「えっ?お兄さんドラマの仕事決まったん?」
「うん。実はひだっちが帰った後お兄と慧の3人でご飯食べに行ったときに打ち明けられたんだけどね」
“誕プレをちょっとだけ豪華にする”というのを条件に、親友の我儘に付き合う恰好でちょっとした寄り道をすることになった帰り道。夜に向かってオレンジ色のコントラストに染まり出した日暮れの空は、雨が降っていた一昨日の自主練終わりとは違って日没が迫ってもまだ明るさを残している。
「詳しいことはまだ言えないみたいだけど、結構いい役貰えたってさ」
「マジですげえじゃん」
行きつけのスポーツショップから特に思い返すほどじゃないマジな意味な他愛のない話をしながら歩いていた道中で、話題はこの前の自主練で俺が帰った後に打ち明けられたというお兄さんの話になった。
「もしかしたらこれでお兄がブレイクして有名人になっていくかもっていざ考えても、なんかまだ全然想像できないんだよなぁ」
どういうドラマなのかはまだ言えないというが、結構いい役を貰えたらしい。と、隣を歩く千木良はサラッと明かして全然想像できないと小さく笑う。
「ホントにな。つい一昨日まで一緒に体育館で練習してた人がテレビや映画に引っ張りだこ?みたいになっていくのは俺も想像できないわ」
「まず自分の親だとか兄弟が有名人だったらとか今まで考えたこともなかったし」
「一応
「…あぁそっか。雛先輩ってお父さんが元日本代表なんだっけ?」
「おう。体操のな」
千木良の言う通り自分の家族が有名人だったらとか、有名人の親や兄弟がいたらどうだとかは想像の範囲でしか考えたことがないからよくわからない。しかもお兄さんの場合は雛姉みたいに親が同じ類の競技で日本代表として活躍したというものとも全然違うから、現実っていう感じが全く感じない。
まあ弘彦さんも、雛姉曰く現役時代は芸能人ばりの人気があったらしいけれど。
「というか…この話って俺にして大丈夫なやつ?」
それはそうと芸能界のことを全くと言っても良いほど知らない俺でも“これってサラッと話して大丈夫なやつか?”とさすがに思う話が続いていたから、タイミングを図って切り込む。
「うん。お兄が“羽鳥君なら大丈夫そうだからいいよ”って言ってたから」
「何が大丈夫なのかせめて教えて欲しいんだけど…」
大丈夫かと切り込んだ俺を横目に、千木良はお兄さんのモノマネを申し訳程度に交えながらその理由を明かした。
「まあ、言われなくてもここだけの話にはしておくけどさ」
「ちゃんと大丈夫の意味わかってるじゃん」
「ある意味で俺も秘密を抱えながら
「なにそれカッコいい~」
「雛姉の話だっつの」
ちなみにお兄さんの言う“大丈夫そう”の意味は、蝶野雛の親戚であることをいま隣を歩く親友を含む一部の人にしか明かしていない俺には割とすぐにわかった。にしても妹の親友だから別に仕事のことも話していいだろうみたいな、しっかりしていそうに見えてどこか抜けている
「言っちゃ悪いけどお兄さん俺のこと信用し過ぎじゃね?」
「ひだっちと話してみてこの人なら絶対言いふらしたりしないから大丈夫って思ったからじゃない?」
「信用されてるのは嬉しいけどさ」
「ああ見えてお兄ってちゃんと人のことは見て判断するタイプだから」
「おう。普通にだろうなって最初から思ってるわ」
とりあえずは間違って口を滑らせて学校中に広まったりすればエラいことになるのは俺でも想像できたから、この話は本当に黙っておこうと心に決めた。
「…でも、これでお兄が私たちの練習に来れるペースが一気に減っちゃうんだろうな」
目的地まで送る形で一緒に来た道をそのまま戻る俺へ、少しの間を空けて千木良が呟くように口を開く。
「そっか…それは寂しくなるな」
「別に落ち込んでるわけじゃないから大丈夫だよ。確かにちょっと寂しくはなるけど、私はいまの夢を選んだお兄のことを本当に尊敬してるし応援だってしてるから、大きな仕事が決まったことは素直に嬉しい」
お兄さんが活躍していくことを嬉しいと言いながらも、今一つ現実感がないような表情で小さく笑いながら千木良は心の内を呟く。仕事が忙しくなる反面、会って話したり一緒にバドをやれる時間が減るのは寂しいものだと、父ちゃんが教員で夜遅くなることも珍しくなかった俺も思うところがある。
「だからこれからはお兄に負けないように私と慧で力を合わせて練習に励むって感じになるね。もちろん体育館はタダじゃ借りれないから今までみたいに週1ってわけには行かなくなるけど、私もお兄から色々教わってるからまーどうにかなるでしょ」
