「雛。お母さん今日仕事で遅くなるから1人で留守番してもらうことになるけど大丈夫?」
「全然大丈夫。だって雛もう中2だよ?」
私が初めて1人で家の留守番をしたのは中2のとき。全中大会が終わった後のお盆過ぎの夏休みのことだった。
「夕飯の献立はまとめて冷蔵庫に入れてあるから適当な時間にチンして食べておいて」
「りょーかい」
「あと戸締り忘れないように」
「分かってるよお母さん」
お父さんとお母さんが仕事の都合で2人とも夜遅くになったりするときは決まって高校に通っていたお姉ちゃんが家に帰ると必ずいたけれど、その日はお姉ちゃんも友達の家に泊まりに行っていたから、私はたった1人で家の留守番をすることになった。
「ただいまー………って、いるわけないよね」
午後の部活が終わって家に帰り玄関の鍵を開けて、つい無意識に出てきた“ただいま”の言葉と返ってこない“おかえり”で、いつもいるはずのお姉ちゃんが今日はいないことにハッと気付いた夕暮れ。もう私は中2だから全然大丈夫だと学校へ行く前にお母さんへ言ってみせたけれど、帰ってくると誰かがいるのが当たり前だった家の中に自分以外の人が誰もいないということを肌で感じた瞬間、“1人だ”という寂しさに似た感情がじんわりと心を包み込んだ。
「(…さすがにまだ帰ってこないか)」
いつも通りに自分の部屋で柔軟ストレッチと溜まっていた夏休みの宿題をやれるだけやって、空の色がオレンジから紺色に変わった頃にまだ誰もいないリビングに下りて、冷蔵庫の中でラップを掛けて保存されていた夕飯をレンジで温めて誰も座っていないダイニングテーブルに自分の分を置いた。話し相手がいないたった1人の食卓は、静かすぎて逆に落ち着かなかった。
「いただきます…」
話し声のないシーンとしたリビングの空気を少しでも和らげようとつけたテレビから流れる音楽番組をBGMにして、お母さんが作ってくれた夕飯を1人で食べた。確かに話し声のひとつすらしないリビングの中はちょっとだけ賑やかになったけれど、結局周りを見渡しても話す人がいないから効果は長くは続かなかった。
『さあ、続いてのアーティストは_』
いつもだったらつい感じた気持ちを言葉にしてしまうくらいには美味しいお母さんの作った手料理も、美味しいのは変わらないけど心なしか半分くらい味が薄く感じた。
「ごちそうさま…」
テレビから流れてくる音楽番組の曲に耳を傾けながら夕飯を食べていたら、あっという間に完食してしまった。もちろん“ごちそうさま”と言ったところで返事は返ってこないし、お母さんやお父さんからメッセも来ない。だからといってお母さんへ“お仕事終わった?”とメッセを送るのも、それはそれで“大丈夫”と言っていた手前だったから何だか恥ずかしくてできなかった。
『聞くと元気が出る曲ランキング、ここからついにトップ10の発表!まずは第10位!_』
いよいよ食器も片付けてやることがなくなった私は、リビングのソファーに座って惰性で流していた音楽番組を見て沈黙を紛らわした。初めて経験する1人での留守番に対する不安はなくはなかったけれど、どうせしばらく待てば必ずどちらかが帰って来ることは分かり切っているから、気持ち的には平然は保てていた。
「……はぁ」
ただこういうとき、もし隣で話し相手になってくれる誰かがいたら今みたいな寂しい気持ちをしないで済むんだろうな……という、今まで生きてきた中で一番の
ピロン♪~_
「あ、来た」
お母さんから仕事が終わったというメッセが届いたのは、夜の8時半くらいのことだった。
「玉ねぎ切るの上手だね〜飛鷹くん」
「バドミントンは手先の器用さがものを言うからな」
「そういうものなの?」
「一応俺はそう思ってる」
キッチンに立ち生姜焼きで使う玉ねぎを水で洗い皮をむいてスライス状に切っていると、横で調味料を幾つか漁りつつスマホに映るレシピへ時々目を通しながら生姜焼きに使うタレを作り始めた雛姉が俺の包丁研ぎを褒める。曜子さんの腕前と比べてしまうと全くもって及ばないが、これでも俺は練習が早めに終わる土日には曜子さんの手伝いをするぐらいには料理をするのも実は嫌いじゃなかったりする。
「料理とかってこっちに来る前からやってたの?」
