「じゃ、次の土曜日も同じ時間でよろしく。万が一急遽で撮影とかが入ったらごめんだけど」
「おっけー。明日の撮影頑張ってねお兄」
「はいよ。大会がある結と慧もな」
「うん」「もちろん」
体育館から一番近いバス停で親戚さんの家へと帰って行ったひだっちを見届けた後、駅のほうへと向かうお兄とその場でさよならして私と慧の2人でいつもの帰り道を歩く。
「いやぁ今日の練習は楽しかったね慧」
「うん。そうだね」
こうやって慧とバドのことや他愛ないことを話しながら帰るのはお兄とやる自主練終わりと変わらない光景だけど、今日はその練習に新たに1人が加わったから何だかちょっとだけ新鮮な気分だ。
「面白い人でしょ?ひだっちって」
「そうだね。一緒に試合形式で練習したけど、結構面白いスマッシュを打ってくるから楽しかったよ」
「ってバドの話のほうに行っちゃったよ…まあいいけど」
そんな千木良家での練習に参加することになったひだっちのことを聞いてみると、筋金入りでバド一筋な慧は“面白い人”の解釈を勘違いしたまま答える。こういうことを聞きたいわけじゃないんだよなあ…と思いつつ、罪なくらいにピュアであるが故に悪意なく時々炸裂する天然ボケがめちゃくちゃに可愛いから、つい弟に甘い私は笑って許してしまう。
「改めてどうだった?ひだっちと試合してみて?」
本日もポーカーフェイスな平常運転で隣を歩く慧へ、ほぼ1年越しのひだっちとの
「全中に出てたってことはおれその人と同じ大会出てるじゃん」
体育祭の写真を同じクラスの友達へ送ろうとしていたときに呟かれた何気ない一言で、その友達と慧が全中で一度相対していたことを知ったときは私もさすがに驚いたし、何ならあのとき慧の応援に行っていた私は少なくともあの試合をこの目で見ていたことになる。ただ残念ながらひだっちとの試合の記憶は慧がベスト4まで勝ち上がるたびに上書きされてしまったせいか、いつの間にか私も思い出せなくなっていた。
「えっ……全中で試合してたんだ」
だから全中のトーナメント表を見つけて慧とひだっちの試合結果を振り返ったとき、私はそのスコアをどうしても信じ切ることができなかった。だって私が知っているひだっちは、“怪物”って言われ始めている慧とそれほど大差ないくらいには強いかもって思っていたから。
「21―13。ゲーム」
そしていざそれが再び実現したとき、私の目の前で繰り広げられたのは接戦ではなくて普通にひだっちがストレートで負けていく試合展開だった。覚えていないなりに全中の試合がボロ負けだったっていう事実を知った後だからショックは思ったより少なかったけど、ひだっちが慧にストレート負けしたのは本当だったんだという現実を、目の前で私は見せつけられた。
……頑張れっ……
まるで肝心なときにプレッシャーに圧し負けて実力を発揮できなくなる自分を見ているかのようなプレーを見ていたら、誰よりも応援している慧がいるにも関わらず気が付くと私は審判をしながらひだっちのことだけを応援していた。
「…欲を言うなら、もっといい勝負をしたかった」
実力試しの試合の感想を聞いた私に、慧はいつもの淡々としたトーンで振り返る。
「試合形式で一回やってみて感じたけど、きっと羽鳥さんの実力はあの点差で終わるようなものじゃないと思う……でも自責に繋がるムラと試合運びにスマッシュありきなきらいがあるから、落ち着いて動きを見ていれば普通に勝ててしまう……だからもっと自分を信じ切れていればいい勝負ができそうなのに…」
段々とお兄に似てきた凛とした眼が、ひだっちとの試合を冷静に振り返ってほんの僅かに鋭くなる。確かに思い返してみるとひだっちはストレートで負けたものの全く勝負になっていなかったわけじゃなくて、何かが上手く嚙み合えばいい試合ができそうな感じだった。
「…ひだっちさ、行きのバスで私に“気持ちだけは負けずにコートにいる誰よりもバドを楽しんでやろうって言いながら、いざ直面すると“うわ終わった…”ってなるまでが俺だ”みたいなことを言ったんだよね……もちろん慧の言ってることも正しいって私も思うけど、やっぱり
もしもお兄が言っていたように、自分の武器をもっと有効的に使ってメンタルを鍛え上げていれば、あるいはいつものプレーがちゃんとできていれば、例え全中ベスト4の慧が相手でもひだっちはかなりいい勝負ができたのかもしれない。
「だからあの点差が今のひだっちと慧の差だって、私は純粋に思った」