自主練習を通じた2週間の付き合いでしかない俺でさえ多少の寂しさを感じるくらいだから、平気な顔をしてそう言い切る千木良にとってはきっとそれ以上のことだろう。
「これでも私、バドミントン歴だったらハリー先輩と同じくらいやってきてるし」
だけど高校で新たにできた俺の親友は、とっくに前を向いて次に切り替えている。そこに比べられることを知った上で同じ競技を選んだ心強さを改めて思い知る。
「悪い……マジで手も足も出せなかったわ」
「…どうにかするしかないよな」
千木良の言葉に感化されたのか、不意に中3のときの思い出が一瞬だけフラッシュバックした俺は誰に向けてでもないほぼ無意識な独り言を吐き出していた。
「たはっ、なんでひだっちが暗い顔してんの?」
「えっ俺が?」
「言っとくけどめっちゃ顔に出てるよ?」
その様子を横から見ていた千木良が、手で口を押えてクスッと笑いながら俺の顔が暗くなっていると告げる。思っていることが顔に出やすい性格は元からとはいえ、ここまでわかりやすく出ているとは思わなかったから自分でも驚いた。
「もしかしてお兄と会えなくなることが寂しいとか?」
「寂しいのは多少なくはねえけど別にそういうのじゃないよ」
「まさかのマジだった」
初めて全中のコートに立ち、ほとんど何もできないまま1年前のジュニアに負けた瞬間まで感じたことも考えたことさえもなかった、最後の大会が初戦敗退で終わる
「…今日さ、初めて大喜先輩から1セットを取ったんだよ」
「大喜先輩って結構強いよね?」
「ぶっちゃけ針生先輩の次くらいには手強い」
「だったらちゃんと自主練の成果出てんじゃん」
「まあな。何なら1セット目を先取して、2セット目も中盤までスコア的にも先行してて今までで一番ってくらい流れにも乗れてた……ってときに俺が使ってる相棒のガットが切れてさ_」
「(千夏先輩……本当に怪我したんだ…)」
朝のHRで1Bにも伝わった、女バスが3回戦で敗退こととエースの千夏先輩が試合中に怪我をしたという噂。午後の授業が終わりいつもみたいにラケットバッグを背負い体育館の中へ入ってコートの準備をしていたとき、視界の隅で少し遅れて松葉杖を肩で抱えながら女バスの練習に来た千夏先輩の姿が見えて、それが本当だってことを俺は知った。
「(ま、俺なんかが気にしても仕方ないか…)」
パイプ椅子に座って女バスの練習を見守る千夏先輩を見て、俺は“自分には関係ない”と切り替えてすぐさまバド部の練習に専念した。そもそも身内の雛姉が怪我なんてしたらともかく、全くと言っていいほど接点がない先輩のことを俺が気にしたところで何になるんだという話だと、気に留めることをやめた。
バチッ_
その後に臨んだ大喜先輩とのゲームの最中に相棒のガットが切れて、これをターニングポイントに流れを一気に持っていかれてしまいフルセットに持ち込まれ、そのまま勢いを許した俺はファイナルゲームを取られてしまった。今まで1セットも奪えなかったことを考えれば健闘はできたと言えるかもしれないが、予備のラケットに代えてからのプレーは久しぶりに酷かった。
「勝てそうだったのに勿体なかったな飛鷹」
「おう。大喜先輩もインターハイに向けてちゃんと合わしてきてるから、これも実力だって受け入れて残りの時間でまたやれるだけのことやるしかないってとこだわ」
「案外冷静じゃん」
「当たり前よ。ゾーンが切れた
こんなふうに余計なことを試合中に考えるから負けるとわかり切っていたのに、ガットが切れるアクシデントに直面した俺は
「_たかがガットが切れただけで集中力が切れて相手に流れを与えてそのまま負ける……俺らはまだ1年だから3年生の先輩よりもインターハイを目指せるチャンスは多いかもしれないけど、それでも本番でこんな終わり方だけはしたくねえなって大喜先輩とのゲームで思ったよ」
たった一球、スマッシュを放つと同時にガットが切れる音と共に、自らゾーンを解いて隙を与えてしまった今日のプレーを振り返りつつ、未だメンタルの課題を克服できていない自分の不甲斐なさを愚痴に近い形で親友へ溢す。
「だから千木良じゃないけど、いい加減俺も前を向けるようにならないとなって感じるわ」
「ひだっちは普段から前向きじゃない?今はちょっと沈んでるけど」
「今以上にって意味だよ。次の朝に夢から醒めて前を向くんじゃなくて、相手から1点を奪われた瞬間から前向きになれるくらい、俺はもっとバドを楽しめるようになりたい」
