岸辺露伴は揺るがない『ハワイアンズ・ウォーターマーク』   作:甘草粥

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ハワイアンズ・ウォーターマーク その⑤

 

 ネルズと保安官の会話は平行線を辿り、結局最後まで保安官の疑問が晴れることはなかった。

「そういえば『落とし物』があるんだけどよォー……」

 ネルズが露伴の鞄に手を掛けたところでパトカーを運転していたもうひとりの若い保安官から声が掛かる。それは隣の地区から応援要請が入ったという旨の連絡だった。

「部下にちょこっと良いところ見せるチャンスなもんで『落とし物』の件はおたくに任せるよ」

 『それじゃあ後はヨロピくねェェ~~ん♡』停留所(ロータリー)に入ろうとするバスが後方から迫っていたこともあり、保安官はそう言い残すと、現れたときと同じように指を鳴らしてウインクと共に去っていった。

 

 プシュウウ──ッ 

 

 路肩に停まったバスのドアが開き、圧縮空気が解放される威嚇めいた音が辺りに響く。車体に緑色のラインが三本入っていること以外はこれといった特徴の無い、車両の前方と後方それぞれにドアが取り付けられた至って一般的なバスだった。

 タイミングを見計らったかのように、猛烈な頭痛が露伴を襲った。痛みに耐えかねて膝を折った露伴は、地面に垂れた数滴の血痕を見て、そこで初めて自分が鼻血を出していることに気付いた。

「『紫外線』………… 」

 右の中指に付着した血液を一瞥し、爛々と燃え上がる太陽を恨めしそうに見上げた露伴が独りごちる。露伴の予想通り〈植物化〉の進行によって身体の構造や体組成などが変化したことで、〈溶岩〉の特性により過度に取り入まれた紫外線が人間としての細胞を破壊していた。

助かる方法を知りたいか?

 露伴のちょうど目の前で開いたバスの扉の向こうで運転手の男が前を向いたまま呟いた。あまりにもできすぎた渡り(・・)()()な展開に、露伴は他の誰かに話し掛けてるのかもしれないと思い、周囲に目を向けてみたが、ガロアやネルズを除けば他に誰もいなかった。その二人でさえも運転手に反応を示すことはなく、ネルズは誰かに電話を掛けており、ガロアは保安官に貰ったチョコ菓子の最後の一粒を名残惜しそうに味わっていた。

「『岸辺露伴』……アンタに言ってるンだぜ」

 運転手は前を向いたままだったが、発せられた言葉は間違いなく露伴の方に向いていた。

「……あるのか……本当にそんなものがッ……!」

 光が途絶えかけた暗闇の中に仄かに咲いた一縷の望みに露伴の身体は無意識に引き寄せられていた。運転手が持つ〈答え〉に向けて一歩、また一歩とバスに近付いていく。足の裏にバネでも仕込まれたかのように、自身の足の運びが妙に軽くなったことが気にならない程に露伴の意識は運転手に囚われていた。

 バスに乗り込んだ露伴の足元を車内に満ちた冷気が抜ける。露伴は車内に目を向けたが客は誰も乗っていなかった。赤と白のハイビスカスで作られた〈首飾り(レイ)〉を首から下げた運転手は自身の真横に立つ露伴に〈答え〉を示すわけでもなく、腕時計を一瞥すると運転席のサイドポケットに置かれた私物のハンドミラーを取り出して身だしなみのチェックを始めた。運転手の行動が生んだ〈違和感〉が露伴の中に張り巡らされた警戒の糸を弾く。

 

 何故僕の名前を

 知っている(・・・・・)……? 

 

 それだけじゃあない…… 

 冷静になって考えてみれば 
 

 僕の姿が見えている(・・・・・)のもおかしい(・・・・)……
 

 

 海底火山の噴火によって気泡が続々と立つように、露伴の思考にふと湧いた小さな疑問が更なる疑問を呼び起こす。忘れかけていた危機感が再び熱を持ち、〈ヘブンズ・ドアー〉を発動させる。ハンドル(前方)へ倒れそうになった運転手を右手で受け止め、そっと席のシートに身体を添えてから〈体験の記憶〉に手を伸ばした。

「この男……僕のファンどころか『マンガ』を読んだ『記憶』すら無いぞッ!?それだけじゃあない!僕をここに呼び込んだことを『記憶』していないッ」

 

 ……僕を呼んだ(・・・)のはこの男じゃあない…… 

 

 本能的な恐怖から後退りした露伴の背に柔らかい感触が伝わる。

何ィィ────!?