でもそういう手堅い選択が出来ない不器用さがあるのがひだっちの弱さであって、
「…姉ちゃんはさ、おれが羽鳥さんにまた勝っちゃったこと、どう思ってる?」
同じ歩幅で左を歩く慧が、私のほうに視線を移して問いかける。ポーカーフェイスは変わらずだけど、街頭の灯りに優しく照らされる顔には友達がまた目の前で負ける光景を見せられた私の気持ちを心配してくれている姉思いの優しい気持ちが見え隠れしている。
「どうって、急に言われてもなあ…」
ひだっちが初めてバドで相手に追い込まれているのを見たときに感じた気持ちは、いざ言葉にしようとすると何て言ったらいいのかわからないから出てこない。
「…一言で言うと、
だから代わりの気持ちで、私は慧からの問いに答えた。
「良かった?」
「そう。ストレートで負けたひだっちにはまだまだ伸びしろがあるし、ストレートで勝っても“いい勝負ができるのに”ってちゃんとひだっちの
「2位で悔しいって本気で思える姉ちゃんだって同じじゃん」
「うん。だからみんな今よりもっともっと強くなれる……それを知れて良かったってこと」
一番肝心な
「…確かに姉ちゃんの言う通り、全員が強くなることはとても良いことだっておれも思う」
「ホントに私の言ってることわかってる?」
「当たり前だよ姉ちゃん」
「そう。ならいいんだけどさ」
「まあ何ていうか、
それはそうと……やっぱり
「ねえ、お兄のインターハイの試合撮ったやつってまだ家にあるよね?」
「うん。正月に兄ちゃんが泊まりに来たときに一緒に観てるから絶対あると思う」
「いや今のエグっ…てかどうやって打ってんのこのショット?」
帰りのバスに乗って図書館の1つ先にある最寄りのバス停(※●ーグルで調べた)で降りて蝶野家に戻ってリビングにいた曜子さんと軽く話したあと、ほぼすれ違いでお風呂に入ったという雛姉が上がるまでの待ち時間を使って、俺は自分の部屋に戻ってスマホを開いてバドミントンのアジア選手権の動画を観ていた。
「うわっ打ち返した、絶対決まったって思ったのに…」
こんな具合に俺が毎日のように世界レベルの大会や全日本選手権の動画を観ているのは単純に世界で戦う
「…これが俺の目指すプレーってことか」
ちなみに俺がいま観ているのは、去年の全日本で優勝して日本代表になった選手のプレーだ。もちろんこの選手のプレースタイルはお兄さんが言っていたのと同じオールラウンダーで、目指すべきは単なる攻守の良いとこ取りというわけではなく攻守のどちらもが武器になるほど飛び抜けた言わば野球で例えるところの二刀流。
「すげえな」
ただぶっちゃけ、あまりにもお手本のレベルが自分とは違い過ぎて参考にするつもりがすげえと感心してばかりなのがオチになっている現実。そもそもお手本として見始めたのがインターハイを通り越して世界レベルなのがいけないと言われたらそれまでだが、やっぱり強い人のプレーは何気なく眺めているだけでも驚きの連続で何だかんだ言って滅茶苦茶勉強になる。
「本来の羽鳥君が目指すべきものは強打が武器の攻撃型ではなく、攻守の強みを併せ持つ
「よく全中にまで進めたよな……1年前の俺」
お兄さんから言われたアドバイスを思い返したら、フラッシュバックの要領で中3のときの自分のことも思い出して独り言が口からこぼれた。1年前の今ごろの俺は、自分にとっての強みが何なのかさえまともに考えず本当の意味で自分の感覚だけを頼りにバドをやっていて、それがたまたま上手い具合に噛み合っていただけだった。
「千木良慧です。姉ちゃんがいつも世話になってます」
当然それだけの熱意と努力が通用するほど全国の舞台は甘いはずもなく、全中はあの弟くんにボロ負けして……そして今日も太刀打ち出来ずに負けた。
「まだまだ全然だな…」
「(…見返すか)」
アジア選手権の動画を閉じて、見比べるという意味で今日の自主練で千木良に撮ってもらったパターン練習の動画を開く。
『ほらどうしたどうした?また癖が出てコースが単調になってるよ』
コートをフルに使って前後左右のランダムでお兄さんが上げる羽根を、時に鼓舞されながらストックが切れるまでノンストップで必死に追いかける俺の姿。
「…雑だ」