本当は千木良に言うつもりはなかったけれど、言わなかったら言わなかったで引きずりそうな予感がしたから蝶野家に帰る前に吐き出した。
「…やっぱり、ひだっちって根がホントに真面目で一直線だね。バドに対する気持ちとかさ」
そんな今日のプレーを経た自分の気持ちを吐き出した俺に、千木良がポツリと呟いて揶揄うように笑う。
「一応聞くけどいい意味ってことだよな?」
「もちのろんです☆」
それがいい意味なのか半信半疑で聞くと、千木良は少し不安げな俺を安心させるようにウインクして白い歯を見せてキラリと微笑む。本番まで1週間を切っているというのに、こいつからはいい意味で緊張感を感じないから、ただ話しているだけで気持ちが軽くなってくる。
「自分で言うのもアレだけど、千木良の言う通りバドだけはずっと真面目にやってきたよ」
当然ながら自分がそうだという自覚はあるから、カッコつけずに正直に俺は話した。針生先輩から言われた“並みの努力”しかしていなかった中学までのときも、練習をサボったりするようなことは一度もしなかった。
「コートに立って最高に楽しい試合をするには、真面目にバドを楽しまねえとだしな」
俺はとにかく体育館のコートに立ってラケットを持って羽根を打っている時間が一番好きだ。相手と対峙しながら1点を取り合っている時間はもっと好きだ。自分の好きのためだったらキツい基礎練ですら最後まで手を抜かずに楽しみ切れる。だからこそ昨日よりももっと楽しい試合ができる。
少なくとも俺は、
「よくわかんないけど……千木良と話してたらいい意味で気が楽になったわ」
だから……かつての自分がそうだったからと勝手に決めつけた
「……うわ、もう着いちゃった」
体感5秒ほどの沈黙を挟んで、歩道の外側を歩く千木良が前に視線を向けて再びポツリとしたトーンで呟いた。その呟きに反応して視線を前へ向けると、いつの間にか学校から一番近い場所にある交差点まで来ていた。
「ほんとだはっや」
「まあ歩いて10分かかんないくらいだからこんなもんだよね」
「話しながら歩いてると時間が経つのも早いよな」
「わっかる~マジで早いよねバドやってるときの次くらい」
「これはわかりみが過ぎる」
二言目にはいつもの千木良に戻ったけれど、5秒の沈黙が俺には何だかやけに不自然思えた。例えるならお兄さんの試合映像が入ったDVDをプレゼントしたときに見せた、珍しく恥ずかしそうな表情を浮かべていたときのような、“あ、こいつってこんな一面もあるんだな”ということに気付いたときみたいな何とも言えない変な感覚。
「じゃ、私そっちだから」
「あぁ。ここで解散する感じか」
「言っても学校まで1分くらいだし、私がそっちに行っちゃったら遠回りだし」
「確かに図書館は逆方向だしな」
「誕プレはちゃんと豪華にしておくから心配しないで」
「別に心配はしてねえわ」
まあ……俺の考えすぎだな。
「お疲れひだっちまた明日っ!」
「おう、また明日」
一瞬の不自然さを感じて瞬きをしたときには平常運転に戻っていた千木良とさよならをして、俺は今度こそ家路を歩く。スポーツショップを出てからほんの僅かに暗くなりだした空を見て、10分ほどの寄り道をしたことを今になって自覚する。
「(…千木良も強いな)」
話す相手がいなくなった帰り道を歩き始めて約1分。ちょうど学校の前を通り過ぎるタイミングで俺の心が漏らした本音。大会が近づいてバド部は先輩も後輩も関係なく緊張感が高まっているというのに、千木良からはそういうものをいい意味でほとんど感じなかった。
「ま、本音を言うなら1位になりたかったけどね」
もちろんあいつが一つでも多くの試合に勝ちたいと本気で思っていることは共に自主練をした仲として知っているから、きっと自分の中で緊張感を持ったうえで、それでもマイペースで居続けているんだろう。同じ意味で言うなら、雛姉に通じそうな部分があいつにもある。
「よく考えたら強い人ばっかだな……俺の周りは」
ハッキリと言えるのは、俺の周りは強い人ばかりだということだ。自分には関係のないことで勝手に中3のときの自分と照らし合わせて集中を切らした俺とは違って、本当に心が強い人たちばかりだ。
「俺も強くなりたいな……誰にも負けないくらい…」
例えば千木良3兄弟然り、晴人然り、大喜先輩然り、針生先輩然り、そして後は……
「蝶野家へようこそ」
小5の夏ぶりに雛姉と再会してから、あっという間に3ヶ月が経った。もちろん差し伸べられた手に引っ張ってもらわないと立ち上がれなかったあの夏とは違って、今はもうその手の力を借りなくとも自分で立ち上がって前へと歩けるようになった。