 振り向いた先、バスの乗車口は複雑に絡み合った植物で封鎖されていた。全容を把握する間もなく背後から伸びてきた植物の幹が露伴を捕らえて運転席の支柱に拘束する。胴体と二の腕にかけて何重にも巻き付いた幹から枝が伸び、その先端に付いた蕾がゆっくりと開く。美しく、鮮やかな赤いハイビスカスの花だった。ただひとつ、普通でない点をあげるとすれば、その花には()()ような(・・・)()が付いていた。

「話ニ乗ッタノはオマエダゼ『岸辺ロハン』ッ!話モ聞カなイデドコ行くツモりダァ~~??」

 運転手の首から下がるレイ(・・)に擬態していた〈意思を持つ植物〉が耳障りな声で叫ぶ。電気椅子に座らせられた死刑囚のように運転席の柱に縛り付けられた露伴はそこで漸く車内の異変に気付いた。

 

 ここは──

 『植物の楽園(・・・・・)だ  

 

 床や窓、天井など車内のありとあらゆる部分に植物が犇めきあっていた。ハワイの日差しを思わせる熱い視線を露伴に送る異形のものたちの葉や幹が裂け、その中からギラつく白い歯が現れる。ただの植物ではない。それらすべてが〈意思を持つ植物〉だった。

先輩(・・)ガ親切ニ『助ケテヤル』って言ッてンのに礼も言わ無ェーデ立チ去ルナンテ恩知ラズなヤツめ!」

「物分カリが悪イ無知(・・)なヤツニは愛のムチ(・・・・)ッテノガ必要カモナッ!ウケッウケケケッ」

 露伴を押さえつけている個体とは別の植物たちが口々に捲し立てる。赤く細長い雄蕊が特徴的な針山のような〈オヒアレフア〉、その名の通り星形の花冠(かかん)の中央に王冠型の薄紫の雄蕊を持つ〈クラウンフラワー〉。その昔に古本屋で手に入れた〈植物イラスト図鑑〉で目にした植物たちが意思を持って語り掛けてくるという夢のような奇怪な現実にさすがの露伴も戸惑いを隠せないでいた。

「マサカ無賃乗車スルツもリジャあ無ェダロウなあアー??『マナー』以前ノ問題だぜソレハよォーッ!!」

 バスの天井ギリギリまで伸びたヤシの木から落ちた顔付き(・・・)ココナッツが左右に揺れながら露伴を釘を刺す。

「こいつらは『罪人』だッ!罪を償いきれず(・・・・・)守り神』によって同化する権利(・・)を与えられてハワイの神に成り(・・)下がった(・・・・)者たち……!この土地から出ることを禁じられた地縛霊ならぬ地縛神(じばくしん)ッ!!」

 真実に到達した露伴に〈地縛神〉たちが歪な笑みを浮かべて口々に同意する。植物の見た目に動物的特徴を兼ね備えたその姿は、猫と植物両方の性質を併せ持ち、吉良吉影に飼われていたスタンド──〈ストレイ・キャット〉の姿に酷似していた。吉良との戦いのあとに〈猫草〉の里親となった虹村家へ取材に行った体験が昨日の事のように鮮明に甦る。

 ガロアへの償いが遅れ、〈植物化〉の進行度(ステージ)が上がったことで、本来不可視であるはずの〈成り損ない〉の姿が見えるようになっていた。鳴り止まない頭痛で意識が朦朧とする中で、露伴は自身が神々である彼らの領域に片足を踏み入れてしまったのだと瞬時に理解した。〈守り神〉から膨大な情報を流し込まれたにも関わらず露伴が廃人とならなかったのは、露伴も彼らと同じ領域に──人類を超越した〈神〉になりつつあったからだった。