「おう。中1からちょいちょい母ちゃんが作ってるのを手伝ったりしてた」
「へぇ~偉いじゃん」
「バドが上手くなるには手先が器用じゃないと打てるショットも限られてくるし」
「バドってそういうスポーツだっけ?」
「多分」
「多分かい」
ちなみに生姜焼きの分担は互いに話し合った結果、それなりに包丁を使い慣れている俺が具材を切る担当で、週末のことを考えると指先を切ったときのリスクが高い雛姉が炒める担当になった。料理が出来るか出来ないかの前に、絆創膏やテーピングを巻けば多少の痛みぐらいは気合いでどうにかできるバドとは違い、指先一つの動きにすら正確さを求められるのが新体操という競技らしいから、まあ当然のことだ。
「弘彦さんと曜子さんがいないといつもより広く感じるよな、この部屋」
「あー、言われてみたらそうかもね」
大人2人が立つと窮屈な羽鳥家より明らかに広いL字型のキッチンと、灯りだけがついて何も物音が聞こえないダイニングテーブル。いつも蝶野家に帰ると必ずいる人がいないだけで、家の中がやたらと広く感じてくる。
「玉ねぎ切り終わった」
「早いねぇ飛鷹くん」
「キャベツは千切りでいい?」
「うん。ていうか千切りできるの?」
「大雑把だけどいける」
「すごっ(絶対居酒屋とか定食屋に向いてそうだなこの子…)」
スライスに切り終えた玉ねぎをトレーに移して、冷蔵庫からキャベツを取り出し真っ二つに切りひとまず半玉分だけ使うことにしてもう半分をキッチンペーパーとビニールで二重に包んで野菜室へ戻す。
「こっちもできたから焼き始めるよ」
「おう」
冷蔵庫へと背を向けた背後で、生姜焼きのタレを作り終えた雛姉ができたと呟いて収納からフライパンを取り出して底面を軽く水で洗い、まな板の前に戻った俺はそれに気を遣い身体をよけてIHのコンロの前に雛姉が立ったのを目視で見てキャベツの千切りを始める。いま台所に立っているのが曜子さんではなくこの家の末っ子とその
「ウチってIHだからフライパン振れないんだよね~」
「雛姉も結構詳しいじゃん」
「これぐらいは知ってますよ。お姉ちゃんがお母さんの夕飯の手伝いをしてるの手伝ったことあるし」
「手伝いの手伝いは逆に邪魔じゃね?」
「人は多いに越したことはないでしょ」
「そりゃそうだけど」
ていうか今、この家に雛姉と2人きりだな……
「…やっぱり留守番も2人いると全然退屈しないね」
今更ながらにいま家の中にいるのが俺と雛姉の2人だけだということを実感した隣で、キッチンの白い壁に視線を向けながら思い耽るような声で雛姉が呟く。
「だな。1人で留守番なんざもう暇でしゃーないし」
「飛鷹くんもそう思う?」
「当たり前っしょ。俺も1人だと退屈だから父ちゃんも母ちゃんもいないって日は友達呼んでスマブラ大会とかしてたわ」
「確かに飛鷹くんの家ってゲームも色々あったよね」
「おうよ。けど
「テレビゲームはやり出したら止まらなくなるからホントに良くないよね」←※個人の見解
「マジでそれ」←※個人の見解
「私も息抜きで15分くらい“たいたつ”やるつもりが50分くらいやっちゃってお母さんに怒られたことあるし」
「“たいたつ”めっちゃ上手かったよな雛姉」
「よく覚えてるじゃん」
「麦姉はその上を行ってたけど」
「蝶野家で一番のゲーマーだからねお姉ちゃんは」
俺の二言目をきっかけに互いに手を一旦止めて、羽鳥家に置いてきたゲームの話で軽く盛り上がる。こういう何気なさすぎるくらい普通な会話ですら雛姉が相手だと本当に楽しくて、留守番の持て余した退屈さも吹き飛んでいく。
「そういや麦姉って大学どこだっけ?」
「
「めっちゃ頭良いとこやん」
「本人は勉強よりもスポーツの才能が欲しかったって言ってたけどね」
「大人になってからのこと考えたら勉強できるほうが大事そうだけどな」
「それは言えてる…」
ぶっちゃけ、雛姉と2人だけで下らない話をしながらキッチンに立ってるこの
「飛鷹くん、豚肉って下味つけるんだっけ?」
「あー、なんか下味とか小麦粉まぶしたほうがもっと美味くなるって聞いたことあるわ」
「でもめんどくさいからこのまま入れるね」
「意外と雛姉って新体操以外はガサツなとこあるよな」
「あ゛い゛?」
