「(…こんなふうに見えてんだな、俺のプレーって)」
アブローラーを使った夕食後の体幹トレーニング終わり。先に風呂へと入りに行った雛姉の待ち時間を使ってアブローラーとセットで弘彦さんからプレゼントされたストレッチマットの上にうつ伏せで寝そべりながら、笠原先輩が撮影して送ってくれた自分のプレーの映像を見て自己分析する。
「(今の
今日の最後に大喜先輩とやらせてもらったひと試合。相手の動きに対してはちゃんと追いつけて一時はリードも奪ったりと手応え的には初日の1ゲームマッチより良かったものの、終わってみれば俺のストレート負け。こうしてカメラという俯瞰の視点で自分のプレーを振り返ってみると理由は明白で、俺と比べて大喜先輩は返ってくるショットを打つ際の思い切りの良さが一段階上であるのに加えて全体を通してとにかくミスが少なく、この取りこぼしの数の差がスコアという形で表れている。もちろんこれは相手の打つ球の軌道を打たれる前にどれだけ予測出来るかという経験値の差で、俺が追いつこうと一歩進むたびにきっと大喜先輩は同じかそれ以上の歩幅で進んでいく。
「(なんでここで焦って上げちゃったんだろ俺。術中に嵌ったら負けだってわかってんのに…)」
「(こういう取りこぼしを無くしていかないと、いきなり先を越されるな…)」
もちろん、インハイ予選の決勝まで勝ち上がった2人しか辿り着くことのできない壁の向こう側へ跳ぼうとしているのは、俺だけじゃない。
「少なくともお前は自分の課題をちゃんと決めて、それをしっかり意識したノックが出来ていたから考えなしにただひたすら打ち返す他の奴らとは違うって期待してたけど……ガッカリだわ」
「お行儀悪いね飛鷹くん」
「!?」
自分の姿が映るスマホの画面へ全集中していた意識に、すっかり聞き馴染んだ声が仄かなシャンプーの匂いと一緒に飛び込む。
「お風呂空いたよ」
うつ伏せのまま顔だけ上げると、風呂から上がったばかりの雛姉がパジャマ姿で目の前にしゃがみ込んで“何してんの?”って言いたげな表情で俺のことを見ていた。いくら相手が雛姉でも、ぶっちゃけノックも部屋に入る前の言葉もなしでいきなりこの部屋の中に入られた俺のほうが何してんの?って聞きたい気分だ。
「なんでここにいんの?」
「声かけてもノックしても全然反応なかったから」
「マジ?全然聞こえなかったわ」
「耳鼻科探しとく?」
「いや大丈夫す」
と思ったけど、単純に俺がスマホの画面に集中し過ぎて雛姉に気づいていなかったというオチだったみたいだ。そもそもこうやって雛姉が目の前で話しかけてくるまで全く気づかなかったぐらいだから、これは完全に俺が悪い。
「それより何見てたの?」
うつ伏せの体勢から起き上がって胡坐をかく俺に、見るからにはっきりと“興味津々です”と書かれているのがわかる顔で雛姉が聞いてきた。これが勝ったゲームならまだしも負けたゲームで取りこぼしもあるプレーだから、はっきり言って見せたい気持ちよりも恥ずかしい気持ちが勝る。ひとまず、どうにかしてこれを雛姉に見せない方向へ穏便に会話を持っていきたいところ…
「先輩から撮ってもらった自分のプレーだよ」
「へぇ~見たい」
「言うと思ったわ」
「ねえ私にも見せてよ」
「嫌だよ恥ずかしい」
「いいじゃん。バドやってるところなんていつも体育館で見てるし……それとも私から見られるのがそんなに嫌?」
「…しょうがねえな」
「ではお言葉に甘えて」
はい。普通に俺が負けました。そりゃあ雛姉から“いつも体育館で見てる”からの“私から見られるのがそんなに嫌?”っていう
「あ、また大喜とやってる」
「先に言うけどあんまり期待しないで。今日のプレーはカスだから」
「さすがに自虐が過ぎない?」
そんなこんなで俺からあっさりとスマホを受け取って、雛姉は笠原先輩が撮ったプレーの動画に目をやる。
「うわ早っ。ホントよく取れるよねこんな早いの…」