「ロハン先生ヨォ……オレらと一緒に楽しくヤろウゼェ~~??人間ナンて辞めチマッてヨォ──」 

「なッ?『死』ハ『救済(・・)』っテ言うダロッ?なッ?」

「死者ッテノハお気楽ナモンだゼ~~何モ考えナクテ良イシなアア~~」

 卑しく嗤う無数の声がバスの中に反響する。

 

 この狭いバスの中だけで 

 20……いや、30居る(・・)な……  

 

 露伴は敵の位置を見定めながら、知識の海に沈殿していた〈ハワイ州における年間の行方不明者数〉に関する記憶を引き上げた。その平均は百五〇人程であり、後に発見された人数(ケース)を除けば、最終的な数は二桁にも満たない値であった。カウアイ島の住民に宿る〈守り神〉の防御(・・)機構(・・)が、決して見つかることの無い行方(・・)不明者(・・・)を生む一因であったとしても、ハワイ島在住の者が大半を占めるこの土地──しかもバスの中だけでこれほどの数の罪人が居るのはどうにも辻褄が合わないと露伴は思った。

 〈溶岩〉を採集した場所──洞窟の裂け目(溶岩チューブ)で行方不明になったという少年を探すレスキュー隊の姿が脳裏に過る。つい昨日見たばかりの鮮明な記憶が上映されるその横で、失踪者と罪人を繋ぐ計算式が組み立てられていく

『遅効性』の防御機構(ウイルス)…………

 露伴がその結論を導き出すのに時間は掛からなかった。露伴の独り言を聞いた〈地縛神〉たちは、この世の不条理を恨むかのようにギチギチと歯軋りをしながら、血走った目を見開いていた。さっきまでの楽観的な態度が嘘であるかのように、偽りの仮面が剥がれたかのように、一切の笑みが消えていた。

「バーで飲んでてその場の雰囲気に負けて観光客に番号を教えただとか、値引きしろとしつこい客に折れて少し負けて(・・・)やっただとか。そんな笑っちまうような『損失』が後になって!当の本人達が帰国した頃にふと湧いた後悔が『ストレス』となって!彼らの肉体を再びこの地に呼び戻したのかッ!!」

 露伴の推察に間違いはなかった。持続力も射程距離も無限に等しい〈守り神〉の神罰は戒めの鎖に形を変え、カウアイ島の住人から何かを奪った(・・・)者たちの肉体を罪を犯した土地()へ縛り付けていた。

「縛ラレテるのハ身体だけジャアないゼッ!」

「ソロソろオマエモお告げ(・・・)|を聞く頃カああ~~ッ??」

 再び破顔を取り戻した〈地縛神〉たちが露伴の右手に刻まれた〈アザ()〉を見つめながらくつくつと嗤う。

「ハッ!」

 〈アザ〉の内側で生じた光の粒が皮膚の下を這いながら露伴の体内を駆け抜ける。

 

カ弱キ生命(イノチ)ヲ脅カスコト勿レ

 

 〈アザ〉から吐き出された光が体内を遡上するのと同時に脳内に浮かび上がった言葉。それは考えるまでもなく〈守り神〉からの神託であった。

 

 人間……いや……

生物に対して危害を加えるな

 ……といったところか……恐らくは 

 

 対話を試みる余地もない、極めて一方的で不可逆な天啓(ルール)を突き付けられた露伴は、ネルズに書き込んだ内容を訂正したときのことを思い出した。訂正の二重線を引くと同時に〈アザ〉の回転速度が増し、植物化が一気に進行したのは単なる偶然ではなく、〈ヘブンズ・ドアー〉を使ったことで課せられた追罰(・・)だったのだと理解した。犯してしまった過ちを罰するための制約と更なる過ちを未然に防ぐための制約。肉体と精神に作用する二つの制約によって、〈ヘブ()ンズ()・ド()アー()〉は固く(とざ)された。門を封じる鎖を断ち切って無理やり抉じ開けることも可能ではあったが、再び禁を破ることで〈植物化〉が加速(・・)してしまう可能性(リスク)を考慮すれば、そのような無謀な賭けに出ることは愚行以外のなにものでもなく、どちらにせよ実質的に不可能という結論から逃れることはできなかった。