「という冗談はこれぐらいにしてキャベツ切りまーす(普通に地雷だった…)」
お決まりの悪い癖で調子こいて軽く地雷を踏みつつ、雛姉がコンロのスイッチを入れたのを見て俺も黙ってキャベツの千切りを続ける。直接言ったら割とマジっぽい顔でガンを飛ばされたことはともかく、超人と呼んでいる
「豚肉と玉ねぎは豚肉が先で合ってるよね?」
「豚肉で合ってる(勘だけど)」
「おっけー」
だからこそ俺は、決して超人なんかじゃないこの人のことを素直に応援したくなる。そしてただ物理的にこうやって隣に立つんじゃなくて、
「玉ねぎのトレー貸してくれる?」
「はいよ」
「ありがと飛鷹くん」
なんて、生姜焼きを作っているときに考えるようなことじゃないのだが。
「…やっば普通に美味そうすぎるんだが」
「味の保証はできないけどね」
「大丈夫、もう食う前から美味いのがわかる」
「でも何か思ってた感じと違うんだよなー」
ジュワーという音と共に、いい感じに空腹になった胃袋を容赦なく刺激する豚肉の香ばしさと玉ねぎの甘みとそれを包む甘辛いタレが合わさった心地良い匂いが、キッチン周りに充満していく。何だか生姜焼きにしては生姜の匂いが全然目立っていなくて逆に豚肉の主張が強めな感じだけど、美味そうなのは変わらない。“空腹は最高の調味料”とはまさにこのことだ。
「……あ」
さあこれで後はキャベツと一緒に皿へと盛り付けるだけというところで、フライパンを持つ雛姉が明らかに
「生姜入れるの忘れてた」
「何してんすか料理長」
と思った束の間、案の定の言葉が返ってきた。どおりでタレの匂いが鼻の中に入ってきたとき、あれ?生姜焼きってこんな匂いだったっけ?と頭の中で一瞬だけ疑問符がついたわけだ。
「どうしよう。今から入れる?」
「雛姉に任せる」
「…ではこれにて、豚肉の生姜焼き“もどき”の完成とする」
「ウィームッシュ」
というわけで若干の紆余曲折を経て、豚肉の生姜焼き改め豚肉の生姜焼き“もどき”が出来上がり、2人で手分けして4人分に分けて弘彦さんと曜子さんの分をラップに包んで冷蔵庫へと入れ、俺と雛姉の分をダイニングテーブルに置く。
「付け合わせがキャベツだけってちょっと物足りないかな?」
「これはこれでいいんじゃね?めっちゃシンプルだけど」
いつも朝昼晩を食べるテーブルの上に生姜焼きと作り始める前に早炊きで炊き始めていたご飯を置いたところで、ふと雛姉が呟く。言われてみると、彩り豊かな曜子さんの手料理に慣れているせいかちょっとシンプル過ぎて何だか味気なく感じなくもない。
「そうだ、雛姉ってトマト食べれたっけ?」
「中学のとき克服した」
「じゃあ行けるな」
そういえば野菜室の中にトマトらしきものがあったなと思い出して、記憶が正しければ俺が小5のときまではトマト(特にプチトマト)が苦手だった雛姉に食べられるか確認しがてら、キッチンへ戻って野菜室に入っていたトマトを一個だけ取り出してくし形の6等分に切り分ける。まさか手先が器用になるとバドも上手くなりそうだからとやっていた母ちゃんの手伝いが、こんな形で役に立つときが来るとはこの家でお世話になることが決まるまで思いもしなかった。
「何だかシェフみたいだね飛鷹くん」
「シェフは言い過ぎっしょ」
「大学生になったら居酒屋でバイトしてそう」
「居酒屋……それはワンチャンあるかも」
その様子を生姜焼きが乗った皿をもう一度カウンターへ戻してきた雛姉が“シェフ”みたいだの“居酒屋のバイト”だのと面白半分で例える。いやいやと思うのと同時に、言われたら言われたで思いの外それっぽいと勝手に腑に落ちる。
「なんかめっちゃガチなままごとしてる気分だわ」
「ままごとっていうか本物を使ってるからただの料理だけどね」
もはやただの手料理だが、俺的な感覚だとギリ記憶に残っているままごと遊びを本物の器具と食材を使ってやっているような気分だ。例えとしては絶対間違ってるだろうけど。
「へいお待ち」
「寿司職人?」
ちょっとだけ気分が乗って雛姉から軽くツッコまれつつ寿司屋的なノリで6等分に切ったトマトを半分ずつに分け生姜焼きの皿へ乗せて、色どりが1つ増えた生姜焼きをダイニングテーブルに戻して今度こそ俺と雛姉で作った初めての夕飯の完成だ。