スマホの画面に映る俺のプレーを、微笑ましそうな表情でしゃがんだままじっと見つめる雛姉。どうせいつも見られているから変わらないかと思って渡したけど、やっぱりいざ自分のプレーをこうやって見られるのはちょっと恥ずかしい。
「全然いいじゃん。大喜の返してくる羽根にもちゃんと反応できてるし、スマッシュだって狙った場所にちゃんと落とせてる」
どこまでゲームが進んだのか、しばらく見届けたところでスマホに映る俺に視線を向けたまま、雛姉は隣で胡坐をかく俺に向かってそのプレーを褒める。こんなふうに雛姉のような人から自分のプレーを褒められたりするのは、それはもう純粋に嬉しいことだ。
「でも百発百中ってわけじゃない」
「そんなの誰だってミスはするものだから気にし過ぎても仕方なくない?」
「それはそうかもだけどさ……こうやって俺でも相手でもない視点でプレーを振り返って見ると、自分が思っている以上に取りこぼしが多いって気づくんだよな…」
ただ、それで満足しているようじゃインターハイはおろか栄明でも一番にはなれないってことを、自分より強い相手が教えてくれる。南中にいた頃は途中から自分より強い相手がいなくなっていたから、大事なことに気づくのが遅れてしまった。
「そういう少しの油断と焦りがショットの正確性に表れて、ミスに繋がる……これじゃあインハイ予選はおろか、明日の総当たり戦でも勝ち上がれない…」
だから自分の
「…心なしかいつになく真剣だね?」
スマホの画面を見つめていた雛姉の視線が、俺の顔へと移る。
「おう。なんせ総当たり戦で絶対勝つって決めた
「飛鷹くんの前に早速ライバル登場かぁ…これは負けられないね?」
「これぞまさに、“絶対に負けられない戦いが、そこにはある”ってやつよ」
「それはサッカーのやつでは?」
「よくわかったじゃん」
「まあ何となくテレビとかで聞いたことあるし」
「(あれ?思ったほどウケてない…)」
ドヤ顔で披露したサッカーの例えがあんまりウケずに若干空気が静かになったことはともかく、絶対に負けられないライバルができたと明かした俺を見て、雛姉は嬉しそうな表情を浮かべた。何だかこういう勝負事に興味津々なところに、弘彦さん譲りのアスリートの血筋を俺は強く感じる。
「で、絶対に負けられないライバルって誰?」
一呼吸を置いて、少し悪戯な感じの表情でわざとらしく首を傾げる仕草をして雛姉が問いかける。ユラっと軽く揺れた林檎のような色をした綺麗なセミロングの髪から覗く色白の小顔が、俺の目を真っ直ぐに見つめる。
“…何気にめっちゃ可愛いんだよな、雛姉って…”
5年前に羽鳥家の庭で花火をしたときに今思っていることとほぼ同じことを口にしたら思いっきり鼻で笑われ揶揄われた記憶があるから絶対に言わないけど、たまに雛姉はビックリするぐらい
というか、5年経って心なしか可愛さが増している気がしなくもない。
「別に、新体操部の雛姉には関係ないことだよ」
なんて心の内を言ったらまた馬鹿にされかねないだろうから、もう一個の
「関係あるでしょ。だって飛鷹くんはただの
そうやって“雛姉には関係ない”と無意識にしてはまあまあ酷い誤魔化しをしたら、結構マジなトーンで思いっきり正論の倍返しをされた。しかもよりによって、晴人が俺に言ってたことと全く同じことを口にしてしまっていた。もちろん晴人は何にも悪くなくて、ただ自分の言ったことが数時間越しにブーメランになって返ってきたってだけのこと。
「そうだった…ごめん」
「ああ別に、本当に言いたくなかったら言わなくて大丈夫だけどね」
ひとまず突き放すような一言を言ってしまったことを謝ったら思っていた以上に顔に出ていたのか、雛姉から思いっきり気遣われた。
「ただ負けられない人がいるなら応援したいっていう、私の勝手なワガママだから…」
そして若干シリアスになりかけた部屋の空気を察してか、自嘲気味に笑いながら雛姉は思っていたことを打ち明けて、持っていたスマホを俺に差し出して返す…
「ちょっ、返して俺のスマホ」