 神殺しの槍──〈ヘブンズ・ドアー〉を封じられ、それに変わる新たな武器を見つけようと、再度〈地縛神〉たちに目を向ける。直後、露伴は彼らの身体に自身と同じような渦巻き型の〈アザ〉があることに気が付いた。そしてやはり、外皮(皮膚)の下には罪の感知センサーでもある光の粒が這っていた。

 時を刻むかのように絶えず渦を巻く罪人の烙印。不可視の檻に閉じ込められた同じ穴の狢である以上、それは至極当然のことであった。しかし、露伴が気になったのはそこではなかった。

 人間とは到底言い難い姿形となりながらも、未だに人としての記憶と意識を保っている彼らの〈植物化〉が終わり(・・・)を迎えるとき、天国(終焉)到達(・・)するとき、その身体はいったいどうなってしまうのだろうか?、と露伴は不意に思った。

 〈植物化〉が到達を迎え、人間性が完全に消失することで罪を償ったと見做され、恩赦として視認性を返されるのだとしたら。先住民と入植者の抗争で流された血潮によって、ハワイ諸島のなかでも一際(ひときわ)自然豊かなカウアイ島の新緑が作り出されているのだとしたら────。〈神々の箱庭〉と形容されるハワイ・最古の島の大自然の裏側に隠された恐ろしい真実に気付いた露伴の身体は興奮と恐怖で微かに震えていた。

「ププッ!オレらハ今ッ!(おんな)じレールノ上ニ居ルんダ!変エラられなイ運命ニ乗っちマッタんだヨオオ!プププ──ッ!」

 〈ザクロ型地縛神〉が大きく裂けた果実の中にぎっしり詰まったルビーのような果粒(かりゅう)を飛ばしながら露伴に語り掛ける。トゲの生えた幹を露伴の左腕に巻き付けていたぶる〈地縛神〉の若草色の枝に露伴の血が滲んでいく。

 露伴は左手から滴り落ちた血痕とザクロの果粒によってバスの床が赤い斑模様になっていく様子を眺めながら、〈地縛神〉たちが執拗に自身を狙うのはある種の憂さ晴らしなのだと悟った。自身を拘束し、攻撃しているハイビスカスとザクロの〈地縛神〉たちの〈アザ〉の回転が加速していないところから察するに、『加害を禁ずる』という天啓(ルール)は同種の相手には適用されないのだと思った。その事実を見抜いた彼らの思考は根本的な解決から同類を道連れ(・・・)にするという方向へと傾き始め、最終的には不意に罪を犯してしまった同類(・・)を足止めすることを生き甲斐とし、それに執着するようになっていたのだと、露伴はそう結論付けた。

「観光客からの苦情が多いから『発車時間』はちゃんと守れって言われたけどよォー今日みたく客がいないんじゃあなああ~~」

 『後で怒られンのも嫌だからあと3分(・・)ちゃんと待つけどさァー』自身を取り巻く現状が見えていない運転手は口笛を吹きながら外を眺めている。運転手の首から下がる〈ハイビスカス型地縛神〉が、貴重な新入りを逃すまいと露伴をより一層強く締め上げる。

「コノバスは『コナ空港』行キダッ!」

「ちナミニ言ウトアノ小僧ハ『ヒロ空港』行キのバスに乗ルゼ!」

 〈地縛神〉たちが奏でる不協和音が頭痛に拍車を掛ける。ガロアの記憶の中に、ワイコロア地区のリゾート施設に宿泊しているという記載があったことを思い出す。数分前までシミひとつなかった露伴のシャツは、収まる気配の無い鼻血と吐血によって赤く染まりきっていた。衰弱していく露伴を気遣う様子を微塵も見せることなく、〈地縛神〉たちは好き勝手に言葉を吐き捨てていく。

「逆ナンダヨ!真逆ダッ!『南西』ト『北東』ナんダヨォ──」

「オマエハもうアイツニ償ウコトも!会ウコトさえできナいッ!!」

「サヨナラハ言ッテきタカああ~~??言ワセネェケドナアア──ッ」

 露伴に残された時間は〈三分〉しかなかった。運転手がアクセルを再び踏み込む前に〈植物の楽園〉と化したバスを脱出し、ガロアに償わなければならない。人としての細胞が着実に駆逐されつつある今、露伴に残された道はバス(・・)()出発(・・)する(・・)まで(・・)()償う(・・)以外に無かった。

 

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