岸辺露伴は揺るがない『ハワイアンズ・ウォーターマーク』 作:甘草粥
ネルズと保安官の会話は平行線を辿り、結局最後まで保安官の疑問が晴れることはなかった。
「そういえば『落とし物』があるんだけどよォー……」
ネルズが露伴の鞄に手を掛けたところでパトカーを運転していたもうひとりの若い保安官から声が掛かる。それは隣の地区から応援要請が入ったという旨の連絡だった。
「部下にちょこっと良いところ見せるチャンスなもんで『落とし物』の件はおたくに任せるよ」
『それじゃあ後はヨロピくねェェ~~ん♡』
路肩に停まったバスのドアが開き、圧縮空気が解放される威嚇めいた音が辺りに響く。車体に緑色のラインが三本入っていること以外はこれといった特徴の無い、車両の前方と後方それぞれにドアが取り付けられた至って一般的なバスだった。
タイミングを見計らったかのように、猛烈な頭痛が露伴を襲った。痛みに耐えかねて膝を折った露伴は、地面に垂れた数滴の血痕を見て、そこで初めて自分が鼻血を出していることに気付いた。
「『紫外線』………… 」
右の中指に付着した血液を一瞥し、爛々と燃え上がる太陽を恨めしそうに見上げた露伴が独りごちる。露伴の予想通り〈植物化〉の進行によって身体の構造や体組成などが変化したことで、〈溶岩〉の特性により過度に取り入まれた紫外線が人間としての細胞を破壊していた。
「助かる方法を知りたいか?」
露伴のちょうど目の前で開いたバスの扉の向こうで運転手の男が前を向いたまま呟いた。あまりにもできすぎた
「『岸辺露伴』……アンタに言ってるンだぜ」
運転手は前を向いたままだったが、発せられた言葉は間違いなく露伴の方に向いていた。
「……あるのか……本当にそんなものがッ……!」
光が途絶えかけた暗闇の中に仄かに咲いた一縷の望みに露伴の身体は無意識に引き寄せられていた。運転手が持つ〈答え〉に向けて一歩、また一歩とバスに近付いていく。足の裏にバネでも仕込まれたかのように、自身の足の運びが妙に軽くなったことが気にならない程に露伴の意識は運転手に囚われていた。
バスに乗り込んだ露伴の足元を車内に満ちた冷気が抜ける。露伴は車内に目を向けたが客は誰も乗っていなかった。赤と白のハイビスカスで作られた〈
海底火山の噴火によって気泡が続々と立つように、露伴の思考にふと湧いた小さな疑問が更なる疑問を呼び起こす。忘れかけていた危機感が再び熱を持ち、〈ヘブンズ・ドアー〉を発動させる。
「この男……僕のファンどころか『マンガ』を読んだ『記憶』すら無いぞッ!?それだけじゃあない!僕をここに呼び込んだことを『記憶』していないッ」
本能的な恐怖から後退りした露伴の背に柔らかい感触が伝わる。
「何ィィ────!?」
振り向いた先、バスの乗車口は複雑に絡み合った植物で封鎖されていた。全容を把握する間もなく背後から伸びてきた植物の幹が露伴を捕らえて運転席の支柱に拘束する。胴体と二の腕にかけて何重にも巻き付いた幹から枝が伸び、その先端に付いた蕾がゆっくりと開く。美しく、鮮やかな赤いハイビスカスの花だった。ただひとつ、普通でない点をあげるとすれば、その花には
「話ニ乗ッタノはオマエダゼ『岸辺ロハン』ッ!話モ聞カなイデドコ行くツモりダァ~~??」
運転手の首から下がる
『
床や窓、天井など車内のありとあらゆる部分に植物が犇めきあっていた。ハワイの日差しを思わせる熱い視線を露伴に送る異形のものたちの葉や幹が裂け、その中からギラつく白い歯が現れる。ただの植物ではない。それらすべてが〈意思を持つ植物〉だった。
「
「物分カリが悪イ
露伴を押さえつけている個体とは別の植物たちが口々に捲し立てる。赤く細長い雄蕊が特徴的な針山のような〈オヒアレフア〉、その名の通り星形の
「マサカ無賃乗車スルツもリジャあ無ェダロウなあアー??『マナー』以前ノ問題だぜソレハよォーッ!!」
バスの天井ギリギリまで伸びたヤシの木から落ちた
「こいつらは『罪人』だッ!罪を
真実に到達した露伴に〈地縛神〉たちが歪な笑みを浮かべて口々に同意する。植物の見た目に動物的特徴を兼ね備えたその姿は、猫と植物両方の性質を併せ持ち、吉良吉影に飼われていたスタンド──〈ストレイ・キャット〉の姿に酷似していた。吉良との戦いのあとに〈猫草〉の里親となった虹村家へ取材に行った体験が昨日の事のように鮮明に甦る。
