主の元へと戻る。〈小説〉を手にしたことで偶然移ってしまった所有権はこれで再びガロアのものとなる、と露伴は思った。

 回転の勢いを増す〈アザ〉の正体は結局分からずじまいだったが、取り敢えず目下の危機を取り除くことはできた。膝を越えて太もも辺りまで這い上がってきている寄生植物ともこれでおさらばだ。露伴はそう思っていた──。

盗んだ(・・・・)つもりなんてこれっぽっちも無いがそれはそれとして償う(・・)意思はある。そして今、それを『行動』で示した」

 ガロアは本が戻ってきたことにも気付かず、ネルズとの会話に花を咲かせている。

「誤解も解けたことだし僕は帰るとするよ。じゃあなガロア・ボルテックス」

 『そして……カウアイ島の守り神』露伴はガロアと〈守り神〉それぞれに別れを告げると、バス停に向かって歩き始めた。

 

 自分なりの(かた)は付けたし思い残すことは何もない 

 これで〈溶岩〉の研究に注力することができる

 

 そのような言葉で自己暗示をかけて自身の気持ちを誤魔化そうとはしたものの、露伴の重い足取りには隠しきれない後悔の色が滲んでいた。〈体験(ネタ)〉の引き出しが多いに超したことはない。相手が()ともなれば尚更である。しかし、露伴がハワイに来た目的──最優先事項はあくまでも〈溶岩〉の調査であり、実際問題滞在できる時間には限りがあった。

 少年の家系図をより深く辿っていけば、更に興味深い〈体験の記憶〉が手に入ったかもしれないという悔恨の情が露伴の身を焦がしていく。

(……軽くスケッチだけでもしておくか)

 姿だけでも描き留めようと振り返った露伴の瞳にどこか懐かしさを覚えるモノが映る。

「む?」

 深く視線を落とした先には、ガロアと露伴を繋ぐように点々と続く〈緑色の足跡〉があった。自身を追いかけるようにして刻まれた幾つもの足跡を目にした露伴の脳裏に噴上裕也の幽波紋(スタンド)──〈ハイウェイ・スター〉の姿が過る。

 足跡が蠢いているようにも見えたが、つい数分前から何故か異様にかすんで見えるようになった目のせいだと思い、特に気にすることなく足跡の始まりを探るべく緑色の軌跡を目で辿る。足跡はベンチまで続いていた。そこは先程まで露伴が座っていた場所であった。

「それでェ──そのときにパパがああ~~~~」

 ミュージカル俳優のように大袈裟な身振りでネルズに話しかけるガロアの手が〈本〉を弾き飛ばす。露伴が『あッ!』と声をあげるのとほぼ同時にベンチから落下した〈本〉は、狙い澄ましたかのように緑色の足跡の上へと落下した。しかし、そこで止まることはなく、バネが仕掛けられたかのような不自然な弾みによって更なる跳躍を重ね、最終的に露伴から見てひとつ手前の足跡へと着地したところで漸く静止した。

「この『足跡』は……『僕自身(・・・)』だ。攻撃は終わってなんかいない!僕はまだ許されてなどいなかったッ!『本』と共に『攻撃(・・)』が戻って(・・・)きて(・・)いる(・・)ッ!!」

 古事記に登場する〈因幡の白兎〉が鮫の背を乗り継いで海を渡ったように、露伴の足跡をピョンピョンと辿りながら〈本〉が迫っていた。足跡が蠢いていたのは露伴の見間違いなどではなかった。足跡を象って芽生えた草花が生物のように身を捩って露伴の元へ〈本〉を送っていたのである。冷や汗を浮かべる露伴の足元からは再び草花が伸び始め、露伴の脚に絡み付いていた。

 

 これは攻撃(・・)ではなく 

 僕が招いた結果(・・)だ── 

 

 結果(・・)であり過程(・・)…… 
   

 植物と同化することで 

 『自然』そのものに 

 変化する『過程』…… 

 

 寄生されているワケではなかった……  

 植物は僕自身から生えていた(・・・・・)ッ!!  

 

 仮に〈守り神〉の目を盗んでこの場から逃げ(おお)せることができたとしても、無自覚に発症する罪の意識は問答無用で露伴を自然へと還す。ガロアへの罪を精算しない限り〈植物化〉は避けられないという避けようのない事実がツル(・・)のように露伴の胸を締め付ける。

 右手に刻まれた渦巻き形の〈アザ〉が「シュル」「シュル」と音を立てながらゆっくりと回転する。露伴はその様子を眺めながら、この奇妙な〈アザ〉は、認知性(・・・)を巻き込みながら回転する時限式の罪人の証なのだと悟った。

 〈守り神〉によって(もたら)された植物化(・・・)とはつまり認知性(・・・)──或いは存在感──が欠如していく状態のことであった。日常生活の中で空気や地面の存在そのものに特段意識が向かないように、不快を感じた外敵(要因)を認知不可能な路傍の存在とすることで宿主をストレスから守る仕組み(メカニズム)が渦型の〈アザ〉として発現していた。

 そして何よりも露伴の頭を悩ませたのは、ガロア本人に本に対する所有意識(・・・・)が無いという点であった。本来であれば本の返却に伴って所有権も移るはずだったが、ガロアにその意識が欠如していたことで、本に備わった帰属意識が主を見失ってしまい、結果として〈溶岩〉の持つ自然の摂理に吸い寄せられる形で、露伴の元へ戻ってきてしまったのである。

 露伴が考えを巡らせている間にも〈植物化〉は着実に進行していた。〈アザ〉が渦を巻いて認知性を呑み込む度に、胸から芽を出したツル植物が身体に沿って巻き付いていく。子供特有の当事者意識の低さが認識の齟齬を生み、目測を狂わせ、文字通り露伴の首を締め付けていた。

 

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