直前まで観ていたのが“オリンピックや世界選手権に次ぐ重要な大会”と言われるアジア選手権の試合だから当たり前だとはいえ、本当に上手い人のプレーを見た後に自分のプレーを振り返ると要所が雑で下手くそなのが否めない。差で言うなら0コンマの世界でも、返ってきた羽根を打つ僅かなタイミングのズレや迷いで取れるはずの1点を取り逃がして相手に付け入る隙を与えてしまうのがこのスポーツだとしたら、当然このプレーではインターハイになんて行けるはずがない。
『さすがにしんどくなってきた?』
『まだ全然行けるんでもう一回お願いします!』
『練習で無茶し過ぎて本番で壊さないでよひだっち~』
『わあってる!』
こうやって自分より強い人と比べて見ると、俺自身のバドミントンプレイヤーとしての
「(て、どういう例えだよ)」
とにかく今日わかったことは、俺はまだ壁を超えるための準備が出来ていなかったということと、目の前にある最初の壁を超えるために何をすべきか、それが少しだけ見えてきたということ。
『ラストー!』
それはそうと、さすがにインハイ予選の前には言ったほうがいいよな……
「真面目だね~君は」
「!?……っくりした…」
勉強机のイスに座ってまだまだ発展途上な自分のフットワークを見ていたら、横から雛姉の声がいきなり聞こえてきてリアルガチで心臓が止まりかけた。
「お風呂、空いてるよ」
「ノックはした?」
「うん。した」
「ごめん聞こえてなかったわ」
「うん。わかる」
試合の動画や筋トレに集中し過ぎてお風呂から上がった雛姉がこの部屋の扉をノックしたことに気付かなかったパターンは、これにて推定10回目。さすがにここまで来ると雛姉も“あ、例のパターンね”って感じの平坦なリアクションになるのも無理はない。
「今日は誰のプレーを見てたの?」
スマホの画面を見ることなく、横に立つ髪を下ろした雛姉がたった今まで観ていた千木良が撮影した動画のことを聞いてくる。
「日本代表のプレーと今日の俺のプレーを見比べてた」
「それはまた極端な」
「そしたら手本が上手すぎてあんまり参考にならなかった」
「ならなかったんかい」
「だけどさ、こうやって見比べてみると改めて自分の現在地がわかるんだよな。攻守の切り替えや試合運びひとつ取っても、やっぱ日本で頂点に上り詰めたり世界で戦える選手っていうのはとにかくミスに繋がる隙が少なくて、そんでもって一瞬で生まれた相手の隙を逃さない……比べて俺は、どうしても無意識にスマッシュで点を取ることに頼ろうとする癖があるからただでさえ隙が生まれやすいってのに、まだまだミスショットも多い。この前の総当たりで晴人と試合したときだって自分の判断ミスで何回も追いつかれそうになったし、フェイントは普通に晴人のほうがまだ全然上手いし、
日本代表と今日の自分を比べた本音が、溜まった水を一気に吐き出すダムのごとく口から飛び出す。ここまで喋るつもりなんてなかったけれど、プレーを振り返っているうちに変なスイッチが入ってしまったのか、気が付いたら風呂上がりの雛姉を相手にめちゃくちゃ愚痴っていた。
「…千木良さんたちとの練習、相当楽しかったみたいだね?」
ただついでで感想を軽く言うつもりが思いっきり自分への愚痴を吐いた俺を見て、雛姉は後ろにある俺のベッド(※元々弘彦さんが使ってたもの)に座りがてら少し悪戯な感じに笑いながらいとも容易くこの心を読み取る。
「おう…色んな意味で行って良かったわ」
「終わった後は何食べてきた?」
「沖縄そば。ちなみに千木良のお兄さんの行きつけ」
「沖縄そば…埼玉なのに沖縄?」
「俺も思った。でもめっちゃ美味かった」
「うわ~いいなぁ〜。で、どんなこと話してきたの?」
「そりゃもちろんバドの話とか、学校の話とか」
「やっぱり自分がやってる競技の話になるのはあるあるだね」
「あー、そうかも」
「後は?」
「結構聞くな雛姉……んーあと話すことっつったら、お兄さんが高3でバドやめた後に
「なんやかんやで略しちゃっていい話なのそれ?」
「多分このくだりを最初からまともに話したらリアルガチで30分はかかる」
「あぁ、それは仕方ないわね…」
仲は良かったとはいえどつい2ヶ月前までは数年に一度のペースでしか会ってないくらい疎遠な関係だったのに、どうして雛姉は俺のことがこんなにもわかるんだろうって、本当にふと思う瞬間がある。
「…大会が近いからってバカみたいに自分の世界に入って課題に打ち込む時間も大事だけど……たまには息抜きして、こんなふうに何気ない話をする時間を過ごすのも同じくらい大事かもね…」