「はい。これで明日の総当たり戦はきっと全戦全勝だよ」
ただそれでも雛姉がこの俺に与えてくれる力はいつも絶大で、頑張れと笑顔で俺に言ってくれるだけで、握り締めた拳をそっと両手で優しく握ってくれるだけで、いつも以上の力を発揮することができた。
「私は千木良さんが飛鷹くんの親友になってくれて良かったなって思う」
いま思えば俺は、雛姉がいたからこそ栄明に来てからここまでバドを楽しめているし、雛姉から少しずつ強さを受け取って力にできたおかげで千木良という新しい親友ができて、晴人という互いを高め合うようなライバルにも出会えた。
確信と言えるほどの自信はないけれど、振り返るとそれもこれも全部、雛姉が俺にとって
「俺……親友に最低なこと言った……」
もしもあのとき、雛姉がこの心に手を差し伸べてくれなかったら……俺はあのままバドをやめて、親友の恵介とも距離を取ったままで疎遠になって、自分の殻に閉じこもりどんどんと心を閉ざしていって、
ガチャッ_
ラケット一本分だけ軽くなったバックを背負い実家と同じくらい入り慣れてきた家の玄関を開けて、シューズを脱いで上がる。
「(あれ?いつもより静かじゃね?)」
そのままいつもなら仕事が終わって家に帰ってきた曜子さんが夕食の支度をする音が聞こえ手料理の匂いがするはずのリビングが、灯りだけをつけてシーンと静まっている……まさか泥棒が?と思って玄関に置かれた靴を見ると、雛姉が普段から履いているシューズがあって心配はすぐに杞憂に終わるも、どうやら曜子さんはまだ帰っていないみたいだ。
「ただいま…」
「んー……いざ作るってなると手順が…」
ひとまずは雛姉が帰っているのを玄関に置かれた靴で理解してリビングの中に入ると、ギリギリ聞こえるかくらいの独り言をブツブツと呟きながらちょうどキッチンにある冷蔵庫の中身を考える人みたいな手のポーズをしてじっと見つめる普段着姿の雛姉がいた。
「…レシピを見ながらだったら」
「雛姉ただいま」
「ぅわっ!?……おかえり飛鷹くん」
完全に聞こえていなかったみたいだからともう一度声を掛けると、俺に気付いた雛姉はまるで泥棒にでも遭遇したかのようなリアクションで驚いて反射的に半歩ほど後ずさり、話しかけたのが俺だとわかった瞬間にわかりやすく安堵の溜息を溢す。この反応を見るに“ただいま”の声は全く聞こえていなかったパターンだ。
「曜子さんは?」
「あー、お母さんだけど“仕事でちょっとしたトラブルがあって今日は遅くなるから夕飯は冷蔵庫にあるものか最悪デリバリーで済ましといて”ってメッセが家に着く前くらいに来てさ、多分飛鷹くんのところにも行ってると思う」
「マジか」
まるで筋トレや試合の動画に熱中し過ぎてたまに人の声が聞こえなくなる俺みたいな状態になっていた雛姉にまだ帰ってきていない曜子さんのことを聞くと、仕事で遅くなったというメッセを送ったと言うから俺はポケットに入れていたスマホの画面を見る。
「マジだ。気付かんかった」
雛姉に促される形でスマホの画面を開くと、曜子さんから雛姉の言っていたこととほとんど同じ内容のメッセが15分前に送られていた。
「弘彦さんは?」
「今日も安定の10時過ぎです」
「ですよねー(むしろ早く帰ってくるほうが珍しいくらい忙しいからなぁ弘彦さん…)」
ちなみに雛姉や曜子さん曰くワーカーホリックならぬ“体操ホリック”だという仕事人間の弘彦さんは、いつもの如く今日も帰りが遅いらしい。
「というわけで、今日の夕ご飯は私と飛鷹くんで食べることになりました」
ということで冷蔵庫を一旦閉めて両手をパチンと合わせて高らかに宣言した雛姉の言う通り、急遽今日は蝶野家で世話になって初めて雛姉と2人で夕飯を食べることになった。
「食べるのはいいとして、シンプルにどうする?」
「お母さんが今日は豚肉の生姜焼きにするつもりだったらしいから、とりあえず今日の献立は生姜焼きの予定です」
「うわめっちゃいいじゃん」
「でも今から作り始めるとそこそこ時間が掛かっちゃうけどどうする?」
「材料とかは揃ってんの?」
「うん。昨日まとめてお母さんが4日分くらい買ったから作ろうと思えば幾らでも(レパートリーはともかく…)」
言うまでもなく、今まで16年弱ほど生きてきて
「そうだ。俺も一緒に生姜焼き作るわ」
だったら、日頃の恩返しになるかはわからないけど雛姉のために手を貸すとしよう。
※これから作るのはマキ⚫︎定食ではありません