岸辺露伴は揺るがない『ハワイアンズ・ウォーターマーク』 作:甘草粥
「認めネェー……認メねえゾオオッ……岸辺ロハンンン!!」
〈ヘブンズ・ドアー〉によって第三の制約を課された〈ハイビスカス型地縛神〉が運転手の胸の上で露伴を激しく責め立てる。しかし、自身の胸の上で発せられる耳を
「あれええ?お客さんいつから乗ってたのォォ~~?」
何処からともなく現れた
「同じ立場を経験した者のよしみでひとつ教えといてやろう。
因縁深く、苦々しい
「それでええ~~?お客さんは乗るの?降りるの?結局どっちにするワケェ??『コナ空港』に向かうバスだけどォー??」
「……降りるよ……」
『こんな
一足先にバスから降りて会話に花を咲かせるボルテックス親子とネルズの三人の喜色に満ちた話し声と共に花壇から立ち上った蜜の甘さが車内に流れ込む。
「ああ、それと──」
ヒュッ ヒュッ
ヒュッ
露伴のポケットから顔を覗かせた〈三枚〉の1ドル紙幣が料金箱に吸い込まれていく。
紙幣を投じたにも関わらず、バスから降りようとする露伴を「これはいったいなんの真似だ」と運転手が引き留める。
「『乗車料金』だよ。念のためな。あとになって払った・払ってないの
『
人間の尺度に縮められた神々の箱庭から抜け出し、地表へと降り立った露伴の背中に陽光が降り注ぐ。人間に戻ったことを祝福するかのように爛々と照り輝く太陽を肌で感じながら、〈溶岩〉と〈植物化〉の相互作用によって過剰に取り込まれていた紫外線も適量値に戻りつつあるのだと悟った。
「オレはッ!テメェーヲ許さねエえ……!一人だケ許サレルナンテ許サネエぇェエ──ッ!!」
祝福の光で満たされた露伴の背中を邪悪な感情が塗り潰す。嫉妬、怨嗟、憎悪や後悔といったこの世に存在するすべての負の感情を押し固めたようなどす黒い声だった。
「好きにしろよ……『自分を乗り越える事』を諦めたおまえに許される必要なんてどこにもないからな」
情念渦巻く黒を振り払うように身体を反転させながら言い放つ。少しの温情もこもっていない冷やかな青い瞳にはバスの中に住まう〈地縛神〉たちの姿が映り込んでいたが、露伴自身にはもう彼らの姿が殆ど認識できなくなっていた。他人を巻き添えにせんとする〈地縛神〉たちの浅ましい誘惑が露伴に響かないことを体現するかのように、〈地縛神〉たちの姿が風景に溶け込むように透過して消えていく。
「話したいことはまだあるが『時間切れ』だ。取材はまた
露伴が喋り終わるのとほぼ同時に、運転手の視線が腕時計からルームミラーへと移る。乗客の抜け漏れが無いかの確認を済ませた運転手の視線が再び露伴へ戻ってくる。
「お客さァん、一応言っとくけどネ?『フアラライ』行きの便は……」
「いいんだ。僕のことは気にしないでくれ……本当に。……さあ、行けよ。『時間』だ」
「発車しまァ──す」
気だるげ発せられた運転手の宣言に続いて〈植物の楽園〉へと続く扉が閉じていく。定刻どおりに閉じていくバスの扉に、時間の〈損失〉が介在する余白はない。
「貴重な
進み出したバスの乗客はおばあさんただひとりだけで、それ以外は
走り去るバスの背を見送りながら露伴は自分の〈信念〉が揺らいでいなかったことに安堵した。露伴にとって価値の在るものが原稿や取材メモであったならば、〈溶岩〉はそれらのみを引き寄せ、ガロアがバスに乗ることは無かったかもしれない。『重要なのは読者だ』と頭で思っていたとしても、その実は違うところにある可能性も否定できなかった。〈ヘブンズ・ドアー〉で読むことができるのはあくまでも
露伴の人生の中心には常に〈戦い〉があった。
家族のように慕っていた少女の言葉に背を押され夢中で逃げた〈夜闇〉との戦い。漫画家としてデビューするための〈
その数をあげればキリがないが、自分の思いを相手に伝えるという〈
迷いや不安と言い換えても良い。露伴はその〈疑念〉を抱えながら、何年間も原稿用紙二十数枚を描き続けた。読者の知的好奇心を満たすために、たった百グラム程度の重さに命を懸け続けた。そして今、自然の摂理を示す〈溶岩〉の力によって、露伴は自分の〈疑念〉の答えを頭でなく心で理解した。
「むう……求めていた答えを
「あのさああ~~~~」
感傷に浸る間もなく差し込まれた気の抜けた声が露伴の意識を削ぐ。確認するまでもなくガロアだった。その手に〈本〉は無かったが、どうやら斜め掛けのバッグの中に仕舞ったらしい。〈溶岩〉の動きから露伴は推察した。
自由になった左手には、乾燥させたザクロシードがつまった透明な菓子袋が抱えられている。ネルズも同じものを持っているところを見るに、父親からのお土産のようだった。偶然が生んだ当て付けに癒えたはずの傷口に微かに痛む。
自身の隣にぴたりと並び立ったガロアに向けてわざとらしい呆れ顔を向けた露伴だったが、「命の恩人に文句でもあるわけェ?」とでも言いたげな眼差しに勝てるはずもなく、自然体を装ってゆっくりと目を背ける以外に選択肢はなかった。
ガロアが言い掛けた言葉の続きを確かめるべく、小さな横顔を盗み見る。あっけらかんとした様子で居座るガロアの視線は意外にも露伴にはなく、とうに走り去ったバスの残像を捉えている。沈黙に彩りを添えるかのような乾燥ザクロシードの咀嚼音を聴きながら、露伴は言葉の続きを待った。
「あのバスに乗らなくてよかったのおお?」
「(…………?)ああ……次の便に乗ることにしたからな」
「でもさああ~~~~」
『今日のフアラライ行きは今のが最終便だぜ?』勿体ぶって結論を先延ばしにするガロアに変わってネルズが二の句を告げる。歩み寄ってきたネルズがノックしたバス停の標識には、道路拡張工事に伴う臨時ダイヤの案内が貼られていた。
「……
幸運は続かない。それでも良いと思えるほど清々しい青空を見上げて露伴は自嘲気味に笑った。