「返して欲しければ負けられないライバルさんを私に教えなさい」
「言いたくなかったら言わなくて大丈夫じゃなくて?」
「ごめん。やっぱり聞かなかったら聞かなかったで気になって眠れないかもだから」
「そんな気になるんかい(まあ、俺が悪いんだけど…)」
と見せかけて、俺が受け取ろうとした瞬間にその手を思いっきり上に挙げて、意地になって取り返そうとしたら立ち上がって後ろに手を組んで完全防御の姿勢で俺のスマホを人質にしながら、ライバルを白状しろと揶揄い半分なトーンと表情で雛姉がちょっかいを仕掛ける。
「…遊佐晴人っていう、1年A組の人」
言うまでもなく悪いのはこっちだから、続けて立ち上がった俺は根負けしてライバルの名前を白状する。
「そいつに今日、喧嘩売ってきた」
ついでに喧嘩を売ってきたことも打ち明けた。もちろん、嘘は言ってない。
「…喧嘩?」
「喧嘩っていうか、宣戦布告」
「どっちが正解?」
「どっちかっていうと、宣戦布告」
「…あははっ……ホントさあ、そうやってたまに素なのかわざとなのかわかんないラインでふざけてくるところ、ちっとも変わんないよね」
こうして喧嘩を売ってきた…もとい晴人へ宣戦布告をしてきたことを少しふざけた言い回しで打ち明けると、俺の
「…飛鷹くんのほうから喧嘩を売っちゃった以上は、もう明日は絶対に負けられないね?」
笑い終えて呼吸を整えると、雛姉は優しく微笑みながら先輩なりの発破をかけて後ろに隠していたスマホを再び俺へと差し出す。
「だな。これでボロ負けでもしたらダサいなんてレベルじゃ済まないし」
今度こそは、それを素直に受け取る。しばらくのあいだ雛姉の掌に乗っかっていたせいだろうか、100均で買ったスマホのケースが少しだけ暖かい。
「じゃあ飛鷹くん。左手と右手どっちでもいいからグーの形にしながら私の前に出して」
すると何分かぶりに自分のスマホを取り戻した俺を見て、目の前に立つ雛姉は意味深な感じに小さく笑いながら意味深なことを言ってきた。正直こればかりは、はとこの俺でも意図がわからない。
「なんで?」
「いいから早く」
「…おう」
わからない意図を聞こうとするも、新体操部の期待のエースにして学校でも一目置かれる先輩は全く明かす気はなしと来て、少し迷った末にスマホをストレッチマットの上に置いてそのまま右手を言われたとおりにグーの形にして雛姉の前に出す。
「これでいい…」
と言いかけた瞬間、グーの形で前に出した右の拳を雛姉の少し小さな両手が優しく包み込むようにギュッと握りしめた。
「手も大きくなったよね飛鷹くん?」
「そりゃもう高1だし…んなことより何してんのマジで?」
「パワーを送ってるの。飛鷹くんが明日、遊佐なんちゃらって人に勝てるように」
「晴人ね」
5年前より大きくなったという俺の手を握り、少し小さくなった両手から雛姉が微笑みながら
「…暖かいな。雛姉の手」
「それだけ私の身体にはいつもパワーが宿ってるからね」
「何かの能力者か」
当たり前だけど、相手の掌を握っただけで自分のパワーを送れるなんて大それた話は現実ではあり得ない。でもこんなふうにいつの間にか自分の掌より小さくなった温もりに触れると、本当に雛姉からパワーを送られているみたいな気分になってくる。例えるなら、転んで膝を擦りむいて泣いている5歳くらいの子供に“痛いの痛いの飛んでけ~”っていう
「はい。これで明日の総当たり戦はきっと全戦全勝だよ」
体内時計で10秒ほど俺の拳を握っていた雛姉の両手がすっと離れ、右手が少しだけ軽くなる。
「さすがに全員に勝つのはまだキビいわ」
「そんなことないよ。なんてったってこの蝶野雛さまの力を直接送ったんだから」
「ははっ、それは頼もしいな」
右の掌から俺の身体へと宿った、雛さまのパワー。もちろん受け取ったとて身体能力が上がるわけではないけれど、これがあるだけでどんな状況になってもひっくり返せるくらいの力を手に入れられたような気分になる。
