岸辺露伴は揺るがない『ハワイアンズ・ウォーターマーク』   作:甘草粥

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ハワイアンズ・ウォーターマーク その⑥

 

「ププッ!運転手ヲ本ニ変エタ『能力(チカラ)』デ出発ヲ遅ラせ(・・・)レバ(・・)……プパパッ!モウ少シソノ姿のまマでイラレルカモなあア~~~~ッ!!」

「フッ……気が合うねェ。僕も同じことを考えていたよ」

 

 
 それが『可能』なら 

 とっくに実行(・・)してるがな…… 

 

 運転手の開いたままの横顔に記された〈カウアイ島出身〉の一文を背中越しに見ながら露伴は心の中で悪態を吐いた。

 

 遅らせることは『可能』だ…… 

 だがそれは正解(・・)じゃあない

 むしろ限りなく悪手(・・)──

 

 例え運転手に〈このバスを運転することはできない〉と書き込んだとしても、それは文字が消えるまでのほんの数分──或いはほんの数十秒しか効果を発揮することはない。それだけでなく、命令を書き込むことで運転手の〈守り神(防御機構)〉が発動し、運転手の職務を妨害してその権利を奪ったとして〈アザ〉は加速し、〈植物化〉は一気に進行する。

「二度あることは三度あるか…………フフ……」

 俯きつつ笑みを浮かべた露伴にはいざとなれば禁じられた〈ヘブンズ・ドアー〉を抉じ開ける覚悟があった。しかし、ここへ来て揃った三度目の()。カウアイ島の住人に危害を加えるとなれば〈アザ〉の加速度は倍づけ(・・・)かそれ以上となることは明白。望まずして襲いかかってきた幸運は露伴の覚悟をいとも容易く打ち砕いた。  

「嫌なんだよ……こういうのは。自分を安売り(・・・)してるみたいでさァ」

「安売リィィイイ──??」

 緑色の天を仰ぎながら〈ヘブンズ・ドアー〉を構えた露伴の要領を得ない言葉に〈地縛神〉たちが騒ぎ立てる。

「マーケットの端ッコデ売ラレテる萎ビタ野菜ミテェーなコト言っテンジゃア無ェーぞッ!!」

「問題なのは自発的(・・・)にすることであって()なら問題はないんだ……。むしろそれは光栄なことだと僕は思う……」

「サッきカラ何言っテヤガる!」

「つイニ頭イカれチマッタぜコイツゥゥ──ッ!」

「理解不能!理解不能!理解不能!理解不能!」

 バスが出発するまで残り〈二分〉を切っていた。腕を真上に伸ばしてストレッチをする運転手の頬のページがゆっくりと閉じていく。

「だがそんな悠長なこと言ってる状況でもなさそうだしな。ホラッ、遠慮せずに受け取れよ」

 『僕からの直筆サインメッセージだ』露伴を縛り付けていた〈地縛神〉たちに書き込まれた〈岸辺露伴を攻撃できない〉の命令が遺憾無く効果を発揮する。人間が見ることのできない認知の歪みという同じ領域(・・)に立った露伴の〈ヘブンズ・ドアー〉の命令を防ぐ術を〈地縛神〉たちは持っていなかった。

テ、テメェェえエぇえェェエエ────ッ!!

 露伴に〈アザ〉がある限り、書き込んだ命令は決して薄れることは無い。露伴の企みに気付いた〈地縛神〉の絶叫が車内に木霊する。

 活力を失って垂れ下がった幹の拘束から抜け出して出口に向かう露伴を阻止しようと、開口部付近に陣取っていた〈地縛神〉たちが絡み合って進路に立ち塞がる。

「ひとりじゃ何もできないヤツって居るよなあ」

 目にも止まらぬ速さで書き込まれる〈真上にふっ飛ぶ!〉の命令文。結び付いたことが逆に仇となり、露伴の行く手を阻んでいた緑の障壁(カーテン)が天井に向かって大きく(ひるがえ)る。車内の後方に居た〈地縛神〉たちのツルや枝が露伴に向かって伸びていたが、露伴がバスを降りる方が僅かに早かった。

「『カイルア・コナ』に行きたいんだけどもォ──このバスで合ってますかねええ?」

何ィィ────ッ!?