「楽しみだなぁ雛姉の生姜焼き」
「飛鷹くんの手も加わってるし
「具材が一個足りなくても口に入れたときに美味けりゃそれでええでしょう」
「なんで関西弁?」
テーブルを挟み向かい合って、2人しかいない食卓で互いにいただきますと手を合わせて末っ子と親戚の2人で作った主役不在の生姜焼きを口へ運ぶ。
「うん。めちゃくちゃ美味いわ」
「失敗かと思ったけど、これはこれで美味しいね」
口に入れた瞬間に広がる、見た目と匂いの期待を裏切らない確かな美味しさ。生姜焼きだと思って口にすると“ん?”ってなるものの、そもそも生姜が入っていなくても醤油にみりんに隠し味のはちみつ(たまたま蝶野家にあった)をレシピ通りの分量で混ぜたタレが不味いわけがない。ぶっちゃけこれは、生姜なしでも全然イケるやつだ。
「もうちょっと玉ねぎに火通せば良かったかな?」
「いや、このシャキって感触がちょっとだけ残ってるのが逆にいいアクセントになってる」
「まあ、言われてみれば……なんかこういうときに使うことわざってあったよね?」
「怪我の功名?」
「それだっ」
雛姉はあんまり納得していないようだけれど、しなしなになる一歩手前のまだシャキっとした食感が残る玉ねぎが生姜の入っていないパンチの弱さをちょうどいい感じに補っていて、結果として忖度抜きで美味しく仕上がっている。曜子さんの血が流れているのと関係があるかはともかく、雛姉は割と料理を作るセンスも高そうだと俺は思う。
「…こんなふうに隣に誰かがいると、それだけで留守番の退屈も寂しさも吹き飛ぶね」
話を弾ませながら生姜の入っていない生姜焼きに暫し舌鼓を打っていると、雛姉は生姜焼きを口へ運ぶ手を止め箸をお椀の上に置いて真向いの俺を真っ直ぐ見て小さく呟く。
「おう。だね」
そのどことなく意味深な言い方に若干の疑問を感じつつ、俺は箸を止めずに相槌を打つ。
「私がまだ中2だった夏休みのとき……今日みたいにお父さんとお母さんが仕事で遅くなって、お母さんがいないときでも家に帰ればいつもいたお姉ちゃんも友達の家に泊まりに行ってたから初めて1人で留守番することになったんだよね」
「へぇ~、そうなんだ」
俺が呟きに小さく頷いたのを合図にして、真向いに座る雛姉が中2のときに体験した留守番の出来事をまるで新体操の演目の曲が掛かってスッと自分の世界に入り込むかのように、俺へと話し始めた。
「さすがに私も中2だったし、全然へっちゃらだって自分でも本気で思ってたんだけど、部活から帰ってきて“ただいま”って言ったら決まって返ってくる言葉がいつまで経っても返ってこないってことに気付いたら急に寂しくなっちゃってさ……いつもと同じように自分の部屋で柔軟とか夏休みの宿題を片付けたりしたけど何だか身が入らなくて、作り置きしてくれたお母さんのご飯も美味しいはずなのに何だかいつもより味が薄く感じて……お父さんが家にいないことは物心がついたときから私にとって当たり前だったから誰かがいないことには慣れてたけど、家の中で
雛姉のお父さんで俺にとっての従伯父にあたる弘彦さんは、俺が5歳くらいのときまで日本代表として世界で戦っていた体操選手だった。証拠となる実物は本人と曜子さんしか知らない蝶野家のどこかで大切に保管されていると言うが、現役時代の弘彦さんはオリンピックや世界選手権で幾つものメダルを手にしたほどの功績と実力を持ち、甘いマスクで女性人気も高く体操にそこまで詳しくない人でも名前を知っていたほどの
「君が飛鷹くんだね?初めまして」
「…テレビにいた人がいる」
俺が弘彦さんと初めて顔を合わせたのは、いまの蝶野家の新居祝いとして挨拶に行った10年前のこと。家の玄関がどんな感じだとか、雛姉や麦姉と何をして遊んだのかはもう曖昧になってしまったけれど、弘彦さんと初めて会ったときに親戚ではなく“テレビに出ていたスターがいる”と感じて、何だか起きているのに夢を見ているような不思議な感覚に襲われたことは今でもはっきり覚えている。
「ありがとね飛鷹くん。麦と雛の2人と仲良くしてくれて」
まだ6歳のガキだった俺は、弘彦さんのことを“体操界のスターで雛姉と麦姉のお父さん”だとしか思っていなかったから全く気付けなかった。自分の親の顔を見る機会が家よりも画面越しのほうが多いというのが、どういうことなのかを。