「ありがとう雛姉。これだけパワーがもらえたら明日はマジで良いプレーが出来そうだわ」
「むしろ良いプレーをしてもらわないと私も困るんだけどね?」
「わかってるけど変にプレッシャーかけんな」
「遊佐なんとかって人に喧嘩売ってるくらいだからどうってことないでしょ?」
「明らかに名前覚える気ないよね雛姉…」
パワーを受け取った俺に、雛姉は悪戯に笑いながら手荒いエールをぶつける。
「…でも、明日は何が何でも絶対勝つよ。
自分のことを応援してくれる人がいて、その人から目に見える形でエールを与えられる。まだ小さな
「飛鷹くん」
明日の総当たり戦への決意を聞いた雛姉は、部屋を出る前に振り向きざまで俺の名前を呼んだ。
「“がんばれ”」
そして一日の最後に、もう一度だけ俺にエールを送った。
「…おう」
このとき、雛姉からの“がんばれ”に相槌を返す心の裏で、もし目の前にいる雛姉が
「ごめんね話し込んじゃって。じゃあおやすみ」
「おやすみ雛姉」
最後に“がんばれ”と至ってシンプルなエールを俺に告げると、雛姉は軽く俺に手を振って部屋から出ていった。その数秒後に足音と一緒に閉められた扉の向こうから戸の閉まる音が籠って聞こえて、部屋はシーンと静まり返る。
「…恐ろしい人だ」
雛姉からのパワーを直に受け止めた右の掌を、徐に天井へと伸ばして思わずこぼれた独り言。たかがこの手を握られて、“がんばれ”の四文字を言われたってだけのこと。なのにたったそれだけのことで、果てしなく高い壁をも容易く超えていけそうな力さえも手に入れた気分にしてしまう雛姉は、本当に恐ろしい人だ。
「っていけね、風呂入らねえと」
「やば。11時過ぎてる」
寝る前に今年のインハイ予選と大本命のインターハイに向けた課題曲を聴き込んで振り付けの復習をして、クールダウンでリストに入れているお気に入りの曲をいくつか聴いていたら、いつの間にか夜の11時を過ぎていた。明日も朝練があるから早めに寝ないといけないのは分かっているのに、イヤホンで雑音を遮って自分の世界に浸っているとあっという間に時間が過ぎてしまうのはどうしてだろうか。音楽の力、恐るべし。
「(…もう寝よ)」
イヤホンを外して現実に戻り、アラームをいつもの時間にセットして、ベッドの上で仰向けになって布団を被り、部屋の明かりを消して目を閉じる。
「飛鷹くん?もしもーし?」
何度もノックしても声を掛けても全く反応がなかった部屋の扉を開けると、飛鷹くんがもの凄く真剣な表情でストレッチマットの上でうつ伏せの姿勢になりながらスマホの画面を見つめているのがこの目に留まった。
「やっぱここは迷わずプッシュで行けたよな~」
私が静かに目の前でしゃがみ込んでも、気づく素振りすら見せないで飛鷹くんは画面をじっと見たままぶつくさと自分のプレーに野次を飛ばしていた。 “バドミントンは楽しんでなんぼだ”なんて普段は飄々としているくせに、1人になるとあんなに真剣な顔してバドミントンと向き合っているなんて知らなかったからちょっとだけ驚いたけど、それ以上に何だか嬉しいって気持ちが心を巡った。
「心なしかいつになく真剣だね?」
「おう。なんせ総当たり戦で絶対勝つって決めた
「飛鷹くん。左手と右手どっちでもいいからグーの形にしながら私の前に出して」
本当はこんな甘えるようなこと、するつもりなんてなかった。きっと飛鷹くんは、私が明日からの総当たり戦で絶対に負けられないライバルに勝つためにパワーっていうおまじないで勇気づけたって、ただそれだけだって思っているはず。確かにそれも半分正解ではあるのだけど……パワーを貰えたのは私も同じで、5年分だけ大きくなった掌を握ったのはその
「雛……新体操は楽しいか?」
なんて、
「(…逆にパワー貰っちゃったな……私…)」
目を瞑って今日までのことを色々と思い返しているうちに意識はだんだんとまどろみ、夢の中へと落ちていった。
最新話……久々にしんどい。