 開口部を抜けた先に待ち構えていた杖をついた老齢の女性が露伴の脱出劇に待ったをかける。

「(正解だ(ポノ))。ああ、このバスで合ってるよ。間違いなくね」

 『今なら座席も選び放題ィー』運転手の言葉を受けてお婆さんが内開きのドアに取り付けられた手摺に手を掛ける。露伴は咄嗟に天井から垂れ下がった〈地縛神〉のツルを掴んだ。言うまでもなく正面衝突を防ぐためである。

 精神よりも先に身体が動いていた。〈ヘブンズ・ドアー〉を使ってはならないという〈躊躇い(先入観)〉がそうさせたのかもしれない。露伴が自身の花粉症を治せないように、〈ヘブンズ・ドアー〉に治すという能力は無い。

 彼女を突き飛ばすまいと昇降ステップの(へり)で急ブレーキをかけてつんのめった露伴を〈地縛神〉たちが見逃すはずもなく、今が好機とばかりに露伴の両方の手足をがっしりと捕らえると、バスの最後尾へと一気に手繰り寄せた。

(クソッ……()が多すぎる……)

 あまりに複雑に絡み合った〈地縛神〉たちの数百に近い手足(・・)を前に、露伴はどれから手を付けていいか分からなかった。〈ヘブンズ・ドアー〉で無力化させるにしても、薄れゆく意識の中では、どれ(・・)どの(・・)〈地縛神〉かを判別するのは不可能に近かった。そして何より、〈ヘブンズ・ドアー〉を顕現させるだけの精神エネルギーが露伴にはもう残っていなかった。

「残リ1分(・・)ンンンン──ッ!!」

       「トっトと死ンデ楽ニナリやガれッ!」

 「ヤッタァアアー!仲間が増エルゾッ!」

     「()救済(・・)ダ!救ワレるんダヨォーッ!」

   「急イで歓迎会の準備ヲしナキゃ!!」

        「コれニテ決着ゥゥ────ッ!!」

「このバスは……マーケットプレイス発

     地獄行き(・・・・)超特急だああ──ッ!! 

 声高々に勝利を宣言する〈地縛神〉と戦いに敗れて座席に背を預ける露伴。体内に駆け巡る光の粒によって文字通り神々しく青めいた〈地縛神〉と敵の攻撃と細胞の再構築によって全身を赤く染める露伴。両者は対照的であった。

 このバスが地獄行きであろうと天国行きであろうと露伴には関係なかった。戦うことも、考えることもやめた露伴には、そんなことは心底どうでもよかった。

 精神力だけでなく体力さえ底を尽いたのか、露伴は抵抗する素振りすら見せずに植物の楽園に呑まれていく。〈アザ〉から発せられる「シュル」「シュル」という独立した音は、回転の加速に伴って「ギャルルルル」というひとつの連続した音となり、胸の辺りまで進行していた〈植物化〉は眼球まで到達しようかというところだった。

「オ、オレノ見間違イダト思うケドよォ……今コイツ笑ッテ(・・・)なカッたか?」

 一番近くで露伴を見ていた〈地縛神〉が自信なさげに呟く。しかし、他のものたちが真偽を確認する間もなく、露伴の〈植物化〉は到達点(・・・)を迎えていた。

「ねえパパァ~~このバスじゃないと思うよおお~~」

 露伴が笑う一秒前に差し込まれた声は〈ガロア・ボルテックス〉のものだった。先に乗り込んだ父親の手を取り、降りるように促すガロアのもう片方の手には露伴の〈スケッチブック〉が握られている。

「ナンダッ!見エなイ壁ガアる!?」

「理解不能!理解不能!理解不能!理解不能!」

「岸辺ロハンに『触レナイ』ィィ──!!」

 阿鼻叫喚となった〈地縛神〉たちが捌けていく露伴の胸ポケットの中で振動する〈溶岩〉が胸の鼓動と連動(リンク)して血液のビートを奏でる。

 

 ──戻ってきた(・・・・・) 

 確実に……間違いなくッ 

 

「嬉しいねェ。待ってたよ……キミを」

 『あっ!』満身創痍の状態で最後尾中央に座る露伴に気付いたガロアが〈スケッチブック〉を片手に車内を駆ける。

「ねえコレ、おじさんのでしょ?急にいなくなっちゃうんだもんなああ。それとさ……

 『このマンガちょー面白かったよ」ガロアが開いたページには、溶岩調査の合間にハワイでの体験を漫画形式で簡素にまとめた〈取材メモ〉が描かれていた。文字の無い所謂〈サイレントマンガ〉の形式で描かれたその〈体験メモ〉は、まだ絵コンテ(ネーム)の段階ではあったが、そのように認識する露伴の思考を疑うほどに美麗で、商品として書店に並んでいても遜色無いほどの仕上がりだった。

 商業的な色や飾り気の余白を残した研ぎ澄まされた絵のタッチが、ガロアの中で眠っていた創作物に対する〈敬意〉を呼び起こした。祖父から父、そしてガロアへと代々受け継がれてきた〈小説〉に対して静かに湧いた〈敬意〉が、それ(・・)が自身の所有物であるという自覚をガロアに芽生えさせたのである。

「こイツ償イ(・・)ヤガっタぞッ!許サれ(・・・)ヤがッタ!」

「触レナくナッタノハ露伴ガ『人間』に戻ッタかラだッ!」

「露伴ノカラダかラ『植物』ガ消エテいくッ!」

「止マラナイッ!ドンドン枯れテイくゾ──ッ!!」

 〈植物化〉が癒えるにつれて露伴の身体から生えていた草花が枯れ落ちていく。シャツを染めていた血液も皮膚から浸透して血管(体内)へと戻り、破壊された細胞が再生をはじめていた。それでも消えることの無い倦怠感と疲労感が不可視の激闘が現実であったことを物語る。