ガロアへの償いが遅れ、〈植物化〉の
「ロハン先生ヨォ……オレらと一緒に楽しくヤろウゼェ~~??人間ナンて辞めチマッてヨォ──」
「なッ?『死』ハ『
「死者ッテノハお気楽ナモンだゼ~~何モ考えナクテ良イシなアア~~」
卑しく嗤う無数の声がバスの中に反響する。
20……いや、30は
露伴は敵の位置を見定めながら、知識の海に沈殿していた〈ハワイ州における年間の行方不明者数〉に関する記憶を引き上げた。その平均は百五〇人程であり、後に発見された
〈溶岩〉を採集した場所──
「『遅効性』の
露伴がその結論を導き出すのに時間は掛からなかった。露伴の独り言を聞いた〈地縛神〉たちは、この世の不条理を恨むかのようにギチギチと歯軋りをしながら、血走った目を見開いていた。さっきまでの楽観的な態度が嘘であるかのように、偽りの仮面が剥がれたかのように、一切の笑みが消えていた。
「バーで飲んでてその場の雰囲気に負けて観光客に番号を教えただとか、値引きしろとしつこい客に折れて少し
露伴の推察に間違いはなかった。持続力も射程距離も無限に等しい〈守り神〉の神罰は戒めの鎖に形を変え、カウアイ島の住人から何かを
「縛ラレテるのハ身体だけジャアないゼッ!」
「ソロソろオマエモ
再び破顔を取り戻した〈地縛神〉たちが露伴の右手に刻まれた〈
「ハッ!」
〈アザ〉の内側で生じた光の粒が皮膚の下を這いながら露伴の体内を駆け抜ける。
〈アザ〉から吐き出された光が体内を遡上するのと同時に脳内に浮かび上がった言葉。それは考えるまでもなく〈守り神〉からの神託であった。
『生物に対して危害を加えるな』
……といったところか……恐らくは
対話を試みる余地もない、極めて一方的で不可逆な
神殺しの槍──〈ヘブンズ・ドアー〉を封じられ、それに変わる新たな武器を見つけようと、再度〈地縛神〉たちに目を向ける。直後、露伴は彼らの身体に自身と同じような渦巻き型の〈アザ〉があることに気が付いた。そしてやはり、
時を刻むかのように絶えず渦を巻く罪人の烙印。不可視の檻に閉じ込められた同じ穴の狢である以上、それは至極当然のことであった。しかし、露伴が気になったのはそこではなかった。
人間とは到底言い難い姿形となりながらも、未だに人としての記憶と意識を保っている彼らの〈植物化〉が
〈植物化〉が到達を迎え、人間性が完全に消失することで罪を償ったと見做され、恩赦として視認性を返されるのだとしたら。先住民と入植者の抗争で流された血潮によって、ハワイ諸島のなかでも
「ププッ!オレらハ今ッ!
〈ザクロ型地縛神〉が大きく裂けた果実の中にぎっしり詰まったルビーのような
露伴は左手から滴り落ちた血痕とザクロの果粒によってバスの床が赤い斑模様になっていく様子を眺めながら、〈地縛神〉たちが執拗に自身を狙うのはある種の憂さ晴らしなのだと悟った。自身を拘束し、攻撃しているハイビスカスとザクロの〈地縛神〉たちの〈アザ〉の回転が加速していないところから察するに、『加害を禁ずる』という
「観光客からの苦情が多いから『発車時間』はちゃんと守れって言われたけどよォー今日みたく客がいないんじゃあなああ~~」
『後で怒られンのも嫌だからあと
「コノバスは『コナ空港』行キダッ!」
「ちナミニ言ウトアノ小僧ハ『ヒロ空港』行キのバスに乗ルゼ!」
〈地縛神〉たちが奏でる不協和音が頭痛に拍車を掛ける。ガロアの記憶の中に、ワイコロア地区のリゾート施設に宿泊しているという記載があったことを思い出す。数分前までシミひとつなかった露伴のシャツは、収まる気配の無い鼻血と吐血によって赤く染まりきっていた。衰弱していく露伴を気遣う様子を微塵も見せることなく、〈地縛神〉たちは好き勝手に言葉を吐き捨てていく。
「逆ナンダヨ!真逆ダッ!『南西』ト『北東』ナんダヨォ──」
「オマエハもうアイツニ償ウコトも!会ウコトさえできナいッ!!」
「サヨナラハ言ッテきタカああ~~??言ワセネェケドナアア──ッ」
露伴に残された時間は〈三分〉しかなかった。運転手がアクセルを再び踏み込む前に〈植物の楽園〉と化したバスを脱出し、ガロアに償わなければならない。人としての細胞が着実に駆逐されつつある今、露伴に残された道は