たかが学年が1つ違うだけなのに、生まれた月が3つしか違わないのに、どうして俺と雛姉はこんなにも違うんだろう……
「って、あんまり長く話してたら遅くなっちゃうから私はもう出るね」
最後に何だか意味深なことを俺に言うというより物思いに耽る感じで呟くと、雛姉はベッドから立ち上がって部屋の外に出て行こうとする。やっぱり俺には、2ヶ月経ってもこうやってたまに見せる雛姉の表情と言葉の意味がまだ読めないままだ。
「…あのさ雛姉」
部屋から出ていこうとする雛姉を、俺は呼び止める。
「人ってどうやったら変われんのかな?」
声に反応して立ち止まり振り返った雛姉に、今日の練習を通じて思った
「いきなり難しいこと聞くね」
「ごめん。でもインターハイを目指すにあたってここは経験者の心得をひとつ」
「えぇー…」
案の定、こんな正しい答えなんてないようなものをいきなり聞かれたって困る話で、雛姉は困ったように笑い返す。
「…ちょっと考えてみたけど3週間で自分を変えるのは厳しいと思うよ。まず時間が足りなさすぎる」
部屋の扉の縁に寄りかかって5秒ほど考え込む仕草をした後に真面目な表情と声色と一緒に返って来たのは、無理だという現実的で真っ当な結論。
「そっか…ごめんありが」
「話はまだ終わりじゃないからそう結論を急がない」
それを聞いてすっかり諦めモードに入ろうとした俺の言葉を遮って、雛姉は結論の続きを話し始める。
「私が言いたいのは、自分のペースを崩してでも無理して自分を変えようとする必要はないんじゃない?って話。もちろんインハイ予選が近いから少しでも前へ行きたい気持ちはすごく分かるし、私だって目標は優勝することだからそのために自分なりに演技を磨いてるわけだけど、大会が近くなると不安とか緊張で寝つきが悪くなったりするのだけはどれだけ上手く演技が出来るようになってもずっと変わらない……ってぐらい自分を変えることは本当に難しいことだから、飛鷹くんがいまやるべきなのは自分を変えることよりもいまの自分が出来うるベストを尽くすために時間を費やすことなんじゃない?」
こうして新体操でインターハイ3位を獲った同じ学校の先輩から俺に送られたアドバイスは、自分を変えることではなく“ベストを尽くす”ということ。
「ただ無理をしてでも変わりたいって
そして最後に抽象的な例えを付け加えて、雛姉は口角を上げてクールに笑った。
「以上、新体操部期待のエースこと蝶野雛先輩からのアドバイスでした」
ガチャン_
「…自分で言うんかい」
俺からのツッコミを待たずに、インターハイ経験者としてのアドバイスを自画自賛で締めくくった雛姉はこの部屋から出ていった。生まれたタイミングは4ヶ月弱しか変わらないのに、俺にとって雛姉は小さいときから3つから5つくらい年上のお姉ちゃんみたいな感覚なのは今だって変わらない。同じくらいのテンションではっちゃけるときも、人が困っているところを見て手を差し伸べるときも、いつだって雛姉からは一貫して“自分のことは自分でどうにかする”っていう信念みたいなものを感じて、やがてそれが俺の中で月日を経て
「(今の……相手が
クールに笑ったときのどこか達観した雛姉の表情と眼つきが何だかやけに大人っぽく見えて、一瞬だけ心が大きくザワついた。
「…雛姉がはとこで良かった…」
本当に一瞬だけど、
「…入ろ」
変なことを考え出す前に、頭の中を冷静にしてクローゼットの中から着替えを取り出して1階へと足を進めて、バスルームと繋がっている洗面所のかごに持ってきた着替えを入れる。とにかく今は、雛姉に対してよくわからないことを考えてしまったこの気持ちをシャワーで全部洗い流したい気分だ。
「……」
上着を脱いでそれを奥のかごに入れたところで、ちょうど逆側の位置にあった洗面台の鏡に映った自分と目が合う。
「自分の心…気合い…」
雛姉から言われたばかりのアドバイスを復唱する、鏡の向こうにいる自分の姿。目にかかるくらいの中途半端に伸びた髪をした鏡の中の
「…よしっ」
ネタバレという意味ではないのですが、本作の世界線で生きている雛は原作と同じく大喜とは結ばれていないままです。
ただ原作との違いは、本作の雛には飛鷹という大喜とは違う角度で自分の隣にいてくれる存在がいるということです。
この事実が雛にどんな影響を与えていくのか、その辺りも未熟なりにしっかりと書いていくつもりですのでこれからもお楽しみにして頂ければ嬉しいです。