 ガロアから受け取った〈スケッチブック〉を肩に掛けて入口へと進む露伴の胸の上で再び〈溶岩〉が振動する。〈溶岩〉が持つ不思議な力は〈スケッチブック〉ではなく、前を行く〈ガロア・ボルテックス〉に向いていた。価値(・・)ある(・・)もの(・・)を引き寄せる〈溶岩〉に手を引かれるかのように、青く、小さな背中の後を追う。

 露伴にとって最も価値のあるものは〈読者〉である。時に奇人や変人とも称される変態的な取材も、自身の漫画を読んでくれた読者の期待を裏切りたくないという思考が行動として現れただけに過ぎない。

 幼少期にふと目にした漫画や小説、映画といった作品から〈感動体験〉を得たように、いつか自分も誰かの心に熱を持たせるような作品を作りたいと幼いながらに当時の露伴は思った。承認欲求ともまた違う、利他的な創作意欲が露伴の行動原理の根底を支えていたのだ。

 「オイ待て!行くンジャア無いッ!!」

             「考え直ソ?ネッ?」

     「永遠ノ命ガ手に入ルンダッ」

   「お金ダッテ必要ナイ」 

        「好キナだケ遊んデ暮ラセルぜ?」

「オマエも『自然』ト『同化』スるんだよォ──ッ!」

 全方位から擦り寄ってくる〈地縛神〉たちの誘いを〈ヘブンズ・ドアー〉で一蹴する。絶叫が閉じ込められた紙吹雪が舞う緑のトンネルを進む露伴の歩みを止められる者はもう誰もいなかった。

「ヤっパリ考え直ソ?ねッ?一緒ニ人間ヤメヨ?……ネッ?」

「……いい加減くどいぞ……本当に」

 天井から垂れ下がるようにして生えるシダ型(・・・)の〈地縛神〉が、一縷(いちる)の望みを乗せて露伴に交渉を仕掛ける。羽根のように中軸から左右に伸びた羽片()に浮き出た顔が不気味に揺らめき、口からはみ出た長い舌が蛇のように左右に蠢く。巻き添えにしたいという邪な真の目的を上っ面の気遣いで隠した二枚舌に〈ヘブンズ・ドアー〉のペン先が突き立てられる。

「キミたちの国じゃどうだか知らないが……日本じゃそーゆーの『マナー違反』だからな?」

 長い舌に書き込まれた〈私語厳禁〉の四文字。見ることのできない暗黙(・・)()ルール(・・・)が〈地縛神〉の身体を操り、自らの羽片()でその口に封を施す。

 露伴の足音には〈怒り〉の感情があった。人間を超越し、曲がりなりにも神性を得た身でありながら、死は救済であると謳うだけに止まらず、死後は苦労も寿命も無い永遠の楽園であると(のたま)う彼らの言葉がどうしても許せなかった。

 生まれ育った町の〈誇り〉と〈平和〉を取り戻すために共に戦った気高き魂を露伴は知っていた。当時六歳だった露伴を魔の手から救い、代わりに犠牲となった十六歳の少女──〈杉本鈴美(れいみ)〉。薄いピンクのマニキュアを塗った臆病で勇敢な彼女の精神に比べれば、人間をやめて怠惰に身を(うず)めた〈地縛神〉の精神など語るにも値しないと露伴は思った。長年に渡って幾多の無辜(むこ)の民を葬っておきながら、安寧を求めた利己的な殺人鬼(吉良)同様に、死者の尊厳を冒涜するような〈地縛神〉たちの言動が露伴の神経を逆撫でていた。

 

 若さとは(パワー)だ 

 計り知れない成長性は 

 無限の可能性を秘めている 

 

 『不公平』、『理不尽』 

 ……あるいは『不条理』 

 

 前触れなく襲ってくる 

 不可避のでき事(厄災)さえも 

 打ち砕く強大な武器()…… 

 そしてこれは 

 選択の話でもある 

 

 ガロア・ボルテックス

 この少年が小説を 

 継承(・・)するかどうかの選択の話…… 

 

  
 彼には継承する権利がある 
 

 僕のスケッチ(作品)に 

 興味を持った彼ならば 

 わざわざ書き込まず(・・・・・)とも 

 自らの意思で本を……

 『』を切り開くだろう…… 

 

 行動とは〈義務〉ではなく〈権利〉であり、誰かに強制されて意思を決定するのではなく、自分自身の頭で考え、選択する工程こそが重要である。例えその道が遠回りであったとしても、その道中で誤った(・・・)という体験(学び)と正しい道へ進むための手掛かりも得ることができるからだ。失敗を恐れて行動しないことは、〈権利〉を放棄することと同義である。決断と共に生じる責任と体験こそが人を成長させる糧であることを露伴は深く理解していた。

 

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