「飛鷹くん!また遊ぼうね!」
小さかった頃、別れ際に見せていたあの笑顔の裏側で、雛姉は言葉では表せないくらいの寂しい思いをしていたんだろうなって……留守番の話を聞いて俺は強く思った。
「…だから飛鷹くんが蝶野家に来てくれて、すっごく感謝してるんだ」
中2のときに初めてたった1人で家の留守番をした話を打ち明けた雛姉は、一呼吸をして穏やかな笑みを浮かべながら感謝を告げる。初めて聞いた空白の5年間の中であった思い出の話に、気が付くと俺は箸を置いて相槌も打たずその話に聞き入っていた。
「飛鷹くんが来てくれたおかげでお姉ちゃんが出て行って少し寂しくなってた
「飛鷹くんがいる一日がどうなっていくかすごく楽しみなんだよね」
「…感謝してるのはむしろ俺のほうだよ。自分の好きなことに真っ直ぐ向き合って楽しんでる雛姉がこんなふうに目の前で笑ってくれたり、パワーをくれたりしてくれるおかげで俺は栄明でバドを楽しめているから…」
同じ屋根の下で暮らしてから初めて見せる、どことなくあの夏に見た暖かい
「だいたい雛姉がいなかったら俺はここまでバドを楽しめてないし、何なら小5のとき……」
そんな溢れる心の内のままに、いつもの調子で雛姉へ感謝の言葉を紡いでいたら何の前触れもなくいきなり目頭の辺りがグッと熱くなって、言葉が詰まった。
「小5のとき?」
「ごめん間違えた」
「何を?」
言いかけたワードを拾った雛姉に、稚拙な言い訳を咄嗟で返す。いきなり涙が出そうになった理由はよくわからないけれど、あのまま無理に続けていたら間違いなく俺の目元が危ないことになっていた。
少なくとも感極まりそうになったのは、自分の言葉で小5の夏を思い出したからというだけではない。
「とにかくあれよ。俺も雛姉の力になれるようにもっと強くなるってことよ」
「飛鷹くんも言うようになったね(無理やりなかったことにしたなこの子…)」
「身体も心も5年分は大人になったしな」
強引に外側へ出ようとしていた感情を引っ込め、軽く取り乱した頭をどうにか回転させて、自分で蒔いた難局を乗り切る。バドを楽しみ続ける理由を貰ったあの日のことは、いずれは雛姉に感謝という気持ちと一緒に伝えようと心に決めている。だけどそれを伝えるのは、俺が雛姉の隣に立てるくらい人として強くなれたときだ。
「インターハイ。絶対行くから」
だから俺は、代わりに決意を伝えた。これこそ何でいきなり出てきたのか自分でもわからないが、今までで一番
「じゃあ行ってください。インターハイ」
真っ直ぐに目を見据える俺の眼を見据え返したまま、決意を受け止めた雛姉が静かに笑って言い返す。いつもみたいなどこか俺のことを1コ下の弟のように見ているような、はたまた未完成な青さが色濃く残る1学年下の後輩を見ているような表情や態度ではなく、同じ目標に向かって頑張る
「雛姉もだよ」
「言われなくとも。私は蝶野雛さまぞ」
「ははっ、そうだったわ」
そっか。雛姉の寂しさを紛らわせられる
ピロン♪_
俺と雛姉の声だけが聞こえるリビングに、スマホの着信音が鳴る。その音がきっかけで、謎に感傷的になっていたこの心の中がサッと冷静さを取り戻していく。きっとこれは、雛姉と2人きりで留守番するという初めての空気に流されてまた変なことを考えてしまったってだけだろう…
「あ、お母さん仕事終わって今から帰るって」
「本当にお疲れ様です」
「誰に言ってんの?」
「曜子さん」
「ぷはっ、ここで言っても聞こえないでしょ」
…と、俺は信じたい。
「生姜焼き作ったことは曜子さんに言っとく?」
「んー…そうだ、夕飯だけ作ったってことだけ言って後はお楽しみにしよう」
「サプライズ的な?」
「うんそれ」
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またひとつ、大きいとは言えないけれど着実に雛姉との
たいちながオムライスなら、こっちは生姜焼きもどきじゃい。
というわけで大変長らくお待たせいたしました。次回よりインターハイ県予選の開幕です。
果たして新天地で迎える飛鷹の初陣はどうなるのか……とりあえず上手く書けるように頑張ります。